函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

人は死して何のを残すか

2017年10月11日 09時41分30秒 | えいこう語る

▼函館市町会連合会の会長さんたちも高齢だ。定期総会には、毎年数人が黙禱の対象となる。「来年の市外研修も一緒に行こう」と言って、数ケ月後に旅立った会長、輸血を繰り返し、まるで吸血鬼のようだといっていた元気で博学の会長も、あっという間に旅立った。長い間社会に貢献し、人生の最終章に町会長として地域に奉仕する人たちは、言動の端々に、個性的な魅力を感じさせるものを潜ませている。

▼先日、市町連のある部会で、私と2年間行動を共にした、T会長が亡くなった。私より9歳上だが、保守的な感じのする会長さんたちの中で、新たなものに挑戦しようとする意気込みが感じられた。私はその部会のトップで、Tさんは副を務めていた。統計を重んじ、理論的で、かつチャレンジ精神旺盛だったので、Tさんの考えを尊重し、研修会などの仕切り役も頼んでいた。

▼2年後、私は他の部署に移り、Tさんがそのトップになった。トップになり、会議では自分の主張を遺憾なく発揮していた。だが、1年後に入院しすると同時に、会長職を辞退した。それから数ヶ月後の訃報だ。葬儀会場入口に、若い頃の美男子だった写真が飾られていた。そこに置いていた、写真を見て私は驚いた。

▼Tさんは,能の観世流のシテを演じていたのだ。シテとは能面をかぶっている演者で、幽霊・神・草花の精を演じる。ワキとは面を付けずに演ずる方だ。舞台には橋掛かりがあり、あの世と現世をつなぐ役割をする。シテ方を演じたTさんは、今考えれば、実は冷静に私たちの言動を分析し、発言し行動していたように思う。

▼『能』とは、能力、能書き、技能などに引用される言葉だ。自分が能を演じているというのを、私たちに伝えてくれてもよかったのではないか。亡くなって思うのは「人間とは何ぞや」という問いかけの中で、町会連合会の在り方を問う、存在の会長であった欲しかった。・・・でも、こんな言葉がふと浮かんできた。『能ある鷹は爪を隠す』だ。

▼奉仕の精神にあふれた、実に味合い深い会長さんたちが次々浄土へ旅立っている。その会長さんたちの前で、浄土の蓮の池の中に立つ能舞台で、演じるT会長のりりしい姿が目に浮かぶ。選挙カーが走り回る、喧しい混乱の世の中の現世を眼下に、見事な出来栄えを披露するT会長の姿だ。

▼『能』の能書きについて、町会長研修で語ってほしかったというのが、私の残念さです。浄土の舞台での、シテの完成を期待しています。                            合掌

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