極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

『吉本隆明の経済学』論 Ⅳ

2015年02月21日 | 時事書評

 

● 『吉本隆明の経済学』論 Ⅳ

  吉本思想に存在する、独自の「経済学」とは何か。
 資本主義の先を透視する!
 

 吉本隆明の思考には、独自の「経済学」の体系が存在する。それはマルクスともケインズと
 も異なる、類例のない経済学である。本書は、これまでまとったかたちで取り出されなかっ
 たその思考の宇宙を、ひとつの「絵」として完成させる試みである。経済における詩的構造
 とは何か。資本主義の現在と未来をどう見通すか。吉本隆明の残していった、豊饒な思想の
 核心に迫る。


 はじめに
 第1部 吉本隆明の経済学
 第1章 言語論と経済学
 第2章 原生的疎外と経済
 第3章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」
 第4章 労働価値論から贈与価値論へ
 第5章 生産と消費
 第6章 都市経済論
 第7章 農業問題
 第8章 超資本主義 
 第2部 経済の詩的構造
 あとがき
 

     第8章 超資本主義論

    2 世界認識の臨界へ
 
                                 高次化する資本主義

 ――まず鍛初に、私たちはいまどこにいるのかということをおうかがいしたいとおもいます。
  20世紀も終わろうとしているわけですが、19世紀から20世紀にかけて確立されたさま
 ざまなシステム、「近代国家」「近代資本主義」…といったものがこわれて未知な何かに変わ
 ろうとしている。その徴徴候が60年代から80年代にかけて、さまざまな局面で噴出したよ
 うにおもえます。その問題は高度資本主義という現象がいちばん重要となってくるとおもいま
 すが、まずそのあたりから……。

 吉本 いまおっしやった点だけでいうと、80年代にきっぱりと区切るわけにいかないですが、
 しいて区切ってみます。そこのところで資本主義の新しい未知の段階に入った徴候がいろいろ
 と顕著に出てきた。それが特徴ではないでしょうか。何を未知というかということです。18
 世紀の半ばころから西欧世界の先進的な地域で資本主義的な社会システムをとって、資本主義
 は興隆 期間になりますね。
 
  どこで資本主義を見ていくのか、話を単純にするため、産業の段階でいってみます。農業、
 漁業、林業など、じかに自然を相手とした第一次産業、その基本になっているのは農村、漁村
 です。初期は農村、漁村が食糧だけでなくて、同時に衣食住でいえば、衣料や住居に関する産
 業も家内工業的に処理してきたわけです。それが規模も大きくなって第二次産業、つまり工業
 あるいは製造業という形で、農村から別のところに製造工場の場所を求めて分離していき、都
 市をつくります。そこまでのイメージが、第一次産業と第二次産業、つまり農業、漁業、林業
 のような自然を相手にした産業と、製造業あるいは建設工業との分離と対立で、同時に農村と
 都市の対立のはじまりです。分業が盛んになり、また市場が設けられて製品の売買交換が行わ
 れるようになります。

 そういう段階までが、初期に資本主義と規定された社会の根本の構造だとおもうんです。

  現在はどうなっているでしょうか。先進的な社会では60年代から80年代のあいだに、第
 二次的な製造工業のなかから第三次的な産業――流通業とか、サービス業のようなもの、教育、
 娯楽、医療、情報などの産業が、人目構成では大勢を占めるようになっています。つまり農漁
 業と製造業の分離と対立ではなく、第三次的な産業がどれだけ膨張して、第二次産業と第一次
 産業を 内包したり外延したりできるかが、資本主義の課題に変貌してきました これが現在、
 未知の段階のさまざまな混乱とはじめての高度な新しい課題を産みだしている理由だとおもう
 んです。

