ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

人を刺すのは、自分の命を軽んずるから

2008-07-29 16:59:05 | 教育もろもろ

青少年の心が乱れている。
通り魔殺人はもとより、人を簡単に殺していくのは、自分の命に対しても何ら重みを感じていないからである。
命の重みが失われつつある。
自分の命に価値がなければ、他人の命にも価値を感じられなくなる。
だから簡単に人の命を傷つけ、殺していく。
いくら『個性』尊重といっても、個性そのものにどんな意味があるのか分からない状況では、命の価値など生まれてくるはずはないのだが、
今の日本の状況では無意味な『個性』の乱発が、子供たちをますます意味不明の世界のなかに追い込んでいる。

国民にとって国民主権は他人事ではないのか

2008-07-29 10:57:29 | 歴史

国民主権だからといっても、今の高校生たちの疑問は(大人もそうかもしれないが)なぜ自分が政治にかかわらなければならないのかということである。

政治なんかにかかわるよりも、恋愛もしたいし、旅行にも行きたい、政治どころではない、というのが本音であろう。

もっともな感覚だと思う。

日本人にとって政治は遠い。

国民は自分が聖化された人間だとは思っていない。
日本には西洋のプロテスタンティズムのような宗教がないからそれももっともなことである。

逆に自分のようなものが政治にかかわることは恐れ多いことだと考えている。
通常は自分には関係ないという政治的無関心なのだが、その無関心の裏には、自分が神様と結びついていないという感覚がある。

国というものが神様と結びついているのだとすれば、国民主権の場合は一人ひとりの人間が神様と結びついていなければならない。
日本にはそれがないのである。

仮にそれがあったとしても、日本の場合にはさきにも言ったようにキリスト教のプロテスタンティズムのような宗教がないから、日本の伝統的な宗教によって国民主権の考え方を国民にもたらすことはむずかしい。

わずかに日本の神道は国民を国と結びつける機能があったのだが、日本人の多くがそのような宗教観念を失っている今日ではそれを復活することもむずかしい。

国民の宗教離れは、よりいっそう政治の暴走を加速させる方向に向かっている。

オーム真理教のような宗教は国民と国家を結びつけるような機能は持ち得ないでいるばかりか、地下鉄サリン事件に見られるようなテロ行為によって国家を転覆させる方向に向かっている。

国はいつでもどの時代でも宗教と結びついているものであるが、
日本の国民は宗教と結びつくきっかけさえ失いはじめている。

そのことがさらに国民の政治的無関心を高め、国家の暴走を加速させている。

そこから小泉政治のような大衆誘導型の政治が生まれてくる。
政治家にとって政治に関心のない日本人を大衆誘導することは簡単である。
小泉純一郎は神への恐れもなくそのことをやってのけた冷酷な政治家である。
そのような政治体質は、ひとり小泉純一郎だけではなく、多くの政治家、多くの官僚たちの共通して持つ政治認識になりつつある。

王と将軍 本地垂迹説との類似

2008-07-28 06:43:09 | 旧世界史7 中世ヨーロッパ

日本の第1権力である王(天皇)は、中世以降は自分で権力をふるうことをせず、自分の下士官として征夷大将軍を任命し、政治の実権を委ねた。

しかしそうやって成立した幕府政治は、絶えず天皇の意向に制約され、朝廷の動向を気にせずにはいられなかった。

そういう意味では中世以降も日本の第1権力は天皇だったといえる。
この天皇が、征夷大将軍の権威の源だったからである。

こういうところが、本地垂迹説の神と仏との関係に似ている。
本地垂迹説とは、日本の神は仮の姿であり、その実体は仏であるとするものだが、本物は絶えず表面的な権力者の後ろに構えていて、表面上の権力に影響を与えているとする日本の政治思想と似ている。
そして政治の背後に控えている者こそが、究極者とのつながりを持ったまま、政治の安定に対して目を光らせているから、日本の政治的安定がもたらされているという感覚を国民に与えている。

