氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

781 「請求書の人生と領収書の人生」

2010-04-29 07:58:00 | Weblog
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781 「請求書の人生と領収書の人生」


イエローハット創業者・鍵山秀三郎さんのお話です。

“もっと、もっと、もっと”際限なく求めて欲しがって生きるのは、
「請求書の人生」であると、知人の有吉説志様から教えていただきました。

有吉様は、幼い頃お祖母さんから、寺社にお参りした時は「ありがとうございます」と請求書ではなしに領収書のお参りをしなさい、と教えられたそうです。

向上心や探求心は人の成長に欠かせない大切な条件ではありますが、度の過ぎた欲求は人を卑しくし、ひいては国家の尊厳を傷つけることにも繋がります。

有吉様のお話を通じて、求めるばかりではなく、いま与えられているものごとに感謝の心を持つ「領収書の人生」を歩めと教えていただきました。


日本には領収書の生き方をしている方が大勢おられますが、そういう方は世間から注目されることはありません。

請求書の生き方をする人が派手で目立つのに比べて、領収書の生き方をする人は地味で人目につかないところが共通しているからです。

誰からも注目されず、光の当たらないところで、いつ報われるか分からないことにも心を込めて取り組んでおられるそのお姿からは、卑しさは微塵も感じられません。

他人に頼ったり、求めたりすることなく、人の役に立つことだけを念頭において、一途に歩み続けるお姿は、人を惹き付ける豊かな魅力を備えています。


そうですね、最近は権利ばかりを主張する請求書の生き方をする人が増えているような氣がしますね。寺社におまいりに行って、みんなから「今日は勝てますように!」とお参りされたら、神様も仏様も困ってしまいますね。だって半分は絶対に負けるのだから・・・。

お願いよりも、お礼を言われたほうは、神様も仏様も嬉しいでしょうね。
コンビニのトイレだって、最近は、”綺麗に使っていただいてありがとうございました”と お礼が書いてありますよね。

でも、請求書も一杯切って見たい氣もしますが・・・。本音でした。

以上

780 水五訓

2010-04-27 09:42:55 | Weblog
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780 水五訓

中條高徳(アサヒビール名誉顧問)氏のお話です。

人類にとってかけがえのない大切な水だけに、水に関する教訓がたくさんある。

「水は方円の器に随う」という。自分を主張せず、すべてに柔軟に順応しながら、自分の本質を失わない老子の水哲学を、先人が見事にまとめ上げられているのでご紹介しよう。

■水の五訓(※印筆者註)

 一、自ら活動して他を動かしむるは「水」なり。

※水は百年、千年流れて峡谷を刻み、千丈の滝をつくる。洪水、大雨は、文明の利器たる新幹線もストップさせ、家屋まで押し流す。水の力は、人の力をはるかに超える。

 二、常に己れの進路を求めてやまざるは「水」なり。

※水は必ず低きを選び、低きにつく。より低い己れの道を求めてやまない。限りない「謙虚さ」を示す。

三、障害にあって、激しくその勢力を百倍しうるは「水」なり。

※流れる水を止め貯水し、一気に流し、発電し百倍千倍の力とした。富山で発電所を造る時、水が百倍の力の電力に化ける理の判らない住民たちの強い反対があったと聞いたことがある。

四、自ら潔く、他の汚濁を洗い、清濁併せ入る度量あるは「水」なり。

※清らかな水も、濁れる水もなんの文句も云わずにただ流れるままの姿は、与えた恩は水に流し、受けた恩は石に刻むべしと説いているようだ。

五、洋々として大海を満たし、発しては霧となす。雨雪を変じ霰と化す。
凍っては玲瓏たる鏡となり、しかもその性を失わざるは「水」なり。

※さまざまな水の態様は、人生を達観せよと語っているようでもあり、無言にして人生の輪廻を説いているようでもある。その性を失いはしないが、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(『方丈記』)の如く、水は時の移ろいをも語る。


