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「授業でいえない世界史」 53話 戦後 1970年代

2019-05-29 11:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【1970年代】

【ドル・ショック】 ここから1970年代です。その1970年代は何で始まるか。前に言ったように、アメリカがベトナム戦争に負けて、お金を使い果たして財政難になる。お金がない。アメリカの信用が落ちる。ということはアメリカのお金の信用も落ちる。

 1971年、これは何が起こるか。政治経済でもしました。ドル・ショックです。別名は大統領の名前を取って、ニクソン・ショックという。大統領はニクソンです。


 ベトナム戦争でお金が必要だ。お金を刷ればいいじゃないか。お金を過剰に印刷する。管理通貨制度というのは、こんなことができる。今の日本もこの管理通貨制度です。なにも無いところから、いくらでも1万円札を刷ります。もう7年もやっている。でもこんなことはいつまでも続かないです。
 お金ばかり刷って、経済実態が変わらなかったら、このお金は本当に信用できるのかと疑心暗鬼になって、誰もドルなんか欲しがらなくなる。欲しくないお金というのは、欲しくないものの値段と同じで下がるんです。


 ドル・ショックで金とドルの交換が停止される。そこから変動相場制に変わるんです。これが今の制度です。その時から今もそのまま続いている。

 もともとは、アメリカのドルでも日本の円でも、信用があれば本物の金(キン)を買えたんです。本当のお金というのは、第二次世界大戦前までは金だった。しかし第二次世界大戦中に、世界の金の半分以上はアメリカに集まってきたんです。

 そうすると日本人からいうと、円で金(キン)は買えなくなった。というか逆に、本物のお金つまり金(キン)が欲しかったら、ドルでしか買えなくなった。
 

 これが第二次世界大戦後、新たに決まったルールだった。これを金ドル本位制と言います。もっというと、金1オンスつまり31グラムは、35ドルで交換すると、アメリカが約束してたんです。しかし20年経って、ベトナム戦争でお金を使い果たして、他の国がいっぱいドルを持ってるんですよ。


 そしたら、ドルを持ってくれば、金と交換できる。その金がどんどん流出し、アメリカからなくなってしまう。そうなると金と交換できなくなる。金が無いんだから。
 しかしそうは言わない。交換したくないからという。金とドルの交換停止を発表する。理由はないからですけど、ないとは言わない。あるけれども交換しないということにする。本当は、ないから交換しないんです。それほど金が流出しているんです。


 ドルで金を買えなくなったら、昔の体制と全然変わらない。本当はこの段階で、こう戻らないといけない。ここが交換できなくなったんだから。ドルはもとの地位に落ちなければならなかった。それがルールですけど、こうならないし、ドルは元の場所に戻らないし、相変わらず世界の基軸通貨のまま今まで来ています。


 世界経済は、お金をどう操作するか、そういう世界になっていきます。


【ドル・ショックの続き】 1971年のドル・ショックの続きです。この図はもともと、政治経済の教科書からとっています。
 次の1985年プラザ合意、これがバブルを生むおおもとなんです。
 
▼ドル円為替レートの推移
 
      

 アメリカがドルと金がリンクをはずして、金とドルの交換を停止したにもかかわらず世界の貿易は、ドルによって成り立っているのだったら、金と交換する必要のないドルを発行できるのはアメリカ政府なんです。正式に言うと、FRBという中央銀行なんです。お金が足らなかったら、一番簡単に考えると、どうやってお金を手に入れることができるか。輪転機をまわして印刷すればいい。紙のお金はタダだから。これで完璧に紙のお金になった。


 もともとは紙のお金というのは、政治経済で言ったように、金との交換券だった。1万円札は日本銀行に持っていけば、お願いしますというだけで1万円金貨と交換してくれた。しかしこれをしないとアメリカが宣言したわけです。
 そんなことしていいんですか、という質問をした生徒がいる。いけないんですよ。約束なんだから。でも軍事的にナンバー1、経済的にナンバー1、ダメといったて、お金はアメリカに牛耳られているから、日本の円では輸入できない。だから買うしかない。約束を破るのはずるいことです。でもアメリカはその約束を破ってでも、自国の利益を優先したわけです。こうやってアメリカは武力と経済力を背景に、ルールを無視していくわけです。


 しかしこんなことが起こるなんて誰1人として予測してなかったから、最初は日本の経済大臣でも、これが何を意味しているのか理解できなかった、という話がある。

 この後は、金とのリンクを失ったドルは価値がだんだん下がっていく。

 それまでは固定相場制で、1ドルは360円と決まっていた。それが1971年から1980年の間に、最高はこの1ドル190円にまでなった。これはドルをベースにしてるから、円が安くなっているような気がするけど、それは逆でドルが360円から190円に安くなったんです。


 ここらへんは政治経済の知識を活用しないと、よくわからない。お金の力で世の中は動いていくから、お金の動きをよく見ておかないといけない。これはドル安なんです。

 おおまかに言うと、1990年代の半ばまで一貫してドル安です。逆に日本にとっては円高なんです。

 日本は輸出企業が多いんです。円が高くなったんです。高くなると輸出品が売れなくなります。

 ということは、日本はここ30年、平成30年間、景気が悪いでしょ。これが理由の半分です。日本製品は海外で高くなって売れなくなった。今や360円が100円ですよ。

 3倍以上高くなったら、1000円で買えていたものが3500円になったら、誰も買わないでしょ。日本製品が売れない。と言うことは日本は経済力は低下する。
 しかしこれは日本人がサボったからではない。円高のせいです。為替操作です。この為替操作はドル・ショックによって始まる。操作するのは日本ではない。アメリカです。日本は軍事と為替で首根っこをつかまれています。

 この図は何回も出てくるんですけれども、これによってドル安になった。ドル安と同じことが円高ですね。円高の意味はそういうことです。360円が100円になった。これは日本にとってとんでもないことです。

 こういうことが1970年代から始まったということです。これがドル・ショックです。

 これによってアメリカの金融操作が容易になった。金融操作というのは、政治経済の日本銀行のところで言いました。金利を上げたり下げたり、株券を売ったり買ったりする。それによって景気はかなり左右できる。ただこれは基軸通貨のドルを発行できる国であるアメリカしかできない。


 だから景気をあげる時にはドルを印刷してばらまけば、どうにかアメリカは生きていける。一番簡単に言うと、そのしわよせでリーマン・ショックがドカンと来てその一番被害を被ったのは、アメリカじゃなくてヨーロッパです。そして二番目が日本です。


 これを発表したのが1971年の8月、それもお盆の15日、日本の終戦記念日です。その日を狙ったようにやる。8月15日は日本人はお盆でお休み、しかも終戦記念日です。そこでドカッとやる。

それがドル・ショックでした。


【中国訪問】 もう一つあります。今まで戦後30年間喧嘩して、1回も訪問してない国、それどころか国交さえなかった国と仲直りするという発表を同時にした。その国というのが中国です。

 アメリカのニクソン大統領が中国訪問を表明する。これを翌年やります。

 これの下準備を整えたのは、キッシンジャーという。この人はまだ生きてる。当時キッシンジャー外交といって盛んに報道されました。その政治面はあとで言います。
 このドルショックによって、ドルは下がっていきます。しかしそれ以上に、このあと下がっていくのが中国の人民元です。
 中国の通貨である人民元は、1980年代に150円だったのが、10年でストーンと下がる。ここで20円切っている。そして15円になる。150円15円に、10分の1に安くなるんです。ドルも下がったけど、本当はそれに目を奪われてはいけない。もっと下がった通貨ある。これが中国の人民元です。

※ 1971年頃の中国は、アメリカともソ連とも対立して、中国共産党は崩壊の二、三歩手前まで行っている。そのとき、アメリカが中国と手を結んでしまったため、中国は力を取り戻してしまう。中国はアメリカ帝国主義とソ連の覇権主義の両方を批判していたのが、アメリカ帝国主義のほうと握手しちゃうわけです。経済的にもよくなる。毛沢東の側が最初にアメリカに関係改善を打診したということが分かっています。(フーバー、藤井厳喜)

 ドルが安くなったら、アメリカは外国に輸出しやすくなるという話は、政治経済で強調したつもりです。自国通貨が安くなったら輸出に有利なんですよ。しかしアメリカはこれほどドルが安くなったのに輸出が伸びなかったんです。


 ミサイルとか、核とか、原子力ばかりに力を入れていて、基本的な家電とか、テレビとか、そういう耐久消費財というけれども、そういうのが売れない。車もそうです。燃費が悪くて売れない。

 リッター1というのは、それはひどい。この間、BMWに乗っている人と話をしていたら、あのドイツ車でもリッター8は行くという。
 自慢じゃないけど、私の車は日本の大衆車ですけど、10年以上乗って、1800㏄でまだリッター13キロ近く行く。アメリカはそういう努力をしていない。リッター1とか2とか3とかの車、買わないでしょ。だから輸出が伸びない。

 しかし中国はこの後、とほうもなく輸出を伸ばします。これは我々の日常生活に今では深く入り込んでいる。
 1990年代からは日本国内で、中国製品が怒濤のごとく100円で売られるようになる。これが新しくできたスーパーの形で、今でいう百均ショップと言うものです。それまではそんな安売り店は無かった。中国製品はそれほど安くなかったんです。何でこういったことになったか。
 きっかけはドル・ショックです。ドル・ショックで通貨の価値が一気に世界中で変わっていく。今では経済力で中国は、アメリカに次ぐナンバー2国家です。逆にそれまでナンバー2国家だった日本は、ガクッと落ちていく。これは日本人が働かなくなったせいじゃない。サボったせいじゃない。為替のせいです。


 ふつう値段が倍に上がったら、人間が幾ら努力してもおぎなえない。2倍上がったら2倍努力しなければならないでしょ。8時間働いていたのが、16時間も働けるか。これは働けない。この後の日本は働き過ぎで、過労死というのが社会問題になります。これが1971年8月に起こったことです。
 これと同時にアメリカは中国を味方に引き入れていくんです。
 その構図が、米ソ対立の中で、中国とソ連が対立したら、敵の敵は味方になりやすい。アメリカと中国は味方になりやすい。1960年代にそういう条件は整っていた。

 それでキッシンジャー外交でアメリカはまず中国訪問を行う。1972年の2月です。そして、その時に共同声明を出して、今からは国交に向けて努力します。仲良くしていきましょう、アメリカと中国間は友達ですよ、という宣言を出す。正式の国交は、もうちょっとあとになるけれども。

 それから半年後、今まで中国とは国交がなくて、中国は敵だ敵だと言ってた日本、当時の首相は田中角栄です。アメリカが中国と手を組んだら、オレたちも中国と手を組もうと、日本の外交も一気に変わります。ただ田中角栄は、この後すぐつぶされます。ロッキード事件をしかけられて。


 なぜかというと、田中角栄はこれを独断でやったといわれます。アメリカに相談しなかった。日本は主権国家だろう、なぜ相談しないといけないのか。それは正しいですよ。しかし現状はそうじゃないというのが、その裏側でわかる。独自外交をやったという話は、半分常識です。こういうことがあって、日本の方が一歩先です。アメリカよりも先に日本が国交回復します。


 それまで日本人で、中国に旅行に行けた人とかいなかったんです。今でも日本人で北朝鮮に行った人とかいないでしょう。特別な政府高官以外には行けなかった。庶民で北朝鮮旅行していたという人はいない。それまでの中国はそれと同じだったんです。
 それが国交回復して日本から中国に行けるようになる。それまでは近くて遠い国だったんです。それが1時間半で中国にいける。中国最大都市の定期便ができる。これはものすごく大きな、想像できないような変化です。


 こういうふうに中国を味方に引き入れないといけないのは、アメリカはベトナム戦争で負けてる。経済的にもガタガタになってる。もう勝てない。1973年には負けました宣言です。ベトナムに負けました。ベトナム和平協定というのに調印する。そして負けたまま、あのアメリカがベトナムから撤兵する。兵隊を引き上げる。国際的な、威信低下です。あの大国アメリカが東南アジアの貧乏なベトナムに負けたんだから。


【オイル・ショック】 そして、この1973年には、もう一つ全然別のところから大問題が起こる。世界のヘソのパレスチナでまた戦争が起こる。これを第四次中東戦争と言います。その一帯は世界中の石油が集まっている石油産出国なんです。それが戦争で石油を輸出しなくなると・・・日本国内では石油はほとんど産出できない・・・石油の値段が跳ね上がっていく。そして狂乱物価になっていく。
 これが次の年の1973年に起こる。1971年、72年、73年と、もうビックリすることだらけです。私は当時中学生だったから、これがどんなに大変なことかまだピンとこなかった。しかし世の中では、ニュースで大変だ、大変だ、と言っていた。私は、大変だと思いながら、鼻くそほじくってポカンとしていた。ことの重大さを理解したのは20歳過ぎてからだった。それくらいアンポンタンだった。

 これがオイル・ショックです。石油危機という。1973年です。石油が掘れないから、原油を値上げするというOPEC、これは世界石油産油国のグループです。


【中国】
 この前段になってるのは、中国で1976年毛沢東が死んだということです。毛沢東は徹底した社会主義路線を突っ走って大失敗をしていた。これが文化大革命だった。これは失敗だった。失敗続きで、中国には飢える人まで発生する。やっぱり社会主義経済は限界だ。アメリカのような自由主義経済、市場経済を取り入れないといけない、という考えに変わっていく。
 そこにアメリカがすり寄って、じゃあ握手しましょうかということになったんです。

 ただし条件は、中国は実は二つの中国がある。もう一つはどこか。台湾です。アメリカは、今までどっちを本物の中国としていたか。それまでアメリカは台湾を正統な中国としていた。これを変更する。中華人民共和国、つまり今の大陸中国が本物の中国だ、だから国連の代表権もあんたのところだとする。


 なんだと、と腹を立てたのが台湾です。台湾に代わって、今の中国が国連代表権をもった。アメリカが認めたからです。アメリカの変化で国連も変わる。

 さっき言ったことを、ニクソンの訪問を受ける中国側からもう一回言うと、1972年2月にアメリカ大統領のニクソンが訪中した。中国を訪問した。そこで米中共同声明を結んだ。
 そうすると半年後には、田中角栄という日本の首相が中国にみずから飛んで、日中共同声明を出した。これで日中の国交が正常化した。パスポートがあれば誰でも中国に行けるようになった。そして平和条約を・・・戦争しませんという平和条約を・・・6年後の1978年に日中平和友好条約を結んだ。一足日本がアメリカに先んじたんです。

 その4年後の1976年には今まで社会主義路線を進めてきた毛沢東が死んで、前の時間に言ったように、リーダーが鄧小平に代わった。彼は資本主義路線を歩みます。

 ただこれを資本主義路線とは言わずに、改革開放政策という。本格的に打ち出すのはその次の年1978年からです。
 
※ 鄧小平はキッシンジャーの支持の下、改革開放路線をひた走ることになります。ここに中国指導部はアメリカのウォール街を中心とする国際金融勢力と手を結ぶことによって、疲弊した中国経済の活路を見いだしたのです。これに応え、国際金融勢力は中国が市場経済の基本的条件を欠いているにもかかわらず、安価な労働力の豊富な中国を特別扱いして現在に至っているのです。(馬渕睦夫 「国難の正体」)

 そして1980年代からは、さっき言ったように人民元がどんどん安くなる。どこまで安くなるか。日本円で約10分の1に安くなっている。だから中国製品は飛ぶように売れていく。そういうふうに中国の輸出が拡大していく。社会主義をやめる交換条件として、そういう人民元安の路線を取る。中国がアメリカ側につく代わりに、中国の人民元がとてつもなく安くなっていきます。


 なぜ、どこでそういったことができたのか。よくわからない。しかし何かここには公表されていないことがある。こういうふうにドル・ショックでお金が金とのリンクがはずれると、為替操作がやりやすくなる。1971年はその始まりです。



 1973年10月が第1次オイル・ショックです。まだ1970年代ですが、ちょっとだけ先のことを言うと、1980年代の金融操作は全部アメリカ発です。
 まず1985年のプラザ合意です。これで円がますます高くなった。日本の物が外国で売れなくなった。その結果、日本のバブルが起こる。それが崩壊して日本の平成不況が始まった。このことは次回もう少し詳しくやります。

 ではアジアはというと、1950年代には非同盟を唱えて、アメリカの仲間に入らないと言ったけれども、これが維持できるのは次の1980年代から90年代までで、1997年にアジア通貨危機というのが起こる。国内でアメリカのドルが足らなくなる。ドルが欲しかったら頭を下げなさい。そのあとアジア諸国はグッとアメリカの方を向く。

 そして、2007年には、リーマン・ショックです。これはもともとは、サブプライムローンという住宅の低所得者向けの貸し出しから始まる。返ってくる見込みのないお金を貸付けて、その証券つまり借用証書をヨーロッパに転売している。アメリカが、自分の損失をヨーロッパに押し付けた、という形です。
 日本もこれに手を出す寸前まで行くんですけど、まだ日本はヨーロッパほどには買っていませんでした。ただ日本はアメリカ国債つまりアメリカの借金をいっぱい買っている。アメリカはお金がないからずっと借金経営です。アメリカにお金を貸しているのは日本です。
 ここらへんはすべて金融操作があります。


【ソ連】
 また戻って、1970年前後からのソ連の動きです。フルシチョフのあとは、ブレジネフです。ソ連のトップは書記長という。大統領とか大臣とかではなく、書記長という。約20年間、社会主義路線が停滞して発展しない。それに発展しないから、嫌気がさした子分たちの国、東ヨーロッパの国々つまり東欧諸国が、ソ連はダメだね、民主化をもっとして欲しい、と言う。しかしこれをソ連が軍事弾圧していく。軍事弾圧していくのが1970年代です。もうドル・ショックが起こったあとです。
 さらにソ連はアフガニスタンに軍事侵攻する。ここには山を越えて陸続きに南下すればいい。ソ連から国境越えていけば、アフガニスタンに入ることができる。


 しかしそういう軍事費にお金を使うと、お金が足らなくなる。軍事費を増大しすぎると国は必ず財政難に陥る。それはソ連も一緒です。アメリカも一緒です。

 1979年から急激な人民元安になる。これが1980年代からますます激しくなる。これによって中国は急成長していく。日本のGDPの10分の1ぐらいしかなかった中国が、今や7~8年前に追い越されて、日本の2倍以上の経済規模になってます。中国の急成長は、日本の比ではないです。



【アジア】
【アセアン】 その1970年代のアジアです。日米以外の国を見ていくと、アジアは非同盟諸国であった。アメリカとは手を組まない。自分たちだけでまとまろう。その現れが東南アジア諸国連合、いわゆるASEANです。これを結成した。まだベトナム戦争の最中の1967年です。中心国はインドネシアです。デヴィ夫人の旦那はスカルノです。それから次のスハルト。フィリピン、シンガポール、タイ、マレーシアのまずは5カ国です。5カ国から始まって今は、その倍ぐらい増えて、ベトナムもはいっている。ミャンマーも入っている。どんどん拡大している。日本もこれに入りたがっている。しかしそれより先にアメリカがこれに入ろうとしている。アメリカはここでも主導権を握りたい。


【ベトナム】 ではベトナム戦争後のベトナムです。1973年に正式に戦争が終わって、1976年には南北に分かれていた国が一つの統一ベトナムにまとまった。統一された。



【カンボジア】 しかしその隣の国のカンボジアでは、ひどい共産主義政権が出現した。指導者をポルポトという。


 農業国家で徹底した共産主義をしようということで、そんなこと今の時代にムリです。農業には戻れないです。反対する人々に、何を言うか、みんな殺していく。殺した総数は、想像を絶する。正確には今でも分からない。


 初め朝日新聞は、こういった事実はないと報道していた。次にそれが事実が発覚して、ごめんなさい、間違ってました、と認めた。では何人殺されたか、1000人、2000人、1万人、10万人、何百万単位です。何百万人単位で虐殺が行われた。こういう悲惨な国もありました。これは日本の新聞が、朝日新聞を中心に否定していたから、ほとんど当時リアルタイムでは日本で報道されていません。私は10年遅れぐらいで、1980年代ぐらいで、そうだったのか、と初めて知った。リアルタイムで生で掴んでいた人は日本では多くないはずです。


 一番歴史を知らないのは、当時生きている当人です。生きていた当人が一番知らない。こういうことはあとで分かるんです。いつの時代もです。今我々が生きているこの瞬間にも本当は分からないことがいっぱいある。


【イラン】 では次にイランです。これは今アメリカが目の敵にしている国です。なぜ目の敵にしているか。その理由は、もともとは親米国家であった。親米国家、アメリカが好きだったんです。好きな国を親米というですよ。その国王が、パフレヴィー国王と言った。この人はアメリカ大好きです。でも国民の意見は聞かない。アメリカの意見だけ聞く。国民はこれに不満なんです。


 ここは石油の巨大産地です。その石油会社をアメリカが牛耳っている。ということは、利益はアメリカに持って行かれる。国民のための政治をしてないじゃないか。何してるんだ。一番大事なものをアメリカにとられたらダメじゃないか、ということで革命が起こる。これが1979年イラン革命です。こういう人に限って逃げ足は速い。逃げなかったら殺されるから、すぐ亡命する。


 では誰が次の指導者になったか。パフレヴィーが国外追放していた宗教指導者です。反対するなら出て行け、出て行かなければ殺すぞ、と言われて、仕方なく亡命していた人がいる。指導者になって帰ってくる。これがホメイニです。


 それで国名を変える。イラン共和国だったのが、イランイスラーム共和国となる。これは親米ではない。キリスト教国家でもない。イスラーム国家です。政治的立場もそれ以来、反米に転換します。親米から反米に代わる。だから今でもアメリカは、イランを悪の枢軸と言ったりする。名指ししたのは、2002年の子ブッシュです。悪の枢軸としてアメリカが名指しした国は、北朝鮮、イラン、イラクの三つです。


 アメリカの大統領が、他の国の主権国家を名指しで、悪の枢軸と言えば、普通は最後通告です。私は戦争が起こると思った。実際に起こりました。2003年のイラク戦争です。イラクは潰れて、いま混乱の極みです。イラクのフセイン大統領は捕まえられて絞首刑にされました。次には北朝鮮とイランです。今やってます。


【インドとパキスタン】 次にインドとパキスタンの関係です。インドはもともと、どこの植民地だったか。イギリスです。英領インドであった。だからインド人は英語しゃべれる。インドの公用語には英語が入ってる。しかしもともとの住民はヒンドゥー教徒です。それまでのムガル帝国、300年続いた国の支配者はイスラーム国家で、宗教対立があったんですよ。


 イギリスは、この対立を利用して、植民地として領有している間に、インドを分断させようとした。その対立をうまく利用してきたんです。イギリスに植民地にされている間に、それまで対立していなかったヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立が表面化するようになって、インドがイギリスから独立しようとするときには、イスラーム教徒がおまえたちと手を組めないとなって分離してしまって、いっしょに独立できなかった。その結果ある国がインドパキスタンです。分離独立したということです。


 これが危なくて仕方がないのは、核のところで言ったけど、インドがアメリカと対抗するためにを持った。そしたら敵のインドが持つんだったら、オレだって持たないと危なくて仕方がないと、パキスタンが核を持つ。
 しかもそれをアメリカが認める。イラクにはアメリカは絶対に核を認めない。イランにもアメリカは絶対認めません。こういうのを二枚舌という。この人には核は良くて、この人にはダメとか、そんな理屈ないでしょう。
 しかしこれは教科書には書いてない。書いてるのは、インドの地方の土地争い。カシミール地方の国境問題で対立している。でもちがうんです。核で対立しているんです。


 その経緯は、1974年にインドが核実験を行った。理由は、アメリカが核実験を100回行ったら、オレが行うのも当然だ。ソ連が100回行って、インドは核実験したらいけないなど、そんなバカなことがあるかという。それで核実験する。インド人は頭がいいから、実験したらすぐ核はできた。


 しかし、パキスタンも核実験をする。あのパキスタンが、なぜ核を開発できたのか。裏を言えばパキスタンに核をもたせるために、アメリカが核情報を与えたんじゃないか、そこまでの裏話はある。そうじゃないと、そんなに強くないパキスタンが、核まで持てる時間が短すぎるんです。


 そしてアメリカは8年も経って、パキスタンの核実験を非難する。8年も経ったあとに、ダメじゃないの、くらいの非難です。ここらへんは表面的です。形だけの非難という感じです。


 それから1971年、第三次印パ戦争で、バングラデシュが独立します。それまで東パキスタンと言っていたところがバングラデシュとして別の国になりました。



【ドル相場】
 それでこの間、アメリカのドル相場は、1979年には、1ドル200円だった。ドル安が進んだんです。基本はドル安が続きます。ドル安に流れるというのは、アメリカにとっては好都合なんです。アメリカの製品が売れやすくなるから。国外で安くなるから、売れやすくなる。

 しかし安くなっても、アメリカの製品は、結局売れなかった。アメリカ車が一番好例ですね。努力してない。ずうたいがデカいだけ。ネーミングだけ、リンカンコンチネンタルとか、2500ccぐらいで、本当にあれは、リッター1か2ぐらいです。日本でたまに見ると、大会社の社長とか、成金趣味の人とか、避けて通るような人とか。リッター1では普通の庶民では走れない。だから誰も買わない。

 そういうふうに、アメリカ製品は技術が落ちていく。

 それにもかかわらず、6年後にアメリカがとった政策は、1985年には、1ドル250円にしたんです。為替操作で。これはドル高です。ドルが高くなった。外国で物が売れなくて困っているアメリカがドル高にしたら、物は売れるんですか。売れないアメリカ製品がよけい外国で売れなくなるだけです。こういう政策をとった。


 なぜこんなことになったか。銀行金利を高金利にしたんです。高金利にしたら、高い金利がつくから外国から預金が集まってくるんです。


 預金を、なぜ集めないといけないか。アメリカはお金が足らないから、借金しないと国がまわらない。借金するためには、アメリカに預金してもらわないといけない。お金をアメリカに預けてもらわないといけない。預けやすくするために高金利にする。
 しかし高金利にして、当面は凌げても、その反面、ドル高になって、アメリカ製品はますます外国で売れなくなった。そういう自滅型なんです。


 自滅型なんだけれども、この尻ぬぐいをさせられるのが日本です。これがプラザ合意です。そのあとのバブル経済と続いていくですが、今日はここまでです。

終わります。ではまた。














 

「授業でいえない世界史」 54話 戦後 1980年代前半

2019-05-29 10:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【1980年代】

【アメリカ】
 では1980年代、日本ではバブル経済、あの悪夢のバブル経済が起こります。ここは政治経済で言ったことと同じです。君たち高校生が苦手なところは、円高円安です。これわかるかな。円高円安、これ抜きではわからないです。それと隠し味が中国人民元です。
 この図は、一番左側がどういうことがあったかという事項名です。真ん中が、円、ドル、人民元の三本の為替相場です。この3つの通貨を一緒にすると難しすぎて分かりにくいから、ドルを飛ばして、一番右は円と人民元の為替相場です。
 三本絡むから、ちょっと複雑なんだけれど、1980年の時点で中国人民元はいくらか。大まかに言うと1人民元は150円だったんです。それが最安値は1993年、1人民元10円になる。ウソみたいに安くなる。今チョコっと高くなって1人民元は15円ぐらいです。もともと1人民元は150円です。人民元は10分の1に安くなる。中国製品が安くなるはずです。売れるはずです。これで輸出が増えなかったらウソです。


 メインは日本とアメリカのドル円相場です。その理解なしではちょっとわからない。これを省略すると、結局何を言っているか分からなくなるので、言います。
 円とドル。1ドル100円が110円になったら、円安、円高のどちらですか、1ドル100円が110円になったら、円安ですか、ドル高ですか。これはドル高です。
 わからない時には、ドルで考えたらいい。しかし日本のニュースでは、我々は日本人だから円高・円安でしか言わない。これはドル高なんです。ということは、円は、安くなったの、高くなったの。安くなったんです。だから円安です。つまりドル高・円安です。


 これが基本中の基本で、これはたぶん2回以上やっていると思うから、もう繰り返しません。分からないときはドルで考えてください。ドルが高くなれば、日本の円は安くなる。表裏の関係だから。それで1980年代に行きます。


 戦後1ドル360円と決まっていた相場が、変動していいことになったんです。いつからですか。1971年に何が起こったか。ドル・ショックです。アメリカが一方的に、金とのリンクがはずした。それで変動相場制になったんです。


 金とのリンクがはずれたということは、基軸通貨を持っているアメリカにとっては、ドルの量を増やしたり減らしたりしてアメリカが自由に調整できるようになったことを意味しますから、アメリカは円高にも円安にも為替操作をしやすくなった。
 基軸通貨の威力はすごいです。基軸通貨の操作とは、ドルをどれくらい刷るか、刷らないか。ドルの金利を上げるか、上げないか。
 そういうことはちょっとマジックみたいなところがある。これはあまり教科書には詳しく説明してないけど、これを言わないといくら考えても1980年代以降の世界史は分からない。
 1980年代以降の30年間の平成不況、君たちはそれしか知らないと思うけど、そうじゃなかったんですよ。戦後は景気がいいときもあった。それがなぜ今のような日本になったか。これなしではわからないと私は思う。

 ドルは今110円ぐらいです。これ1ドル360円から見ると、ドル安なんですか、ドル高なんですか。これはドル安です。1970年代からだから約50年かかって、ドルは一貫して安くなっている。


 ドルが安くなったら、アメリカ製品は海外で安くなるから売れるはずです。普通は売れるはずなんですよ。日本だったら自信持って売れる。でもアメリカ製品は売れない。結局ドルがどんどん安くなって、これでアメリカ景気回復するというその狙いはかなわない。結局アメリカ製品は売れない。アメリカ車が売れないのといっしょです。ドル・ショックから10年経っても、やっぱり売れないんです。


【レーガン政権】 そこで1980年代始めにハリウッドスターが大統領になる。レーガンという。二枚目です、ハリウッドスターだったから。大根役者だったんですけど。一気に大統領になる。

 結局、高いドルのほうが信用があった。このドルが3分の一以下になると、ドルに対する信用が失われていくんです。日本はそうでなかったけれども、ヨーロッパの国は違う。同じ白人の国同士ですけど。やっぱりもうドルはダメだな。私はこれは正しかったと思う。それが西ドイツですよ。


 1979年、ドルショックから9年経っている。ヨーロッパは自分たちが発行する通貨をつくろうとする。そういうことを考え出したのが1979年です。ドルだけ儲けさせてたら、ドルだけ信用していたら、ダメじゃないか。これが今のユーロに繋がります。EUは独自通貨を持っているでしょ。国をまたいで発行する共通通貨のユーロというのを。この機構をEMSと言います。欧州通貨制度といいます。こうやってヨーロッパでドル離れが起こるのです。


 その時には、すでに1ドル360円という時代はとうに過ぎ去って、ドルは半値近くなっている。1ドル200円です。今から見るとドルは高いけれども、360円から見ると驚異的に安い。あのドルがたったの200円かという感覚だった。私はこの時、もう成人してだいたいわかる年齢になっていました。どんどんドル安になっていくということです。


 日本と同じじゃないですよ。日本は逆です。ずっとアメリカ頼みで、それは戦後一貫していますから、どこまでもアメリカに着いていく国です。
 それに対して西ドイツは、アメリカと距離を取っていきます。アメリカはアメリカでやったらいい。ヨーロッパはヨーロッパでやる。お互いそれでいいんじゃないの、という。すごいですね。日本の首相で、こんなことを言える首相がいますか。聞いたことありますか。私は50年以上生きてきて聞いたことがない。こんな首相が出たらカッコイイだろうなと思うけれども、日本でどんなに威張った大臣でも、アメリカに行ったらしゅーんとして借りてきた猫のようになってしまう。
 踊れと言われたら、ギターもって踊った首相もいます。エルビス・プレスリーをやれと言われたら、テレビの前で一生懸命エルビス・プレスリーの真似して踊った首相もいました。それで顰蹙をかった首相もいます。誰とは言わないけど。世界の物笑いの種ですよ、あんなことしたら。猿回しじゃあるまいし。


 レーガンは大統領になったその年に、ピストルで撃たれるんです。それで、それまでの勢いの良さがコロッと変わった感じがある。心臓に命中しなかったから、緊急手術して生き返って、そのあと大統領を続けますけれども。その時のアメリカというのは、さっき言ったようにドルが安くなって輸出が増えるはずなのに、輸出が増えないんですよ。相変わらず貿易赤字です。


 そして儲からないから相変わらず財政難です。財政赤字です。こういう状態、これが世界の超大国の姿なんです。お金がなかったらどうするか。借金するしかない。借金し始めて、この時すでに世界最大の借金大国です。借金国のことを債務国といいます。


【ドル高】 それなのにレーガノミクスといって・・・これはレーガンの名前のもじりですが・・・本来は財政が赤字であれば、お金が足らないから国民から税金を集めないといけない。しかし集めたら必ず大統領の人気落ちるんですよ。どっちを優先したかというと、人気が落ちるのを防いだんです。つまり増税しなかったのです。しかも逆に大幅減税をやる。考えられないことです。政府はお金がないのに減税した。どうするの。私はその理屈がわからなかった。今でも分からないけど。

 お金がないから財政は赤字、しかも税収は減らす。これでどうやって財政を立て直すのか。それなのに公共投資とか橋を作るとか、そういう国家予算は拡大させる。ますますわからない世界です。真面目に考えたら分からない。これは分からないのが当たり前です。お金がないのに、給料が減ったのに、買うものが増えるという人はいないでしょ。父ちゃんの給料は減っていくのに、母ちゃんの買い物はどんどん膨らんでいけば、その家は成り立たない。バカじゃないかと思うほどです。そういう家は借金するしかない。そこはいっしょですよ。


 じゃあどこがお金を貸してくれるのか。誰も貸したくないです。でも一つだけノーと言えない国があるんですね。このとき日本世界最大の債権国です。債権国というのはお金を貸している国です。アメリカ世界最大の債務国です。借金している国です。中身は今でもブラックボックスです。よく分からない。しかし大方の予測はつかないといけない。

 これ非常におかしいです。何でこんなことができるのか。本当に真面目に考えれば、貿易赤字を無くそうとするんだったら、輸出で稼がないといけないでしょ。輸出で稼ぐんだったら、ドルをもっと安くしなければならないはずなんです。そしたら、アメリカ製品は安くなるから、買う人も出てくる。


 そしてもう一つは、政府にお金がなかったら減税ではなくて、逆に増税しなければならないはずです。これが当たり前のセオリーです。これがまともな考え方なんです。ところがこの後レーガン政権がとったのは、アメリカはこれじゃいかん。そこまでいいんですよ。これじゃいかんというのはね。しかしドルをもっと強くしないといけないと言った。ではその強くするとはどういうことか。ドルの値段を上げないといけない、ということなんです。つまりドル高政策をとったんです。全く逆です。ますます分からないですね。
 ドル安にしなければならないところを、ドル高にしていく。狙いはドルを強めるためという。それによって、アメリカの威信、信頼、これを高めるんだ、と言う。これが強いアメリカなんだ、という。そしてドルの金利は10%を越えるんです。今の日本の金利は1%もないです。それどころか0.1%の世界です。このとき10%ですよ。途方もない高金利です。


 10%で預けていたら、100万円預けて10年後に、単純に10%だったら200万円になる。複利で、利息を込みで計算していくから、230万ぐらいになる。こんなに利息がつく。10年間黙って預けておくだけで130万円も増える。こういう高金利政策をやっていく。

 高金利にするとどうなるか。次はちょっと説明が必要かもしれない。ドルが高くなるんです。円が5%の金利が付く、ドルが10%の金利がつくんだったら、例えば中国人は外貨預金でどっちに預けるか。これだけが条件だとしたら、普通は金利が高いところに預けるよね。ということは、ドルを買うということなんです。ドルを買う人が増えたら、リンゴを買う人が増えたらリンゴの値段が高くなるのと一緒でドルは高くなる。だからドル高になる。


 しかしドル高になるとアメリカの製品は外国で高くなって、誰も買いはしない。そうすると輸出は増えず、貿易赤字はなくならない。何を狙っているのかということが分からないのです。


 日本が今向かってるのは日本のバブル経済です。あと5年で日本のバブル経済が始まります。さらに10年経つとバブル崩壊で、暗黒の平成30年不況が始まります。

 こうやってアメリカの輸出は増えずに、逆に輸入が増えていく。アメリカは貿易赤字がますます膨らむんです。ドルは1981年に200円だったのが、1985年には250円になる。着実に高くなっていく。輸出が増えるわけがないです。輸出が拡大するわけがないです。それどころか逆に輸入が増大して、貿易赤字はさらに拡大する。貿易赤字がますます拡大していく。


 しかもドルが高くなったんだから・・・このあとアメリカ人は日本人と違ってクレジット社会です・・・お金を持たないのにカードを切るんですよ。借金で。日本の感覚でいえば、ツケで買うという感覚です。飲み屋に行って、飲み代5000円です。ツケにしとって。そうやってカードをどんどん使う。借金できるものだから、自分では何もつくらずに、借金して輸入で食っていく。その借金、誰がお金を貸しているのかという問題です。


 この間、日本の銀行からアメリカへ資金が流れています。ちょろちょろどころじゃない。
 具体的には、アメリカ政府の借金証書・・・これを米国債というんですが・・・これを日本が買うんです。国債というのは国の借金です。米はアメリカですよ。日本はこれを購入しているんですね。日本の銀行が。日本の銀行のお金は、私が預けた10万円です。それがこうやってアメリカに流れている。アメリカ人がそれでカードを切って使っている。


 だからこれも、ある意味で、日本人がドル預金しているのといっしょです。こうやってドル高に協力している。ドイツとはまったく違う。ドイツはドルに頼らないし、アメリカにお金も貸しません。


 もう一つ、このアメリカの実体は世界最大の軍事大国ということです。これは今も変わりません。圧倒的な軍事力を持っている。核も世界最大の核を持ってる。それにもお金がかかる。その軍事大国の資金源が借金であるということです。こういう不健全な構造が発生します。


【ドル安】 2~3年後、ふとレーガンが気づく。3年ぐらいで、おかしいと。あんなにドル高にするぞ、自信持って言っていたのに急に、やーめた、気が変わった、と言う。突然今からドル安にする、という。日本の大蔵大臣、ちょっとこい・・・大蔵大臣は竹下登というのち首相になる人です・・・とアメリカに呼ばれる。それからドイツの大蔵大臣もちょっと来てくださいという。そして、ドル安にするから許力してくれ、と言う。

 この時の日本の首相は中曽根康弘です。この人物がまたアメリカべったりなんです。レーガンにいいように使われています。使われてるのにそれを、オレはレーガンをロンと呼び捨てにできるんだ、と自慢げに話していた人です。まだ生きてますけど。

 このときには、アメリカの輸出が増えないのは、これは経済ルールで、製品が悪いからです。


 日本が、日本車が売れている。日本のテレビもこの時代は売れてました。製品がいいからです。アメリカはそれがイヤなんです。日本は対米輸出をどうにか押さえなさい、と言い始める。つまりアメリカに輸出するな、と言い始めるんです。売るも売らないも、それなら、おまえたちが買わなければいい、と言えたらカッコよかったんでしょうけど、言えなかった。あーそーですかと言って、日本は輸出しないように自主規制しだす。アメリカへの輸出はこれ以上増やしません。これも経済ルールから考えるとおかしなことです。

 ここで、さっき言ったことを、書いておきます。

世界最大の債務国、借金国、これがアメリカです。
世界最大の債権国、お金を貸している国、これが日本です。日米同盟の裏には、こういう金銭関係が成り立っています。

 一生懸命やりたいアメリカ人は、一生懸命に物を作って、物づくりの世界で世界に負けないものを売りたいんですよ。アメリカの産業界はドル安を望むんです。


 では、今までのドル高は、アメリカ人の誰が望んでいたか。これはニューヨークのウォール街です。金融界です。お金というのは変なもので、100万円を1%で貸し出したら年率利息は1万円です。これを10倍儲けるためには10%にしたら10万円儲けるんだけれど、金利を1%に据え置いたままで10倍儲けるためには、10倍の1000万円を1%で貸せば10万円になる。お金はあればあるほど儲かるんです。金融界が狙うのはこれです。だからお金を集めたいんです。
 最初はこの金融界が強かった。だからドル高です。その間に、アメリカの製品は売れなくて、工場が潰れていったんです。これ以上潰れたらどうしようもないところまでいってしまう。アメリカで残っているのは、宇宙と飛行機とネット関係だけです。


【プラザ合意】
 この産業界、もうこれが限界だということで、ドル安政策に転じる。それが1985年9月、アメリカから呼ばれた日本とドイツが、プラザホテルというアメリカのホテルに呼ばれ、ここで話し合います。この合意を・・・プラザホテルで話し合われたから・・・プラザ合意といいます。1985年9月です。ここから日本でバブルが発生します。

 話し合いますといっても、こんな大きな問題は1~2時間では済まない。最低でも1日か2日は話し合わないと結論は出ないです。それがたった20分で終わる。そういうことで、どうもおつかれさん、で終わる。これは話し合いじゃないです。そこで決定したのは、ドル安にするため、日本とドイツは協力しろ、と強制されたということです。これが世界のためなんだと押し込まれたんです。実はアメリカのためです。
 だからドイツは、ハイハイと口返事だけして、協力しません。ドル高を維持していく。しかし日本は本当に協力して、ドル安政策を行う。手持ちのドルを売る。


 とにかくこれが発表されてたった2年で、ドルは半値になる。1981年に250円だったドルが、1987年に130円になる。発表された1日目なんか、1日で20円もドルが安くなった。今1日で1円安くなれば、みんな大騒動する。この20倍が一気に安くなる。たった2年で半値になる。
 いま110円前後です。たった2年でこれが半値の55円になったら、間違いなく本当に首をつる輸出企業の社長が出てくる。こんなことが1980年代に実際に起きるんです。