天皇が絶えず幕府政治に対して批判的な目を光らせていたことが、幕府政治の暴走を防ぐことにつながっていたのである。

日本にヨーロッパのような政治権力者の暴政が少ないのはこのような政治構造と関係がある。

ところが日本は明治以降になって第1権力である天皇がその政治的発言権を失っていくに従って、好戦的になり、多くの戦争を仕掛けていくようになり、昭和になるとその政治的暴走を食い止められなくなり、ついには太平洋戦争で国を崩壊させるところまで行き着いてしまう。

軍部の暴走は政治に対する慎みがなくなり、政治を何でも自分の思うように操れるとする傲慢な態度を国自身が食い止めることができなかったところから生じている。

第2権力に過ぎないものが第1権力のような顔をして政治を操るところからこういう事態が生ずる。

このような構造は基本的には戦後の日本も変わっていないように思える。

自我を放置すれば『いじめ』が起こる

2008-07-26 10:17:03 | 教育もろもろ

学校というところは、教師が指導力を失えばいじめが起こるようになっている。
学校は子供が気のあった仲間同士集まるところではない。なかば強制的に同年齢のすべての子供たちを一つの教室に入れるところである。私はそれがいけないと言っているのではない。

しかしそうした場合には教師の指導力が必要になる。その点を強調したいだけだ。
なぜならそんな当たり前のことが今忘れられているから。

緊急提言 地方の中学校は悲鳴を上げている

2008-07-25 19:44:04 | 教育もろもろ

中高一貫校が設立されたときからすでに予測されていたことだが、
今、地方の中学校は大変なことになっている。

私の知る地方の中学校は、成績上位層がごっそりと県中央部の中高一貫校に入学してしまい、本来行くはずの地方の中学校は、成績上位層がいないなかで、授業が成立しないほどの混乱ぶりを示している。

授業を聞かないのは当たり前で、授業中教室内をうろうろ立ち歩く生徒が当たり前のように見うけられるのである。これでは授業は成立しない。

さらにこれに輪を掛けているのが『ゆとり教育』以来の指導法の変化である。
授業中うろうろ立ち歩くような生徒を前にして、『生徒の自主性』が尊重されるのである。
教師たちはそういう子供に対して強制的に席に着かせることもせず、『生徒の自主性』を尊重しているのであるから、生徒たちが教師の言うことに従うはずもなく、学校は乱れに乱れる一方である。

その結果、子供たちの世界がどうなったというと、学校は無法地帯と化し、子供は自分で自分の身を守るしかなくなっている。
どういうことかというと、例えていえば、今の子供たちにとって学校とは、暴力団が支配するなかで、それを取り締まるべき警察官がいないような状態なのである。

教師はすでに子供に対して制裁権限を失っているから、教師に反抗することは子供にとっては朝飯前である。
では誰が教室のルールを決めるかというと、それは教師ではなく、子供たちのなかで幅をきかす生徒が、暴力的手段をもちいて教室内のルールを決めていくのである。
もちろん表立っての暴力が禁止されているのは子供にも分かり切ったことであるから、表面きっては暴力的手段を用いることはない。
それと分からない方法で、暴力的手段を用いるのである。
それは言葉による暴力であったり、徒党を組んだ集団による個人攻撃であったりする。

だから子供たちはいつも怯えている。みんなと違った行動をとるものはすぐにはずされる。そして学校に行けなくなってしまう。
一人ひとりの子供と話してみるとその多くは常識的ないい子なのだが、それが集団にはいったとたんに、暴力集団の一員になってしまう。そうしなければ生き残れない状況が生まれている。

子供たちは今校門をくぐったとたんに身構えながら学生服のボタンをはずしている。昔でいえば不良の仲間入りをしなければ生き残れないのである。

こういう意味で文科省の方針は二重の意味で、今の学校教育を混乱させいてる。

一つは、中高一貫教育による学校間格差の問題である。
もう一つは、『個性の尊重』という新学力観によって、子供たちの暴力的傾向に歯止めを掛けられなくなったことである。

