氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

262 空(くう)

2005-12-31 07:57:32 | Weblog
気まぐれ剣士の言いたい放題

262 空(くう)

一見なにもないように見えても、そこに全ての要素が詰まっているのが、「空」(くう)の本質だそうです。

「色即是空、空即是色」(しきそくぜくう くうそくぜきし)という八文字の中にお釈迦様が説かれた教えのエッセンスが、すべて含まれていると言われていますが、「空」とは、なんでしょう?「色」とは一体どういうことを指すのでしょうか?

「空」と似たようなニュアンスで使われる「無」という言葉もありますが、その違いはなんでしょう?こうした答えのない問いを発することが出来るのが、人間の不思議なところですね。

 哲学や宗教の分野では、絶対的な正解などあるわけはないのですが、正解のない問いに対して、一生懸命考えたり、悩んだり出来るのが、人間の特徴?かもしれません。

例えば「無」が、全ての可能性を手放して、自我さえもなくなる状態だとすれば、「空」は、全ての制限や制約から解放され、無限の可能性に満ち溢れている状態だと言えるかもしれません。

「無」が「何もない」ことを現しているとすれば、「空」は「何者でもない」が故に、「全て(の可能性)があり、プラスマイナス0の状態」とも言えるでしょう。

「色」は「いろ」ではなく「しき」と読み、形あるもの、という意味です。
「色即是空、空即是色」とは、形あるものは実は何もなく、何もない空間にいろいろ詰まっているということですね。

 一見何もないように見える空間に、実は全ての存在の元となるものが、 ギッシリと詰まっているようです。 反対に、目に見える形あるものは、 一見しっかりと中味が詰まっているように見えても、実は隙間だらけで、そのほとんどが空っぽなのだと言う哲学的真理を、 最先端の物理学が証明しつつあり、それは既に事実になりつつありますね。

 「空」とは何もないと思える空間に、実はものすごいエネルギーが隠されている状態なのですね。一つの精子と卵子から人間が生まれるとき、そのどこに設計図がかかれているのでしょうか。

 地球自体が自転したり公転したりするエネルギーはいったいどこから生まれてくるのでしょうか。
 これを考えると、夜も眠れませんが、仕事中にぼんやりしている気まぐれ剣士でした。
 

 みなさん、よいお年をお迎えください。

次回もお楽しみに
以上

261 偽善

2005-12-29 16:31:48 | Weblog
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261 偽善

「世の為、人の為…」と言えば聞こえは良いのですが、「偽善」には、毅然とした態度で臨みましょう。夢も希望もなくなると言われるかもしれませんが、「世の為、人の為」と言う大義名分を掲げている人や組織ほど、信用出来ないものはありませんね。

人は生きているだけで価値があり、人は必ず、他の誰かの役に立っているのです。それをことさら声高に、「世の為、人の為」と主張しなければならないのは、そこに「偽善」が隠されているからかもしれません。

「人の為」と書いて、「偽(いつわ)り」となります。良く考えてありますね。

「偽りの善」が、「偽善」ですが、では、一体「真実の善」とはなんでしょう?
この世に、「善」がある限り、「悪」がなくなることはありません。
「善」と「悪」とは同じエネルギーの裏表であり、 それはどちらかひとつでは存在することが出来ないそうです。

一見、「善」に見えるようなものの中に「偽り」が隠されていることを「偽善」というのですが、何が「真実」で、何が「偽り」なのか、 われわれは明確に分けることが出来るでしょうか?

この「善悪」「真偽」「良い・悪い」など、物事をふたつに分けて考えるという意識そのものが 根源的な問題かも知れません。
「良い・悪い」があるからこそ、表面的には「善い」ことのように見せかけて、内面にある「悪い」部分を偽って隠そうとするのかもしれません。

外側に現れる現象は、私たちの内面にある意識の投影です。私たちの中で、本当に「良い・悪い」がなくならない限り、いつまで経っても、残念ながら世の中から「偽善」がなくなるハズもありませんね。

