ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

アメリカの新独立宣言

2021-09-30 14:26:39 | 不正選挙

美国新独立宣言都出台了



「中国観察」の報道
元の動画は、アメリカの「RSBネットワーク」の放送(2021年9月25日放送)。
アリゾナ州選挙監査委員会の発表です。
発表者は、アリゾナ州上院議員のウェンディ・ロジャース。

(自動翻訳は以下です)

「これは新しい独立宣言です。
これは私たちの自由のマニフェストです。これは公的なものです。
全米各地の41人の州の代表者と、州の立法者である州上院議員によって、署名されたものです。
これを発表します。
『アメリカの州議会議員は、2020年の大統領選挙をアメリカ合衆国の国民に発表します。
私たち、アメリカ合衆国の署名された州議会議員は強い権限を与えられています。・・・・・・』」
(動画はここまで)



【私のコメント】
アリゾナ州の発表ですが、アリゾナ州単独の動きではなく、全米各地の州のまとまった動きを発表しようとしています。大きな動きがあるようです。
冒頭では「これは新しい独立宣言だ」と言っています。


歴史を知らないと、「いいようにされる」

2021-09-30 11:41:53 | 不正選挙

1970年頃、20~30年前の太平洋戦争の頃からの歴史はまだよく分からないと、学校の先生は言っていた。
あれから50年過ぎた。結局、まだ分からない。
隠された歴史は、すぐ解かないと、いつまで経っても分からないままだ。
分からなくてもいいかというと、その後の50年間に起こったことは、とんでもないことだった。
結局、国民が歴史を知らないということは、「いいようにされたまま」ということだった。


トランプとQアノンとディープステイト 菊川征司

2021-09-30 10:51:04 | 不正選挙

◆ トランプは1988年、42歳の時に初めて大統領選出馬を口にしてからその後たびたび出馬を公表してきました。(トランプとQアノンとディープステイト 菊川征司 ヒカルランド 2021.3月 P135)


◆ 1988年、大統領選への立候補の噂が本当かどうかを尋ねられたトランプ氏は、候補者であることを否定したが、「もし大統領選に立候補したら勝つと信じている」と述べました。(トランプとQアノンとディープステイト 菊川征司 ヒカルランド 2021.3月 P136)


◆ 1999年7月、世論調査で共和党候補のジョージ・W・ブッシュと民主党候補のアル・ゴアの間でトランプは7%の支持を得ていると出ました。
 同年(1999年)10月、 (トランプは)CNN のラリーキングライブ出演中に、2000年大統領選挙に向けた準備委員会設立を宣言し、改革党の指名を求めるための調査委員会を設立しました。(トランプとQアノンとディープステイト 菊川征司 ヒカルランド 2021.3月 P137)


◆ 2000年1月1日、著書「The America We Deserve」を発表しました。・・・・・・この本では・・・・・・テロを予測しました。
「私は本当に確信している。我々は、一種のテロ攻撃の危険にさらされている。世界貿易センター地階での1993年の爆破事件は、爆竹で遊ぶ子供のように見える」
 もしこれが2年後に起きる同時多発テロを予言したものだったら、彼は相当確かな情報筋を持っているに違いありません。
 (2000年)2月、突然、選挙運動を終了しました。(トランプとQアノンとディープステイト 菊川征司 ヒカルランド 2021.3月 P138)


◆ 2004年1月、彼は NBC の「アプレンティス」出演を承諾し、番組は彼の毒舌と名物セリフ「お前はクビだ」が人気になりました。
 この年(2004年)の共和党大統領選でブッシュに挑戦することを検討しましたが、最終的には断念しました。(トランプとQアノンとディープステイト 菊川征司 ヒカルランド 2021.3月 P139)


◆ 2011年春頃、「(2012年の)大統領選に出ようかな」と言い始めました。(トランプとQアノンとディープステイト 菊川征司 ヒカルランド 2021.3月 P139)