地方の中学校の底辺校では、すでに勉強どころではなくなっている。
地方の中学校と中高一貫校というエリート養成校との『格差』は拡大する一方である。

(といっても中高一貫校は中高一貫校で問題を抱えているのだが。それは勉強一辺倒になりすぎていることである。ものすごい量の課題が学校から出され、生徒たちは夜の12時過ぎまで、毎日毎日それらの課題をこなしていかなければならない。いわば今まではほんの一握りの有名私立中高一貫校の手法が、全国の中高一貫校に導入されているのである。
私は中学生の段階からここまで勉強一辺倒の教育をすることははなはだバランスを欠いたことだと思う。
その一方で地方の中学校は勉強が成り立たないから、それを食い止めるために部活動での指導に力を入れている。しかしその部活動も徹底したもので、生徒たちは休日もなく、夜遅くまでのべつまくなく部活動に従事させられている。
中学校の多くは部活動での実績を出すために、専門の外部講師を依頼して、部活動の指導にあたらせている。外部講師は外部講師で部活動のことだけを考えて指導するものだから、学校全体の教育活動としてはこれまた著しくバランスを欠いたものになっている。ここでは子供たちは部活動に追いまくられることになる。
しかも学校は、こちらから頼んで外部講師を依頼したものだから、外部講師の部活動指導の行き過ぎに対して、管理職といえども口をはさむことができなくなっている。
教員免許を持たない外部指導者によって教育活動の一端を担わせるということは、このような形で教育活動の空中分解をもたらす。こういう形で今の中学校は全体としての統率がとれなくなりつつある。
つまり今の中学校は、勉強だけさせる中学校と部活動だけさせる中学校とに2極分化し、その中間がなくなっている。その中間こそが本来の中学の姿であったはずなのにである。)



その中学校では昨年末までは教師たちの努力により、乱れ行く学校に対して必死にそれを食い止めてきた。
どうにか立ち直るかに見えたとき、新一年生として入学してくる子供たちは、それまでにもまして成績上位層がごっそりと中央部の中高一貫校に逃げてしまい、新一年生はクラスの核となる生徒がいないなかで、すぐに学級崩壊の様相を呈してきた。そうなるまでに多くの時間を要しなかった。
一学期が終わる前に学校の異常な様子がうわさ話として保護者たちの耳に入り、夏休みにはいると同時に学校は地区保護者会を開催して保護者の協力を要請しはじめた。
その席で、校長自ら『今の学校は異常事態だ』と認めざるをえなかった。

もちろんこのような事態は地方の中学校だけの問題ではない。
中高一貫校は地方と大都市圏とを問わず設立されているのであるから、このような事態は日本全国至る所で起こっていることである。

義務教育段階でこのような学校間格差が発生していることが、将来の日本にどのような悪影響をもたらすかということを、今本気で考えなければならない時期に来ている。

文科省はこういう事態を見て見ぬふりをしているが、これはすぐにでも手を打つべき緊急の課題である。これは一中学校の努力でどうにかできる範囲を超えている。

王は第1権力である

2008-07-24 18:34:58 | 旧世界史1 古代中国

王は第1権力である。
神が究極の存在であるとすれば、王はその神からまっ先に権力をもらった人間である。ここでいう第1権力とはそういう意味である。

宰相(首相)というのは王から権力を譲り受けた第2権力に過ぎない。

大統領というのは国民から選ばれた副次的な権力者に過ぎない。これも第2権力である。この場合の第1権力は国民自身になっている。

インドのクシャトリア階級は一般には王と訳されるが、インドの第1権力はクシャトリアではなく、バラモンである。
バラモンは神に仕え、神への儀式を執り行うものとして神からまっ先に権威を授かっていた。インドの王(クシャトリア階級)はこのバラモンによって聖化されなければ王として認められなかった。

近代民主主義というのはこの第1権力によって政治をおこなうシステムではない。
近代民主主義の政治の頂点に立つのはあくまで第1権力によって選ばれた行政官である。
戦前の日本では天皇から選ばれた行政官としての首相がいたが、戦後の日本ではあくまで首相は国民から選ばれたものになっている。