 「人の為」と書いて「偽(いつわ)り」とはよく言ったものですね。お母さん方が良く子供に「あなたのために言っているのよ」というのと同じです。子供を立派に育てたければ、自分で見本を見せればいいだけですね。「お母さんの真似してたらこんな風になってしまった」と言われないように。

 気まぐれ剣士は「先生の真似したらこんなに下手になっちゃった」と言われたら、「下手な手本を見せているんだよ」と言ってやります。

 次回もお楽しみに
以上

260 大平光代

2005-12-27 08:08:21 | Weblog
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260 大平光代


 人間は、自分に真剣に向き合い応援してくれる人がいれば強くなれます。
 
 ベストセラー『だから、あなたも生きぬいて』の著者で、弁護士として活躍中の大平光代さんは、中学二年生のときにイジメを苦にして、割腹自殺を図った経験があります。
 
 しかし、その著書によれば、それが知れると学校でのイジメは度を増し、親からも理解されず、次第に非行グループと付き合うようになったということです。夜遊びに出かけるために親から暴力で金をせびり取り、家をあける日も続きました。そして、ついには十六歳の時に暴力団の妻になり、背中にいれずみを入れるほど堕落していきます。
 
 転機が訪れたのは、ホステスとなった二十二歳のときです。
幼いころの彼女を知る、父親の親友大平浩三郎さんとの思いがけない再会からでした。
 その後、大平さんは度々光代さんに会いに来ては、立ち直るように説得を続けます。
 
 しかし、光代さんはその説得をいつもうわの空で聞き流すだけです。光代さんの心が一変したのは、いつも穏やかな大平さんが声を張上げて叫んだときでした。
 
 「確かに、あんたが道を踏み外したのは、あんただけのせいやないと思う。親も周囲も悪かったやろう。でもな、いつまでも立ち直ろうとしないのは、あんたのせいやで、甘えるな!」
 
 このとき、彼女は「落雷にあったように体じゅうに電気が走った」と言います。
 〈やっと、私と真剣に向き合ってくれる人と会えた……〉
 うれしくて体が震え、その場で泣き崩れました。
 
 それを機に、立ち直る決心をした光代さんは、大平さんの事務所に勤め、宅建の資格をとるために勉強しはじめます。
 
 彼女は小学校の時は、ふつうの成績でした。中学校にはろくに通っていません。
 一から勉強し直すことばかりで、何度も挫折しそうになりましたが、懸命にやりました。

 なんと、その年、みごと宅建試験に合格しました。
 大平さんと会う前の彼女には考えられないことです。
 これが大きな自信になりました。
 
 その後、司法書士試験にも合格。
 そして、さらに猛勉強の末、二十九歳ときは、司法試験に一発合格をします。
 
 現在、彼女は非行少年の更正に努める弁護士として、東奔西走する毎日を送っています。
 
 かつての自分のように困難のさなかにいてどん底の状態にいる子どもに、真剣に向き合い、手を差し伸べ熱いエールを送り続けています。
 
       
 スゴイ人がいるもんですんね。彼女は中学からほとんど勉強してなかったから、辞書を片手に漢字の読み書きから始めなければならなかったそうです。背中に刺青(いれずみ)をした弁護士なんて先ずいないですよね。

 ふつう、いくら感激して立ち直るきっかけがあったとしても、ここまで出来る人は余りいませんね。司法書士なんて、まず、取ろうとも思いません。たとえ思ったにしても、すぐ諦めてしまいます。

やはり心の底から湧きあがってくる、魂の叫びみたいなものがあったのでしょうか。気まぐれ剣士なんか一杯感動しますが、ほとんどがその場限りです。一晩たてばすっかり忘れてしまいます。なにせ、頭の容量が少ないものだから、忘れないと次のものが入ってこないものですからと言い訳しておきます。

次回もお楽しみに

以上

259 失敗

2005-12-25 13:09:36 | Weblog
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259 失敗

何が「失敗」で、何が成功なのか…。自分が「失敗」と決めつけない限り、ふたつを厳密に区別することなどできません。ひとつの成功の陰には、数多くの「失敗」が隠されています。
数多くの「失敗」がなければ、成功は在り得ないかもしれません。

