氣まぐれ剣士の言いたい放題
760 客家の法則
「プチ紳士・プチ淑女探せ!」のメルマガを発行されている志賀内泰弘山さんのお話です。
高野山真言宗管長の松永有慶さんの、こんな話に魅かれました。若い頃、インドに留学した時のことだそうです。しばらくその土地の家庭でお世話になった。
なにくれとなく細かい配慮をしてもらい、無事に留学期間を終えていよいよ帰国することになった。家族全員でお別れパーティを開いてくれた。お礼の挨拶の時、
「日本に帰ったら、なにかこの家の人たちが欲しいものを送りたい」
と付け加えた。
日本の電化製品がインドでは高嶺の花と言われていた時代のことだ。
ところが、この家の主人から、やんわりとではあるが、丁重に断られた。
「われわれがあなたのお世話をしたので、ありがたいと思ってくれるだけで充分である。あなたから何かを贈ってもらうと、それでわれわれの友情は終わってしまうような気がする。
あなたとわれわれの家族の間の心の交流は、ずっと永遠に続けていきたい。また、われわれのうちの誰かが日本に行ったとき、はじめてあなたはお返しを考えればよいのだ」
この話からもパッと思い浮かんだことがありました。
いつも、講演を頼まれると、どんな演題でも必ずさせていただく話です。
それは、「客家の法則」。
拙著や「プチ紳士・プチ淑女探せ!」運動の理念を綴った小冊子「ギブアンドギブで上手くゆく」にも収めているのでご存じの方も多いことでしょうが、今一度ここに紹介させていただきます。
中国南部に客家(はっか)という民族がいます。元々は中国全土を支配していた漢民族の末裔らしいのです。
しかし、北方民族が攻めて来た際に、難を逃れて今の地にやってきました。彼らは特殊な建築様式の家に住んでいます。
イタリアのコロッセオのように、円型の外周部分が三、四階建てになっていて、
各階に何軒もの家族が住んでいます。
ちょうど中庭の見下ろせる高層筒型アパートといったイメージです。入口を閉じると、外敵も侵入できません。中には、長期に篭城できるために、ブタやニワトリなどの家畜を飼っています。
遠い祖先たちが、多民族との戦いに追われて南下したという歴史が、こうした強固な閉鎖社会を作り出したのです。
しかし、その反面、?ケ小平や孫文、世界中の華僑の大富豪など有能な多くの人材を輩出したことでも知られています。中国でも有名な優れた民族なのです。
ここの長老が、テレビ番組のインタビューに答えていました。
「なぜ、この小さな村から優れた人物が生まれたのですか」
長老いわく、
「隣の人に親切にしてもらっても、その人にお返しをしてはならない、という教えが伝わっているのだ。右隣の家に人に親切にされたら、反対の左隣の家に人に親切をしなければならないのだ」と。
なるほど。まさしく眼から鱗。円型ドームなので、それを続ければ、いつの日か回りまわって自分に還ってくるというわけです。そういう「生き方」を実践して、多くの偉人を輩出してきたのです。
さて、冒頭のインドの家の主人の話。
「日本に行ったときに」と言いつつ、「そんなことは実際にはないだろが」ということが前提になっています。
「われわれのうちの誰かが」というのは、家族に限らず「インド人の誰かが」という意味に思えました。親切をされたら、その人にお礼をしたくなるのは当然のことです。それを形にしたいから物を贈る。それも自然な気持ちです。
でも、右隣の人に親切をされて、すぐに右隣の人に返したら、その親切は二人の間で「完結」して終わってしまいます。その親切を左へ左へとグルグル回す。
そうしているうちに世の中がよくなる。ましてや、右隣の人は、
「親切を返してもらおうと期待して親切をした」
わけではないはずです。
親切の輪を次へ次へと回していく。そうすることで、右隣の人、つまりインド人の家族の厚意は、無限につながってどんどん大きくなっていくわけです。
そこに、「プチ紳士・プチ淑女探せ!」運動が目指す世の中があります。
賢いですね、恩返しではなく、恩送りですね。恩返しは返した時点で終わりますが、この恩送りだといつまでも続きますからいいですね。要するに幸せの「ドミノ倒」しですね。
