ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

民主主義国家は、国民ではなく資本で成り立っている

2018-12-31 00:42:20 | 旧世界史12 20C前半

月曜日

民主主義下では、大企業がその資金力によって政治家を政界へ送り込むようになる。
そして選挙が金で動くようになる。
選挙活動に強い政治家しか政治家として生き残れなくなる。

政治家が選挙によって選ばれるに従って、巨大企業が発展してきた。

民主主義の歴史は、大企業の発展の歴史である。
民主主義下の政治家は、大企業の信頼無くしては生き残れない。

政治家は不安定な仕事である。リスクも大きい。
自らの職業的安定のためには、政治家は大企業に頼らざるを得ない。

民主主義下で職業政治家となるためには、大企業とのパイプがなければならない。
だから政治権力が、大企業の経済支配と一体のものになる。

民主主義は表面的には庶民の政治である。
しかし多数の庶民にはお金はない。
お金のありかは少数の大企業である。

選挙の前には様々なウソが流布される。
庶民はそのウソに従って投票する。
大きなウソほど庶民は騙される。
マスコミの役割はそこにある。

資本主義が必ず民主主義なるとは限らないが、
民主主義は必ず資本主義になる。
政治家が、マスコミに抵抗しようとしない場合、民主主義は最も劣悪な政治になる。
しかしそのことは大企業にとって、最も都合のよい政治である。

政治家には国境があるが、大企業には国境がない。
大企業は国をまたいで活動することができる。
そしてやがて大企業は国を出て行く。

そうなると国をまたいで活動する多くの多国籍企業の利益は、だんだんと一致するようになる。
多国籍企業は、タックスヘイブンに本拠を移し、国に対して税金を払わない。
にもかかわらず税額に比して少額の政治献金で、国を操ることができる。

大企業にとっては、税金を払うよりも、少額の政治献金のほうが遙かに効率がよい。
大企業は私企業であるから、国民の監視の目は届かない。
カルロス・ゴーンの不祥事は、これから多くの大企業で起こることである。
さらに困ったことには、世界には、いくら不実を働いても、決して表面化しない企業がある。
平成30年間の日本で起こったことは、その典型である。
日本の主権は、日本の庶民にはない。

マスコミには必ず大きなウソがある。
そのウソを見つけることが、大事である。
それが民主主義の質である。
「民主主義は最悪である。しかし今までのいかなる政治よりもマシだ」というチャーチルの言葉は当たっている。
民主主義国家は、国民で成り立っているのではなく、資本で成り立っている。


日中韓は、「分断して統治せよ」

2018-12-28 11:31:35 | 旧世界史14 1970~

金曜日

国際連合の思想は、集団的自衛権の思想である。
これに対してトランプのアメリカファーストは、孤立主義の思想である。

イギリスからアメリカの覇権へと続く20世紀の歴史の中で、
世界の集団的自衛権はイギリスとアメリカのアングロサクソンを中心に構想されてきた。

そのアメリカは、いま世界のまとめ役の地位を降りようとしている。
アメリカにはそれだけのお金がない。
イスラム国からの撤退もそれが理由である。

没落するアメリカはどうしても日本のお金が必要である。
日本はアメリカの金づるである。
だから日本を手放さない。

しかしそれは日本と同盟するためではない。
アメリカはたんに日本のお金が欲しいだけである。

平成30年間の日本のむしり取られ方はすさまじい。
先日の日経新聞(12/23日)にも出ていたが、アメリカのシニア層の資産はここ20年間で3倍にも増えている。それに対して日本はまったく増えていない。いや本当は減っている。
こうやって日本の資産はアメリカに流れている。
我々が働いても働いても暮らしが楽になるどころか、日に日にジリ貧に陥っているのは、このためである。

アメリカはそういう金づるの日本がアメリカから離れることを何よりも嫌っている。
お金のために犠牲になった日本の政治家が何人いることか。
でもこういうことを言うと、日本人は逆に恐れをなして、ますます口をつぐむことになるから、いっても無駄である。
しかしアメリカは、そのことを良いことに、どこまでも日本をむしり取る。
抵抗しない相手には情け容赦なく、追い打ちをかけるのがアメリカ流である。武士の情けなどありはしない。そのことを日本人は勘違いしている。

