ひょうきちの疑問

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2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

第二次世界大戦の不思議 ドイツのポーランド侵攻

2024-02-14 21:41:54 | 歴史
【第二次世界大戦の勃発】 イギリスとドイツがなぜ戦っていくか。それを見ていきます。
  ドイツは1930年代、スペイン内戦に対してフランコ将軍側を応援した。イギリスとアメリカは、このスペイン内戦に不干渉です。「オレは干渉しないよ。いいようにして」と言う。
そしてドイツとイタリアが同じ方針で仲間になります。これを首都の名前を取って、ドイツはベルリン、イタリヤはローマですから、ベルリン・ローマ枢軸といいます。1936年です。

 そして翌年の1937年に、日本とドイツが接近します。これが日独伊防共協定です。
 なぜ日本が入ったのか。仮想敵国つまり一番戦う危険のある国はどこか。「共」を防ぐの、共とは何か。共産主義です。つまりここでの共通の敵はソ連です。
 敵はアメリカではない。アメリカはぜんぜん出てこない。アメリカはノーマークです。「敵はソ連だ」といってドイツはソ連を警戒する。
 このときドイツのヒトラーは、驚くことにノーベル平和賞にノミネートされているほどですから、極悪人というイメージはありません。ノーベル賞はとらなかったけど。ここらへんがこの戦争の不思議なところです。ノーベル平和賞候補者が第二次世界大戦が終わると極悪人になるわけですから。

 翌年の1938年3月には、ドイツはオーストリアを併合します。ドイツの隣の国です。オーストリア人はドイツ語をしゃべってる。ドイツ人もドイツ語をしゃべってるんです。つまり同じドイツ人なんです。それですんなりいく。
 それにしてもイギリスは不気味です。何も干渉しない。
 昔、この時のオーストリアを舞台にした映画に「サウンド・オブ・ミュージック」というのがありました。有名な映画ですが、君たちは知らないかも。アメリカ映画ですけど。ここでドイツは、ロスチャイルド財閥のウィーン分家の当主を拘束します。

 半年後の1938年9月には、ドイツでミュンヘン会談が行われて、「ドイツに干渉しない」という事をイギリスとフランスは話合い、正式に決定する。これを宥和政策といいます。「ドイツが同じ民族を併合しようが、イギリスとフランスには関係ない。同じ民族自決だからそれでいい」というわけです。

 すると、さらにドイツは領土を広げます。ドイツは20年前、第一次世界大戦に負けたときに領土を削られました。そのチェコスロバキアの領土になった中にドイツ人が沢山住んでる地方があった。そこをズデーテン地方と言います。民族自決がオーケーだったら、「ここもドイツだ」ということになる。ドイツはそこを1938年9月に併合します。
 この時にも、イギリスとフランスは「われ関せず、ああそうですか」という感じです。宥和政策を決定してるからです。まるでドイツの進出を誘発しているかのようです。

 この1938年に、実はアメリカは・・・・・・アメリカはニューディール政策で景気が回復しているような説明がされていますが・・・・・・逆に「ルーズベルト恐慌」といわれる深刻な不況に陥ります。GDPがマイナス10%に落ち込みます。
 実はルーズベルトのニューディール政策は失敗しているのです。アメリカは経済再生を目指して、別の道を模索しはじめます。アメリカ経済はこのあと、日本との戦争経済によって復活します。

 翌年の1939年5月には、日本とソ連の紛争であるノモンハン事件が起こります。
するとアメリカは、そのノモンハン事件の最中の1939年7月26日に突然、日本に対して日米通商航海条約の破棄通告を行います。そして翌年の1940年1月にこの日米通商航海条約は失効します。なぜ日本にそんなことをするのか。
 潜在的には1920年代のワシントン会議から、ずっとアメリカによる日本潰しの兆候はありました。四カ国条約を結んで日英同盟を廃棄させた。そういう潜在的なアメリカの動きはあったのですが、ここでアメリカのホンネが一気に表面化したわけです。

 さきほどのスペイン内戦では、ドイツソ連が敵対してスペイン内戦で戦いましたが、この戦いは1939年3月にドイツが勝った。
  するとソ連は「これはドイツと手を組んだほういい」と、1939年8月23日には独ソ不可侵条約を結びます。不可侵というのは「戦争しません」ということです。ドイツとソ連はここで手を組んだのです。

 世界はその時の事情で動いています。この時ソ連は東のノモンハンで日本と戦っているから、西では戦えない。二面作戦は不利です。だから西にあるドイツと不可侵条約を結んで、ソ連は西の守りを固めた。ドイツはドイツで、ソ連を叩くにはまず西のフランスを叩いておかなければならない。そうしないと西のフランスと東のソ連との挟み打ちになる。それは避けたい。だからここは一旦東のソ連と不可侵条約を結び、ドイツは東の守りを固めた。ドイツのヒトラーは防共協定よりもソ連に対する東の守りを優先したわけです。これに驚いた日本の平沼騏一郎内閣は、総辞職します。

