氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

309 ひとり

2006-02-28 12:34:02 | Weblog
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309 ひとり
 


人間をやっている間は、結局は「ひとり」です。 しかし「ひとり」を受け容れることで、初めて本当のつながりも感じられるそうです。

人は「ひとり」で生まれて、「ひとり」で死んでゆきます。これは肉体を持つ身としては、避けられない事実です。 たとえどんなに愛し合っているふたりであっても、 死ぬ時はやっぱり「ひとり」なのですね。

まずはこの事実をはっきりと受け容れる必要があるそうです。 あなたの代りは誰もできません。あなたの人生はあなたが「ひとり」で生きていくしかないのです。この世に肉体という容れ物を身にまとい、生を受けた瞬間から、あなたは「ひとり」を味わうために生きているとも言えます。

あの世では「全てがひとつ」ですから、私とあなたを分けることができません。
あの世では「ひとり」という感覚を味わうこともできないのです。

「ひとり」の感覚を味わえるのは、ある意味、この世に生を受けた恩恵であり、ギフトです。
これは私という自我と肉体という容れ物がない限り、決して味わうことの出来ない特別な感覚なのだそうです。

あなたはこの世界の中心に「ひとり」で居ます。
あなたがあなたの世界の創造主であり、あなたが全てを「ひとり」で生み出しているのです。

あなたの世界には、実はあなた「ひとり」しか存在しないのです。
あなたが亡くなれば、あなたの世界も無くなるのですね。

自分が本当に「ひとり」だと腑に落ちることと、「全てがつながっている」とわかることは同じだそうです。その気付きは同時にやって来ます。全てはひとつで動いているそうです。

 おもしろいですね。この世に生まれたのは「ひとり」という感覚を味わうために生きてきたのですね。確かにその通りなのですが、逆にあの世では「ひとり」という感覚を味わえないのですね。

 せっかくの天からのギフトですので、しっかりと「ひとり」を味わってみたいですね。
夫婦は一心同体というけれども死ぬときはやっぱり一人ですものね。

次回もお楽しみに                              以上 

308 いただきます

2006-02-27 21:57:40 | Weblog
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308 いただきます
 
 食事の前に、どうして『いただきます』と言うのかしっていますか。
昔は、食べ物がいつも手に入るとは限らず、とても貴重なものだったようです。何しろ、食べる物がないと、私たちは生きていられませんからね。そして、大切なものは頭の上に捧げ持ち、穢(けが)れを防ぐという風習もあったということです。
 
 当然、食べ物も頭の頂(いただき)に持ち上げてから、感謝の気持ちをこめて食べさせて「いただく」ということをしていました。だから、その名残で、食べる前に『いただきます』と頭を下げているのだそうです。

 そういえば、そんなことを知らなくても、「いただきます」と言うときには、自然と手を合わせて、ありがたい気持ちになっていたりしますよね。

さらに、私たちが食べるものは、肉でも、魚でも、野菜でも、すべてが命のあるものです。その命を、私たちのために、犠牲にして捧げていただくことになるのです。

そんな命を、自分のなかに取り入れる(戴く)のですから、大切にさせて『いただきます』という思いもこめているのだそうです。

さらに、食べ終わった後には『ごちそうさま』と言いますが、これは「ご馳走様」と書き、『走り回る』ということを意味しています。つまり、食事を用意するためには、大勢の人が一生懸命に走り回って用意してくれたのだということを忘れないように、このことばを口にするのだそうです。

 たとえば「どんなに贅を尽くした豪華な料理でも、最高の食材を使っていても感謝の心がないと、何も身にならない」そうです。
逆に、どんなに粗末な食べ物だったとしても、感謝を持って食べるのなら、心身を満たしてくれるのです。

農薬がどうのこうのとか、栄養価がどうだとか不満を持ちながら食べると、どんなに身体に良いとされる食べ物だったとしても、そんなネガティブなものも一緒に入ってきてしまい、健康にも影響を与えることになります。

もちろん、食べるものには気をつけるに越したことはありませんが、どうせ食べるのなら、少々貧弱なものでも感謝を持ちながら摂る方が、身体にはよっぽど良いようです。

何を食べるのかも大事ですが、どんな心で食べるのかの方が、もっと大切なのですね。

 剣道でも同じですね。同じ面を打つにしても、どうゆう心で打つかが大事です。相手を尊重し、相手は自分の鏡であると思えればたいしたものですね。気まぐれ剣士は、相手は自分の鏡だから、たいしたことないと思っています。