◆ (2011年)5月17日、ロイタージャパンがボストン発で、トランプ撤退を報じました。(トランプとQアノンとディープステイト 菊川征司 ヒカルランド 2021.3月 P145)


◆ 2009年のリーマン破綻から始まった世界金融恐慌に来る顛末を、私は現地でつぶさに観察しました。・・・・・・出てきた結論は一つで、全く人為的な世界金融恐慌だったのです。(トランプとQアノンとディープステート 菊川征司 ヒカルランド 2021.3月 P157)


◆ (2016年)7月18日~21日、オハイオ州クリーブランドで共和党全国大会が開かれ、トランプとペンス組が勝利しました。(トランプとQアノンとディープステイト 菊川征司 ヒカルランド 2021.3月 P161)


◆ (2021年1月)6日に議事堂周辺に集結した数千人は顔写真まで撮ったと思います。この人たちこそ、新世界秩序ギャングたちが米国の民主憲法を破棄しようとしたときに立ち上がる面々なのです。Qが姿を隠したままやったことは、その危険な人間たちを表に出したことなのです。・・・・・・そういうことを考えると、私にはQはディープステイトの回し者だったとしか思えません。(トランプとQアノンとディープステイト 菊川征司 ヒカルランド 2021.3月 P222)




【武田邦彦】あの評論家が尾身茂会長の“本当の正体”を電撃暴露しました! 今回はデータが無いと辛い理由をノーカットで詳細にお話ししていきます!

2021-09-29 09:28:09 | 不正選挙

【武田邦彦】あの評論家が尾身茂会長の“本当の正体”を電撃暴露しました! 今回はデータが無いと辛い理由をノーカットで詳細にお話ししていきます!


2021.9.28【米大統領選】不正はなかった⁉️報道されないアリゾナの実態‼️そして戦いは司法へ❗️監査は全米へ❗️🇺🇸【及川幸久−BREAKING−】

2021-09-29 09:01:37 | 不正選挙

2021.9.28【米大統領選】不正はなかった⁉️報道されないアリゾナの実態‼️そして戦いは司法へ❗️監査は全米へ❗️🇺🇸【及川幸久−BREAKING−】



投票用紙の数の手作業確認だけ。
投票用紙自体に不正があるが、そのことは調べられていない。
同じ人が何回も投票しているとか・・・・・・


「土佐へ」 お遍路記 16日目 札所なし

2021-09-28 12:46:52 | お遍路記 「土佐へ」

【16日目】 晴れ
 【札所】なし
 【地域】室戸市(室戸岬町) → 室戸市(吉良川町) → 羽根岬 → 
     奈半利町 → 田野町 → 安田町(唐浜)
    【宿】 金剛頂寺宿坊 → 民宿「とうの浜」

 昨夜はついに一睡もできませんでした。
 なぜ眠れないのだろう。こんなに疲れているのになぜ眠れないのか、自分でも不思議です。ずっと宿坊や民宿に一人寝をしていると侘しさもつのります。それに遍路をしていると気持ちが高ぶっているようです。まだ遍路ころがしも残っているのに、このままでは体がもちません。
 このことは想像していないことでした。足が痛かったり、風邪を引いたり、そういうことばかり心配していましたが、眠れないことは想定していませんでした。

 昨日は津照寺を打った後、金剛頂寺に直接登らずに、ちょっと遠回りをして行当岬の不動岩を見てきましたが、今朝、宿坊の女将さんにそのことを言ったところ、不動岩はこの金剛頂寺が管理しているお堂だそうです。
 「それはありがとうございます」と奥さんからお礼を言われました。
 ただ奥さんもだいぶご高齢で、助っ人の女性も早朝は来ていないようで、食事の準備は1人で大変なようでした。

 朝7時20分、26番の金剛頂寺を出発しました。
 次の札所は神峯寺(こうのみねじ)ですが、今日はそこまでたどり着きません。神峯寺のある山の麓の民宿「とうの浜」に泊まります。

