氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

726 森が地球を元氣にする

2009-06-30 09:25:40 | Weblog
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 726 森が地球を元氣にする

歴史上で文明が滅ぶときには、その前に森が滅んでいます。森林を伐採して、森林の喪失とともに文明が滅んでいったそうです。

森林を伐採すると、まず川がダメになります。大雨が降ると、木が水をうまく蓄えてきれいに浄化させるのですが、森林がないと川は洪水となり、多量の水と土砂が川にどんどん流入していきます。

川は氾濫して汚れ、さらに流れた土砂が河口から海へそそぎ、そのため海岸は汚れて生物が棲めなくなり、その結果、漁獲高は目に見えて減っていくのです。

つまり、森林が死ぬと、川が死に、海が死に、最後に文明が滅ぶのです。 森と海は一体です。森が育ってはじめて海に魚が増えるのです。

神社は、鎮守の森というだけあって、森があってこそ成り立つものです。鎮守の森を守るために神社があるともいえるのです。山や森をどんどん伐採するというのは、言い方をかえると神さまを伐採しているようなものです。

神道では、国土を国魂といい、国土は神さまの肉体だとしています。人間は、神さまの肉体である国土の上に住まわせていただいているのです。

日本には「これ以上入ってはならない」禁足地が神社や神体山にあります。このおかげで鎮守の森が原生林として残り、生態系が保たれている場所があるという点から考えても、とてもありがたいことだと思います。

また、明治時代以前の日本人は、自然とともに生きていました。森の木を伐採すれば、必ず苗木を植えていたのです。徳川幕府は、伐採の禁止令をたびたび出していたようです。

そして、日本は牧畜をせず農耕中心であり、生まれた土地や鎮守の森を大切にしてきたことで、大規模な森林の伐採を免れたのです。地球が砂漠化してきている中、日本にはまだ豊かな森があるのは、先人の祖先が森を大切にしてきたおかげなのです。


そうですね。森林が死ぬと、川が死に、海が死に、最後に文明が滅ぶのですね。
人間は思っているほど利口ではないかも知れませんね。
次回もお楽しみに。                           以上

725 涙の数だけ大きくなれる

2009-06-22 08:24:33 | Weblog
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 725 涙の数だけ大きくなれる

その女性は、ナニをしても続かない人でした。田舎から東京の大学に来て、サークルや部活もイヤになってやめる。就職した会社も続かず、次も半年でやめます。
「やはりこの仕事じゃない」と言いながら。。。

彼女の履歴書は、いつのまにか入社と退社の経歴がズラリと並びとうとう正社員に雇ってくれる会社も無くなりました。田舎の両親からは早く帰って来いの連絡が幾度も入りますが彼女は負け犬のようで帰るのもイヤでした。

次は派遣会社に登録。派遣先では、すぐに正社員とトラブルを起こしイヤなことがあればすぐに仕事をやめてしまいます。彼女の履歴書は派遣先のリストが次々に追加されます。

そんなときにレジの仕事が入ります。今まで、さんざん転職を繰り返し、我慢できない自分が自分でイヤになっていました。耐えなければダメということは、本人がいちばんわかっていました。

でもレジの仕事にもあきかけたころに母親から電話がかかり、実家へ帰ることを決めます。その日の夜に部屋の荷物をダンボールに詰めてたら1冊の日記がでてきたのです。

そこには、彼女が小さなころピアニストを目指していたことが書かれていました。
「また私は逃げようとしている!」彼女はもう少しだけ頑張ることにします。そして、いつものようにレジ打ちをしていたときに彼女はヒラメキます!
 
楽譜を見ないでピアノを弾いていたのだから・・レジ打ちをもう少しマスターしてみよう!
 
そんな彼女はが お客さまと会話をしながらいつのまにかレジ打ちができるようになっていました。

お客さまの名前を覚えて、今日のお買い得をおすすめしたら「ありがとう」と言いながら、お客さまがまた売り場に戻っていくことが、何度も起こりだしたのです。

そんなある日。閉店の店内放送が流れ・・本日は込みあいまして大変申し訳ありません。どうぞ空いているレジにお回りください!

そしてまた・・
同じ店内放送が流れます。
本日は込みあいまして大変申し訳ありません。どうぞ空いているレジにお回りください!
 
そしてまた・・
3回目の店内放送が流れました。

6つもレジがあるのに、たったひとつのレジにだけお客さまが並んでいたのです。
店長が、並ばれているお客さまに、ほかのレジにまわっていただくように促すと・・

「放っといてちょうだい。私はここへ買い物に来てるんじゃないの。あの人とおしゃべりに来てるのよ。だからここのレジじゃないとイヤなの!」

そうです。
あの人とは・・。

彼女のことでした。

そのお客さまのコトバが彼女の耳に入った瞬間。彼女はレジで急に泣き崩れたのです。
仕事がこれほど素晴らしいものだと初めて気づいたのです。

        『涙の数だけ大きくなれる!』より
        


たかが”レジ”ですが、されど”レジ”ですね。こんなことお客に言われたら嬉しいでしょうね。どんな仕事でも雑用はないかもしれません。”雑”にするから”雑用”になるのですね。

今は、レジを打つこともなく、ピー、ピーと機械を通すだけですから、会話をする機会も多いはずですがなかなか会話までは出来ませんね。

小生、レジはどんなに込んでてもやっぱり一番可愛い人のところへ並びます。美人は得ですね・・・。お粗末さまでした。

いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上


724 四十歳から伸びるには

2009-06-15 08:45:12 | Weblog
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 724 四十歳から伸びるには

