氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
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748 福澤諭吉・3つの教訓

2009-11-26 14:04:53 | Weblog
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748 福澤諭吉・3つの教訓

森村設計会長・森村武雄氏のお話です。
福澤諭吉先生には、祖父の市左衛門もいろいろなことでお世話になっていますし、影響を受けています。

例えば、市左衛門は、なんとか慶應義塾に入って学問がしたかったけれども、商売が忙しくてどうしてもその思いを遂げることができませんでした。

そのことを福澤先生にお話しした時に、先生はいたく同情してくださって、こんこんと慰められながら与えてくださった教訓がありました。

次の三つです。

一、箸の上げ下げにも注意せよ

二、一度悪いことをしたら、一度地獄に行く

三、役人などと結託して商売するな

一の教訓は、世の中に処していくには時事物々について注意しなくてはならない。些細なことであっても呆然としていてはならない。

朝晩の箸の上げ下げにも注意を払うというくらいでおれば、間違いを生じないばかりか、ますます人間も向上していくものだ、という教えです。

二については、品行について非常に厳格な意見を持っておられた福澤先生ならではの教訓で、これは、意志堅固でなくてはならないことと、自尊心を奮起させる金言です。

三は、独立自尊の精神を説く教訓です。とにかく人が世に立つにはどうしても独立の気概を持ち、他人の世話にならない覚悟でなくてはならないということです。

この教訓の影響で、森村の人間はお役人や政治家に頼ろうという依存心がなく、非常に独立心に富んでいます。


さすが、偉い人は違いますね。このことを“一を聞いて十を知る“と言うのでしょうか。

小生なんか、“箸の上げ下げにも注意せよ“といわれたら、それだけしか注意しないですね。しかも言われたときだけ、多分三日もしないうちに忘れるでしょうね。

747 トーマス・エジソン

2009-11-17 14:16:34 | Weblog
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747 トーマス・エジソン

エジソン(トマス・アルバ・エジソン 1847-1931)って人は面白いですね。
電球・レコード・映画・アルカリ乾電池など1093件の特許をとって「世界の発明王」と呼ばれる。

逸話を少し。

・『10日ごとに小さな発明、6ヶ月ごとに大きな発明』とニュージャージー州メンロパークの研究所に標語が掲げられていた。 (この研究所設立は1876年。エジソン29才の時)

・結婚式の日、妻の葬式の日などもエジソンは研究を続けた。家でゆっくりとすることもなく、研究所で。 (これは確かに常軌を逸していると思いますが、それだけ打ち込んでいたとも言えますね)

・音声電信機(電話)の特許をアレクサンダー・グラハム・ベル(1847-1922)に一歩先んじられた時、研究所のスタッフは落胆(設計図はエジソンの方が先に出すが、実物はベルが先に出した)。

すぐに「我々はベルの特許とは別の仕組みの音声電信機を開発すればいい」と研究を再開。ベルの電話は電圧の関係で1キロしか声が届かなかったのに、エジソンの作成したものは300キロ先まで届いた。この炭素マイクロホンの開発には2000回の実験を重ねた。

・ところがエジソンの電話開発は思わぬ形で幕を閉じた。
電話に関するエジソンの特許を買い取った企業がその特許権をベル社に売ってしまったのです。つまり自社開発した高性能の炭素マイクロホンを使うことすらできなくなったのです。

そこでも「落ち込んでいるひまはないぞ。失った技術は忘れるんだ。我々はまったく新しい音声電信機を開発するぞ」
「無駄にみえる百の努力がすばらしい発明を生み出すぞ。それが我々だろ」
ということで蓄音器の開発に成功しました。

・エジソンは未来を先取りして描いていた。
彼が予言?したことは、高速道路、テレビ、カラー写真、海底ケーブル、巨大電子望遠鏡、太陽エネルギーによる発電などがあります。

・70歳を過ぎても研究所で週95時間以上働いていた

・1931年10月18日エジソンが84歳で亡くなった日の午後10時。
アメリカの各家庭は、追悼のために1分間 電灯を消したということです。世の中に光を提供した人の死を悼んで。

・「神様が私の手を通して発明してくださっているに違いない」
・「私は一日たりと、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないから」

・「多くの人によって、チャンスが見過ごされるのは、それを作業衣を着ていて、仕事のように見えるからだ」

・「やれやれ、これでとにかく、2000の実験だけは、もはややり直さなくてすむわけだ」

・「一瞬もむなしい悔恨に時を浪費せず、敗北を忘れ、冷静で合理的な勇気で、ただちに新しい事業に取り掛かろうとするのは、いかにもかれらしいことであった」
(『エジソンの生涯』マシュウ・ジョセフソン著【絶版】)


・ローソクとランプの乏しい光に頼る生活は何とも不便である。もっと明るい照明器具は、出来ないものか。1879年、1万回を超える失敗を重ねた末、京都岩清水八幡宮から入手した竹の繊維を用いることによって、ついに白熱電球の発明に成功する。