 この金剛頂寺のある山の頂上は雑木林ではなく農地が開けています。そして集落があります。農作業をしている人が見えます。その集落の中に金剛頂寺があります。
 宿坊を出てすぐに、軽トラに乗った地元のおじいさんに呼び止められました。
「あっち、あっち、右、右」
 軽トラに乗ったおじいさんは、わざわざ軽トラから降りて、私に道を教えてくれました。
 どうも曲がる場所を見落としていたようです。ちょっと戻ってみると確かに小さな畦道があり、遍路道の標示もありました。
「オレもどうせオレも車で下まで降りるんやから、乗せて行こか」
「ありがとうございます。でも歩いて回ってますから」と私は丁寧に頭を下げ、お断りしました。
 村の人たちは親切です。そして教えてもらった遍路道に入りました。危うく道を間違うところでした。入った遍路道は小さくて狭い道でした。

 午前7時50分、約30分かかって金剛頂寺から下界に降りてきました。
 次の札所の神峯寺へ向かって歩きます。ここは民家の横を通る遍路道ですが、そのすぐ南の海岸沿いを走る国道に出て、海を見ながら歩きたいと思います。

●写真 7時45分  この山の上に金剛頂寺がありました



●写真 7時45分  金剛頂寺を降りた村の様子


 昨夜は一睡もできませんでした。妙に頭の芯が興奮しています。最近そういう状態が続いています。昨日は少しも眠くなりませんでした。今日は、唐浜(とうのはま)まで25キロ、私にとっては長い道のりですので、体力的にきついだろうと思います。眠れなかった疲れが来なければいいが、と多少心配です。なるべく体に負担がかからないように、3時前には宿に着けるように歩きたいと思います。今日は無駄なく歩いて早く宿に着きたいと思います。ここ数日眠るのが非常に難しく、疲れがたまっています。どうしたのでしょうか。それでも歩けるのが不思議です。


●写真 8時1分  吉良川町手前の海岸




●写真 8時4分  吉良川町手前の国道



●写真 8時22分  吉良川町手前の海岸



 室戸市の吉良川町は町並み保存の運動があって、きれいに家並みが整理されていました。ここは東の川と西の川に挟まれた小さな平野を形成していました。きれいな昔ながらの土倉もありました。


●写真 8時35分  吉良川町




●写真 8時35分  吉良川町




●写真 8時38分  吉良川町の赤いだるまのポスト




●写真 8時39分  吉良川町




●写真 8時43分  吉良川町の案内板




●写真 9時45分  羽根岬へ向かう海岸




●写真 9時47分  羽根岬に向かう国道




 このあたりは山が海岸まで迫ってきてますが、その海岸まで迫ってきている山の上は海岸段丘になっていることをあとで知りました。前にも載せましたが、グーグル写真で見ると、山の上が平地になっています。しかし歩いているときには、そのことにまったく気づきませんでした。「山が迫っているなぁ」、そう思ってただただ歩いていました。山の奥はまた次の山が続いているだろうと思っていましたが、そこは平らな平地で農地が広がっていたのです。こういう地形は私にはかなり珍しいものです。
 「登って見てみたかった」とあとで思いましたが、その時はそういう余裕はありませんでした。それに山の傾斜はかなりの急で、簡単に登れるようなものではありません。


●写真 グーグル地形図




●写真 9時58分  羽根岬に向かう国道



 午前10時過ぎ、吉良川町を過ぎたあたりで、国道沿いを後ろからきた軽自動車が私の前で突然止まりました。けっこう交通量が多いところで、前に止まったままだったので、「何かな」と思ったら車の左の窓が開いて、そこからミカンが2個出てきました。私へのお接待でした。運転していた方は70代のおばあさんで、「暑くて大変ですね」と言われて、私は両手を合わせて拝んで受け取りました。ただ納め札を渡すのを、また忘れてしまいました。お接待を受けるときには自分の名前を書いた納め札を渡して、「南無大師遍照金剛」と唱えるのが作法とされています。