成功者とはたくさんの「失敗」にもあきらめなかった人であり、「失敗」が悪いこととは思わなかった人であり、「失敗」を怖れず、 数多くの「失敗」を体験して来た人の証かもしれません。

成功の裏側に数多くの「失敗」があるということは、本来成功と「失敗」とは表裏一体の出来事であり、厳密に分けることなどできはしないのですね。「失敗」は単なる成功への過程であり、ひとつのプロセスに過ぎません。

さらに成功にしろ、「失敗」にしろ、それは自分の見方次第であり、成功や「失敗」の定義も、自分の価値観に応じて、勝手に決めているだけですね。自分が「失敗」したと決めつけない限り、人生においては、絶対的な「失敗」もなければ、絶対的な成功もありません。
全ては人生のプロセスを味わうためのスパイスに過ぎませんね。

「失敗」とは自分の思ったようにいかなかったという体験を 味わっているだけのことですね。
思うようにいかなかったことが悪いわけではありません。思うようにいかないという体験を自分が選択し、 味わいたかったというだけのことです。

まずはその事実をしっかりと認めることが大切かもしれません。


 本当は人生に「失敗」なんてないかも知れません。全てが必要な体験なんですね。今ここにいるのは、生まれてから今までの出来事を全て積分(合計)した結果なのですね。

「失敗したからこそ、今の自分があるのだ」と思うことはありませんか?失敗が今の自分に役立っていれば、それは悪いことでもなんでもなく、逆に失敗に感謝できますね。

 気まぐれ剣士には、失敗という文字はありません。悪いのはみんな相手のせいにしています。試合で負けたって、それは失敗ではなく相手のほうが強かっただけ。そう考えれば、相手も喜ぶし、自分も傷つかずに済みます。でも周りの人にはその場限りのお調子者と思われているようですが・・・

 次回もお楽しみに
以上

258 感動

2005-12-23 12:36:48 | Weblog
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258 感動

「感動」とは、文字通り、 何かを感じて、何かが動くことですね。 動きが何もないのは、「感動」ではありません。人は活動している間中、常に何かを感じています。と同時に常に何かを考えています。
「感じていること」と「考えていること」。あなたは明確に区別することが出来ますか?

あなたは今、どんな感じですか?
「朝、起きたところでボーッとしている」「お腹が空いた」「大変だ。寝坊だ。遅刻する~」などなど。
いろんなことが浮かんで来るかもしれませんが、これは厳密に言えば、「感じ」ではなく、「考えている」ことだそうです。
「感じ」は、非常に言語化しにくいので、そう思った時点で、それはもう「感じ」ではなく、「考え」になってしまっているかもしれません。

「感じ」は、こころで、ハートで感じることで、理屈ではありませんね。「良い・悪い」や損得とは別の次元の感覚です。そして、本当にその「感じ」をしっかりと感じることが出来た時、人は必ず「動く」そうです。

何かを感じたとしても、その「感じ」があなたの中にある、深い部分にまで届かないと、「動く」ことはありません。何かワケもなく、動かされる「感じ」があったとしたら、
それはあなたの深い部分にそれが触れた印でもあり、それが本当に「感動」したと言うことですね。

深く感じることと、動くこと。行動することとはワンセットです。
「感動」とは、「深く感じて動く」という、こころの仕組みを現す言葉です。

 人は良く感動したと言いますが、口先だけ

257 思い込み

2005-12-21 08:16:15 | Weblog
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257 思い込み

 この世の全ての現象に、絶対的な良い・悪いはないそうです。全てはあなたの「思い込み」の産物だそうです。この世の全ての悲劇や誤解は、「思い込み」の産物であると言っても、過言ではありません。全ての現象は、あなたの「思い込み」に端を発していると言えるかもしれません。

どんな現象が起きたとしても、それに意味付けして、その現象に自らの「思い」を「込めて」いるのは、まぎれもなく私たち自身です。

起こって来る現象自体に絶対的な良い・悪いはありません。ある人にとっては、悲劇に映る現象であっても、 他の人には喜劇になっているかもしれませんし、全く無関心な人も存在するハズです。

