氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

730 萩本欽一

2009-07-27 14:04:48 | Weblog
氣まぐれ剣士の言いたい放題


 730 萩本欽一
 
24時間テレビをはじめる時にプロデューサーは「司会は絶対欽ちゃんだ!」と、
欽ちゃんに司会をお願いに行ったそうです。

そしたら 欽ちゃんは 
「もっとギャラが高くないとやらない」 
と なんとも欽ちゃんらしくないお言葉。 

その後も何回行っても「もっと高くないと」と言われたそうです。 
欽ちゃん、意外にお金には厳しいんですね。

そしてプロデューサーも
がんばって、ぎりぎりの金額提示をしたときに
やっと司会を了解してもらえたそうです。

そのときの欽ちゃんの最後のセリフ。
「僕のギャラは寄付してね」

そんな欽ちゃんは「24時間テレビをやってる間 
本当に24時間寝ずに、募金に来た人とも握手してたりしていたそうなんですが 
ある年にちょっとだけうたた寝してしまったんだそうです。 

そしたら 
「寝てしまうなんて24時間テレビの司会をする資格なんてない」
といって その年で24時間テレビの司会を降りたそうです。


さすが欽ちゃんらしいエピソードですね。
並みの芸人がギャラを高くしてなんて言おうものなら、
あ、そう、しゃぁ他を探しますで終わっちゃいますよね。
最初から寄付するなんて言わないところがニクイですね。

氣まぐれ剣士も一回でいいから、こんな交渉してみたいですね。
勿論、ギャラは氣まぐれ剣士が頂きます。

いかがですか。
次回もお楽しみに。
以上

729 お医者さんのお話

2009-07-21 14:00:50 | Weblog
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 729 お医者さんのお話

あるお医者さんのお話しです。
病気が治る過程の約20%は「メソッド」によるもの…。
いわゆる理論や技術に支えられた、西洋医学的な部分です。
約30%は、「マジック」によるもの…。
患者本人の「治る」という気持ちの部分であったり、心理的な「プラシーボ効果」によるものです。
残り50%は、「ミステリー」によるもの…。
理由の付かない奇蹟、ミラクルによるもので、いわゆる「聖なる癒し」によるものだと言うことでした。
つまり、目に見える技術が役に立つのは、ほんの20%程度のことで、あとは、「目に見えない領域」のことが、病気の治癒にはほとんど80%の原因を握っているというお話しです。
もちろん、その目に見える20%の技術を活用することは、大いに結構ですし、実際に血がダラダラと流れているのに、それを「ヒーリングで治します」などというのは、ナンセンスです。
しかし、目に見える技術は20%程度のことをサポートしているに過ぎず、あとは目に見えない領域にかかっているという畏敬の念を持っていれば、そのような発言が出て来ることはないと想うのです。
お医者さん側からすれば、「最悪の事態を覚悟しておいてください」と伝えておかないと、本当に「最悪の事態」に陥った場合、責められるので、「保険」の意味も込めて、おっしゃているのだと想います。
最近は産婦人科の医者になり手がないそうです。母子ともに危険が伴いますし、何かあった場合訴えられる場合がありますから、皆お医者さんも敬遠するのですね。
どちらも畏敬の念を持って接すれば、もっとスムーズに行くと思うのですが・・・。
いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上


728 自分にとって一番大切なもの

2009-07-15 10:11:35 | Weblog
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 728 自分にとって一番大切なもの


教授はそう言って大きな壺をとり出し教壇に置いた。
その壺に、教授はひとつひとつ石を詰めた。壺がいっぱいになるまで石を詰めて教授は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」

教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
教授はそういいながら、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出し壺の中に流し込み石と石の間を砂利で埋めてゆく。

そうしてもう一度、教授は聞いた。「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。

ひとりの学生が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ!」と笑い、今度は教壇の下から、砂利より、もっと細かい砂の入ったバケツをとり出し、それを石と砂利の隙間に流し込んだ後、3度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれで満杯になったか?」
学生は声をそろえて「いいえ」と答えた。
教授は今度は、水差しをとり出し水を壺のふちまでなみなみと注いだ。

そして
「僕が何を言いたいか、わかるか?」 と教授は言った。

ひとりの学生が手を上げた。

「どんなにスケジュールが忙しい時でも最大限の努力をすれば、いつも予定を詰め込むことが可能ということですか?」

「それは違う」と教授。

「どんなにお腹がいっぱいでも、
 食後のバニラアイスは食べれるぜ!ってことですか?」

「ひすいくん、それは全然違う、というか廊下に立ってなさい」と教授。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。

 この例が私たちに示してくれている真実は……大きな石を先に入れない限り、それが入る余地は、そのあと二度とないということだ。

 『私たちの人生にとって、大きな石とはなんだろうか?』

 それは仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、
 家族であったり、自分の夢であったり。
 ここで言う大きな石とは君たちにとって一番大切なものだ。

 それを最初に壺の中に入れなさい。

 さもないと君たちは、それを永遠に失うことになる。
 もし君たちが小さな砂利や砂、つまり自分にとって重要度の低いもの
 から自分の壺を満たしたならば、君たちの人生は重要でない何かで満たされたものになるだろう。
 そして大きな石、つまり自分にとって一番大切なものに割く時間を失い、
 その結果、それ自体を失うだろう」

『あなたの人生にとって、大きな石とはなんだろうか?』
『あなたの人生にとって、大きな石とはなんだろうか?』
「いのちがけでほしいものをただひとつに的を絞っていってみな」by相田みつを


そうですね、人生には時期というものがありますね。“鉄は熱いうちに打て“といいますが、今やらないと、後でどんなにがんばっても手遅れというものもあります。

勇氣を持って今チャレンジしましょう。幸運の女神は今しか現れないかも知れません。チャンスを逃さないようにね。

いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上

727 タモリ弔辞

2009-07-08 11:28:08 | Weblog
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 727 タモリ弔辞

赤塚不二夫さんがお亡くなりになってから、あと少しで一年に鳴りますね。

タモリさんの弔辞全文です。

8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活ので、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。

 赤塚不二夫が来た。
 あれが赤塚不二夫だ。
 私を見ている。

 この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。

 麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。

 あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。

 あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。
赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。
 平成20年8月7日、森田一義

この弔辞をタモリは白紙の紙を見て言ったのですね。赤塚不二夫さんへの感謝の氣持ちが自然と口から出たのでしょうか。素晴らしい弔辞でした。

いかがでした。
次回もお楽しみに。                           以上