 そのくらい急激にドルが安くなる。ドルを安くして、狙いはアメリカが輸出したいということです。しかしアメリカの産業は、前のドル高時代の3年間で潰れてる。やっぱり伸びない。伸びずに、誰が悪いことにされるかというと、今まで円安を武器に輸出してきた日本が悪いとなる。こういうの逆恨みでしょう。
 さかんに、ジャパンバッシングといって、日本のテレビなんかも、アメリカ人が日本車をバット持ってバチバチ叩き壊す。それからウォークマンを足で踏みつける。昔、カセットラジオといっていたもの、ああいうのを持ってきて、みんなに子供に踏みつけさせてグチャグチャにする。そういうのをイベント的におもしろおかしく日本製品が壊されるニュースを報道したりしていた。何が面白いんだろうかと思うぐらい。ジャパンバッシングの嵐です。こんなに日本は叩かれてますよ、悪いことしてますよ、と言わんばかりです。そうじゃなかろう、と気づくまでまでに、私も数年かかりました。これって何なのかなあ、と思って見てた。

 これでドルが安くなったんだから、逆に円は高くなる。日本は確かにこれで輸出しにくくなった。日本は円高です。しかし、ここからますます難しくなる。


 たぶんアメリカは日本からお金を借りてるんです。借りる時には、10%で借りる方がいいか、5%で借りる方がいいか。お金を100万借りるとしたら、10%で貸す人から借りるか、5%で貸す人から借りるか。
 金利が低い方がいいに決まっています。だからアメリカにとって日本の金利は低いほうがいいです。日本はこのときに、円高でも日本製品は良かったから、そんなに不況にならなかった。思ったほどには不況にならなかったけれど、ここで一気に低金利にする。景気が悪くないのに金利を下げるんです。


 それはアメリカが、日本にこう言ったからです。日本は、アメリカに輸出しないで、自分たちが作ったものくらい、自分たちで買えと。これを内需拡大という。経済的には、作ったものをどこに売ろうと勝手です。外国からこういうことを言われるのを内政干渉というんです。本当はしたらいけないことなんです。しかしアメリカがこれを日本に要求したんです。


 ここでのアメリカの要求の矛盾は、日本はドルを安くするために、円を高くしなければならない。これは10円玉の裏と表で、同じことです。


 もう一つは、日本は低金利にしなければならない。日本が低金利だったら、お金を預ける側は日本にはお金を預けないです。そうなると円が安くなるんです。


 円高にすることと、金利を低金利にすることは、両立できません。全く矛盾することなんです。しかし日本はこの二つを同時にしなければならないことになった。こういうことを時の中曽根内閣はやるんです。非常に経済にいびつな矛盾が走るんです。低金利にするのは、アメリカが日本からお金を借りているからです。

 では銀行預金の金利が10%であったのが5%になったら、財布を預かっている日本のお母さんは、銀行預金に魅力がなくなります。

 銀行に預けたってどうせ半分しか利息つかない。そしたら他の金融商品がいい。それで株に行くんです。銀行金利は本当は5%もないです。2%ぐらいです。5%が2%になったんです。

 今だったら高いけど、ふつう金利は100万円預けたら、1年後に105万ぐらいになるのが通常ですね。5%ぐらいはあった。それが2%になったら、たった2万かという感覚です。それくらいだったら、株のほうがよっぽどいま上がっている。それで火がつく。これは100万の金持ちの場合です。では1億円の金持ちはというと、株よりもドカンと土地買っておけば上がるぞ。株と土地です。


 こうやって銀行預金からお金が流れていく。低金利で利息がつかないから、株と土地にお金が流れていく。これが1980年代半ば、庶民に至るまで起こったことです。


 そして密かにうわさされる。あの人株で儲けた、あの人土地で儲けた、5000万儲けた、そういう話ばっかりになる。これは不労所得です。そうなのか、自分もやろうとなる。日本ではこういう雰囲気が醸し出されてバブルになるんだけれども、ドイツは違う。


【ドイツ】
 ドイツはその前から、自分の通貨構想を考えている。ドイツは日本と全く違って、口ではハイといいながら協力しない。ドルとは別の通貨を自前で作ろう。自前で作ることができたら、アメリカも文句を言わないだろう。ドルがアメリカの自前の通貨なら、このあと出てくるユーロもヨーロッパの自前の通貨で対等じゃないか。ちょっと考えるスケールが日本と違う。

 日本は金利を下げてバブルになるんですけれども、ドイツはちゃんと金利を適正に引き上げていく。少なくとも落とさない。経済理論に合わないことはしない。経済理論に合わないことしたら、あとでツケが回ってくるんです。これが日本のバブル経済です。


【中国】
 ただもう一つ、その間に説明しにくいと言ったのが、中国の人民元です。

 中国は1970年代からアメリカと国交を回復する。レーガンの1980年代になると、中国の人民元はどんどん切り下げられて安くなっていく。


 今やってるのは1980年代です。相場は上下するんだけど、1980年からぐっと円が上がっているでしょう。これはドルが安くなったからです。ドル安です。ドルが安くなったなあ。でも甘いです。人民元はもっと安くなっている。


 今の中国が輸出企業で儲けてるというのは、こういう準備があるからです。中国はなぜあんなに驚異的に発展するのか。本当に信じられないぐらいに発展した。当時マスコミはあまり報道してなかったですけど。
 とにかく人民元は安くなって、次の1990年代になると、日本にどういう店が出てきたか。一気に百円ショップができた。日本製で千円するものが、10分の1ぐらいで買える。ほとんど中国製です。脅威的な安さです。日本製品と比べると質は落ちるけど十分利用できる。そのぶん日本の製品は売れなくなる。これは為替が原因です。

 ここまでで終わります。ではまた。














「授業でいえない世界史」 55話 戦後 1980年代後半

2019-05-29 09:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【日本】

 1980年代の日本からです。
 戦後史はアメリカ中心です。そのアメリカのレーガンが1981年から大統領になる。その政策が最初ドル高政策だったけれども、次にドル安政策というふうに、ブレるんですね。


【プラザ合意】 あっちにいったり、こっちにいったり、その後40年間いまに至るまで、日本は翻弄されていきます。ドル高からドル安に変更したきっかけが、1985年プラザ合意だった。ここで一転して、アメリカはドル安政策をとって、アメリカの輸出を拡大しようとした。


 しかし同時にアメリカはお金がないから、外国のお金を借りないといけない。借りる時には金利を安く借りたい。あまり報道されないけれども、借りる相手が日本なんです。だから日本の金利を下げさせたんです。そうすると日本は、片や円高にしなければならない、片や金利は下げないといけない。前回言ったように、円高低金利という矛盾する政策をとらないといけなくなった。


 これは一種の内政干渉です。このアメリカの内政干渉が矛盾を生んでいったんです。偉かったのはドイツですよね。ハイハイといいながら、そんなことできるものかと、独自路線をとる。経済を脱ドル化をして、金利をきちっと守っていこうとする。そのあと10年計画を立てて、次には自分たちの通貨発行までこぎつけていく。これが現在何という通貨になっているか。これがユーロなんです。こういう非常に地道な計画、その場しのぎでない計画を立てているんです。


 日本は、そういうことがないんですよね。いいモノづくりをするためには、基礎研究から何十年もかかるのといっしょで、金融政策というのも10年スパンで長期計画が必要です。その点は物作りといっしょです。その準備がないとできないんですけれども、そこらへんが欠けている。


 しかしこういうふうに1ドル250円が120円に円高になっていくと、いくらすぐれた工業製品を日本が作ろうが、もう努力の範囲をはるかに超えているんです。どんなに努力しても、こんなに円が高くなると太刀打ちできない。


 日本は円高になる。ではお隣の中国はというと、ドルが下がっている以上に人民元が安くなっている。どんどん人民元が安くなっていく。その結果、あと10年経って1990年代になると、ここらへんまで前回言いました。今までなかったショップ形式が日本にも現れる。これが百均ショップです。100円ショップです。100円ショップの商品はメイドインチャイナです。この近くにも大手100円ショップの店ができた。あそこにいくと客が多い。レジに行くと並んで待たないといけない。ボンボン売れてます。


 繰り返すと、それは日本の製品が悪くなって売れなくなったんじゃなくて、日本の製品が高くなったからです。


 なぜ高くなったか。こうやって海外製品は安くなった。日本製品は値段で負けた。為替の幅が、努力の幅を越えているんですよ。日本人がまともに売れば、1000円でしか売れないようなものが、当たり前のごとく100円で売られたら、もうこれは太刀打ちできない。100均ショップはボロばかりかというと、まあまあ使える。そしたらみんな買うわけです。いい製品は買わずに、そこそこの商品で妥協する。おまけに1990年代から平成不況に入り、ますます質は良いけど値段の高い日本製品は売れなくなる。


 こういう非常に厳しい状況に陥っていくのが1990年代なんですが、当時私も含めて10年後、20年後、それから30年後の今、現在の日本がこうなっているというのは予測がつかなかった。
 当時、何が流行りだしたか。日本全国お笑いブームの嵐、ビートたけしなんかが、赤信号みんなで渡れば怖くない、やっちゃえ、みたいな感じでやる。毒のある笑いを振りまいていた。その頃、ビートたけしは面白かったんだけれども、今は完璧に抱き込まれたような形で、ぜんぜん面白くない。毒づいて、笑っている分には良かったんですけどね。国際映画監督とか何とかで、箔がついて、やてもてはやされていたけど、もう映画のネタも切れた。
 それに少し遅れて今の明石家さんまです。お笑い番組、当時はトークショーと言っていた。なぜそれが流行るのか。テレビ局にとっては、トーク番組は、お金の面で、映画とかドラマに比べて・・・ただ話すだけでしょ・・・制作費が安いんです。安くつくって、視聴率取れたら、こんな良いことはないから、お笑いだ、お笑いだ、となる。今ではお笑いの選手権みたいなものまである。


 このあと日本はバブル経済になりますから、もうブランド志向、高級品の食材でグルメ、若い20代の女性中心に海外旅行、どこどこ行っちゃったわとか、そういうふうに日本中が浮かれ始めるんです。しかし浮かれたバブルから一気に不況の平成に入っていくんです。

 では仕掛け人のアメリカはというと、スターウォーズという映画と抱き合わせで、スターウォーズ計画という軍事計画を立てる。核弾頭を大気圏外に飛ばして、宇宙から落とす。大陸をまたいでミサイルを飛ばす。大陸間弾道弾という計画を立てている。ハリウッドと協力してスターウォーズ計画つまり戦争計画です。その宇宙戦争物の映画が大ヒットする。みんなが面白がる。非常に危険なことなんだけど、感覚が麻痺していくんです。


 そういうマスコミ操作をしながら、アメリカは軍事力を増強していく。アレッと不思議に思ってください。お金はあるんですか。アメリカに。ないんですよ。


 何が一番お金がかかるか、軍事力が一番お金がかかるんです。矛盾しているでしょ。お金がないのになんで軍事力増強ができるのか。お金を借りるからです。
 目的はソ連を打ち負かすためです。日本のお金はこれに全面的に協力していく。結果的には、その10年後、ソ連はちゃんと滅んでくれる。1991年ソ連崩壊という形になっていく。


 スターウォーズ計画では、大陸間弾道弾つまりICBMというのが登場する。これに似たもので中距離核戦略というものもできる。つい最近アメリカは正式にこの禁止条約を破棄した。ロシアとお互いにやめようといっていたのを、ロシアが守らないからという理由で、トランプが一方的に破棄しました。ロシアは、逆に守ってないのはアメリカだという。どっちが本当なのか分からない。とにかく、この禁止条約は廃止されました。

 軍事競争でソ連も潰れるんだけれど、アメリカもお金がない上に、ますます財政が悪化していって1985年には債務国に転落していく。借金国に変わっていく。前回言ったように、世界最大の債務国に、このあと2、3年でなっていきます。逆に世界最大の債権国というのが・・・お金を貸している国です・・・これが日本です。アメリカと日本の経済は、財政力を別々に見ているとよくわからないです。アメリカと日本の経済は、一つにまとめてみるとよくわかる。別々の国なのに。密かに言われる日本のあだ名があって、日本は「アメリカの財布」だといわれる。お金貸してと言われると、ハイハイと断ったことがない。

 アメリカは、ソ連が没落した後は、冷戦中止と経済再建を目指すということになっていきます。


 これを日本側から見ると、日本は1985年にアメリカの意向を受けてプラザ合意に調印した。狙いはドルを安くすることだったから、逆にいうと日本は円高になる。
 ここは教科書的には、円高になるとすぐ不況になったと書いてあるけど、私が当時生きていて、そんなに不況ではなかった。逆に景気がいい、景気がいいと言って、高級品ブランド購入したり、グルメで高いものばかり食ったり、海外旅行に行くぐらいだった。だからそんなに不況ではなかった。俗にそう言われたけど、実体はそんなに不況じゃなかった。むしろ平成の日本が不況はひどい。


 ただ円が高くなると、日本人の賃金よりも外国の労働者の賃金が安くなるから、日本のメーカーはこぞってアジアへ工場を移転しだした。この動きが本格的に始まります。だからアジアの人たちが日本企業から給料もらって、急成長を遂げていく。日本の企業が、東南アジアあたりに工場を建てていくわけです。

 日本は、1986年1月・・・プラザ合意から半年後です・・・アメリカから言われて、不況でもないのに低金利を実施した。これでアメリカが日本からお金借りやすくなります。
 景気が悪くないときに金利を下げたら、一時的に異常に景気が良くなる。泡みたいに経済が膨らむ。これがバブル経済です。そしてお金があまりだすんです。銀行金利は低下するから、銀行預金を引き出して家庭の主婦まで株をやりだす。株が上がり出す。何億円とお金を持っている人は土地を買い出す。土地がボコボコ値上がる。
 私も経験したけど、5000万円の土地がたった半年で1億になった。こんなことがザラにあった。5000万円の土地を買ったら、寝ていただけで倍になる。そこでポンと売るんです。そんなことが商売で成り立つような時代が、4~5年続いて、今考えたらこんなものがいつまでも続くはずがない、ということは分かるはずだと思うんだけど、当時はみんなこれに巻き込まれていって、オレも株だ、オレも株だ、とどんどんふくれて、最後に突然ボンと落ちる。いつものパターンです。


 それまで250円だった円が、1988年には1ドル120円にまで上がる。これはドルが安くなったんであって、円は安くなったんではありません。円は逆に高くなったんです。倍以上に高くなった。


 1980年代は、世の中がじわじわと見えない形で動き始めています。しかし日本人はお笑いブームで笑い転げてるという時代です。私はまだ20代でしたけれども、あまり人のことは言えない。いっしょになって笑っていたクチかもしれない。まだ何が起こるか、わかっていなかった。いい歳になって、30~40歳になってから、20代を振り返って、オレたちバカだったと気づくぐらいです。


【ソ連】
 ソ連は、ゴルバチョフという新しい指導者が出てきた。社会主義が行き詰まって、改革するぞという。この改革をロシア語でペレストロイカという。1985年です。プラザ合意の年といっしょです。たまたま1985年でいっしょなのか。一連の動きという感じもある。そういうペレストロイカです。国内対策としてはまず情報公開します。これをグラスノスチと言います。

 それから言ってないけど、1979年からソ連はアフガニスタンに南下して、戦車を侵攻させています。これを撤退させる。アメリカがそれを非難して対立したから、アメリカの軍事戦略にはどうも勝てない、ということで撤退する。それでアメリカに寄っていって、米ソの冷戦が終結していく。約50年続いた東西冷戦が、その方向に大きく動き出します。


 最終的にはソ連は解体しますが、それまでにはあと6年かかるんです。そういう中で、もうソ連に力はないと思ったら、今までソ連のいうことを聞いてきた周辺の国は、ソ連から分離独立し、離脱していく動きを見せ始めていきます。


【イギリス】
 こういうソ連の弱体化の中で、もうソ連はダメよね、社会主義はダメよね、計画経済というのはダメよね、という方向にまず動いたのがイギリスです。イギリスの鉄の女といわれた首相サッチャーです。今もイギリス首相はメイという女の首相ですけど、イギリス初の女性首相はサッチャーです。
 イギリスは女性が首相の時には、あまり良くないみたいですね。変な動きをする。今もEU離脱が乗り上げてうまくいってないでしょ。イギリスはどんどん自由競争やっていくんです。競争しなさい、競争しなさい、と。ということは、競争したら勝ち負けがはっきりするから、勝った者だけに、頑張ったね、お利口さんね、という。負けた者は仕方がない、という。こういう厳しい政策をします。情け容赦はありません。これをサッチャリズムといいます。サッチャリズムといって、さらーっと実行されていくんです。それに美人だからいいんじゃない、というふうに日本人は思ってたふしがあります。ここからですよ。イギリスはもともと階層社会で貧富の差が激しいのに、ますます激しくなっていく。


【フランス】
 それに対して1980年代のフランスは逆です。まだ社会主義政権を見捨てていない。社会主義的改革を推進していく。これミッテラン大統領といいます。だからフランスはアメリカには追随してない。
 アメリカべったりなのは、1にイギリス、2に日本です。


【イラク】

 次にイラクです。イラク、分かりますか。イランの隣です。イランとイラクの区別つきますか。ペルシャ湾のすぐ周辺にある。ここは長いことイギリスの植民地でした。第一次世界大戦後はイギリスの委任統治領となっていた。結局イギリスの支配下にあったんです。

 1932年に独立して王制になっても、その王様はイギリス寄りだった。だから20数年後の1958年には王制は潰れる。そういったことがあって、1980年代のイラクの大統領はフセイン大統領です。この人が注目なのは、アメリカに戦争しかけられる男なんです。1回目は負けた。その後もう1回仕掛けられた。これが2003年のイラク戦争です。そして殺されゆく。


 でもこの時は、フセインはアメリカ寄りなんです。アメリカがもともと嫌いなのは、イラクじゃなくて隣のイランです。


1979年にイラン革命という反米革命が起こっため、アメリカからイラクは、おまえこれを妨害しろ、と言われて、翌年の1980年からイランとイラクが戦う戦争が起こる。これをイラン・イラク戦争といいます。イランは反米ですね。この時イラクは親米です。しかし10年もするとイラクはアメリカに嫌気がさすんです。いいかげんにしろ、イラクのフセインもそう思い出す。


【ラテンアメリカ】

 着々とソ連を潰していくアメリカです。同時に、アメリカの周辺国に対して、こうしろ、ああしろ、といろいろな干渉をしていきます。アメリカは、その周辺国には、100年も前から棍棒外交といって、言うこと聞かない周辺の弱小国の頭を叩いていった。そういう歴史があるから、ラテンアメリカでは反米運動が起こっている。こういう運動をアメリカは徹底的に弾圧する。アメリカを嫌う国家は認めない。
 その機構が1948年にできたアメリカを中心にカナダが賛成したOASです。米州機構という。これは反米運動弾圧の中軸です。

 1970年に、まずチリで政変が起こります。合法選挙でアジェンデ政権が成立する。これは反米政権です。アメリカは嫌いだという政権です。こういうアメリカに歯向かう国を許しておかないのがアメリカです。そこでチリの軍隊のエリートを抱き寄せて、おまえクーデターおこせ、これを潰せ、それに乗ったのがピノチェトという将軍です。それで1973年にピノチェトによるクーデターが起こります。アジェンデ政権をクーデターで潰すんです。これで親米政権ができました。クーデターというのは法律違反です。非合法的に政権をつぶしていく。不法政権なんです。そしてこの政権が唱えたのが新自由主義です。競争大好きです。サッチャーといっしょです。というよりサッチャーよりもこっちのピノチェトの方が先です。新自由主義で、競争しなさい。弱かったら、競争して強くなりなさい。競争して負けたら、しかたがないから潰れなさい、という感じです。こういう経済思想が非常に流行っていく。それがイギリスのサッチャーにつながっていく。もとをたどれば新自由主義の出所はやっぱりアメリカです。


 シカゴ大学のフリードマンという偉い大学の先生が、盛んに宣伝したのが新自由主義の経済理論です。これ日本ではどういう形で現れるか。1980年代に首相中曽根康弘がやったことは、国家企業を競争しなさいということだった。それで次々に民営化していった。
 電電公社は民営化して何になったか。これが今のNTTです。日本国有鉄道も民営化された。これはJRです。メインはこの2つです。あと一つが、専売公社は日本たばこ、今のJTです。これ全部1980年代に民営化されたものです。日本にこうやって影響が及んでくる。これで何万人もの人が首を切られた。こういうことが日本にも起こってくる。時の首相は中曽根康弘です。


 同時にアメリカは小さい国に軍事侵攻します。1980年、エルサルバドル、中米の小さな国ですけれどもアメリカが軍事介入し、そして内戦状態になっていく。

 それから次に1982年、ニカラグアです。ニカラグアも中米です。ここにも革命が起きて親米政権が生まれていく。

 それから小さな島では、グレナダという島、カリブ海の島です。アメリカ軍が露骨に侵攻して制圧する。はっきり言うと、地方空港を米軍が乗っ取って、その県を合衆国の52番目の州にするようなものです。

 さらにオスプレイが来る。米軍基地にはならないと思うけど、しかし基地になってもおかしくはない。もともと軍事基地にはしないという約束をしていた。米軍基地、今でも基地にはなってはいないけれど、基地化はしないという・・・40年前に空港ができたとき・・・約束があった。しかし時間とともに約束が風化していく。約束がなくなったわけではないのに、みんな亡くなったりして、それを知っている人が少なくなると、基地化しませんかと言って、100億円くれるんだったら、基地化しようかなという話になっていく。

 それからチリもです。さっき言った、1973年にアジェンデ政権がピノチェト軍に軍事クーデターでつぶされた。これも全部米軍がらみです。


 1979年、エルサルバドルはアメリカの軍事援助で、右派政権、親米政権が維持される。


それから、1983年にグレナダも親米政権が樹立される。


 さらに、1989年に、米軍はパナマにも侵攻する。麻薬疑惑をかけられていた大統領がいる。これは表面上の理由です。なぜかというと、パナマはアメリカにとって一番大事なあのパナマ運河があるところです。それをこのノリエガ将軍は、勇敢にも、これはうちのモノだ、アメリカはもっているのはおかしい、これはパナマにあるからパナマの国営企業にする、と言った。パナマにあるんだからパナマのものだ。日本の空港が米軍基地になったらイヤでしょう。日本のものですから。そうなってないから、パナマのものにするとちゃんと言ったんです。そしたら別の理由をふっかけて・・・麻薬に関係しただろうと言って・・・軍事侵攻した。そしてノリエガ将軍を逮捕した。罪を作って、軍事的に制圧するというやり方です。

 これは、アメリカ政府発表でも、ちゃんと読む人はウソだなと分かっているんです。だから、このグレナダ侵攻とパナマ侵攻については、国連でさえ、明らかなウソだと、アメリカを非難したんです。アメリカの強圧的な態度に反発する国も多い。


【東南アジア】
 では東南アジアで、アメリカが大好きな国はどこかというと、戦前までアメリカの植民地だったのがフィリピンです。独立したんだけれども、この時の大統領は親米政権です。アメリカが大好きです。マルコス大統領という。

 この人は、20年以上大統領の地位にしがみついて、私服を肥やしていた。私腹を肥やすというのは、国家の財産を自分のポケットに入れていたということです。自分は金持ちになったんだけれども、フィリピンには産業が育たなかった。高い失業率で、国民は貧しい。国民の不満が巻き起こって、最後は殺されるのを恐れて亡命した。国民から追放された。代わりにコラソン・アキノという人が政権を樹立し、どうにか落ち着いたフィリピンになっていくんだけれども、基本的にはフィリピンは親米です。


 ただここで東南アジアというのは、1950年代に高く掲げた目標があったんです。非同盟です。アメリカとは同盟しないという目標です。でもアメリカはここと同盟したい。

 では次はミャンマーです。ミャンマーは、1980年代の終わりから、今も生きている女性、アウンサン・スー・チーが出てきます

 この人のお父さんは暗殺されたけど、ミャンマーつまり昔のビルマをイギリスから独立させようとして、直前で暗殺された将軍です。その実の娘です。ただこの人は父親が暗殺されたあとは、どこで教育を受けたか。ビルマにはいない。イギリスです。そして旦那もイギリス人なんです。この人は親米派です。父親は反米だったけど、この実の娘は親米です。アメリカ寄りです。教育もアジア流じゃない。イギリス流の教育を受けている。そういう大きな流れを押さえてください。


【1990年代】
 まだ1980年代ですが、あと少しで1990年代に入ります。もう次の1990年代の動きは始まっています。1990年代のはじめからソ連はガタガタ、社会主義大勢が崩壊し始めていく。もうボロが見えだした。


【ポーランド】
 最初はポーランドです。
ドイツの隣、東にある国がポーランドです。ここは戦後50年間は社会主義国家だったけれども、しかし自主管理労組連帯というのが結成されて、これは反国家的労働組合です。1989年6月に選挙をしたら圧倒的な勝利であった。その中心人物がワレサという人です。社会主義の中で、それに反対する組織が選挙で勝って大統領になった。


【天安門事件】
 もう一つが、ポーランドの選挙と同時に1989年6月には中国で大きな事件が起こるんですよ。これが天安門事件です。中国は1980年代から人民元が安くなって、ぼちぼち景気が上昇しているんです。豊かになってるところで、お金を持ち出した人たちが、次に今度は民主化を要求していく。それがどんどん大きくなって、天安門広場という、昔の宮殿があった故宮のある大きな広場に、毎日毎日何万人という人たちがデモをやっていく。普通だったらそこで政権の方がつぶれたりするんだけれども、中国は戦車を持ち出すんです。徹底的に鎮圧していきます。だからこの後の中国は、民主化は抑圧されて、政治的には共産党一党独裁体制を維持するだけれども、経済的には自由化路線を歩んでいくんです。

 鄧小平が言いました。金持ちになりたい者からなっていけ、と言った。それまでは共産主義の平等思想だったんです。儲きたい者はどんどん先に儲けていけ、みんないっしょに儲けなくていい、おまえだけでいいから先に儲けたかったら儲けていいぞと、自由経済を許したんです。これは自由営業の許可です。


 それと同時に人民元は安くなる。だから海外で中国製品が売れる。日本に百均ショップができてくる。怒濤のごとく中国製品が流入する。最初は百均ショップから、次には家電製品になって、次にはスマホです。日本製のスマホも性能いいけれどもあまり売れない。中国製が安い。


【ベルリンの壁崩壊】

 その年の1989年11月には、東西冷戦の象徴であったドイツのベルリンの壁が崩壊する。もう社会主義はダメだなあと、分かっている。分かったあとに、ポーランドで自由主義政権が誕生した。


【ルーマニア】
 1989年12月、次にはヨーロッパの独裁者と言われたルーマニアの大統領、その政権が民衆暴動で潰される。ヨーロッパはやるなあと思ったのは・・・ほめてはいないけど・・・チャウセスク大統領は民衆が血祭りに上げて射殺される。その直前までテレビ放送された。本当に人が死ぬところは、放送コードに引っかかるから放送できない。非常に緊迫した年です。


【マルタ会談】

 その1989年12月にはアメリカの大統領ブッシュとソ連のゴルバチョフか地中海のマルタ島というところに集まって話し合った。そして50年間の憎しみはチャラにし、冷戦を終わらせましょうという合意をした。これが冷戦終結です。この1989年までが、日本のバブルの最盛期です。この年の12月31日が日本の株価の最高値です。今でも越えてません。次の年1990年の1月からドカッと落ちて、上がりきれない。もう何十年も。
ソ連は、このあと無傷だったのかというとそうではなくて、ソ連は潰れていく。

 これで終わります。ではまた。














「授業でいえない世界史」 56話 戦後 1990年代前半

2019-05-29 08:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


前回言い忘れたことを言いますが、終わりの方で、ミャンマーのアウンサン・スー・チーのことを言いましたけれども、尻切れトンボで終わってました。
 アウンサン将軍の娘なんだけれど、親米です。アメリカ寄りで、民主化寄りというのもアメリカ寄りで、だから軍部の不満が高まって、この人はこの後、軍部が弾圧して軟禁状態にされた。軟禁されたことからはよくないけれども、方向性としては軍部はアジア重視で反ヨーロッパ的なんです。それに基づいて反米的なんです。アウンサン・スー・チー女史はどうもイギリス教育を受け、アメリカ寄りの発想の持ち主です。

 今やっているのは、マルタ会談です。実は、マルタ会談1989年12月ですけれども、一月前の1989年11月、ほんの1ヶ月前には、ベルリンの壁側が崩壊しています。これが東西冷戦終結の象徴で、ソ連はまだ崩壊してないといっても、社会主義がつぶれようとしてるってことは実質的にわかった。ソ連はまだ形式的にはつぶれてないけども、社会主義はダメだなということは、素人でも分かってる頃なんです。

 そのソ連では次の1990年になると、ソ連の一部であったバルト三国、これは早々とソ連を離脱して独立を達成してしまうんです。これはもうソ連もたないな、と世界中に知らしめた事件です。
 そして次で言うんだけれどもこの年の1990年10月ドイツが統一する。このあと下ですぐにやりますがドイツ統一です。

 翌年の1991年には、ソ連中心のコメコン、ワルシャワ条約機構も解体し、その年の12月にはソ連自体が崩壊してロシアになっていく。50年間の東西冷戦がほんの1、2年で崩れる。崩れるときには早いですね、アッという間に崩れる。


【日本のバブル崩壊】

 これとは何の関係のないように見えるけど、お金の動きで関係してるのは日本のバブル経済とその崩壊です。それに続く日本の30年間の平成不況というのは歩調を合わせている。日本のお金の流れとソ連崩壊は一連の動きです。
 日本は1989年12月31日がバブル経済のピークで、株価が最高値をつけた。正月三が日が開けて東京証券取引所は開幕すると、その日からずっと株価は下がっていく。バブル経済が崩壊したんです。

 そしてこの後は、長い平成不況へと突入する。ということは今になってわかるのであって、当時はどうせ1年ぐらいかな、2年ぐらいかな、もうちょっとの辛抱かな、3~4年かな、それで10年経った。これで終わるだろう。20年経った。まだまだ30年経った。
 結局平成30年間も多少の浮き沈みはあっても、全般的に不況だった。その平成も今年で終わります。この平成不況が本当に終わってるのかどうかのまだわからない。予断は許さない。アベさん流に言うと、私が景気回復させたというけど、自画自賛ですね。


 1990年代は1980年代の円高を超えて、さらに円高に向かう。ここで次のページのプリントを見てください。


 このあたりのことは、あちこち見比べないとわからないです。これが次のプリントです。見比べたいのはこのグラフです。前に一度出しているのと同じなんですけど、それを拡大したものです。


 1990年ですね。語り始めた1980年代から見ると、1985年には、1ドルは250円ぐらいだった。1990年にバブル崩壊したときには、1ドル120円ぐらいまで行って、100円以上円は高くなっています。逆に言うとドルは安くなっている。


 ここで日本のバブル崩壊して不況になる。円はどこまで行くか。1995年にもっと高くなる。1ドル150円から1ドル79円まで行く。これは円が高くなると日本の製品が高くなって売れないということです。売れなくて不景気になっていくということです。逆に言うと、ドルは150円から79円に安くなった。こっちが分かりやすい。


 これで驚いたらいけないのは、その裏側で中国の人民元の動きです。この人民元が1990年はここでしょ。1995年にかけてもっと安くなる。人民元がとんでもなく安くなっているということです。


 この1990年代の為替の動きを見ると、日本のバブルが崩壊した1990年から5年後、1995年まではドルが安くなる。そして人民元も安くなる。そういった中で、とんでもなく円だけが高くなるんです。
 円高の時代です。日本の製品が海外で売れない。つまり輸出不可能になっていく時代です。逆に輸入品は山のごとく入ってくる。何回も言うように中国製品が安くなる。日本に中国製品が入ってくる。これで日本が儲かるはずがない。


 ピンとこないかもしれないけど、円高がある程度落ち着くのが、1995年以降です。

1995年になると、平均1ドル110円です。今日も110円です。これが例えば110円が100円になったりすると、日本の経済界は実は君たちが知らないところで、上へ下への大騒動するんです。

 これは桁が違う、1990年から1995年にかけて起こったことは、1ドル150円が79円になる。これは桁が違う。とほうもなく円高です。トヨタなんかは、110円が100円になったりすると、それだけ何兆円の損失を出す。何兆円の損失です。輸出企業にとっては、企業が潰れるかどうかの円高になっていく。
 為替というのは、爆弾が落ちたりしないからほとんど目立たなくて、無関心な人には全くわからない世界だけれども、その裏では爆発的な破壊力がある。そういうことが1990年代前半にはずっと起こっていたということです。

 それで日本は1990年にバブル経済が崩壊して、平成不況になり、さらに円高になった。1995年には1ドル79円まで行った。150円が79円になるんですよ、5年間で。

 それは裏を返せばドル安です。
 しかしもっと安くなったのが中国人民元です。ドル安人民元安です。しかしアメリカの産業力は弱くて、アメリカは産業を伸ばしきれない。
 人民元はそれを越えて安くなったから、この1990年代から本格的に中国の急成長が始まる。中国は1980年代からぼちぼち成長していたけれども、それでもこの時は、中国のGDP国内総生産は日本の半分以下です。

 それが10年ちょっとで日本を追い越す。日本のGDPは世界2位をずっと何十年も続けてきたけど、2010年に中国が日本を追い越した。
 今は、それから10年近くたって、もう日本の倍以上ある。そういう中国の急成長が始まっている。こういう大きな流れは10年スパンで言います。


【ドイツ】

 個別に順番に追っていくと、今度はドイツです。
 さっき言ったように、日本のバブル崩壊の年と同じ年の1990年10月ドイツは統一される。これはプラス要因です。

 ドイツ統一です。西ドイツが東ドイツを吸収する形で今のドイツになる。地図で書くとこれです。君たちが生まれる前、それまではドイツは西ドイツと東ドイツという二つの国にわかれていた。統一したのはこの1990年です。統一したからといって、これだけでは満足できない。別の狙いがあるわけです。


 1985年のプラザ合意の時から、ドイツは西ドイツ中心に、アメリカとは別の通貨構想があった。そのために着々と経済統合を進めている。これがEUになった。ヨーロッパ連合です。1993年です。
 そして2000年にはユーロという独自通貨を発行する。ドルとは別の通貨です。ドルに頼らずに自前の通貨を用意する。日本はドルがなければ、いまだに生きていけない。
 経済力からいうと、このヨーロッパ連合つまりEUの中で、ドイツは経済力が最大の国です。イギリスではない。イギリスの時代はとうに過ぎている。フランスでもない。

 この時はソ連が滅んでいて、誰がみても世界ナンバーワン国家というのはアメリカです。アメリカを中心にどういった国の組み合わせ、グループ関係があるかというと、伝統的にアメリカと仲間はどこか。イギリスです。そして戦後新たに仲間に入れられた国がどこか。戦争で戦って負けた国、これが日本です。

 そしてもう一つ隠し味で、アメリカのニューヨークの金持ちたち、彼らの多くはユダヤ人です。そのユダヤ人の国イスラエル。こういうのが中心的なグループです。

 ではもう一つ、第二次大戦でアメリカ・イギリスと戦った国、ドイツはどうか。ドイツは独自路線です。
 さらにもう一つ、冷戦構造が破れたといっても、ソ連の後のロシア、これはやはり反米です。アメリカと意見が違う。

 さらにこのあと起こるのが、9.11事件です。時間があればユーチューブで見ますけど、ちょっと語れないぐらい疑問が多い事件です。イスラム世界との対立です。
 それと、急速に経済発展して世界の経済力2位になっていくのが中国です。

 ざっくり言うとこういう関係です。このあと10年かけて、このようにじわじわなっていく。いろんな事件が起こりながら。
 そのドイツを見ていくと、ヨーロッパ連合の結成は、1992年マーストリヒト条約から始まる。


【湾岸戦争】

 前後するけれども、順番通りに時の流れを追っていくと、その前年の1991年には何が起こるか。正月明けてすぐに湾岸戦争が起こる。アメリカがイラクを攻撃するんです。アメリカとイラクの戦争です。

 実はソ連が崩壊するのは、この年1991年12月なんですけど、さっき言ったようにベルリンの壁が崩壊した段階で、ソ連はすでにアメリカの敵ではない、というのはみんなが分かっている。アメリカが世界のナンバーワン国家、これに歯向かう国はないと皆わかってる。アメリカの一人勝ち体制がすでにできていたわけです。
 それにチョコっと刃向かった国がイラクです。これをアメリカはものの見事に叩き潰した。テレビ中継まで行う。そしてそれが全世界に放送され、高視聴率をマークする。放送したアメリカのCNNテレビも、その放送利権でがっぽり儲ける。リアルタイムで私も見ました。戦争で爆破される炎というのは花火のようにキレイです。背筋がゾッとするぐらいキレイです。世界に対する宣伝効果はバッチリです。


 イラク大統領はサダム・フセインです。アメリカのいう、イラクは悪い国だから攻撃するんだというその理由は、その前の年にイラクが、隣の小さな国クウェートに侵攻したからです。そのクウェートは小さい国だけれども、石油がガッポリ出るお金持ちの国です。そこで、勝手に人の土地を侵略するな、とアメリカが言うけど、この真相はまだよくわからないです。
 のちに殺されるイラクのサダム・フセイン大統領は、いや、アメリカに了解もらっている、と言ったという。了解もらってアメリカがいいと言ったから併合したのに、その瞬間にアメリカが攻撃した。理屈があわないと、法廷で言ったという話があって、よく分からないけど、それがうやむやのままです。
 とにかくアメリカと戦えば、相手にならない、一週間で負ける。これが湾岸戦争です。アメリカの軍事力を世界に見せつけた戦争ですね。


 アメリカにはとても勝てない。アメリカは1週間で勝つ。アメリカの強さを世界に見せつけた戦争です。ソ連という敵がいなくなった瞬間に、小さい国を一瞬でやる。


 クウェートの場所はここですね。イラクはここです。

 しかしクウェートは歴史的に見ると、イラクの州の一つです。それをイギリスが植民地にして、クウェートはとくに石油が出るから、イラクから分離してイギリスの支配下においた。それがクウェートです。そういう過去の歴史がある。
 この湾岸戦争というのは、ソ連に力がなくなって崩壊が迫っている。そこでアメリカが力を見せ付けた。そういう戦争です。


【ソ連崩壊】

 湾岸戦争があったのが1991年1月。その年1991年12月ソ連は崩壊する。そしてソ連は10ぐらいの国にわかれてしまった。その中で最大の国がロシアです。緑の部分が旧ソ連です。ではソ連から分離した国はどこか。
 西では、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ。
 南ではカザフスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、それからアゼルバイジャン、アルメニア、グルジア。
 こういうところがソ連から分離して独立国になった。新しくできた国です。私が若い頃は、こういう国はありませんでした。


▼ソ連からの独立国


 それでも、独立しても仲間になろうという国が、独立国家共同体・・・CISというんですけど・・・をつくった。今はほとんどまとまりはなくなって、このなかで喧嘩したりしている。ウクライナとロシアも喧嘩したりしている。国も分裂した。経済体制も変わる。それまでの社会主義国家は解体した。資本主義体制に変わった。


【ヨーロッパ】

 ではヨーロッパはどうか。1985年のプラザ合意の時から、ドイツは独自の動きをしていました。
 第二次大戦後10年ばかりで、ヨーロッパの共同体をつくる試みは着々と進んでいた。当時はECと言っていた。
 それが今のEUとなったのは、その条約が1992年マーストリヒト条約です。
 日本のバブル崩壊1990年です。ソ連崩壊1991年1992年EU結成が約束され、翌年1993年にEU発足がした。これをヨーロッパ連合という。


 ただ前の年の1992年になにか変なことが起こる。イギリスの通貨ポンドが一気に売られる。誰が売っているのか。ヘッジファンドの連中です。ヘッジファンドとは何か。


 これを言うのは難しいけれども、人の金を集めて、それを使って為替を操作する集団です。金融集団です。世界にはこういうのがある。これは別に犯罪組織ではない。日本にもある。村上ファンドとか。一時世間を騒がせました。日本銀行の総裁がそれに一枚噛んでいたという話もある。アメリカとかヨーロッパの金融界は、ヘッジファンドだらけです。金融のプロです。
 そのボスに、アメリカ人ジョージ・ソロスというのがいる。人のお金をワッと集めて、国家のお金さえ入っているんじゃないかと言われるくらい集めて、そこでイギリス通貨のポンドをとにかく売りに出る。売って売ってポンドを下げる。この時ポンドはEU発足に向かって、ポンドの価値を一定に安定させないとEUに入れないという条件があった。ジョージ・ソロスは、これを突き破ってポンドを下げようとするんです。


 これはいかんと、イギリス政府がポンドを買い支えようとする。自分の国の通貨を買い支えなければならなくなった。どっちが勝つか。ふつうは国に勝つようなヘッジファンドはない。ところがジョージ・ソロスが軽々と勝つ。個人のお金が国家の資金に勝ったのです。こんなことは普通ありえない。逆にいうとこれは普通ではない。これは個人だけの力じゃない。これは多分、アメリカのお金が入っている。そうじゃないと、一人の人間が国の資金に勝てるわけがない。
 ポンド相場は変な動きをする。それでポンドが急激に安くなって、ユーロ入りの条件を満たさずに、イギリスはやむなく欧州通貨制度(EMS)を離脱します。それでイギリスは共通通貨のユーロに入れなかった。今でもイギリスはユーロではなくポンドを使っています。この裏にアメリカありです。
 今もイギリスはEUには入っていても、共通通貨ユーロには入っていない。ドイツもフランスも通貨は同じユーロです。イタリアもユーロです。イギリスはそれに入れなかったから、今でもポンドを使っている。

 そればかりか、一昨年2016年の国民投票でイギリスはEUからも離脱しようということを決定した。これはある意味で、ユーロ潰しです。イギリスを中心に、ユーロ潰しの動きをしている。
 ジョージ・ソロスを天才投資家とかいうけど、一投資家でこれはできない。昔の大英帝国ですよ。大英帝国の資金操作に一個人が勝てるわけない。しかし勝った。それで天才ソロスとか言っている。そんな言葉に騙されてはいけない。そんな天才はいないです。必ず後ろにどこかの国がついている。


 そんな説明しにくい世の中になって、一種の金融戦争がはじまる。爆弾が飛ぶ戦争は目に見えるけど、お金の戦争は目に見えない。ボケーっとテレビ見てても、何が起こっているのか全くわからない。


 こういった国際相場の世界で、日本の1ドル160円の円が、1995年に一気に79円になった。これも自然な動きではない。誰かが意図してやらないと、こんな動きにはならない。こういう人たちが人為的にやらないと、こんな動きにはならないです。今はだいたいこの110円ぐらいです。ここ5~6年間はだいたいそのあたりで落ち着いている。しかしこの先何が起こるかは分かりません。


