都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その3・エキセントリック)
「若冲と江戸絵画」展の感想を先に進めます。今日は、今回の展覧会のハイライトでもある「エキセントリック」です。ここでは、伊藤若冲(1716-1800)の上質な作品が約20点ほど展示されていました。以下、いつものように、特に印象深かった作品について感想を書いていたいと思います。
まずは、プライス氏が、日本美術を蒐集する切っ掛けともなった「葡萄図」(18世紀)からです。図版などで見る限りでは大変に地味ですが、実際にその前に立つととても良い作品でした。確かにこれならスポーツカーを諦めたというのも分からなくはありません。葡萄の木が余白を巻き込んで縦横微塵に駆け巡り、さらには精緻に描き込まれた実や葉っぱが、その瑞々しく美しい質感を巧みに表現している。若い頃の作品とのことですが、ここには若冲の類い稀な空間構成力が早くも確立しています。またくねくねと曲がりながら進む枝は、輪郭線を用いずに墨の濃淡だけで描かれていました。それが、まるで光を通すような薄く透き通った葉っぱと、同じものが一つとしてない実をぶら下げている。そう言えば葡萄の味は、同じ房に付いているものでも一つ一つ微妙に異なります。甘いもの、酸っぱいもの。この葡萄も、そんな味の違いを見事に表現してるのかもしれません。ともかくこれだけは、是非、作品に近い位置で拝見することをおすすめします。画像だけでは分からない魅力がたくさん詰まった作品です。
若冲と言えば、動植綵絵に見られるような鶏の描写をまず思い出しますが、この展覧会にも鶏をモチーフとした作品がいくつも展示されていました。その中ではやはり「紫陽花双鶏図」(18世紀)が群を抜いています。ボツボツと平面的にくっ付いた花びらや、複雑に絡み合った枝や葉。紫陽花の特徴を個性的に捉えています。特に、一目見て若冲と分かる花びらの表現は独特です。これに、また同じく一目で彼だと分かる鶏が組合わされば完璧でしょう。左側で大見得を切った雄鶏と、曲線を大きく描いて体をくねらせた雌鶏。雌は、あたかも雄から押されたかのように、後ずさりしながらその方向を見つめています。それにしてもこの雌は侮れません。真ん丸で可愛らしくも見える純情な雄の目と比べて、雌のそれは明らかに不純です。やたらに嫌らしい目つきをしています。この作品は動植綵絵の同名の作品よりも前に描かれたとのことですが、私にはこの二羽の関係からこちらの方が魅力的に見えました。
「紫陽花双鶏図」と同じような動植綵絵に似た作品としては、「群鶏図」(18世紀)と「雪中鴛鴦図」(18世紀)が挙げられると思います。「群鶏図」は「梅花群鶏図」と比べると艶やかな梅の描写がない分やや地味に見えますが、パッと見ただけでは何羽いるか分からないほどギュウギュウに押し込まれた鶴は表現です。(「群鶏図」は、首がまるで蛇のように伸びています。これは不気味です。)また、動植綵絵と同名の「雪中鴛鴦図」では、水面へ顔を突っ込む水鳥に首が描かれています。ちなみにこの首は動植綵絵では省かれていました。さすがにこれは本人がない方が良いと判断したのでしょう。この二点に関しては、動植綵絵の方に軍配を挙げたいと思います。
極限まで精緻に、また隙なく描き切ってしまうのも若冲の魅力ですが、その反面での、一見、肩の力を抜いて描いたような、即興的な作品に味があるのもまた良い部分です。その系統の作品では、卵型の鶴が12羽も並んで滑稽な表情を見せた「鶴図屏風」(18世紀)と、アニメーションタッチの鳥や人物たちが並ぶ「花鳥人物図屏風」(18世紀)が印象に残りました。颯爽とした線にて卵のように胴体を描き、そこから足や羽を軽快に伸ばした「鶴図屏風」。一部に、筋目描と呼ばれる薄墨の滲みを使った技法が冴えています。花びらが重なり合うように連なった筋目描の羽。それが、単純なフォルムの『卵鶴』の中で描かれていると、より一層浮き彫りにされていくようです。また「花鳥人物図屏風」では、ヒョイとつま先で立って遠目を見つめているような鶏や、ニコニコと笑っているようなカラス(こんなに可愛らしいカラスも珍しい!)、さらにはまるでトマトの実のような花の描写が特に印象的でした。また、動植綵絵の「蓮池遊魚図」を思わせる魚の描写も見事です。ここでは、颯爽と描かれた大きな葉が画面全体を引き立てています。まるで縄のように長くべた塗りされた鶏の尾と、その一方での葉に見られるような軽やかな筆さばき。硬軟巧みに使い分ける若冲の筆には改めて驚かされるばかりでした。