こうして改めて水の役割を見つめてみると、水ってすごいですね。“たかが水、されど水“ですね。

清濁併せ入る度量あるは「水」なりか。小生、お酒とビールを併せ呑むのは得意ですが・・・。お粗末さまでした。

以上

779 見習い

2010-04-23 07:50:30 | Weblog
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779 見習い


小僧時代に一番大事なことは、「見習い」です。
それは字の如く、見て習うことです。

それは別な言い方をすれば「おまえ、いまこの場にいていいぞ」と許され、無言の教えをいただいているのだと思っています。

上原行照(伊崎寺住職・千日回峰満行者)
『致知』2010年5月号「精進の中に楽あり」

比叡山の千日回峰行を満行した上原行照氏が、小僧時代を振り返って語られた言葉です。
この言葉に続いて
「見習い期間がなくて成長する人はいません。下積みの世界があって次の世界に進んでいきます」と語られています。

仏道修行にかかわらず、下積み時代、師匠や先輩の言葉や行動から謙虚に学び続ける姿勢こそが将来の大成に結びつく、ということなのでしょう。

宮大工・西岡常一棟梁の唯一の弟子である小川三夫氏にも、同じような言葉があります。

小川氏が西岡棟梁に弟子入りして間もない少年時代の思い出です。
「師匠から言われたのは『納屋の掃除をせえ』ということでした。言われるまま納屋に上がってみると、そこに、これからつくる三重塔の図面があった。

傍には棟梁の大工道具が置いてある。・・・ということは、それを見てもよろしい、ということですわね。あっ、これで自分は弟子に認められたんだと思いました」

師から指示された納屋の掃除という日常の何気ない環境の中に、小川氏は素晴らしい宝を発見していかれたのです。自分に与えられた環境、師の言葉の中に、
いかに成長のチャンスを見出していくか。


そうですね、師匠から掃除をやっておけと言われて、ただ掃除をするだけではいけないのですね。
何のために師匠がそう言っているのか、そこを考えないと、いつまで経っても成長しないかも知れませんね。

小生も師匠によく言われました、”まだ同じ事をやっているのか、試されているんだぞ”って。

いつまで経っても成長出来ない氣まぐれ剣士でした。

以上

778 素直

2010-04-20 08:11:00 | Weblog
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778 素直

本日は、麻雀代打ちの世界に身を置き、幾多の勝負師たちを相手に20年間無敗の伝説をつくり上げた“雀鬼”こと桜井章一氏と、WBC世界Sフライ級元チャンピオンの川嶋勝重氏の対談記事です。。
   
「本当の“素直”とは何か?」 雀鬼会会長・桜井章一
             『致知』2005年4月号「極める」より

私は、あなた(WBC世界Sフライ級元チャンピオン・川嶋勝重氏)のようなヒーローが共通して持っているものというのは、勇気と素直と知恵だと思う。
これは強くなるもとになるものだよね。

まず勇気がなかったら、サラリーマンを辞めてボクシングの世界になんか飛び込んでいけなかったろう。

知恵はこれからさらに磨いていくものだろうけど、あなたが言った素直さというのは、一つの素晴らしい素質だと私も思う。

素直がどうしていいかというと、本質が見えるんです。

あなたのジムには、ほかにも練習生がたくさんいたわけでしょう。でもやっぱり素直な子のほうが、強い人のやっていることの本質が見えるんだよね。

そして、教わったこともどんどん受け入れてクリアしていくから、当然上達が早い。あなたがそういう面を持っていたというのは、素晴らしい素質の一つだと思うよ。

ただ、素直というのは、いまの学校教育から生まれる、従順で、言いなりになる人間とは違う。

本当の素直というのは、悪いもの、違和感を感じるものに真正面から
きっちり対抗できる人です。

ただ何でも言うことを聞けばいいというんじゃない。あなただってそういうところがあるでしょう。

いくら先輩の言うことでも、「違うんじゃないかな」と思えば、本当に正しいものを求め、自分の信ずるところを貫くとか。そうでないと上へ行かれないわけだからね。

あなたが一番上にたどり着いたということは、たぶんいままで指導してくれた人たちを越えたわけでしょう。越えたということは、きっと素直さによって、何か自分でつかんだからだと思います。