 ただ民主党が政権を握っていた2011年には、1ドル110円が75円になった。これ君たちが小学校ぐらいで、覚えていませんか。これも自然な動きではない。そういう為替操作の時代に入って、どの国もビクビクしていますね。朝起きて蓋を開けると、今日の円相場はいくらなのかというのは、貿易関係者や金融取引業者は、気になって仕方がない。恐くて恐くて仕方がないです。

 ヨーロッパはEUを発足した後に、次には通貨統合を目指す動きに入る。ドルとは別の通貨です。ドルから離脱して、自立して独自の通貨で貿易を行っていこうとする。これが後のユーロです。ユーロができたのは1999年です。ここまで行くには、あと7~8年かかります。


【父ブッシュのアメリカ】

 ここも前後するけれども、アメリカはというと、ソ連との冷戦終結に向けて調印をする。大統領はブッシュ、父ブッシュです。この息子がまだ大統領になる。これも変なことです。アメリカの歴史がいかにおかしいといっても、親と子が、それもたった10年の間にアメリカの大統領になるなんていうことは、今までなかったんです。史上初めてです。こんな親子大統領はいないです。それにこの親子はとても不思議です。しかも父親はまだしも、息子ブッシュは無能だった。非常に不思議なブッシュ一族です。
 父ブッシュはソ連のゴルバチョフ書記長と会談して、さっきも言ったマルタ会談で、冷戦終結宣言を行った。これが1989年です。

 その息子ブッシュに呼ばれて、約10年後にアメリカでエルビスプレスリーを踊れといわれて、嬉しそうに一生懸命踊ったのが小泉純一郎という日本の首相ですね。サングラスかけて、腰ふりながら踊った、それが世界に放送される。日本の恥を世界にさらすようなものです。分かる人はあれを見て一瞬で日本とアメリカの関係が分かるはずです。日本のバブルが崩壊したあと、なにか政治家の質が変わったのです。


【クリントンのアメリカ】

 それで、前に戻ると、父ブッシュの次の大統領がクリントンです。1993年からです。クリントンというと、君たちが知っているのは、この大統領の嫁さんのヒラリー・クリントンのほうかも知れないけど、あれはこの大統領の嫁さんです。もしトランプが負けて、ヒラリー・クリントンが今度の大統領選挙に勝っていたら、夫婦で初のアメリカ大統領になっていた。
 これも不思議な話です。そうはならなかったけど。これも自然な流れと思いますか。アメリカの歴代大統領は、親が偉いから子供が偉くなって大統領になるなんていうことは絶対にないんですよ。父ブッシュの次はクリントン、その次が息子ブッシュが大統領になります。クリントン一族も、旦那が大統領になったあとは、その嫁さんが大統領になろうとした。ここらへんも、なんだか今までのアメリカと違うなーという感じです。
 
 
▼ドル円為替レートの推移
 
     
 
 もっと変なのは、さっきも言ったように、アメリカのドルがどんどん安くなって、1995年ドル安で1ドル79円まで行ったんですよ。
 そうなった瞬間にこのクリントン大統領は、また方向を変える。今までドル安をしてきたのに、急に気が変わったから今からドル高にするぞ、と言う。レーガンといっしょです。レーガンは最初ドル高にしていて、気が変わったからドル安にした。そしてプラザ合意で円を高くした。
 クリントンはドル安にしたあとで、今度はドル高にするぞと言う。順番が逆なだけで、為替操作という点ではいっしょです。つまり為替を上げたり下げたりすると、それにともなって、基軸通貨国アメリカにもっとも多くの利益が発生しやすくなるのです。
 それに日本は翻弄される。理由は新しい経済理論が開発されたからという。ニューエコノミーと言った。エコノミーは経済です。新経済というだけで、中身はなにもないです。


 ただ、こういうことを大統領に頼んだのが誰かはわかる。ウォール街の金融機関です。銀行、証券会社です。これが変わり目です。日本は円高から、今度は円安へと向かう。

 円安になれば、日本の輸出企業は好調になるはずなんだけれども、どうも、ちょっと違う動きをする。
 この円安・ドル高にするためにアメリカは、世界からお金を集めないといけない。お金を集めるためには、アメリカの銀行金利を高くすればいいんです。そしたら日本人は日本の銀行が3%で預金を預かるとすると、アメリカの銀行が10%を超える金利で預かる。アメリカが10%で預かるとしたら、普通の人間だったらアメリカに預ける。そっちのほうが高い金利がつくからです。こうやって日本の円がどんどんアメリカに流れる。こういうのマネーを呼び込むという。


 つまりアメリカは金利を高くして、他の国からお金を借りまくるんです。そう宣言した。金利をガッポリつけるから、うちに預金してくれ、と言った。ではそれを返済しているのか。それは謎です。


 日本は世界最大の債権国です。債権国というのはお金を貸している国ということです。ふつう返済してもらったら、貸しているお金は減るはずなんだけれども、この平成不況の中でも増えている。たぶん返してもらってない。もしくは塩漬けになっている。だからいつまでも債権国です。返してもらうアテのない債権を持っている債権国です。
 アメリカはドル高政策をする。高金利にして、金融経済を重視する、とこういうことです。


【金融ビッグバン】

 日本はというと、ちょうどその頃、1995年の翌年1996年には、それに協力するという金融改革を自ら進んで行います。これを金融ビッグバンという。金融の自由化、グローバル化です。円というお金が世界中どこにでも行けるように、改革するという。時の首相は橋本龍太郎です。金融自由化です。

 それでどうなったか。日本は長引く不況のさなかにいます。だから不景気で金利を上げられない。低金利です。アメリカは景気が悪くても高金利にした。そうすると日本はアメリカの10%につられて、アメリカに外貨預金をする。金融ビッグバンは、なにをしたかというと、今までこういうふうに日本の円を、アメリカのドルで預金するのは銀行しかできなかった。今は君たちだって二十歳になって、自分でお金を稼げば、日本の銀行で自由にドル預金ができる。この時から個人でも自由にできるようになった。これが金融ビックバンです。

 なーんだ、日本のお金がアメリカに流れているだけじゃないか。金融ビッグバンという言葉、意味分からないでしょ。私も最初は何のことだか分からなかった。
 金融ビックバンのビッグバンとは、本来は宇宙の大爆発のことです。これが何でお金とからむのかが、まずわからない。
 こういうネーミングの時には要注意です。名前でだいたいの意味が、本当は分からないといけない。 政府がウソをつくときには、わざとこういう言い方をします。
 戦前の治安維持法というのがある。治安維持する、泥棒捕まえて、いいことじゃないかと誰でも思う。でも中身は何か。頭の中で考えただけで逮捕されることです。政府がイヤな人間を誰でも犯罪者にできる。看板に偽りありです。法律に政府がわけの分からない名前をつけるときは要注意です。
 最初、新聞読んでも、ムニャムニャ書いてあるし、何のことか分からない。安い本を勝ったら、ウソ書いてあるからよけいに分からない。

 その金融ビックバンで、日本人を煙に巻いて、日本のお金がどんどんアメリカに流れ出した。アメリカはそのお金を使ってグローバル化に乗り出す。そのグローバル化に一番向いているのがIT革命なんです。

 マイクロソフト社というのが1995年にWindows95というのを発売した。もう1990年代からパソコンは普及してます。これを売り出した。世界中どこでも繋がるようになった。これがネットです。


 まずパソコンで、次にノートパソコンで。その次にスマホ、その3段階です。我々はスマホをあまり使えない。我々ができるのはノートパソコンまでだけど。君たちは生まれたときにはスマホがあったからできるはずです。


 今アルバイト情報とか見ていたら、こういう謳い文句がある。スマホのスキルがあるのは十分武器になりますよ、と書いてある。スマホは遊びではなくなりつつある。スマホの上手ヘタで、会社の採用が、決まったり決まらなかったりする。我々の世代は、あなたパソコン使えますか、それが入社の条件で、必ず聞かれていた。なにが使えますか。ワード使えますか。一太郎、ロータス、ロータスという表計算アプリがあった。これはエクセルに変わった。
 そういうのが条件だったけど、これが今はスマホになっている。謳い文句に、検索してたら、スマホが使えるのは立派な能力ですよ、と書いてある。確かにそうかな、と思う。若い人たちを見てたら。
 私などは、例えば文を1000文字書く、2000文字書く、というと、結構大変で、これは原稿用紙5枚です。これはパソコンで打つしかないなと思うけど、若い人で慣れた人、手品みたいに親指で打って、2000字ぐらいスマホでできたりする。すごい能力だと、私はびっくりする。私は絶対できない。パソコンじゃないとできない。そこまでできたら、一つの能力かなと思う。
 アップしたら、パソコンで打とうと、スマホで打とうと、漢字変換して、漢字間違いが無ければ、変わらない。一つの能力かなと思います。どうせやるんだったらそこまでやらないといけないですよ。スマホやるんだったら、そういうことが要求される時代になった。

 ただし、こういうSNSのプラットホームは、ほぼアメリカの企業が握っている。それが問題です。

 これで終わります。ではまた。
















「授業でいえない世界史」 57話 戦後 1990年代後半

2019-05-29 07:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 1980年代のプラザ合意あたりからは、まだよくわからないところがいっぱいあるんですけれども。

 アメリカのレーガン大統領、それから日本の中曽根康弘総理大臣、そこらへんから静かに何が起きているかわからないような動きをして、30年経ってみると、とんでもないことになってしまったというのが、今の状態ですね。

 ちょっと振り返ってみると、1980年代にアメリカはお金もないのに、ソ連を潰そうとして何をしたか。軍備拡張競争をやったんですね。それは流行の映画にもなって、今でもあってるスターウォーズという映画が、ちょうど流行りだした。


 アメリカはお金持ってるのかっていうと、財政赤字でどうしようもない。ソ連も経済はガタガタです。アメリカの経済ガタガタです。


 では、一番お金がかかる軍事、お金がないのにどうやってそれをやるか。お金を借りるしかない。だから金利を高くした。金利を高くして、よそからお金を借りて、軍備につぎ込んだ。どっちが先に潰れるかっていうチキンレースみたいなもんですね。そしたら、軍事力に勝り、経済力に勝るアメリカが勝って、1991年ソ連が崩壊する。その始まりは1989年、ドイツのベルリンの壁の崩壊です。これでガサッと世の中、世界中が変わったんです。米ソ対立、これが終わったんだから。

 しかし勝ったアメリカはどうか。お金もないのに軍備につぎ込んだから経済はガタガタです。ドルを高くすればアメリカの製品は・・・円高・円安がいまだにわからないと誰かが言っていたけど・・・アメリカの製品は売れない。だからますますガタガタになって、急きょ1985年プラザ合意で一気にドルを安くした。ということは、日本は逆に円高になっていったんです。


 この円高で、あまりに円高が行きすぎたから、日本は今度は円を安くしようと言って、金利を安くしたんです。金利を安くしたら、銀行に預けていても利子は返ってこないから、みんな株をやり出した。さらに土地の投機をやり出した。


 そして初めちょろちょろで、株が上がり出すと素人が気づくんです。もっと上がるか、もっと上がるか、まだ上がるかな、素人が買ったところでストーンと落ちる。これが1990年バブル崩壊です。


 ドイツも1989年にベルリンの壁が崩壊する。1991年にソ連も崩壊する。1989年に日本の経済的な栄光もここで崩壊する。1990年前後で一気に何かが変わった。これには爆弾の一発も落ちない。だから何が起こっているのかわからない。目に見えないお金の動きだから。こうしてふと気づけば、日本はこのあと30年立ち直れない。その始まりが平成2年、1990年です。いま平成31年です。今でもなかなか立ち直れない。原因が分からなければ立ち直りようがない。


【クリントンのアメリカ】

 もう1990年代、ソ連が崩壊した後のアメリカがどうなったのか。ここからもう一回行きます。

 1993年に民主党のクリントンが大統領になった。このクリントンの政策というのは、ドルを安くするか、高くするか。これがポイントなんですよ。猛烈なドル高政策を急展開した。


【ドル安】

 このグラフは政治経済の教科書から取ったものですが。どの部分かというと、プラザ合意の円高というのは、1985年のここがプラザ合意だから、1985年から一気に円が上がったんです。1ドル250円が150円あたりまで一気に上がった。そして御神輿みたいに、けっこう揺れる。

 チョコっと下がったと言っても、3分の1も下がっていない。日本は1990年代からバブル崩壊して不景気になった。不景気になった5年間は、この時の最高は1ドルが79円まで上がる。1995年です。円が高くなった。逆にいうとドルが安くなった。円が高くなると、日本の商品は海外で売れるか、売れないか。円安・円安わかりますか。売れないよね。売れないんです。


 不景気のドツボのなかで、円高で日本製品が売れない。こんなことが起こる。


【ドル高政策】

 それで1993年にクリントンが大統領になって、ここのドル高政策に変えた。1995年の1ドルが79円から、1998年には140円ぐらいまで、ドルが高くなったんです。ドルが高くなった。ではアメリカは景気が、アメリカの製品が売れてるから、ドルを高くしたのか。狙いは何なのかというと、そういったこととは全然違う。

 この狙いも、爆弾も落ちずに静かに進行するから、グラフをじっと見て読み解かないと意味が分からない。だから政治経済が先に終わっていてよかったと思うんですが、狙いは貿易を増やすことじゃない。
 銀行が集まってるところはアメリカのニューヨークの、何という一角ですか。むかし壁で囲まれた砦だったから、ウォール街という。ここは地上50階建てぐらいの摩天楼、超高層ビルが50年、60年ぐらいも前から林立するような金融街なんです。ここを儲けさせようとする。そして世界中からお金を借りようとする。お金を借りるためには金利を高くしたほうがいい。こうやって金利を高くしてマネーを呼び込むんです。
 だいぶ日本はこれに貢いでいる。それでお金を返せと言っても、軍事力をもっているから、ソ連はつぶれて向かうところ敵なしだから、おまえ誰に向かって言っているのか、という感じです。こうやってアメリカは借金に借金を重ねていく。


 それをやったのは、財務長官、日本でいえば大蔵大臣、ルービンという人です。アメリカは民間会社の銀行の社長や証券会社の社長が、大統領から選ばれて、政府の大臣になったりする。この人も、その前はアメリカナンバーワンの証券会社の社長です。証券会社社長がアメリカの財務長官になって、経済界のトップになる。そして金融街が儲ける政策を行う。


【金融ビッグバン】

 その時に不景気とはいえ、日本は海外に一番お金を貸している債権国なんです。その大半は、日本からアメリカへというお金の流れです。
 そういうお金をアメリカは、お金が欲しかろうといって、貧乏な東南アジアの国に又貸ししていく。世界にお金をばらまいていく。ばらまいて利子を取る。日本がアメリカに2%で貸したら、アメリカは別の国に6%で貸して利息を取る。


 このころ日本は、どういったことをやっていたか。橋本龍太郎という総理大臣が、さーこれからは金融ビッグバンの時代だと、訳のわからないことを言い始めたんです。これが金融の自由化です。
 それまでは、ドル預金するのは企業だけだったんですよ。私が個人で幾らお金持っていても、ドル預金なんかできなかったけれども、個人でもドル預金ができるようになった。個人でもドル預金可能です。つまりアメリカの銀行に、私でも預けることができる。具体的には日本の銀行がそういう業務をやる。ということは、私の日本の円がアメリカで使われるということです。こういうふうにお金が国境をまたいで、自由に行き来できるようになる。日本はこれに巻き込まれていく。


 これが外国為替法の改正です。略して外為法という。外為法の改正です。誰でも外貨を買える。つまり外国に投資ができるようになった。それを当時グローバル化と盛んに言っていました。こうやって不況の中で日本のお金が外国に流れているんです。


【IT革命】

 グローバル化というのは。いい言葉みたいですけどね。気づいてる人がいるかもしれないけど、このお金と相性が良いのがインターネットなんです。

 私はできないけど、ラインで決済とか、いっぱいできる。ペイペイとか、コマーシャルしている。スマホで簡単にお金の決済している。ITとお金、これは相性がいい。
 同時にアメリカは、ここでIT革命というのをやり出した。IT革命というのは情報だけじゃない。実はお金が絡んでいる。お金の動きが今大きく変わろうとしています。

 それでアメリカにお金が流れた。そしたらお金が余ったら、どうなるか。景気が悪いアメリカで住宅価格がどんどん上がりだす。1000万円で買った土地が1年後に1500万円、2年待てば2000万円になる。これが何年も続くと、味を占めて、このあとどうするか。1000万で買って2年待って2000万で売る。まるまるそこの家に住んでいて、ただで済んでいて、2年間で1000万円儲かるわけです。こういうマネーゲームが起こる。
 しかしこういうのは、いつまでも続かない。ただいつ終わるかはわからない。なかなか終わらなかったから、このあと10年後ぐらいから、サブプライムローンといって、返せる見込みのない貧しい人たちに、お金を貸すよ、住宅を買え買えと、アメリカの銀行が言い始めた。


 これがはじけたのが2008年リーマン・ショックです。これで世界中が吹っ飛んだ。またしてもアメリカです。こういう流れはまたあとで言いますけど、それはここらへんから始まる。これはリアルタイムです。我々が生きている時代のことです。
 ここらへんは現在進行形で、今も継続していることです。

 1995年まではドル安で来たんだけれど、これがクリントンからドル高に変わる。そして高金利政策へと変わった。これがマネーゲームの始まりです。日本は平成不況のまっただ中です。それなのに外国にお金を貸す。変な国です。


【中国の人民元安】
 ではもう一つの隠し味。ドルよりも安くなってる通貨が何だったか。これ言うのは2回目です。中国の人民元です。アメリカはドルでしょ。人民元といったら中国です。たんに元という場合もある。

 これ1995年ごろ、だいたい15円ですよ。1人民元が。その15年前の1980年はいくらだったか。150円です。150円が10年ちょっとで10分の1の15円になる。これは人間の努力の幅を越えている。途方もなく安くなっている。中国の通貨が安くなれば、中国製品はどうなる。安くなります。だから中国は輸出を伸ばす。
 だからファーウェイという中国企業が、安くてどんどん製品を売って、数十年で世界企業になっていく。人民元安があります。
 その間、日本の円は逆に円高です。円は高くなっている。人民元は安くなっている。それも10分の1に。この差は大きいです。かたや10mのタイム、かたや100mのタイム、それでかけっこのタイム争いしている。10倍のスピードで走らないと勝てない。

 ではその人民元の中国は、人民元が安くなってる中で景気がだんだん良くなった。そんな中で1989年に天安門事件というのが起こる。景気が良くなって給料も上がって、中国人が次に求めたのは、お金はある程度手に入れたから、今度は政治的な自由です。民主化要求をする。選挙しろと言い始めた。しかし即弾圧です。


 各国がそれによって経済制裁を行い、弾圧したらダメじゃないか、と言った。でもこれはどうも、こけおどしです。本気じゃない。いいじゃないかそれぐらい、中国は経済成長しているのだから、という形で済ます。だから中国はこのあとますます経済成長していく。中国の経済成長は民主化なしで経済成長しています。逆にいうと、経済成長は民主化なしでもてきる、ということをこの国が証明しつつある。


 その中心リーダーが鄧小平だった。ほんとに小柄な普通のおじさんだった。彼が資本主義路線を本格的に中国に取り入れだしたんだけれども、中国は表看板はあくまでも社会主義です。今もです。資本主義とは言えない。これは政治経済でやった。そこでこれを何というか。改革開放政策という。つまりは資本主義化のことでが、それを資本主義化とは言えないのです。


 そのためのお金は外国から借りる。たぶんアメリカからです。ここらへんよくわからない。わからない理由は、私がわからないじゃなくて、銀行にあなたのところの資産がいくらで、どこに貸しだしているか、を聞いたところで絶対に教えない。銀行がそんなことを言えば罪になる。個人の秘密は守らないといけないから。
 外国からの投資で、たぶんアメリカ資本も入っている。たぶん日本資本も入っている。それで中国の高度成長に拍車がかかる。貸した日本をはるかに上回る規模で伸びている。もう2010年に抜かれましたけど。これを一言でいうと、中国は民主化なき経済成長を成し遂げた。
 いまだに中国では政府ににらまれて、軟禁状態の小説家とかいますね。街中には、悪いことしないように、日本のコンビニの監視カメラどころじゃない、その数十倍の監視カメラが張り巡らされている。そういったなかで、徐々に徐々に人民元は切り下げられていきます。

 また1997年に約150年ぶりぐらいに、イギリスの植民地であった島が返還された。これが香港です。ここは何をきっかけにイギリスの植民地になっていたか。麻薬です。何という麻薬か。アヘンです。香港は、イギリスがアヘン戦争で分捕った地域です。ここで返還されました。


 1980年代の初めには、1人民元が150円。これが1990年代の半ばには15円にまで急激に下がった。10分の1です。それが10年続けば中国の経済成長も終わりかなぁと思っていると・・・日本の高度経済成長がだいたい10年だったから・・・それどころか1990年代に入るとますます伸びる。年率10%の経済成長です。複利で計算するから、10年で約2.5倍になる。

 日本はいま成長率が1%越えたら、喜んでやったやったという。中国は10%です。この差です。

 その間、もう一つが、人口が増えすぎて困っていた。日本と逆です。1人っ子政策です。でも子供を産む、産まないというのは究極の人間の人権ですよ。それを産んでいい、産んだらいけない、国家が決めていたんですね。これは2~3年前に廃止されました。


 民主化がないというのが問題です。逆に民主化の行き過ぎもちょっと問題ですけどね。日本とはかなりお国柄が違います。


【グローバル化とアジア通貨危機】

 1990年代後半、ポイントは1997年にまたやるんですよ。お金の流れは目に見えないけれども、お金もグローバル化しています。インターネットが普及する。そして法的には自由化です。日本もいけいけドンドンとやっている。

 お金の流れは、日本は不景気で低金利、だからお金を借りやすい。アメリカは不景気なのに高金利ですね。そうするとお金もっている人は、日本に預けるよりも、アメリカに預けたほうがいいという感覚になる。 


 そしてさっき言ったようにアメリカは借りたお金を世界中に再投資してるんです。アメリカは高金利だから、アメリカにお金が集まる。それをアジアに投資していた。その投資したお金、つまりアメリカが貸したお金を、ある時アメリカが急に引き上げる。

 例えば私が、友人に100万円貸したとする。それを友人はずっと生活資金にして、友人はそれで食っている。急に、オレは気が変わったから、おい、明日100万円返せ、と言われたら、友人の生活はパーです。会社運営できない。そういうことをやる。 

 それをするのが、これがまたヘッジファンドというグループです。違法ではないけど、法律すれすれで、かなりアコギなことをやる。


 日本の株の世界を見ていたら、どうも絡んでいる。明らかに変な動きをしている。理屈上はこうなるはず。しかし理屈道理にならない。やっぱりやってるなと思うときがある。動きを見ていて、プロの集団が操作しているなと思うときがある。
 だからプロには勝てないです。人がたまに儲けると、オレは100万儲かった、とすぐ言い回るけど、実は10人に1人もいない。ということは10人に9人は損している。そういう人は黙っているわけですよ。うまい話には騙されないようにしてください。

 それでアジアにドルがなくなると、ドルで取り引きするから、貿易できなくなる。輸入できなくなる。

 それがまず東南アジアの優等生といわれたタイで起こる。次に東南アジアで1番人口の多いインドネシアでも起こる。それからさらに急激な成長で東洋のドラゴンといわれた韓国でも起こる。

 お金がない、助けてください。彼らはどこにすがるか。ドルだったら。アメリカです。そこでアメリカは貸してやるよ、と言う。ただその代わりね、という。条件がつく。これが恐いんです。
 実際に貸すのは、国連の機関、IMFです。これ何だったか、国際通貨基金という。しかしこの実権はアメリカが握っています。貸していいよ。その代わり、この財閥はちょっと気にくわないから潰せ。あんたが潰れたら貸してやるよとか、いろんな条件をつけます。


 それでもやっぱり、お金がないことには借りないといけない。国が破産するから背に腹は替えられない。

 韓国の企業なんか、この時以降、ほとんどアメリカが韓国企業の株を買い占めている。サムスンなんか、半分以上はアメリカ資本です。株を握られると、日本の企業でもそうなる。
 日産はどうなったか。日産は日本の企業ではない。20年前から。フランスの企業です。だから捕まった社長はフランス人です。カルロス・ゴーンという。
 本当はあの人はレバノン人です。レバノンはフランスの植民地だった。そこで食えないから、植民地の支配国フランスに行って、そこで名を上げて、そしてルノーの幹部になった。そして日産の経営権を任された。それといっしょです。日本の企業もお金がないというと、オレが貸してやるから、その代わり経営権をもらうよ、という。


【日本】

 これをきっかけに、1990年代終わりに、少しは立ち直るかなと思われていた日本企業が大番狂わせで、巨大銀行が倒産するまでになる。私はこの時、銀行が倒産するのを初めて見ました。

 北海道のナンバーワンの北海道拓殖銀行。いとも簡単に潰れました。こんな簡単に潰れるとは思わなかった。それから山一証券。今はない。野村、大和、山一、国内ビック3と言われていた証券会社です。

 東京とか大阪、福岡に、大きなビルがドカンとあったのが、あっという間に潰れた。これが1997年です。これらは
絶対潰れないと思われていた。
 また日本長期信用銀行、これが潰れた。日本債券信用銀行、これも潰れた。日本の名前がつく政府系銀行です。政府のお金で運営していた政府系銀行です。2年間の間に北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、2年間でバタバタと潰れた。最低の年だった。忘れもしない平成9年、苦しみの九年と言われた。1997年。日本はそういったところにまで追い詰められていくんです。


 こんな時に、アメリカから言われるままに、今からは金融ビックバンだ、とか言っているアンポンタンな橋本龍太郎という首相がいる。おまけに消費税3%を5%に上げた。不景気なのに増税です。何考えてるんだ、という感じです。これは人災です。タイミングが悪いんですよ。こんなことしていたら直る病気も直らない。だから不況が30年続いた。不況がここまで来るなどとは、誰も予測できなかった。


【東欧】 じゃあ1990年代、ソ連がつぶれた頃の旧ソ連影響下の共産圏の国々です。多くの人々が死んで、6つも7つもの国に分裂したのがユーゴスラビアです。その10年間をいうと、それだけで1時間が終わってしまうからここはカット。とにかく酷い戦争が起こった。人がたくさん死んだ。


 人ごとと思っていたらいけないというのは、日本でもほんの数年前に戦争法案が通りました。集団的自衛権が行使できるようになった。自衛権とは言うものの、これは実質的に攻撃力です。アメリカが戦争すれば、日本はアメリカといっしょに戦争しないといけない国になってしまいました。アメリカはいつもアメリカの外で戦争しています。外でする戦争は自衛のための戦争ではありません。


 この旧ユーゴスラビアが、ここまで粉々に分裂したのはどうもアメリカとの関係がもともと良くない。アメリカもはいっている資本主義側の軍事組織、NATO軍、これが中心めがけて攻撃した。コソヴォ紛争という。1999年です。


 それからいままで一つの国であったチェコスロバキアが、チェコとスロバキアに分裂した。分離して別れ別れになったんだから悲しいはずなのに、西側諸国がネーミングしたのはビロード革命です。なんかいい名前でしょ。でもあまりよくない。名は体を表さすです。国力が落ちてしまった。これが1993年です。


【ラテンアメリカ】 1990年代はソ連が消滅して、アメリカの1人勝ちです。小さい国なんかすぐに軍事侵攻される。そして差し押さえる。これがハイチです。カリブ海の小さな国、アメリカの目の前です。そこの大統領は、アメリカに攻められたら、命からがら亡命するのがやっとです。


 亡命に失敗すると、間違いなく殺されます。そんなことがあるか。イラクのフセイン大統領はどうなったか。リビアのカダフィ大佐どうなったか。むごい殺され方です。逃げ遅れると。起こっていることは、目を疑うようなことです。


【韓国】 あと韓国には、金大中という人がいました。北朝鮮が好きな人ですね。その北朝鮮は、1970年代から日本人を何人も拉致しています。


 ある日突然、人気のないところを1人で誰かが歩いていると、男も女も関係なく、後ろから突然拉致されて連れて行かれる。海の近くだったら暗くて街灯がないから分からない。4~5人の男で、女子中学生を担いでいくぐらい簡単です。そして夜の闇に紛れて海に浮かぶ船に乗せ、海上を飛ばせば、すぐに北朝鮮に着きます。そんなことはありえない、と朝日新聞はこれを否定していた。でも謝罪しない。しても1行です。100回報道しても、間違っていたら1行で終わりです。


【東南アジア】 東南アジアは、地域でまとまろうというASEANというのがあります。このASEANに行くまえに、1950年代には非同盟で組んだ。どこと同盟しないか。アメリカと同盟しない。オレたちは植民地だったから、ヨーロッパと同盟しない。しかしそれがだんだんと崩れていく。


 まず1967年のASEAN結成が、中心国はタイですね。それにマレーシア、インドネシア、それとフィリピン。これが中心であった。


 それにベトナムが加わって、ラオスとミャンマーが加わって、さらに日中韓も加わる。ASEANプラス3という。アメリカははいっていない。
 この1997年見てください。何が起こった年か。アジア通貨危機です。お金を借りていたばかりに、ガバーンとやられた。タイ、マレーシアだけではない、鼻息荒かった韓国もやられました。


 しかし金銭的な損失を考えたら、私は日本が1番じゃないかなと思う。経済規模からいって、日本の受けた損失は大きいです。


 それで、いよいよ2000年代に入ります。21世紀です。長かった20世紀は。1900年代は。だいぶ時間を費やしました。ここから新たな世紀、21世紀に行きます。


 世界の覇権国といわれ、敵がいなくなったアメリカ。アメリカの一国主義といわれる。そのときに大統領になったのが息子ブッシュです。前に出てきたのは、父親です。ここでは息子です。親子2代初のアメリカ大統領です。


 日本はというと、ブッシュと同じ2001年から、日本でも小泉純一郎が首相になります。ここでその最初の年に起こるのがあの9.11事件です。
 不思議な事件で、ここでは言わないけど、YouTubeにはいろんな情報や番組が投稿されていて、それを見た方がよくわかります。

 これで終わります。ではまた。















「授業でいえない世界史」 58話 戦後 2000年代

2019-05-29 06:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【2000年代】

【ブッシュのアメリカ】 いよいよ大詰めですね。最後の2時間です。いよいよ2000年代にはいったところです。2000年代のアメリカの大統領は息子ブッシュ、子ブッシュです。2001年からです。同時に日本は、2001年からあの小泉純一郎です。
 アメリカの大統領に会いに行って、エルビス・プレスリーを踊らされた首相です。ああこれは子分だな、と全世界に印象づけられたと思う。私は初めてですよ、一国の首相がサングラスかけて、エルビスプレスリーのマネをさせられたのを見たのは。そしてまたその映像が、全世界に流されたというのは。マスコミ操作によって人気だけはものすごくありました。純ちゃんフィーバーとか、NHKが言っていたのをよく覚えています。


 もう10年前にソ連が滅んでますから、アメリカはもう怖いものなしという感じです。一国主義です。次に何をするかなぁと思っていたら、日本で環境問題の会議があった。京都議定書というこの議定書をアメリカが破棄する。二酸化炭素を出しません、という議定書です。そんなもの守れるかと、アメリカは言った。これでだいたいアメリカのスタンスがわかったんです。


 次に包括的核実験禁止条約、CTBTという。これを進めようと言うと、アメリカは、イヤだ、やめたと言う。


【9.11事件】

 その年、2001年9月11日、例の9.11同時多発テロが起こります。アメリカのニューヨークにある世界的に有名な世界貿易センタービルに、早朝8時、旅客機がまず1発ボーンと突っ込む。しばらくして2機目がボーンと突っ込む。そしてワシントンの国防総省、俗にペンタゴンというアメリカ国防総省に、3機目の飛行機が突っ込んだ。
 そうなってるけど、3機目は跡形もなく残骸が消えていたり、非常に不思議な事件です。
 1機目が突っ込んだ。2機目が突っ込んだ。ビルが崩壊した。おまけに隣の何の被害も受けてない第7ビルまで崩壊した。飛行機が衝突しないビルがなぜ突然倒れるのか。これほど理屈に合わないことはない。そこから見える結論は、背筋が寒くなるほどのものです。信憑性のほどは自分で確かめてください。とにかく疑惑は多い。疑惑の域を超えています。
 YouTubeで検索すると分かります。長崎大学の先生が、長崎の地元局の番組で言ってます。疑惑がありますと。これが一番コンパクトにまとまっている。15分ぐらいで。他にもいっぱい投稿されています。疑惑を追及する出版物もいっぱいでています。


 そういう疑惑がいっぱいある中で、犯人はアルカイダというグループ、この仕業だとされて今でもそうなっています。このアルカイダとはイスラーム組織です。イスラーム世界はアメリカと仲が悪いです。


 その首謀者が、オサマ・ビン・ラディンという人です。確かに何回もテレビでも報道されましたけど、不思議なことにいつ撮影されたものなのか、どこで撮影されたものなのか、全くわからない。

 しかも実際の実写版の映像つまり生の映像はついに殺されるまで、出てきませんでした。そういう謎の人です。

 これが2001年です。10年後の2011年に、あとでも言うけど、突然パキスタンでこの人が発見されたということになって、即日アメリカが攻め込んだ。捕まえればいいものを即座に殺害する。
殺したその日に水葬で海に流します。早い話、海に投げ捨てた。そして二度と遺体は上がらない。その間の映像は全くないです。
 なぜこんな即日水葬をしたのか。普通は捕らえて裁判にかけます。どんなに凶悪犯でも、これは最低の人間の権利です。何十人と殺したオウムの麻原彰晃でも、裁判にはかけられた。裁判にもかけずに人を殺すなんて法治国家ではないし、それは裁判にかけられない理由があるとしか考えられない。しかもこの人の生の映像は最初から最後まで出てこなかった。実在したかどうかさえ怪しいのです。


 ここからは次々に不思議なことが起こっていきます。我々が生きた時代というのは、よく目を開いて見ておかないと、100年後の人間から、この時代に生きた人間はバカじゃないかと言われそうです。自分たちの孫や曾孫から。


【アフガン攻撃】

 2001.9.11のすぐ1ヶ月後には、アメリカはアフガニスタンに戦争を仕掛けた。なぜアフガニスタンなのか。首謀者アルカイダの本拠地がアフガニスタンだとされたからです。そうされたんです。本当はアルカイダ、それからオサマ・ビン・ラディンは、サウジアラビアの大金持ちの息子です。しかしなぜかアフガニスタンが攻撃された。これにはイギリスも協力する。第二次世界大戦から、アメリカとイギリスは基本的にずっといっしょです。

 しかしドイツの首相は毅然と反対する。おかしいという。フランスのシラク大統領もドイツが正しいと言う。しかし日本はと言えば、小泉純一郎なんか、エレキギターを持って踊れと言われて喜んで踊るくらいですから、いの一番にアメリカに賛成していく。


 そのアフガニスタンの政権、これは反米で有名なタリバン政権です。イスラム教色の非常に強い、アフガニスタンではけっこう頭の良いイスラーム教徒のグループです。


 これをすぐ倒す。戦争したらアメリカに勝つ国はない。軍事力をアメリカは見せつけたいということもあったんでしょう。その後オサマ・ビン・ラディン探しが始まって、10年後の2011年、さっき言ったように、オサマ・ビン・ラディン容疑者をパキスタンで見つけてすぐ殺し、即日水葬する。しかしその時の生の写真はない。


 状況証拠から見ておかしいです。普通は写真の一枚ぐらいマスコミに出るんですよ。まともな事件は。次の日だって、その日の写真ではなくて、10年前の写真が新聞に出ただけですよ。何でなのか。水葬の写真ぐらい、海に流すときの写真ぐらい、その時の顔ぐらい、新聞に出るのが普通です。報道機関というのは、間違いなく死んだということを、証拠をつけて報道する。これが事実報道です。リビアのカダフィ殺害の時は出たんです。リビアの殺された指導者です。死体だって、その顔だって写真付きで報道された。マスコミは、写真を撮ってオサマ・ビン・ラディンに間違いないということを報道する義務がある。しかしそういうことが全くない。


 アフガニスタンではタリバン政権が崩壊し、次にはカルザイ政権、カルザイ大統領に移行した。このカルザイという人はその直前まで、アメリカの企業家だったアフガニスタン人です。

 アメリカは、自分で潰して、自分の息のかかったアフガニスタン人を大統領にしたということです。そして正式大統領になる。

 そのあとアメリカがやったことはほとんど報道されないけれど、中央アジアというアフガニスタンの隣あたりには、日本に米軍基地があるように、そういう米軍基地が増えている。
 このアフガン攻撃が2001年10月です。

 翌年の2002年の正月、この息子のブッシュが「悪の枢軸」発言を行った。悪の枢軸とはどこか。名指しをした。イラク、イラン、北朝鮮です。こんなことを言えば、宣戦布告といっしょです。

 15年たった今でも、アメリカの攻撃目標はこの3つです。変わりません。戦争でやるか、話し合いでやるか、石油でやるか、その違いはあっても。

 まず狙われたのはイラクです。そして即言った。ブッシュドクトリンを出した。ドクトリンと言っても、たいしたものではないです。ブッシュが言ったことをそういっただけです。オレたちは国連の合意がなくても戦争することができると言った。国連決議を無視するのです。そう宣言したんです、アメリカが。しかし国連に入ったままで、国連の合意がなくても戦争を起こすことは可能なんだという理屈、そんな理屈があるんでしょうか。
 つまり戦争するといったんです。武力を持っている国はこれをやる。武力を持たない弱い国は、恐くて仕方がない。


【イラク戦争】

 2003年3月にイラク戦争が起こる。アメリカによるイラク攻撃です。イラクがアメリカを攻撃するわけはありません。ブッシュがやったことに対して、国連は大反対です。だから国際連合の議決がない。イラクが悪いとか、そんなこと誰も思ってないです。アメリカがそう言っているだけです。そしてアメリカは攻撃する。イギリスに、そうだろう、とアメリカが言ったら、イギリスはハイそうです、いっしょに行きます、と言う。
 この時のイギリス首相ブレアと言うんですけど、あとで、ごめんなさい、あの時の判断は間違ってました、と言いました。しかしアメリカは言いません。


 では日本の小泉政権は、この時もイギリスが参戦するよりも先に、そうだ、そうだ、アメリカの言うとおりだ、と言う。世界で真っ先にそう言ったのはこの小泉純一郎です。彼は世界で真っ先にこの戦争を支持をした。


 この時に、アメリカが戦争をしかける理由としたのが、イラクは大量破壊兵器を持っている、とそういう理由をつけた。大量破壊兵器とは何か。普通は核爆弾なんですけどその確証がなかったから、一発で大量に殺せる武器をもっているとした。それを大量破壊兵器と言った。それで攻撃をしかけたら、あっという間にアメリカの勝利です。イラクのフセイン大統領はすぐ打倒されて、捕まえられてしまう。


 では戦争の理由となった大量破壊兵器はあったのかというと、どこを探しても全く見あたらない。大量破壊兵器はなかったのです。それなのにイラクは攻撃された。変な話です。
 それでブッシュは何と言ったか。でもその時はそう思ったんだもん、と言った。へえ、これで通るんだな、恐い世界だ、と思いました。NHKがそうアメリカ大統領のブッシュが発言する姿を放送した。これで通る世の中になったのか、と驚きました。
 普通は、誤ってましたとか、その時の判断は間違ってましたとか、だから責任を取って辞めますとか、そういう言葉が続くんですよ。でもそういう言葉はありません。政治家の責任は棚上げです。ブッシュはそのまま大統領を続けます。何万人と殺してゴメンで済むんだから。これで良ければ何でもできます。それ以降アメリカ人も日本人もあまり口を開かなくなりました。しかも日本の小泉政権は、この戦争に真っ先に支持したんです。


 だから理屈が通らなくなって、アメリカはこの戦争の理由をあとで変更する。変更して、理由を何にしたかというと、中東の民主化のためだとした。後付け理由です。
 中東社会はまだ民主主義が根付いてないから、アメリカがそういう国はやっつけて、素晴らしい民主主義の国にしてやるんだ、とした。

 どうですか、この理屈。こういう理屈が通るんだったら、民主主義の名のもとに、いくらでも人を殺せます。おまえは民主的でないから、オレが殺してやる。
 でもこれ、おかしいでしょ。これが通るんです。無理が通って、道理が引っ込んだんです。

 問題はこのあとです。イスラーム教徒が本気で腹を立てていく。
 だからテロが頻発するようになる。それまでにも少しはあったけど、頻発するのはこのあとです。暴力には暴力で対応するしかなくなる。この悪循環の原因はどこにあるのでしょうか。


 でも西側メディアは、イスラームはテロ国家だと、こればっかりです。日本人の間でも、この20年近くの間に、イスラームというとテロというイメージができてしまった。

 日本はこのとき戦争には協力できません。憲法九条があるから。まだ集団的自衛権が今から3年前の2016年に確立される前のことだから。
 しかし今からは違う。ここから先は、戦争法案が通ってしまっているから、こんなことがあれば集団的自衛権が発動されてもおかしくありません。アメリカと連れだって戦争をする危険が日本にはあります。戦争が合法化されたから。憲法違反だけど。



 そこでまたアメリカは為替をいじる。アメリカは基本的にお金がない。だから借りる。この時はドル安です。ということは日本は円高です。円高になると、日本の製品は売れない。だから日本は円をもっと安くしたい。逆にいうとドルを高くしたい。
 ドルを高くするには、日本がドルを買えばいい。日本人がドルを買っても、日本では使えないから、そのドルをアメリカにまた預けるんです。具体的には米国債つまりアメリカの借金証書を買うわけです。
 結局、こうやって日本のお金はアメリカに行く。これは経済的な戦争協力です。経済協力です。こうやって日本は、どんどんアメリカドルの国債、アメリカの債券を買った。これが米国債です。アメリカの借金です。これを買っているのが日本です。


 日本が世界最大の債権国ということの実態はこれです。しかもアメリカにお金を貸すばかりで、返してもらえない。米国債は塩漬けにされて返済されません。
 100万円を貸して、その100万円を返してくれと言うと、エッと言われて、スッとぼけられて返してもらえない。逆に文句あるか、と言われる。すると何も言えなくなるのが日本です。たぶん70兆円。非公開ですけど。70兆円で効かないという話もある。100兆円とかいう話もある。いや0が1つ少ない、1000兆円という話もある。もし1000兆円だとすれば、これは日本政府の借金額に相当します。これは日本の国家予算の10年分になります。
 このことと日本の景気は関係しています。日本は平成不況です。このときまだ平成15年です。日本は不況の中で、こういうふうにお金がダダ漏れになって、アメリカに流れている。

