マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『夏は過ぎても、本は残る。』・・・「カラマーゾフの兄弟」 

2007-09-10 13:45:45 | 父の日。母の日。結婚記念日。
『夏は過ぎても、本は残る。』・・・本屋のすみに貼られていたポスターに、引き寄せられました
ポスターのアングルは、焼鳥屋「かね將」の店長さんでしょうか?  今日の店で出す沢山の串刺しを作り終えた後の、ホットした時間を過ごしているのでしょうか?
焼き鳥の串の山を側に置いて、本を読むリラックスした店長さん(?)の姿が、なんともステキです

ポスターにほれぼれした私は、突然に、ひらめきました 
ポスターが語るとおり、『夏が過ぎる!!本がある!!読書の秋だ!!私も本を読もう!!』 と。
それも古典への挑戦を思いつきました。 それも「カラマーゾフの兄弟」を読む と、ひらめいたのです。
何故「カラマーゾフの兄弟」がひらめいたかを考えると、二つの理由を思いつきました。
一つの理由は、聖書を分からずしては読みこなせない古典である「カラマーゾフ」を、若い頃に読んで感じた価値と、近々聖書の7回目の通読を終える61才になった今の私が読み終えた時に考える価値の違いを、比べてみたいと思いました。
もう一つの理由は、娘が一時期「カラマーゾフの兄弟」を非常に真剣に夢中になって読んでいた姿が、今でも忘れられない娘の姿として、私には残っています。 その追体験をしてみたい、とも考えました。

早速、書店で手に入れた、「カラマーゾフの兄弟」は、700ページの文庫本で3冊です。  
秋の夜長は、「読書の秋」となりそうです。  新しい楽しみの始まりです。

古典の代表の一つである「聖書」を、22年間途切れることなく、私は7回も読むことになりました。
初回は、字面を追うだけに終わり、「聖書」といえども、私には「死書」に過ぎませんでした。  しかし、通読する回を重ねる毎に、私は「聖書」を愛し、私の心の中で、私の「死書」を温めて生き返らせ、、正に「生書」としてきました。  今の私にとって、「聖書」は、私の価値観そのものとなっています。

今年の読書の秋に挑戦することにした古典の中の「カラマーゾフの兄弟」が、若い頃の読後感と違い、今回は、私にどんな感動を与えてくれるのか、本当に楽しみで、ワクワクします