  その未知の萌芽はもちろん第二次産業のときにすでにあるわけです。流通業、サービス業、
 娯楽教育産業、外食産業、どれをとっても、第二次産業の胎内にもうすでにあったわけです。
 でも主体はあくまでも製造業や農漁業にあり、それが枯抗して資本主義の基本のイメージをつ
 くっていました。この社会現象や、産業現象や、それに伴う文化現象のイメージがすでに通り
 過ぎたということです。この現在の段階の資本主義について明瞭な分析を加えて、この資本主
 義の実体はどうで、特長や弱点はどこにあるかという問題を解くため『資本論』をやったもの
 はどこからもあらわれていません。現在破綻に瀕している社会主義的思想は、第二次産業が興
 隆するあまり農村が疲弊し、都市では労働者が貧困にさらされ、資本だけが膨張して、という
 イメージのなかでできたものです。破綻するのは当然です。第三次産業が社会産業の中心に移
 り、その産業の中心を担う民衆が中流意識をもち、社会構成の70~80%を占めるようにな
 った現状を、どう理解すべきかという問題が、全体的に未知だとおもいます。この問題が露わ
 にでてきたのが80年代の問題です。いまあなたのおっしゃった要約点でいうならば、そうい
 うふうに理解すれば、大ざっぱにはいいのじゃないでしょうか。

  一般的に社会がどういっているか、現状はどうだということをどこではかるか、大ざっぱに
 はふたつです。ひとつは産業構造、ひとつは国家の問題です。民族国家は近代資本主義興隆期
 の産物です。近代資本主義社会が未知の段階にはいったとすれば、近代民族国家もまた未知の
 段階にはいったと考えるべきです。

  昨年来、中国やソ達や東欧の社会主義「国」で起こっている混乱の問題は、いってみれば国
 家管理社会主義の問題です。国家はそのままにしておいて、社会主義的な理念を社会システム
 に適用しようとしてきたのが国家社会主義です。つまり資本主義社会の共同幻想である国家は
 そのままにして、社会構成や生産の仕方だけ社会主義化しようと無意識にやってきたことが、
 矛盾と破綻をきたしているのだとおもいます。資本主義をよりよくしようとか変えようという
 のだったら国家を変えようというのが当然伴わなければならない。幻想性としての国家を変え
  ようということが資本主義社会を変えることだし、また産業制度としての資本主義を変えよう
  ということが社
会を変えるということですからその両方がなければちっとも終わりにならない
 んです
。その一方だけはそのままにしておいて、一方だけを変えようというふうにやってきた
 ことが、ついに極端な矛盾に到達したという問題になるのじやないでしょうか。

 ――それではさらに市場とか商品という具体的な問題でお話をうかがいたいとおもいます。先
 進資本主義社会の市場にあふれている商品というのは、付加価値性の高いものになっていると
 おもいます,商品が次々と差異化され、新たな大衆の欲望を喚起させるシステムといってもい
 いものがそこにあるとおもいます、第三次産業、第四次産業――と産業構造が高次化していき、
 システムは高次化していく一方で、われわれはある種疲れているというのが現実だとおもいま
 す 不可避的に高次化していくこととそのなかでの「疲労」ないし「停滞」ざどう考えたらい
 いのでしょうか?

 吉本 「付加価値」という言い方は経済専門家が高次産業の経済現象を説明するのに使ってい
 ます。われわれも便利だから便っています。いずれも近似的な使い方だとおもいます。つまり
 ある商品の価値概念は、マルクス経済学の方法をとっても近代経済学の方法をとっても、具体
 的な商品に対する価値概念としてあるわけです。それにもっと余計な実体にたいして加えられ
 た要素があって流通していると考えるから、「付加価値」といっているのだとおもいます。
  
  その言い方、その考え方は、ほんとうはだめなんじゃないでしょうか。たとえばぼくは『ハ
 イ・イメージ論』で価値という概念-商品の価値でもいいし、それからあなたのおっしゃる付
 加価値でもいいし、モノではなくて具体的に目には見えない価値でもいいのですが、そのすべ
 てに通用する価値概念をつくってみたくて考えましたが、中途のところでまたやめています。
 ぼくの「拡張論」とか「自然論」とかに考え方はよく出ているとおもいます。
  