 大量破壊兵器がなかった。でもあるとその時は思ったんだもん、とブッシュは言い放った。負けたイラクのフセイン大統領は処刑された。2006年の忘れもしない12月31日の大晦日です。大晦日にやるか、という話です。その処刑シーンがインターネットで流れた。私は大晦日に除夜の鐘を聞きながら見てた。あれほど嫌な大晦日はなかった。


【EU諸国】
 こういうことに対してヨーロッパのなかで、アメリカ大好きだと賛成したのはイギリスです。
 しかしはっきり反対したのがドイツです。フランスもドイツにつく。アメリカはおかしい、とはっきり言った。

 当時イギリスの首相は労働党のブレアです。この人が、2003年にアメリカにと一緒に、イラクに対して戦争をしかけた。そのあと、どうもおかしい、大量破壊兵器がない。それで批判を浴びていく。首相をやめたあとに、すみません、判断を間違ってました、と言う。しかしアメリカはこれすら言わない。


 ドイツはコール首相、それからシュレーダー首相、それから2005年から受け継いでいるのが今の女性首相のメルケルです。2003年のイラク戦争ではアメリカを批判し、軍隊を派遣しなかった。何よりも国連が反対している。そういう意味では、世界全体から見ると、アメリカ、イギリス、日本が少数派です。日本国内では、そう思わない人が多いけど、世界では違います。


【ユーロ誕生】

 同時にドイツは、経済的にアメリカに頼らない方法を考えている。そのために経済の根底から、お金から考えている。それがユーロです。ユーロ圏最大の経済大国はドイツです。イギリスではない。

 このユーロが1999年から発行され始め、2002年から・・・この間に2001.9.11事件が起こりますが・・・流通が開始される。発行と流通はどう違うのか。発行は銀行間だけでやりとりされ庶民にはまだ手に入らない状態ですが、流通は銀行から引き出して、我々庶民の間にまでユーロが流通しだしたということです。


 フランスのシラク大統領が9.11以後のアメリカを批判する。ヨーロッパでも合意を取り付けてない。ここの構図を大きく書くと、一国主義のアメリカに対して、ここではドイツですよ。この対立です。ドイツ側についたのがフランスです。アメリカについたのがイギリスです。
 イギリスは第一次大戦も第二次大戦も、アメリカにつきます。敗戦国の悲しさで、戦後の日本もずっとアメリカについています。


 ドイツとフランスは、なぜこうユーロ発行ができたのか。ドルに頼らない経済圏をつくることに半ば成功している。でもアメリカの妨害が入ったりするから、まだどうなるか分からない。
 これは世界的な実験と言われている。国を壊さずに通貨だけ統合した国は今までありません。これをうまくやれるんだということでやってますが、アメリカが時折妨害するんです。2008年のリーマン・ショックでもそうです。
 どうなるかわからないから、そのための準備をしている。ドルからの独立です。アメリカから独立するためには、まずお金、ドル以外の経済圏をつくることができるか。それが2002年のユーロです。


 イタリアに行こうと、フランスに行こうと、ドイツに行こうと、全部ユーロでいい。30年前に私が行ったときには、その都度国境をまたぐごとに、お金を替えなければならなかった。しかしいまはお金を替える必要がない。

 しかしイギリスは、ユーロを使っていない。本音では使いたかったみたいですけど、前にちょっと言ったけど、1992年にジョージ・ソロスという山師がイギリスの通貨ポンドを売り浴びせて、ユーロに入れないようにした。そんなこともありました。


 ジョージ・ソロスのことは、私も新聞を読んでいたけど、その当時そのことを書いたはっきり書いた新聞はない。不思議なことが起こってます、みたいな書き方です。それが気になっていたけど、専門家が調べていくのに2~3年かかった。そういう本を読まないと分からない。新聞だけではわからない。新聞は見出しだけ打ち上げて、あとはフォローしない。忘れ去られていく。よくて2~3日です。新聞は1週間も追求すればいいほうです。

 イギリスはユーロを使用していません。今でもポンドです。


【サブプライムローン】

 アメリカの2008年リーマン・ショックに向けての動きです。アメリカはお金がないから、他の国からお金を借りています。お金を借りて、そのお金をまた他人に貸し付ける。でもその借りる人がいなくなったんです。だから返す見込みがない人に、つまり低所得者に無理やり貸す。しかも高金利で。あんた住宅買わないか、オレがお金を貸してやるよ。これがサブプライムローンです。こういうことをアメリカは2004年あたりからやっている。イラク戦争で勝ったすぐあとです。文句言う者がいないのだから何でもやる。

 しかしお金を貸した低所得者からは、返済されない。それを見越すかのように、アメリカはその手持ちの債権を転売するんです。借金を証券化して、10年間で倍になるよとか言って、ヨーロッパに転売する。


 それを見抜けないヨーロッパ人は、まんまとひっかかるんです。気づいたときには、アメリカの銀行はもう証券をヨーロッパに転売しているから、サブプライムローンがはじけても痛くも痒くもない。被害を受けるのはヨーロッパなんです。


 日本はすでドルを買っているから、この被害は免れたけど、その代わりそれまで米国債を買った損失はものすごいです。ヨーロッパは負債つまり返ってこない借金を買わせられた。そのあと、2008年から10年立って、なかなか浮上しないのはヨーロッパと日本です。なかでも日本が一番低迷しています。
 その後の10年間の動きを見ると、一番景気が浮上して好景気になったのは、アメリカです。アメリカは景気がいい。株のことは、めったに素人が手を出すものじゃないけど、動きだけ見ていたらアメリカの株が一番伸びている。世界に一番迷惑をかけたアメリカが、一番立ち直りが早い。一体どうなっているのか、という感じです。


 この2004年くらいからアメリカはそういったことをやって、2008年のリーマン・ショックで、それがパンクした。それと同時に世界中が不況に陥ります。


【東欧】

 では次は、ソ連が崩壊したあとのヨーロッパです。このEUの拡大ですけれども、ソ連の子分、もともとの社会主義国であった国が、資本主義国に変わって、ドイツの仲間になってユーロに加盟していく。その結果、この色がついたところが拡大したEU圏です。新しく加盟した国は、ここまで来た。
 お金の秘密を絶対バラさないように、加盟してないのがこのスイスです。ここのイメージは、アルプスの少女じゃない。この国は結構恐いところです。お金持ちのブラックマネーがいっぱいある。


 それから今、EUから抜け出そうとしているのがこのイギリスです。国民投票でEUから離脱すると決めた。だから、近いうちにEUから抜け出すでしょう。


 本当はヨーロッパのEUに入りたいんだけれども、待っててと言われたのが、このトルコです。トルコはイスラーム圏でありながら、ケマル・パシャという人が第一次世界大戦で負けると同時に、イスラムではなくて、ヨーロッパだ、ヨーロッパだ、と言ってヨーロッパ流の改革をやった。その点では日本といっしょです。だからこの国は、黄色い人間の中でどこの国が一番好きかというと、文句なく日本です。日本はこの国をあまり知らないけど。


【ロシア】
 では崩壊したソ連です。社会主義をつぶされて、資本主義とは言わずに市場経済と言いますが、資本主義のことです。これ以降そうしようとした。しかしこれはうまくいかない。一部の暴力まで含むような、ちょっと恐いヤーさんたちが利益をガッポリ独り占めしていく。すぐに億万長者になる。かたや一般庶民は食うや食わずで、貧富の差がヨーロッパ以上に拡大していく。この頃の実体を、日本の新聞はあんまり報道しませんでした。

 みんなアメリカが勝って、敵国ソ連が崩壊したのを、何となく喜んでいるような雰囲気でしたが、ロシアのなかで起こっていることはけっこう厳しいことが起こっていた。


 このときには、もうゴルバチョフは力を失って、次のエリツィンという大統領に変わった。エリツィン大統領の時は、出ばなは好調だったけど、経済はガタガタ状態です。これじゃいかんということで、もともとエリツィンの補佐役だった男が出てきた。これがプーチンです。この人は本来の仕事は裏方です。情報です。探偵です。日本でいえば忍者です。
忍者といっても、分身の術とかは使えない。霧を出して霧隠れとかもできないです。でも情報探偵はいます。これをKGBという。情報局です。アメリカで言えばCIAです。だからこの人は情報には強い。それに国民の信頼も得ている。

 2000年から2008年まで、8年間、大統領です。8年間が期限だったから、メドベージェフに譲った。それからまた4年後に選挙で勝った。そして今でも大統領です。合計15年ぐらいやっている。今から20年前だから、若くして大統領になっている。最初は、プーチンはどこから来たのか、長いこと謎の男、謎の男と言われていた。政治家としての力がある。


 国際的には、安倍晋三さんとプーチンは、ぜんぜん格が違います。プーチンを見る目と、安倍晋三さんを見る目はぜんぜん違います。

 では次です。ゴルバチョフでソ連は崩壊し、新大統領がエリツィンであった。この大統領の時にロシア経済は大混乱に陥った。日本ではあまり報道されなかったけれども。


 巨大な黒い経済組織、マフィアが横行し、表の経済が裏に潜って、地下経済、非合法取引も盛んに行われていく。プーチンの仕事はこれと対決することです。大会社の社長になったマフィアの大物をしょっぴいて牢に入れる。これができるか、できないか。できなかったら、プーチンは暗殺されていたかもしれない。そんな熾烈な戦いです。

 ロシア国内では、ロシアは多民族国家だから、独立したい少数派の紛争、チェチェン紛争というのが起こる。これは石油が絡んでいるから、そうおいそれとは独立をロシアも許可できなかったんです。

 ただその間にも、ソ連の子分であった東ヨーロッパの多くの諸国は社会主義体制を捨てて、チャクチャクと市場経済、資本主義体制へ移行している。そしてドイツを中心とするEUに加盟していく。


 それに対して、アメリカも彼らを仲間に引き入れたい。具体的には貧乏な国へお金を貸すんです。国際通貨基金つまりIMF、または長期資金であれば世界銀行、こういったものを通じていっぱい資金援助をしていく。ただし、お金を借りるときには条件がすごい。ただしという、いろいろな条件がついてくる。それで自由な経済活動ができなくなっていく。グローバリズムがそれに拍車をかける。グローバリズムとは、アメリカが自由に動けるようにすることです。だから、アメリカに反対することはできなくなっていくきます。


【パレスティナ】

 あとは世界のヘソですけれども、イスラエルです。パレスチナ問題です。追い出された人たちが、パレスチナ暫定自治区をつくる。純粋な自治区は、このイスラエルのなかでこれだけです。これをガザ地区という。アラブ人はここに閉じ込められてる状態です。壁の反対側は、雑居状態だけれども、断然ユダヤ人が優勢です。

 ただ分断されながらもどうにかアラブ人として国のまとまりを作ろうとして、暫定政府を2006年につくった。この政党がハマスです。これはユダヤ人国家ではないですよ。それに敵対するパレスチナ国家です。

 ここまでで終わります。ではまた。














「授業でいえない世界史」 59話 戦後 2010年代

2019-05-29 05:00:00 | 旧世界史14 1970~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。



 9.11同時多発テロから始まって、その前後、アメリカ合衆国の南の南アメリカ、別名ラテンアメリカです。ラテンアメリカは、アメリカと仲が良いかというと、アメリカと近いぶん、20世紀初めのルーズベルトの棍棒外交とかで結構いじめられてきた歴史があって、アメリカ嫌いな国が多いんです。
 日本がアメリカ好きというか、アメリカに近いのは、これは原因ははっきりしている。70年前に戦争に負けたから、国を作りかえられたんです。


【2010年代】

 南米の国は、アメリカに反発することもできずに、アメリカに近いぶん干渉されてきた歴史があります。息子ブッシュ大統領の時に、みんな恐れてアメリカに反対できなかったんですけど、ベネズエラの新しい大統領が、敢然として反米、アメリカいやだと反対し始めた。この人は10年後の2013年にガンで死にました。このときの言葉、オレは本当は癌で死ぬんじゃない、と言い残して死んだ。このことの意味は、どういう意味なのか。その人をチャベスという。1999年にチャベス政権が誕生した。
この2010年代で不思議なことは、ラテンアメリカ諸国の大統領または首相に、異常に癌患者が多かったことです。チャベスもその一人です。それで2013年に死にしました。あれから6年、いまベネズエラは大変なことになっています。

 反米の組織をつくる動きもあります。
 中南米の共同体としては、1番目は南米国家共同体。2番目はちょっと名前だけ言っておきます。中米自由貿易協定。ここにはアメリカが強引に入ってくる。3番目が米州自由貿易地域という。そういうのをつくっていくんだけれども、チャベスがやったのは、アメリカはずそうとしたんです。
 2011年中南米カリブ諸国共同体、SERACというのをつくった。これには私もビックリした。アメリカを除外して、ラテンアメリカ共同体をつくろうとした。残念ながら日本の新聞はほとんど取り上げなかった。小さな記事だった。私はこれはやったなと思いましたが、その2年後の2013年に癌で死にしました。

 アフリカには、どういった政権が成立したか。10年戻って1994年間、南アフリカ共和国、ここはアパルトヘイト、人種差別政策で有名なところで、白人優位社会です。もとイギリス植民地です。黒人は奴隷身分で、奴隷がなくなっても、人種差別は続いている。そういった中から、反政府活動の黒人リーダーで刑務所に入っていた人が大統領になる。犯罪者から一国の大統領になった。彼がネルソン・マンデラです。
 それで大きく変わったんだけど、この背景として、1991年、長らく続いてきた人種差別・・・アパルトヘイトといいます・・・これが廃止されました。これは政治経済でも言いました。これで大きく変わった国です。ただ残念ながら南アフリカ共和国は現在に至るまで非常に混乱中です。


【リーマン・ショック】

 歴史というのは、ありとあらゆることが起こっていて、蟻が一匹動いただけでも、それだって歴史と言えば歴史です。とても全部記述できないんです。そのなかで何が重要で、どういう意味があったかというのはわかるまでに、最短でも10年はかかると言われる。だから本当は2010年代はもうちょっと時間がかかるんだけれども、起こったことだけ言っていきます。けっこう大事なことが起こっている。

 リーマン・ショック
が起こる。2008年です。影響が及ぶのは2010年代です。はっきり言って日本は、これによってせっかく浮上していた景気がまた沈んだ。

 この前段階は何か。前の時間にいいましたけれども、ブッシュ大統領が、9.11事件のあとのアフガン攻撃とか、イラク戦争を仕掛けているどさくさの中で、気づかれないようにこっそりと、2004年頃からアメリカの金融界、銀行、ウォール街、そういう連中が、貸し付け先がなくなって、回収できそうもない人たちにお金を貸しはじめたんです。これをサブプライム・ローンと言います。サブというのは低所得者です。メインじゃないという意味です。その下にある人たちという意味です。地下鉄は下にあるでしょ。サブ・ウェイと言うんです。
 標準よりも下の人に、プライムローンを貸す。プライムというのは上乗せの金利のことです。金利が高いんですね。普通3%で貸し付けてるところを、5%の高金利で貸し付けていくんです。
 そして何を買わせるかというと、彼らに住宅を買わせる。低所得者に、高い金利でお金を貸し付けて、家を買わせるわけです。では返してもらう見込みがあるのかというと、低所得層だから危ない、返してもらえないリスクが非常に高い。


 ここからですよ、アメリカの頭のずる賢い人たちが、どうしたか。細かいことは飛ばして、こういう貸付金を、とにかく証券化するんです。証券化して外国に売りはじめたんです。しかも10%ぐらいの高金利をつけて売る。これ10年後には2倍になりますよとか、そう言って外国へ転売した。この外国が主にヨーロッパだったんです。金利につられて、ヨーロッパ人が大量に買うんです。これは金利がいい、今これを100万で買うと1年間で110万円なる。それなら買った方がましだ。それがもともと返済できるのかというと、低所得者層だから結果的に返ってこない。つまり焦げ付くんです。貸したお金が、返ってこない貸付金のことを、焦げ付き債権とか、不良債権という。


 こういったことが、静かに目立たないようにアメリカで始まっていた。誰も知らないけど、それが新聞が取り上げるようになったのは3、4年後の2007年です。私が知ったのも、2007年に日本の新聞が報道し始めて初めて知った。2007年7月ごろだった。


 サブプライム・ローン問題が表面化した。しかしこの時には
アメリカは痛くも痒くもない。自分が貸し付けたお金を証券化して、すでに他人に売っているんだから。低所得者に100万貸して、その債権をヨーロッパ人に売ってしまっているんだから。ヨーロッパ人から100万円もらっているから、アメリカ人はすでに儲けているわけです。

 2007年頃、これは危ないぞ、危ないぞと、みんなが騒ぎ始めた。今までずっと住宅価格は上がっていたけれども、その頃から下がりはじめていることにみんなが気づいた。


 いよいよこれは危ないぞ。不良債権化していく。この不良債権を金儲け目的でガッポリ買っていたのが、アメリカの証券会社のビッグ3の一つです。これが突然倒産する。これが2008年9月リーマン・ショックです。これで一気に全世界が不況に陥った。
 リーマンというのは、リーマン・ブラザーズ証券という証券会社の名前です。この時には君たちも生まれてます。小学生くらいかもしれないけど、だから意味わからなかったかもしらないけど、その年の2008年度は就職先がなかった。それと次の年も、3年ぐらいなかった。2008年度、2009年度、2010年度は日本の就職はドツボです。就職がない。こうやって新卒者の就職先にも影響した。震源地はアメリカです。


【量的緩和政策】

 このとき金融界は、アメリカだけの問題でなくて、グローバル化してるんですね。全世界をアメリカのドルが流通してるから、アメリカがつまずくと、全世界に不況が広がっていく。
 アメリカの中央銀行をFRBといいます。この名前でよく日本の新聞にも出てくる。漢字で書くと連邦準備制度理事会というワケの分からない名前になっていますが、日本銀行のアメリカ版だと思ってください。日本でいえば日本銀行です。
 そこでアメリカの中央銀行は、アメリカのドルを発行している銀行です。銀行がお金を作ってるんですかと聞く人がいるけど、これは基本中の基本です。政治経済でも言いました。1万円札は政府紙幣ではないです。1万円札の正式名称は何だったか。日本銀行券です。日本銀行が発行している紙幣です。ドルを発行しているのも、アメリカ政府ではなく、このFRBなんです。
 そのFRBが何をしたかというと、アメリカ国債の買い取りを始める。

 アメリカ政府は、急にお金が必要になったから、お金を貸してくれと言って国債を発行する。しかし、アメリカ中が貧乏になっているから、その国債を買う人がいない。
 その前に1971年に跳ぶけど、金とドルは本来交換しなければならないものだった。しかしドル・ショックで、金とドルは交換しない、とアメリカが一方的に決めた。ということは、アメリカはいくらでもドル札を刷れるんです。中央銀行のFRBがお金を印刷すればいい。しょせん紙だから。そういうお金を48兆円も印刷する。
 FRBは自分でドルを印刷して、そのドルで政府の借金である国債を買います。これで政府にドルが行く。その48兆円というお金でアメリカ政府は破産を免れるんです。つまりFRBが勝手にドルを印刷して、そのドルを政府に貸すんです。こういうことをやっていく。

 だから、アメリカはドルだらけになる。紙幣がいっぱい流通する。これは人間に例えてみると、ガン患者というのは本当はガンの細胞を治療しなければならないけど、インチキ医者は、癌の治療をせずにカンフル注射といって、3日間だけ元気になる注射をボンボン打っていくのに似ている。それで患者は一時的に元気になって、あの医者は名医だと喜ぶ。しかし1週間後に死んでしまう。そういうカンフル注射と同じです。根本原因には手を触れない。
 こういう政策を量的金融緩和という。量はお金の量です。それを緩和して、どんどんお金を発行する。つまりこうやってお金をばらまくわけです。こういう今までになかった方法をとる。それでどうにかアメリカは破産を防ぐ。


【ユーロ危機】

 しかし、アメリカ発のサブプライムローンという不良債権を買っていたのは、ヨーロッパです。ヨーロッパの中でも一番弱い国にツケが及ぶ。それがどこに現れたかというとギリシャだった。ギリシャは小さな国です。古代文明で有名だけれども、経済規模は小さくて貧乏です。

 ではこれはギリシャだけの問題だったのかというと、ギリシャは何というお金を使っているか。それはユーロです。フランスは何というお金か、ユーロです。ドイツは何というお金か、ユーロです。スペインもユーロです。イタリアもユーロです。ギリシャだけの問題ではなくなる。ヨーロッパ全体の問題になっていく。

 ヨーロッパは通貨統合したから、一国が沈めばヨーロッパ全体が沈むんです。こういった構造になっている。この意味は、アメリカ発のリーマン・ショックで一番苦しんだのはヨーロッパだったということです。だからこれをユーロ危機といいます。2年後の2010年には、ヨーロッパの経済がドツボに陥ってしまった。


 それで本来関係なかったヨーロッパも、オレたちもお金つまりユーロを刷ろうと、お金をとにかく印刷機にかけて印刷する。こういうことになって、いまでは世界中が紙幣だらけ、お金だらけです。


 アメリカがドルを刷り始めてから、2年後の2010年には、それでも足らなくなったから、もっとやっちゃえと、2度目の量的金融緩和を決定する。80兆円という。ちょっと想像つかない。


こういうのを、金融用語でQEという。QE1QE2、ついでにQE3までやる。その2年後2012年3月には、3度目のQEつまり量的緩和をやる。今度は100兆円印刷する。どこまて増刷するんだということです。


【安倍政権】

 こういった時に、これと関係のなかった日本で、アメリカのドルの増刷に歩調を合わせるかのように唐突に出てきた政権が、2012年に誕生した安倍晋三政権です。そしてアベノミクスという金融緩和策をやる。アメリカがドルを刷っているんなら、日本も円を刷って応援しようというわけです。
 一度政権を放り出してから6年間も死んだふりしていたこの人が、急に首相になったのも不思議なら、この政権の誕生同時にあれだけ日本を痛めつけた円高が、するすると円安になったのも不思議でした。

 その直前の日本は政権交代をしていました。2009年に鳩山由紀夫首相、民主党政権が誕生しました。安倍晋三は自民党政権です。
 しかし変な動きがあって、鳩山由紀夫政権は半年でつぶれます。次は民主党の中で別グループの菅直人、野田佳彦という総理大臣にコロコロと変わって、その間一貫して日本は円高に苦しめらた。2011年には1ドル75円までいった。日本の景気はドツボにはまった。今までの最高の円高は1995年の79円だった。


 ここで、79円から75円に円は安くなってるじゃないかって言う人がいるけど、そうじゃないです。安くなったのはドルが安くなったんです。ということは円は高くなったんです。円が高くなったら日本の製品は外国で高くなるから、売れないんです。だから不景気になる。そこで安倍晋三政権になった。


 アメリカはドルを印刷しすぎて、これ以上は印刷できない。もうやめる、と言ったのが、2014年の10月です。これでアメリカのQEは終了したんです。

 このアメリカの終了が2014年10月28日だった。しかし日本はその2日後2014年10月30日に量的緩和のさらなる追加、つまり円をますます増刷し始めたんです。この意味はどういうことでしょう。アメリカがドルを印刷するのをやめるのと同時に、日本は印刷する円の量を増やしたということです。増やした分は、アメリカに行っている。そうでないと、どうしても理屈が合わない。


【アラブの暴動】

 その頃に、同時に行っているのが2011年から起こるアラブの暴動です。これ原因が今でも分からないけど、ネットが原因だということで、アメリカが嫌うイスラム世界で、誰からともなく連鎖的に反政府運動が起こるんです。まず起こったのがエジプトです。そこで20年間、安定した大統領だったムバラク政権が、大デモ隊によって政権崩壊した。

 その半年後にはリビアです。これは反米で有名な国です。そこのカダフィという人、軍人出身だったからカダフィ大佐というけれども、本当は大統領格です。この人が民衆暴動によって殺された。今もこの国は大変なことになっています。日本では暴動以後報道されませんけど。


 エジプトはムバラクが辞任して政権が崩壊。リビアはカダフィ殺害です。今でも理由がよく分からないです。ただネット上で人がどんどん集りだした。ネット操作の一番強いところは、ダントツにアメリカです。グーグルでもアップルでも、ネットの世界の大企業は、ほとんどがアメリカ企業です。インターネット上のプラットホームの大半はアメリカが握っています。もはや世論操作に欠かせないツールです。


【ブレグジット】

 次に、ヨーロッパの中でアメリカに一番近い国というと、ドイツでもフランスでもなく、イギリスです。そのイギリスが2016年に何を決定したか。オレはヨーロッパから脱出すると決めた。EU離脱です。今現在、これで揉めている最中です。これはヨーロッパにとってかなり痛手です。
 結局、リーマン・ショック以後、落ち込んでいくのはヨーロッパと日本です。


【トランプ政権】

 次がトランプなんですけど。トランプ大統領にはいろいろ批判があるけれども、1つだけ今までと違うということを言うと、今までのアメリカ経済はモノづくりよりも、金融界重視だった。金融で儲ければ大きいぞと。しかしトランプは違う。トランプはモノづくりです。金融は重視しない。それまで20年間のアメリカの政権とは違う。伝統的なアメリカの強さに戻ろうとしている。ただマスコミによる女性スキャンダル報道で苦しめられている。

 あれほどアメリカ大統領を批判しなかった日本のNHKがトランプだけは親の敵のように批判しています。これも不思議です。NHKが、今までアメリカ大統領を批判したことはないのです。しかしトランプについてだけはものすごく批判する。どうなっているのか、よく分からない。


 日本でも賛否両論が対立していた、アメリカが結ぼうとしていたTPP、これは日本が損するんです。トランプがこれをやめた。TPPをやめるということもトランプは決定した。
 モノづくりを大事にするということは、アメリカは50年間、モノをつくってないから工業生産力はもうすでにないです。国内産業を保護するためには、輸入関税で、外国から入ってくる物に関税をかけないといけない。
 トランプ政権は自由貿易に反対で、関税引き上げ保護貿易にしていこうとしている。アメリカは、戦後一貫して自由貿易だった。それが保護貿易に変わろうとしている。どうなるか先がわからない。これがうまくいけばものすごく変わります。


【中国】

 ただもう1つわからないのが、中国との関係です。戦後の中国は日本の5分の1ぐらいの工業生産力しかなかったのが、じわじわとここ30年でもう日本は抜かれた。今は日本の倍ぐらいの生産力があります。いずれアメリカをさえ抜くでしょう。
 そうすると世界最大の経済力を持つのアメリカではなくて、いずれ中国になる。このまま行けば近い将来に。

 その中国は10年前までは、年率10%で成長していたけれども、だいぶ減速したと言われてる。それでも6%はある。日本は30年間たった1%です。この差は大きい。


 いま中国がやろうとしているのが、アメリカに変わるアジアインフラ投資銀行を作って、中国から西の方のアジア地域まで一体となった中国の経済圏をつくろうとしています。これを一帯一路政策という。それが進行中です。

これで終わります。この「授業でいえない世界史」は随時、改訂いたします。【完】












 

「授業でいえない世界史」 50話 戦後 冷戦とアジア独立

2019-05-28 08:00:00 | 旧世界史13 戦後
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 第二次世界大戦が終わりました。日本には原爆が落ちました。
 日本史のことを言うと、この図が日本の占領地域の最大領域なんですが、東南アジアは、ほとんどヨーロッパの植民地だったんです。日本がこれだけ占領したということの裏には何があるか。一旦全部イギリスもフランスもオランダも、日本が追い出したんです。

 でも日本が負けたから、イギリスが戻ってきて植民地を続けようとする。フランスが戻ってきてまた植民地にしようとする。オランダが戻ってきてまた植民地にしようとする。しかし現地の人たちは、日本軍に追い出された彼らの姿を見ていました。

 日本とドイツは負けて世界は平和になるかというと、アメリカ側にソ連がついたるということが火種になっていきます。アメリカとソ連は経済体制が違う。これは政治経済でもいいました。

 資本主義の親玉がアメリカ、社会主義の親玉がソ連です。今から見ると、こういう水と油の経済体制でアメリカとソ連がなぜ手を組んでいっしょに戦えたのかということのほうが、かえって理解しにくいところです。戦後対立することは分かっていたろうに、という感じですが、全くその通りになっていくんです。



【ドイツ分裂】
 ドイツは分断されて一番被害を被ります。分断されたこのドイツが、半世紀後の1990年に統一されてまた一つのドイツになった。それでも第一次世界大戦前からみるとだいぶ小さいです。今のドイツはこれです。

 ドイツはそこに至るまで、ドイツの首都ベルリンには東側からはソ連が攻めて来る。西側からはノルマンディー海岸に上陸したアメリカ軍が攻めてくる。それにくっついてイギリス軍も入ってくる。フランス軍も入ってくる。
 ということで、ドイツのベルリンはここにあるんですが、ドイツ自体もソ連に占領され、アメリカに占領され、イギリスに占領され、フランスに占領される。さらに首都ベルリンもソ連に占領され、アメリカに占領され、イギリスに占領され、フランスに占領される。それでこんなバラバラになっている。


 ベルリンは、ソ連占領地域の中にこうして飛び地みたいにしてあります。変な格好です。よく間違うのが、ベルリンというのはちょうどこの国境の真ん中にあって、そこをベルリンの壁で分断されていた、と勘違いしている人がいますが・・・これが分かりやすいけど・・・そうじゃないです。ソ連の領域の中にベルリンという首都があって、つまり今の日本の中に東京があるようなものですけど、その東京が四つの国によって分割されているような状態なんです。
 
▼ドイツ分割


 アメリカの占領地域である西ベルリンもソ連は本当は全部取りたいんです。だからソ連は、西ベルリン側を援助しない、物資を輸送しない、パンとか米を輸送しない、ということをやった。これがベルリン封鎖1948年です。


 このままだったら、西ベルリンに住むドイツ人は飢え死にしてしまう。アメリカはどうしたか。周りはソ連の領域だから陸上での貨物輸送はできません。トラック輸送できない。だから空から落とすんです。つまり空輸です。これにはソ連もビックリして、いずれ封鎖を解くんですけど、この対立はそのまま続いていく。


 そしてそれまでのドイツは翌年の1949年には分裂して、いわゆるアメリカ側の西ドイツと、ソ連側の東ドイツに分断されてしまう。


 ドイツ連邦共和国が西ドイツです。東ドイツはドイツ民主共和国です。そして東ベルリンから西ベルリンに行かないように、1961年に壁をつくるんです。人の移動を禁止する。これがベルリンの壁です。これはこの後約30年間ずっと、人の移動を阻んできました。

 1990年のドイツ統一というのは、このベルリンの壁が崩れることによって実現されたものです。


【東西冷戦】
 第二次世界大戦が終わっても、世界は半分は戦争状態です。いつでも戦争できるように、ソ連グループとアメリカグループにほぼ世界が割れるんです。

 アメリカグループはNATOという。漢字でいうと北大西洋条約機構です。結成は1949年です。戦争終わって4年しか経っていないのに、もう次の戦争の準備をしている。

 それに対して、相手がやるんだったら俺たちだってやると、同じ年にCOMECON、これはソ連側です。経済相互援助会議という。これをつくる。経済という名前がついているように、社会主義圏の経済をソ連が応援する。アメリカのマーシャルプランというアメリカの経済援助に対抗する形で。
 さらに軍事的にはワルシャワ条約機構です。こうやってソ連とアメリカがそれぞれグループを作って敵対しだした。
 イメージとしては、大砲がどっちを向いているか。アメリカの大砲はベルリンから東側を向いている。それに対して東にあるポーランドの首都のワルシャワからは、ソ連の大砲が西側を向いている。こういう状態でにらみ合いが続いていく。
 
▼第二次世界大戦後のヨーロッパ


 戦争が終わってすぐにこういう状態になっていく。結局なんの解決にもなってないじゃないか、ということなんです。

 ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国、連邦と民主が違うだけで、民主がついている方が実は民主的じゃなかった。
 北朝鮮だって、国家トップが世襲制で受け継がれている国が、朝鮮民主主義人民共和国と民主主義がついています。だから名前の通り受け取ったらダメなんです。


【アジアの独立】
 では日本がイギリス、フランス、オランダを追い出したアジア諸国をザッと見ます。下の地図からいきます。

 まず日本がオランダを追い出した地域インドネシアです。ここはオランダの植民地だった。戦後、オランダが日本が負けたから戻って来ようとすると、インドネシアは入らせないという。独立戦争です。4年間戦って独立を勝ち取る。インドネシアがオランダに勝つ。10年前だったら考えられないことですけれども、戦争の前と後でこんなに変わります。この独立運動のリーダーがスカルノです。この人の嫁さんが誰だったか。今はテレビタレントになっている。デヴィ夫人です。よくテレビに出てる。この人の嫁さんです。


 次はフィリピンです。ここはアメリカの植民地だった。ここは独立します。アメリカは独立を認める。しかし政治・経済に支配力を維持する。親米大統領マルコスというのが約20年ほぼ独裁政治をして、そのあと民主革命が起こって逃げていった。そこまで行くのに20年ぐらいかかります。


 次はインドです。これはあとで言いますけれど、ここはイギリスの植民地だった。ここはいろいろモメますが、独立します。


 次はミャンマーです。昔はビルマといった。ここもイギリスの植民地だった。ここも独立する。


 次はカンボジアです。インドシナ半島にある国です。ベトナムの西側にあります。ここはフランスの植民地だった。カンボジアもフランスの植民地だった。ここも独立していく。


 次がベトナムです。フランス植民地のメインであった。だからフランスはここを独立させまいとして必死で戦う。だからこのあとでアメリカに応援してもらうんです。ここからが泥沼の戦いです。決着がつくまでに、延々とこのあと30年かかります。米軍がとてつもない枯葉剤とか、遺伝子まで組み替えるような毒薬をまいて行きます。そういうアメリカの戦闘機が飛び立つ基地が、実は沖縄の米軍基地なんです。


 最後にマレーシアです。ここもイギリスの植民地だった。ここは独立するまでに10年ばかりかかりますが、1957年に独立します。

 10年たってふと見わたすと、東南アジアからほとんどの植民地は無くなった。欧米列強は、本当は植民地に独立させたくなかった。だから戦争せざるをえなかった。彼らは日本軍から追い出された。それを見て現地の人は、オレたちも戦ったらできかもしれない、と思った。そして独立を勝ち取った。そのきっかけになったのが、日本軍が欧米各国の軍隊を東南アジアから追い出したことです。現地の人たちは彼らが逃げていくのを見た。絶対的存在だとそれまで思っていたヨーロッパの兵隊たちが逃げていった。それを見ていた彼らは、オレたちにもできると思った。


【インドとパキスタン】
 では問題はインドです。あの巨大なインド。インドは宗教が二つあった。ヒンドゥー教とイスラム教です。彼らは一緒に独立することができなかった。ヒンドゥー教徒はインドをつくり、イスラム教徒はパキスタンをつくって別々に独立した。だからこの二つは今に至るまで非常に仲が悪い。これが他人事でないのは、を持ってるからです。まずインドが核を持つと、パキスタンは、隣に核を持ったら恐ろしくてたまらないからオレも持つんだ、といって核保有国になった。
 アメリカはそれに対して何も言いません。なぜか。アメリカはインドを押さえるために・・・インドはソ連寄りでした・・・パキスタンを利用しているようなところがあります。パキスタンに核を認める一方で、イランや北朝鮮に対しては厳しく核を禁止しています。
 アメリカは自分の都合で核を黙認したり、逆に禁止したりしています。第一次大戦中のイギリスの二枚舌外交はこういうところに引き継がれています。こういうのをダブル・スタンダード(二重基準)と言って、武力を持つ大国がよく使う手です。

 インドの中心はヒンドゥー教徒です。彼らは、イスラーム教徒ともまとまって、いっしょに一つのインドで独立したかった。インドは大国だからアメリカとの仲はあまりよくないです。イギリスから独立しようとするから、イギリスとも仲が良くないです。だからアメリカ・イギリスは、インドとは仲が良くなくて、逆にパキスタンびいきです。なるべく力をインドの力を削ぎたいのです。


 だから戦後のインドは反米的です。パキスタンはここで応援してもらったから親米的です。日本も親米側です。原爆落とされてからずっと。
 インドの指導者はネルー、パキスタンはジンナーという人、が出ます。


 この二つは、今でも仲が悪くて、今でも領土問題に決着がつきません。これがカシミール問題です。これを引きずったまま70年間きている。未だに国境は不明です。


【インドシナ戦争】
 次はベトナムです。ベトナム独立までには戦争が二つあるんです。場所は同じベトナムなんですけど。

 前半がベトナムが独立を目指してフランスと戦う戦争、後半がフランスがアメリカを引き連れてきてベトナムとアメリカと戦う戦争です。後半の戦争がベトナム戦争です。
 前半のフランスと戦う戦争はインドシナ戦争という言葉が名前がついています。約10年間、1946年から1954年までがインドシナ戦争です。ベトナム対フランスの戦いです。もともとはフランス植民地だから。


 第二次世界大戦が終わった1945年に、ベトナムは独立を宣言する。リーダーはホー・チ・ミンです。


 このインドシナ戦争は、ベトナムとフランスの戦争です。しかしこの戦争は、フランスが当然強いだろうという予想に反して、ベトナムが強かった。ベトナム優勢です。
 これはまずいということで、ここでアメリカがフランスを応援する。そこからとんでもなく泥沼化していく。一旦、停戦協定であるジュネーブ協定が結ばれるんだけれども、完全独立まではまだまだです。今度はもう一回アメリカと戦わないといけない。


 そういう意味では、フランスに勝って、さらにアメリカに勝った国は、ベトナム以外にはない。あのアメリカが出てきたところで、ふつうはこれは無理だなと思う。これはゲリラ戦です。殺されることを恐れる兵士だったら戦えない。もう地下道を何百キロと掘る。ビルをまたいで何十メーターじゃない。何百キロの地下トンネルです。ゲリラもやるし、汚いこともやる。ベトナムは必死です。


 ベトナムは、一旦アメリカからこのあと分裂させられる。朝鮮と同じように北と南に。南半分を分断させて、ここをアメリカが援助していく。こういう形で1960年代まで約10年が過ぎる。
 
▼アジア諸国の独立

【地図】
 この東南アジアの地図で見ると、一番植民地が広いのはイギリスです。イギリスはインドもセイロンも領有していた。そこから一部がパキスタンになって独立した。

 それからアフガニスタンもイギリスです。最近でもアメリカの空爆で人がよく死んでいるところです。


 それからビルマつまりミャンマーもイギリス領だった。マレーシアもイギリスだった。マレーシアの飛び地、こんなところボルネオ島、今のカリマンタン島にもある。
 さらにサウジアラビア、こんなところにもある。


 そして、10年以上前にアメリカとの戦争でつぶされた国、イラクもイギリス領です。
 それからヨルダンです。
 もう一つ決定的なのはここのイスラエルです。ユダヤ人の。


 次にフランス領です。シリアとレバノンはフランス領だった。植民地だったんです。カルロス・ゴーンという日産自動車の社長が捕まえられた。あの人はフランス人になってますが、もともとはそうじゃない。
 二重国籍です。出身地はレバノンです。なぜレバノン人がフランス人になっているのか。植民地だったからです。そういうつながりでフランスに行ったんです。それが日本に乗り込んできて、日本企業であった日産の社長になっている。そして悪いことして捕まった。
 ベトナム、ラオス、カンボジア、ここもフランス領です。


 オランダ領はこの広大な島々インドネシアです。メインはジャワ島、スマトラ島です。


 これだけの植民地が、第二次世界大戦後に独立国になった。


【中華人民共和国の成立】
 まだ戦争がおさまらないのは、実は中国なんですね。中国には二つの政党があった。国民党共産党です。内戦している場合じゃないということで、この水と油の二つが一時的に手を組んで、日本と全力で戦った。そして勝てた。

 しかし日本の敗戦と同時にこの内戦が再開する。国民党と共産党、頭文字をとって国共内戦です。


 勝ったのは毛沢東が指揮する中国共産党です。今でも中国の指導部は、この中国共産党です。このトップにならないと、国家主席になれない。

 
 勝ったほうが今の中国です。原爆が落ちてから4年後、1949年の建国です。4年間も戦争する。正式名称は中華人民共和国です。

※ 1946年から始まる国民党と共産党の内戦に対し、アメリカはソ連の脅威への対処を優先するため、両党勢力の和解に尽力しました。そのため、アメリカの国民党軍への財政・軍事支援が積極的になされず、国民党軍は次第に追い込まれてきました。(宇山卓栄 経済)

※ トルーマンは、国民党と共産党の連立政権をチャイナに樹立するという幻想にとらわれていました。・・・この時点ではアメリカ政府内に共産主義シンパがたくさんいたこともあり、国民党への援助を停止してしまうのです。トルーマンは内戦に巻き込まれることを避け、チャイナからの撤退を表明します。当初は共産党に対して国民党が優勢に内戦を戦っていましたが、アメリカからの支援が途絶えると、ソ連から応援があった共産党軍が立て続けに勝利し、ついに1949年10月、毛沢東は中華人民共和国の樹立を宣言します。(太平洋戦争 藤井厳喜)
 
※ アメリカの中国政策は一貫して中国に共産党政権を樹立することにあったのです。それは、共産中国をソ連の影響下に置くためでした。冷戦の一方の雄であるソ連をアメリカと対等の強国に仕立て上げるために、中国をソ連の衛星国にする狙いだったのです。そして中国をソ連に従属させるために、やがて朝鮮戦争が起こることになります。・・・・・・毛沢東が共産主義革命を成功させることができたのは、ひとえにアメリカの支援のお陰であるからです。しかし、アメリカは毛沢東の期待に応えようとせず、援助を拒否して毛沢東を裏切ります。そうなれば毛沢東の中国はソ連に援助を求めざるを得なくなります。これこそがアメリカの狙いであったわけです。同時にアメリカは蒋介石を台湾で生き延びさせることによって、共産中国を牽制するレバレッジとしたことを忘れてはいけません。アメリカは中国に台湾という紛争の火種を残したのです。悪名高い分割統治の鉄則です。(馬渕睦夫 「国難の正体」)