 次回もお楽しみに                            以上       

307 幸福には翼がある

2006-02-26 07:42:27 | Weblog
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307 幸福には翼がある
 
この世界は、『捨てる神あれば、拾う神あり』です。
「捨てる神」とは、私たちに、不運や辛い出来事を与えてくれる神さま。
 そして、「拾う神」とは、幸運や楽しいことを授けてくれる神さまです。

 でも実際に肉体を持って、この世界に生きている私たちにとっては、どうも「捨てる神」ばかりが目に付くことが多いようです。

 仕事で失敗した、失恋した、人間関係で困ったことがある、信頼していた友人に裏切られた・・・ こんなことばかりが起こって、飛び上がるほどうれしいことなんて、めったに起こりませんね。まったくこの世界には、「捨てる神」しかいないのかなどと思えてきたりするのです。

 だけど、ひょっとしたら、「拾う神」は、いつも身近にいて、私たちに福を与え続けてくれてるのかも知れません。ただ、私たちが、それに気づいていないだけなのかも。

 「拾う神」は、いったいどこにいるのでしょうか?どうして、私たちは、気づかないのでしょうか?
 西洋のことわざに、こんなものがあるそうです。
『人生にとって幸福な音が三つある。
   1.夫が家にいて、静かに本を読んでページをめくる音。
   2.その傍らに妻がいて、何かを作っている音。
   3.その夫婦の側で、子どもが元気に遊んでいる音 』

 この三つの音は、どれも、取り立てて特別な音ではありませんね。
 いつも聞こえているときには気づかなかったけど、その音が、実は、最高に幸せな音だったのだと気づくときがあります。それは、それらの音を聞くことができなくなってしまったときです。失ってはじめて、その音こそが、自分にとってこの世界でいちばんの幸福の音だったということがわかったりするのですね。

……幸福には、翼がある方がいいのです。
 
 それは、私たちの手から逃げているための翼ではなくて、どこかへ行って、もっと大きくなって帰ってくるためにある翼なのだそうです。

 気まぐれ剣士には剣道という翼があります。でも剣道から帰ってきたときは“疲れた”という翼ですが・・・
 次回もお楽しみに                              以上                              

306 「思い」と「方法」

2006-02-25 07:31:30 | Weblog
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306 「思い」と「方法」
 

夢や目標を手にするのには、実現したいという「思い」と、実現するための「方法」が必要ですね。では、私たちが「思い」と「方法」を、どのくらいの割合で持っているときに、いちばん夢が叶いやすくなるのでしょうか。

 半分ずつくらい? いや、強い「思い」がある方が気力が持続するから、「思い」が7で、「方法」が3くらい?
あるいは、やはり確実な「方法」がないと目標実現は難しいと思うから、「方法」が8割を占める?

 たとえば、あなたが今、東京にいるとして、京都に行きたいと思ったとします。この場合、京都が「目標」ですね。京都へ行くためには、どのような方法があるでしょうか? 飛行機、新幹線、夜行バス、タクシー、自家用車・・・さらには、歩いていく、走っていく、という方法もあります。

そう考えてみると、京都へ行く方法なんて、無限に存在しますよね。もちろん難しいもの、時間がかかるものもありますが、どの方法でも、続けていればいつかは必ず京都へたどりつけます。

 ところが、いくらたくさんの方法があったとしても、京都に行くことができなくなることがあります。それは、「京都へは行きたくない」と思ったり、もともと京都へいくなどという願望を持っていなかったというとき。つまり、「思い」がまったくないという場合です。

 反対に言うと、京都へ行きたいという「思い」さえあれば、「方法」なんていくらでもあるし、もしも、なかったとしても一生懸命に考え出して、何とかして行こうとすることになります。

 ということは、極端に言うと、夢や目標を叶えるため必要なのは、「思い」が100%で、「方法」がゼロ、ということかもしれません。
しかし、忙しくて時間がないし、必要なお金も協力者もいない。その他にも、こんな障害があると言い訳が次から次へとでてきますね。