  第三次産業、第四次産業、第n次産業が中心の産業になるにつれて、商品の実体、あるいは
 実体ある商品よりも、商品の眼にみえない扱い方のほうを価値構成の大きな要素として扱わな
 くてはならなくなります。これは価値の領域の枠組にたいする不安や未知であるとともに、価
 値の概念についての不安や未知でもあります。たぶん誤差や付加分がでたらそれを足しておい
 てということにはならないのじゃないでしょうか。価値概念というものをもう少し普遍的につ
 くるというモチーフがなければだめだとおもいます。

  ほんとの願望をいえば、マルクスが第一次産業と第二次産業が対立しつつあった資本主義の
 興
隆期に、資本の実体と運動を分析したのとおなじように、現在の資本を分析したいわけです。
 そうすれば
マルクスの資本主義社会の分析のうらにまんえんしだしていた結核とおなじように
 
あなたのいう高次産業のなかの疲労も正体がわかるかも知れないとおもいます。価値の枠組が
 つ
くれないために、時間の高次産業的な枠組がつくれない。その未知で不安な時間の体験だけ
 は大
部分の労働する人口がしつつあるわけです。疲労と障害は精神の働きにまんえんしますね。

  ついでだから共同幻想である国家の疲労や障害についてもいっておきましょうや。いまある
 国
家は全部19世紀的国家、18世紀的国家、つまりヘーゲル流にいえば資本主義社会のうえ
 にそ
びえた国家です。第一次、第二次産業中心時代の資本主義社会と対応する幻想性がいまの
 民族国
家です。疲労や障害のあげくひとりでに壊れていくでしょう。でもこういうふうに壊れ
 たらいい
ということが示せなければだめだとおもいます。それがいま国家社会主義いわゆるロ
 シア・マル
クス主義が当面している問題ではないのでしょうか。
  
  国家だけは旧い民族国家のまま存続して、管理機構として絶対化しながら、社会だけを変え
 よ
うとしてきた矛盾と欠陥がいま露わにでてきたとぽくには思えます。だから、もちろん黙っ
 てい
ても、資本主義社会が高度になりますと国家は消滅していきます。つまり無意識が消滅さ
 せるわ
けです。無意識が消滅させたものがいちばんいいのかどうかはわかりません。もっとい
 い消滅の
させ方は何なのかということがあるはずなんです。それはレーニン以降のマルクス主
 義ではどう
しようもないんじゃないでしょうか。それを弱点としてよく象徴しているのが現在
 の中国・ソ
連・東欧の状況だとおもうんです。

  ――とすれば、われわれは高度資本主義にどのようにむきあえばいいのですか。たとえば現在
 の高度資本主義の「加速化」といった問題はどうお考えなのですか。

 吉本 あなたの質問は、一般論として答えようがないほどの大問題から大問題へ移ってゆきま
 すね。この高度産業社会の時間の加速化に巻き込まれないために、どうしたらいいかという問
 題はいまの段階ではまったく個人的な問題になっちやうんです。つまりあなたがサボればいい
 わけでぼくだってときどき時間をみつけてはサボっています。つまり生活的、経済的に破綻を
 きたさない程度で、ときどきは社会を動かしている機械やエレクトロニクスから足を抜いて、
 勝手に遊んだり、勝手に他のことを考えたり、他のことをやっちやったりして、知らんぷりし
 てまたそういう速度のなかに入っていく。個人的に疲労や精神障害を防ぐみたいにすることが
 あるわけですね。

  それを資本主義の問題とすぐに混同してはいけないとおもうんです。
  資本主義社会の速度は大ざっぱにいえば、支配的な大きな産業が商品や情報をつくり、流や
 サー
ビスを関与させ、そして販売し回収するという速度が、全社会的な速度を決定しているだ
 ろうなと考え
るのが常識的な結論になるとおもいます。
  それをどうするんだということになれば、資本主義をどうするんだということか、逆にいか
 にその速度
に心身を慣れさせるか、どちらかまたは両方だとおもいます。つまり、資本主義機
 構が人間の社会の
発展の過程でどうしても通らなければならない部分をもつとすれば、その部
 分だけ慣れるよりほかない必然の部分です。それ以外の部分は資本主義機構がどうにかならな
  ければ解決しない部分です。産業の速度はわかりませんが、第二次産業が主体である時よりも
  第三次産業が主体の時のほうが速いということになるのかもしれないし、第四次産業はなおさ
  ら加速されるということになるのかもしれません。そうしたら、われわれが身体生理的に最適
  だと思っている速度との矛盾がますます激化するかもしれません。しかしそれを止めることは
  資本主義を肯定する限りはできない、また資本主義が進んで高度化していく限りはできないと
  おもいます。だから防御する以外にない。このことは徹底してそう考えたほうがいいとおもい
  ます。こんなもので第三次産業に主体が移っていきつつある高度資本主義が簡単に壊れるなど
  とおもわないほうがいいです。