筋目描を使った技法の作品では、「芭蕉雄鶏図」(18世紀)や「鯉魚図」(18世紀)も見逃せません。力強く鋭角的に飛び上がった鯉の「鯉魚図」も見事ですが、鶏の羽もバショウも筋目描で表現されている「芭蕉雄鶏図」も魅力的です。鶏冠の部分にまでも、ドットと筋目が美しくに交じり合っている。また筋目によるバショウの質感は、一説では若冲の子(!?)でもあるという伊藤若演の「芭蕉図」(18-19世紀)でも見ることが出来ます。バショウの大きな葉に溜る露が、若冲の作品と同じように仄かに照っている。残念ながら同じバショウでも、その配置に若冲ほどのリズム感がありませんが、焼きノリを一枚一枚並べたような表現もまた面白いと感じました。ちなみに「芭蕉雄鶏図」では、バショウの葉がねじるようにクロスして、鶏もヒョイっと首を曲げながらそれを見ています。そして足元には簡潔な線で示された草が生い茂る。筋目の技法を誇示しながらも、全体の構成感に全く隙がないのが若冲です。さすがの貫禄を見せつけていました。
墨絵の「鶏図」(18世紀)の構成感もまた秀でています。まるで斬新な書のような尾を旗のように靡かせている雄鶏が一羽。彼の視線の先には獲物でもあるのでしょうか。今にも一目散に走り出してしまいそうな勢いを見せています。そしてその雄を見つめるのは、奥の雌鶏と手前にいる小さな雛鳥でした。ともに、まるで雄の急な動きに驚いたかのように振り返っています。脇役にもしっかりポジションが与えられている。こういう細かい部分の面白さも、また病み付きになる若冲の魅力の一つではないでしょうか。
ともに晩年の作品とされる「伏見人形図」(1798)と「鷲図」(1798)の二点は好対照でした。一目見ただけでは同じ作家の作品とは思えません。「伏見人形図」は、若冲が生涯描き続けた人形の姿を可愛らしく捉えた作品です。まずは、そのふくよかな人形の顔に見入ってしまいますが、彼らがあたかも画面の後方からトコトコと連なって歩いているかのような画面構成も見逃せません。また「鷲図」は、北斎の晩年の作品にも通じるような緊張感を漂わせています。線の表現に、かつての精緻さがやや見られないようにも感じましたが、思いっきりデフォルメされた波と、グイッと首を突き出すかのような鷲の動きには目を奪われました。
さて、ここまであれこれと若冲作品についての拙い感想を書いてきましたが、やはり最後にはあの作品を挙げなくてはなりません。それはもちろんこの展覧会の目玉でもあり、またにわかに若冲のシンボルともなりつつある「鳥獣花木図屏風」(18世紀)です。なんと一隻、4万個以上の升目が存在するという、まるでタイル画のような作品。西陣織の下絵をヒントにしたとも言われつつも、やはりこの時代を隔絶したような表現技法にはただひたすらに驚かされます。ちなみに私がこの作品を拝見するのは二度目です。以前、森美術館のハピネス展で見た時には不思議と全く印象に残りませんでしたが、今回はじっくりと興味深く見ることが出来ました。ともかく何故このような技法、または表現を思いついたのか。そればかりに気をとられる作品でもあります。
右隻、左隻の全体を通して見ると、色のコントラストの都合によるものなのか、動物や背景の描写がやや平面的です。空間の奥行き感があまり感じられません。図版で見ると何故か背景の青が鮮やかで、その分、手前の緑、もしくは動物たちが浮き上がって見えますが、実物はそれほどでもありませんでした。また、作品の要ともなりそうな右隻の白象や左隻の鳳凰も、私にはあまり存在感があるように見えません。特に鳳凰は、その側に描かれたたくさんの鳥たちに埋もれています。むしろその左側にて、殆ど唐突に登場しているようにも思える『若冲の鶴』が際立っていました。何やら他の作品から切り出してきたかのような鶴が描かれています。あたかもこの作品が若冲のものであると言わんばかりの表現です。