そうなんですね、本当の”素直”とは、ただ相手の言う通りにすることではなく、”真正面から物事を見つめることが出来ること”だったんですね。だから物事の本質が見えるのですね。目から鱗でした。

以上

777 鬼塚さんの供養祭

2010-04-15 13:48:45 | Weblog
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777 鬼塚さんの供養祭

今回は、説法を通じて“心の豊かさ”を説き続けている南蔵院住職・林覚乗師のお話をご紹介します。
(『致知』1998年10月号掲載)

長崎県の時津町に、打坂(うちざか)という急勾配の坂があります。そのバス停のそばに建てられている記念碑とお地蔵さんの前では、毎年慰霊の行事が執り行われています。

昭和24年のことです。地元長崎自動車のバスが乗客を乗せて、この坂を登っていました。

坂の半ばに差しかかったとき、突然エンジンが故障し、バスは止まってしまいました。運転手はすぐにブレーキを踏んでエンジンを掛け直そうとしましたが、
ブレーキが利かない。補助ブレーキも前進ギアも入りません。

三重のトラブルが重なって、バスはズルズルと後退し始めたのです。

そのバスには、鬼塚道男さんという21歳の若い車掌が乗っていました。運転手は彼に大声で、
「鬼塚、すぐ飛び降りろ。棒でも石でも何でもいい、車止めに放り込んでくれ!」
と指示しました。

鬼塚さんはすぐに外へ飛び出し、目につくものを車輪に向かって片っ端から投げ込みました。

しかしバスは止まりません。乗車のほとんどは、原爆症の治療に通うお年寄りと子どもたちで、脱出はとても不可能です。

その間にもバスのスピードは見る見る上がっていきます。坂の下は崖でした。
ガードレールもなく、落ちればバスは大破します。

崖まであと10m、5m……。全員が観念したところで、バスは奇跡的に止まりました。

我に返った運転手は、鬼塚さんがいないことに気づきます。まだ車止めになるものを探しているのかと思い、乗客と一緒に探し始めます。

ふと、バスの後のほうを見て思わず息をのみました。

そこには何と、後車輪に身を投げ、自ら車止めになっている鬼塚さんの無惨な姿があったのです。内臓破裂ですでに息を引き取っていました。

乗客は鬼塚さんを戸板で運びながら、
「この方は仏さんか菩薩さんの生まれ変わりだ」
と口々に言い、涙に暮れました。

貧しい時代で何もしてあげることができず、また、鬼塚さんの死は、一部の人にしか語り伝えられなかったため、次第にその出来事は忘れ去れれようとしていました。

24年後、乗客の証言にもとづいて、その事件が小さな新聞記事になりました。
それをたまたま目にした長崎自動車の社長は、大変なショックを受けました。
「こんな立派な社員がいたことを、 われわれ役員が忘れてはいけない」

そう考えた社長は、その日のうちに役員会を招集し、会社で打坂のそばに記念碑とお地蔵さんを建てて供養することを決めました。

鬼塚さんの供養祭は、いまでも続いています。 


立派な人がいたものですね。自分の命をなげうって、人の命を助けることは、凡人には出来ませんね。

この社長も偉いですね。やっぱいいい事はすぐにやらないといけませんね。

人は2度死ぬそうです。一度目は自分が死ぬとき。2度目は、人の記憶からなくなる時だそうです。この鬼塚さんは、永遠に人の心に生き続けるでしょうね。

小生なんか、生きてるときから、家族の記憶から消されているかも知れませんね。“だって、いつも家にいないもん”と言われそうです。お粗末でした。

以上

776 原監督

2010-04-13 08:17:18 | Weblog
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776 原監督

