氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

411 植物との対話

2006-10-30 12:29:21 | Weblog
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411 植物との対話

 
 三上晃先生という、すごい方がいらっしゃいます。この方は、”植物との対話”をしたり、字宙エネルギーを第三のエネルギーとして活用する方法などを研究してみえます。
 ある山で山菜採りの老夫婦が行方不明になりました。そこで三上先生はある検知器を持って山に入り、道すがらの植物に「この道を通ったかい?」と問いかけました。すると野の草花の反応が、検知器に現れたのです。

 老夫婦が通ったときはゲージの針がピッと振れ、通っていないときは針はピクとも動かないのです。こうして老夫婦はその足取りがわかり、無事救出されたというのです。植物が人命救助に協力してくれたのでした。

 実はこれはあって当然の話なのだそうです。というのも万物はすべて宇宙意識によって創られており、その字宙意識が普遍の存在である限り、動物も植物もその字宙意識で共振、共鳴できるからです。これは言語を超えた細胞間の交信だそうです。

 「シルバ・マインド・メソッド」という潜在能力開発法で世に知られる、ホセ・シルバ博士の教室の卒業生の一人で、マッシュルームを栽培しているある女性は、右脳レベルに入るとマッシュルームたちと対話ができる- と言っています。あるとき、一群のマッシュルームが「息苦しい」と訴えるのでハウスの換気装置を調べてみると、そのあたりで換気システムが作動していないことがわかりました。

 またある卒業生は、枯れかかっている鉢植えの植物と対話をしました。右脳に入り、アルフアー波を使って植物に聞いてみると、「魚が欲しい」というのです。そこで魚でできた肥科を与えると、植物はたちまちのうちによみがえった……そうです。

 信じるもよし、信じないもよし。ただし、生命現象の奥は深いようですね。   そういえば、昔の人は花や農作物に「元気かい」「立派に育つんだよ」「大きくなってくれたね」「これから収穫させてもらうよ」などとよく話しかけていたのは、植物にも人の考えていることが判るということを直感的に分かっていたのでしょうね。

 氣まぐれ剣士も野菜つくりは得意ですよ。もちろん野菜たちに話しかけています。“大きく育ってくれて ありがとう”って。

次回もお楽しみに
以上

410 水野南北(2)

2006-10-26 07:57:27 | Weblog
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410 水野南北(2)

水野南北~人相術と粗食開運法~
 その後、彼は江戸に戻ると、観相見(人相占い師)を開業します。
彼の百発百中の占いは、大評判となります。

 奉行所の依頼に応じて迷宮入りしかけていた事件を解決したこともあります。
 朝廷から従五位の称号を贈られたこともあります。
 こうして彼は、観相学の大家として、その名を不動のものにしたのであります。
 彼の観相学は、これまでの人相術に様々な革命をもたらしました。

 一つとして、彼は書物に書かれていることはあくまで基礎であり、これだけでは駄目だ。これを完成させるにはデータを集め、経験が必要であるという考えを普及させました。 

 晩年になると、彼は「食」に着目するようになります。彼は、人間の運命を最も大きく左右する要因は、「食事」であると考えました。
 「食事」の仕方によって、人の運は良くもなるし悪くもなる。それはつまり、「食事」に気を付けていれば、運を開き、健康になり、長生きも可能である。そもそも、若き日の南北の命を救ったのは、麦と大豆の食生活ではなかったのか?

 それでは、どのような食事が、人を幸福にするのでしょうか? それは「粗食」でである。晩年、熱心な仏教徒になった南北は、精進料理を勧めます。
 美食を避け、腹は常に八部目にする。決まった時間に決まった量を食べること。大酒飲みなど、もっての他。

そうだったのですね。食事によって人相も変わるんですね。確かに昔から美食より粗食の勧めがありますね。美味しいものを食べるより、美味しく頂く方がどれほど健康にいいか分かりませんね。氣まぐれ剣士は、女房殿のお陰で美味しく頂くことに慣れました。これ、褒めているのですよ!