自分の中にちょっとした恐れや自己不信があるから、言い訳がでるのですね。自分の思いに正直になれば、すべての障害は消えるかもしれません。障害は、言い訳を守るための幻想にすぎないのですから。

次回もお楽しみに                           以上

305 あなたに起きることは全て正しい

2006-02-24 12:40:47 | Weblog
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305 あなたに起きることは全て正しい
 

一生懸命に仕事をがんばっているのに、なかなかうまくいかない。それなのに、同僚は、いとも簡単に実績をあげているように見える。
急いでいるときに限って、いつも駅に着くと、電車が行ってしまったあとだ。
コンサートのチケットを予約しようとしても、タッチの差で手に入れ損ねることが多い。


 ……どうして、私だけが、いつもいつもツイていないのだろうか?
 もっと運がよければ、今よりもっと違った人生が送れるはずなのに……

  もし、そんなことを思っている人がいたとしたら、何かを見落としているかもしれません。
 そもそも、「いつもツイていない」状況を創り出しているのは、自分自身な のかも知れませんね。

 たとえば、仕事でうまくいかなかったり、電車の乗り遅れたことがあったとしても、それは、本当に、いつもいつも100%、そうなってしまっている訳でもないですね。
きっと、振り返ってみれば、一度や二度は、仕事で思いもかけぬ成果をあげることができたり、タイミングよく電車に乗ることができたこともあったはずです。

 そんなときには、「たまたまうまくいっただけさ」と思って忘れてしまい、うまくいかないときにだけ、「ツイていない」と思っているのなら、いつも不運な出来事を探して、そこに注目しているようなものです。

 毎日、同じくらいの、「ツイていること」、と「ツイていないこと」があったとしても、「ツイていないこと」ばかりを見ているのでは、一日中、自分はツイていないと思えても仕方がないことですね。

でも、今、こうして生きている。この世界に生まれてくることができた。そんなことにも感謝してみたらいかがでしょうか。それだけで、今日も、すばらしい一日になるかもしれません。

 あなたは、生まれてから今まで、こうして生きてきたのだから、ツイているに決まってます。
誰かが言ってましたが、“生きてるだけで丸儲け“の精神でいきましょう。人間に生まれてよかったでしょ。 しかも気まぐれ剣士に出会えて・・・これは余分です。

次回もお楽しみに
以上

304 プロセス

2006-02-23 21:45:10 | Weblog
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304 プロセス

 一時の状態を結果だと勘違いしないことです。 結果とは、次の状態に至るための「プロセス」に過ぎないそうです。

幸せとか成功を、何かの行為の結果だと考えると苦しくなります。幸せや成功という結果があるのではありません。それは移り行く時の流れの中での一時の状態に過ぎないそうです。

全ては「プロセス」であり、過程に過ぎないのですね。そこにエネルギーを注ぎ過ぎると執着が生まれます。

 この世の全ては常に変化し、移ろい行くものです。私たちの短い人生の中では永遠のように見えるものでも、 固定されて変わらないものなど何もありません。ひとつの状態は、次の状態に変化・移行するための過程を「プロセス」として見せてくれているだけだそうです。

 結果に価値があるのではありません。結果のように見えているものも、実は「プロセス」のひとつに過ぎないのです。「プロセス」を楽しみ、味わうことこそ、人生そのものだと言えるかもしれません。

 私たちがこの世に生まれて、死んで行くことは「プロセス」そのものです。あなたかがどんな人生を選択したとしても、その「プロセス」を味わっていることには変わりありません。 平凡な人生は、平凡な「プロセス」を、波乱万丈な人生は、 波乱万丈な「プロセス」をただ経験し、味わっているだけです。

 どちらが優れていて、どちらの方がより価値があるなどと、比較したり、評価することは出来ませんね。

 そうなんですね。勝ったり負けたりは一つの結果ですけれども、永い人生から見ればやはりプロセス・過程ですよね。

いいじゃないですか、一回や二回負けたって。なに、一回や二回だけじゃないって。良いじゃないですか。五回や十回負けたって。勝ちっぱなしの人生なんてつまらないですよ。いつかは負けるじゃないかって、そのプレッシャーは計り知れないものがあるでしょうね。

その点、いつも負けている人は気楽です。たまに勝ってみなさい。みんなが良く頑張ったって誉めてくれます。
要は勝ち負けよりも、いかに自分らしく戦えたのかが大切ですね。先ずは自分が納得できなければ、誰がなんといおうと納得できませんね。