しかし、そのことに腹を立てている日本人はいる。
政治家の中にもそういう人はいる。
アメリカが恐れるのはそういう人間である。
彼らが東アジアを一つにまとめようとすることを、アメリカは何よりも恐れている。

だから、日本と中国が手を組むことはない。
日本と韓国が手を組むこともない。
アメリカにとっては、東アジアの国同士が手を組むことなどあってはならないのだ。
日中韓は特にそうである。
『分断して統治せよ』
ヨーロッパのこの原則は、今も昔も変わらない。

しかし言い古された言葉でありながら、これに気づく人は少ない。
歴史的にそうであり、今現在もそうである。
なぜ日本人は、戦前と戦後を別のルールで動いていると、勝手に思い始めたのだろうか。
これほど簡単な事実を、自分とは関係のないことだと思っている。

このことに気づかなければ、日本はこのままジリ貧を続けるだろう。
日本の豊かさは昭和で終わっている。

日本人の従順さが今ほど手玉に取られているときはない。

日本は誰も助けてくれない。
アメリカも中国も。
そんな時代ではない。

ただ日中韓が分断されれば、それはアメリカにとって最も都合の良いことだ。
中国が悪い、韓国が悪い、それはそれで一理あることだ。
しかしもっと上の全体的な世界構図を眺める目がなければ、アメリカの思うつぼである。


グローバリズムは、世界社会主義

2018-12-26 20:35:25 | 旧世界史12 20C前半

水曜日

一つの独占資本が国家全体を支配すれば、それは国家独占資本主義となる。
それは共産党による一党独裁しか許さない社会主義と同じことである。
しかしこの一国社会主義の考え方は、最近になって登場したものであって(スターリンの一国社会主義)、もともとの社会主義思想は世界革命論と一体のものであった。

マルクスの主著が「資本論」であるように、資本は世界革命に向かう。
人には国境があるが、資本には国境がない。資本にとっては国境があっては困るのである。
世の中を資本から読み解こうとすれば、必ず世界革命論になる。
そこから排除されているのは、人間の姿である。
そして現代の経済学は、この生身の人間の姿を排除することが、もっとも合理的だとされている。

資本の姿とは、資本主義であろうと社会主義であろうと、一つしかない。
どこから上ろうと、資本から考えている限り、山の頂点は同じである。そこから見える世界の景色は同じ景色である。
それはたぶん冷たい氷のような景色であろう。

アメリカの金融資本や多国籍企業が求める「グローバリズム」とは、社会主義が求める世界革命と同じである。
ソ連はスターリンの一国社会主義によって世界革命を実質的に放棄した。そのことがソ連崩壊の理由である。
グローバリストにとって、「一国」ではダメなのである。彼らが資本を考えている以上、必ず目標は「世界」でなければならない。
しかしそれは恐ろしい世界であろう。それはたぶん国家独占資本主義以上の悲惨な世界である。

1920年代、第一次世界大戦のどさくさの中で、世界は二人の政治家によって、世界革命を目指した。
一つは、レーニンによる世界初の社会主義国家ソ連(1922年)の成立である。そしてそれは世界革命に発展するはずであった。
もう一つは、アメリカ大統領ウィルソンによる国際連盟(1920年)の設立である。
前者は暴力の力によって、後者は金融の力によって。
しかし目指すところは同じである。


ローマ帝国の略奪性は何に由来するか

2018-12-26 20:02:08 | 旧世界史5 古代ローマ

水曜日

ローマ帝国の性格は、滅亡時に略奪的であったのではなく、発生当初から略奪的である。
当初のローマ世界は多神教であり、キリスト教のような一神教ではなかった。
逆にキリスト教は当初、ローマ帝国から弾圧を受けた宗教であった。
滅んだときのローマ帝国は、キリスト教国家であったが、
それは4世紀にはじめてそうなったのであった。
従って、ローマ帝国の略奪性を、にわかにキリスト教に求めるのは無理である。