それにしてもここに登場してくる動物たちはまるで置物です。若冲の描く動物たちは、いつも生き生きとした、または極限にデフォルメされた形のものが多いかと思いますが、ここにいるのはもっとどっしりとした、それこそ粘土細工のような動物でした。特に左隻の鳳凰の下で群がる鳥たちが顕著です。一部の鳥たちは鳳凰の方向を見つめながらも、何故か殆ど皆、てんでバラバラに右へ左へ向いて止まっている。またどれも恰幅の良い、とても重々しい体つきをしています。羽を開いてもにわかに飛べそうもない鳥たちばかり。お馴染みのシャープな線による、まるで体操選手のように軽快な動きを見せた動物たちもあまり見受けられません。それぞれの視線がもう少し重なり合っていえば、構図の緊張感も生まれて来るのではないかと感じました。(この辺が散漫と言われる由縁でしょうか。)確かにどこか引っかかる作品です。
次回は、第四章「江戸の画家」です。展覧会自体が終らないうちに最後まで感想をアップ出来ればと思います。
*関連エントリ
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その1・正統派絵画)
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その2・京の画家)
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その4・江戸の画家)
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その5・江戸琳派)
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その6・特別展示)
まずは、プライス氏が、日本美術を蒐集する切っ掛けともなった「葡萄図」(18世紀)からです。図版などで見る限りでは大変に地味ですが、実際にその前に立つととても良い作品でした。確かにこれならスポーツカーを諦めたというのも分からなくはありません。葡萄の木が余白を巻き込んで縦横微塵に駆け巡り、さらには精緻に描き込まれた実や葉っぱが、その瑞々しく美しい質感を巧みに表現している。若い頃の作品とのことですが、ここには若冲の類い稀な空間構成力が早くも確立しています。またくねくねと曲がりながら進む枝は、輪郭線を用いずに墨の濃淡だけで描かれていました。それが、まるで光を通すような薄く透き通った葉っぱと、同じものが一つとしてない実をぶら下げている。そう言えば葡萄の味は、同じ房に付いているものでも一つ一つ微妙に異なります。甘いもの、酸っぱいもの。この葡萄も、そんな味の違いを見事に表現してるのかもしれません。ともかくこれだけは、是非、作品に近い位置で拝見することをおすすめします。画像だけでは分からない魅力がたくさん詰まった作品です。
若冲と言えば、動植綵絵に見られるような鶏の描写をまず思い出しますが、この展覧会にも鶏をモチーフとした作品がいくつも展示されていました。その中ではやはり「紫陽花双鶏図」(18世紀)が群を抜いています。ボツボツと平面的にくっ付いた花びらや、複雑に絡み合った枝や葉。紫陽花の特徴を個性的に捉えています。特に、一目見て若冲と分かる花びらの表現は独特です。これに、また同じく一目で彼だと分かる鶏が組合わされば完璧でしょう。左側で大見得を切った雄鶏と、曲線を大きく描いて体をくねらせた雌鶏。雌は、あたかも雄から押されたかのように、後ずさりしながらその方向を見つめています。それにしてもこの雌は侮れません。真ん丸で可愛らしくも見える純情な雄の目と比べて、雌のそれは明らかに不純です。やたらに嫌らしい目つきをしています。この作品は動植綵絵の同名の作品よりも前に描かれたとのことですが、私にはこの二羽の関係からこちらの方が魅力的に見えました。
「紫陽花双鶏図」と同じような動植綵絵に似た作品としては、「群鶏図」(18世紀)と「雪中鴛鴦図」(18世紀)が挙げられると思います。「群鶏図」は「梅花群鶏図」と比べると艶やかな梅の描写がない分やや地味に見えますが、パッと見ただけでは何羽いるか分からないほどギュウギュウに押し込まれた鶴は表現です。(「群鶏図」は、首がまるで蛇のように伸びています。これは不気味です。)また、動植綵絵と同名の「雪中鴛鴦図」では、水面へ顔を突っ込む水鳥に首が描かれています。ちなみにこの首は動植綵絵では省かれていました。さすがにこれは本人がない方が良いと判断したのでしょう。この二点に関しては、動植綵絵の方に軍配を挙げたいと思います。