そして、音と光を結びつけることにより出来あがったのが映写機である。1889年のことであった。


天才と氣ちがいは紙一重といいますが、ほんとうかも知れませんね。結婚式や妻の葬式の日にも研究を続けるとは、常識では考えられませんね。そこが天才の由縁でしょうか。その点、大晦日の23時からの年越し稽古、元旦の初稽古をする小生のほうが、エジソンよりまだましですね。そういうのを50歩100歩といいますと、女房殿から言われそうです。お粗末さまでした。


746 二流と一流

2009-11-10 09:49:51 | Weblog
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746 二流と一流

【野村克也氏】

野村:広島カープからヤクルトに来た小早川という選手がいます。一時は四番を打ったこともある選手だから、それだけのものを持っているのだが、頭打ち(成長が止まること)から抜け出せなくて、解雇されてしまった。

彼に「お前は自分をどう思うか」と聞いてみました。
「不器用なほうだと思う」と言う。
「他球団の投手はお前をどう思っていると思うか」
「直球は強いが変化球に弱く、
選球眼が悪いと思っていると思う」。

まったくその通り。よくわかっているんです。
「では、どうするつもりや」と聞く。
すると、
「自分が直球に強いのは確かだから、あくまでも直球待ちでいきます。そのためにタイミングの取り方、タメのつくり方を基本からやり直します」
などと言っている。

米長:ああ、これまでと同じことをやろうとしているんですね。棋士でも勝てない人間はいつまでも同じことをやっている。

野村:そうなんです。「お前なあ」と言うんです。これまでそうやって結果が出なかったんやろ、と。同じことをやっても、違った結果が出るはずがない。
第一戦の巨人戦はエースの斉藤が先発してくるだろう。斉藤はお前をどう攻めてくるか。

四球狙いとわかっているから、いくら直球を待ってもきやせんよ、と。考え方を変えて直球は捨て、変化球を待ってみたらどうなんだ、と。

私の話で小早川は何かをつかんだのでしょう。昨年のシーズン第一戦の巨人戦で、案の定先発してきた斉藤から、彼は三本もホームランを打ってしまった。

米長:同じ努力をしていても同じ結果しか出ないということですね。だが、屈辱感、挫折感を味わった者には、何くそ、いまに見ておれ、という貴重な心の基盤がある。それがなければ話にならないのだが、そこを刺激して変化の方向に向けさせる。野村再生工場の神髄がよくわかりました。

野村:多くの選手が毎年、年頭に際して同じ抱負を述べ、同じ努力を誓ってがんばりますと言う。しかし、それは素質の世界のことです。素質いっぱいのところで技術的限界がくる。そして、それを超えられない。こういう選手は二流にとどまるしかない。その一段上に才能の世界がある。

才能とは頭脳の中に埋め込まれた情報のことです。その情報を駆使することで一段上のレベルにいける。そのことに気づくかどうか。
それが一流と二流を分ける分岐点になる。


一流と二流の差はこの辺にあるようですね。氣まぐれ剣士みたいに、「メンを極めるのだ」とメンだけにこだわっているのは、裏を返せば、ほかの事は何も考えていないということですね。自分から何も道を狭めるとこはないと思うのですが・・・。ここら辺が二流にもなれない三流の凡人の考えるところでしょうか・・・。

745 漢字あれこれ(5)

2009-11-02 11:42:14 | Weblog
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 745 漢字あれこれ(5)

漢字というのはほんとうに良く考えて出来ていますね。漢字の成り立ちについて考えて見ます。

・「婆」という字は、なんと、「波風を、立てる女」という意味だそうです。
年をとってきて寂しくなってくると、周囲からかまってもらいたくて、しばしば意図的に波風を立てる人がお婆さんでしょうか?

・「姦」は、文字通り、「女」が、3人以上集まったら、「かしましい(うるさい)」という意味ですね。
二人でも充分かしましいと思うのですが・・・。

・「妨」は、男が、何かやろうとした時に、「女の方ばかり、見ていると、本来の道が、妨げられますよ」の戒めの意味だそうです。
でも、女性がいないとハッスルできないのも事実でして・・・。

・「始」は、「女が、台に乗っている状態」から、おそらく、「出産」の意味だそうです。
なるほど、そうですか。確かに出産のときは台に乗ってますね。


さて次は「男」がつく漢字です。
これが、ほとんど、ないんですね…。

「甥(おい)」くらいしか、思いつかないんですよね。
「女」という漢字は、小学校で習うだけで、34文字もあるそうです。
でも、「男」という文字は、ほとんど、変化する楽しみを、許されていないようなのです。「女」恐ろしですね。

・「男」という字は、シンプルです。文字通り、「田んぼに、力」という意味です。
これは、どういう意味かというと、昔の日本では、自分の体重と同じ重さの米俵を、頭上に、持ち上げて、「一人力」つまり、「一人前」と言われた時期が、あったそうです。
いまや自分の体重を持ち上げられる男性は殆どいないかもね。チョと情けないですね。


いかがでした。
漢字あれこれはこの辺で終わりにします。
次回もお楽しみに
以上