しかし、ヨーロッパがキリスト教になったあとに生まれる近代ヨーロッパ社会が、キリスト教ではなかったローマ帝国と同じ略奪性を持って誕生したのは、どういうことなのか。

ヨーロッパの略奪性は、何に由来するのか。
1.古代ローマ帝国の略奪性の原因は、宗教的なものではなく、その地域性や社会性に求められる。
2.しかし近代ヨーロッパ社会の略奪性は何に求められるのか。
16世紀の宗教改革によって、ヨーロッパ社会は、キリスト教の古い衣を脱ぎ捨て、古代のギリシア・ローマ世界への回帰を目指した。
しかしそれは同時に、キリスト教の原型であるユダヤ教への回帰を同時に目指していたことが、忘れられている。

そして略奪性の強いギリシア・ローマ世界の特徴と、選民思想を持つユダヤ教徒が結びつくことによって、ますます略奪的な西洋近代社会が発生したと考えられる。

ユダヤ教のもつこの強い選民思想も、強い略奪性の裏面として生まれたものである。
キリスト教は略奪性の裏面として富の否定に向かったが、ユダヤ教はそうではない。

そこまで富に執着する一神教とはいったい何なのか。
東洋の思想には、いくら富を集めても、そこに「無常」を感じる良識が隠されているが、富の力によって「救い」を得られるとする西洋の近代思想にはいったい何が埋め込まれているのだろうか。

富の力によって自分の人生を肯定する力とは何なのか。
富がどうやって永遠と結びついてるのか。
それは東洋の知恵を破壊するものではないのか。
自分だけが生き残った世界を肯定する力とは何なのか。
たった1人でこの世界に住みたいのだろうか。
大きな謎である。


ローマ帝国、その非永続性2

2018-12-26 12:52:18 | 旧世界史5 古代ローマ

水曜日

武力の目的は武力そのものにあるのではない。
それは富の収奪のためである。

逆にいうと、富の収奪の方法は軍事行動ばかりではない。
富を奪う方法は他にもある。

金融はその富の収奪の新たな方法である。
今の金融世界は、パソコン上の電子空間の中にある。

誰にでもできる売り買いの世界の中で、他人の富を収奪していく方法は、その情報量の差にある。
公平な金融取引というのは、甘いささやきに過ぎない。
金融界は決して、公平でもなく、平等でもない。

ここ5年間の日本の株式相場はその良い例である。
ここで取引している人は日本人ではない。
日本人の投資家は、日本の株式相場から撤退している。
このことは日経新聞でも報道されたことで、決して怪しい情報ではない。
日本の株式相場は日本人投資家がその市場から撤退していく中で、上昇していった。
では誰が日本の株を買っているのか。
それが外国人投資家というプロの投資家である。

このプロの投資家がうごめく日本の株式相場の中に、政府は素人の日本人を入り込ませようと躍起になっている。
何も知らない日本の素人の投資家が、欧米のプロの投資家集団に勝てるわけがない。
そうやって、日本の投資家は富を収奪されていく。

日本の株式相場にはウソがある。
このような空間が日本のあちこちにある。
またそれを政府やマスコミがたきつけている。
富は無限に拡大するものではない。
富の収奪は限られた資源の奪い合いといっしょである。

このような金融空間に少しでも多くの人を参入させようとすることは、
ローマ帝国が少しでも多くの領土を獲得しようとして、周辺に領土を拡大し続け、それが限界に達すると同時に自滅していったのと同じである。


ローマ帝国、その非永続性1

2018-12-26 12:22:16 | 旧世界史5 古代ローマ

水曜日

帝国の自滅。
略奪国家は、その永続性の点で矛盾を抱えている。
その代表的な例がローマ帝国である。
ローマ帝国は、周辺に領土を広げ、そのたびにその属州から多くの富を略奪していった。
そしてその領土的拡大が限界を迎えたときに、それと同時に富の収奪も限界となり、ローマ帝国は内部から滅んでいった。
ゲルマン民族の移動はその付け足しである。
またはその本質を覆い隠すための煙幕である。