気まぐれ剣士はいつも自己納得しています。勝てば自分が強かった、負ければ相手が自分より強かっただけ、自分は弱くないって。
次回もお楽しみに
以上

303 謙虚

2006-02-21 12:32:56 | Weblog
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303 謙虚

そこに私だけが居るのではなく、常に「大いなるもの」と共に在るという気付きが、「謙虚」であるということだそうです。

全てのことを自分ひとりで出来る人など、この世に存在しませんし、存在する必要もありません。自分には誰か他人の、或いは他の何かの助けが必要だと認めることが出来るのは、真の強さのしるしだそうです。

それは同時に自分が誰かに助けを与えることが出来るかもしれないと気付くことであり、それを「謙虚」と呼ぶのだそうです。

どんな小さなことでも自分の力だけで成し遂げられるものなどありません。 些細な出来事の中にも、「大いなるもの」の力を見つけることが出来る能力のことを「謙虚」と呼ぶのです。

誰かに何かを頼まれて、「私なんて…」と謙遜したり、拒否することが「謙虚」なのではありません。「こんな自分でも誰かの助けになるのなら…」と、 自分の出来ることを一生懸命させて頂くことが、「謙虚」です

もちろん出来ないことまで無理矢理抱え込むことはありません。 それは自分の力を過信しているだけであり、傲慢に陥ります。 同様に自分の価値を低く見積もり、遠慮がちにしていることは、ただ卑屈になっているだけで、それもまた特別意識の現れだそうです。

人に助けを与えることの出来る「謙虚」さと、人に助けを求めることの出来る勇気や強さは、同じエネルギーの裏表で切り離すことは出来ないそうです。


 そうだったんですね。私なんて・・・と謙遜することが謙虚ではなかったのですね。謙虚とはいつもニコニコと、結果を気にせず自分の出来ることを一生懸命やる事なのですね。

 ですから頼まれ事も、自分のできることであれば、嫌がらずに進んですると、それに伴って良いことも起きるみたいですよ。

 あれこれと悩み、考えることよりも、先ずは実行に移すことですね。気まぐれ剣士は何があっても飲み会に移すことは得意なんです。

 でも、皆さんからは喜ばれていますが、女房殿からはにらまれています。当然ですよね。
 
次回もお楽しみに

以上

302 休息

2006-02-20 12:04:12 | Weblog
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302 休息

身体を休めることだけが、「休息」ではありません。自分の心を休ませることが、本当の「休息」につながりますね。

仕事のことを考えながら、休日を過ごしていても、それは本当の意味で「休息」していることにはなりません。
心配や不安を抱えたままで、身体だけを休ませようとしても、こころは却ってアセりを感じてしまったりするので、折角の「休息」が逆効果になることもあるので要注意ですね。

身体を休ませることだけが「休息」の目的なのではありません。
息は「自分の心」です。自分の心を日頃の緊張から解き放ち、リラックスして休ませることが、本当の「休息」につながります。

それがどんなに良いことであっても、あなたが「ねばならない」で取り組んでいる時は、周囲のことが目に入らず熱くなり過ぎているのかもしれません。そんな時こそ、ひと息入れて「休息」することが大切ですね。

忙しい時、イライラしている時、アセッている時、怒っている時…。みんな息が浅くなって、息が上がってしまいます。

「休息」は文字通り、息を休めることです。
ゆったりと深い深呼吸に意識を戻して、静かに息を吐ききることです。
息が整えば、肩の力も抜けて、リラックス出来ますね。

 息って本当に不思議ですね。起きているときは自分で呼吸することも出来ますが、寝ているときは勝手に呼吸してくれます。意識が無いのに誰が呼吸させているのでしょうか。
 また、剣道でも下位のものとやるときには、いくら稽古してもそれほど息が上がらないのに、上位の人にかかるときは、ほとんど体を使っていない時でも、すぐに息が上がってしまいます。

これは上位者の氣攻めが強いので、ゆったりとした深い呼吸が出来ないからでしょうね。
剣道では息が上がる稽古をしなさい言われています。

でも子供たちを見ていると確かに息が上がっているようですが、よく観察すると、息が上がっているように上手に演技していますね。氣まぐれ剣士はだまされませんよ。

次回もお楽しみに
以上

301 愛と愛情

2006-02-19 06:40:49 | Weblog
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301 愛と愛情