 負けたのが蒋介石の国民党です。その負けた蒋介石は・・・この前の中国の名称は中華民国だった・・・どこに逃げたか。それが台湾です。そこで、正式中国はオレたちだ、と一歩も譲らない。


 この時アメリカはどっちを応援するか。大陸中国は社会主義です。だから敵です。しかし誰がみても、本物の中国はその大陸中国です。しかしこの時は蒋介石政府つまり台湾の中国の味方をする。この国は中華民国を名乗っています。
 そのあとアメリカは約20年間は台湾政府を支持します。ところが約20年後の1971年には、アメリカのニクソン大統領が中国に飛んで、手のひら返しで台湾中国はダメだ、大陸中国が正しい中国だという。
 そのあと日本の首相田中角栄がポーンと飛んで、台湾中国はダメです、中華人民共和国が正しいです、と言う。それで今の体制になっていく。その後は今日までこういう体制が続く。アメリカの支持が台湾政府から大陸の共産中国へと変わったのです。


 しかし建国以後の共産中国はこのあと10年以上、全く経済がさえない。飢えで死ぬ人が何百万といた。報道されなかったから当時の日本人は知らなかった。中国は大躍進というのをやるんだけれども、生産はいっこうに上がらない。社会主義がうまくいかない。


【朝鮮戦争】
 そういう時に問題が起こるのが朝鮮半島です。戦後の朝鮮半島は誰のものか。アメリカのものか、ソ連のものかということが、よくわからないんです。

 ソ連は朝鮮と国境を接しているから、オレのものだと言う。アメリカは日本を占領していて、朝鮮もオレのものだと言って、南から入ってくる。


 朝鮮半島で真っ向から米ソ対立が起こる。そしてソ連とアメリカがそれぞれ別の国を朝鮮半島につくる。

北が朝鮮民主主義人民共和国、民主主義がついているけれども全く民主的ではない。南は大韓民国つまり韓国です。

 北朝鮮のリーダーは金日成という。今の金正恩のおじいさんです。親・子・孫と指導者になる。こういうのは民主国家とは言わない。選挙も行われていません。1950年に、そのにらみ合いがついに戦争に発展する。これが朝鮮戦争です。

 最初はソ連の支援を受けた北朝鮮が有利なんです。北朝鮮に押され気味の朝鮮半島に対して、アメリカができたばかりの国連軍で攻めようとする。そしてこの提案が国連で決定される。これが分からないところです。
 国連の常任理事国にはアメリカもソ連も入っています。しかもここでは全会一致でないと議決できないんです。ソ連がダメだと一言いえば、国連軍は派遣できないんですが、その会議にソ連は欠席する。欠席することによって、国連軍をOKする。これがわからないです。なぜ欠席したのか。


 とにかくこうやってアメリカ軍中心の国連軍が朝鮮戦争に参戦した。国連軍といっても中身の兵隊は90%は米軍です。実際はアメリカ軍です。それを国連軍という名前にするところが政治的力なんです。国連が賛成すれば、正義は国連軍にあることになるからです。

 ソ連の欠席という謎はあるけれども、こうやって国連軍という名のアメリカ軍が朝鮮戦争の反撃に向かいます。
 すると今度は、中国から義勇軍が派遣されて米中の戦争になります。その後戦線は38度線で膠着状態し、1953年7月に休戦協定が結ばれ、今日に至ります。


【占領下の日本】
 この時には正式な日本という国は法的にはありません。日本という土地はあっても主権がないのです。日本はアメリカの占領下にある国で、独立国ではありません。
 この朝鮮戦争の勃発によって日本の占領政策が変わります。

 世界地図はこうなっている。日本はここにある。東西冷戦という、ソ連・中国、そしてインドも半分ぐらい共産主義なんです。これが東陣営。

 それに対して、西ヨーロッパから、カナダ、アメリカにかけて、これが資本主義陣営です。西陣営と東陣営です。これが世界地図です。こう見ると日本の周辺は共産主義国ばかりであることが分かります。このままだったら日本は共産圏になるのが普通です。

 しかしアメリカは、日本だけは絶対に共産主義になってもらった困るのです。だから日本に強くなってもらわないといけない。
 今までの日本は二度と歯向かわないように、戦争できないように弱い国であってもらったほうが一番いい、という5年間だった。しかし朝鮮戦争で、しっかりと経済力を持って、軍事力を持ってもらわないと、極東地域はすべて共産主義国家になって、アメリカは負けてしまう。だからここで日本の占領政策が方向転換するんです。


 日本は最初の5年で憲法をつくってしまいますが、その後は憲法とは全く違う政治になります。これが憲法どおりに政治が行われていない最大の原因です。


 憲法をつくったのは実質的にアメリカですけど、このあとの占領下の日本は憲法に書かれたことと違うことをやっていきます。植民地というのは悲惨なものです。自分で決定してないことを、未来に向かって背負っていかないといけないから。今の日本です。


 日本はそれまで弱い国であればいい、日本は非武装国家で、軍隊をもたないひ弱な国であって欲しい。これが憲法9条です。
しかしアメリカは、日本が強い国となり、アメリカの砦となって軍隊を持ち、経済力もある国になってもらわないと困る。アメリカの強い同盟国になってもらわないと困る。こういうふうに変化していく。朝鮮戦争によって戦後5年で急に方針が変わる。


 よく言われることは、日本は極東の防壁、防ぐ壁だと。誰にとっての壁か。アメリカにとってのです。


 それで早く独立させて一人前にしよう。ただしアメリカとの軍事同盟が条件です。これをアメリカで同時に、同じ日にやります。
 独立回復がサンフランシスコ講和条約です。
 もう一つのアメリカとの軍事同盟が日米安全保障条約です。この二つはセットです。
 日本の日米安全保障条約はのちに、政府は30年経って言い方を変えた。日米同盟という言葉を使うようになった。最初から日米同盟なんですけどね。すぐには使わなかった。最初の30年間は。
 ただこれが不平等な同盟である証拠には、日本には1年中このときから米軍が常時駐留しています。戦争があってもなくても、いつでも日本内に米軍がいます。今もそうです。これを許したのが日米安全保障条約です。これが普通の独立国ではないというのは、A国はA軍が守り、B国はB軍が守ると言うことを前に言いました。


▼安全保障体制


【イスラエルの建国】
 もう一つ、世界のヘソとしてパレスチナのユダヤ人国家です。イスラエルの問題です。

 実は、ここはもともとイギリスの植民地だったけど、1948年にここにユダヤ人のための国家をつくった。イギリスが後押ししてできた国がイスラエルです。

 同時に戦争が起こっていきます。
 今日はここまでで終わります。ではまた。















「授業でいえない世界史」 51話 戦後 戦後のアラブ・アジア・アフリカ

2019-05-28 07:00:00 | 旧世界史13 戦後
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【アラブの動向】
 第三勢力の結集というところのアラブの動向に行きます。

 前回は日本のことを言いました。1951年日本が独立しました。エッ、日本が独立してなかったんですか、という人がいます。1945年から1951年まで、法的にはこの6年間、日本という国はないです。日本列島はあっても日本という国はない。主権がないからです。ここの日本という地域の主権、これはアメリカ史の一部です。この地域の行政を決めるのはアメリカです。GHQというのは、アメリカ政府の下部組織です。それまでの日本の政治はここで決まっています。

 日本が独立したのがサンフランシスコ平和条約です。ただし独立の条件が何だったか。日本の独立は、極東の防壁のための日米安全保障条約とセットなんです。これで日本に米軍が常時駐留することが決まった。


【イスラエル】 日本の次にはポンと飛んでイスラエルに行きます。ほぼ同時期、1940年代、戦争が終わってすぐに本当はここに来ないといけない。


 1948年5月、ユダヤ人国家が2000年ぶりに誕生した。これがイスラエルという国です。私はずっと世界のヘソと言ってきた。小さいけれども世界のヘソで、世界はここを中心に動いてるようなところがある。ここを中心に見ると、分からなかったことが分かったりするから恐ろしい。
 ここは2000年間、誰も住んでなかったわけではない。アラブ人がそこに住んでいた。そこにユダヤ人が入ってきて、おまえたちは出て行けと言われる。当然、腹を立てる。2000年ぶりに、帰ってきたぞと、ユダヤ人は言うんだけど、帰ってきたんじゃない。おまえたちはオレたちを追い出しているだけだ、こんな非合理なことがあるものか。これがパレスチナ戦争です。1948年、戦争が終わった3年後に起こる。


 本当はパレスチナ戦争で終わりのはずだったんだけれども、この後に2回目が起こる。10年後に3回目が起こる。そのあと4回目が起こる。だから、名前はパレスチナ戦争ではわからないということになって、第一次中東戦争といいます。その始まりになってしまった。2次、3次、4次まで続きます。


 ここは第一次世界大戦後、イギリスが領有していた。つまりイギリスがいるんです。当時は大英帝国です。その後ろにアメリカがつく。イギリスは、あなたたちが第一次大戦でイギリスに協力するなら、あなたたちの国をパレスチナに2000年間ぶりに建ててやりましょうと約束したものだから、ユダヤ人がオレたちの土地だといいながらそこに移住し始めた。そして、それまで2000年間住んでいたアラブ人を追い出した、退け、と言う。するとアラブ人は、何だと、と対立するわけです。


 彼ら追い出された人たちを、パレスチナ人というわけです。広くとらえればアラブ人なんです。イスラエル建国の最初からこうなっていたのです。
 そのパレスチナ戦争はイスラエルの勝利です。不思議です。こんな小さな国が、できたばかりの国が、なぜこんなに強いのか。イギリスがいる。さらにその後ろにアメリカがいるからです。今では核まで持っている。


 その一方では、さっき言ったようにパレスチナ難民が発生します。追い出されたアラブ人のことをパレスチナ難民といいます。難民というのは、国を追い出されて、行き場を失った人たちです。

 当初のユダヤ人国家というのは、この地図の緑の部分、これで半分ずつ住み分けようという約束だった。ところが戦争に勝利したら、イスラエルの領域はますます広がった。当初は半分にしようという話が、どんどん嘘の塊のようになって、結局戦争に負けたらどこも住めない。今ではここはほとんどが実質上、イスラエル国家です。ここにそれまで住んでいたアラブ人たちは、今はガザ地区というこんな狭いところに押し込められています。


▼イスラエルの占領地域


 ユダヤ人はユダヤ教徒です。それに対して、ここに追し出されたパレスチナ難民はイスラーム教徒です。しかもこの周辺は全部イスラーム教徒なんです。


 こういう事態にイスラーム社会全体はこころよく思わない。オレたちの国の一部にこんな国をつくって、一体どういうつもりなんだと。


 今でもこの紛争は続いています。イスラーム教徒とキリスト教は・・・つまりアメリカとですが・・・仲悪いです。アメリカは世界最大の軍事力を持っていて喧嘩すると強いから、すぐ勝つわけですけれども、それに対するイスラーム教徒の反発というのは非常に大きい。


 日本はそうでもないけれど、フランスとかイギリスとかでは、最近しょっちゅうテロが起こっています。これはここ70年来の恨みです。


 それがまた20年前の9.11事件から急にまた大きくなって、恨み骨髄です。あまりアメリカに肩入れしていると日本でも起こるかも知れません。日本は戦後は完全にアメリカ側の国になってますから。最近では集団安全保障で、アメリカの仕掛ける戦争に荷担することさえできるようになりました。


【エジプト】 反発したのが、やっぱりエジプトです。エジプトはこの地域では、アラブ地域のリーダー的存在です。そこに1952年エジプト革命が起こった。


 もともとはイギリスの植民地で、イギリス寄りの国だった。それではダメだと言うことで革命が起こって、今までの王政を滅ぼして新しい政権をつくった。その後、軍人のナセルが実権を握りました。


 革命後もイギリスが絶対手放さなかったエジプトの一部がある。100年前にインドに行く近道として掘ったもの、スエズ運河があったんです。これだけはイギリスは手放さなかった。しかしナセル大統領はそれを国有化した。エジプトがエジプトにあるスエズ運河を国有化するのは当たり前じゃないか、と言うわけです。今までは、その当たり前のことが当たり前じゃなかった。イギリスのものだった。

 そこからエジプトとイギリスの戦争が始まる。これが1956年のスエズ戦争です。するとその隣のイスラエルがイギリスの味方をして、エジプトを攻撃してくる。イスラエルの後ろにはイギリスがいるからです。こうやってまたイスラエルとアラブの対立になります。約10年前の第一次中東戦争と同じなんです。だからこれは第二次中東戦争といいます。

 イギリスが後ろについているから、戦争やってみると圧倒的にイスラエルが強くて、軍事的にはイスラエルが勝つんだけれど、これどうですか。勝ったイスラエルに対して国際世論は、なんだこれは、戦争して強ければ人の土地でも奪っていいのかという反発が起こる。

 そうするとイスラエル寄りだったアメリカが、ここでイスラエルに応援したらちょっとまずいなあ、ということで、これをアメリカは、そうですよね、皆さん、と逆にエジプトを支持するんです。
 ここでイギリスとアメリカが割れた。しかしイギリスの時代はすでに過ぎている。もうアメリカに覇権が移ってる。イギリスはアメリカにタテつけない。
 それで結局、戦争では負けたエジプトが、外交的に勝った。だからスエズ運河は、今はエジプトのものです。エジプトのナセル外交が勝利を収めた。

 しかしイスラエルはこれに不満です。10年後には突然奇襲攻撃をかける。圧倒的な強さです。そういうことがもう一回起こる。これが1967年の第三次中東戦争です。


【米ソ接近と中ソ対立】
 では次です。戦争が終わったと思ったら、勝ったもの同士がまた対立し始めた。アメリカとソ連です。このソ連も独裁国家ですから、一人の独裁者が死ぬと、国の方針がその死によって180度変わっていく。ソ連の独裁者はスターリンです。彼が大戦終結から8年後の1953年に死んだ。レーニンの死にもいろいろな噂があるし、このスターリンの死にもいろんな噂がある。それまで戦後8年間は、ほぼ独裁状態でアメリカと対立してきた。
 
※ スターリンが暗殺されたと思われる理由の一つは、スターリンは国際金融家たちが目指すグローバルな利益ではなく、ソ連の国益を守ることに心血を傾けるようになったからだと思われます。(馬渕睦夫 「国難の正体」)

 その3年後の1956年にスターリンの後を継ぐリーダーとして選ばれたのが、フルシチョフという人です。

 スターリンは米ソ対立路線だったけれども、このフルシチョフは米ソ協調路線に方向を変えた。そして対立していたスターリンの政治に対して、スターリン批判というのを行った。これは同時にソ連の方向転換でもあります。
 今までは米ソの首脳会談とかありえなかった。しかしここでアメリカとソ連の首脳同士が話し合うことになった。

 アメリカの大統領はこの時アイゼンハワー大統領です。1回でできた人です。第二次世界大戦の将軍として出てきました。何という上陸作戦の最高司令官だったか。ノルマンディー上陸作戦の最高司令官だった。これでドイツは負けたんです。その後、アメリカの大統領に選ばれます。


 米ソの首脳が歩み寄った。しかし、今まででアメリカとの対立路線をとっていたもう一つの国があるんです。アメリカなんか大嫌いだ、資本主義は大嫌いだ、それが中国です。今まで仲間として同じ共産主義を取ってきたソ連が、なぜ急に寝返ってアメリカに近づいているのか。

 今度は、ソ連と中国が仲が悪くなり始める。これが中ソ対立です。共産陣営同士が対立する。しかしこれがアメリカの狙いだったという話もある。それはよく分からない。分からないことは言うなと人はいうけれども、人が外交で秘密裏にやっていることが完全にわかるまでには、100年とか150年とかザラにかかる。その間黙って待っていていいかというと、誰かが調べないと分からない。誰も調べなかったら永遠にわからない。


【東西冷戦の構図】
 大まかな戦後体制はここで決まりました。日本人としてまず1番目にラインを引くところは、太平洋の虹のかけ橋とアメリカがいう日米安全保障条約です。軍事同盟関係ですね。

 日本だけがアメリカの味方だと思って安心していたら大間違いです。日本と韓国は仲が悪いです。ここ2~3年、ますます関係が悪くなった。アメリカはこの韓国とも同様に米韓相互防衛条約を結んでいます。防衛がついています。軍事同盟です。アメリカは韓国とも軍事同盟を結んでいます。

 日本人が見る世界地図が勘違いしやすいのは、日本人だからこう書いてあるのであって、本当の世界地図というか、ヨーロッパ人が使っている世界地図、アメリカ人が使っている世界地図はこうなっていません。そのことは知っておかないといけない。
 アジア大陸とアメリカ大陸が逆になっているのが彼らの見る世界地図です。太平洋がまん中ではなく、大西洋がまん中になっている地図です。この地図を見ると、世界情勢がよく分かります。アメリカのワシントンから西側・東側陣営を見ると、ソ連側の東側陣営は、ソ連・中国・モンゴルは東側の大半を占めています。そこにちょこんと日本がある。こんな感じです。この地図を見て、西側・東側というんです。


 これを見ると分かるように、一歩間違えば日本は共産陣営になっていきます。だからここに線を引いて、日本をブロックをしておかないといけない。これが極東の防壁ということなんです。だから日本は守らないといけない、ということなんです。日本のためではなく、これはアメリカの利益のためです。日本は極東の防壁となって、アメリカの利益を守らなければならないことになっている。


 では東側がつぶれてしまえば・・・前にも言ったけど・・・この位置づけは180度変わる。これが平成30年間で起こっていることです。今アメリカにとって日本は、以前ほど重要じゃない。そうなったとたんに日本の景気ががっくり悪くなった。経済成長も急に止まった。この因果関係もはっきり分からない。



 日本は、少なくともここ70年間は戦争をおこしてないけれども、世界はそうじゃないです。いろいろな戦争があっている。


 大きいところは、このベトナム戦争

 それから、今いった中東戦争、1次から4次までです。
 核戦争の危機に陥ったキューバ危機は、このあと言います。1963年です。

 世界は、赤と青の陣営の対立です。これが東西対立です。日本人が見る地図だったら分からないでしょ。東西対立になってない。もう一つの地図で見ないといけない。その地図で見たら東西になる。世界の標準の世界地図は、世界の8割方はもう一つの地図です。我々が日本人だから便宜的に、今の地図で見ているだけで、どっちが便利かといったら、もう一つの方が便利だと思う。そうでないと解釈し直さないといけない。頭を整理するときに、90度また回転し直さないといけない。


【アジア・アフリカ会議】
 では米ソが終わって、東南アジアにいきます。東南アジアは植民地でした。ここは2度と植民地になりたくない。その植民地から独立した一番大きな国というのがインドです。首相はネルーです。

 有名な独立指導者ガンジーは殺されるんですよ。本気で政治やると反対派から殺される。生半端な気持ちでは政治家になれない。でも今は政治家になり手がなくなってるんですけどね。政治家になるには命よりも大事なものをもっている人がいい。最近ある政治家が、今までさんざん自民党を批判しながら、立場が悪くなるとコロリと自民党に入りました。ビックリしました。政治家に信念がないとこうなります。今の日本の政治家には信念など、あって無きがごときものに見えます。

 中国の周恩来、彼は首相です。会議を行って、合意して発表したのが、これ政治経済でもやりましたが、平和五原則です。植民地禁止ということです。主権の尊重というのは、植民地にするな、ということです。各国の主権を守れ。国家で一番大事なのは主権です。その一番大事なのが失われたのが戦後の日本です。これは国として一番大事なものです。主権のない国民は無責任になります。国として一番大事なものを失うと、国民もダメになるのです。

 これは人生で一番大事なのは、自分の命だと思っていたら分からない。人生で一番大事なのは、命ではなくて人権だと考えると分かる。それでも分からなければ、プライドと置き換えてもいい。一番恐いことは、このプライドのない人間が政治権力を握ることです。

 国家があって食い物さえあれば、それで人の命が生きながらえると思っていたら、大間違いです。そんな国はないです。国の主権が守られないのに、国民の権利が守られる、そんな国はありません。生物学的には命が大切でも、社会的に大事なのは権利なんです。


 次は東南アジアです。1954年です。今度は、インドネシアのバンドンです。インドネシアが中心になって、旧植民地の合同会議を開く。旧植民地とはアジア・アフリカです。アジア・アフリカ会議といいます。
 何が珍しいかと言うと、今まで国際会議というのは白人の会議に限られていた。しかしこの会議には白人はいない。有色人種だけの国際会議を開いた。今からやっていくぞといって、2回しか開かれずに潰されるんですけど。略してA・A会議という。アジア・アフリカのどっちもAがつくからです。


 ここで何を決めたか。アメリカは嫌いだ、ソ連も嫌いだ、どっちの味方にも入らない。アメリカでもなくソ連でもない。これを第三勢力という。どっちの味方でもない。俺たちは俺たちだ。狙いは主権の維持です。

 オレが決めることに他人がとやかく言わんでくれないか、オレは考えて自分でやっているんだ、ということです。その代わり、自分でちゃんと迷惑かけないで生きていく。そういうことを言った。君たちは言えますか。言えたら独立していいです。

 非同盟の立場で連携していこうということです。旧植民地同士で。


【アフリカの独立】
 その後のアフリカです。まだアフリカは独立がちょっと遅れてる。一部独立国があったんだけれども。まだ植民地状態ですけど、そういうアジア・アフリカ会議、主権を尊重しようという動きの中で、白人が下に見ていた黒人国家の中からも、指導者が現れる。エンクルマという。こういう名前なんです。人の名前はいじれません。ガーナが独立する。1957年です。次の1958年にギニアが独立する。小さな国ですけど。

 そして1年置いて1960年に一気に17カ国がバラバラ独立しながら、1年間で17ヶ国が独立していく。世界はアッと驚く。これを記念して、1960年は「アフリカの年」といわれる。基本は植民地反対主義です。領土主権ですね。
 
▼アフリカの独立


 ただ政治経済でも言ったように、国を支配するには、土地の支配だけではない。お金を支配したら支配できる、という手法もある。現代はそこまで考えないといけない。


 お金の蛇口を止めたり閉めたりするのは、どこなのか、ということを。こうやって巧妙化していくんです。支配の形も。


 これを見ていくと、この地図が独立している国です。赤と青で。ほぼこれくらい独立していく。赤は旧イギリス領です。青は旧フランス領です。


 これを囲んでみると、旧イギリス領はこれからあと、モザンビークから、ボツワナから、南アフリカ、ジンバブエ、これだけ。次はこの地図からいきます。

 これで終わります。ではまた。















「授業でいえない世界史」 52話 戦後 1960年代

2019-05-28 06:00:00 | 旧世界史13 戦後
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【1960年代】

【アフリカの独立】 戦後世界にすでに入っています。この戦後世界で旧植民地が独立していった。
 ここから1960年代に入ります。特に1960年はアフリカで17ヶ国が一気に独立したから、アフリカの年といわれます。

 イギリス領とフランス領です。赤がイギリス領、青がフランス領です。どういう国が独立したか。エジプトから、スーダンから、エチオピアをまたいで、ケニアまで。さらにタンザニアをまたいで、メインは南アフリカ共和国で、北のボツワナからザンビアまで。これが旧イギリス領です。それから、忘れてならないのが、このナイジェリアですよね。いつ独立したかよりも、どこから独立したかということの方が現状を考える上で大事ですね。いまでも宗主国として力を持っている場合がある。
 もう一つはフランスです。フランスは横断策だったから、アルジェリアを中心にモロッコ、モーリタニア、ギニアをまたいで、コートジボアールから、小さな国、中央アフリカ、ぽんと飛んで東のマダガスカル島、日本と同じぐらいの大きな島です。こういう形で独立したということです。

 第二次世界大戦は1945年で終わります。もう15年過ぎました。


【アメリカ】
 1960年代のアメリカに行きます。世界の中心はアメリカになっているんです。
 それでここからは世界を、1960年代、70年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代と大体10年ごとに見てきます。

※ 1961年、アイゼンハワー大統領は退任演説において、肥大化する軍需産業を「軍産複合体」と呼び、警告を発しました。軍産複合体の典型的な会社として、ロッキード社(航空機)、ボーイング社(航空機)、レイセオン社(ミサイル)、ダウケミカル社(化学)、デュポン社(化学)、ゼネラル・エレクトリック社(電気)、ノースロップ・グラマン社(軍艦・人工衛星)、ハリバートン社(資源生産設備)、ベクテル(ゼネコン)、ディロン・リード社(軍需商事)などがあり、またスタンダード石油に代表される石油メジャーも含まれることがあります。(宇山卓栄 経済)

 1960年代、アメリカの大統領は誰か。ケネディです。1961年からです。この時には、南ベトナムと北ベトナムの対立が非常に激しくなっている。

 北ベトナムは社会主義国です。それが優勢なんです。アメリカは資本主義国の親玉です。親玉として社会主義国の発生を許すことができない。ではもともとベトナムはどこの国の植民地だったか。フランスの植民地だったんです。これは日本の動きとも絡んでいる。戦前の日本もここに進駐いた。

 しかしアメリカが、社会主義の拡大を防ごうと、フランスを支援している状態です。それで分が悪くなった社会主義政権の北ベトナムは、それでもあきらめずに本気で戦っていく。これがゲリラ闘争です。正式名称でいうと、南ベトナム解放民族戦線を結成する。北の勢力が南にも及んでいくということです。


 アメリカは南ベトナムを応援してる。政権はゴ・ディン・ジェムいう政権です。北と南でベトナムが割れてる。これは資本主義と社会主義の対立だということです。


 日本は関係なかろう、ではない。枯れ葉剤をボンボン蒔いていく米軍機が飛び立ったのは沖縄の米軍基地からなんです。日本の基地がものすごく重要です。日本は関係ないどころか、大ありなんです。日本人が空爆したわけではないけど、アメリカにそうやって利用されているんです。


【キューバ危機】 その最中にもう一つ、1962年キューバ危機というのが起こります。キューバというのは、アメリカの目と鼻の先にある島です。


 アメリカのすぐ南のカリブ海、その海の一番アメリカに近いところに浮かぶのがキューバです。そこは、もともとアメリカの半植民地のような国だった。アメリカに支配されていた国だった。しかしそこで革命が起こる。アメリカの支配は嫌いだと言った。これがカストロです。4~5年前に亡くなったんですけれども。


 それでキューバは、ソ連寄りになっていく。ソ連とアメリカは戦後すぐ対立し始めて、1960年代になるとその対立が一番激化していった時代です。そのキューバが近づいたソ連が、アメリカに一番近いキューバを手に入れた。これを利用しない手はない。それでソ連はキューバに核ミサイル基地を建設しようとする。


 この情報をいち早くキャッチしたアメリカ軍は、ソ連から運ばれてくる核ミサイル基地の建設資材を、実力で海上封鎖してストップする。とても危険な行動です。


 アメリカとソ連はお互い核をもっている。軍艦同士が、通せ、通さないで、核戦争勃発か。その直前まで行く。核戦争の危機です。この時に腹くくったという人もいる。日本人は、その時ポカーンとしているだけです。


 アメリカのある軍当局者は書いている。その時に、明日がないかも、と腹くくったと。こんな事は事件から50年ぐらいたってから公開される。アメリカのケネディが、ソ連に対し建設中止を要求し海上封鎖を行った。ソ連のミサイル輸送を阻止しようとした。


 通せんぼしているところで、アメリカが1番胃が痛くなるような瞬間は、通せんぼしているときに、ソ連の軍艦がどんどん近づいてきて、強行突破しようとすればホントに核戦争です。動くかな、動かない、追突か、パッと変わる。最後はフルシチョフの判断です。この時にはソ連の最高指導者はフルシチョフです。そのフルシチョフはキューバのミサイルを撤去した。


 この教訓で震え上がった世界の首脳陣たちは、このままであればいつ全面核戦争が起こってもおかしくないと実感した。

 核というのは、相手国だけを殺す武器ではない。死なばもろともです。大気汚染から何から、何千キロだって放射能は大気上を流れてくる。それが今後の課題として大きく意識された。

 しかし同時に、アメリカは宇宙開発に血筋を上げていく。アポロ計画といいます。この宇宙計画は、人間が月面着陸したとか、その人間の偉業を称える、とかよく言われるけれども、本当の目的は軍事目的です。宇宙開発は軍事目的です。宇宙の大気圏外からミサイルを落とす。地球の裏側まで落とす。そういう核開発です。
 だからその証拠には、月の開発、月に人間が住めるとか言って、1964年に月面着陸したんです。しかし2度と行ってない。
 そんなものはもともと目的じゃない。本当は軍事目的です。日本のマスコミは言わないけど、軍事目的です。宇宙空間のどこかで、無重力状態で植物に根がはえたとか、それは小さいことです。本当の目的は軍事目的です。


 それから、オレたちはアメリカの仲間に入らないという非同盟諸国、アジア諸国です。そこにアメリカが援助する。ということは下心丸見えですよ。オマエたち、そう言わずに、オレとつきあえよ、悪いようにはしないぞ、とアメリカは言います。
 こういうことを10年、20年、30年スパンでやっていくんです。ということは、あれだけ60年代で活気づいていた東南アジアの非同盟運動は静まっていく。そんなことするよりも、アメリカからのお金つまり援助金もらった方が早いぞ。いつの間にか聞かなくなる。


【公民権運動】 それから、アメリカ社会は最近まで奴隷社会だということも大事でする。100年前リンカーンが奴隷解放宣言を出したじゃないか。あれは形だけです。本当に差別を無くしてくれよという運動が黒人の間に起こる。これを公民権運動といいます。黒人には選挙権などの公民権がまだ実質なかったからです。みんなに公民権やれよという運動です。反対しようがないんだけれど、黒人にはないんです。このリーダーがマーティン・ルーサー・キングという。


 お坊さんです。キリスト教の牧師さんです。彼が説教をしながら、何万人という聴衆の支持を受けていくんです。このあと、公民権運動によって、黒人の人権が認められるんだけれども、アメリカにつきものは暗殺なんです。このキング牧師は1968年に殺される。


【ケネディ暗殺】 そして大統領のケネディもまた殺される。1963年ケネディ大統領暗殺です。アメリカの大統領はよく殺される。暗殺率の高さのナンバーワンはアメリカ大統領です。暗殺の理由は、財務省証券という政府紙幣を発行したからだといわれますが、犯人は捕まらない、というのがいつものアメリカのパターンです。南北戦争の時、グリーンバックという政府紙幣を発行したリンカーン暗殺もそうでした。捕まっても、本当に犯人かどうかがわからないうちに犯人が殺されたりする。口封じです。犯人はオズワルトです。彼は、オレがやったという。でもウソッぽい。それで別の人物に射殺される。しかも警察署のなかでです。警察署の中で、犯人が部外者の人間にピストルで射殺される。これはどう見ても口封じです。
厳戒の警備の中、白昼堂々と大統領を暗殺するといった犯行はどこかの情報機関の協力がないと不可能です。今もその時の写真はネットで検索すると一発で出てきます。その瞬間が。しかし本当の犯人はわからない。 

 ただアメリカ政府は、この事件の公文書を2039年には開示するといっているんです。分からないなら開示できないでしょ。開示するとは、どういうことか。分かっているんです。あと20年後、私はもう死んでるかも知れないけど、君たちはまず見れる。しかと見てください。とんでもないものが出てくるはずだから。100%は公開しないはずですけれども、80%ぐらいは公開するでしょう。


 キューバ危機という全面核戦争の危機を受けて、1963年には部分的核実験停止条約、つまり核実験を停止しましょうという条約がアメリカ、イギリス、ソ連の間で結ばれる。アメリカは何百回と核実験して、データを収集した後です。まだ実験途中であったフランスと中国は、おまえたちが実験が終わったからと言って、なんで急に中止するか、という話になってもめる。オレにも持たせろ。それまで待ってくれ、ということです。

 核さえ持っていれば百人力です。主要国は自分の持つ核兵器を破棄しようとは決して言わない。自分は核兵器をし予示したまま、他国が新たに核兵器を持つことを禁止しようとしている。これは核兵器の独占を狙っていることです。核兵器はなくなった方が良いけれど、核を一部の国が独占したままにすれば、それらの国が世界を動かしていきます。それは非常に危険なことです。
 今年、中距離核兵器削減条約もアメリカのトランプが破棄したばかりです。今度は逆に中距離核ミサイルを逆に開発する、ということになった。
 アメリカは、自分たちの持つ核兵器を捨てることなど全く考えてはいません。



【キューバ革命】
 前後したけれども、さっきでできたキューバ革命です。アメリカのすぐ南にある島キューバ、そこで1959年キューバ革命が起こる。

 指導者はカストロです。カストロ政権が誕生した。キューバというのは、もともとはアメリカの従属国です。半植民地のようなものだった。アメリカの言う通りにしていた国です。その国のリーダーをバティスタという。民衆の言うことは聞かない。アメリカの言うことだけ聞く。民衆は黙っていろという独裁政権だったんです。


 カストロは、それじゃいかん、ということで、アメリカではなくてソ連に接近した。この情報をかぎつけたアメリカは、キューバのある港、ピッグス湾というところで、カストロの革命を潰そうとしたんだけれども、これには失敗します。
 そこでキューバはアメリカの保護下を抜け出して、社会主義宣言を行っていく。


 この社会主義の親玉がソ連です。つまりアメリカとの絆を絶って、ソ連側につくということを表明した。そしてさっき言ったソ連がそこに核ミサイル基地を作ろうとしたところから、1962年キューバ危機が起こっていくわけです。最終的には核戦争直前のところでソ連が譲歩した。もうハラハラドキドキの緊張の一瞬です。


 このことを本当に意味がわかっていた日本人は非常に少なかった。私もまだ鼻垂れだったからわかりません。3つ4つぐらいだから。当時の日本人が、これにどのくらい無関心だったかということを、私は高校の時の先生から聞いたことがある。その高校の時の先生は、自分が20歳の時だったと言った。自分はどきどきして、核戦争がいつ起こるかとビクビクしていたけれども、周りの友人たちは平和なもので何も思っていない。これでいいのかな、と当時の状況を聞いたのを覚えています。


 それでケネディは殺された。暗殺された。そうすると副大統領が大統領になる。こういった場合には選挙なしで米国副大統領が横滑りで大統領になる。これをジョンソン大統領という。


 そのケネディが殺された理由は、ベトナム戦争関係ではない。ただベトナム戦争でお金がないということと関係している。ケネディは自分で政府紙幣をつくったんです。政治経済で言ったかもしれませんが、お金は日本もアメリカも政府が発行しているのではないです。ではどこが一万円札を発行しているか。政府ではなくて、中央銀行です。日本で言えば日本銀行です。ケネディーはこれを中央銀行を介さずに、自分で政府自ら行った。でもお金の発行に触れるとよく大統領が死にます。


 そこらへんが2039年に公開されるかどうかなんでしょうけど、どうなるかまだわかりません。


【ベトナム戦争】

 このジョンソン政権は、そのまま北ベトナムへの空爆を続けていきます。北ベトナムが社会主義国です。だからここを攻撃します。

 そのゲリラ闘争している北ベトナムに対して、本格的にアメリカが参戦していくわけです。その参戦するきっかけが、1964年トンキン湾事件です。ベトナムの北部ににトンキン湾というちょっとした小さな湾があるんです。この湾の中に停泊していたアメリカの軍艦が、突如爆破される。そして沈没する。これは北ベトナムの仕業に違いないということで、アメリカが北ベトナムに宣戦布告していく。しかし戦争が終わったあとに、アメリカの軍艦を爆破させたのはアメリカの海軍自身だったということが分かる。つまりこれはアメリカの自作自演なんです。北ベトナムの仕業にして戦争したかった、こんなことをするんです。これはのちのアメリカのマクナマラ長官が、そのことを認めている。


 ただこの時にはそういう真実はわからないから、北ベトナムは憎い憎いヤツだ、卑怯な手を使うヤツだ、ということで、アメリカ軍は北ベトナムを空爆していく。これを北ベトナム爆撃だから略して北爆といいます。これが1965年です。
 この時から本格的にベトナム戦争が開始されていく。B52戦闘爆撃機がベトナムに向かって飛び立つ場所、それが日本の沖縄の米軍基地なんです。
 爆撃もやるけれども、このあと歴史に汚点を残すのは枯葉剤攻撃です。森林を枯れさせるために枯葉剤をまく。それだけならまだしも、ジャングルの下には、いっぱい人間が住んでいる。その人間たちの遺伝子まで枯れ葉剤によって侵していく。そのあとはベトナムには奇形児がいっぱい生まれてくる。戦争に関係のない赤ちゃんまで犠牲になる。このアメリカの非人道性が問題になる。


 ではアメリカと戦ってる北ベトナムはというと、ソ連からの支援を受けている。社会主義国ではナンバー1がソ連、ナンバー2が中国です。ソ連と中国からの支援を受けていく。
 アメリカはというと、史上最大の50万人以上の戦闘員を投入し、さっき言った枯葉剤作戦をしていく。非常に非人道的な作戦をやっていく。そこまでしてもアメリカが勝てなかったというのが、ベトナム戦争です。


【アメリカの挫折】それまでアメリカは、偉大な社会の建設、そんなことを言ってた。アメリカは偉大な国家だ。自分たちの手で偉大な時代をつくっていくんだ。そのウソがばれてしまった。
 まずベトナムでつまずく。お金が足りなくなる。黒人には差別がある。その要求に押されて公民権法を制定したのが、1964年。黒人差別を禁止していく。しかしその4年後の1968年にはその指導者であるキング牧師が暗殺されます。


 ベトナム戦争はアメリカが不利のまま、なかなか終わろうとしない。アメリカ人たちは早く終わればいいのにと反戦気分が高まります。若い人たちを中心にベトナム反戦運動が起こっていく。しかもこれが年々激しくなって、世界の一等国アメリカにも、戦後約20年でぼちぼち暗い影が差し始めた。アメリカのピークは1960年代です。そこからは下り坂です。


 次のことをちょっとだけ言うと、1970年代になるとドル・ショックが起こる。アメリカのドルなんか使えるか、というふうになる。ドルの価値がどんどん落ちていくんです。ピークを過ぎる。あんまり威張って、ベトナムなんかやっつけてやるというと、おおごとする。ただ日本はアメリカの核の傘に隠れている国だから、アメリカが追い詰められると、必ずそのツケは日本に回ってくる。日本はそのアメリカが嫌いだったけど、戦争して負けたから、今こういうふうになっている。
 その後はアメリカのツケは日本にまわってきます。


【東欧】
 そのころ1960年代に、ソ連側についた東ヨーロッパの社会主義国はどうだったか。国の名前としてチェコスロバキア、今はチェコとスロバキアという二つの国になっているけれども、この時は一つの国なんです。第二次世界大戦後、社会主義国体制になっていく。しかし独裁的で民主的じゃなかったから暴動が起こっていく。反政府運動が起こっていく。首都の名前を取ってプラハの春という。1968年です。チェコスロバキアの首都がプラハです。これを起こした中心人物がドプチェクです。民主革命が起ころうとした。そのやさきに親分のソ連が出てきて潰す。ソ連が出てきて弾圧します。
 今はソ連は潰れたから、ソ連の悪事というのはよく教科書に載っているけれど、アメリカもソ連も、やっていることはたいして変わらない。


【中ソ対立】
 では中国です。中国はソ連側ですね。ソ連が親分で、ナンバー2が中国です。

 そこで1960年代から、これじゃいかん、もっと頑張らねばと、1966年から文化大革命が起こる。こういうとわからないんです。文化大革命とは、文化とは名ばかりで、徹底した社会主義路線です。その徹底した社会主義路線を取ろうとしたリーダーが毛沢東なんです。しかしこれは戦後すぐからうまくいっていなくて、国民が飢え死にするぐらいの悲惨さなんです。

 それで、ソ連はフルシチョフがアメリカに接近したということを、前の時間に言いました。1950年代、資本主義を取り入れようとして、ソ連がアメリカに接近した。中国もうまく行ってないけれども、これには賛成しないんです。この弱腰がと、歯を食いしばってでも頑張れ、と言うんです。社会革命を成し遂げたら、あとは飢え死にしたって頑張ろうと、よく訳の分からないことをいって批判した。だから中国とソ連が方針が合わなくなるんです。ソ連はアメリカ側寄りにちょっとシフトした。中国は社会主義をそのまま守ろうということで、これを批判する。だからアメリカとソ連の米ソ対立の上に、中ソが対立した。

 世界のルールは、意外と単純で、敵の敵は何になるか。敵の敵は、敵になるか、味方になるか。敵の敵は、味方です。米中が手を組めば、ソ連は潰せる。

 こういうイメージ、ちょっと見ててください。こういうのを分かったら、策を読めるでしょ。だから分からないようにしていく。囲碁でも将棋でも、自分の作戦が相手に分かったら絶対に勝てない。だから分からないようにしていく。あとから追いかけて行く者は、表面の言葉だけを追っていても、絶対に分からない。ホンネはどこかというのを考えないと分からない。歴史なんかは。特にここらへんは。
 将棋を打つ前から、オレはこんな作戦でやりますと言って、その通りするバカはいない。勝負というのは、自分の作戦を見せないでしょ。バスケットでもバレーでもそうです。政治も基本的にはそうですよ。

 中ソ対立ということです。

 しかしこの文化大革命は結局、死人ばかり出して、うまくいかない。

だからどんなことするか。夜中に、トントンと秘密警察が家をノックして、こんばんは、お父さん出してください、お父さんが出てきたら、そのまま警察に取り囲まれて、連れて行かれて、何年待とうと帰ってこない。私は、ある中国人から直接そのことを聞いた。うちのお父さんは、あれ以来帰って来ない。いつのことですか。もう20年ぐらい前のこと。そのとき40歳ぐらいの女の人だったですけど。こんなこと世界ではいっぱい起こっています。

 そのリーダー毛沢東が1976年に死んだ。そこから中国の方向が変わっていく。変わるということは、中国はソ連寄りではなく、逆にアメリカ寄りにシフトしていくということです。


 その動きが1970年代後半です。アメリカ側にシフトしていく中心人物、この人が今の中国を作りかえていった。小柄な風采の上がらない男だったけれども、これが鄧小平です。彼が中国を変えていく。2回牢屋に入る。3回目のチャレンジで国家の最高指導者になる。正式な肩書きはつかないけど、誰が見てもこいつがドンだと分かる。
 本当のドンは、飾りの権力者を上に立てたりする。自分より見かけ上偉い人を立てて、それを操ったりする。しかしみんな、それが一番上の人物ではなくて、その下にいるのが本当の実力者だというのが分かる。鄧小平というのはそうやって権力を握る。