次回もお楽しみに
以上                                                                          

409 水野南北(1)

2006-10-24 18:07:38 | Weblog
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409 水野南北(1)

水野南北~人相術と粗食開運法~
 水野南北は、1757年に生を受ける。少年時代は、かなり荒れた生活を送っていたらしい。十歳にして酒を飲み始め、チンピラ仲間に入り、古証文を使った恐喝で小金を稼ぐようなことをしていたらしい。役人に捕まり、入牢したこともある。

 彼がこうしたヤクザ家業から足を洗うきっかけとなったのが、とある不思議な老僧との出会いだった。
「お主、死相が出ている。もって1年の命だろう。」偶然街で会った僧に、いきなりこんな不吉な予言をされたのである。
 出鱈目を言うなと思った彼だったが、不思議とその僧の言ってることが真実であるように思われた。

 これをきっかけに彼は、自分の人生を真面目に考えるようになった。このままチンピラのまま死ぬのは御免だ。死ぬときは清い心身を持って死にたい。そう思った彼は、そのまま禅寺へ出かけてゆき、出家を願い出る。

 しかし、僧になるには、いろいろと手続きが要る。寺の住職は、「1年間、麦と大豆以外口にしない生活が出来たら、出家させてやる」と言って、追い返した。寺としては、面倒な奴を追い返すための難題のつもりだったのだが、南北はそれを間に受けて、本当に麦と大豆しか食わない生活を続けた。生活態度も改めて、やくざ業からも足を洗った。

 そして、あの老僧に死を予言されてから1年が過ぎた。それから、また何日も過ぎたが、死なないどころか健康そのもの。
 「あの坊主、ふかしやがった」と腹を立てていると、またもや偶然、あの僧にばったりと出会ってしまう。

 この時、びっくりしたのは、僧の方だった。
「何としたことか! 死相が、まるで嘘のように消えてしまってるぞ!! お主、何か変わったことをしなかったか?」と問いただしてきた。
 南北は、出家を考え、麦と大豆のみの生活をしていることを話した。
「それだ!」と僧は言う。「お主のその清廉潔白な生活が、お主の運を変えたのだ。」
 ・・・このエピソードが、南北が観相学(人相術)に興味を持ったきっかけだったという。

 南北の考えでは、「運命は自ら切り開くもの」である。「占いとは、決定した運を知るためのものではない。運を切り開くための技術である。」
 そう、凶とでたら、その悪運を避ける努力をするべきだし、それは充分可能である。占いとは、そのためにあるのだ。

 南北は、その僧の弟子となる(彼は和漢の学問に通じた真言宗の学僧だった)。その学僧から、人相術と医学の手ほどきを受ける。
 その僧の教えでは、「観相学(人相術)を極めるのは、書物だけでは駄目だ。可能な限り、多くの人間の人相を観察し、その人の人生を知り、これを応用して初めて人相術は的中するのだ。」 南北は、この教えを忠実に守る。

 まず、人の顔を観察するのに最高なのは床屋であろう、と言うわけで髪結い職人に弟子入りすること3年間。また、観相学が扱うのは顔だけではなく、身体全身である。そこで、風呂屋で働くこと3年。さらに、人間の骨格について知るために火葬場で働くこと3年。

 こうして彼は、観相学(人相術)の膨大なデータを蓄えると、今度は途方もない長旅に出るのである。この長旅でも、彼は興味深い経験をする。
 東北を旅した時、たまたま宿泊した町の遊女と懇ろになった。ある日、鏡を見て彼は仰天する。なんと自分の顔に「女が原因で身を滅ぼす相」が出ていたのだ。

 彼は大慌てで宿を引き払い、その町から逃げ出した。そして、郊外に出てから水に写った自分の顔を見ると、先の死相が見事に消滅していたのである。
 この経験は、「占いとは、自ら運命を切り開くための技術である」という確信をさらに高めることとなったのである。

さすが水野南北ですね。髪結い屋で3年、風呂屋で3年、火葬場で3年ですか。石の上にも3年といいますが、何事も最低3年は辛抱して頑張らないと、ものにならないのでしょうか。

占いとはただ“将来どうなるのか”を当てるだけではなく、自らの運命を切り開く技術だったのですね。
氣まぐれ剣士は占いはあまり好きではないですね。なぜって、悪いことを言われると氣になってしまいます。“氣まぐれ剣士の前途はいつもバラ色に輝いています“といってくれる占い師ならいつでも見てもらいたいですね。

次回も続きます。
以上


408 人の為に尽くすと不幸になる?

2006-10-18 17:22:50 | Weblog
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408 人の為に尽くすと不幸になる?