「愛」と「愛情」とは、全然違うそうです。

 「愛」というのは、無条件で、しかも厳しいのです。ところが「愛」の下に「情」の字がつくと、急に条件がついてきて、ドロドロしてくるのです。ですから、これからは、みんながお互いに「愛」の部分だけで接するようになれば、本当に楽になれますね。

 例えば、「愛」の部分では(やってあげない方がいい)とわかっていても、「情」の部分でやってあげてしまうことが一杯ありますよね。
 人に対して、やってあげることによって相手をダメにしていることが、実はいっぱいあります。

 「愛」の部分ではわかっているのですが、(やってあげないと、冷たい人だと思われる)とか、良い子になろうとしているのですね。本当にどうしても、やってあげないといけない時以外は、なるべくやらないようにすることですね。

 例えば、お年寄りに対しては、何でもできるだけ自分でやらせてあげた方がよいのです。「もう、お歳だから・・」 というのは「情」ですね。
 ですから、本音で言えばいいそうです。

『私は、「情け」の部分ではやってあげたいのはやまやまなんだけれど、「愛」の部分であなたと接します。あなたの為になりませんから、自分でやりなさい』とはっきり言えばよいのです。

 本当に相手のことを思って、そして本音で言えば、絶対わかりあえます。でもそこには、思いやりが必要ですね。
 例えば、お年寄りにお布団の上げ下ろしをやらせるとしたら、なるべく軽いお布団にしてあげるという思いやりが、人間関係の潤滑油になりますね。

 そうか、愛と愛情は似てますが、全然違うのですね。ほとんど同じように考えてましたが、愛とは厳しいものなのですね。

でも、気まぐれ剣士はヤクザ屋さんじゃないけれども「義理と人情」が好きですね。

「情」に振り回されて、人目ばかり気にして余計なことをして、相手をダメにしていたことが一杯あるかも知れませんが、これで自分の気持ちがスーとしているのですね。 
 
これからは今まで人にやってあげていた時間を、もっと自分を見つめる為に使ったほうがいいかもしれません。

 次回もお楽しみに 
                        以上

300 商売繁盛

2006-02-18 07:58:01 | Weblog
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300 商売繁盛

「しょうばい」にもいろいろあるようです。

正直正氣で正正堂堂の錦の御旗 「正売」
いつもニコニコ恵比寿顔 「笑売」
あきないに命をこめて 「生売」
技とたくみがさえわたる 「匠売」
めでたいありがたい吉祥 「祥売」
始末がキッチリ領収書 「証売」
煌々(こうこう)と店中明るく楽しさ一杯 「照売」
名誉に輝くご褒美うけて 「賞売」
将来の夢を語ってふくらむ 「将売」
知人からすすめられたと 「奨売」
精進努力は承認の掟 「精売」
お客様からいつもご指名 「召売」
今日も満員御礼万歳三唱 「唱売」
四季の趣豊かに彩る高尚 「尚売」
スピード第一すばやい早い 「捷売」
お客様にありがとうのの合唱 「掌売」
勢いよく昇る日の出の大繁盛 「昇売」
招き猫置いてある店福多し 「招売」
ムダムラムリ省いてすっきり 「省売」
交渉を巧みにこなす対商人 「渉売」
お客様にたたえられて 「称売」
詳しくしっかり説明 「詳売」
お任せくださいお客様 「承売」
やる気満々燃えている 「燃売」
勝ち組に入って商売大繁盛 「勝売」

これどう読むかわかりますか?
春夏冬 二升五合 商売繁盛
(ヒント 「秋」ない 升が二つ 五合は半升)
つまり 商い益々繁盛 と読むそうです。

こんな気持ちで商売できたらいいですね。
次回もお楽しみに。
以上

299 サラリーマン川柳

2006-02-17 18:03:52 | Weblog
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299 サラリーマン川柳

 第一生命のサラリーマン川柳です。

● 「課長いる?」返った言葉は「いりません」

これってきつい言葉ですね。思わず本音が出てしまったのでしょか。

● メール打つ早さで仕事なぜできぬ

最近の若者はホントにメールを打つのが早いですね。気まぐれ剣士も言いたい放題のお陰でパソコン打つのが早くなりました。

● 「妻の声 昔ときめき 今動悸」

昔は良かったと嘆いてみても仕方がないので、諦めましょう。

● 「ご飯いる?」「いる」の返事で妻不機嫌

やはり「いらない」を期待しているのでしょうね。気まぐれ剣士の女房殿は20年以上たっても弁当を作ってくれているので感謝しないといけないですね。でもなぜか娘の弁当がいらないときは、気まぐれ剣士の弁当もありません。

● 「無駄省け 言ってた上司 省かれる」

これもきつい言葉ですね。明日はわが身かな?