    だから、社会のつくる速度と個々の大衆(市民)の最適な速度とがますます矛盾するかもし
  れないことは、覚悟したほうがいい。こんなものは簡単になんとかなると錯覚したら、いまの
  社会主義国が陥っているように資本主義以下の社会生活になっちやいます。
   産業経済構造の高次化ということには、システムの変化だけではなくて、マルクスのいう自
  然史的必然の部分があります。その部分はシステムを変えたって変わらないんです。第二次産
  業のところで国家を担当する政府がやめておこうといえばやまるなどとおもったら大間違いで、
  産業は自然史のように、高次化してわれわれの生理的な待ち時間にたいしてますます矛盾する
  かもしれません。

   もうひとつは、個々で防御することだとおもいます。これは個々の人の問題じやないでしょ
  うか。そのふたつが、差し当たってあなたの質問をより具体化しようとしたときの問題の中心
  でしょう。いままでの国家社会主義がだめだったということと、あれよあれよという間に資本
  主義社会は高次化していってしまうことは、誰でも漠然と感じています。しかし本格的に、ど
  う対応していかなくてはいけないかはこれから解かれてゆくことになるのじゃないでしょうか。


   〈日本〉という問題系

 ――60年代から80年代にかけて、とくに70年代、80年代において、日本の資本主義は
 非常な発展を遂げた。しかも、石油ショックのあと、世界の中で日本の資本主義だけがその処
 理を非常にうまくやったと吉本さんはお考えだとおもいますが、その原因というか、日本にお
 いてなぜそういうことがうまくいってしまったのでしょうか。そして日本がうまくいってしま
 ったことはいまお話し下さった高次化の問題とどうかかわっているのでしょうか。


 吉本 うまくいってしまったという問題は、結果的に数字が出たり世界第二の経済大国になっ
 てしまっているとか、貯蓄率からいって格段の上昇をきたしているとか、それらはすべて結果
 的なデータになりますね。簡単におさえられるところはあるとおもうんです。ひとつは、技術
 の商品化ということを巧みにやったということじやないでしょうか。技術の商品化というのは、
 技術自体が商品の価値概念に寄与する度合が格段に飛躍したということです。

  日本の技術社会の能力が格段によかったとか、それを統合するカー政策でしょうが、それが
 うまく発揮されたのだとか、もともと大工業の大技術にたいしては、それはどの適応能力はな
 いんだけれども、小規模のメカニズムの技術にたいしては、日本の技術社会はもともと適応が
 得意であったとか、そうしたいろんなことがいえましょう。そして結果として高度化した技術
 を商品化するということを、実にみごとに飛躍的に短期間にやったということに帰せられます。
 
  もうひとつは、人々が日本人は勤勉だとか働き過ぎだとかいっていることと同じなんですが、
 単位商品生産量に対して労働時間の過剰さといいましょうか、たいへん無理をしても多くやっ
 ちゃったんだということもあるかもしれない。つまり勤勉だとか働き過ぎだとかいわれている
 ものです。これはデータがありますけれども、つまり労働時間の比較をすればわかるのですが
 西欧とアメリカとはちょっと違いますけれども、おおよそそれを100とすれば、たぶん日本
 では150時間働いています。労働時間としてそうだとおもいます。大ざっぱにいえばそのく
 らい違います。結果は経済的な大国になってしまったとか、生活レベルも貯蓄率も格段の違い
 になってしまったというふうに出てきています。