●写真 10時58分  羽根岬付近の工事




●写真 10時58分  羽根岬の海岸




 吉良川町の先の羽根岬を通る時には、その手前に近道の山越の遍路道があるのですが、その遍路道を通ると小高い半島の山を110mほど登らないといけません。遠回りでも岬の平坦な国道を通って行きました。体が疲れています。足のマメが痛いのと、眠れないのとダブルパンチです。足が重いです。

 羽根岬を過ぎると、奈半利の町が向こう側に見えました。お椀状に海岸がへこんでいて、その先に見えるのが奈半利の町のようです。そのまた奥の遠くに高い山が長い半島状に見えます。「あれが足摺岬かな」と思いました。


●写真 11時4分  羽根岬の国道




●写真 11時15分  羽根岬の標識



 国道沿いはずっと続く防波堤があって、右手には山が差し迫っているのですが、さっき言った吉良川町あたりは、けっこう山と海岸線の間に幅がありました。所々に漁港があります。この羽根岬にも羽根漁港がありました。町ごと村ごとに漁港があるようです。


●写真 11時23分  羽根漁港




●写真 11時26分  羽根漁港



 そこを過ぎると奈半利町に入り、入るとすぐに御霊跡がありました。国道を下りるとすぐの海岸ベタに大師堂がありました。トタン葺きのような小ぢんまりとしたものでした。


●写真 11時34分  御霊跡




●写真 11時35分  太師堂




●写真 11時37分  海岸



 12時半、今日は異常に気温が高いです。たぶん25度ぐらいあると思います。今日も昼食にカロリーメイトを流し込みました。スマホを見ると妻から、16歳になる飼い猫の具合が悪いというメールが届いていました。

 昨日はとうとう一睡もできず、そのせいで体調が悪く、足取りも重いですが、ここまで来れば半分以上は過ぎました。あと11キロ、どうにかなりそうです。
 ここ奈半利町に入ってから先の2~3キロは日陰がなくて困りました。国道沿いの小屋の建物の裏に30センチほどの小さな日陰があり、その日陰を利用して昼食を食べました。
 しかし休息している間に太陽が動いて日陰がほとんど無くなりました。こういうときに菅笠をかぶっていると便利です。これがないと直射日光に照らされながら昼食を食うことになります。体調が悪い私に、日光を防いでくれるのはこの菅笠以外にありません。ありがたいものです。この菅笠を一度かぶると他の帽子はかぶれません。


●写真 12時8分  靴脱いで休憩




●写真 12時37分  昼食時の海岸




●写真 12時38分  休憩場所


日陰がありません。


 奈半利(なはり)は結構大きな町で、この平野は今まで見てきた平野と比べると、かなり広く大きく見えます。

 この奈半利の町から北に5~6キロさかのぼって山間部に入ると、そこが北川村になります。そこが明治維新の中岡慎太郎の出身地で、今も生家が残っているようです。室戸岬に銅像が建っていたあの中岡慎太郎です。この先、高知市まではかなりの道を歩かなければなりませんが、高知市からこんなに遠くはなれた山間部の村からも明治維新で活躍する下級武士が出ていることに驚きました。
 途中で後ろから来た若い男性に追い抜かれました。奈半利の町中のコンビニで買い物をしたときにもいっしょになりましたが、軽く会釈をした程度でした。歩き遍路で若い日本人は珍しいですが、今日は土曜日なので、土日を利用しての区切り打ちかも知れません。


●写真 13時52分  奈半利町


奈半利(なはり)という地名は変わった名前です。どんな意味があるのでしょうか。


●写真 14時12分  奈半利町




●写真 14時15分  奈半利駅




●写真 14時23分  奈半利川(河口を見る)




●写真 14時23分  奈半利川(上流を見る)