いかがでした。川柳ってほんとに短い言葉で本質を突いていますね。だからおもしろいのですね。

次回もお楽しみに。

以上

298 人生はパラドクス

2006-02-16 12:31:36 | Weblog
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298 人生はパラドクス

 人生はパラドクス(逆説)だそうです。

・ 人が最も行動的になるときは「しなくてもいいこと」をしているときです。

確かにそうですね。気まぐれ剣士はどうでもいい、言いたい放題を一生懸命書いています。もっと仕事を頑張ればいいのにねぇ。

・ お金など必要ないと分かったとき、あなたにお金が集ります。

  何時もお金が足りないと思っているからお金が集まらないのかなぁ?

・ 「あなたは私がいなければ何も出来ないじゃない」という人は、実は自分の方がその相手がいなければいられない人なのです。

その通りかも知れませんね。こういうお母さんが子離れできないお母さんなのですね。

・ 人を仲間外れにするのは、自分が仲間はずれにされることを一番恐れています。

そんな気がします。

・ 人を批判するのは、自分が批判されることを恐れている人です。

確かにその通り。

・ 自分を変えたい、変わりたいと言う人がいますが、変える必要がないと分かったとき
変わり始めます。

不思議なものですね。ということは試合に勝とうと思ったら、ダメなのですね。勝つ必要がないと分かったとき勝てるのですね。
そうなんだ、試合に勝つ必要なんかないんだ。自分らしさを出せば良いんだ。自分らしさが出たときは、きっと勝っているかも知れませんね。
妙に納得した気まぐれ剣士でした。

次回もお楽しみに
以上

297 斎藤語録(4)

2006-02-15 12:13:42 | Weblog
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297 斎藤語録(4)

<心に灯のともる言葉のかけ方>

  何かこの人くらいなぁって感じたとする。そしたら、こう言ってあげるのです。「あなたは、明るい性格ですね」って。人の心に灯をともすって事はその人をそのまま認めてあげることなんだよ。

  それを「明るくした方がいいよ」って言うのはお説教なんだ。心の灯を消しちゃうことなんだよ。だから「あなた、明るい人だね」って言ってあげる。そうすると「そうなんです。実は私明るいんです」っていう人がいるの。周りから暗いと思われているけど、本当は明るいと思っている人はそう言われると嬉しいものなんだよ。

  人の心に灯をともしてあげるには「そうなってほしい状態」を表現してあげると効果的だそうです。

  例えばお店に入って愛想のない店員さんがいた場合は「あなた、笑顔が素敵ですね」と声をかけてあげるといいそうです。

  先ずは身近な旦那さんから始められたらいかがでしょうか。「あたた、今日は素敵だね」って。きっと本心は喜ばれると思いますよ。でもきっと旦那さんはこう言うでしょうね。「おまえ、どうしたの」って。そういわれるのを覚悟で先ずは身近な人に言ってみる。これってどこかで読んだって。はい、ドミノの法則です。


<人生を楽しく過ごす方法>

  綺麗な公園にだってゴミ箱はあります。でもきれいな公園に行ったらその美しさを見ればいいのです。ゴミ箱を見る必要はありません。

  病気のこと、嫌なことばかりに焦点を当てていたら、その人生は嫌な人生になってしまいます。嫌なことに焦点を当てるのではなく、楽しいことに焦点を当てることです。そうすれば人生が楽しくなる。心が豊かになる。その豊かな心で誰かを幸せにすることができるのです。

  そうですね。どこに焦点を当てるかによって全然違ってきます。気まぐれ剣士も街に出ると、可愛い子に自然と目が行ってしまいます。

  これって別に悪いことでもなく、人生を楽しく過ごす方法だったのですね。女房殿、可愛い子に目が行っても睨まないでくださいね。

いかがでした。
次回もお楽しみに
  
以上

296 斎藤語録(3)