  もちろん政府や国家の担当者は、われわれが優秀でよく指導したというでしょうし、資本家
 はわれわれがよく海外の市場も研究し、うまく適応したからだとか、産業をうまく指導したか
 らだとか、それぞれ立場としていろいろいうだろうとおもいます。しかしぽくがそんなことを
 いう理由はない。ぼくなどがいう必要があるのは、技術の高度化をとても短期間になし遂げ商
 品化することができた、それから労働時間がヨーロッパやアメリカの先進資本主義国に比べて
 格段に過剰で多くやったということ、そのふたつだけじゃないでしょうか。あとはぼくがいう
 必要はないとおもいます。


 ――そのような条件によって70年代から80年代にかけて、日本資本主義が高度資本主義に
 なったとすれば、吉本さんは本質的に「何か」変わったのだとお考えですか。

 吉本 要するに「何か変わった」という、その「何か」を「どこで」ということにしてみるこ
 とが重要です。いつだってそうですが、産業の構造でおさえるのがいちばんおさえやすい。つ
 まり技術の高度な商品化ができたということは、産業が二次産業から三次産業の要素が多くな
 ったということで、それが高度になって、かつうまくやったということの意味になるとおもい
 ます。
 
  そして、それがわれわれの意識にどう影響を及ぼしたか、文化的な現象としてみればどう変
 化したか、映像文化がだんだん活字文化に比べて多くなったとか、いろいろなことがいえます。
 われわれの意識の変化、あるいは世代的な意識の落差は、こういうことを派生的にいえば徐々
 に緻密に詰めていくことができるとおもいます。根本的にはそれでいいんじゃないでしょうか。
 こまかくいうには、文学的な現象、映像の現象、音の現象、などを個々にすべてやっていかな
 いといけないとおもいます。


 ――それでは少し細密に文学についてうかがいたいのですが、村上春樹が出てきたのがちょう
 ど80年初めで、島田雅彦も文学的出発はハー年なんですね。村上龍はちょっと前ですけれど
 も、村上春樹は80年代の十年間を非常に象徴する作家だったとおもうんです。そこに何かひ
 とつの精神とか文化のあり方の変容というようなことを、代表として語ることはできるとおも
 うのですが……。

 吉本 それはできるとおもいます。村上龍はもっと前からとおっしゃるけれども、村上龍が、
 文字体の作品から話体の作品へ変わって出てきたのはやっぱりそのころですね。また村上春樹
 の場合には、『風の歌を聴け』もそうだけれども、初めから文学体の作家ですね。それがある
 作品群を契機にして、それは『蛍・納屋を焼く』でも、あるいは『羊をめぐる冒険』でもいい
 んですけれども、飛躍的に現在のなかに入ってくるという形になったといえます。
  ひとくちに知識がどう変わったかとか、あるいは知的な風俗がどう変わっているのかという
 ことに鋭敏に適応してきたとおもうんです。それが無意識に作品でやれた。それが「何か変わ
 った」という「何か」をよく象徴しています。第三次産業の主流化とともに大量にでてきた大
 衆的知識の層にまさにアピールできるように入りこむ表現が両村上によって充たされたという
 ことじゃないでしょうか。それは決して知識のいちばん高度な層ではなくて、知識の大量層で
 す。いわば現在の中流意識を形成している70~80%の部分でしょう。

  それは文学を文化現象としてみるときには重要なことです。いままでの社会構成だったら、
 上に知的な層があり、空隙を中間において大衆層――知でない層があって、知でない層と知的
 な層とは文化への関心や風俗への関心もそれぞれ違っていたというふうになっていたものが、
 両方からずっと接近してきて、ここにひとつの帯をつくってしまった、ということだとおもい
 ます。その帯を文学がどうやって捉えたかということが両村上の文化現象になるとおもうんで
 す。現在でも文化現象の裾野にひらかれた大衆の層はありますし、一方で文化現象の頂点に近
 いところで高度な知的な層もあるでしょうが、たぶん統計的にいえば数が少なくなっていると
 おもいます。