「人の為」とは、良い事をしているので、相手に対して優越感が沸き、良い気持ちです。しかし、相手が関心を示さず、好き勝手な行動を取られると変わります。私は、こんなに尽くしているのに! 何も分かってくれない! 貴方の犠牲になった! 今までの幸せは、不幸へと変わってしまいます。

 人の為に尽くす人は、自分の過ち(あやまち)を認めません。 だって、良い事をしているのに!  何故? ってなります。

人の為に尽くす事は、「自分の為」
 
自分は良い事をしているので、相手に対して優越感が沸き、良い気持ちです。 「自分の為」ですから、相手に対して、見返りを求めません。相手から感謝されたり、喜ばれると、更に幸せは、倍増します。

ボランティア=自分の為
 
ボランティアは,人の為=良い事と考える人が多いと思います。ボランティアに初めて参加する人は,「人の為になる」ので一度はやってみようかと思い参加します。そこで感謝されたり,笑顔が返って来ると思います。「良かった!」
2度目からは,笑顔や感謝の心が忘れられずに「自分の為」に参加します。

自分の人生を「自分の為」に生きる事の出来る人は幸せですね。
「人の為に尽くす行為」も「自分の為」と感じた時、更に、幸せは倍増するかもしれません。

会社の為に働くと愚痴が出ます。
自分の為に働くと、充実感が沸き、更に、会社の為にもなりますね。
もちろん氣まぐれ剣士は自分の為に剣道をしています。ひょっとして教え子の中から日本一の剣士が生まれるかも知れませんものね。そのとき“氣まぐれ剣士が教えたんだ”と目一杯自慢するために今日も頑張ってます。

お粗末さまでした。
次回をお楽しみに
以上

407 サリバン先生

2006-10-13 19:34:59 | Weblog
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407 サリバン先生

彼女は人々の思いやりの心を引き出し、やさしい感情を実行にうつすだけではありません。もっとも重い障害をもちながら、こんな偉業を成し遂げられること、そしてもっとも暗い雲の下でも、人間は清らかに美しく、楽しく生きられることを人々に教えているのです。
                  
        アン・サリバン著『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』
             

三重苦の偉人、ヘレン・ケラーは「奇跡の人」と言われますが、彼女を50年間に渡って教え導いたアン・サリバンこそ「奇跡をつくりだした人」です。

実は、アン・サリバンも悲惨な少女時代を送っているそうです。貧しいアイルランド系の移民の子でした。お母さんはアンが8歳のときに亡くなり、お父さんはアルコール中毒。誰も面倒を見てくれる人がいないために、アンと弟のジミ-は国の救貧院に送られました。
 
酒や麻薬中毒者、病人や精神病患者たちが押し込まれた救貧院で、幼い二人は悪夢のような日々を送ります。そのうち、ジミ-は救貧院のひどい環境のなかで、亡くなってしまいます。アンも総合失調症にかかり、医者からは完全に見放されていました。
 
しかし、あるとき、そこを視察にやってきた福祉事業家の腕にしがみついため、彼女は救い出されます。そして盲学校に送られ、学問を学ぶことができたのです。

アン・サリバンがヘレン・ケラーと初めて出会ったとき、彼女は二十一歳になっていました。全盲ではありませんでしたが、目を冒す慢性の病に悩まされる、学校を出た
ばかりの教師だったのです。

見えない、聞こえない、話せない、三重苦。そのために、野獣のようにわがままに振舞っていたヘレンをすべての教師は見放しました。

しかし、アン・サリバンだけは違いました。想像を絶する忍耐力と愛情で、生涯にわたってヘレンを教え導いたのです。
 
苦労したサリバン先生だから、ヘレンを教え導きだすことが出来たのですね。サリバン先生もスゴイ先生ですね。

次回もお楽しみに。                          以上

406 億万長者

2006-10-10 17:37:43 | Weblog
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406 億万長者


日本の億万長者を調査した結果分かったことを「億万長者が大切にする10の習慣」を下にまとめました。

億万長者が大切にする10の習慣

1.「好き」「得意」という理由でビジネスを選ぶ。
2.誠実であることを何よりも大切にしている。
3.「運がいい」「ツイている」と思っている。
4.どんな危機も乗り越えられる自信がある。
5.30人以上の人に応援されていると感じる。
6.メンター(人生の師)と呼べる人がいる。
7.パートナー(配偶者)が自分の最大の理解者だ。
8.子供には勉強よりも様々な経験をさせることが大切だと思う。
9.10年後のことを考えながら毎日を送っている。
10.どんなことでも最後は自分で決断できる。