この奈半利川をさかのぼった山あいに、中岡慎太郎の生家があるようです。


●写真 14時23分  田野町


奈半利川を渡ると田野町です。


●写真 15時7分  安田町の海岸


30分歩いて安田町に入ります。今日の宿がある町です。


●写真 15時13分  神峯寺の標識




●写真 15時15分  安田川を渡る




●写真 15時15分  安田町の海岸




●写真 15時23分  安田町の海岸




●写真 15時28分 安田町の集落




●写真 15時31分  民宿「とうの浜」が見えた




 午後3時40分頃、民宿「とうの浜」に着きました。ここは高知県の奈半利を過ぎた安田町です。奈半利から田野町を通って安田町の民宿「とうの浜」に着きました。

 2日前に室戸岬を過ぎると海の様子が急に和やかになります。山も室戸岬までのように海岸までせり出していなくて、山と海岸の間にはかなり幅があります。そこに集落や町並みが続いています。所々の山すその谷を通って川が流れていて、その川に沿って小さな扇状地状の平野があります。
 この奈半利の地形は、西と東が小さな半島状に山が突き出ていて、明日はその山と山の谷筋をさかのぼって神峯寺まで登っていくことになるようです。その山と山の間に平野があって、民宿「とうの浜」はその平野の海沿いにあります。民宿の前には海に面した防風林があります。

 この宿に今日は12~13人泊まっているようですが、昨日も一緒だった神奈川県の茅ヶ崎からの男性、それから長野県の野口さんとまた一緒になりました。2人とも今日すでに神峯寺を打たれていました。野口さんは、神峯寺への上り下りに2時間半かかったと言われました。野口さんの足は速いから、私の足だったら頂上でのお寺での休憩も入れて3時間半はかかること思います。
 そのほかに、大阪から来たという主婦(学生かと最初は思ったんですが)だという若い女性がいました。彼女は区切り打ちで、ちょこちょこお遍路に来ているということです。彼女も、国道を歩いていると前に車が止まり、左の窓からミカン2つが出てきて、運転されていたおばあさんからミカンをもらったそうです。お接待には、自分の代わりにお遍路さんにお参りしてもらうという意味もあるそうです。運転されていたおばあさんは、そういう願いを込めてお接待をされているかも知れません。
 それからもう一人は、静岡県から来たという60前後の女性です。その女性は今回初めてのお遍路で、歩きとバスなどもまじえて回られているようです。夕食時、5人で同じテーブルを囲みました。女性2人の名前は知りません。

 60前後の女性がさかんに「歩きは大変でしょう、疲れるでしょう」と言われるので、私が「疲れているのに眠れません」と言うと、その女性が「気持ちがハイになっているんですよ」とサラリと言われました。きっとこの女性も同じなんだと思います。何が彼女にお遍路をさせているのか、ちょっと気になりましが、お互いそういうことには触れません。落ち着いた雰囲気の女性でしたが、何かを求めてさまよっているような雰囲気がありました。
 あと6、7人ぐらいは男のグループで、遅く宿に到着して、あとで食事をされていましたので、仕事での宿泊なのかも知れません。



「土佐へ」 お遍路記 17日目 神峯寺(27番)

2021-09-27 20:02:00 | お遍路記 「土佐へ」

【17日目】 晴れのち曇り
 【札所】神峯寺(27番)
 【地域】安田町(唐浜) → 安芸市 → 防波堤歩道
    【宿】 民宿「とうの浜」 → ホテルタマイ

 昨夜は、夜8時から夜中3時まで約7時間ほど眠ることができました。
 6時半から朝食を取りました。
 午前7時20分、荷物は宿に預けて、民宿「とうの浜」を出ました。神峯寺を打ったあと、またここに戻って荷物を受け取る予定です。
 今日は神峯寺を打って、そのあと安芸市のホテルタマイまで行きます。距離数は約20キロですが、神峯寺が標高約450mあることの登り降りを考えると、実質的にはそれ以上あると思います。足のマメの具合は少し良くなりました。