その現象にあなたがどんな「思い」を「込めよう」が、それはあなたの自由ですが、自分で込めた思いに押しつぶされないように注意することだそうです。

「思い」は文字通り、重いのです。それがどんな思いであっても、エネルギーである限り、重たくなります。さらにそれを「込める(=混める)」のですから、圧迫されて、身動きがとれなくなるのも無理はありませんね。

自分の身動きがとれないのは、自分の「思い込み」が原因だそうです。
「こうでなければならない」、「これだけは譲れない」
「これをしないと大変なことになる」…。

全ては自分の「思い込み」の産物ですね。
さらにネガティブな現象ほど、あなたの「思い」を「込め」易くなり、あなたが「思い込んだ」通りの現象を招き易くなるので要注意です。

私たちが「そうに違いない」「これが絶対正しい」と信じていることは、単なる「思い込み」かもしれませんね。その「思い込み」が、自分を幸せに導いてくれるのなら、それでも構わないのです…。

でもその「思い込み」が、自分の心を重く閉じ込めているとしたら、その「思い込み」を手放し、そこから解放することは、自分にしか出来ない作業です。

いらなくなった「思い込み(=重いごみ)」は、サッさと捨ててしまうに限ります。
 気まぐれ剣士は「俺は強い」と思い込んでいます。人は勘違いだと言っていますが・・・
 
次回もお楽しみに
以上

256 使命

2005-12-19 07:58:25 | Weblog
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256 使命

命を使うと書いて使命と書きます。命は「大いなるもの」からのギフトです。その命をどのように使っても良いのです。あなたの「使命」はあなたが指名すれば良いそうです。

私たちの誰ひとりとして、自分の力だけで生まれて来た人はいませんし、自分の力だけで生きている人も存在しません。命は「大いなるもの」からの恩恵であり、私たちに与えられたギフトですね。

その与えられた命をどのように使おうが、 それに対して「大いなるもの」からの裁きや罰が下されることはないそうです。 私たちは恩恵として与えられた命のギフトを、どうように使っても良いのです。

「使命」とは「使われる命」だとも言われます。「大いなるもの」の意志に従って、ひとつのお役目を果たすために「命を使って頂く」ことが「使命」だと言われたりしますが、 全ての創造主である「大いなるもの」が、ひとつの意図を持って、命を使ったりする必要があるのでしょうか?

私が大いなるものから、「命を使われている」と感じることがあるかもしれませんが、 命と「大いなるもの」は同じだそうです。 命を宿している私と「大いなるもの」も同じです。

私と「大いなるもの」とはひと時も離れることはできないのですから、 そのふたつを「使う側」と「使われる側」に分けることなどできはしないのです。自分は自分の思い通りの人生を歩めばそれで良いのですね。

実際、私たちに出来ることはそれだけです。
人生に「使命」があるとすれば、自分が自分らしく生きることしかありません。

 そうですね。自分の役目は自分らしく生きることです。以前、磯貝先生が「剣道をする人には3つのタイプがある」とおっしゃってました。
・剣道を楽しむ人
・剣道を広める人
・剣道を高める人
 磯貝先生は剣道を広める人でしょうか。気まぐれ剣士はもちろん、剣道を楽しむ人です。剣道の後、お酒でもあれば最高に楽しめますね。でも、女房殿は、ただ飲兵衛なだけとおっしゃっています。ごもっともでございます。
 
次回もお楽しみに
以上

255 幻滅

2005-12-17 07:06:43 | Weblog
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255 幻滅

 在りもしない幻を追いかけるから、「幻滅」することになるのです。「幻滅」すれば、事実が正しく見えて来ます。あなたが何かに、或いは誰かに「幻滅」した時、それは事実を正しく見つめるチャンスだそうです。

「幻滅」とは、「幻が消滅すること」。つまり幻から覚めて、正気に還ることです。
「幻滅」することは、アンラッキーな出来事ではなく、むしろ祝福に値する、喜ばしい出来事なのですね。

われわれは常に事実を見ていると思っているかもしれませんが、その事実とはわれわれが見たいように見ている、「自分の事実」に過ぎません。
われわれの周りの全ての現象は、自分というフィルターを通して、 自分色に染まった「事実のような夢」と言えるかもしれません。