 こういうパターンが時々あるから。最高指導者とみせて、実は別の最高指導者がいたりする。それが鄧小平です。彼による改革が、1970年代後半から始まります。
 これで終わります。ではまた。

















「授業でいえない世界史」 40話 現代 第一次世界大戦前の世界

2019-05-16 16:00:00 | 旧世界史12 20C前半
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【義和団事件】 ではまたアジアに行きます。中国です。中国は日本と戦って負けた。これが日清戦争です。1894年です。このあと中国は虫食い状態になって、イギリスから取られる、フランスから取られる、ドイツから取らえる。アメリカはちょっと出遅れて、みんなで分けましょうと門戸開放を求める。結局ねらっているわけです。
 こういう状態に中国人は腹を立てて、義和団というグループが反乱を起こす。これを義和団事件といいます。1900年ちょうどです。
 時代はここから20世紀です。義和団とは外国人出て行けという団体です。日本の幕末の尊皇攘夷運動みたいなものです。外国が中国に土足で乗り込んできて、そこに駐在員を置くと・・・これが大使館、公使館です・・・そこを襲撃する。合い言葉は「扶清滅洋」。清を支えて、土足で踏み込んでくる洋を滅ぼそう。洋は西洋です。扶清滅洋という。外国人は出て行けといって、大使館を襲撃する。清朝政府も、そうだそうだと、一緒になって義和団側に立つ。しかしこうなると相手の思うつぼです。おまえが先に手を出した。もう思うつぼです。イギリス、フランスなど・・・そういう強い国を列強といいます・・・これが8ヶ国連合軍を組んで、中国に一気に攻めていく。やはり中国は勝てない。

 実はこの時、飛行機はまだない。遠いヨーロッパから軍隊を派遣するには時間がかかります。一番活躍したのは近い国です。どこか。それが日本です。あっという間に清は降参する。降参して約束したのが、首都北京で結ばれた約束、これを北京議定書という。賠償金払え。オレたちの軍隊を中国に居座らせることを認めろ。これで独立国とは言えなくなる。
 いつか言ったけど、独立国というのは、Aという国はAという軍隊が守る。Bという国はBという軍隊が守って、他の国の軍を入らせない。これが独立国です。そのことを我々日本人がピンとこないのは、戦後70年間、日本にはAという別の国の軍隊がいつもいる。常時駐留している。そういう状態をずっと続けて、その不思議さを感じなくなっているから軍隊に関する国際感覚が麻痺している。これは戦後のことです。
 イギリスは、日本も中国に乗り込んでよくやった、と甘いささやきをする。大英帝国イギリス、当時のナンバーワン国家は・・・イギリスは同盟を組まないことで有名だったんですよ・・・このイギリスがチョンマゲ国家日本と初めて同盟を組むんです。これが1902年日英同盟です。同盟というのは対等です。でもこの同盟が対等であるわけないです。今の日米同盟のようなものです。日米同盟のことはあまり言えないけど、同盟は対等な同盟を同盟というけど、日米同盟はどうですか。対等だと思いますか。対等だと思うなら、おめでたいです。
 そういう日英同盟を組んだ。なぜ組んだか。イギリスは、ロシアが中国に乗り込もうとしている。中国とロシアは国境を接っしている。中国に一番近い国は実は地続きのロシアです。このロシアが中国に乗り込んで行こうとしている。これを防がないといけない。しかし自分で手を出すと大ごとになるから、日本にさせよう。でも日本が勝つとは思ってない。でもそこそこ戦うだろう。日本は負けるだろうけど、その時にはロシアも息があがっているだろう。そこを叩こう。
 その証拠には、イギリスは、日本とロシアが戦ったら日本を応援すると約束していない。この同盟が不思議なのは、日本とロシアが戦った場合、イギリスは日本を応援するとは書いていません。ただ中立を守る、と書いてあるだけです。日本とロシアが戦うのを黙って見守るという約束です。これを同盟と言っている。不思議な同盟です。こうやって日本は英露対立の一つのコマとして一枚噛むんです。


【日露戦争】 次に起こるのは、第一次世界大戦です。いま目指しているところは、1914年です。我々は結果を知っていますが、時代の中に生きている人間は分からない。我々が来年何が起こるか分からないのと一緒です。
 日本は10年前、1894年に中国と戦って番狂わせで勝った。これが日清戦争です。そこで日本は、中国の一部の朝鮮北方の遼東半島を奪ったんですけれども、そこでロシアが日本に内政干渉するんです。日本と中国の取り決めに対して、なぜ関係ないロシアが文句言うのか・・・理屈があわないけど・・・こういうのを内政干渉といいます。本当はこんなことを許したらいけない。三国というのは、ロシア、フランス、ドイツです。1人では不安だから、フランスもいっしょにしてくれ、ドイツもいっしょにしてくれと頼むんです。だから三国干渉という。日本はこの遼東半島を、中国に返せと言われて、ハイと言って返すんです。でも内心では、この野郎、とロシアへの敵愾心は高まっていく。

 そこにイギリスが同盟組んでやろうかという、ロシアと戦わないか、とか何とか言う。そこに、お金を貸そう、と言ったのがアメリカです。
  その後は思うつぼです。1904年に日本はそのロシアと戦う。これが日露戦争です。日本海の海戦で待ち伏せして、ロシアのバルチック艦隊を一気に沈めた。やったやったというんですけど、これは裏でイギリスが軍事指導している。東郷平八郎の手柄じゃない。イギリスの海軍将校が裏で指導してる。ここに来るぞ、ということで。これも番狂わせです。日清戦争も日本が勝つはずじゃなかったのに勝った。日露戦争でも勝つはずじゃなかった。
 イギリスはロンドンで賭けをする。日本とロシア、どっちが勝つか。1対9です。1が日本です。それで楽しんでいる。でも番狂わせで日本が勝った。


▼日露戦争の構図


 こう見るとロシアは日本に負けたようにみえるけど、ロシアの本当の敵はイギリスだったんです。その手を組むことなんかありえないと思われたロシアとイギリスが、1907年に手を組むんです。これが英露協商です。日露戦争でイギリスとロシアの対立はほぼケリがついた。ロシアはイギリスと対立する力を無くすどころか、イギリスがドイツと戦うために協力することになります。
 イギリスにとって、日本の役割は実はここにあるんです。取り残されたのはドイツです。このあと1914年に起こる第一次世界大戦は一言でいうと、イギリスとドイツの戦いです。ロシアがイギリス側に付いた。日本もイギリス側です。
 しかし、イギリスは本当にロシアを信用しているかというと、そうではありません。ホンネではロシアを潰したいと思っています。実際、ロシア帝国は第一次世界大戦の途中で革命が起こって潰れていきます。日本についても同じようなことが言えます。
 
※ ロスチャイルド家はロシアを不安定にするために日本の力を必要としていた。(コールマン)

※ 横浜正金銀行の副頭取であった高橋是清は、宴席で、ロンドンに出張していたジェイコブ・シフに会う。(宋鴻兵)

※ ジェイコブ・シフがクーン・ローブ商会を通じて、日本に1904年と1905年、3回にわたって巨額の公債発行を行った。(コールマン)

※ 世界は、日露戦争はロシア帝国から迫害されていたユダヤ人たちが、ロシア皇帝を倒して共産主義革命を起こすための戦いの一環だったと考えている。(馬渕 グローバル)

※ ジェイコブ・シフが日本に手を貸した理由は、ユダヤ人を迫害した人類の敵ロシアを武装革命で転覆させるためである。(宋鴻兵)
※ 国際銀行クーン・ローブ商会の共同経営者シフたち国際銀行家には大きな目的がありました。それは、ユダヤ人迫害を続ける帝政ロシアで革命を起こしてロマノフ王朝を打倒するということです。そのための駒に日本は利用されたのです。敵と敵を戦わせて漁夫の利を得るという古典的な戦略です。第1次世界大戦は、ロシアの共産主義革命実現に向けて最後の一押しをするために戦われたのです。(馬渕睦夫 「国難の正体」)


  1910年、日本は朝鮮を併合します。日韓併合です。韓国と日本の関係を仲が良いと勘違いしている人いませんか。仲は悪いです。こういった過去がある。併合された韓国では反日運動が起こる。兵隊崩れ、またはちょっとガラの悪い人たちが、武器をもって反日運動をする。日本に抵抗していく。これを義兵闘争といいます。ガラの悪いお兄さんたちが、日本の要人を付け狙っていく。有名なのは安重根という人です。朝鮮支配のため日本が置いた朝鮮総督府。その長官に、総理大臣を四回つとめた伊藤博文が乗り込んでいった。しかし安重根に暗殺される。伊藤博文暗殺です。日本では安重根は殺人犯です。しかし韓国では英雄です。日本では伊藤博文は偉人ですが、韓国では悪人です。歴史というのは、国によってこんなに違う。韓国の小学生、中学生、高校生はこう教えられています。


【辛亥革命】 次に、日清戦争で日本に負けた中国です。中国でも清朝が細々と生きながらえているんですけれども、そこに革命の動きが起こり始める。そういう動きは日清戦争の頃から始まっています。その中心人物が孫文です。この人はもともとお医者さんですが、お金持ちではない。しかし政治運動するときには、お金がいるんです。嫁さんが財閥のお嬢様です。浙江財閥という。バックにこれがついている。
 浙江財閥とは、19世紀末から20世紀前半にかけて、イギリスなどの海外の帝国主義諸国の大資本と結び、上海を本拠に中国経済界を支配した浙江・江蘇出身の資本家の一団で、買弁資本として発足し、金融資本に発展したものです。買弁資本とは、植民地・半植民地で、外国の資本と結びいて、利害をともにする現地の資本のことです。つまり租界で成長した外国資本の手先となった商人のことです。

  彼は1894年に中国政府を倒すための革命結社をつくる。これが興中会です。日本がロシアに勝った。この興中会、中国を興す会、この名前では何する組織かわからないから、名前を変えて1905年には中国同盟会になる。ものものしい名前になっていく。これがどこでできたか。東京でできる。だから孫文には日本人の友達がいっぱいいる。
  そこで中国をどう変えていくか。わかりやすく三つの理念を掲げる。これを三民主義という。民族民権民生とぜんぶ民がつくからこう言います。
 民族というのは、清の支配層は最大民族の漢民族ではなくて、朝鮮北方の満州族が支配していたから、そうじゃなくて漢民族の中心の国をつくろう。
 民権というのは、民権運動の民です。民衆の権利を大事にしよう。
 民生というのは、民衆の生活を守ろうという経済的な要求です。
 これが三民主義です。
 これでだんだんと勢力を拡大して、中国でも孫文に協力する人が増えて、日露戦争から6年目の1911年に中国で革命が起こる。これが辛亥革命です。辛亥の意味は中国流の年の数え方で、日本でいう干支みたいなものです。辛亥の年が1911年だったということです。
  きっかけは、中国政府が私有鉄道を全部国のものにしようとした鉄道国有化問題です。これに一気に不満が爆発して、まず四川省というところで暴動が起こり、それが全国的に広まって、14省が・・・省は日本の県より広い地方組織です・・・独立宣言していく。次の年、1912年には独立を宣言した省がまとまって、清とは別に新たな国を作っていく。これが中華民国です。これが今の中国では、ないですよ。今の大陸中国は正式には、中華人民共和国という別の国です。
 この時の中華民国をいま現在でも名乗っているのはどこですか。この国は消滅してはいないんです。日本が認めていないだけです。これが今の台湾です。なぜそうなっているかというのは、日本に原爆が落ちたあとのことを言わないといけないから、あとで言います。
 この中華民国政府の臨時大総統に孫文がなる。


【中華民国の成立】 ただこの孫文は頭キレるけれども、軍隊を持たないんです。軍隊がないと国を治められないですよね。軍隊を持ってる人にはかなわないんです。軍隊を持ってる人・・・これを軍閥というのですが・・・この軍閥の中から袁世凱がだんだん力を持ってきて、軍事力にものを言わせて、オレと交代しろという。孫文はイヤと言えない。孫文に代わって、袁世凱が大総統につく。この袁世凱政府がこのあと約5年続きます。1912年から1916年まで中国を支配することになる。
 第一次世界大戦は・・・1914年だから・・・この間に起こる。袁世凱政府の時です。袁世凱政府は、国民党を弾圧していく。国民党とは何かというと、さっき言った孫文が革命結社として作った中国同盟会、これが名前を変えたものです。つまり袁世凱は孫文を弾圧していく。
 中国はこのようにごたごた続きで、国らしい国の形を成していません。看板倒れです。そこに1914年に第一次世界大戦が起こって、日本はこのごたごた続きの中国に21の要求をしていく。これを21ヵ条要求という。日本からこれを突きつけられて、中国は飲まざるを得ない。日本と中国は今も仲が悪い。こういう過去がある。そして1916年に袁世凱は死んでしまいます。
 ごたごた続きの中国で革命の中心の孫文は弾圧され、弾圧していた袁世凱も死んでしまう。ますます国の体をなさない。中国はバラバラです。政府の看板だけはあるけど、日本の戦国時代のようなものです。地方地方で軍隊を持つ親分さんが各地を牛耳っている。こういう状態を軍閥割拠という。中国はこういう混乱の中に入っていくのです。


【モンゴル】 それでは中国の北にある国、なにかと相撲界で今お騒がせな、日馬富士とか、白鳳とか、昔は朝青龍といった、モンゴルという国です。昔はモンゴル帝国チンギスハーンが世界帝国を築いた。世界最強の国をつくった。ここはどういう形をとるか。チンギスハーンは今から800年ぐらい前のことです。
 その後1600年代の終わり、清が侵略して外モンゴルを支配する。外モンゴルというのは今のモンゴル共和国のある地域です。そうやって清朝の支配下に入ったのが1600年代の末です。
 その後1700年代から、そこに西から東へ東へとずっと領土を伸ばして、今や世界最大の領土を持っているロシアが入ってくる。
 1900年代になると清も、ここをロシアに取られてはなるものかと思って、モンゴルの支配を強化していく。これでモンゴルは、ロシアと清から両方から引っ張られるような状態になる。清が支配を強めると・・・基本的にモンゴルは中国が嫌いです・・・反清感情が高まっていく。
  その中国で1911年に清朝が滅んだ。そのあと袁世凱も死んで軍閥割拠になって力を弱めていく。するとこの辛亥革命をきっかけにモンゴルが独立宣言をする。弱った中国は、勝手に独立するな、と反発する。しかしこれを止める力はもはやない。その後10年ぐらい経つと・・・今日まだ言わないけれ・・・1917年にロシアが滅ぶんです。ロシア革命でロシアがソ連になる。君たちが生まれたのは、このソ連がまた滅んでロシアに戻った後です。ロシア・ソ連・ロシアとくる。
 この時にロシアは社会主義国家になる。ソ連という新しい国になった。これをきっかけにモンゴルはソ連に近寄っていく。そして1924年社会主義国家として独立する。 
 だから私が若い頃には、モンゴル人は日本にはほとんどいなかった。体制の違う社会主義国家のモンゴルとは国交なかったからです。
 そしてソ連が1991年に滅んだ。親亀こけたら子亀もこけて、モンゴルも資本主義体制にまた変わる。そしたら日本と同じ体制だから、モンゴルと日本の行き来が盛んになる。あそこにもモンゴル相撲の伝統がある。それで日本に来て横綱が次々と出ているという状況です。




【大戦前のヨーロッパの対立】 またヨーロッパに戻って、いよいよヨーロッパは第一次世界大戦の準備に入っていきます。ちょっとまた30年ばかりへ戻っていくと、基本はドイツとイギリスの戦いです。
  ドイツは1870年代までは、けっこう仲間を持っていた。その時のドイツの首相はビスマルクといいます。この人は外交が上手だった。だからいっぱい味方をつけた。そして仲の悪いイギリスを孤立させた。その隣の仲の悪いフランスを孤立させた。この状態が下の図です。ドイツはこれです。オーストリア、これもドイツ人です。このドイツとオーストリアという二つの国は同じ民族だから、何もしなくても仲間なんです。
 ポイントは、ドイツはロシアと仲間であったということです。これで安全です。フランスを孤立させ、ロシアと協調する、これがビスマルク外交の骨子でした。
 ドイツとオーストリアとロシア、三つの国は全部皇帝がいるからこれを三帝同盟という。1873年の締結です。この時はドイツは安全であった。三帝同盟にロシアが入っていた。
 
▼ ビスマルク外交         
 
 
▼三国同盟と三国協商
 

 しかし10年でこんなに変わる。ロシアはイギリスについている。それで世界がごそっと変わる。
  しかし1890年、老練なヴィルヘルム1世が死んで、若いヴィルヘルム2世が皇帝になる。ドイツとロシアの協調こそがビスマルク外交の骨子でしたが、この若い皇帝は、親ロシア政策をとる首相ビスマルクと対立し、1890年ビスマルクは首相を辞めてしまいます。そしてヴィルヘルム2世はロシアとの再保障条約の更新を拒否します。
 ここが変わり目です。新しもの好きの新皇帝ヴィルヘルム2世が、今までなかったような外交を繰り広げると、国際関係ががサッと変わって、はたと気づくとドイツは孤立していきます。

  まずロシアの変わり方です。日清戦争の3年前の1891年に、ロシアとまず手を組んだのはフランスです。フランスとロシアは仲間になった。これが露仏同盟です。
 すでに産業革命が起こっていて、みんな製品を売るところを求めている。ヨーロッパの東ヨーロッパのほうにバルカン半島という半島がある。そこはいろんな民族が雑多にいて、その隣にドイツ人もいるんです。
 そのドイツ人の地域で一つのグループを作ろうというのがドイツです。これをパン・ゲルマン主義という。パン・ゲルマンというのは、ゲルマン人一色主義です。ゲルマン人中心にやって行こうということです。ゲルマン人というのはドイツ人です。そしてそこを起点に、世界の遠いところまで、ドイツの影響をおよぼして行こうという拠点づくり、3つの拠点作りをドイツがやる。
 これがドイツの首都ベルリンのB、それからビザンティウムという今のイスタンブール・・・今のトルコの首都です・・・そのビザンティウムのB、それからバグダード・・・今のイラクにある・・・そのバグダッドのB、たまたま全部Bがつく。これを結ぼうとする。これを3B政策といいます。
 この3B政策によってドイツは西アジア支配をめざします。この政策は、同地域を狙うイギリスとロシアを刺激します。

※ 1899年、ドイツはバグダード鉄道敷設権を獲得する。これが3B政策になる。
中東の豊かな石油を得るため。ペルシャ湾からインド洋に出る海上航路を切り開くため。ロシアもバクダード鉄道に反対。スエズ運河を開いたイギリスのインド航路支配と競合する。

 
 これに対してロシアは民族でいうとスラブ人です。ロシアもパン・スラブ主義です。ドイツ人は民族で言うとゲルマン人、ロシアはスラブ人です。ドイツとロシアの対立が発生する。

※ ロシアは、ドイツとオーストリアに激しい反感を抱き、フランスに接近、1891年、露仏同盟を結び、ドイツと敵対します。(宇山卓栄)

 そのイギリスは、どこに自分たちの製品を売ろうとしているか。カイロのC、それからケープタウン・・・アフリカの一番南の南アフリカにある・・・そのケープタウンのCです。それからメインはインドです。イギリス最大の植民地インドの中心カルカッタのCです。たまたまぜんぶCです。これを3C政策という。この貿易の対立で、ドイツとイギリスが仲悪くなる。今でいうアメリカと中国の貿易対立です。潜在的に仲が悪いんです。

※ イギリスが「光栄ある孤立」を捨て、最初に組んだ相手は日本でした。1902年、日英同盟が締結されます。イギリスは極東アジアに進出するロシアの動きを封じ込めるために、日本を支援しようとしました。ドイツのヴィルヘルム2世はこうしたイギリスの動きを歓迎しました。
 ヴィルヘルム2世は、ドイツがロシアとの同盟を切れば、イギリスがドイツの味方になると期待していました。イギリスが日本と手を組むのはロシアを警戒してのことであり、イギリスは当初、東方問題などでロシアと激しく対立した経緯から、ドイツ支持に傾いていました。
 しかしヴィルヘルム2世のこうした期待は裏切られます。いまやドイツの台頭が著しく、ロシアやフランスよりもドイツを脅威とする捉え方が、イギリス国内で大勢を占めていました。
 また1905年、日露戦争でロシアが敗北すると、ロシアの脅威が薄れ、イギリスは明らかにドイツを敵対視するに至ります。(宇山卓栄)

 だからイギリスは、日露戦争のあと手を組まないはずのロシアと手を組んだ。これが1907年英露協商です。
 しかしこれはあくまでもドイツを潰すための手段であって、ロシアを信用したわけではありません。イギリスは本当はロシアも潰したいのです。
 イギリスはロシアの味方のような顔をしながら、ドイツも潰したいし、ロシアも潰したい、のです。第一次大戦はその通りになっていくのですが、そのためにはもう一つアメリカの動きが必要です。


 どっちも軍事力を持っているから、小さなことで、これは一瞬で変わる。しかしこの時に第一次世界大戦が起こるなんてことを誰も予想していない。こんな事はよくあることだとか、小競り合いはよくある、どうにかなると楽観している。しかしとんでもないことになっていきます。
 ドイツの仲間はオーストリアだけです。これはドイツとドイツの仲間です。イタリアは寝返るんです。信用ならない。結局ドイツは、イギリスとロシアとフランスに囲まれてしまう。これでは勝ち目ない。こういう対立です。

 ただドイツについては、イギリス側が三国協商だったら、ドイツだって三国同盟を結んでいると言われます。しかしこれは本当に成立していたか怪しいものです。イタリアはすぐに裏切るから、三国同盟は成立していなかったという話もある。ただ成立したことにした方が何となく説明上も都合がよいから、教科書にもそう書いてある。
  それに従えばこの時の世界状況は、ドイツの三国同盟イギリスの三国協商の対立です。こういうふうに世界の列強グループが二手に別れたことになっています。
 ちなみに日本はこの時イギリス側について日英同盟を結んでいる。まあ正直言って、対等だといっているのは日本だけで、イギリスはそうは思っていません。形だけのものです。今の日米同盟みたいなものです。今の日本の状況は驚くほど100年前と変わりません。
 これで終わります。ではまた。




「授業でいえない世界史」 41話 現代 第一次世界大戦の勃発

2019-05-16 15:00:00 | 旧世界史12 20C前半
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 第一次世界大戦前の国際関係というところです。戦争体制以前がこっちの左図だった。それが1890年にドイツの首相ビスマルクが引退するのと同時に、こう右図に変わっていった。
 前回書いたことを復習すると、ビスマルク外交時代はドイツは十分お友達を持っていたんだけれども、たった10年ぐらいの間に、ふと気が付いてみると、取り囲まれてしまっていた。取り囲んだのはイギリス・フランス・ロシア。このイギリス側が勝つわけですが、イギリス側の三つの協商を三国協商という。
 それに対して、ドイツも一応、三つの同盟を結んでるんだけれども、これは親戚づきあいのようなもので、オーストリアというのはドイツと同じドイツ人で、もともと国がわかれているのが不思議なくらいのものです。イタリアは同盟といっても、裏切るんです。あてにならない。
 ドイツ人がイギリス人に囲まれて、ロシア人に囲まれて、フランス人に囲まれた。こういう形で第一次世界大戦が始まっていく。ドイツ側は一応三国同盟といわれるけれど、これは本当に成立していたかどうか分かりません。


 ポイントは・・・イギリスとロシアがずっと対立していたんですよ・・・その対立していたイギリスとロシアが手を組んだことです。これが1907年英露協商です。これが一番大きい。ドイツは囲まれた。なぜこうなったか。


【日露戦争】 そこに日本が一枚噛むんだというこということです。日本は英露協商の3年前にロシアと戦争している。これが1904年日露戦争です。あの大国ロシアに、日本はとても勝てないと思われていたけれど、大番狂わせで勝ってしまった。世界中がこれには驚く。
 でも裏にいたのはイギリスです。同盟を組まないイギリスと最初に同盟を組んだのが日本です。これが1902年日英同盟です。実はイギリスから日本は戦わされたんです。オレの前に先に戦ってこい、日本は負けてもいい、と思っていたら勝ってしまった。
 これ半分はロシアの自滅です。


【ロシア第一革命】 日露戦争の最中にロシアでは国内から火がついて第一革命が起こるんです。これをロシア第一革命という。1905年です。日露戦争中です。ロシア革命というのはあと10年後に起こります。これが第二革命です。1917年、これが本番のロシア革命です。ロシアは滅んでソ連になる。このソ連は君たちが生まれる10年ばかり前までありました。1905年にロシアでは政府に対する反乱が起こるんです。
 このきっかけが血の日曜日事件という。ある日曜日、クレムリン宮殿・・・皇帝がいる宮殿です・・・その前の広場でデモが起こる。これに対して警官隊が発砲する。多数の血が流れて死者が出た。これに民衆が反発して国内が大騒動になっていたから、ロシアとしては日露戦争どころじゃなくなる。早く引き分けに持って行きたい。ロシアは引き分けのつもりです。しかし日本は勝った形で条約結びたい。これは難交渉だった。


 ではロシアはその後どうなったか。皇帝はつまらない奴だ、皇帝をなくして自分たちの議会を作って自分たちの政治をやろうということになる。それをソビエトといいます。議会を作って自分たちの政治をしていこう。そのために議会に送るための政党が出てくるんです。
 三つある。一つはエスエル。これはかなり左かがっている政党です。左というのは社会主義思想がかってるという意味です。時代は資本主義なんですけれども、それに対する反発として社会主義、つまり計画経済というのが出てくる。その政党なんです。
 あと二つが、この計画経済のためなら、暴力革命だってかまわない。正義のためなら人を殺したっていい。こういうときはたいがいウソです。これは権力者がよくやる常套手段なんです。そういう政党です。これをメンシェビキボリシェビキという。この二つとも社会主義革命を理想とする政党です。どう違うのかというと、分裂しただけです。もともと一つだったんです。これがちょっとした方針の違いで、少数派と多数派に分裂した。メンシェビキは少数派、ボリシェビキは多数派という意味です。つまりこの言葉にこだわらずに、これらは共産主義思想なんだということです。
 最終的にはボリシェビキが勝っていく。これがソ連を10年後に作っていく。指導者がレーニンという人です。まだそこまで行く前、10年ばかり前です。
 それでこういう動きをどうにか抑えるために、1906年に改革をする政府、ストルイピン政府ができる。これは政治家の名前です。少し改革をしていく。ぼちぼち改革をしていきましょう。農業改革です。こういうふうに日露戦争を戦ったロシアは、足元から火がついていくということです。だから足元に火がつくと威張れない。

 今まではイギリスの向こうを張ってイギリスと対立していたけれども、これではとてもイギリスと対立できないということで、日露戦争に負けたあと、1907年にその敵対していたイギリスとロシアが手を組む。これが英露協商です。これで三国協商が成立した。これでドイツを包囲した。
 だからといってロシアがメインだとは思わないでください。第一次大戦、いま向かってるのはイギリスとドイツの戦いです。中心はイギリスです。まだイギリスの世紀です。


【イギリス支配下のインド】 ではそのイギリスです。この国は同時に何をしているかというと、大植民地帝国だった。イギリスは小さな島国だけれども。最も重視していたのがインドです。インドでもイギリスの支配はイヤだな、そうという不満を持つインド人が当然出てくるわけです。そうするとそれを防ぐために手を打つ。インドの北東にベンガル地方というのがある。これを分割しようとする。1905年・・・日露戦争の1年後ですが・・・ベンガル分割令を出す。
 イギリスはワンパターンです。強い敵がいると直接は戦わない。必ず強い敵を二つに分断する。敵同士を仲間割れさせて戦わせる。インドでもそうです。頭がいいというか、ずるいというか。やってることは正々堂々じゃない。真正面からはいかない。
 君たち知らないかな、イギリス映画で一番当たったのは何か。007ですよね。007とは何か。・・・我々の時は全盛期でジェームズボンドが出てくる映画・・・あれはスパイ映画ですね。でも本当のスパイはかっこよくないです。映画のような美人は出てこない。殺されても闇から闇に葬られ、新聞にも乗らない。これがスパイです。MI6という実在の秘密警察がモデルです。こうやって常に敵情を探るわけです。そして敵を分裂させ勢力を弱めるんです。

 次の年には、これに対してインド人腹を立てる、反英運動が起こる。その大会をカルカッタという街の名前をとってカルカッタ大会という。反英、英はイギリスです。インド人がイギリスに対して反英運動を行った。インドがイギリスに支配されているからです。
 どういう反対運動をしたかというと、戦ったら殺される、ムチで打たれる、暴力を振るわれる。だから戦わない。イギリスのお金を使わないということです。イギリスのお金ポンドをもって、セブンイレブンに行っても、セブンイレブンの店長さんが、こいつに売るな、と言う。悔しかったらインドの通貨をもってこい、と言う。これが英貨排斥です。
 それから、そのセブンイレブンで売り出すのは、イギリスからの輸入品はダメ、買いたかったらインド製品を買いなさい。ざまーみろ、というわけです。これをスワデーシーという。これはインド語だから丸呑みするしかない。
 そして植民地からの自治独立を求める、このことをスワラージーという。学校で使っている言葉は、インド語じゃない、英語なんです。ここはインドじゃないか、インド語で教育ちゃんと教育しないか、これを民族教育といいます。インドの文化をちゃんと教えろ、オレはイギリス人じゃない、というわけです。



【バルカン半島の情勢】 次はその頃のヨーロッパです。ヨーロッパで火種になるところはバルカン半島です。わかりにくいけど半島です。下に地図がある。東欧、トルコ、ギリシャ、場所わかるかな。

 このトルコ、ここにあった大帝国は何というか。もともとはこんな大きい国があった。オスマン帝国です。近代ヨーロッパが勃興する前は世界の中心だった。最も進んだのはヨーロッパじゃなかった。ここのオスマン帝国なんです。もしくは明です。中国です。ヨーロッパは田舎です。まん中に文明ができて、日本は東の田舎、ヨーロッパは西の田舎です。
 しかもここにアルプス山脈があって、アルプスの北側はド田舎です。そのド田舎の海の向こうの島イギリスは、ド田舎のさらに田舎です。
 このイギリスがやっていることは、カイロ、ケープタウン、カルカッタ、これをむすぶ。これが3C政策です。線で結んで三角形の中を全部自分が取りたい。
 これに対してドイツがやろうとしていることは、ベルリン、イスタンブール(この昔の名前はビザンティウムという)、バグダード、これを結んで3B政策といいます。
 こうやってイギリスはイスラム世界を、その周辺まで含めてイギリスは取ろうとしている。そこにドイツも、イギリスがやるんだったらオレたちも、という五分五分の発想です。イギリスがやっていることはオレだってやっていい、とドイツは思う。しかしイギリスは五分五分の発想ではない。四分六の思想なんですよ。なぜか知らないけど、オレが6とってドイツには4。もしくは、オレが7とってドイツには3でいい。どっちが正しいのか知らないけど、ドイツは納得がいかないといえば、納得がいかない。
 ビスマルクは、しかしイギリスとは戦えない、と言う。しかし、若いヴィルヘルム2世は、五分五分じゃないかという。それで結果的にドイツは負ける。いまイギリス勢に囲まれたところです。ドイツは戦う前に外交で負けている。今こういったところです。
 このあとオスマン帝国というのは、100年前あたりから、その周辺で独立し始める国が出ている。しかし3~4割です。あとまだ広大な領地が、特にこのバルカン半島に残っている。
 第一次世界大戦後が非常にわかりにくいのは、イギリスが勝つ。フランスも勝つ。ロシアも勝つ。ここらへんをどんどん分割して山分けしていく。しかしこれが次の紛争に繋がっていくことです。
 狙いはこのオスマン帝国なんです。このオスマン帝国では、ヨーロッパ系の民族が独立しつつある。ギリシアも独立する。もともとはオスマン帝国の領土です。そういう状況がバルカン半島です。今ここは東ヨーロッパです。もとオスマン帝国というイスラーム国家の領土だった。ここにヨーロッパ勢力が乗り込もうとしているところです。

 そのバルカン半島情勢です。このバルカン半島、これがヨーロッパの火種です。「世界の火薬庫」といわれる。世界が吹き飛ぶような火薬庫と呼ばれる。ここに進出してくるのが、まずロシアです。ロシアは東に行こうとして、誰がストップかけたか。これは日本がストップかけた。東に来たらダメだと。
 それで前から狙っていたところに戻って、ロシアは再度南下する。バルカン半島に降りようとしていく。ロシア一色主義です。民族でいうとロシア人は何人だったか。スラブ人という。ロシア人はスラブ人です。それに対してドイツ人はゲルマン人です。

 これはあまり強調されないけど、イギリスとアメリカ人は同じなんです。イギリスはアングロ・サクソン人という。これは地理の教科書にも出てきました。千年前イギリスに移住した、もともとはゲルマン人の一派なんですけれども、その部族にアングロ族がイギリスに移住して、次にサクソン族がイギリスに移住して、ごっちゃになって混血したのが今のイギリスなんです。だからイギリス人はアングロ・サクソンといいます。
そのイギリス人が、大西洋を超えてアメリカに移住したのが、今のアメリカの白人なんです。だからどちらもアングロ・サクソン人です。

 ではロシア。ロシアはスラブ人です。スラブ人を中心にスラブ一色主義にしようと、パン・スラブ主義でバルカン半島に進出する。バルカン半島でやっとオスマン帝国から独立した国々・・・そこにはスラブ人が多く住んでいて・・・そこを応援していく。それでバルカン半島に南下する。
 そうするともう一つ、バルカン半島を狙っていたのがこのオーストリアです。オーストリアはドイツ人、つまりゲルマン人です。このオーストリアはどこを併合したかというと、これがオーストリアの領域です。オーストリアの領域はこうです。
 この前にどこを取って併合したか。このボスニア・ヘルツェゴビナです。1908年にこれを新しく領土に加えた。そうするとバルカンに住むスラブ人が腹を立てた。こういう状況が生まれた。オーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナを併合した。つまりロシア系スラブ人とオーストリア系ドイツ人が、ここで対立しだす。

 結論を言うと、第一次世界大戦のきっかけは、1914年にこのオーストリアの皇太子つまり次の国王になる人が、併合したボスニアを訪れて国の儀式に参加し、車に乗って市内を回っていたところをピストルで撃たれて暗殺された。あるスラブ系の青年によって。この青年をプリンツィプと言いますが、彼はセルビア人だった。オーストリアは1914年7月にセルビアに宣戦します。
 すると翌月の1914年8月に、なぜかイギリスがオーストリアに宣戦するんです。さらにドイツにも宣戦する。イギリスはこの暗殺事件には直接の関係がないのに。その事件が起こったオーストリアに併合されたボスニアの州都がサラエボという。

 ではオスマン帝国そのものはどうか。そこにも改革を求める団体が出てくる。1908年青年トルコという団体です。これが政治改革を要求し革命を起こす。青年トルコ革命です。このオスマン帝国は、ちょっと前に憲法をつくっていたけど実行しなかった。せっかく作ったら憲法に従って政治やれよ、と彼らは言う。憲法に従う政治のことを立憲政治という。これが復活する。
 すると、このトルコつまりオスマン帝国と、ここから独立しかけていたヨーロッパ側は仲が悪いんです。そのヨーロッパ側の国がまとまって作った同盟をバルカン同盟と言います。このバルカン同盟とオスマン・トルコ帝国が戦争しだす。第一次世界大戦の直前の1912年にです。これをバルカン戦争といいます。そしてバルカン同盟が勝っていく。あの大帝国、オスマン帝国を破ります。
 
▼第二次バルカン戦争

【列強の対立図】 世界史は図で書かないと、いろんな国の敵味方の関係がむずかしい。ここで図に書きます。空きスペースに書いてください。今ナンバーワン国家はイギリスです。これとどこが対立しているか。それがドイツです。これが基本中の基本です。第一次世界大戦はこれです。
 実は第二次世界大戦もこれです。変わったのは日本だけです。日本はこの時イギリスの味方をしてたんだけど、第二次世界大戦はドイツ側につく。しかしそれは世界史でみるとメインじゃない。メインの対立はイギリスドイツです。


 イギリスは民族で見るとアングロ・サクソンです。これはアメリカと一緒です。同盟関係は結んでないけれど、アメリカは基本的にイギリスの味方です。今もです。これはここ100年間変わらない。日本はというと、イギリスと日英同盟を結んでいる。
 一方、ドイツの兄弟分で、同じドイツ人の国がオーストリアです。赤と青が喧嘩してるんじゃない。右と左が喧嘩してるんです。
 虫食い状態にされてるトルコ、つまりオスマン帝国はどっちが好きかというと、イギリスが一番悪さをしているからイギリスが大嫌いなんです。それに比べたらドイツがまだしもいい。


 オスマントルコはドイツ側です。これで見えてきた。この対立でイギリスが勝って、ドイツが負けるということは、トルコも負けるということです。トルコの領地を即取りに行く。植民地にしていく。それでイギリス植民地はさらに広がるんです。
 このイギリスが、あっちにはこう言い、こっちにはこう言い、矛盾することばかり言っている。それがイスラエルという国の建国に繋がって、いまだにここで血が流れて多くの人が死んでいる。

 もうちょっと言うと、フランスもこちら側です。三国協商側です。それからロシアも三国協商側です。我々の日本のことを言うと、アメリカと日本も三国協商側です。

 先走っていうと第一次大戦後はどうなるか。イギリスと日本は仲良かったはずじゃないか、と思うかも知れないけど、日本がロシアに勝って目立ってくると、これが気にくわないんです。まずアメリカが日本を気にくわない。それでアメリカと対立しだす。そうすると日本とイギリスは日英同盟を結んでいたから、イギリスは日本を応援するはずなのに、イギリスは日本を裏切るんです。イギリスはアメリカ側につく。日本ははずされる。はずされて行き場がなくなって、次の第二次世界大戦では日本はドイツについていく。そして負ける。

 あまり細かくやっていくと、こういう流れがぶつ切れになって、なかなか一気に説明できないんです。ここでしか言わないから、こういうのをあとで細かく追っていきます。


【アメリカの中央銀行設立】 そういう関係で、いま第一次世界大戦に向かっている。1914年、いよいよ第一次世界大戦が勃発する。
 その1年前の1913年に・・・たまたま偶然にとアメリカ人は言うけれど・・・アメリカは中央銀行をつくった。これでお金が印刷できるようになった。紙のお金もOKになった。戦争に一番大事なのは何か。大砲とかミサイルとか言うかもしれない。それは軍人に任せておけば良いことなんです。政治家にとって戦争が始まる時に、一番必要なものは何か。資金力です。お金なんです。お金を作る場所、これがアメリカの中央銀行FRB)です。今もそうです。しかもこれが銀行という名前になってない。連邦準備制度という訳のわからない名前になってる。これは日本で言えば日本銀行のことです。アメリカ版の日本銀行です。
 我々の1万円札は正式名称はお金ではない。日本銀行券です。これは政府がつくったお金ではない。民間の銀行が作ったお金です。金持ちがつくったものです。2大財閥として、ロックフェラー財閥、それからモルガン財閥です。今でもある。FRBは国家の銀行ではない。民間資本の銀行です。こうやって国家の裏にドカンと金融資本家が居座るわけです。


※ 1907年、ニューヨークの中堅銀行のニッカ-・ボッカーがモルガンたちの仕組んだ風評によって倒産に追い込まれて、銀行恐慌が勃発します。これらの一連の動きの中で、モルガンやロックフェラーと気脈を通じたセオドア・ルーズベルト大統領が財閥の市場独占を禁止する反トラスト法の停止を宣言すると恐慌はおさまり、銀行業務は正常化されます。モルガンやロックフェラー財閥は反トラスト法停止の下で、ライバル会社を倒産させたり買収したりして独占的地位を強化します。(馬渕睦夫 「国難の正体」)

※ 1907年のアメリカの恐慌は、ニューヨークの準備銀行が彼らの預金者である地方銀行に通貨を支払うことを拒否したことから起こり、これらの地方銀行は自分たちの顧客の預金引き出しを拒否した。仕組まれたものである。(コールマン)


 実はその前年の1912年には、アメリカの大統領が共和党のタフトから民主党のウィルソンに変わっています。ウィルソンの本業は学者であって、政治家ではありません。彼は大統領になるため、イギリス系の金融資本家から援助を受けています。

※ ロシア政府は、村落在住のユダヤ人の活動が、田舎の人々を搾取していると考えていた。アメリカのユダヤ人銀行家たちは、ロシアに対して宣戦布告することをアメリカ大統領に要求したが、大統領のタフトは拒否した。彼らは次の大統領選で民主党のウィルソンを選出した。(マリンズ)


 またこの大統領選で、共和党の現職大統領タフトの対抗馬として、同じ共和党の元大統領セオドア・ルーズベルトは第3政党として進歩党をつくり、共和党の票を分裂させました。このような不自然な動きの中で民主党のウィルソンが勝利し、大統領に就任しました。
 連邦準備制度理事会というアメリカの中央銀行(FRB)設立の署名をしたのもこのウィルソンです。

※ 1900年初頭、ロスチャイルド家は、ハウスをヨーロッパに送って銀行家が政治家を支配する実情を学ばせた。(コールマン)
ハウスは、最初ウィルソンを大統領選で勝利させることを任務としていたが、のち外交関係に関わった。(コールマン)


 1913.12.23日というクリスマスの前日に、多くの議員がクリスマス休暇で欠席している中、この中央銀行設立の法案は議会を通過しました。
 金融資本家たちはこの中央銀行の設立のため、人目をはばかるように密議をこらしていたという話もあります。彼ら金融資本家たちの中心にいたのが欧州のユダヤ人財閥ロスチャイルド家です。
 中央銀行は発券銀行です。つまりお金をつくるところです。お金をつくるのは国家ではありません。中央銀行です。お金をつくる力を手に入れた者は、巨万の富を手に入れます。それを人に貸すことによって。

※ FRB が発足してからわずか4年の間に、アメリカの連邦債は、10億ドルから250億ドルへと25倍にまで膨らんでいった。ドル紙幣が洪水のように市場に溢れ出した。(宋鴻兵)

※ FRB の設立でアメリカは大量のドルを刷って戦費を捻出し、また他国へ貸し出しすることができるようになりました。(馬渕 グローバル)