  技術の商品化が短期間にうまくなし遂げられたという問題と、産業が高次化して第三次産業
 を主流におしあげたということと、それから知的な大衆層が量のいちばん多い層として形成さ
 れてしまったということは全部関連しています。それが総体的に「何かが変わった」というこ
 との内容をなしています。


 ――その帯のところにそうした作品群ができあがった過程に「映像」とか「イメージ」という
 ような問題、感覚、それは単に文字文化と映像文化ということではなくて、像としての〈知〉
 といった問題に変わってきたような〈知〉のあり方がかかわっているということはあるでしょ
 うか。

 吉本 そうだとおもいます。イメージを広い意味に拡張しますと、産業構造から商品の構造ま
 でつまりあなたのいう付加価値というのも含めた商品、そういう商品の構造から、もちろん具
 体的な農村の構造とか都市の構造とか、それ全部がイメージ化の作用を受けているとおもうん
 です。だから、イメージ化の実体をつかまえていかないと未知なことがおおいのです。

 ――それは、他のジャンル、たとえば映画とか演劇などにも同じような問題がみられるのでし
  ょうか。

 吉本 大ざっぱにいってはいけないとおもいます。映画とか演劇は、イメージの拡がりと高度
 化を最先端で表現しています。いまの映画と演劇が、この動きからつかまえられなかったらど
 うにもならないとおもっています。
  70年代だったらさだまさしとか井上陽水とか、ソロのミュージシャンが主体で新しい大衆
 的音楽をつくっていったわけでしょう。いまの新しい大衆的音楽は、ひとつはロッキングしち
 やうということ、もうひとつはグループ的ですね。つまりソロシンガーというような形で新し
 いミュージシャンが出てくるというよりも、四、五人で、背景が動き回ったり踊ったりという
 演劇的な要素、映画的要素、そういうものを含めて出現してきている気がします。アイドル歌
 手みたいな限られた世界ではソロのシンガーとして出てくることもあります。でもソロのシン
 ガーとして出てくるというのは一般的にすくなくなってきているのではないでしょうか。

                          中沢新一 編集 『吉本隆明の経済学』


ここでは、産業の高度化の不可避生をマルクスの哲学と重ね語っている。「〈日本〉という問題系」で吉本は
「技術の高度化をとても短期間になし遂げ商品化することができた、それから労働時間がヨーロッパやアメ
リカの先進資本主義国に比べて 格段に過剰で多くやったということ、そのふたつだけじゃないでしょうか。
あとはぼくがいう 必要はないとおもいます。」と、さらっと流したしているが、「(日本人の)センスの良さが
特徴的な技術の高度発展を促した」との補足説明が欲しかったと思ったが、どうだろう?

例えば、下図の温水洗浄便座は周知の通り、洋風便器に設置して温水によって肛門を洗浄する機能
を持った便座。商標の普通名称化により「ウォシュレット」や「シャワートイレ」などの呼称で総称して
いる場合があるが、ウォシュレットはTOTO、シャワートイレはINAX(LIXIL)の
商標であるが、日
本ではこの温水洗浄便座を装備した便器が増加しており、現在の普及率は70%
程度に達する温水洗
浄便座は、米国で医療・福祉用に開発された。日本では1964年に東洋陶器(現:TOTO)がアメリカ
ンビデ社(米)の「ウォシュエアシート」を輸入販売開始したのが始まりとされる。その後、ライ
バルの伊奈製陶(ina)も1967年に国産初の温水洗浄便座付洋風便器「サニタリーナ61」を発売(
1976年にはシートタイプ(便座単体タイプ)の「サニタリーナF」を発売)、TOTOも1969年に国産
化に踏み切っているものだが、本家の米国を上回る付加価値と性能をつけ普及している。これは半
導体技術の発展は日本の浮世絵の産業構造によりさせられことを、中沢新一は「春画か技術か」と
問い直し考察しているところでもあり、「第二の敗戦」の象徴である"半導体不平等協定"のように
本家の米国政府により骨抜きにされた上、半導体の開発研究機構を模倣再輸入されているものの、
これなども日本のセンス良さ(文化歴史的後背力)が技術的発展に貢献した事例だと思っている。


 

                                                     (この項続く)        

 

 

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