他人が生産したものを略奪し、それで食う人間が増える。
そして彼らが富を集積するようになると、生産する者が貧困に落とし入れられる。
するとやがて社会は富を生まなくなる。

ローマ帝国は自分で富を生まないばかりか、他人の富を強奪することによって富を蓄えていった。
しかしそれには必ず限界が来る。
領土の広がりの限界が、ローマ帝国の限界である。
領土は無限に拡大できるものではない。
そういう意味でローマ帝国には、永続可能な発展の余地がなかった。
これはヨーロッパ文明に多く見られるパターンである。

ローマ帝国の滅亡から、1500年の時を経て、
新たにヨーロッパに起こった近代社会も、実はそれと同じ矛盾を抱えている。
ヨーロッパ列強の植民地獲得は、ローマ帝国の領土拡大と同じ矛盾を内包している。
産業革命は技術上の問題であり、社会システム上の問題ではない。
1500年ぶりに再現された近代社会は、実はローマ帝国の論理と同じものである。
植民地に資本を投下して、現地の富を収奪するのである。
教科書的には、物を販売するための市場を求めてとなっているが、そうではない。


20世紀は、米ソ対立ではない

2018-12-18 11:12:39 | 旧世界史12 20C前半

火曜日

戦後の米ソ対立とは何だったのか。
本当に資本主義と社会主義の対立だったのか。

19世紀に、グレートゲームといわれたのは、イギリスとロシアの対立であった。
しかし1914年の第一次世界大戦は、イギリスとロシアの対立にはならずに、イギリスとドイツとの戦いであった。
ロシアはイギリス側についた。
しかしあっけなく1917年のロシア革命で滅んだ。
ロシアが滅ぶと同時にアメリカはイギリス側について、ドイツとの戦いに参戦し、ドイツは滅んだ。

この第一次世界大戦で、イギリスに代わってアメリカが世界の覇権国になったが、
次の第二次世界大戦も、イギリスとドイツの戦いであった。
ソ連もイギリス側につき、ドイツと戦った。
この時もアメリカはイギリス側につき、ドイツを滅ぼした。

こうやってドイツは二度滅ぼされた。

世界はイギリス中心に回っている。
そのイギリスは大きなところでは、いつもドイツと戦っている。
そして仲の悪いロシアを味方に引き入れている。
そしてドイツが滅ぶと、その後でロシアを滅ぼしている。

この戦いに損な役回りを演じているのが日本である。
イギリスは、1904年の日露戦争で、極東進出を狙うロシアに対して日本を戦わせ、ロシアを極東進出から、バルカン半島進出に矛先を変えさせている。
そのことはオスマン帝国との協力関係を深めるドイツに対して、バルカン半島に南下しようとするロシアを戦わせることになる。
いわゆるパンゲルマン主義と、パンスラブ主義の対立である。
1914年のサラエボ事件で、ドイツとロシアが戦い始めると、イギリスはロシア側について、ドイツと戦い、これを滅ぼした。

つまりイギリスは、日露戦争で日本をロシアと戦わせたように、
第一次大戦ではロシアをドイツと戦わせたのだ。

イギリスはいつもこのように敵同士を戦わせ、体力を消耗させた後、生き残ったほうをさらに叩くという方法をとってきた。
ロシアは体力を消耗し、国内の反政府活動が活発になったところで、ロシア革命が起きて滅んだ。

第二次大戦後も、米ソ対立とあれほど言われながらも、1991年、ソ連はウソのようにあっけなく滅んだ。
イギリスからアメリカへと覇権は変わっても、アングロサクソンであることに変わりはない。
イギリスとアメリカはアングロサクソンである。
それに対してドイツはゲルマンである。
そしてロシアはスラブである。

ナポレオンの前までは、ヨーロッパの中心はドイツであった。これが約1000年続いた神聖ローマ帝国である。ドイツはこの伝統を受け継いだ国である。
このゲルマンの国の復活を、イギリスとアメリカというアングロサクソンの国は、嫌っているように見える。