ある人間が第1権力となって政治をおこなう場合には、その政治上の誤りを正す機能が失われる。

中国の皇帝はそういう意味では典型的な第1権力である。

これに対し中世ヨーロッパの皇帝は正確な意味での第1権力ではない。
『教皇は太陽、皇帝は月』という言葉に象徴されるように、中世ヨーロッパの第1権力は皇帝ではなく、ローマ教皇であった。

神から直接権威を与えられたものとして教皇が存在し、神聖ローマ皇帝はローマ教皇からその存在を聖化されることによってはじめてローマ皇帝たりえたのである。
そのための儀式がローマ教皇による戴冠(ローマ教皇がローマ皇帝に冠をかぶせること)という儀式であった。
ここではローマ教皇こそが神から直接権威をもらった第1権力であり、ローマ皇帝はその教皇から副次的に権威を与えられた第2権力に過ぎない。

政治の世界で安定をもたらすには、究極の存在である神と第1権力が結びついていなければならない。

中国の儒教とは一言でいえば、上の命令に従うことは下の者として正しいことだという教えであるが、そのような考え方が社会の主流となるためには第1権力としての中国の皇帝の存在がなければならない。

ところが近代民主主義とは、第1権力である国民が第2権力である大統領や首相に対し、たえず監視の目を光らせているところにある。

ところが日本には第1権力としてもう一つのものが存在する。それは表面的には否定されたとはいえ、現在でも国民の総意である天皇の存在である。

天皇の存在と国民主権は併存することがむずかしい。
国は神がつくったものだとすれば天皇は神と結びついている。しかし国民主権はそのでどころがキリスト教、特にそのプロテスタンティズムにあるため、そのような宗教のない日本では、国民そのものが神と結びつくことはむずかしい。

戦後の日本では天皇そのものは主権者であることを認められていないため天皇が政治的発言をすることはなく、またそれを厳しく自制しているのであるが、国民もまた主権者であるという自覚に乏しいため本当に真剣な政治的発言をすることはまれである。

となると第2権力に過ぎない政治家が政治を執り行っているなかでその失政に対して批判の目を光らせるものがなくなり、結果的に批判そのものがないなかで政治が堕落していくことになる。

こうやって第1権力のない政治世界が誕生するが、そうすると第2権力に過ぎないものがあたかも第1権力のような顔をして政治を行うようになっていく。

そのような政治は誰も当事者意識が無いなかで役人だけが大きな顔をする社会になっていく。

政治には根源的なものへとつながる力がなければならないが、そのようなつながりを持たない者が行う政治はいずれその力を失うことになる。

政治は根源的なものへとつながる力をもつ第1権力でなければならない。
日本でそれがどのような形で可能かは、日本で国民主権がいかにして可能かと同じ問いかけになる。

近代啓蒙主義

2008-07-23 07:00:27 | 旧世界史10 近世西洋

国家は神によってつくられる。
しかしホッブズやロックなどの近代啓蒙思想は神を否定することによって生まれた。そして神に代わり理性を思想の中心にすえた。
だとすれば近代啓蒙思想はやがて国家を否定し、夜警国家などの無政府主義思想を生み出していく。
神を否定した国家は、やがて自らを否定するようになる。

医療保障と国家統制(タバコ統制、裁判統制、教育統制)

2008-07-19 13:33:34 | 教育もろもろ

医療保障と国家統制の二つは、一見したところ何の関係もないように見えるが、ところがこの二つは思わぬところで結びついている。

十年以上前のことだと思うが、アメリカで喫煙が原因で肺ガンになったとして訴訟が起こった。
結果はタバコ会社と国に対して賠償を命ずるものであった。

その結果、国は国民の健康に対しても責任を持たねばならなくなった。
このような発想は社会保障の考え方の行き着く先である。

ところが国家が国民の健康に対してまでも責任を持つということは、
国民にとっては、それまで一人ひとりの個人の責任であった自分の健康に対してまでも、国家が介入してくるということである。
それは個人の嗜好(しこう)の領域にまでも国家が介入してくることを許すということでもある。