 戦争するときにはお金を貸す力が必要になります。その力がユダヤ人財閥を中心とするアメリカの金融資本家の手に入ったのです。その力を借りようとするイギリスは、その後「二枚舌外交」といわれる大きな矛盾を国際社会にもたらします。


【サラエボ事件】 そこに1914年、突然さっき言ったサラエボ事件が起こる。オーストリアが併合したボスニアという国の首都ですね。そこにはオーストリア人じゃなくて、ロシア系スラブ人が住んでいる。ここでたまたまそこに来たオーストリア皇太子暗殺された。誰にかというと、セルビア人の青年です。セルビアというのは隣のロシア系スラブ人の国です。ドイツ系のオーストリアと民族が違うんです。犯人はプリンチップという青年です。
 殺された日の日程を詳しく調べると謎だらけです。なぜこんな経路を通って行くのか。予定にない変な道を、非常に危険な道を、わざとのように皇太子を乗せた車が通っていく。この暗殺事件には最初から謎が多いです。


 この皇太子が殺されたことによって起こるのが第一次世界大戦です。しかしこの瞬間には、第一次世界大戦が始まると誰も思っていない。
 しかしどんどんセルビア側に味方する国が出てきて、一方ではオーストリア側に味方する国が出てきて、いよいよ第一次世界大戦が始まってしまう。
 殺した側のセルビア側についたのが、まずはロシアです。なぜか。セルビアと同じスラブ人だから。ここまではわかる。
 しかしアングロ・サクソンのイギリスが、なぜセルビア側につかないといけないのかは、これはかなり苦しい。いろいろな理由をつけてイギリスはセルビア側に応援する。民族も違うし、イギリス国内で起こった事件でもないし、関係ないと言えば関係ないんです。
 ただそこを無理矢理こじつけようとすれば、イギリスとロシアは英露協商を結んでいる。でもこれはあくまで協商つまり商売を協力しましょうであって、軍事同盟ではないから戦わなくてもいいんです。しかしイギリスロシア側つまりセルビア側につく。

 もう一つが、オーストリアです。でもオーストリアを狙ってるんじゃない。オーストリアに味方した国つまりドイツをイギリスはにらんでいる。
 結局この第一次世界大戦はドイツとイギリスの戦いです。中心がどこかというのを間違うとうまく理解できない。一番大事なのはそこです。円の中心がどこか。それが間違っていたら、いくら回しても回らない。力ばかりはいって回らない。中心を見つけると10分の1の力で理解できる。一番大事なのはそれです。しかしどこが真ん中なのかということは、勉強しないとわからない。中心はドイツイギリスです。オーストリアとセルビアのことを、いくら考えていてもわかりはしない。
 ドイツとロシアというイギリスにとっての敵同士を戦わせて、その一方のロシアを応援するわけです。


 トルコはイギリスよりもドイツの方が好きです。だからイギリスが勝つということは、ドイツが滅び、トルコも滅び、その広大な領域が植民地になっていくということです。


 この戦いは5年も続く。いつ終わるか、終わらないのではないか、とも思われだした。今まで戦争は1年も続かない。それが20世紀に入って5年も続く。

 隠し味があと一つ・・・まだ言ってないけれども・・・ここに出てきていない国、それが決定的に重要です。それがアメリカです。途中からアメリカが第一次世界大戦に参戦する。ちなみに日本も日英同盟の関係で、この時には勝つ側つまりイギリス側についている。結局勝つのは、イギリスアメリカです。
 
▼第一次世界大戦時のヨーロッパ


 負けた側から行きます。負けた方を囲みます。青でいこう。三国同盟側です。
 まずドイツです。今のドイツを想定してください。この時のドイツはこんなに大きいんです。今のドイツはどこまでかと言うと、これです。こんなに小さくなっています。しかしこの時は東にグッと伸びている。
 それからオーストリア。今負けた方をやっています。オーストリアはこれです。やはりこんなに大きい。今のオーストリアはこのくらいです。こんなに小さくなります。この時の1/5ぐらいです。

 それからオスマン帝国、今のトルコ共和国。書き切れないほど、イスラム世界にずっと伸びてるんです。右下の方、南東に。さっき見せた地図では大きすぎて、はいらないからこうなっていますが、広大な領土があるということを理解してください。イラクとかで、クウェートとか、サウジアラビアとか、エジプトまで領有しています。
 ヨーロッパの中でドイツ側についたのがブルガリアです。
 ということは、負けた瞬間から国境はどんどん変わりだす、ということです。

 勃発地点はサラエボ。ここで皇太子が殺された。その暗殺事件から第一次世界大戦が始まる。

 これで終わります。ではまた。




「授業でいえない世界史」 42話 現代 第一次世界大戦

2019-05-16 14:00:00 | 旧世界史12 20C前半
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【第一次世界大戦】 軽い気持ちで始まったかのような第一次世界大戦。きっかけはサラエボ事件です。オーストリア皇太子が、セルビア人青年に暗殺されたという事件です。ふつう戦争は、日清戦争でも、日露戦争でも、長くて1年なんです。ふつうは2、3ヶ月ぐらいで終わるんだけれども、これは終わらない。持久戦になっていく、体力勝負になっていく。男ほとんど戦場にとられていって、国内生産は女が支えている。そういう意味で人類初の総力戦になる。

 次の第二次世界大戦の時、うちの親父は高校生だった。授業はなかったと言います。君たちは授業がなくて喜ぶかも知れないけど、授業なくて軍事動員です。飛行場の整備、飛行場があった、10キロ先まで歩いて行くぞと言われて、泥を運んで、砂を運んで、何のために学校に行っているのか分からなかったと言っていた。家のお母さんたちも、父ちゃんの代わりに、工場に来てくださいと動員されて、爆弾を磨いたり、そんなことばかりしていた。国民全員が戦争に加わるという総力戦です。

 それでも足りずに、自分たちが征服した植民地からも兵隊に行けと言う。インド人とか、アラブ人とか。それなら戦争に勝てば独立させてくれるのか、独立させてやろうと口では言っても、守りはしない。ひどい話です。いまでも悪い人間というのはいる。約束破る人間はいる。いつの時代も。それで良いとは言わないけど。


【大戦の経過】 戦争の終結に行きます。これはフェイントがかかります。イギリスが勝ってドイツが負けたと、すんなり行く前に1回目のフェイントがかかります。前にも言いましたが、1917年3月ロシア革命が起こります。イギリス側で参戦して本当は勝つはずであった国内の革命でロシアが自滅していく。これが1917年3月です。
 問題は次の月です。次の年ではない。ほんのその直後です。1917年4月アメリカが参戦するんです。これで決まりです。アメリカはイギリスと軍事同盟は結んでいない。外交関係で仲が良いだけで、軍事同盟を結んでいません。だからこの戦争に本当は関係ありません。にもかかわらず参戦する。この理由はというと、その前にドイツが無制限潜水艦作戦で、Uボートという潜水艦を発明して無差別攻撃をし、アメリカの船を沈没させた。その仕返しにアメリカがドイツに参戦する、これが表面上の理由です。

 時間をさかのぼってみると、アメリカのルシタニア号が沈没させられたのは事実ですが、それは2年前の1915年です。時系列的に見ると、1917年3月にロシア革命が起こってロシアは崩壊する。ロシアはイギリス側だった。イギリスが頼りにしたロシアがここでつぶれた。その次の月の1917年4月にアメリカがイギリスに応援し参戦する、という流れです。
 私にはどう見てもこれは、ロシアが滅んだからその代わりにアメリカがイギリスを応援したとしか見えない。そうはアメリカは言いません。ドイツによって自分たちのルシタニア号という客船を沈没させられたから、ドイツに参戦したと言う。しかし、どうもそうじゃない。表面上の理由です。

 アメリカは、イギリスやフランスがドイツよりも優勢と見て、個人・法人・国家にいたるまで、進んでイギリスの戦債を買い支えてました。
  当初、アメリカは経済的な支援を両国にしていたに過ぎず、中立を建前としていましたが、予想以上にアメリカ人の両国への戦債投資が進みました。1917年、ロシアで革命が勃発し、ロシアが混乱に陥り、ドイツに有利な状況となると、アメリカ人は動揺しました。もしイギリス、フランスが敗北すれば、対米負債の支払いが困難になり、アメリカは大きな経済的ダメージをこうむります。アメリカのウィルソン大統領がドイツの無制限潜水艦作戦を口実に参戦し、ドイツとオーストリアの敗北が決定しました。


 この時アメリカは油が出ます。石油が出る国なんです。今の主要な石油産出国は、西アジアのサウジアラビアとかの中東地域ですけれども、そこが本格的に今の中心的な産油国になるのは、もっと後のことです。第二次世界大戦後です。
 そういう意味でアメリカは、工業生産能力を持っている。地下資源も持っている。工業生産力はすでにイギリスを遙かに抜いて世界ナンバー1です。
 ではナンバー2はどこか、それがドイツです。イギリスは3位に落ちている。工業生産力から言うと、この戦いはアメリカとドイツ、つまりナンバー1とナンバー2の戦いです。


 アメリカがイギリスを応援するということは、当然軍事的にも応援します。兵隊も派遣する。爆弾・鉄砲もイギリスに応援するけれども、もう一つはお金を援助する。
 アメリカはナンバー1国家だからお金を持ってる。しかも紙幣でドルを刷ることができる。FRBという中央銀行を、第一次世界大戦が始まる直前に・・・開戦前年の1913年に・・・FRBを設立したばかりなんです。お金はいくらでもある。いや刷れる。その金でイギリス政府の借金である英国債を買う。つまりこうやってイギリスにお金を貸す。これが次の第二次世界大戦とも関係するので要注意です。

 なぜかというと、第一次大戦後の1929年に大恐慌が起こります。アメリカ・ニューヨークのウォール街で株が一気に暴落していく。それはなぜか。イギリスにお金を貸したら、貸した金はいずれ返してもらわないといけないけど、これが滞るようになるんです。アメリカはそういう意味で、イギリスにお金を貸している債権国になるんです。債権国とはお金を貸している国です。逆に借りている国は債務国といいます。

 こういうアメリカのお金の出所は、産業界ではロックフェラー財閥とか、もう一つ銀行業界ではモルガン財閥です。こういう巨大財閥のお金を使って、戦争資金をイギリスに貸してしているというお金の流れがある。
 戦争で爆弾が飛んだ、潜水艦でどうした、戦艦がどうした、こういうのは動きがあるから、見ただけで分かる。しかしよく見ないと分からないのが、お金の動きです。戦争で一番必要なのは、爆弾、鉄砲も必要ですけど、それを買うためにはまずお金がないといけない。戦争の一番根っこには戦争資金、つまりお金があるんです。そのお金の流れはこうなっている。アメリカからイギリスに今お金が流れているということです。
 第一次大戦でアメリカからイギリスにお金が流れ、ドイツが負けると今度はドイツからの賠償金がイギリスに賠償金が支払われて、イギリスはドイツからもらった賠償金でアメリカに借りた金を返済する。第一次大戦後はこういうふうになっていきます。しかし1929年の世界大恐慌におちいってこの流れが滞ると、また次の戦争が起こるというのがこの後の流れです。
 ちょっと面倒くさいから先にここで説明しました。教科書ではそういう構成になっていないから。


 いまロシア革命の話をしていました。革命で潰れたロシアは、自分から戦争いち抜けた、オレは戦争やめたと言う。国家体制も社会主義体制に変わる。そして1918年3月に、自分だけで早々とドイツと講和条約を結ぶ。戦争いち抜けた条約、これをブレスト・リトフスク条約という。これは結ばれた場所の名前です。


 仲間のロシアが脱落したことでイギリスは不利になるかというと、さっき言ったように逆にアメリカが応援するから鬼に金棒です。これで戦争の行方はほぼ決定したと言って良い。
 どんどんドイツを追い詰めて、ドイツが不利になっていく。西部戦線と東部戦線、ドイツの西と東、この2つを守らなければならないドイツですが、まず西部戦線で負けていく。そのうちに国民をまきこんだ戦争になる。これが1914年~18年まで、5年も続く。国民は、もういい加減やないかとうんざりしていく。
 それでも、戦争はやめない。ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世が、さらに軍隊に戦争に行けという。日本人だったらお国のために黙って戦場にいくかも知れませんが・・・それはそれで良いけど・・・ドイツ人は日本人に似ているといっても、もうちょっとドライなんです。

 日本人のことを言うと、勝てるというのを、日本人はずっと信じているんです。これはウチのお袋のことですけど、女学生の時は太平洋戦争中なんです。B29がボンボン街に爆弾を落としている。そこで学校の先生が女子生徒を集めて、竹槍を持ってきて、竹槍でヤーという訓練をさせる。竹槍でですよ。何の練習かというと、これで米軍に勝つと言う。相手はB29の爆弾攻撃です。勝てるわけないでしょう。竹槍で勝てると思っていたのかと聞くと、そう思っていたという。みんなそうだったという。これが集団心理の恐いところですね。いやウチのお袋がバカだったんじゃないですよ。社会現象としてそういうことが起こるのです。


 しかしドイツ人は、戦争に行けと言われて、では勝てるのか、これは負け戦だと分かるんです。軍隊の水平さんたちは行かない。ボイコットして反乱を起こす。ロシアと似ている。ドイツも結局、足元から火が付いて戦争続行が不可能になる。キール軍港の水兵反乱です。これをドイツ革命といいます。1918年11月です。


 言っておくけれども、そういう一生懸命に戦おうとした昔の兵隊さんをバカにしているつもりは全然ないです。全然ないんだけれども、普通は竹槍ではB29には勝てない。それすら分からなくなっていく、ということが戦争にはある。それは怖いことです。

 1918年にドイツ革命が起こって、ここでドイツ皇帝のヴィルヘルム2世は国外へ亡命する。これでドイツは実質負けた。ロシアも革命で皇帝はいなくなった。ドイツでも戦争に負けて皇帝はいなくなった。こうやってヨーロッパのロシアとドイツから皇帝がいなくなる。そういう意味では、第一次世界大戦は皇帝つぶしの戦争だったともいえます。

 そのあとドイツでは新政府ができるんですけど、皇帝が逃亡した後にイギリスに降伏する。無条件降伏じゃない。ふつう無条件では降伏はしないです。無条件降伏なんか第2次大戦だけです。ふつうの降伏は条件付き降伏です。
 それだから日本は第二次世界大戦のとき無条件降伏を呑めなかった。呑めないとどうなったか。これがピカドンつまり原爆です。これはやってはいけないことなんです。日本以外で原爆を投下された国などありはしない。あんなことしたのはアメリカだけです。ではなんで日本が降伏しなかったか。無条件で呑めといわれたからです。そんな戦争はない。いくら戦争に負けても、これだけの条件で負けましょう、それが交渉なんです。
 第一次大戦の時もドイツは無条件ではない。これによって第一次世界大戦は1918年11月に終結した。


【ロシア三月革命】 1年前に戻って・・・今ザッと言いましたけど・・・その途中で起こったこと、ロシア革命のなかみに行きます。それまでロシアはロマノフ朝で、皇帝がいた。そこにロシア革命が起こる。1917年3月に起こるからこれを三月革命という。10数年前の日露戦争の時に第一次革命がすでに起こっていました。これを血の日曜日事件といいます。それに続いてこのロシア三月革命が起こる。

 第一次世界大戦の長期化でロシア人にもだんだん不満が高まってきた。革命が起こったのは大戦中です。まだ戦争が終わってない1917年3月です。これ教科書が違えば、二月革命とも書いてあるんですよ。これは、ヨーロッパの暦とロシアの暦が1ヶ月違うんです。日本とかアメリカ・イギリスでは1917年3月ですけど、ロシアの暦は1ヶ月遅れていて2月なんです。だから二月革命と書いている教科書もある。そこらへんは細かいところだから、ここでは三月革命で行きましょう。
 労働者も首都のペトログラードで政府に反発し、兵隊もストライキをやっていく。そこで皇帝のニコライ2世は退位して、皇帝の政治は終わる。ロマノフ朝は崩壊していくんです。このあと皇帝一家は殺されます。
 それに代わって、どういう政府が成り立っていったかというと、反乱を起こした彼らが、まずソビエト政府という一つの政府をつくった。しかしこれではまとまらなくて、もう一つロシアで力を持っていたお金持ち中心に、別の臨時政府をつくる。つまり国内に二つの政権ができる。つまりまとまらない。こういうのを二重権力状態という。まとまらないからこの抗争はまだまだ続いていきます。


【ロシア十一月革命】 決着がつくのが約半年後です。これが1917年11月十一月革命です。ソビエト政権内では、この革命政権は暴力革命もやむなしとしていく。選挙で負けても・・・早い話が暴力つかってでも・・・政権さえ取ればいいという動きをしていく。そういう発想だったから、このときの社会主義政党のリーダーはいったん命の危険を感じて、2、3年前に国外逃亡していた。これが国外から戻ってくる。今がチャンスだ、ということで。
 この人物がレーニンです。三月革命の翌月の1917年の4月に戻ってくる。この人はロシア人ですけど、お父さんはユダヤ人です。ということはユダヤ人です。それまでどこに逃げていたかというと、スイスです。それが列車に乗って帰ってくる。この人犯罪者です。国外亡命していたから。
 そのレーニンをロシアに返すために、そのためだけの特別列車を用意して、スイスから帰ってくるんですけど、スイスからどこを通って帰ってくるかというと、ドイツを通って帰ってくる。これ不思議だと思いませんか。
 ドイツというのは、この時ロシアと戦っている国、第一次大戦で戦っている敵国です。敵の領地を通ってロシアに行く。しかも特別列車で。これがよくわからないですね。なぜそんなことが可能なのか。
 しかもロシアに到着すると、すぐにボリシェビキというグループの指導者になっていく。逃げていた者が帰ってきたとたんに、なぜすぐに指導者になれるのか。不思議だと思いませんか。
 彼には、ユダヤ系のアメリカの金融資本家が2000万ドルを提供しています。 


 そして4月、ロシアに着くとすぐに方針を発表する。方針をテーゼという。これを4月テーゼといいます。4月の方針という意味です。そこで戦争はやめるという。もう一方の臨時政府は、戦争に勝つぞという。しかしレーニンは早くやめるという。この時に強かったのはもう一方の臨時政府で、そのリーダーはレーニンではありません。
 こういう二つ政権があります。レーニンと対立するケレンスキーという人がまず内閣を組織してやったことは、このレーニンを弾圧していくことです。だからロシア人同士の殺し合いになっていく。つまりレーニングループケレンスキーグループが暴力闘争していく。勝ったのがボリシェビキのレーニン側です。これが1917年11月です。だから十一月革命です。
 レーニンは武装蜂起をする。そして暴力で勝つ。そしてソビエト政府を樹立する。2つあった政府を一つにまとめるというよりも相手を潰すんです。そして潰したあとは、ソ連は一党独裁政権になります。この政党がロシア共産党になります。
 
※ 革命後のソ連政府幹部の8割以上がユダヤ人で、これらユダヤ人のうち大多数はロシア革命を期にトロツキーとともにアメリカから渡ってきたユダヤ人でした。このように世界のユダヤ勢力がソ連を支援しました。(馬渕睦夫 「国難の正体」)

 そして今からは資本主義じゃなくて、社会主義国家をつくっていくぞ、と言う。まず戦争はやめるぞ。それから地主の土地は農民に全部分配するぞ。そういった社会主義改革をボリシェビキ主導でやっていく。ここには地主の私有権とか、そんなものはすべて無視されます。
 この1917年11月にはバルフォア宣言が出ています。これはイギリス外相のバルフォアがユダヤ人金融資本家の英国ロスチャイルド家当主ライオネル・ロスチャイルドに対してパレスティナにユダヤ人国家の設立を認めたものです。それほどイギリスはユダヤ系の金融資本家の資金援助が欲しいのです。レーニンがロシアに帰国したとき2000万ドルの資金を提供したのも、このロスチャイルド傘下のアメリカの金融資本家です。イギリスは同じ連合国のロシア帝国を革命から守るのではなく、逆にロシア帝国を革命によって打ち倒そうとする革命勢力を援助する側に回っています。
 すでにこの7ヶ月前の1914年4月にイギリス側に立ってアメリカが参戦していますから、ロシア帝国はすでに用済みであったのです。
 これにより、イギリスはドイツ帝国とロシア帝国という2つの敵を同時に倒すことになったのです。

 そしてドイツとは翌年の1918年3月に・・・さっきいった講和条約・・・ブレスト・リトフスク条約を結びます。これでロシアにとっては戦争終結です。


【革命後のロシア】 ロシアにとって戦争は終わったけれども、この後の社会主義改革はどうなるか。今はこんな混乱の時期で非常事態だから、理屈もクソもありゃしないということで、理屈をはずれて非常事態の社会主義改革をやっていく。これを戦時共産主義という。
 そういったなかで民間企業を国家が没収して国営企業にしていく。社長の財産を国家が没収していく。それだけじゃない。この新しいソ連という国は、こういう社会主義革命は一つの国だけでやってもつまらんのだ、全世界が社会主義にならんといけない、と世界全体を変えていこうとする。これを世界革命といいます。世界革命論です。そのための組織を作る。これがコミンテルンです。


 これは周りの国から見れば、たまったもんじゃない。日本も社会主義にするつもりなのか。日本に攻めてくるのか、ということで、このソビエト連邦に対しては、日本とか他のヨーロッパの強い国などが妨害戦争をやっていく。これを対ソ干渉戦争といいます。日本人にとってソ連は遠い国のように感じますが、日本に一番近い国は実はソ連です。
 九州から見たらソ連は遠いかもしれないけれども、北海道の人から見たらソ連は目と鼻の先です。北海道から樺太を通って、北から日本兵がソ連にどんどん行く。結局この出兵は成果は出ずに無駄な出兵に終わってしまいますが、この出兵をシベリア出兵といいます。


 そして2年後の1921年には、ソ連はネップという今後ソ連の社会主義をどうしていくかというソ連の新しい経済方針を採用する。これを新経済政策といいます。英語の頭文字をとってネップといいます。
 資本論通りの、マルクスが考えた通りの社会主義はすぐにはできない。今は非常時だから、緊急事態だからということで、一部資本主義の考え方を取り入れて行く。
 そして新しい国家の成立を正式に表明するのが1922年です。ソ連、ソ連と言いますけれども、正式名称はソビエト社会主義共和国連邦という。長いからこれを縮めてソ連という。細かいことを言うと、ソ連のなかには共和国がいっぱいある。これが邦です。邦は国という意味です。その共和国を強い力でまとめたのがソ連です。だから連邦です。ソ連は国の集まりです。1918年11月に第一次世界大戦が終わり、こうやってソ連ができました。


【ヴェルサイユ体制】 では終わったあと、戦後の世界がどうなるか。終わったあとは、勝った国が負けた国にいろいろ要求するんです。領土をもらうとか、賠償金を払えとか、そういう交渉が行われる。それをパリ講和会議といいます。1919年です。


 ただその前に第一次世界大戦によって誰の目にも明らかに変わったことがあります。今までの世界の中心はイギリスを中心とした西欧だったのが、イギリスはなぜ勝てたか。自力ではない。どこが応援したからか。アメリカが応援したからです。だから第一次世界大戦の終結と同時に、世界の中心もアメリカに移ります。世界ナンバー1国家がアメリカになります。経済的にはすでに10数年前から世界ナンバー1です。そらに軍事的にもです。


 それから、今までは皇帝がいる国が多かった。それが第一次世界大戦によって次々に滅んでいった。まず社会主義革命が起こったロシアで皇帝がいなくなった。次に負けたドイツでも皇帝は亡命していった。その仲間であったオーストリアも・・・これは言ってないけれども・・・皇帝はつぶれた。これをハプスブルク家といいます。覚えてますか。神聖ローマ皇帝だった家柄です。
 ドイツ側で戦って負けたもう一つの国トルコ、ここも崩壊していきます。スルタンという王様がいなくなります。王様がいなくなった国はまず混乱する。トルコは混乱のきわみです。トルコが持っていた広い領土、そこを勝ったイギリス・フランスが植民地にしていく。そのことが今からの会議で決まっていく。その会議を、フランスのパリで開かれるからパリ講和会議といいます。


 ではそのパリ講和会議で中心となるのがアメリカです。次がイギリスです。今まではイギリス、アメリカの順だった。ここからアメリカ、イギリスの順になっていく。
 そのフランスのパリ講和会議。何でパリか。フランスとドイツは仲が悪くて、普仏戦争で勝ったドイツはこの50年前、ドイツ帝国の建国宣言の時、フランスに乗り込んでいって、その首都のパリのベルサイユ宮殿でドイツ帝国ができたという建国宣言をした。これを見てフランス人はコノヤローと思った。それが50年前です。その憂さ晴らしです。徹底的にあの時の仕返しをしてやる。搾り取ってやる。ドイツに対して、ということです。


 その会議の中心になったのは、アメリカの大統領ウィルソンです。基本要求の14カ条を提案する。ドイツに恨みを持っているイギリスとフランス。フランスが特にです。この戦争で悪いのはドイツだ、その線で行きましょう。


 その償いをしてもらおう。金が欲しいんです。領地も欲しい。だから責任はすべてドイツにあることになる。昔から勝てば官軍という言葉がある。理屈じゃない、勝てば嘘でも本当になる。


 そこでいろいろ話し合った結果・・・なかなかすぐにはまとまらないんですけれども・・・どうにか条約を締結するところまではこぎ着けた。パリ郊外のベルサイユ宮殿でやったから、これをベルサイユ条約という。
 
▼第一次大戦後のドイツ国境

 ドイツに対して非常に厳しい。領土も分割される。ドイツの国土も狭くなる。東プロイセンが飛び地になり、国土が2つに分割されます。東側の領土が大きく削られ、ポーランド領になります。のち、ここを取り戻そうとして第二次世界大戦が始まります。現在のドイツ国境はこれよりも狭められ、首都ベルリンの東を流れるオーデル川に沿った線になります。
 おまけにドイツは賠償金も取られる。あとでドイツは払えないことになる。そういう無理なことをやると国家は壊れていく。壊れたあと、どんなことが起こるか。パン一個が1兆円になる。1兆円は運べないからパン一個買うためにお金をリヤカーで運んでいく。リヤカーいっぱいの1万円札を運ぶ。そしてもらっていくのはパン一個です。これは本当です。1兆倍になる。これでドイツ経済はパンクです。いじめればいいというものでもない。
 
▼第一次世界大戦後のヨーロッパ

【新しくできた国】 それからドイツに応援したオーストリア、これも解体される。オーストリアは今は小さい国ですけど、昔は大きかった。今のオーストリアの5~6倍あった。それ以外のオーストリアの地域はどうなったか。独立するんです。


 新しくできた国ハンガリー、ここでできます。それからチェコスロバキア、ここで独立する。君たちが生まれた時には二つに分裂してチェコとスロバキアに分裂して別々の国になりますけど、この時には一つの国でチェコスロバキアというます。
 それからユーゴスラビア。これは今はないです。君たち生まれる10年ぐらい前、分裂に分裂して、民族同士が殺しあって、この一つの国が、多くの国に分裂した。これは1991年のソ連崩壊後です。


 ドイツの領土も削減される。問題点はさっきも言ったように、悪いのはドイツだ、責任取ってもらおうじゃないか、という対ドイツ報復主義です。あまり厳しかったから、ドイツ人は希望を失って、10数年後に選挙で誰を選ぶか。ちゃんと選挙で選ばれるんです。ヒトラーというのは。そのヒトラーが率いた党がナチスです。ちゃんと選挙で選ばれます。他の政党は何もできないから、多少変わった人間でもいい。いっぺんやらしてみよう。そういったときは、だいたい失敗する。
 ふつう成功するのは、1回、2回、3回ぐらい練習しないと成功しない。いっぺんやらしてみようかというのは、大概失敗する。でも他に選択肢が無い。そういう状態に追い込まれていきます。


 それから、旧ドイツの植民地は、勝った国のイギリス・フランスが取る。負けた国の広大な土地、トルコ領も取る。これはあとでいいます。


 ただ一方で、民族自決といって、一つの民族が一つの国をつくる。自分たちで国をつくりたいなら、つくっていいということで、いろんな国が旧ロシアからも独立していく。
 ロシアからはまずバルト三国が独立した。バルト三国は、その後またソ連に併合され、さらに今から30年ぐらい前に再度独立したエストニアラトビアリトアニアです。あとで地図で見ます。
 その他にロシアから独立した国はフィンランドです。さらにしばらく消滅していたポーランドです。これがロシアから独立する。 


 ただ民族自決だったら、ドイツとオーストリアは・・・同じドイツ人だった・・・同じドイツ人だったら、民族自決を目指すのだったら、1つにまとまっていいじゃないかと思うけど、ドイツ人はダメなんです。だからこの民族自決はウソっぽい。


 ヨーロッパ列強は、東南アジアも植民地にしているから、そこも民族自決で独立させるか。しかしそれはダメという。結局、民族自決は白人だけなんです。
 これを認めれば、そういった動きが出てくるということで、イギリス・フランスは、このアメリカのいう民族自決に不信感を持つ。理由は自分たちの植民地が独立したら困るからです。


 ここで新しくできた国は、次のページの地図です。新しくできた国を地図で見ます。まずフィンランド、それからエストニア・ラトビア・リトアニア、この3つがバルト三国です。
 それから新しくできたポーランドはこの領域です。ポーランドも新しくできた。
 次にチェコスロバキアもできた。それからハンガリーもこのとき独立した。
 それからユーゴスラビア、今は6つに分裂してます。新しくできた国は、ほぼ負けた国の領域ばかりです。


 旧オーストリア領土、旧オスマン帝国領土からこれだけ独立した。まだあります。旧オスマン帝国領土の西アジアあたりに、ここは今も紛争地域です。


 しかし大きく見るとこの大戦は、ドイツロシアが潰れて、イギリスが勝ったということです。三国協商と三国同盟ができる前の構図は、まずイギリスとロシアが対立していた。イギリスはロシアの南下をずっと妨害してきた。これはグレートゲームと言われます。その時のロシアはドイツと同盟を組んでいた。ドイツ・ロシア・オーストリアの三帝同盟です。だからイギリスはロシアとドイツを同時に敵にまわすことはできなかった。
 しかしドイツのビスマルクが引退すると、ドイツとロシアの同盟関係は崩れた。そしてドイツの3B政策と、イギリスの3C政策が対立する。そこにチャンスがあったわけです。
 あとは戦争を起こすだけです。それがサラエボ事件です。

 1.イギリス ←→ ロシア
 2.イギリス ←→ ドイツ

 つまりイギリスはこの大戦で、ロシアとドイツという2つの敵を同時に倒したのです。

 しかしもっと大きな見方をすると、勝ったイギリスも、世界の覇権国家の地位を滑り落ちます。その代わりに世界の覇権を握ったのがアメリカです。

    【勝】     【負】
   アメリカ
     ↓  
 1.イギリス ←→ ロシア
 2.イギリス ←→ ドイツ

ざっくり言うとこうなります。あと目障りなのは、イギリスについていた日本です。
一見すると、アメリカとイギリスに共通するのはアングロ・サクソンということになってしまいますが、そこにユダヤ金融資本の影がちらつきます。

 これで終わります。ではまた。




「授業でいえない世界史」 43話 現代 第一次世界大戦後の世界

2019-05-16 13:00:00 | 旧世界史12 20C前半
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【国際連盟】

 第一世界大戦が終わったところです。終わって、主に東ヨーロッパで新しい国ができた。それがこの上の地図です。ここまでやったと思います。これだけ新しい国ができた。

 では、戦後の1920年です。パリ講和会議が前の年の1919年だった。その次の年1920年に、その会議を受けて設立されたのが国際連盟です。今はまた組織と名前が変わって国際連合という国際組織ができてます。国際軍事組織というべきか、国際平和組織というべきか。これを最初に提案したのが、戦争に勝った国、今や世界の覇権国になったアメリカの大統領のウィルソンです。


 この14カ条の提案のなかに、この国際連盟を作りましょうというのが入っていて、じゃあそうしましょうとなる。
 でもこの提案がおかしいのは、このアメリカ大統領が勝手に自分の思いだけで提案して、国内の賛成とか意向とかを、全く事前に聞いてなかったんです。国際会議で提案してつくったのはいいけど、当然アメリカがはいるものとみんな思っていたから、当のアメリカが入らないのです。
 国際連盟はつくったけれど、アメリカに持って帰って、作ってきたよとそれへの加盟を提案すると、なぜ勝手にそんなことをするのか、オレたちは承知してない、ということで、アメリカは議会でこれを否決します。それでアメリカは参加しないんです。つまりこれは、アメリカ議会が反対したというよりも、国民には何も知らせずに大統領が勝手にやったことだったんです。今の国際連合という国際組織のきっかけはこんな感じです。それでアメリカは国際連盟に不参加のままです。


 国際連盟の目的というのは、こういう戦争を起こさないためというのが目的なんです。ただそういう侵略をする国には経済制裁で懲らしめようということでできたんですけど、今と違うのは軍事力を持たないということです。
 だから、結局また20年ばかり後には第2次世界大戦が起こっていく。これには日本は負ける側について、日本の戦いは太平洋戦争というんですが、・・・最近はアジア太平洋戦争ともいいますけど・・・日本はひどい打撃を受けます。


 こういう変則的な形で国際連盟ができた。当のアメリカは入ってないから、国際社会に口を出す権利はアメリカにはない。しかし経済的にはナンバーワン国家だから、組織の外から口を出そうと思えばその力を持っている。ただ形上は口を出す立場にはない。
 だから世界がまた第2次世界大戦に入っていくときに、表面的なことだけでは非常に説明しにくいことになっていく。裏からからめていくようなところがあって、日本はまんまとしてやられたみたいなところである。このあとのわかりにくさの原因も、こういう強引さから発生することも読み取ってください。


【ワシントン体制】

 そのアメリカです。発言権はないけれども、前の会議のベルサイユ条約に関しては不満を持っていたんです。なぜかというと、実は第一次世界大戦のアメリカと日本の関係をみること、イギリスとドイツが戦って、第一次世界大戦はイギリスが勝った。
 このイギリス側について甘い汁を吸った国に二つある。一つはアメリカ、もう一つは日本です。日本には日英同盟があるから、日本が有利になったんですけど、今度は世界ナンバーワン国家になったアメリカが、日本取り過ぎだということで不満を持つんです。

 第1次世界大戦後、ロシアやドイツの脅威が去り、今度は日本がアジア太平洋地域の邪魔者としてターゲットにされます。


 日本は取り過ぎの意味はよく分からないけど、アメリカは何かイヤだなと思う。これはもう一回配分し直そう。しかし国際社会に口出す権利は・・・国際連盟に入っていないから・・・アメリカにはないけれども、経済力があるからみんなアメリカに逆らわない。うちで会議をしましょう。もう一度第2回戦の会議をやりましょうということで、首都ワシントンに各国政府の首脳を集める。これをワシントン会議という。これが1921年からです。
 この背景にあるのは、日本取り過ぎだというアメリカの苛立ちです。どこをかというと中国進出です。日本も中国の一部の利権をもらったからです。その中国では・・・後でちょっと言いますけど・・・日本に対する反日運動、五・四運動が起こります。それでしめしめです。日本と中国を分裂させよう、敵対させようとして、アメリカが発言力を増大させていく。
 「分割して統治せよ」というローマ帝国以来のやり方です。イギリスもそうでした。このアメリカもそうです。敵を叩く前に、まず敵を分裂させる。今もそうです。アメリカにとってアジア世界は分裂していた方がいい。逆に言うとアジアが一枚岩になってアメリカやヨーロッパに対抗すると困ったことになる。さらに言うと、今のイスラーム世界も分裂していた方が、アメリカにとっては都合がいい。イスラーム世界が一つにまとまることほど、アメリカにとって恐いことはないのです。


 各国首脳を集めて新たな約束を作らせる。1年前のベルサイユ体制の変更です。まず九カ国条約を結ぶ。主要な九カ国とは、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・日本を含めて、それに中国が加わる。9カ国の中心的な議題となったのは、この中国です。中国の主権を尊重しようという。言葉というのは常にもっともらしく言うんです。その裏には、日本は中国に対して取り過ぎだという苛立ちがある。
 これで九カ国の合意をつくって、あと具体的な条約を作る。それが四カ国条約です。四カ国とはアメリカ・イギリス・フランス・日本です。狙いは何かというと、日本はイギリスと日英同盟を1902年から結んでいる。アメリカはこれを切りたいんです。
 あとは言い方の問題です。切れというと角が立つ。だから日英同盟を四カ国に広げましょうという。日英二国間に、アメリカが加わって、フランスも加われば4カ国になれば鉄壁じゃないか。こう言われると、日本もイヤだといいようがない。イヤだといえば、おまえはアメリカとフランスを仲間はずれにするのかと言われる。これが外交上の言葉です。これに日本は乗せられた。本音はこうやって日英同盟を破棄させたいんです。実際にこの四カ国条約の締結と同時に、日英同盟は廃棄されます。

 これが四カ国になったときに、問題はアメリカと日本が対立し始めていると言うことです。イギリスがアメリカと日本の両方から引っ張られた時に、イギリスは今までの日英同盟のよしみで日本側についてくれるかというと、イギリスとアメリカはどちらもアングロ・サクソンです。アングロ・サクソン同士、これから100年経って今でも、アメリカとイギリスが戦ったことはないし、絆が切れたことはない。アメリカとイギリスは今に至るまで仲が良いです。

 イギリスは日本につかずにアメリカ側につく。つまり日本を切るんです。日本は切られるんです。日本は一面ケナゲです。そう薄々気づきながらも、国際協調だと言い始める。平和条約も結びましょう。そうしましょう。軍縮しましょう。そうしましょうと言って。それで軍事力を削減されていく。それが海軍軍縮条約です。これはワシントンで作られたからワシントン海軍軍縮条約ということもあります。軍縮とは軍隊を縮小することです。その約束を軍縮条約という。

 まだ飛行機がやっと飛びはじめたころなんです。だから空軍というのはまだない。海外で戦うときは海軍なんです。海軍をどのぐらい持っているかというのが、国の対外攻撃力の強さなんです。陸軍というのは、海軍戦で勝ったあと、首都に攻め込むときのものです。
 その海軍の主力艦を制限する条約です。このあと20年後に日本が作る主力艦と言えば、戦艦大和とか戦艦武蔵とかがあるんですが、これをどれだけ持ってるか、その比率を決めようとする。


 アメリカ・イギリス・日本で、アメリカは5、イギリスは5、日本は3、これで妥当だろうと。ここに大きな落とし穴がある。確かに国力としては妥当です。しかし今いったように、もし戦争になれば、アメリカとイギリスはくっつくんです。実際にそうなっていく。そうなった時に、5対3にはならない。アメリカ・イギリス連合と日本の対立になる。そうすると10対3です。これでは絶対勝てない。つまり逆らえないです。この段階で。これがアメリカの外交ですよ。


 これで本当の戦後体制が出来上がった。日本は第一次世界大戦で勝った。ベルサイユ条約でもらった。しかし1年後には、アッというまに変なことになった。しかしこれで決まりです。これがワシントン体制です。


 日本がその後、背負っていくのはこの体制です。ベルサイユ体制じゃない。このワシントン体制で決まる。一回戦ではなく、二回戦で決まる。国際社会は国際連盟にも入っていないのにアメリカが主導する。アメリカの狙いは、このあと一貫して原爆が落ちるまで、日本です。ドイツはイギリスに任せておく。現在に至るまでそうです。アメリカは日本を注意深く見ています。現在も日本に常駐している唯一の他国の外国軍隊は米軍です。


 それは日本の突出を防ぐためです。これは日本の外交上の敗北です。そのあとは、ジワリジワリとヘビが獲物を絞めていく。

 次にヨーロッパ社会です。もう戦争イヤよね、世界大戦はイヤよね。軍縮をもっと進めましょう。1920年代には3つ軍縮条約を結びます。これで安心かというと、その10年後にはまた第二次世界大戦が起こります。ということは、この段階から、その戦争準備は行われています。

 まず表面上の軍縮から見ます。1925年にはロカルノ条約を結ぶ。主にドイツです。ドイツとフランスの国境には軍隊を配備しない。そこをラインラントといいます。そこを非武装化します。
 それから1928年には不戦条約を結ぶ。戦いませんという条約。戦争しませんという条約を結ぶんです。しかしこれが守られないのは今言ったとおりです。

 そして1930年には、また海軍軍縮条約です。1回目はワシントンで、今度はイギリスのロンドンです。ワシントンはアメリカ、ロンドンはイギリスです。世界の中心はアメリカとイギリスです。そこで結ばれたのがロンドン海軍軍縮条約です。
 ここでは何を決めたか。ワシントン海軍軍縮条約では主力艦だった。その主力艦は単独では航行しないです。それを護衛する船団があります。何十艘と船団を組んでいく。周りを護衛する船を補助艦という。この主力艦と補助艦が合わさって、実質上の海軍の強さになる。その比率を、アメリカ・イギリス・日本で、10,10,7,と決めます。日本はそれをOKします。
 国力に応じたら、当時はこのくらいです。しかし大きな落とし穴は、さっき言ったように、米英は組むんです。そうするとアメリカ・イギリス連合と日本の対立となって、実質的に20対7になる。これでは勝てません。普通の番狂わせは半分までです。10対5とか、20対10とか、半分までです。半分切ったら勝てないです。アメリカ・イギリス連合は日本を絶対勝てない状況に置いています。


【ドイツの国境線】

 ではその次です。ドイツは次の第二次世界大戦でもイギリスと戦うことになるんですが、第一次世界大戦で負けたドイツは、本国がどのくらい縮小したか。小さくなる。ドイツは第一次世界大戦で負ける。それで小さくなる。第二次世界大戦でも負ける。また小さくなる。

 ではその前はというと、この図が第一次世界大戦前の国境です。それが戦争に負けてどうだったのかを、赤で書きます。


 実はドイツは、もとはプロイセンと言っていた。プロイセンの本拠地はこのドイツの北東なんです。それがその西側のドイツと結びついていった。その間のここを切る。ここを切って、こういうドイツになる。縮小された上に、本拠地の東プロイセンとは分断されます。国が二つに割られたということです。ドイツはこのやろうと思う。第一次世界大戦で負けたドイツが、このあとぜひ欲しかったのは、せめて分断されたここの部分をつなげてくれよ、ということです。なぜ二つに分けないといけないのか。せめてつなげてくれよ。ここはポーランドに与えられたんです。これをポーランド回廊といいます。どいつはどうしてもここが欲しい。