敵と敵を戦わせ、味方を増やす。
イギリスの戦法はこれである。

日本はこれにうまくしてやられ、1902年に日英同盟を結んだ。
この同盟を対等同盟などと信じるほうがどうかしている。
これはいまの日本とアメリカの関係と同じである。日米同盟と同じである。
いまの日米同盟が、対等でないことは誰の目にも明らかである。
いや、そんなことはない、日米は対等だ、と言う人がいれば、それはおめでたい人である。
日本はイギリスに利用されただけだ。

これ以上、利用されるのはイヤだといって、日本は太平洋戦争を戦ったが、無残に敗れた。
ロシアも同じである。ロシアはイギリスに利用されただけだ。

19世紀のイギリスとロシアの対立をグレートゲームというのは、イギリスにとってそのほうが都合がよいからだ。
イギリスはドイツとの対立を隠したいのだ。

第一次大戦も第二次大戦も、なぜそうなったのか、なかなか分からない戦争である。
しかしその背景には、イギリスとドイツの対立が隠されている。これこそが20世紀を貫くグレートゲームである。
ロシアはそのあだ花である。イギリスとロシアの対立は、イギリスとドイツとの対立を隠すためのカモフラージュである。
イギリスはロシアを利用することしか考えていない。利用するぶん利用して、あとで捨てればよい。ロシアに覇権を奪われるなどとは思っていない。
覇権を奪われる恐れがあるのはドイツである。

20世紀の終わりになって、中国はソ連を潰すために利用された。
そのために中国は、急速な発展を強いられた。
中国の人民元は、為替価値を約十分の一に落とされ、その人民元安のもとで急速に輸出を伸ばした。
その中国にドイツが急速に接近している。
いまドイツはEU(ヨーロッパ連合)の盟主であり、アメリカのドルに対する対抗通貨ユーロを発行している。
しかしイギリスはそのEUから離脱しようとしている。

やはりアングロサクソンのアメリカと、ゲルマンのドイツとの対立なのだ。
この構図は100年以上変わっていない。

ロシアも、中国も、そして日本も、この構図の中で利用されているに過ぎない。
いま中国は第一次大戦の時のロシアの役回りを演じようとしているのか。
日本はいま集団的自衛権をうかつに行使しない方がよい。
アベシンゾーは、第二次大戦に翻弄された松岡洋右の役回りを想起させる。
歴史は繰り返すのか。


バブル崩壊とソ連崩壊

2018-12-13 12:00:07 | 旧世界史14 1970~

木曜日

ソ連が崩壊して、アメリカにとって日本が不要になったから、日本の景気が悪くなったのではない。
アメリカはソ連を崩壊させるために日本の資金を利用した上でソ連を崩壊させ、さらにソ連が崩壊したことによって日本が不要になったから、ますます日本の骨の髄までしゃぶった。
これが平成30年間に起こったことである。

バブル崩壊は1990年。
ソ連崩壊は1991年。
連続して起こったこの2つのことの因果関係は、なぜか日本では話題にならない。

しかし、
1989年 ベルリンの壁崩壊。
1990年 日本のバブル崩壊。
1991年 ソ連崩壊。
1992年 欧州連合(EU)成立。

これらはすべてつながっている。
日本のアメリカへの接近と、ドイツの離脱。
日本では肝心なことが議論されないが、年表を眺めただけで「何かある」と思うのは当然のことだ。
隠しようもないことに、気づかないだけなのだ。


1980年代後半の日本のバブル経済は、アメリカによって引き起こされ、膨張した資産はアメリカに流れた。
その資金によって、アメリカは軍事力を増強し、「スターウォーズ計画」などのソ連との軍拡競争に乗り出していった。
その軍拡競争の果てにソ連が崩壊した。
それで日本の資産膨張は用済みとなり、同時にバブルは崩壊した。

そして日本そのものがアメリカにとって用済みとなった。
日本はドイツと違って、アメリカの一強体制のもと、なすすべもなく立ち尽くした。
それどころか、そのアメリカの一強体制にすり寄る人間が、日本の政界・財界に多数現れた。
これが平成30年間に起こったことである。