億万長者の78%が「得意」「大好き」「人が喜ぶ」ことを基準にして仕事を選んでいます。年収が低くなるほど、「給与」「場所」「勤務時間」を基準にするパーセンテージが高くなっていきます。
また、「誠実さ」を大切にしている人が億万長者では8割近くいるのに対し、普通の人は4割弱と倍の差がありました。億万長者になる人は、どんな人にでも誠実に接することで、しっかりした信頼を得て、長期的にビジネスで成功しているようです。
面白いですね。お金持ちほど「大好き」「人が喜ぶ」ことを基準に仕事を選んでいるのですね。「お客様に喜んでもらった結果、お金が帰ってくる」と考えているようです。
人生のピンチにあっても、億万長者が危機を乗り越えられたのは、多くの人に応援されているからです。 どんなに優秀な人でも自分ひとりだけでは、成功することは出来ないことを億万長者は知っているのですね。
むかし、「好きなことばかりしていると立派な人になれませんよ」と良く言われた気がしますが・・・。好きな事をしたほうがいいんですね。だから氣まぐれ剣士は剣道に邁進します。仕事を好きになれば言うことないんだけれど・・・
次回もお楽しみに。
以上

405 月

2006-10-06 17:57:05 | Weblog
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405 月


太陽が愛の表現体であるなら、「月」は「慈悲」の表現体です。それらは表裏一体。分けることなど出来ないようです。

 太陽が愛の表現体であることは、誰にでも理解し易いものですが、「月」が「慈悲」の表現体であることを理解している人は、あまりいないようです。

 本来、愛と慈悲は、同じエネルギーの裏表であり、分けて考えることは出来ないそうです。キリスト様は愛を説き、お釈迦様は慈悲を説いたと言われますが、それは入り口が違っただけで、辿り着いた先は同じ場所に違いありません。

 太陽と「月」の関係も同じことだそうです。 愛と言う名の入り口から入るか、慈悲と言う名の入り口から入るかの違いだけで、行き着く先は同じですね。太陽と「月」は、同じことを違った形で表現しているに過ぎません。

太陽は大きく、明るく、暖かく、正面から包み込むエネルギーを発しており、人はそれを愛と呼びます。これに対して「月」は優しく、静かに、繊細に、後ろからソッと抱きかかえてくれるエネルギーであり、人はそれを慈悲と表現しているに過ぎないみたいです。

 どうしようもなく辛くて、悲しい時、よりうれしいのは「月」が発する癒しのエネルギーです。
そんな時は正面から満面の笑みと共に、抱きしめられる愛のエネルギーはまぶし過ぎて、素直に受け取ることが出来ませんね。

 そんな時に必要なのは、「大丈夫だよ」と言って、ただソッと後ろから抱き止めてくれる慈悲のエネルギーなのです。夜空に浮かぶ「月」は辛い時、自分を後ろから支えてくれる慈悲のエネルギーの表現体です。


 そうですね、月は悲しくてどうしようもなくなったときに、優しく抱きしめてくれるような気がしますね。太陽がお父さんなら、月はお母さんですね。やはりどちらも大切ですね。

 氣まぐれ剣士も太陽のような暖かい心で、月のように澄み切った剣を使ってみたいと思うのでした。言うのは誰でも言えますからね・・・。

いかがでした。
次回もお楽しみに
以上

404 空(そら)

2006-10-04 17:19:11 | Weblog
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404 空(そら)


日本人歌手として、初めて全米ナンバーワンに輝いた坂本九さんの
「上を向いて歩こう」は、
いま尚「スキヤキ・ソング」として、全世界の人を魅了し続けているそうです。

「上を向いて歩こう。涙がこぼれないように~。
      …幸せは空の上に、幸せは雲の上に~♪」

と歌っていますが、この歌が何故、これほどまでにヒットしたのでしょうね?