「幻滅」とは、その「事実のような夢」から覚めて、より事実に近いものをしっかりと見つめるチャンスが 訪れていることを知らせるサインだそうです。

われわれが「幻滅」すればする程、それはより事実に近付いているという証拠であり、大いなるものからのギフトかもしれません。

われわれが事実を見ずに、幻の中で生きること選ぶをのも自由ですが、何かのキッカケで「幻滅」したとしても、自ら幻を見て生きることを選択したのですから、それを自分以外の誰か他の人のセイにすることは出来ません。

「そんな人だとは思わなかった」とわれわれが「幻滅」するのは勝手ですが、われわれが今まで見ていたものが幻であり、「幻滅」した上で見えているものが、より事実に近いものなのです。

 そうかもしれませんね。確かに恋愛中はアバタもエクボにみえました。彼氏は世界中の誰よりも格好良く見えたのではないですか?

 でも気づくのが遅すぎた気もしますが・・・。こんなはずでは、あの頃に帰って断りたいと思っても今さら帰るわけにもいかないし。
 幸い気まぐれ剣士は早く「幻滅」したおかげで、事実を見ることが出来ました。
 失礼しました。
 次回もお楽しみに
以上               

254 継続

2005-12-15 13:51:59 | Weblog
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254 継続


毎日、続けること。いつまでも続けられること。当たり前のように「継続」できることの中に、あなたの天命が隠されているそうです。
「継続は力なり」という言葉通り、続けること、続けられることの中に本当の力、パワーが隠されています。
目に見えるパフォーマンスはたとえ一瞬であったとしても、そのパフォーマンスを発揮するための準備を「継続」していなければ、それを表現することはできません。

物事に偶然はないそうです。あなたが一度でもそれを成し遂げることができたとしたら、それは偶然などではなく、あなたの「継続」のタネが実を結んだ結果です。同時にあなたの「今」は、これまでの人生を積み重ね、 あなたの人生を「継続」して来た集大成としての結果であり、偶然「今」のあなたが出来上がったわけではありません。

「続けられること」の中に、あなたの本当の力のタネが隠されているそうです。「継続」しているから、それが力になっていくのではなく、 自然に「継続」できることの中に、あなたの真のパワーの源が宿っているのです。ある時期、何かに夢中になって熱く取り組むことも構いませんが、「継続」の力は、もっと穏やかで静かなものの中にあるそうです。

 あなたがただ淡々と続けられることの中に、本当の使命や天命のタネが隠されているのです。「息をする」「食事をとる」「眠る」などと同様に、当たり前のようにあなたが「継続」していることの中に、真の力が宿っているそうです。

 あなたが今までの人生で最も、時間とお金をかけて来たことは何ですか?
あなたが「これだけはしてはいけない」と禁止されたとしたら、最も苦痛に感じることはなんでしょう?

もちろん、気まぐれ剣士は剣道ですね。若いときはこんなに好きではなかったのに。年を取った証拠かも知れませんね。剣道しか出来ないことが分かったから?
でも苦痛に感じることがあります。出かけるとき、今日も剣道?と無言のまなざしを女房殿に感じるときは一番の苦痛です。
 やっぱり女房殿は一番強いと実感します。

次回もお楽しみに
以上               

253 いい加減

2005-12-13 17:28:07 | Weblog
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253 いい加減

「いい加減」は、中途半端という意味だけではありません。本来はちょうど良い具合にバランスがとれている状態を示す言葉だそうです。

この世の三次元は二元論の相対の世界で成り立っています。「陰、極まれば陽となり、陽、極まれば陰となる」が成り立つ世界です。

全てのものの中に、陰陽の要素がたたみ込まれており、その陰陽のバランスでこの世は成り立っているのです。
つまりこの世の全ては「いい加減」でバランスを保っているから存在しているそうです。

どんなに良いことでも、われわれがそのことに熱中し過ぎて、ねばならないで取り組んでいる時、バランスが崩れています。

あなたがポジティブに偏っている時、そのバランスを保とうとして、あなたの一番弱いところ、一番隠して置きたいネガティブな部分がクローズアップされて来て、バランスを保とうとするのです。