四十歳から伸びるには、自分の十八番を捨てること

                  米長邦雄 (永世棋聖)                         
…………………………………………………………………………
永世棋聖の米長邦雄氏が名人のタイトルを取られたのは50歳の時です。

プロ棋士の一生をグラフにすると、早い人は20代でタイトルを取り、それから40歳までは横ばい、40歳からは下がる一方というのが定石のようです。

米長氏もまた、若い棋士にタイトルを奪われ、予選でもボコボコに負け、40歳前後を境に記憶力も体力も落ちていくのが自分でもわかったそうです。

ところが、米長氏は少し違っていました。若い10代、20代の棋士を集めて研究会を開き、彼らに将棋を教えてもらうことにしたのです。

そうやって若い棋士たちと一緒にやっているうちに米長氏は気づきます。自分はこの一手で勝てると思っていたのに、なぜうまく行かないのか。それは体力や思考力が落ちたからではありませんでした。

かつて自分が編み出した必勝パターンは、10年もすれば研究され尽くしてしまう。誇るべき栄光の一手も通用しなくなる。十八番の得意技を持っていたことが、かえってマイナスになる。

「それで一旦、自分を白紙に戻すことに決めたのです」と、米長氏は語っています。

そして、50歳にして名人として返り咲き、60歳の時、「1100勝棋士」の
偉業を成すことができました。


そうですか、四十歳から伸びるには十八番を捨てることだったのですね。氣まぐれ剣士は五十歳を過ぎてますが、まだ間に合うでしょうか。でも、十八番がない人はどうしたらいいでしょうね?

いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上

723 報告

2009-06-09 07:37:20 | Weblog
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 723 報告

あなたを幸運にするいい習慣だそうです。

あなたが、職場で働いているとします。
仕事のやり方でもう一つ要領がつかめていないのをみかねて、上司か同僚が仕事のやり方のコツを教えてくれました。

ふつうなら、「ありがとうございます」とお礼を言いますよね。
あなたは、それ以外にどうしますか?

あなたもきっとそうだと思いますが、
仕事がうまくいく人というのは、それだけで終わらせないそうです。

まずは、教えてもらったことをすぐにやってみます。
やってみて少しでもうまくいったら、
「〇〇さん、さっきのうまくいきましたよ。ほら、みてください」
とわざわざ報告に行くのです。
「(これまでの苦労がウソみたいです)どうもありがとうございました。」
と再度、感謝するのです。

このように、人から教えていただいたら、基本的に次の三つのことをすればよいと思います。
1.その場で感謝する
2.実行する
3.後で報告して、感謝する
 
ふつうは、1か2で終わりますが、仕事を通してよい人間関係をつくれる人は、ほとんどが3までやっているそうです。


やはりそうですよね。でも、思っていてもなかなか実行できないですね。実行できていたら、もっと立派な人間になっていますよね。
これは、相手の立場になると良く分かります。せっかく教えてあげたのに、連絡がないと、その後どうなっているのか氣になりますよね。でも実行して上手くいかなかったときは、報告しにくいですね。そんなときはどうしたらいいでしょうね?

いかがでした。次回もお楽しみに。                   以上

722 肉体はレンタカー

2009-06-02 11:50:09 | Weblog
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 722 肉体はレンタカー

30歳まで歌手で、今は沖縄に住んで見える渡辺敏郎さんのお話です。ブログを毎日拝見しているのですが、なかなかいい事をおっしゃってます。

死ぬ時には何が起きるのでしょうか。結論を言えば、死んでも何も起きません。
なぜなら、死なないからです。

肉体はこの世で生きるためにお借りしたレンタカーみたいなものです。どんな優秀な車も使っていれば古くなり、修理しながら何とか持ちこたえさせようとしますが、それもいつかは限界がきて、エンジンがストップしてしまいます。

それが死ですが、運転手はまったくの無傷です。車から降りると何が起きるのでしょう。それは狭い車内から、広々とした大地に足を踏み出すのと似ています。
あまりにも清々しい空気。あまりにも圧倒的な解放感。そして広々とした自由な感覚に包まれていきます。

今までに、生きながらにしてそのような体験を何度かさせてもらいました。
「なーんだ、死なないんだ」
そう思ったとき、人生感がガラリと変わりました。この世で何かを成し遂げなければいけないといった強迫観念がなくなりました。

そもそもレンタカーに乗って何処かに向かっているつもりでいましたが、実際にはサーキットコースのような巡回道路をぐるぐる回っていただけで、どこにも行きついてなかったのです。

前を走る人に追い付き追い越せと走ってきましたが、どこまで行っても前に人がいます。あれ、この人はずいぶん昔に追い越した人じゃないかって気がつく時もあります。

一周遅れで前を走っていたのです。何度抜いても同じこと。だって何周したかを競うレースではなく、まさにいま、どのような走り方をしているかが問われているレースなのですから。だから、気楽にいきましょう。

そうかも知れませんね。サーキットコースをぐるぐる回っているだけなら、前の人をどれだけ追い越しても、何にもなりませんね。周りの景色でも見ながら、ゆっくり、楽しみながらレースをするのがいいかも知れませんね。

いかがでした。次回をお楽しみに。                    以上