私たちは常に「大切な何か」を求め、探し続けています。

それはある時は、愛する人からの賞賛の声だったり、お金だったり、名誉だったり、或いは心の平安だったり、癒しだったり、愛する人そのものだったりさまざまです。

私たちの人生は、そんな探しものを、 ずっと「ない、ない」と言いながら、探し続けているようなものかもしれません。

私たちが「大切な何か」を、「ない、ない」と言いながら、探し続けている時、上を向く人はめったにいません。 その探しものが何であれ、人はどうしても、自分の目線より、上を探そうとはしないものですね。

ここに真理へのヒントが隠されているのかも知れません。
「上を向いて歩こう」は、真理を説いたメッセージソングなのかも?

本当に大切なものは、下にはありません。自分の目線より下にあるものは、「大切そうに見えるもの」に過ぎません。「お金があるぞ!」と言われて、上を向く人は、まずいませんね。

でも本当に大切なものは、あなたのアタマの上にあるのですね。 我々のアタマの上、そう雲の上、「空」の上です。それを受け取るためには上を向くことかも知れません。本当に探していたものが、きっと「空」の彼方から、自分の元に音もなく、降り注いで来るかも知れません。
 みなさん、上を向いて生きましょうね。工事現場から鉄骨が落ちてくるかも知れませんから。

次回もお楽しみに
以上

403 愛の証

2006-10-02 12:24:42 | Weblog
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403 愛の証


「どうして、十字架につけられて傷だらけになったイエス・キリストなんかを拝むの?
 とても醜いのに・・・」と、思われることはありませんか?

キリスト系の病院でカウンセラーをしていらっしゃる沼野尚美さんは、患者さんから、そんな質問をされることがあるそうです。

ある青年からそういう質問をされたとき、
「あのね、これは本当にあった話なんだけれどね・・・」
と前置きして彼女は次のような話をされたそうです。
                       
昔、ヨシコちゃんという小さな女の子がいました。

ヨシコちゃんのお母さんは優しい人で、ヨシコちゃんは、お母さんが大好きでした。でも、ヨシコちゃんはお母さんは、普通のお母さんと違うことが1つだけありました。それは、顔に大きな火傷のケロイドがあること。

ヨシコちゃんは幼稚園に通うようになって気づくようになったのです。
「お友達のお母さんの顔はきれい。うちのお母さんと違う」

子どもというのは、単純で正直です。家に遊びに来たヨシコちゃんの友達は、ずばり言いました。
「ヨシコちゃんのお母さんの顔って、お化けみたい」
「ほんとー、お化けみたい」

そして、ヨシコちゃんは、
そのために幼稚園のクラスメートからいじめられるようになります。

「ヨシコちゃんのお母さんは、お化けみたいな顔」
「ヨシコちゃんは、お化けの子・・・」

友達たちは、次第にヨシコちゃんから離れていくようになりました。
そして、ヨシコちゃんはひとりぼっちになりました。

「わたしに友達がいなくなったのは、お母さんのせいだ。
 お母さんがあんな醜い顔だからだ・・・」

ヨシコちゃんは、お母さんを憎むようになりました。

「お母さん、いっしょに歩かないで!
 お母さん、幼稚園に来ないで!」

そういうふうに言うようにもなりました。
そんな日々がずっと続いたということです。

しかし、あるときお母さんはヨシコちゃんに、なぜ自分がこんな顔になったのかを話してくれたのです。

まだヨシコちゃんが物心つくかつかないかの頃、ある寒い日のことでした。
部屋には、ストーブがありました。
その上には湯の入ったやかんを置いていました。

その熱湯のやかんを
ハイハイをはじめたばかりのヨシコちゃんが、誤ってひっくり返してしまったのです。

幸い、お母さんがその場面を見ていました。
お母さんの体は、すぐに、ヨシコちゃんの上に覆いかぶさって、ヨシコちゃんは無傷でした。

でも、そのかわり、やかんの熱湯は、お母さんの顔に、もろにかかったのです。

その話を聞いて、ヨシコちゃんは気づきます。
「お母さんが命がけで助けてくれなかったら、
 わたしの方が火傷を負っていたかもしれない。
 わたしは、代わりに火傷を負ってくれるほど、
 お母さんに愛されてきたんだ。
 お母さんの醜い火傷の跡は、
 命をかけてわたしを愛してくれた証しなんだ」

ヨシコちゃんは、それ以来、お母さんを、お母さんの顔を、
愛しく思えるようになったとのことです。


う~んと思わず唸ってしまいますね。結果は変わらなくても、原因が分かると人間は優しくなれるかも知れませんね。

次回もお楽しみに
以上