●写真 7時28分  神峯寺のある山の遠景




 宿に泊まった男性2人と若い女性は、昨日のうちに神峯寺を打ち終えているので、次の札所に向かわれました。宿を出るとすぐ、60前後の静岡からの女性が、私とは違ったひとつ東の道を歩いているのが見えました。すぐに同じ道に合流して私の前を歩かれていました。するとまた違う道に行かれようとしたので、道を間違われているのではないかと思って、後ろから「道はこっちですよ」と私が言うと、「飲み物を買ってきます」と言って近くの唐浜駅に行かれました。そのあと私の後ろから来られているようです。

 山に登る途中、4人の男性グループのお遍路さんに追い越されました。学生の時の同級生だと言われてました。
 まだ遍路ころがしになる前の舗装道路で車が通れる道を歩いています。今のところ非常になだらかないい道が続いています。


●写真 7時35分  神峯寺に登る途中の聖域

何の聖域なのかは分かりません。


●写真 8時1分  神峯寺の中腹の景色




●写真 8時52分  神峯寺の山門


さほどきつくなかったのは、荷物を宿に預けていたことと、道が整備されていたことが大きいようです。今はだいぶ楽になりました。


●写真 8時55分  神峯寺の境内




●写真 8時56分  神峯寺の階段




●写真 8時58分  神峯寺の本堂




●写真 9時9分  神峯寺の太師堂



 午前9時20分頃、神峯寺を打ち終わり、そのあと納経を済ませました。
 山からの下り道で、同宿していた静岡の60代の女性といっしょになり、話ながら下りました。静岡県の浜松の女性で、私が「太平洋を見るのは珍しい」というと、彼女は静岡ですから日常的に目にされているようです。浜松は静岡県の西部なので、東にある富士山は遠くて登ったことがないとのことでした。



●写真 9時41分  神峯寺の下り




 午前10時20分、山を下りて荷物を預けていた民宿「とうの浜」に戻りました。荷物を預けていたせいか、神峯寺の遍路ころがしはそれほどでもありませんでした。女性は、ここから先は、11時4分発の唐浜駅発の土佐くろしお鉄道で、高知まで行くそうです。8日間のお遍路の日程の3日目で、あと5日間のお遍路だということでした。
 宿で荷物を受け取ったあと、その女性は「電車の時間までここで休んでいきます」と言われました。今回のお遍路で愛媛県の43番の明石寺まで行く予定だそうです。JRやバス、それから歩きを交えてお遍路をされていました。
 別れ際に、「ご一緒させていただき、ありがとうございました」と私が言うと、「こちらこそ」と言われ、「座ったままで失礼します」と言いながら丁寧にお辞儀をされました。
 名前も知らず、お遍路に来た理由にも触れず、ただ他愛もない世間話をしただけですが、道すがら話ができたことは、とてもありがたいものでした。この先は一人で歩かねばなりません。


 荷物を受け取って、民宿「とうの浜」を出発しました。天気が曇ってきました。

 早朝7時20分に民宿を出て、今10時20分ですので、山の登り降りでちょうど3時間かかったことになります。


●写真 10時21分  民宿「とうの浜」をあとにする




●写真 11時1分  コンビニで休憩


足に巻いているのはマメ対策のテーピングです。


 11時頃、国道沿いのローソンでコーヒーを買い、その店の隅の喫煙場所でタバコを吸いながら、腰を下ろして休憩しました。
 しばらくすると北側の鉄道路線を電車が通り過ぎました。さっき民宿「とうの浜」で別れた女性はその列車に乗っているはずです。
 そこに40代の女性が喫煙所にタバコを吸いに来ました。ちょっと派手な化粧の女性でした。そのときちょうど12時の町内放送のチャイムが拡声器から流れるのが聞こえました。ここはまだ高知県の安田町です。
 その女性はタバコに火をつけると「歩きでお遍路されているんですか」と尋ねられました。「はい、歩いています。もう2週間になります」と私が答えると、女性は「私たちも車でお遍路しているんですよ」と言われました。
 横浜から、80歳過ぎの車椅子の母親を連れて車でお遍路をしているということです。2~3日前に四国に来て、さっき神峯寺にお参りしてきた、ということでした。
 横浜から車で8時間かけてやって来て、それからお遍路をはじめたそうです。車椅子の母親を連れているのでゆっくり回っているのだそうです。年老いた母親を連れてわざわざ横浜から来られているのですから、いろいろな思いがあるのでしょう。タバコを消すと「道中、お気をつけて」と挨拶されて、車に向かわれました。