自分の健康の責任が自分にあるのではなく、国にあるとする考え方は、私的な領域への国家権力の介入を許すことになる。

国の論理は、喫煙による健康被害にあった場合、その医療費は国が負担するのであるから、そうならないために、国が喫煙に対して介入することは国家財政上からも当然ということになる。

こうして喫煙に対する国の介入は始まったが、
それはたんに喫煙に対する介入にとどまらない。

いったん喫煙という個人の私的な領域に国が介入できる論理が敷かれると、それは他の領域にまで敷衍(ふえん)されるようになる。

裁判員制度にもその傾向は現れている。
これは一言でいうと、個人の私的な時間を、国家の命令によって、国家のために使わねばならない制度である。
戦前の日本ではこれと同じ論理で、国民徴用令が出された。

『裁判院制度を持つ国の多くは、徴兵制を持つ国である』
という指摘(裁判員制度の正体 西野喜一 講談社現代新書)は、
こういう点からも同意できる。

これと同じ論理は、社会保障の考え方にも潜在的にあり、
国民の健康に国が責任を持つとすれば、
国民の医療費は国が負担しなければならなくなる。

国家にとっての負担を強いるこのような論理は、今度は返す刀で国民に対しても突きつけられる。
国家はこの論理を使ってズカズカと国民の私的領域に踏み込むようになる。

大人に対してもこのような試みが始まっているなら、子供に対してはなおさらである。
教育は本来私的な領域に属するものである。しかし国はこの教育を自在に操ろうとし始めている。
今の教育改革は『生きる力』などという崇高な理想を掲げているが(しかしその実体が何なのかは誰にも分からないのだが)、
文科省の狙いは本当はそんなところにあるのではなく、文科省の要求する無理難題に現場の学校がどれだけ耐えられるかを試しているだけではないかという気がする。

そうやって国家統制のための訓練を学校現場に施しているのだと思える。
教育改革とはそのための隠れ蓑に過ぎないのではないか。
そのことをなぜ見破れないのか。

このことに対して国がまっ先に手を打ったのは大学改革であった。
国立大学が独立行政法人として国家の枠から一回り外側にはじかれた。
これにより日本の知識人たちの多くは震えあがった。
こうやってまず知識人たちの口を封じたのである。

藤田英典氏らの少数の知識人を除いて、日本の教育学者のなかで、教育改革に対して口を開こうとする人はいない。
教育学者の多くは小さな自分の枠内に閉じこもり、こぢんまりとした自分の学問体系のなかで満足しているだけである。
国家と教育との関係を大きく捉えようとする学者はいなくなった。
逆に国家統制の流れにわれ先に乗っかろうとする御用学者は多いのだが。

国は、大学という学問の世界の自由な雰囲気に、統制を敷くことからはじめた。

だから、教育改革の論理を学問的に論破していこうとする大学人の動きは、そのはじまりからつみ取られていたのである。多くの大学人がこの問題から顔を背けたのである。

こうやって国がもちいるお粗末な論理の嘘を見抜ける人が少なくなった。
そのことによって日本は論理よりも力が支配する国になりつつある。
善悪よりも損得で動く国になりつつある。
論理を売り物にするはずの大学人や知識人が損得で動くようになれば、その国の知性は腐っていく。
最高の知性は大きな自由のなかで生まれるはずなのに、そのような場が大学のなかで失われてしまっている。