全てがバランスの中で成り立っているのですから、何事も「いい加減」で、ちょうど良い加減なのだそうです。

 陰も陽も実際に、その両極を体験して極めなければ、本当の真ん中、中庸、「いい加減」はわからないのかもしれません。
「いい加減」な人は、適当なヤツかもしれませんが、真ん中を知っているから、 ちょうどピッタリの場所が見つけられるのですね。

完璧を目指さず、「いい加減」で適当に過ごしてみましょう。何もせず、ただダラダラと過ごすのではなく、肩の力を抜いて、何事もほどほどに楽しむ姿勢が大切かも知れません。

熱くなり過ぎず、かと言って冷め切ってしまうのでもなく、ちょうど良い加減で、適当にバランス良く楽しむことです。 「いい加減」で適当な人だと言われてもいいじゃないですか~。

そう評価する人は、自分に完璧を求め、 自らの正しさの価値観に縛られ苦しんでいるのかもしれません。

 気まぐれ剣士は「いい加減」が大好きです。本人は“良い加減”と思っているのですが。女房殿はやっぱり適当と思っているようです。
 次回もお楽しみに
以上               

252 アマゾン

2005-12-11 17:21:58 | Weblog
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252 アマゾン

中村さんという、ドキュメンタリー映画を撮られている有名な監督さんがこれから、アマゾン川周辺が舞台のドキュメンタリー映画の撮影を計画されているとのことです。
何回もアマゾンへ行かれている中村さんが、インディオたちの生活について話をされました。

最近、アマゾン川流域では、日本も含めた各国の援助によって、開発が進んできてインディオたちの生活も変化してきたそうです。昔からやってきた仕事を離れて、開発に伴う仕事に就いたインディオたちの多くは、それによって豊かな時間を奪われるようになったそうです。

ある村の校長先生が言われるには、それまで、インディオたちの1日の生活の中には行なうべき「6つのこと」があったとのこと。

でも、今では忙しくなったおかげで、その内、3つのこと、
「食べること、寝ること、仕事をすること」しかできなくなったそうです。

では残りの3つは何かと言うと、
「家族といること、友達といること、自分といること」だそうです。

また、インディオたちには、自分の身体は、神が宿るところだから、きちんとしていないといけないという考えがあるそうです。

私達の生活も同じことがいえるかもしれません。
「生きるためにすること」と「豊かになるためにすること」を同じ1日の中で行なえないくらいに、忙しくなっている私達の生活。そろそろ見直しの時期に来ているのかもしれませんね。

生活が豊かになれば、「家族といること、友達といること、自分といること」が増えてもいいはずなのに、逆に忙しくて生活に余裕がありませんね。

 気まぐれ剣士は 「家族といること、友達といること、自分といること」のほかにもう一つ
「剣道といること」を付け加えたいですね。
 剣道の合間に仕事をするのだったら楽なのにねぇ。でもいつでも剣道が出来る環境だと逆に剣道がしたいと思わないかも。
 なかなか剣道が出来ないから強くなれないんだと、言い訳を言っているくらいが、気まぐれ剣士には似合ってますね。
 次回もお楽しみに
以上               

251 負けず嫌い

2005-12-09 16:01:49 | Weblog
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251 負けず嫌い

メルマガに載っていました。
「負けず嫌い」でも構いませんが、 勝つことと、幸せ度が、比例するものではありません。
勝つことが正しくて、負けることが間違っているのではありません。 さらに勝つことや正しいことが「幸せ」と結び付いているワケではないのです。

「勝つ」ことによって、確かに一瞬の達成感や高揚感を味わうことは出来るかもしれませんが、それは永くは続かないものです。
勝つことや正しいことが「幸せ」と結び付いているとしたら、最も勝ち続けた人や最も正しさを証明した人が、 最も「幸せな人」になるハズですが、 常に勝ち続けている人や常に正しさを証明する人は、果たして「幸せな人」でしょうか?