 妻にメールを打ちながらふと、むかし大岡越前の母が黙って火鉢の灰をつついて、男女の交わりが死ぬまで可能なことを教えたという話を思い出しました。
 還暦を過ぎると自分の老いのことが気になります。数日前には、近所の人が60代で亡くなりました。また同年代の友人の入退院の話をよく聞くようになりました。
 私の周りにもチラホラと老いの影が近づいています。
 また国道を歩きだしました。



●写真 12時14分  安芸市に入る




●写真 12時31分  安芸市の海岸




●写真 12時47分  安芸市の国道




●写真 12時49分  安芸市の海




●写真 12時56分  安芸市の漁港1


右側の山が切れたあたりに今日の宿があります


●写真 12時57分  安芸市の漁港2




 安芸市に入って土佐くろしお鉄道の下山駅を過ぎると、国道をはずれて、海岸沿いの防波堤歩道に入り、そこを1時間ぐらい歩きました。



●写真 13時2分  防波堤歩道沿いの海岸




●写真 13時2分  防波堤歩道沿いの海岸




●写真 13時8分  防波堤歩道沿いの海岸




●写真 13時11分  防波堤歩道沿いの海岸




●写真 13時18分  防波堤歩道沿いの海岸(後ろを振り返る)




●写真 13時18分  防波堤歩道沿いの海岸




●写真 13時23分  防波堤横の花




●写真 13時24分  防波堤横の花


道脇の花が目につきます。室戸岬までは花どころではありませんでしたが、ここ数日、花を見てキレイだと思うようになりました。

行き行きて 浜ひるがおの 青さかな



●写真 13時33分  防波堤歩道沿いの海岸(前方)





●写真 13時33分  防波堤歩道沿いの海岸(後ろを振り返る)




 妻からメールがあり、私の妹が家に遊びに来て、母を連れて食事に行ったそうです。妹はまだ私が四国にいることに驚いていたようです。いつまで四国にいるつもりなのかと。
 母が若い頃、門付けのお坊さんに米一皿を渡していたのを思い出します。私に門付けができるだろうか。



●写真 14時7分  伊尾木川の橋(前方)




●写真 14時8分  伊尾木川の橋(北方)




 伊尾木川を渡るとすぐに安芸川があり、その二つの川を渡って安芸市の市街地に入りました。


●写真 14時18分  安芸川の橋(前方)




●写真 14時19分  安芸川の河口(南方)




●写真 14時19分  安芸川の上流(北方)




●写真 14時30分  ホテルタマイ


中央の看板の人物は、三菱創始者の岩崎弥太郎。ここ安芸市の出身です。


 午後2時半、安芸市のホテルタマイに着きました。ホテルタマイは安芸市役所のすぐ東隣で、国道55号線沿いにありました。安芸市役所には三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の大きな看板がありました。
 電話でチェックインの時間は午後3時からと聞いていたので、荷物だけ置かせてもらおうと思って入ったら、入室オーケーということでした。
 チェックインをしながら「岩崎弥太郎の住居跡にはどう行ったらいいですか」とフロントの男性に尋ねると、「ローカルバスがありますが、どこが停留所なのかわかりません」と言いながら、パンフレットを持ってきてくれました。ここから5キロ北に行ったところで、タクシーで行くしかないようです。そこは北にある山の麓の集落で狭い田舎道を入っていくようです。