そのことが文科省のお粗末な教育行政をいつまでも温存させることになっている。

そういう意味で皮肉を込めていえば、国が教育改革の手始めに、まず大学改革に手を付けたのは成功であった。

思考の熟成

2008-07-16 19:47:43 | 歴史

心に浮かんだことをそのまま心にしまっておけば、
それは消えるかもしれないけれど、
心にしまっておくことで逆に大きく育つかもしれない。

一度言語化されてしまえば、その言語化された論理の枠のなかだけでしか考えられなくなる。

「言わぬが花」ということもある。

教えるには形が必要

2008-07-12 19:20:30 | 教育もろもろ

何十年生きていようと知らないことはいっぱいあるし、知ったつもりになっていることでも、十分理解できていないことは山ほどある。
それが人間の常ではないのか。

そんななかで人に教えるためには、何らかの形が必要である。

『生きる力』、こんな難問を現場の一人ひとりの教師に突きつけられたら、みんな考えあぐねてしまうのが当たり前だと私は思うのだが、国の審議会は当たり前のようにそんな難問を要求してくる。

現場の感覚からすれば、そんな特効薬があるのならまず自分でやってくれよ、というのが本音である。

現場は教育の世界で何がやれて、何がやれないかを知っている。
それを分かっていないのは国の有識者(?)からなる審議会である。

無理難題をこれ以上現場に押しつけるのはやめたらどうだろうか。

総合学習にしても、観点別評価にしても、批判のピークは過ぎてどうもこのまま続きそうだが、現場で頭を抱え込んでいる教師は増える一方である。

カール大帝の戴冠

2008-07-09 00:06:23 | 旧世界史7 中世ヨーロッパ

『800年のクリスマス、教皇レオ3世はカールにローマ皇帝の帝冠をあたえ、「西ローマ帝国」の復活を宣言した。』
(詳説 世界史B 山川出版社 P122)

このことは有名な事実であるが、日本人にとって意味がよくわからないのも事実である。
ローマ教皇がフランク国王カールに冠をかぶせることが、なぜローマ帝国の復活になるのか。
そうであるためには滅亡前のローマ帝国で、ローマ教皇によってローマ皇帝に冠がかぶせられ、そのことによってローマ教皇がローマ皇帝を任命していたという事実がなければならない。
しかし、歴史的にそういう事実はない。

にもかかわらず、ローマ帝国の滅亡後300年も経ってから、ローマ教皇がフランク王に冠をかぶせただけで、なぜローマ帝国を復活したことになるのか、そのことがよくわからないのである。

このことは高校の教科書には載っていないが、次のようなことである。

『ローマ教皇座には「コンスタンティヌスの定め」という有名な文書が伝承されており、その文書によれば、ローマ皇帝を任命する権利は教皇にあるとされていたのである。これは偽文書であるのだが、この時代には教皇庁で、この文書は本物であると信じられていた。』
(地上の夢 キリスト教帝国 カール大帝のヨーロッパ 五十嵐修 講談社選書メチエ P162)

この偽文書は8世紀に書かれたとする説が有力であるが、

『「コンスタンティヌスの定め」によれば、(コンスタンティヌス)大帝は「ローマ教会に皇帝の権力と栄光、力、名誉の威厳を与えよう」と願い、ローマ教皇に帝冠を含む皇帝の権標を渡した。そして、それだけではなく、ラテラノ宮殿とローマを含む帝国の西部属州を譲った。コンスタンティヌスはローマ教皇の頭上に帝冠を載せようとした。しかし、ローマ教皇は帝冠を被ることを拒んだ。こうして、ローマ教皇は自ら皇帝にはならなかったが、コンスタンティヌスから皇帝の地位を委ねられた。』
(地上の夢 キリスト教帝国 カール大帝のヨーロッパ 五十嵐修 講談社選書メチエ P171)

このような事情を知ってはじめてカール大帝の戴冠の意味が理解できる。



しかし、ここでより重要なのは、ローマ教会がこの当時どのような国家観を持っていたかということである。
この偽文書には、教会が国家をつくり、その国家を教会が支配しようとする意図が隠されている。

新約聖書には『神のものは神に、カエサルのものはカエサルに』と書かれており、キリスト教の誕生時にはイスラム国家のような宗教国家を建設する意図はなかったことがわかるのだが、
ローマ帝国が滅んだあとのローマ教会は、教会の権威によって国家を建設し、その国家を支配しようとしたのである。