 下の地図にあるように、第一次世界大戦に負ける前のドイツの領域は、これ(黒線)だったんです。

 ▼第一次世界大戦前後のドイツ国境


 翌月の1939年9月1日、ドイツ人の住む地域を併合していいんだったら、「以前ドイツであった地域も当然併合してよいだろう」とドイツポーランドに侵攻する。ここはたった十数年前までドイツ領だったところです。
 すると2日後の9月3日に、突然イギリスとフランスがドイツに宣戦布告する。これが第二次世界大戦の始まりです。

※ ヒトラーはベルサイユ条約によって不当に奪われたドイツ領の回復を目指していました。武装が禁じられていたラインラントへの進軍から始まって、同じドイツ民族国家であるオーストリアとの合併、チェコ・スロバキアのドイツ系住民の居住地域であるズデーテン地方の併合などを経て、最後の領土回復要求であるポーランドとの交渉に臨んでいました。
 ヒトラーの要求は極めて寛大でした。実質的な領土回復要求はバルト海に臨む港湾都市ダンチヒの返還のみでした。住民の9割がドイツ人であるダンチヒはポーランドに使用権がありましたが、国際連盟の管理下にあった国際都市です。その他は、ドイツからポーランドに割譲されたポーランド回廊におけるハイウェーと鉄道の建設でした。ドイツの飛び地である東プロシャとドイツ本土の間に位置する回廊における両者を結ぶ輸送路の建設で、ポーランド回廊のドイツへの返還ではなかったのです。
 この寛大な要求をポーランドが呑めないはずはありません。しかし、ポーランドは最後まで妥協しなかったのです。それには訳がありました。英仏がポーランドの安全を保障していたのです。つまり、ポーランドがヒトラーから侵略されれば、英仏はポーランド側にたってヒトラーと戦うといういわば白紙委任状でした。ポーランドは英米による独立保証を基に、ヒトラーに対し不相応な強硬姿勢をとったのです。英仏に加えてアメリカのルーズベルト大統領からも強力な応援がありました。
 ルーズヴェルトもヒトラーとの戦争を決めていました。・・・・アメリカの強い援軍を得て、ポーランドはドイツを不必要に刺激する挑発行動をとりました。ポーランド回廊のドイツ系住民の迫害・虐殺です。1939年9月1日のドイツによるポーランド侵攻の直前には、約6万人のドイツ系住民がポーランド軍などによって惨殺されました。ヒトラーにポーランド侵攻決断の最後の一押しになったのが、ドイツ人の虐殺だったのです。自国民保護という国際法上の大義名分でした。
 ドイツのポーランド侵攻の2週間後には、独ソ不可侵条約秘密議定書(1939年8月23日締結)に従い、スターリンのソ連がポーランドに侵攻し東半分を占領しました。ところがドイツには宣戦布告した英仏は何故かソ連には宣戦布告しませんでした。ポーランドの独立を保証していたにもかかわらずです。この歴史の謎は解明されてしかるべきでしょう。(「ウクライナ紛争 歴史は繰り返す」 馬渕睦夫 著 WAC出版 序章より P3 2022.5月出版(抜粋))


 これを聞いてヒトラーはビックリした。「なぜだ。今まで言ってきたことと違うじゃないか」と。
 それで、ヒトラーはアメリカのルーズベルト大統領に仲介を頼もうとした。ヒトラーが「イギリスと握手できるように仲介してください」と頼むと、ルーズベルトは知らんふりです。

 さらに第二次世界大戦の勃発で不思議なことは、約2週間後の1939年9月17日に同じようにソ連ポーランドに侵攻します。でもイギリスとフランスは、ソ連には宣戦布告をしないのです。
 ドイツがポーランドに侵攻したのが悪いのなら、ソ連がポーランドに侵攻したのも悪いはずです。だからドイツに宣戦布告したのだったら、ソ連にも宣戦布告しないと理屈が合いません。

 しかしイギリスはソ連とは戦争をしません。イギリスはドイツにだけ戦争を仕掛けます。しかも翌年にはソ連は、バルト三国のリトアニア、ラトビア、エストニアをも侵略します。それでもイギリスはソ連に宣戦しない。この理屈の無さが何なのかというのは、まともに考えても分かりません。つまり戦争の原因とされるドイツのポーランド侵攻が、この戦争の真の原因ではないのです。

 侵略度合いは明らかにソ連が大きいのです。しかしイギリスはソ連の行動には見て見ぬふりで、ソ連には宣戦布告しなかった。これがドイツとソ連のどちらにも宣戦布告するんだったら分かりやすいのですが、これではドイツ叩きにしか見えない。なぜこうなるのか、よく分からないのです。

 イギリスが「ドイツがポーランドを侵略したから宣戦布告した」と言うのであれば、同じようにポーランドを侵略したソ連にも宣戦布告するのが当然なのに、そうはなりません。ここらへんがこの戦争の分からないところです。でも歴史には理由があるはずです。必ず別の理由があるはずです。

 こうやって世界では、1939年9月第二次世界大戦が始まります。

 日本は、このヨーロッパでの第二次世界大戦の勃発に対して、「これは日本とは関係のないヨーロッパでの戦争だ」として「大戦不介入」つまり戦争には参加しないことを、はっきりと対外的に表明します。

 さらにイギリスは、ポーランドに侵攻したソ連と、2年後の1941.7月に英ソ軍事同盟を結んで仲間になります。これはますますおかしいことです。こうやってドイツは孤立していきます。




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