2006-02-14 12:12:48 | Weblog
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296 斎藤語録(3)

<バランスの法則>

  自分が知っていることを積極的に他の人に教えることによって、自分も大きな見返りがあるそうです。これがバランスの法則だそうです。
  例えばミカンを月100万円売り上げる方法を知っている人がいたとします。その人は100万円売る知識や知恵をもう十分持っているわけですから、50万円しか売上出来ない人に100万円売り上げる方法を教えることが出来ます。
  そうすると100万円売り上げていた人は、不思議なことに150万円売り上げられるようになるそうです。

  一見すると不思議な話ですが、このように世の中は教えてあげた人にはさらに上のステップに上がれるように知恵や情報が入ってくるそうです。

  確かに人には2種類いて、親切で何でも教えてくれる人と、良いことは絶対に教えてくれない人がいますね。よく観察してみると何でも教えてくれる人の方が、周りにたくさん人が集って楽しそうですね。そういう人にはこちらも自分の持っている数少ない情報でも話たくなりますよね。だから情報や知恵が集ってくるのですね。

  気まぐれ剣士も面の打ち方は皆さんに教えているのに、ちっとも胴が打てないのはなぜでしょうか。それは面の打ち方を押し付けているだけだって。ごもっともでございます。


<大切にしているものが残る>

・ 友達を大切にしている人は、友達が残る。
・ 自分しか大切にしていない人は、自分だけが残る。
・ 自分さえも大切にしない人がいる。そう言う人は自殺しちゃったりして何も残らない。
・ 俺(斎藤一人)はお客さんを大切にして、商売も大切にし、お金も大切にする。
それ以上に従業員も大切にする。だから俺は皆に囲まれているんだ。大切な人に囲まれている人生が最高の人生なの。

斎藤さんは中学をでてすぐに商売を始められたそうです。だけど読書量は半端じゃないそうです。たくさん本を読んで人生の機微(きび)を分からなくてはいけないとおっしゃってます。だから、みんなにやさしい言葉が掛けられるのですね。それでもってお金持ちなのだから、言うこと無しですね。

いかがでした。
次回も続きます。
以上

295 斎藤語録(2)

2006-02-13 12:12:23 | Weblog
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295 斎藤語録(2)

<頑張れよりも、頑張ってるね>

 人っていうのは、誰かに自分が頑張っているのを認めてもらいたいだよ。それをたいていの人は説教してしまう。こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないって。 
  
 でも人はそれぞれに得意、不得意があります。自分のできることを基準に人に同じことをやれって言うのはイジメと同じことなんだ。だから、そうじゃなくて「みんな、頑張ってるね」なんです。そう言ってあげた時、相手は「ああ、みんな自分のことを認めてくれる人がいたんだ」って思う。そうすると心に灯がともり、歩いていく勇気が湧くんです。

 そうなんですね。誰でも自分を認めてほしいですよね。でも気まぐれ剣士もつい説教してしまうんです。そんなことわざわざ言わなくても、この本読めば分かりますって。失礼しました。


<感謝の法則>

 いい事があったら感謝するのは普通です。でもいい事はめったに無いから感謝することが少なくなっちゃうんです。
 それよりも「嫌なことでも感謝する」ことです。自分が失敗したとき「あぁ、こういうことをすると失敗することがわかった」なんです。

 人に騙されたときは、「あの人に騙された」と恨むより、世の中にああいう人がいることが分かって良かった。もっと出世してから騙されたらもっと大金をとられていた」と感謝するのです。
 同じ失敗を二度としないように失敗から学習した結果として感謝できれば必ず成功します。

 なるほどねぇ。これこそ究極のプラス志向ですね。凡人はなかなか感謝はできませんね。そこが凡人なのですが・・・。
 気まぐれ剣士なんか何回同じ失敗していることやら。コテを打たれることが分かっていても面にいっちゃうんですよね。分かっちゃいるけど、パチンコと一緒でたまに入るから、今度も・・・と甘い期待をしてしまうんですね。
 みなさんにコテを打っていただいても、なかなか感謝できない気まぐれ剣士でした。

いかがでした。
次回も続きます。
以上