 20年後のことをいうと、削られたここの部分は、ポーランドの領地になった。ドイツ人にとってはこの部分は、もともとドイツなんだ、という意識が強い。だから20年後、そのときにはドイツはヒトラー政権です。ヒトラーはまずどこに侵攻したというと、このポーランドです。ポーランドに侵攻したと書いてあるんだけれど、ドイツ人の意識としては、もともとうちの土地だ。これは日本人の感覚でいうと北方領土ですよ。戦前まで日本の領土だったけれども、今ロシアに取られている。日本は返せ、返せ、と言っている。しかし今日本がそこに軍事侵攻したら、日本がロシアに攻めたとなるでしょう。


 これが20年後のことです。そこでもドイツはまた負ける。では今のドイツ国境はオーデル・ナイセ線という、ここです。ここが現ドイツの国境で、ますます小さくなっています。


【アメリカの繁栄】

 では世界の覇権国になったアメリカです。アメリカの繁栄はすさまじい。もとイギリスの植民地だったところですが、これが1920年代で世界の一等国、本国イギリスをしのぐ世界です。

 第一次世界大戦前までは、アメリカは外国から多額の借金をしていました。借金のことを債務といいます。だから債務国だった。それが第一次大戦に参戦し、戦ってみると、第一次世界大戦ではアメリカには一発の爆弾も落ちないまま勝ってしまった。実は、次の第二次世界大戦でもアメリカには爆弾は落ちてない。ほとんど無傷です。爆弾を受けることなく、世界帝国になっています。戦争はすべて外国でやっています。外で行う戦争は防衛戦争ではありません。侵略戦争です。これは非常に簡単な事実ですが、そのことはあまり強調されません。アメリカは常に外で戦争します。今やってる戦争もそうですけど。


 第一次大戦後のアメリカは、そういうふうに無傷で爆弾が落ちなかったばかりか、逆にイギリスやフランスにお金を貸してる状態です。第一次大戦で一番利益を得たのはアメリカです。アメリカは、お金を借りる側から貸す側に、戦争によって180度変わった。こういう貸したお金を債権という。これを持っているから債権国になったということです。


 経済的にも世界の中心はそれまでのイギリスのロンドンから、アメリカのニューヨークに移った。そのアメリカの経済の中心ニューヨークにアメリカの中央銀行があります。これは第一次世界大戦の前年1913年にできて今もあるFRBです。これが銀行と名がついてないけど中央銀行です。連邦準備制度という。意味のわかりにくい名前ですけど、実は中央銀行です。中央銀行というのは、日本でいえば日本銀行のことです。日本銀行といえば、我々が毎日使う1万円札を発行している銀行です。アメリカのドルを発行している銀行はこのFRBです。なぜこんな名前にしたのか。わざと訳がわかりにくい名前にした、という人もいます。ここにはブラックな話がけっこうあります。
 「歴史は夜つくられる」と誰かが言いました。そのことは意味深長です。表面だけではなかなか分からないものです。

 こういうふうにアメリカは一気に金持ちになっていく。軍事的にも1番、政治的にも1番です。アメリカは浮かれ調子です。日本はこの昭和初期、農村ではリヤカー引いている。大八車引いている時に、アメリカの農村ではトラックが走っています。
 またラジオが普及する。日本よりも20年早い。ハリウッドというのができて、どんどん映画が作られていく。ハリウッドスターというのも登場する。世界で一番繁栄しているところになっていく。

 この時代のアメリカは・・・二大政党制ですが・・・強かったのは共和党です。今のトランプ大統領も共和党です。その前のオバマ大統領は民主党です。この共和党の政策は、経済はほったらかしでいい、それでうまくいくんだ、という自由放任政策です。

 アメリカは国際連盟にも入らないぐらいだから、外国には口出ししないのを建前としています。これを孤立主義といいます。実際はアメリカは全く孤立していないのだから、これは単独主義と言ったほうがいいという話もあります。自国中心主義です。今のトランプ大統領が言っている「アメリカ・ファースト」、アメリカ最優先、このニュアンスに近いでしょう。でも教科書にも孤立主義と書いてあるからこれでいきます。うまくいってる時にはこれでよかった。

 しかし国際連盟をつくったのは民主党だし・・・これはウィルソンです・・・のちの太平洋戦争に入っていく時、日本と戦った時の政権も民主党なんです。政党が変わるとアメリカの方針も変わる。日本と戦って行くときの大統領はルーズベルトといいます。政党が変わると政策が覆っていく。国際問題に口出ししないと言っていたのが、いろいろ仕掛けていきます。
 つまり孤立主義とは、アメリカ最優先政策をとるために、いろいろ外交上の策を仕掛けていく政策だととらえていいでしょう。


【イギリス】

 ではナンバーツー国家に転落したイギリスはどうか。自由党が没落した。そしてソ連ができた。ソ連は社会主義だった。そういう社会主義に近い政党である労働党が政権を取るまでに成長します。社会主義思想が強くなったということです。その首相がマクドナルドです。ハンバーグ屋さんじゃない。マクドナルドというのはもともとイギリスやアメリカでは当たり前のありふれた名前なんです。

 これでイギリスも二大政党制です。もともとある保守党と、新しくできた労働党です。没落したのは自由党です。2019年の今もこの二大政党制です。

 アメリカの二大政党制は、共和党と民主党です。今も変わりません。この頃に今の形ができる。

 ただイギリスは植民地帝国です。植民地を1番多く持っているのはイギリスです。そのお膝元の隣のアイルランドが、オレたちはおまえたちとは縁を切る、独立させろ、と言って独立する。1922年です。


 それから1番大事な植民地はインドだった。インドに行くためにはスエズ運河を通らないといけない。そのスエズ運河はどこにあるか。エジプトです。そういう重要なエジプトが条件付きながら独立する。これも1922年。イギリスは勝ったのに、植民地を抑えきれなくなって国力が弱まっていく。


【フランス】

 それから、アメリカは借金国から、お金を貸している債権国になったということは、戦争が終われば、貸した金は戻してもらわないといけない。貸出先のイギリスやフランスからお金が返済される。アメリカはウハウハです。しかしイギリスは戦争に勝ったとはいっても、アメリカに借金を返さないといけない。フランスもそうです。

 しかし返すだけのお金がないんです。では返すお金はどこからもらうか。ドイツに稼がせて賠償金でもらおうとする。ドイツはたまったもんじゃない。返せないという。返せないといわれて一番困ったのが、国力の弱かったフランスです。それならおまえの領地をもらうといって、ドイツとの国境地帯にあるルール地方・・・これは工業地帯なんです・・・1923年にここをフランスが占領する。しかしドイツのところであとでもいうけど、これによってドイツはとんでもないインフレーション、1兆倍のインフレーション、1兆倍ですよ、こんなとんでもないインフレーションが起こっていく。結局失敗するんです。


【イタリア】

 それから第一次世界大戦で、ドイツを裏切って勝ったのか負けたのか、よくわからない中途半端なイタリアです。戦争が終わっても、深刻な経済危機、不況に陥っていく。

 イタリア人の取り柄は女に手が早いぐらいのもので、政治的にも経済的にも非常にまずい。経済危機になったからといって、働くかというと、南ヨーロッパの人間はあまり働かない。それで当てもなく、キリスト教にはスーパーマン思想、つまりメシア思想というのがあって、スーパーマンを選びたがるんです。これはドイツにも出てくるんですが、スーパーマンなんか人間がなれるわけないじゃないかと、日本人だったら子どもでもわかるけど、やっぱりこれを選ぶんです。これがムッソリーニです。


 民主主義よりも、このスーパーマンにオレたちを引っ張っていってもらいたい、全世界を救済してもらおうという発想です。これが全体主義です。カタカナでいうとファシズムです。この政党をファシスト党という。全体主義国家になっていく。
 このムッソリーニは、民主主義はイヤだといって、ローマの王様のもとを目指して、デモ行進をやる。これが1922年ローマ進軍です。民衆が、そうだ、そうだという。普通は、そんな非民主的なことをしたらいけないじゃないかと言いそうですけど、イタリア人はそうは言わない。そうだ、そうだ、ムッソリーニについて行こうとする。王様は、わかった、これ以上抵抗しないから、おまえ首相になって、イタリアの政治を引っ張っていけ、と言う。簡単に独裁政権が誕生します。こんな簡単にルールが変わるのかと不思議なほどです。

 真っ黒なシャツを着て、形相も気色悪いような一党独裁体制です。ほかの党は認めない。一党と二党が決定的に違うのは選択肢がないことです。二党は選べるんです。しかし一党というのは選択肢がない。だから選挙する意味がないんです。選挙する前に答えが決まっている。どこに入れるかと言っても、一つしか政党がなかったら、そこにしか入れられない。選挙する意味がない。これを民主的とは言わない。民主国家であるための条件は選択肢があるということです。政党は最低二つ必要です。2つと3つはあまり変わらない。しかし1つと2つは決定敵に違う。


【東欧】

 あと東ヨーロッパでは、前回言ったように、負けた国を中心に多くの独立国が誕生しました。

 次の火種。第二次世界大戦でドイツがまた軍事侵攻していく理由になったのが、隣の国、チェコスロバキアです。今はチェコとスロバキアという二つの国になっているけれども、この時はチェコスロバキアという一つの国です。ここにはチェコがドイツから取りすぎて、ドイツ人が住む地域まで国境の内側に含めてしまったズデーテン地方がある。

 このことにドイツ人は非常に不満がある。同じドイツ人じゃないか、ドイツ人が住んでいるところがなぜ他の国の領土になっているんだ。

 それからもう一つは、これはさっき言ったポーランドです。昔のドイツの東半分はポーランドになっている。しかも東プロイセンは飛び地になって分断されている。ここはドイツだろうという気持ちがある。ここがあとの火種になっていく。


【ドイツ】

 では負けた当のドイツでは、ドイツという国の名称がなくなる。ヴァイマール共和国というのがドイツの正式な名称になる。戦後のドイツでは、国際法上はドイツという名前がなくなった。ドイツという名前が消されたんです。ヴァイマール共和国になりました。

 それで、憲法も変えよう、ということになる。新しい憲法をヴァイマール憲法という。これが作られた。戦争に負けて作った憲法が、なぜか世界で一番民主的な憲法として評価が高いですけれども、評価が高いからといってうまくいくわけではない。国の実体と合わないからです。


 さらに、先に言ったように、イギリスとフランスはアメリカに借金を返さないといけない。しかしお金がないからドイツから賠償金をもらって、その賠償金でどうにか返している。だからドイツに対して、賠償金だ、賠償金だという。ドイツは戦争に負けて、爆弾落とされて、国は荒れて、国力も落ちて、賠償金を払うどころじゃない。そうすると賠償金の支払いが遅れてくる。するとフランスが腹を立てて、1923年ルール地方を占領するんです。


 ここからおかしくなる。何でそこまでオレたちはいじめられないといけないか、とドイツの労働者は怒りだして、もう働くまいとする。いわゆるストライキです。仕事はボイコットする。一時生産が停止する。生産が停止すると物が足らなくなって、急に物価が上がりだす。物価が上がると、お金が足らないからと言って、ドイツは・・・ここらへんは半分以上は謎なんですが・・・キチガイみたいにお金を印刷していく。するとアッというまに物価が1兆倍になる。これは本当に1兆倍です。
 1923年インフレーションが起こります。1兆倍というと、毎日毎日、100円のパンが200円になり、200円のパンが2倍の400円、400円が800円、1週間で10倍ぐらいになる。キチガイみたいな速さです。パン一個買うのに・・・ウソじゃなくて・・・リヤカーいっぱいの札束を持っていかないといけない。しまいには、お金に何の価値もなくなって、紙切れみたいなものだから、教科書にも載っているけど、子どもに札束与えて、これで遊んでおけと、子供が札束で遊び出す。お金じゃなくなるんです。本当にこういうことが起こる。


 変な話があって、兄は大酒飲みでビールを飲んでは、ビール瓶を片付けもしないでボンボン部屋に散らかしていた。一方の弟は勤勉で一生懸命に働いて、給料は貯金して銀行に貯めていた。そこにインフレが起きて物価が1兆倍になったら、100万円の貯金とか、100円の価値もなくなり、リンゴ一つ買えなくなる。

 しかし兄のビール瓶は、100本あれば、少なくとも1000円以上になる。酒飲みの兄が金持ちになり、まじめにお金を貯めた弟が貧乏人になる。ウソみたいな話が本当に起こる。
 ということは100万円が100円にしかならなかったら、1000万持っていた大金持ちだって1000円ぐらいしか持たないことになる。インフレになると、そうやって国民の財産が消滅していくんです。ドイツ全体の富が吹っ飛ぶんです。まじめに働いていた人たちが貧乏人ばかりになる。このことはまだ半分以上は分かっていません。なぜこんなに中央銀行つまりドイツ銀行が紙幣を印刷したのか。

※ この紙幣増刷はあくまで人為的なものであり、政府上層部が何らかの意図を持って行ったものと捉えるべきです。・・・インフレが激しくし進行することを政府筋から掴んでいた1部の担保力のある借り手がライスバンクや市中銀行から、資金融資を受けます。その資金で土地・設備など資産を買い入れます。貸付金は激しいインフレの進行により、実質価値が下がります。すると貸し付け返済は軽くなります。・・・当時のドイツのハイパーインフレーションはこのようなオペレーションを取ることを前提にした人為的な誘導であったのではないかと考えられます。その結果、中産階級を中心とする現金資産保有者を干し上げて、担保力のある大資本、あるいは政府関係筋が土地などの実物資産を所有し、囲い込んでいきます。(宇山卓栄 経済)

 これをどうにか収束したのが、新しい首相のシュトレーゼマンです。これが、次に不思議なのは、1兆倍のインフレーションをオレは元に戻すぞといって、たった1年で本当に元に戻るんです。

※ 1923年、首相となったシュトレーゼマンはハイパーインフレを沈静化させるため新紙幣レンテンマルクを発行します。シャハトが新たな中央銀行の総裁に任命されて、レンテンマルク政策の指揮をとります。(宇山卓栄 経済)

 1兆倍になったのもおかしいし、1年でそれが元に戻るのもおかしい。こんな歴史はみたことがない。一度起こったインフレーションはそんな簡単に戻りません。しかしここではなぜかすぐに戻る。

 その飛び道具というか、手品のお金が、レンテンマルクという。1億円を1万円と交換して、インフレを抑える。それでどうにか収まる。しかし、今でもドイツ人の頭の中にあるのは、インフレだけはやめてくれ、インフレになると1000万円の預金が1000円になる。身ぐるみ剥がされる。こういう恐い記憶があります。


 インフレで身ぐるみはがされてドイツ人はスッカラカンになった。アメリカは、もうちょっと早く助けたら良かったのに、ここまできてやっとドーズというアメリカの副大統領が、では助けましょう、お金貸します、と言う。1924年です。これをドーズ案と言います。それでドイツはどうにか景気を回復する。資金援助の一環です。アメリカがドイツに資金を貸し始めます。

 これも結論いうと、貸したということは、いずれ戻ってくるはずです。それだけの余裕がある時はよかった。しかし、アメリカはこのとき株が5年間で5倍に上がっているんです。100万円の株が500万円になる。こんなに上がった。しかしこれは一種のバブルです。何かのきっかけでストーンと落ちる。これが世界恐慌になっていく。それでお金がなくなると、まず打ち切られるのは、ドイツへのこの資金援助です。これが切られる。


 アメリカの大恐慌は1929年ですけれども、これで失業率がダントツ世界一なるのはアメリカではなく、ドイツです。


 弱いところからこうやって切られていく。ドイツは、ずっと踏んだり蹴ったりです。このあとこのドイツについて行ったのが日本です。日本はドイツ側につく。なぜでつくのか。これは巧妙で今でもよくわからない。巧妙で、紆余曲折しながら、結局日本はドイツにしかつけなくなる。

 その後ドイツでは、1925年に大統領にヒンデンブルクが選出される。彼は軍部勢力です。最も民主的なヴァイマール憲法下でいろいろあって、ドイツ人が選んだのは旧勢力の軍部だということです。

 新しい民主主義的な政治家には誰も期待しなくなっています。それだけでは経済が立ち直らない。表看板の憲法だけ掛け替えても、ダメだということです。


【日本】

 では日本はどうか。日本は第一次大戦中から急に景気がよくなった。戦争にも勝った。その中で民主主義が広まっていく。時代は大正時代です。大正時代は1912年から1926年までです。ちょうどこの時期に当たります。このデモクラシーの風潮に乗って、人気を博した総理大臣が原敬です。彼のもとで今の政党内閣が実現します。政党政治になっていく。まだ国民全員が選挙権をもっていない日本の中で、男だけは普通選挙になる。1925年です。女はまだです。

 しかし同時にマイナスをやる。それが治安維持法です。法律に良い名前がつくときは要注意です。治安維持法は名前に偽りありです。中身は何か。思想の取り締まりです。普通は人を殺したいと思っただけでは犯罪になりません。思想の取り締まりは、人を殺したいと思うだけで犯罪になる。そこが怖いところです。リンゴを盗みたいと思っただけでは、ふつう罪に問われないけど、それが犯罪になっていきます。

 これで終わります。ではまた。




「授業でいえない世界史」 44話 現代 第一次世界大戦後の西アジア・東アジア

2019-05-16 12:00:00 | 旧世界史12 20C前半
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 第一次世界大戦後の世界です。第一次世界大戦が終わったのが1918年です。それから約20年でまた第二次世界大戦が起こる。20世紀は一番多くの人が戦争で死んだ世紀です。

 第一次大戦が終わったあとの日本は、1920年代、大正時代です。ロシア革命の影響で日本でも、給料上げろ、労働時間短縮しろ、という労働運動が盛んになります。社会主義運動が盛んになる時代です。


 このあと、いろんな地域を1920年代を中心に見ていきます。まずは西アジア。次に東アジアに行きます。


【西アジア】
【旧オスマン帝国領】 西アジアはアラブ人の地域です。このアラブ人の地域に約500年間、何という国があったか。それがオスマン帝国です。

 第一次世界大戦で負けた国は一番にはドイツですが、大きな隠し味として、オスマン帝国がドイツの味方だった。そのオスマン帝国が潰れたんです。500年続いた国が潰れるというのは、世界史的にも大きな出来事です。ちょっと教科書の扱いが小さいんですが・・・小さいからよけい分かりにくくなってると思いますが・・・この国、こんなに大きい。今こんな大帝国はないです。ローマ帝国と変わらないぐらい大きい。
 今やってる時代より70~80年前からヨーロッパが強くなって、どんどん侵略されていきます。オスマン帝国のヨーロッパ側は独立したし、エジプトもイギリスによって半分植民地にされてる。

 2019年の今でもミサイルがよく飛んでいるのが、イスラエルという国です。今ここにユダヤ人国家があります。私は世界のヘソといってますけど。列強は、イギリスを中心に、こういったところを、オスマン帝国が潰れたあと、どんどん植民地にしていく。フランスも虎視眈々と狙っています。ドイツは戦争に負けたから、枠外です。

 それともう一つ言っておかないといけないことが・・・どっちみ言わないといけないから・・・オスマン帝国というのはトルコ人なんです。オスマン・トルコ帝国とも言う。トルコは今ここにある。アラブというのはその南のこのあたりで、民族が違う。だから中心はここのトルコ人なんですけれども、その南に住んでるアラブ人は、オレたちはトルコから独立したいと思っている。


 イギリスはドイツと戦っていて、ドイツの味方がトルコなんです。だからイギリスはトルコとも戦っている。アラブ人から見たら、イギリスはオスマン帝国という敵の敵です。敵の敵というのは味方になる。
 トルコを潰すために・・・今まで言ってないけど・・・イギリスがやることは、アラブに対して、オレに味方してくれたら、おまえたちをオスマン帝国から独立させてやるぞ、だからいっしょにトルコを潰そう、と言う。


 しかしイギリスにはお金がない。戦争には金がかかる。イギリスはそのお金が欲しい。お金を持っているのは、アメリカのニューヨーク・ウォール街のユダヤ人たちです。イギリスは、彼ら豊かなユダヤ人にお金を貸してほしいんです。イギリスは、お金を貸してくれたら・・・あなたたちは国もたないでしょう・・・この戦争に勝てば、ここに2000年ぶりにあなたたちの国を作ってあげますよ、と言う。これが今のイスラエルです。

 ここまで行くには、第二次世界大戦後までいかないといけない。


【エジプト】 そのアラブです。アラブはエジプトも含めます。エジプトも含め、ここらへんは全部オスマン帝国の領土であった。約400年間。これを頭の奥に入れていてください。その後、19世紀半ばからイギリスがエジプトを欲しがって、半植民地状態にした。しかしそういうイギリス支配に対して、エジプト人が反発した。これをエジプトのワフド党という。これがイギリスに反発する。反英運動が起こる。
 第一次大戦後、1922年にエジプトは一応の独立を勝ち取る。これがエジプト王国です。しかしこれは一応であって、メインの動脈のスエズ運河はイギリスは手放さない。イギリスはインドに行きたいから、ここを通るか通らないかで、経費が全然違う。だからここだけは手放さない。だから半独立状態です。それでは満足できないと言って、エジプトは反英運動をして完全独立を目指していく。
 
▼第一次世界大戦後の西アジア

【パレスチナ】 次は、さっきいった世界のヘソのパレスチナ地方です。今イスラエルがあるところです。ここでパレスチナ問題というのが発生します。これは今でも続いてる。原因はというと、ここはもともとはオスマン帝国の領土です。
 ここには2000年前にユダヤ人の王国があった。ユダヤ人は国を持たないから、国が欲しいとずっと思っていた。それで、ここがご先祖様の土地だということで、ここに移住するユダヤ人が増えていた。
 しかしこの2000年の間にすでにアラブ人が住んでる。この地域に住むアラブ人のことを別名パレスチナ人という。時々ニュースで、パレスチナ・ゲリラとかいう人は、2000年住んでいたアラブ人が、この後ユダヤ人がイスラエルという国を建国したから、土地を追われた人々です。住むところがなくなってゲリラ活動していく。つまり難民です。
 このユダヤ人は、このあとの第二次世界大戦が終わった後、イスラエルという国を建国します。その代わり今まで住んでいたアラブ人は、そこから追い出されることになって、戦後70年経っても血はいまだに流れている。

 なぜこんなことになったのか。これがイギリスの二枚舌外交といわれるものです。絶対両立しえない事を、アラブ人とユダヤ人の双方に約束するんです。


 一つ目は第一次世界大戦中の1915年フサイン・マクマホン協定です。フサインというのはアラブ人のリーダーです。マクマホンというのはイギリスの政治家です。今いったようにアラブ人はこの段階ではトルコ人に支配されてるから、独立したいと思ってる。イギリスは、オスマン・トルコ帝国と戦っているから、敵の敵のアラブ人は味方になる。イギリスは、オレたちに味方したら、君たちにアラブ人の独立国家を作ってやるぞと約束した。


 しかしその一方で、イギリスにはお金がなかった。イギリスの外務大臣のバルフォアという人が1917年に宣言を出したんです。バルフォア宣言と言います。お金を借りた相手は、イギリスのロスチャイルドという大財閥なんですけど、このロスチャイルドというのはユダヤ人なんです。お金を貸してくれたら、パレスチナに、ユダヤ人の国家を建設しますと約束した。

 これ絶対に両立しませんよね。同じパレスチナという地域に、アラブ人が住んでいて、そこにアラブ人の国をつくってやる。そこにユダヤ人が引っ越しをし始めている。そこにユダヤ人の国をつくってやる。一つの地域に二つの国をつくることはできません。これは両立しない。

 しかしこれを約束した。そして第二次世界大戦後にユダヤ人のイスラエルという国ができた。バカを見たのはだったのはアラブ人です。信じた私がバカだった。こんな事が許されていいのか、というのがアラブ人のパレスチナ・ゲリラなんです。それがいまだに続いている。
 さらにイギリスだけではなくて、これは半分わかりながら、その中間、1916年にはフランスも、オスマン帝国がつぶれたら分割しようね、そのオスマンの領土を分割しようね、と言う。これがサイクス・ピコ協定です。
 だからもともとアラブ人を独立させるつもりはないんです。ただユダヤ人はお金持っているから、ユダヤ人との約束だけは聞いてやらないといけない。アラブ人との約束は、どうせこいつらは貧乏人だから、放っておけと。それでアラブ地域を植民地にしていく。これは今でも世界の大問題です。


【シリア・レバノン】 それで1920年代、イギリスが勝った後は、旧オスマン帝国は分割される。今のシリア・レバノン、ここはフランスの植民地になる。ただ植民地というと人聞きが悪いから、言い方を変えようという。フランスの委任統治領となる。これ実態は植民地です。独立させないずに、フランスの支配権が及ぶ。
 その南東のパレスチナ・ヨルダン・イラク、これはイギリスの委任統治領です。そしてここのパレスチナに、このあと30年後にユダヤ人のイスラエルという国をつくっていく。代わりにアラブ人は追い出される。こんなことをやるんです。


【アラビア半島】 アラビア半島に行きます。ここは、もともとイスラーム教の力が強いところで、イスラームの教えの原点に立ち帰ろうという運動、ワッハーブ派というのが起こっていた。100年以上前に、ここにワッハーブ王国ができた。この国は長く続かなかった。しかし、こういうイスラームの教えに立ち帰ろうという運動自体は続いて、それに地元の豪族サウード家が加わっていく。サウード家はこの運動で力をつけていく。


 そのイスラーム教を始めたのは7世紀のムハンマドです。ムハンマドの子孫は実は今でもいて、今のアラビア半島で王様になっていた。これをヒジャーズ王国といいます。これは由緒正しいムハンマドの子孫なんですね。これをサウード家が滅ぼして、自分の国として乗っ取るんです。これが今のサウジアラビア王国です。ちょっと後の1932年にできる。今もあります。今もあるどころか、日本はこの国から石油の大半を輸入しています。


 昨年この国は、王様に反対するジャーナリストを大使館内で殺した、という疑惑をもたれています。すごいことやっている。王様を批判したら、新聞記者は殺される。しかも国の公の施設の大使館で。オレはそんなことはしてないと、いっているけど。
 ただ日本政府は、このことを強く非難していない。さっきも言ったように、日本の石油の最大輸入国はここです。日本はこの国と喧嘩できない。
 日本人を殺すのはミサイルじゃない。一に石油です。タンカーがストップしたらもう日本はダメです。二に食料輸入です。日本の食糧自給率は極端に低い。食料を切れば日本人はミサイルを使わなくても食い物がなくて死ぬんです。日本の豊かさは意外ともろい。


 ヒジャーズ王国というのは、ムハンマドの子孫です。滅ぼされてどうなったか。今のヨルダンという国、今はそこの王様です。

その隣のイラクは、最近アメリカによって空爆されて、今は混乱の極みです。
さらにその東のイランとアメリカの関係は、最近悪化する一方です。

以上が西アジアです。



【大戦後のアジア】
 次に第一次世界大戦後のアジアに行きます。その中心はインドです。インドはイギリスの植民地です。イギリスは植民地のインド人に第一次世界大戦中に何と言ったか。兵隊に来てくれ、戦争に協力してドイツと戦ってくれ、勝てば独立させてやると言った。しかしウソです。独立させません。独立を約束したのに独立させません。

 第一次世界大戦後、何が決まったか。民族自決をアメリカは唱えた。しかしこれが適用されたのはヨーロッパの国々だけです。アジア諸国は無視です。インドは独立できない。なんだこれは、独立させると約束したじゃないか。イギリスは、エッ、そんなこと言ったかな、と知らんふりです。ふざけるなという感じです。こういうことが決まったのがパリ講和会議です。


 その後、アメリカを中心に2回戦のワシントン会議をやって、世界体制としてはワシントン体制を築いた。これは前回話しました。


【トルコ共和国】

 では次の負けたオスマン帝国です。500年間の帝国が潰れたから、あとは大変です。その後できた国が今のトルコ共和国です。
 まずここは敗戦国です。オスマン・トルコ帝国は潰れたんです。領土は大幅に削られた。今は出ベソのような形のトルコ半島のみです。それを決めたのが、第一次世界大戦が終わった次の年1920年の条約、セーブル条約といいます。国際条約で決められ削減されたんです。このままではトルコの国も危ない。そこで、アラブ人のことはもういいから、トルコ人だけの国を作ろう。地域を限定して小さくなってもいいから、トルコ人だけの国をつくろうとなる。その運動の中心がケマル・パシャという軍人です。


 でもこの人はヨーロッパ流が大好きです。イスラーム教は捨てていいという。ヨーロッパ流でやろうという。徹底したヨーロッパ化政策をとります。文字もアラビア文字だったけれども、この時からABCのアルファベットに変えます。文字から変える。
 日本語の漢字とひらがなを廃止して、全部ローマ字で書くようなものです。これと同じことを、日本に原爆が落ちて戦争に負けた次の年にアメリカ軍がやろうとした。そういう計画を聞きつけた重光葵という時の外務大臣が、それだけはやめてくれ、と言って取り下げられた。それがなかったら、君たちは漢字を知らなかったかも知れない。


 アンカラという首都・・・もともとは地方都市です・・・そこに新政府を樹立したのが1920年です。戦争に負けると文字を奪われます。次に言葉が奪われます。教科書も当然変わる。特に国語、社会、歴史などは。

 そして新しい国をつくろうとして、オスマン帝国を潰して革命が起こる。1922年に。これがトルコ革命です。ここでスルタンは廃止される。これで正式にオスマン帝国はつぶれた。500年続いたオスマン帝国は滅亡です。あの広大な領土を持っていた帝国です。そして新しいトルコという国を認めてくれという条約が、次の1923年のローザンヌ条約です。国際条約で認められた国がトルコ共和国だということです。

 インドは独立を認められない。しかしトルコは認められた。不平等じゃないか。インドは伝統を大切にしている。インド人の文化を守るぞ。ケマル・パシャはヨーロッパ大好きです。イスラーム教は、もうしなくていい。政治と宗教は別だ。ヨーロッパ流の考え方を取り入れる。さっき言ったように、アラビア文字は捨てますよ。これからはアルファベットで、ABCでやりますよ。そこまでやればヨーロッパが反対する理由はない。

 結局、近代化というのは西洋化のことです。西洋を真似することなんです。西洋のルールに従うことなんです。日本もあまり大きなことは言えない。日本は早々と明治維新でそれをやりましたから。


 政治と宗教切り離す。イスラーム教と政治を切り離す。政教分離です。そのケマル・パシャは初代大統領になる。今でもその墓地は壮大な公園になっている。そこで今でも年に一回、ケマル・パシャを祭る祭典をやっている。ただ今の大統領はエルドアンというけれども・・・ここからもう100年経ってます・・・これだけ言っておくと、トルコで初めて、オレたちはイスラーム教徒じゃないか、と言い始めた。どうなるか。普通こうなるとイギリスやアメリカは嫌います。今必死でアメリカがやっていることはイスラーム叩きです。ケマル・パシャは、ヨーロッパ流、西洋流に変えた。文字もアルファベットに変えたけど、オレたちはイスラーム教徒じゃないか、とやっと今の大統領は言い始めた。さてこれからどうなるか。
 ことの重大さを分かるためには、歴史が分からないと、何が変わったのかが分からない。歴史を知らなかったら分からない。へえーと、鼻くそほじくりながら、何も分からないまま、テレビを見るだけで終わってしまいます。


【イラン】

 次はイランです。これも今アメリカが目の敵にしている。大統領のブッシュなどは「悪の枢軸」とまで言った。彼に名指しされたのが、北朝鮮、イラク、イランです。北朝鮮とはまだ交渉中ですが、まずはイラクが狙われました。この国は2003年のイラク戦争で、アメリカの集中砲火を浴びてもう潰れました。

 ではその東隣のイラン。この時代に、ここはどこが狙っていたか。西からはイギリスです。イランとイラク、一文字違いですけど、全然違う国です。
 このイランに、西からはイギリスが攻めてくる。ソビエトと国境を接しているから、北からはロシアが攻めてくる。イギリスとロシアが奪い合う格好になっていく。でもロシアは、第一次世界大戦中にロシア革命が起こって潰れたんです。そしてソ連になった。そしてイランから撤退する。自動的にイギリス軍がイラン全土を支配する。イギリスはしめしめです。

 今は「悪の枢軸」と言ったアメリカがここを潰そうとしていますが、この時には・・・トルコのケマル・パシャと同じように・・・もうヨーロッパにすり寄るしかないという軍人が出てくる。トルコのケマル・パシャも軍人ですけど、これがレザー・ハーンというイランの軍人です。イギリスにすり寄って認められるんです。おまえを王様にしてやるといわれて王朝をひらく。これがパフレヴィー朝です。イギリスはこれを支援する。
 トルコでも、いまのエルドアン大統領がイスラーム寄りのことを言っているけど、このイランはその後イスラーム復興の運動が起こって、1979年のイラン革命で潰れる。そんなにアメリカのいうことばかり聞いていられるか、オレたちイスラーム教徒じゃないかと。それで国は潰れてパフレビー朝は消滅する。これが今のイランです。だから今もアメリカが目の敵にしている。


【アフガニスタン】

 もう一つ、ここ20年でアメリカが叩いたのが、アフガニスタンです。あの2001年の9.11事件の首謀者、ビンラディンが隠れ住んでいたのはここだとされています。ここはもともとイギリスの植民地だったところで、イギリスの影響が強いところです。一応独立は勝ち取ったけど、その独立に対してイギリスがこのヤローと思っている。
 こういうふうに西アジアは、ヨーロッパ勢力に分割されていたんです。
 分割されて、新しい国としてできたところ、完全独立ではないけれども、エジプトですね。ただスエズ運河はイギリスが握っているままです。
それからトルコは、ヨーロッパにすり寄って独立しました。
それからサウジアラビアもできた。
それからイラクもできた。しかし半独立状態ですよ。ここらへんはイギリスの委任統治国です。完全独立ではない。

 分割した地域で、イギリス領になったのが、このパレスチナとヨルダンです。まだイスラエルという国はない。20年後、第二次世界大戦でイギリスが勝った後に、ここにユダヤ人国家としてイスラエルという国ができる。世界のヘソ、ここがイスラエルです。

 ではフランスはというと、その北東がフランス領シリアです。シリアはフランス領です。
 ここらへんは今も紛争地域です。



【インド】
 次はインドです。インド人は独立を約束したじゃないかという。しかしイギリスは知らんふりをする。そのまま植民地状態が続く。インド人は、このヤローと腹を立てる。反英運動です。反英は反イギリスです。イギリスは第一次大戦中に独立させると言った。だからインド人が約束守って独立させろと言うと、イギリスがやったことは、ローラット法といって、捜査令状なしでインド人を勝手に逮捕できるようにする。手のひら返しもいいとこです。民衆運動をこうやって弾圧する。

 そこでもともとは穏健派だったけれど、これはあんまりだなと、ガンディーが独立運動をはじめる。ただ武力で勝てない。だから非暴力です。ハイと言って従わない。不服従です。非暴力・不服従。こういう運動を展開する。しかしどうも決定打に欠ける。インドはイギリスの植民地はそのままの状態で、また第二次世界大戦に突入です。

 ガンディーの相棒で主導権を握ったもう1人の人物がネルーです。この人はもうちょっと過激です。完全独立のために戦おうとする。

 ガンディーの動きとしては・・・塩は貴重品だった・・・これをイギリスが独占していたから、塩を取りに行く。この意味は反英運動の象徴なんです。これがだんだんと何千人という人が集まって、海までいっしょに塩を取りに行く。塩の行進という象徴的な行動を取る。これを見て意味が分かる人は、反英運動に参加する。しかしイヤ顔を背けようとする人もいる。この二つに分かれる。


【インドネシア】 今度は東南アジアです。東南アジアもヨーロッパ列強の植民地ばかりです。あまり目立たない小国オランダも、東南アジアに広い植民地を持っている。蘭領東インド、蘭はオランダです。今のインドネシアです。しかしここにも、独立運動が起こる。指導者はスカルノです。今の日本では、この人の奥さんがよくテレビに出てますね。毒舌ですね。誰ですか。この人の奥さんは。戦後、銀座で見初められて、第三婦人になって、インドネシアに行って、失脚して、夫は亡くなって、また日本に戻って、テレビ出演しています。今はタレントみたいです。デヴィ夫人ですね。あの人はこのスカルノの奥さんです。一夫多妻だったから、第三婦人です。
 それでそのスカルノです。別にデヴィ夫人の話をしたいわけじゃない。インドネシア国民党1927年につくる。独立できるのは第二次世界大戦後です。あと20年ぐらいかかります。


【ベトナム】 今度はフランスの植民地です。ベトナムです。ここにも独立運動が起こる。中心人物はホー・チ・ミン。この人は独立のために共産党の力を、社会主義の力を借りようとした。ベトナム共産党です。反仏運動、反フランス運動を展開する。


【ミャンマー】 次は今のミャンマーです。今のアウンサン・スー・チー女史のお父さんです。アウンサン将軍です。当時はイギリスの植民地のビルマです。これが今のミャンマーです。タキン党の独立運動が起こります。引っ張ったのは、アウンサンです。殺されますけど、その娘がアンンサン・スー・チーです。今もニュースでよくでてくる。


【タイ】 唯一独立していたのがタイです。これは別に強かったからじゃなくて、東にはフランス、西にはイギリスに囲まれて、最後に一つ残った饅頭を取るとケンカになるから、どちらも手を出さなかった。

 それ以外の東南アジアは全部植民地です。


【朝鮮】

 こんどは朝鮮です。ここは日本が絡む。日本の領土になってる。そこに日本からの独立を求める三・一独立運動1919年に起こる。第一次世界大戦が終わった年、1919年の3月1日が三一になる。
 この余波は今も続いています。徴用工問題、反日運動です。いくら、1960年代の日韓基本条約を結んだと言っても、まだ賠償しろと言う。結局お金ですよ。国家賠償という日本からお金は、我々の税金だということは分かりますか。空から降っては来ません。



【中国】

【五・四運動】 それと同じように日本が中国に21カ条要求をつきつけている。そこでも反日運動が起こる。五・四運動、朝鮮の運動から二ヶ月遅れの1919年5月4日から起こったから五・四運動です。なぜ日本が槍玉に挙げられたかというと、日本は中国に対して、時の袁世凱政府に、対華21カ条要求というものを突きつけていたからです。これに中国は腹を立てた。最初は北京のエリート学生による抗議運動だった。これが全土に広まる。
 こういう運動はすぐには成功はしないけれども、これに刺激されて孫文が・・・もともとは日本で学んだりして日本とは仲良かったんだけれど・・・政党をつくって独立を目指す。中国国民党を結成する。そして反日に傾く。日本とは手を組まずに、逆に中国はイギリスと手を組んでいく。孫文自体はお金持ちではないけど、嫁さんが浙江財閥の娘で億万長者です。この資金が孫文のバックにはある。宋美麗という嫁さんです。


【国民党と共産党】 ではこの後の中国の動きです。中国は辛亥革命のあとは、軍閥割拠の状態です。日本の戦国時代のようになって、どれが中心なのかよくわからない。その中で二つの勢力がだんだんと頭角を現す。一つが孫文の中国国民党です。1919年、第一次世界大戦が終わってすぐ結成されます。


 もう一つが・・・第一次大戦中にソ連という社会主義国家ができた・・・中国を共産主義国家にしようという動きです。中国共産党です。この決着がつくのはまだまだ30年近くあとです。結果的にどっちが勝ったか。今の中国は表看板は、共産主義国家です。これが勝つことになる。それまでに30年の歴史がある。主導しているのはソ連の国際組織コミンテルンです。社会主義は世界革命論が理想ですから。


 この国民党と共産党は水と油で、本来は手を組むはずはなんだけれども、なぜか手を組む。その一致点が反日です。協力して日本と戦おう。そこで一致していくんです。手を組まないはずの二つの政党が手を組んだ。これが1924年です。これを第一次国共合作といいます。第二次もあります。国共とは、国民党と共産党という意味です。国は国民党、共は共産党です。思想も政治思想も、ぜんぜん違うこの二つの政党が手を組んだ。


 次の年の1925年に孫文は死んでまた混乱する。孫文が死んで、その後を受け継いだのが、孫文の後継者を自称する蒋介石です。軍人です。若い頃、彼に軍隊の作法を教えたのは日本陸軍です。日本陸軍の兵隊として学んでいる。この人の嫁さんも、孫文の嫁さんの妹なんです。同じ浙江財閥のお金持ちの娘と結婚して、お金持ちと結婚したあとは徹底した反日活動家になっていく。
 今でも日本と中国とは仲悪い。韓国ともそうです。アメリカにとっては、仲良くなってもらったら困るというのもある。アジアは「分割して統治せよ」。ヨーロッパはローマ帝国の時代からそうです。敵は分断したほうがいい。アジアは分断していないと困る、というのがヨーロッパの一貫した立場です。だから中国と日本と韓国が喧嘩しても、アメリカは何も手を貸しません。逆にまとまってもらっては困る。ホンネは決して言いませんけどね。


 それで1926年から国共合作軍は北伐をはじめる。北伐というのは・・・他にも中国にはいっぱい戦国大名みたいな軍閥がいる・・・そこで国民党が共産党と手を握って、他はぜんぶ潰していこうという北方軍閥征伐です。略して北伐。6文字を2文字に短縮しているから、多少無理のある言い方ですが、北伐、北伐といいます。これで北方軍閥打倒を目指す。
 
▼北伐と長征

 一応この北伐が成功して国民党政権を作るんですが、蒋介石の政治思想は、ホンネでは共産主義なんか大嫌いなんです。仮の姿で握手しているだけです。一旦政権はつくると、共産党なんか顔を見るのもイヤだ、という。共産党員を逮捕していく。裏切るわけです。


 それでもともと国民党と共産党は、水と油の関係であったから分裂する。分裂して、蒋介石は今度は南京に自分の政府を作る。これを国民政府といいます。1927年です。この味方についているのは日本じゃない。アメリカ・イギリスです。中国はここではっきり米英側につく。日本は逆に敵です。「分割して統治せよ」が効いています。


 その蒋介石の大金持ちの嫁さんの親は浙江財閥で、これは上海に拠点がある。上海は中国最大の都市です。イギリスの租界つまり植民地として発展したところです。その財閥がバックにある。

 これで終わります。ではまた。