以上
760 客家の法則
「プチ紳士・プチ淑女探せ!」のメルマガを発行されている志賀内泰弘山さんのお話です。
高野山真言宗管長の松永有慶さんの、こんな話に魅かれました。若い頃、インドに留学した時のことだそうです。しばらくその土地の家庭でお世話になった。
なにくれとなく細かい配慮をしてもらい、無事に留学期間を終えていよいよ帰国することになった。家族全員でお別れパーティを開いてくれた。お礼の挨拶の時、
「日本に帰ったら、なにかこの家の人たちが欲しいものを送りたい」
と付け加えた。
日本の電化製品がインドでは高嶺の花と言われていた時代のことだ。
ところが、この家の主人から、やんわりとではあるが、丁重に断られた。
「われわれがあなたのお世話をしたので、ありがたいと思ってくれるだけで充分である。あなたから何かを贈ってもらうと、それでわれわれの友情は終わってしまうような気がする。
あなたとわれわれの家族の間の心の交流は、ずっと永遠に続けていきたい。また、われわれのうちの誰かが日本に行ったとき、はじめてあなたはお返しを考えればよいのだ」
この話からもパッと思い浮かんだことがありました。
いつも、講演を頼まれると、どんな演題でも必ずさせていただく話です。
それは、「客家の法則」。
拙著や「プチ紳士・プチ淑女探せ!」運動の理念を綴った小冊子「ギブアンドギブで上手くゆく」にも収めているのでご存じの方も多いことでしょうが、今一度ここに紹介させていただきます。
中国南部に客家(はっか)という民族がいます。元々は中国全土を支配していた漢民族の末裔らしいのです。
しかし、北方民族が攻めて来た際に、難を逃れて今の地にやってきました。彼らは特殊な建築様式の家に住んでいます。
イタリアのコロッセオのように、円型の外周部分が三、四階建てになっていて、
各階に何軒もの家族が住んでいます。
ちょうど中庭の見下ろせる高層筒型アパートといったイメージです。入口を閉じると、外敵も侵入できません。中には、長期に篭城できるために、ブタやニワトリなどの家畜を飼っています。
遠い祖先たちが、多民族との戦いに追われて南下したという歴史が、こうした強固な閉鎖社会を作り出したのです。
しかし、その反面、?ケ小平や孫文、世界中の華僑の大富豪など有能な多くの人材を輩出したことでも知られています。中国でも有名な優れた民族なのです。
ここの長老が、テレビ番組のインタビューに答えていました。
「なぜ、この小さな村から優れた人物が生まれたのですか」
長老いわく、
「隣の人に親切にしてもらっても、その人にお返しをしてはならない、という教えが伝わっているのだ。右隣の家に人に親切にされたら、反対の左隣の家に人に親切をしなければならないのだ」と。
なるほど。まさしく眼から鱗。円型ドームなので、それを続ければ、いつの日か回りまわって自分に還ってくるというわけです。そういう「生き方」を実践して、多くの偉人を輩出してきたのです。
さて、冒頭のインドの家の主人の話。
「日本に行ったときに」と言いつつ、「そんなことは実際にはないだろが」ということが前提になっています。
「われわれのうちの誰かが」というのは、家族に限らず「インド人の誰かが」という意味に思えました。親切をされたら、その人にお礼をしたくなるのは当然のことです。それを形にしたいから物を贈る。それも自然な気持ちです。
でも、右隣の人に親切をされて、すぐに右隣の人に返したら、その親切は二人の間で「完結」して終わってしまいます。その親切を左へ左へとグルグル回す。
そうしているうちに世の中がよくなる。ましてや、右隣の人は、
「親切を返してもらおうと期待して親切をした」
わけではないはずです。
親切の輪を次へ次へと回していく。そうすることで、右隣の人、つまりインド人の家族の厚意は、無限につながってどんどん大きくなっていくわけです。
そこに、「プチ紳士・プチ淑女探せ!」運動が目指す世の中があります。
賢いですね、恩返しではなく、恩送りですね。恩返しは返した時点で終わりますが、この恩送りだといつまでも続きますからいいですね。要するに幸せの「ドミノ倒」しですね。
以上