 このホテルは素泊まりだったので、チェックインを済ませて、ホテルの横のコンビニに今日の夕食と明日の朝飯を買いに行きました。それから洗濯物を1階のコインランドリーに入れました。洗濯と脱水が同時できる洗濯機で600円でした。いつもよりちょっと高かったです。

 けっこう大きなホテルで、部屋は8階で安芸市がかなり見渡せるました。西の方だけが壁にふさがれて見渡せません。安芸市は南が太平洋で、三方を山にいる囲まれていますが、けっこう広いくて豊かな平野のようです。

 ホテルのすぐ北側には土佐くろしお鉄道の安芸駅があります。駅とホテルの間は住宅地です。所々にまだ畑が残っています。その先の駅の北側は畑と水田が広がっています。北の山の奥行きは、ここから5~6キロぐらいで、岩崎弥太郎の住居跡はその山の麓の奥まったところにあるようです。

 ここ安芸市には武家屋敷跡もあるようですが、一度ホテルの部屋に入ると疲れて外出する気になれませんでした。部屋で久しぶりにゆっくりとテレビを見ました。

 室戸岬を過ぎてからは歩く景色がやや違って見えます。室戸岬まで人の住まない海岸道を歩いたからか、町中が人一倍懐かしく感じます。人の温もりというのはあるんだと思いました。

 人がつくる町の空気は、人のいない無人の場所とは違います。室戸岬への海岸道を歩いた緊張感に比べると、どこかホッとしながら歩くことができます。足のマメが痛くて疲れるのは同じですが、安堵感が違います。マメはそれ以上悪化することはなく、かといって完治することもなく、痛みが続いていますが、歩けないほどではありません。
 今日は眠れるだろうか、そのことが気にかかります。まだ頭の芯のどこかが冷めているのが分かります。不思議と眠くなりません。眠っても、起きているような浅い眠りです。
 疲れているのに眠りに落ちるのを何かが邪魔しています。眠ってもすぐ目覚めます。眠りながら、眠れ、眠れと言っている自分が分かります。熟睡できず疲れがたまっていますが、それでも歩けてしまうのです。
 何か変です。1日20キロ歩いた経験など、今まで数えるほどしかありません。1日歩いただけでもヘトヘトでした。それを毎日続けています。眠ることができず、体調も悪く、足も重いのに、それでも何とか歩けてしまいます。別に自分の体力が強くなったわけでもないのに、どうもいつもと違うようです。



●写真 14時30分  安芸市の町




●写真 15時22分  ホテルから北




●写真 15時22分  ホテルから北東




●写真 15時23分  ホテルから東南


右側は太平洋


●写真 15時23分  ホテルから東




●写真 15時23分  ホテルから南




●写真 6時47分  ホテルから北


この奥まったところに岩崎弥太郎の生家があるようです。



平戸田助ハイヤ節

2021-09-27 11:42:33 | 身体

平戸田助ハイヤ節



文久~慶応(1861~68)の頃、薩摩の西郷隆盛、長州の高杉晋作・桂小五郎、肥前の大隈重信が、
ここ平戸田助の廻船問屋「スギ屋」の主人「多々良こうへい」の計らいで、密かに会合を持ったと言われています。(歴史には記されていないようです)

事実だとすれば、薩長連合(1866年)の直前の1864~65年頃だと思います。
北前船は、日本海から瀬戸内海に入るだけでなく、平戸から牛深をとおって、鹿児島まで南下していたようです。


徳島 阿波踊り

2021-09-27 10:42:11 | 身体

徳島 阿波踊り



上体が激しく揺れる躍動感ある熊本県天草の「牛深ハイヤ踊り」から、
上体がほとんどぶれない(軸のぶれない)四国の「阿波踊り」(女踊り)へと変化していきます。

この変化は決して古いものではなく現在進行形です。決して伝統芸能でも、完成されたものでもありません。
船乗りたちの文化と、町衆や農村の文化が融合していったようです。