極限まで精緻に、また隙なく描き切ってしまうのも若冲の魅力ですが、その反面での、一見、肩の力を抜いて描いたような、即興的な作品に味があるのもまた良い部分です。その系統の作品では、卵型の鶴が12羽も並んで滑稽な表情を見せた「鶴図屏風」(18世紀)と、アニメーションタッチの鳥や人物たちが並ぶ「花鳥人物図屏風」(18世紀)が印象に残りました。颯爽とした線にて卵のように胴体を描き、そこから足や羽を軽快に伸ばした「鶴図屏風」。一部に、筋目描と呼ばれる薄墨の滲みを使った技法が冴えています。花びらが重なり合うように連なった筋目描の羽。それが、単純なフォルムの『卵鶴』の中で描かれていると、より一層浮き彫りにされていくようです。また「花鳥人物図屏風」では、ヒョイとつま先で立って遠目を見つめているような鶏や、ニコニコと笑っているようなカラス(こんなに可愛らしいカラスも珍しい!)、さらにはまるでトマトの実のような花の描写が特に印象的でした。また、動植綵絵の「蓮池遊魚図」を思わせる魚の描写も見事です。ここでは、颯爽と描かれた大きな葉が画面全体を引き立てています。まるで縄のように長くべた塗りされた鶏の尾と、その一方での葉に見られるような軽やかな筆さばき。硬軟巧みに使い分ける若冲の筆には改めて驚かされるばかりでした。
筋目描を使った技法の作品では、「芭蕉雄鶏図」(18世紀)や「鯉魚図」(18世紀)も見逃せません。力強く鋭角的に飛び上がった鯉の「鯉魚図」も見事ですが、鶏の羽もバショウも筋目描で表現されている「芭蕉雄鶏図」も魅力的です。鶏冠の部分にまでも、ドットと筋目が美しくに交じり合っている。また筋目によるバショウの質感は、一説では若冲の子(!?)でもあるという伊藤若演の「芭蕉図」(18-19世紀)でも見ることが出来ます。バショウの大きな葉に溜る露が、若冲の作品と同じように仄かに照っている。残念ながら同じバショウでも、その配置に若冲ほどのリズム感がありませんが、焼きノリを一枚一枚並べたような表現もまた面白いと感じました。ちなみに「芭蕉雄鶏図」では、バショウの葉がねじるようにクロスして、鶏もヒョイっと首を曲げながらそれを見ています。そして足元には簡潔な線で示された草が生い茂る。筋目の技法を誇示しながらも、全体の構成感に全く隙がないのが若冲です。さすがの貫禄を見せつけていました。
墨絵の「鶏図」(18世紀)の構成感もまた秀でています。まるで斬新な書のような尾を旗のように靡かせている雄鶏が一羽。彼の視線の先には獲物でもあるのでしょうか。今にも一目散に走り出してしまいそうな勢いを見せています。そしてその雄を見つめるのは、奥の雌鶏と手前にいる小さな雛鳥でした。ともに、まるで雄の急な動きに驚いたかのように振り返っています。脇役にもしっかりポジションが与えられている。こういう細かい部分の面白さも、また病み付きになる若冲の魅力の一つではないでしょうか。
ともに晩年の作品とされる「伏見人形図」(1798)と「鷲図」(1798)の二点は好対照でした。一目見ただけでは同じ作家の作品とは思えません。「伏見人形図」は、若冲が生涯描き続けた人形の姿を可愛らしく捉えた作品です。まずは、そのふくよかな人形の顔に見入ってしまいますが、彼らがあたかも画面の後方からトコトコと連なって歩いているかのような画面構成も見逃せません。また「鷲図」は、北斎の晩年の作品にも通じるような緊張感を漂わせています。線の表現に、かつての精緻さがやや見られないようにも感じましたが、思いっきりデフォルメされた波と、グイッと首を突き出すかのような鷲の動きには目を奪われました。
さて、ここまであれこれと若冲作品についての拙い感想を書いてきましたが、やはり最後にはあの作品を挙げなくてはなりません。それはもちろんこの展覧会の目玉でもあり、またにわかに若冲のシンボルともなりつつある「鳥獣花木図屏風」(18世紀)です。なんと一隻、4万個以上の升目が存在するという、まるでタイル画のような作品。西陣織の下絵をヒントにしたとも言われつつも、やはりこの時代を隔絶したような表現技法にはただひたすらに驚かされます。ちなみに私がこの作品を拝見するのは二度目です。以前、森美術館のハピネス展で見た時には不思議と全く印象に残りませんでしたが、今回はじっくりと興味深く見ることが出来ました。ともかく何故このような技法、または表現を思いついたのか。そればかりに気をとられる作品でもあります。