読売ジャイアンツ原辰徳監督の、お父様のお話です・・・
原監督のお父さんもまた、原監督なんです・・・

あっ! 分かり辛いですね(笑)

ジャイアンツの原監督が高校生のとき、原監督のお父様が、野球部の監督だったんです!!!
父と子の関係でありながら、監督と選手という立場になる・・・

これは、経営者と二代目(息子)の関係にも似ているかもしれませんね・・・
で、
その時お父様が言った言葉が凄いんですっ!

それは・・・
「他の選手と実力が五分五分だったら、お前は補欠だお前が六で他が四でも補欠にするお前が七の力を備えてはじめて、俺は考える」

さらに、
「人が一発なら、お前には三発だ」(愛のムチのお話です)

このお父様、自分の息子が他の選手に贔屓(ひいき)されていると思われないように、配慮するんです・・・
実際は、五・六発殴られたとか・・・
そのお陰で、先輩からも可愛がられたといいます!(先輩も同情してくれたと・・・)


三年生の最後の夏の大会が終わり、高校野球に幕を閉じたとき・・・
お父様が息子に言います・・・
「辰徳、お前よう頑張ったな

しかしな、俺もきつかったぞ」
この言葉を聴いたとき、
嬉しくて、
涙がポロポロこぼれ落ちたと・・・

「原点」  原辰徳著
【中央公論新社】より参考


775 神様にしか見せてはいけない

2010-04-08 16:31:24 | Weblog
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775 神様にしか見せてはいけない

選手にもよく言っているのは、努力している姿は絶対に人に見せてはいけないし、口にしてもいけないということです。

自分の努力は、神様にしか見せてはいけない。
人に見せた瞬間に、その努力は帳消しになってしまうんです。そんな人を神様は応援しませんよ。
         川本和久(福島大学陸上競技部監督)

陸上界では無名だった地方の国立大学から、次々と日本記録を生み出し、福島県を「陸上王国」と言われるまでに変革させた福島大学陸上競技部監督・川本和久氏。

しかしその川本氏も、指導者とはどうあるべきか、長く模索を続けた時期がありました。

1つの転機となったのが、1995年の福島国体で、県の強化選手に指名された雉子波(きじなみ)秀子選手の指導を任命されたことでした。

学生時代に成績がふるわず、卒業後陸上から離れ、小学校教師になっていた雉子波選手は、「もうやれません」と泣いてグラウンドにもおりられない状態。

懸命に踏み止まらせた後、本当に練習をやれているか見に行ったところ、雪の降る中、外灯が一つしか灯っていないグラウンドで、雉子波選手は雪掻きをして、一人黙々と練習していたそうです。

「もう、涙が止まらなかったですね。その時に、自分も覚悟を決めて、絶対この子を日本一にしようと思ったんです」

そこから二人三脚で練習を重ね、国体の200mでは見事日本記録をマーク。雉子波選手はその後も目覚ましい活躍をして30歳で引退。この体験が、川本氏の指導者としての土台となりました。

努力は、人に見せた瞬間に帳消しになる。神様はそんな人を応援しないという川本氏。

では、神様が応援するのは、どんな人か。

「正直に暮らす人。勝つためにやらなければいけないことを、丁寧に丁寧にちゃんとやる人」
だと川本氏は言います。


やっぱり自分が努力しているところは、人に見せてはいけないんですね。あのイチローだって、人に見てもらうのは、試合だけで充分ですと言ってますね。

人に見てもらおうと思うのは、自分はこれだけ頑張っているのだと、人に認めてもらいからでしょうね。でも良く考えれば、一番の大物、即ち神様に見てもらえばこれ以上のことはないでしょうね・・・。