「勝ちたい」とか「負けたくない」「負けたら口惜しい」と思う心も 悪くありませんが、いつもいつでも「比較・競争の世界」に生きていると、自分以外は全て敵になってしまうので、心が休まる時がありません。

「負けず嫌い」の気持ちをバネにして、頑張ったり、 努力したりするのも悪くありません。
しかし「負ける」=「ダメだ」「価値がない」という価値観に縛られしまうと、 どうでも良いことまでも「負けるのが嫌い」になってしまいます。

まったくその通りですね。いくら強くたって必ず負ける時が来ます。勝つことだけを目的にすると、昇り調子の時はいいけれども、負けると今まで頑張ってきたことが全て否定されてしまいます。一生懸命稽古して、その結果だけで評価されては寂しいものがありますね。同じ稽古をし、勝てば誉められ、負ければ貶されては身も蓋もありません。

また、勝ったとしても誉めてもらえるのはその時だけですよね。普通の人は3日もあれば忘れてしまいます。

それよりつらい稽古も楽しめればいいですね。結果も大切だけれども、その道のりはもっと大切ですね。一気に強くならなくても、ゆっくりと強くなっても遅くはないですね。「注意一秒、怪我一生」という標語がありましたが、「稽古一生、結果一瞬」です。たった一瞬のために努力するより、毎日の稽古を楽しめればどれだけ有意義か分かりませんね。

気まぐれ剣士は一生かかって強くなります。これってちっとも強くならない人の言い訳にいいですね。「一生」はお酒の「一升」だったりして。

いつまでたっても飲ん兵衛な気まぐれ剣士でした。

次回もお楽しみに
以上          

250 答え

2005-12-07 22:05:09 | Weblog
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250 答え


人は「答え」の出ない問いを発することの出来る唯一の動物だと言われますが、 実は「答え」のない問いなどないそうです。
あなたが採用したものが、あなたにとっての「答え」だそうです。

 全ての人が100%正しいと評価するものを「答え」だとすれば、あなたが生きている内に「正しい答え」に出会うことなど、不可能かもしれません。
「答え」を正しいとか、間違っているとかで 判断するから違うものになってしまうのです。

その「答え」があなたにとって、役に立つか、より優しく、より幸せを感じられるかどうかで判断すれば良いそうです。
 その「答え」をあなたが採用することで、あなたがより苦しく、不幸になるのだとしたら、それは「答え」ではなくて、義務やコントロールかもしれません。

その「答え」が本当にあなたの内から湧きあがって来たものなら、その「答え」があなたを癒し、幸せなものにしないわけはありません。

あなたが「答え」を捜し求めてさまよっている時、それは適切な問いをすることを忘れてしまっているだけなのです。あなたの問いの中に既に「答え」が内在されています。
人間は本来、「答え」のない問いなど発することは出来ないのです。
あとは自分の中にある「答え」に気付くだけです。

その為には、適切な問いを探し、自分の中に何度も真剣に問いかけ、あとは出来るだけ忘れておくことです。そうすれば必ず必要な時にベストのタイミングで「答え」がやって来るそうです。

 なんだかよく分かりませんね。答えがわからないから問いをするもんだと思い込んでいました。でも、こんなこっとってありませんか。やるべきことが分かっていても、勇気がなくて、出来なかったことって。例えば、好きな人に好きだといえないこととか。これって、答えははじめからわかっていますね。

 気まぐれ剣士は迷ったら、楽なほうを選びます。だって楽なほうが楽しいから。

いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上                    

249 うまくいく人、いかない人

2005-12-05 12:25:24 | Weblog
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249 うまくいく人、いかない人

世の中には、何をやってもうまくいく人もいれば、同じような失敗ばかりを繰り返す人もいます。また、豊かで幸せに生きている人もいるし、不幸にばかり見舞われる人もいますよね。
 あるいは、いつも悩みを抱えている人がいるかと思えば、悩みなどとは無縁で、毎日を楽しく過ごしている人たちも多いでしょう。実にこの世は、不公平なものに思えます。

 ところが、ある見方をすれば、この世界はとても公平で平等なものだということができるのです。だって、誰もが、自分がどんな人生を送るのか、何を手に入れるのかを、選ぶことができるのですから。