右隻、左隻の全体を通して見ると、色のコントラストの都合によるものなのか、動物や背景の描写がやや平面的です。空間の奥行き感があまり感じられません。図版で見ると何故か背景の青が鮮やかで、その分、手前の緑、もしくは動物たちが浮き上がって見えますが、実物はそれほどでもありませんでした。また、作品の要ともなりそうな右隻の白象や左隻の鳳凰も、私にはあまり存在感があるように見えません。特に鳳凰は、その側に描かれたたくさんの鳥たちに埋もれています。むしろその左側にて、殆ど唐突に登場しているようにも思える『若冲の鶴』が際立っていました。何やら他の作品から切り出してきたかのような鶴が描かれています。あたかもこの作品が若冲のものであると言わんばかりの表現です。
それにしてもここに登場してくる動物たちはまるで置物です。若冲の描く動物たちは、いつも生き生きとした、または極限にデフォルメされた形のものが多いかと思いますが、ここにいるのはもっとどっしりとした、それこそ粘土細工のような動物でした。特に左隻の鳳凰の下で群がる鳥たちが顕著です。一部の鳥たちは鳳凰の方向を見つめながらも、何故か殆ど皆、てんでバラバラに右へ左へ向いて止まっている。またどれも恰幅の良い、とても重々しい体つきをしています。羽を開いてもにわかに飛べそうもない鳥たちばかり。お馴染みのシャープな線による、まるで体操選手のように軽快な動きを見せた動物たちもあまり見受けられません。それぞれの視線がもう少し重なり合っていえば、構図の緊張感も生まれて来るのではないかと感じました。(この辺が散漫と言われる由縁でしょうか。)確かにどこか引っかかる作品です。
次回は、第四章「江戸の画家」です。展覧会自体が終らないうちに最後まで感想をアップ出来ればと思います。
*関連エントリ
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その1・正統派絵画)
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その2・京の画家)
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その4・江戸の画家)
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その5・江戸琳派)
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その6・特別展示)
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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流石、はろるどさん!!
「伏見人形図」と「鷲図」を同じ年、最晩年に
描いているとは私も畏れ入りました。
若冲ってほんと守備範囲が広いというか
多彩な技法を亡くなるまで持っていたのだと実感。
「鳥獣花木図屏風」については…
語りましょう。
それにしても山下先生今度出す本
ズバリ「鳥獣花木図屏風」とは。。。
コメントありがとうございます!!
>「伏見人形図」と「鷲図」を同じ年、最晩年に
描いているとは私も畏れ入りました。
そうですよね。図録を拝見して本当に驚きました。
あの守備範囲は尋常ではありませんよね。
鳥獣花木図屏風はとりあえず×と言うことで…??
早速のTB&コメントありがとうございました。
プライスコレクションの中でやはり若冲作品については気合が入りましたが、自分の記事はまだまだです
(来年の承天閣までにはなんとかしたいですね~)
ところで「鷲図」はろるどさんも北斎を想起されていらっしゃいますが、実は私も北斎と同じ系列にこの絵があることを感じました。絵からにじみ出る雰囲気といったものがこちらの想像を超越したところにあるような気がします。
やはり、ある一線をこえた芸術家には似たようなところがあるのかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
>実は私も北斎と同じ系列にこの絵
そうですね。
晩年の境地とでも言うのでしょうか。
安易な一括りは危険ではありますが、私もそんな印象を受けました。
アイレさんも相国寺でしょうか。
これは皆さんで京都へ集合ですね!!