平成は謎だらけ、理不尽なことだらけである。
ウソの説明がまかり通った「平成」の御代の次に、どんな時代が来るのだろう。


村の神事での会話

2018-12-09 20:27:42 | 歴史

日曜日

私の集落には、200年以上続いた村の神事がある。
神事は神事で行ったあとに、その後の酒席になると、妙に生々しい話になったりする。

その酒席で話していたら、仕事の話になって、
何か講演会があったときに、講演会を聞く前から、事前質問の受付があって、その質問意外には当日の質問を受け付けないことが広く行われていることが話題になった。

誰かが言った。
「講演会を聞いての質問なら分かるが、講演の話を聞く前から、質問を先に聞いて、当日の質問を受け付けないのはどういうことだ。話を聞かなければ何を質問して良いか分からないだろうに」

そうすると、誰かが、
「結局、質問させたくないんだ」と言った。

私は、なるほど、これは至る所で起こっていることなんだと思った。
私の周りもそうである。

事前質問以外は受け付けられない。
話を聞かなければ、質問も浮かばないはずなのに、話を聞く前から質問だけを出せと言われる。
その結果誰も質問しない。
お通夜のような講演会が続いている。

講演会の話を聞いて、その場で疑問が浮かんでも質問できない。

言いたいことを言いたいだけなのだ。
質問などしてもらったら困るのだ。

こういう講演会に何の意味があるのか。


人はもともと損得には興味がない

2018-12-08 00:28:25 | 歴史

土曜日

人はふつう損得で生きている。
しかし時に善悪で考える人間が出てくる。
また何が善で、何が悪か、そんなとほうもないことを考える人間が出てくる。

そして時として、損得よりも善悪が優先される時代が出現する。
それはもともと人間が損得を嫌う動物であるからだ。

「衣食足りて、礼節を知る」とはそういうことだ。
しかし今は衣食足りても、足りても、もっと衣食を求める時代である。
そんなことに、もともと人は興味がない。

人が衣食を求めるように見えるのは、方便である。


人間、この矛盾に満ちたもの

2018-12-08 00:01:51 | 歴史

土曜日

人間はもともと矛盾に満ちている。
それを解決する能力もない。
せいぜい、つぎはぎの努力ができるだけだ。
人間の歴史は、このつぎはぎの努力の産物である。
人間の脳も、この歴史を追いかけるように、つぎはぎの連続で進化してきた。
だから人間は普通は、目の前のことを考えるので精一杯である。

しかし時に、例外的な人間が出てきて、100年先、200年先のことを考えたりする。
それは目の前の現実としては無駄である。
しかし、こういう例外的な人間の存在無くしては、人間は生き延びることができなかったのではないか。

人間は果てしなく矛盾を作り出していく動物である。
しかし、時としてそれに警鐘を鳴らし、歴史の中に埋もれていく人間が散見される。

何の役に立つか分からない疑問に対してとことんつきあうこと、
そしてそれに人生の大半のエネルギーを費やすこと、
この能力が人と他の動物を分ける。

そして次には、歴史に埋もれながら100年先、200年先のことを考えた人間がいたことを発見する人間が出てくる。
古典を学び、歴史を学ぶとはそういうことではなかろうか。


人は無駄の中で生きている、喜びも悲しみも

2018-12-07 23:42:18 | 歴史

金曜日

お金にならない根源的な話こそが大事。
それは経済効率とは関係ない。
経済効率は無駄を省くことを求めるが、学問とはそもそも無駄なもの。
その無駄の中からいかに多くの真実をつかみ取ってきたか。
真実は無駄の中からしか生まれない。
疑問があればとことんまで。
それが何の役に立つかは関係ない。
それを見失えば、人間はいずれ人間ではなくなる。

歴史を作ってきたのは経済効率ではない。
経済効率とは別の真実がある。
むしろ人間は経済効率を嫌ってきた。
経済効率を求める経済学が、経済を予測できないのはそのためである。