 自分で選ぶことができるのなら、誰もネガティブな方になど力を向けないだろう。だけど、世の中には、貧しかったり不幸な人がいる。やっぱり不公平なんだという思いを持つ人もいるでしょう。
 もちろん、意識的に、ネガティブな生き方を選ぶ人は誰もいません。ネガティブな方を選んでいる人の多くは、自分でも気づかないうちに無意識で、そうなっているようです。

 たとえば、『毎朝、1時間早く起きて、軽いジョギングをすれば健康に良い』という話を聞き、自分もやってみようと決めたとします。

ポジティブな選択ですよね。
でも、翌朝から実際に行動に移せる人がどれだけいるでしょうか。何とか数日はがんばって早起きしても、三日坊主で終わってしまう人も多いでしょうね。

 意識では、健康のためにがんばろうと考えているのに、無意識では、「疲れる」「もう少し寝ていた方が楽だ」「どうせ長続きはしないんだ」「こんなことやって、何の意味があるんだ?」などと、いろいろな理由を探しては、何とかジョギングを回避することを選んでいるのです。もちろん力は、その方向へ働くことになります。

 同じように、夢や目標を目指して努力しているのに、なかなか実現しないという場合も、無意識で、実現しないことを選んで、そこに力を注いでいるのかも知れません。
できるだけポジティブな選択をするには、自分が何を思っているのか、本当は何をしたいのか、知らないうちに何を選んでいたのかを、感じてみる時間を増やしてみればいいそうです。

 何かを成功させるためには無意識を利用すればいいのですね。
 気まぐれ剣士は、夢の中ではいつも優勝しているのに・・・。夢は無意識ではないのかなぁ?
 
 次回もお楽しみに                          以上                                       

248 簡単

2005-12-03 06:28:59 | Weblog
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248 簡単

今までの時代は、「難しいこと」「複雑なこと」ほど権威があり、価値があるとされて来ました。
しかしこれからは、「簡単であること」「シンプルなこと」でないと、「本物」とは言えない時代になってきたそうです。

この世は全て、「パラドックス(逆説)」で成り立っているそうです。
一見「簡単」なことほど、実は奥行きが深く、極めるのが困難なのです。 難しそうに見えるもの程、その真髄は「簡単」な原理に基づいているものです。「簡単」なことを複雑に説明することは難しいことではありません。「簡単」なことをワザと難解に権威的に話すことで、問題の核心からはドンドン遠ざかっていきます。

 逆に一見、複雑で難解なことを「簡単」に説明するためには、本当の実力が要求されます。それを「簡単」に伝えるためには、本質を理解していなければ、出来ることではありません。

この世の中の現象は、全てが自らの心の内側を「投影」したものだそうです。

あなたの心の中が、「困った。大変だ。難しい…」で埋まっていれば、目に見える現象として、「困ったこと」「大変なこと」「難しい出来事」が実際に現れて来ます。

反対にあなたの心の中が、いつも「大丈夫。楽勝だ。簡単…」で満たされていれば、目に見える現象も、ツキの流れに乗って、「全てはうまくいく」のです。
何も難しいことはありません。それが、実に「簡単」な「宇宙の法則」だそうです。

 ピンチに立たされて、困ってみたところで、何の解決にもなりません。「なんとかなる」と思えない限り、なんともなりません。大丈夫です。 宇宙の構造はシンプルそのもの。「簡単」なことです。
よく知らない人ほど、難しい単語をならべて、難しそうに説明してくれます。逆に本当に良く知っている人は相手のレベルに合わせて相手に分かるように説明してくれますね。

 気まぐれ剣士は、試合に臨むときは必ず勝てると思って臨みまが、なかなかうまく行きません。けれども、負けたらどうしようと迷いながら試合に臨んでも、やっぱりうまく行きません。
 どうせうまくいかないのなら、気楽にいったほうがいいですね。気まぐれ剣士に勝った相手には「おぬし、なかなかやるな」と相手を誉めることにしています。最近相手ばっかり誉めていますが・・・
 
次回もお楽しみに
以上