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教育改革とユダヤ教育 4

2009-07-04 15:30:48 | 歴史

日本人とユダヤ人の間にはとても大きな超えられない溝として、一神教の問題が横たわっている。

ユダヤ人は教育を神に近づく行為だととらえている。

神に近づく行為をしながら、彼らはなぜあれほどまでに金銭にこだわるのか。

彼らの聖典である旧約聖書には確かにお金から利息を取ることを認めている。
このようなことはキリスト教にもイスラム教にもなかった。

しかし実際に旧約聖書を読んでみると、
『あなたの同胞からは利息を取ってはならない』と書いてある。
利息を取って良いのは『異国人』からだけである。
つまりユダヤ人からは利息を取ってはならないが、ユダヤ人以外からは利息を取って良いのである。
(旧約聖書 申命記 23-20)

こんなことは差別ではないかと我々日本人なら思う。

ユダヤ人には自分たちが特別すぐれた民族であるとする思想がある。
これを『選民思想』というらしいが、選ばれた民族という言葉の意味だけは我々日本人にもわかるのだが、本当のところこれが何を意味しているのかというと我々にはサッパリわからない。

わからないなりにこれを受け入れないことには、
『ユダヤ人からは利息を取ってはならないが、ユダヤ人以外からは利息を取って良い』とするユダヤ人の考え方がわからないのである。

選民思想とは、自分たちだけが神から救われる民族なのだ、ということなのだ。
逆にいえば異民族は神から救われない民族だからどうなっても構わないということになる。

差別ではないか。
いやまさに差別なのである。

我々日本人から見ると冗談のような差別なのだが、
世界金融のなかで今実際に起こっていることはこういうことなのである。
リーマンブラザース証券だけが逃げ遅れて倒産したが、ユダヤ資本はしっかりと生き残っている。
世界中の『異民族』から金を集めて、そこから巧みな金融操作で、莫大な利益をふところに入れているのがユダヤ金融資本である。

彼らはそんなことをして心が痛まないのだろうか、と我々日本人なら考える。

ところが心が痛まないように旧約聖書にはそのことが書かれてあるのだ。

自分たちだけが儲かればいいという選民思想とは恐ろしいものである。

我々はこのような世界経済のなかに投げ出されている。
アメリカ人(ユダヤ人)はそのことをグローバリズムとして何か良いことででもあるかのように日本に押しつけてきた。
90年代の金融ビッグバンとはそういうことであった。
そしてその仕上げが郵政民営化であった。

これだけ人の金を巻き上げて平然としていられるのも『選民思想』があるおかげだろう。

ユダヤ人がこれだけ人を差別しておいて平然としていられるのは、彼ら自身が差別された民族だからである。

一神教の裏にはとても強い差別がある。

そんなことをいうとキリスト教を愛の宗教だと考えている日本人はまさかと思うかもしれないが、心理学者の岸田秀氏は
『一神教というのは奴隷の宗教というか、迫害され、差別された人々の宗教だというのが僕の考えです』と述べている。
(一神教VS多神教 岸田秀 新書館 P54)

『一神教というのは、好ましくない状況、屈辱的状況に追いつめられて、そこからの逃避として唯一絶対心にしがみつくということだと思います。』
(一神教VS多神教 岸田秀 新書館 P52)

マックス・ウェーバーも『ユダヤ民族はパーリア民族()である』といっているし、『ユダヤ教の神ヤーヴェは戦争神である』とも言っている。
(古代ユダヤ教 マックス・ウェーバー 岩波文庫 P19 P215)

また歴史学者の本村凌二氏はユダヤ人の『出エジプト記』について次のように述べている。
『かつて自分たちは奴隷でありそこから選ばれた民として脱出し流浪したという、艱難辛苦の物語であった。』
(多神教と一神教 本村凌二 岩波新書 P100)

つまりユダヤ人はであり、奴隷であったからこそ、自分たちだけが選ばれた民であると信じることによって生き延びてきたのである。

『果てしない艱難辛苦は人々にみずから思い悩む意識を突出させるのである。もはや神々の声は聞こえなくなり、神格は人間の手の届かない超越した存在となってしまう。唯一神をあがめる宗教の確固たる集団が姿をあらわすことになる。それがユダヤ教という一神教の成立である。』
(多神教と一神教 本村凌二 岩波新書 P182)

そしてこの唯一神は戦争神であったのである。
旧約聖書の出エジプトからカナンの地にはいるまでの物語は、
ユダヤ民族が戦争神ヤーヴェのもとに結集し、すでにそこに住んでいた異民族を次々と殲滅していく物語ともとれるのである。

一神教の裏にはこんな悲しく、残酷な話がある。

ユダヤ人にとって自分たちが選ばれた民であるということはなくてはならないことだったのである。
この信仰がなければ戦うことができなかったのである。

選民思想というのは戦いの思想でもある。

ユダヤ人は今世界中に散らばっても、この選民思想を持ち続けている。

交通機関の発達や通信技術の発達は、世界中に散らばっている民族にとってこそ、最も有益なものである。
今や世界金融は通信技術の発達によって瞬時に世界中を駆けめぐることができる。

そのような世界システムとユダヤ人のもつ選民思想がはたしていかなる折り合いをつけることができるか、それが今最も重要な世界的課題となっている。

アメリカウォール街は世界金融の中心である。そこで働いているのは多くはユダヤ人である。
ウォール街が強欲資本主義といわれるものの実態は実は選民思想である。

グローバリズムとは、世界中に散らばっている選民思想の持ち主にとって、最も金儲けのしやすい環境を提供することである。

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