いわばイスラム教と同じような聖俗一致の宗教国家を目指していたということである。そしてその聖俗両権をローマ教会が握ろうとしていたということである。
イスラム教もキリスト教もともに一神教である。一神教にはもともとこのような聖俗一致の宗教国家を建設しようとする傾向がある。

滅亡前のローマ帝国下では、実際にはキリスト教はローマ皇帝の権威を飾るために利用されたに過ぎない。「皇帝はキリスト教の神から恩寵を得ている」という『神寵帝』理念のために利用されたに過ぎない。ローマ皇帝はこの理念により皇帝の権威を高めたかったのである。

この理念は東ローマ帝国に受け継がれていき、東ローマ帝国はその後1000年の寿命を保つのだが、西ローマ帝国は早くも5世紀には滅んでしまう。

しかし、西ローマ帝国が滅亡したあともローマ教会は生き残っていく。
生き残ったローマ教会は、今度はカール大帝に冠をかぶせることにより『神の国』を西ローマ帝国の跡地に建設しようとしたのである。そして聖俗両権に渡る支配権を握ろうとしたのである。そこでは少なくとも教皇が皇帝の上に立つことになる。教皇が皇帝に冠をかぶせるということはそういうことである。

このように、現実の政治世界にローマ教皇の力を及ぼそうとする意図は、ウルバヌス2世によってはじめられた『十字軍』にもあらわれている。これによってローマ教皇のかけ声のもと、西ヨーロッパ諸国の軍隊が動員された。
結果的に十字軍は失敗するが、このようなキリスト教の特質はその後も現れ、16世紀には宗教改革を引き起こすことになる。

イギリスのカルヴァン派であるピューリタンは、いわゆる新大陸に移住し、そこで神の国を建設しようとする。
アメリカ合衆国は、彼らピューリタンがメイフラワー号に乗り、アメリカのプリマスに上陸するところから始まる。いわゆるピルグリムファーザーズによる上陸である。
彼らにとって新天地アメリカは宗教国家として始まったのである。

トルコ民族のイスラム化

2008-07-08 10:43:44 | 旧世界史6 イスラーム世界

イスラム教は宗教的権力と政治的権力が一体化した一神教であるが、それがアラブ人の宗教であるあいだはよかったが、イスラム教が拡大し他の民族にまで伝えられるようになると、イスラム教のもつ聖俗一致の考え方はそれらの他民族には必ずしも浸透しなくなっていく。

非アラブ国家のセルジューク=トルコの政治的指導者はアッバース朝のカリフからスルタンの称号を与えられ、政治と宗教が切り離されるようになっていく。
アラブ人と違って、トルコの王はまずはじめにトルコの慣習に従って王として認められているのであって、イスラムの教えはその王権の在り方を変えるところまではいっていないのである。

つまりここでは民族固有の王権の在り方がベースとなっているのであって、王権にとってイスラム教というのはその外面的な在り方に過ぎない。

トルコ民族の国家を見るためには、イスラム教から見るのではなく、トルコ民族のもつ固有の王権の在り方から見ていかなければならない。

このことはアラブ人ではないイラン民族の国家を見るときにもいえることであり、
さらにいえば、今日の西ヨーロッパ世界を築く土台になったゲルマン民族の国家についてもいえることである。


正しいことの多様性

2008-07-06 19:43:33 | 歴史

正しいことは一つだと考えることは容易である。
しかし正しいことは一つ以上あることを理解するためには訓練が必要である。

戦後教育ではその訓練がなされていない。

一つのことが正しいとされれば、皆が皆それに向かって突き進む訓練しかなされていない。

このことはよく価値観の多様性と混同されるが、どうもそれは対極にあるものであって、価値観の多様性とは全く別物である。

価値観の多様性とは価値の相対化を行うものであって、それは虚無主義に通じるが、正しいものが一つ以上あるということは決して価値観の相対化ではなく、一つひとつの正しさは正しさの実体として尊重されたうえで、正しいことが一つ以上あることを受け容れるものである。

中庸とはそのようななかから生まれる。

逆に、正しすぎるものは要注意だとする思想が、中庸の徳には込められている。