※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。
第二次世界大戦が終わりました。日本には原爆が落ちました。
日本史のことを言うと、この図が日本の占領地域の最大領域なんですが、東南アジアは、ほとんどヨーロッパの植民地だったんです。日本がこれだけ占領したということの裏には何があるか。一旦全部イギリスもフランスもオランダも、日本が追い出したんです。
でも日本が負けたから、イギリスが戻ってきて植民地を続けようとする。フランスが戻ってきてまた植民地にしようとする。オランダが戻ってきてまた植民地にしようとする。しかし現地の人たちは、日本軍に追い出された彼らの姿を見ていました。
第二次世界大戦が終わりました。日本には原爆が落ちました。
日本史のことを言うと、この図が日本の占領地域の最大領域なんですが、東南アジアは、ほとんどヨーロッパの植民地だったんです。日本がこれだけ占領したということの裏には何があるか。一旦全部イギリスもフランスもオランダも、日本が追い出したんです。
でも日本が負けたから、イギリスが戻ってきて植民地を続けようとする。フランスが戻ってきてまた植民地にしようとする。オランダが戻ってきてまた植民地にしようとする。しかし現地の人たちは、日本軍に追い出された彼らの姿を見ていました。
日本とドイツは負けて世界は平和になるかというと、アメリカ側にソ連がついたるということが火種になっていきます。アメリカとソ連は経済体制が違う。これは政治経済でもいいました。
資本主義の親玉がアメリカ、社会主義の親玉がソ連です。今から見ると、こういう水と油の経済体制でアメリカとソ連がなぜ手を組んでいっしょに戦えたのかということのほうが、かえって理解しにくいところです。戦後対立することは分かっていたろうに、という感じですが、全くその通りになっていくんです。
【ドイツ分裂】
ドイツは分断されて一番被害を被ります。分断されたこのドイツが、半世紀後の1990年に統一されてまた一つのドイツになった。それでも第一次世界大戦前からみるとだいぶ小さいです。今のドイツはこれです。
ドイツはそこに至るまで、ドイツの首都ベルリンには東側からはソ連が攻めて来る。西側からはノルマンディー海岸に上陸したアメリカ軍が攻めてくる。それにくっついてイギリス軍も入ってくる。フランス軍も入ってくる。
ということで、ドイツのベルリンはここにあるんですが、ドイツ自体もソ連に占領され、アメリカに占領され、イギリスに占領され、フランスに占領される。さらに首都ベルリンもソ連に占領され、アメリカに占領され、イギリスに占領され、フランスに占領される。それでこんなバラバラになっている。
ベルリンは、ソ連占領地域の中にこうして飛び地みたいにしてあります。変な格好です。よく間違うのが、ベルリンというのはちょうどこの国境の真ん中にあって、そこをベルリンの壁で分断されていた、と勘違いしている人がいますが・・・これが分かりやすいけど・・・そうじゃないです。ソ連の領域の中にベルリンという首都があって、つまり今の日本の中に東京があるようなものですけど、その東京が四つの国によって分割されているような状態なんです。
▼ドイツ分割
アメリカの占領地域である西ベルリンもソ連は本当は全部取りたいんです。だからソ連は、西ベルリン側を援助しない、物資を輸送しない、パンとか米を輸送しない、ということをやった。これがベルリン封鎖、1948年です。
このままだったら、西ベルリンに住むドイツ人は飢え死にしてしまう。アメリカはどうしたか。周りはソ連の領域だから陸上での貨物輸送はできません。トラック輸送できない。だから空から落とすんです。つまり空輸です。これにはソ連もビックリして、いずれ封鎖を解くんですけど、この対立はそのまま続いていく。
そしてそれまでのドイツは翌年の1949年には分裂して、いわゆるアメリカ側の西ドイツと、ソ連側の東ドイツに分断されてしまう。
ドイツ連邦共和国が西ドイツです。東ドイツはドイツ民主共和国です。そして東ベルリンから西ベルリンに行かないように、1961年に壁をつくるんです。人の移動を禁止する。これがベルリンの壁です。これはこの後約30年間ずっと、人の移動を阻んできました。
1990年のドイツ統一というのは、このベルリンの壁が崩れることによって実現されたものです。
【東西冷戦】
第二次世界大戦が終わっても、世界は半分は戦争状態です。いつでも戦争できるように、ソ連グループとアメリカグループにほぼ世界が割れるんです。
アメリカグループはNATOという。漢字でいうと北大西洋条約機構です。結成は1949年です。戦争終わって4年しか経っていないのに、もう次の戦争の準備をしている。
それに対して、相手がやるんだったら俺たちだってやると、同じ年にCOMECON、これはソ連側です。経済相互援助会議という。これをつくる。経済という名前がついているように、社会主義圏の経済をソ連が応援する。アメリカのマーシャルプランというアメリカの経済援助に対抗する形で。
さらに軍事的にはワルシャワ条約機構です。こうやってソ連とアメリカがそれぞれグループを作って敵対しだした。
イメージとしては、大砲がどっちを向いているか。アメリカの大砲はベルリンから東側を向いている。それに対して東にあるポーランドの首都のワルシャワからは、ソ連の大砲が西側を向いている。こういう状態でにらみ合いが続いていく。
▼第二次世界大戦後のヨーロッパ
戦争が終わってすぐにこういう状態になっていく。結局なんの解決にもなってないじゃないか、ということなんです。
ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国、連邦と民主が違うだけで、民主がついている方が実は民主的じゃなかった。
北朝鮮だって、国家トップが世襲制で受け継がれている国が、朝鮮民主主義人民共和国と民主主義がついています。だから名前の通り受け取ったらダメなんです。
【アジアの独立】
では日本がイギリス、フランス、オランダを追い出したアジア諸国をザッと見ます。下の地図からいきます。
まず日本がオランダを追い出した地域インドネシアです。ここはオランダの植民地だった。戦後、オランダが日本が負けたから戻って来ようとすると、インドネシアは入らせないという。独立戦争です。4年間戦って独立を勝ち取る。インドネシアがオランダに勝つ。10年前だったら考えられないことですけれども、戦争の前と後でこんなに変わります。この独立運動のリーダーがスカルノです。この人の嫁さんが誰だったか。今はテレビタレントになっている。デヴィ夫人です。よくテレビに出てる。この人の嫁さんです。
次はフィリピンです。ここはアメリカの植民地だった。ここは独立します。アメリカは独立を認める。しかし政治・経済に支配力を維持する。親米大統領マルコスというのが約20年ほぼ独裁政治をして、そのあと民主革命が起こって逃げていった。そこまで行くのに20年ぐらいかかります。
次はインドです。これはあとで言いますけれど、ここはイギリスの植民地だった。ここはいろいろモメますが、独立します。
次はミャンマーです。昔はビルマといった。ここもイギリスの植民地だった。ここも独立する。
次はカンボジアです。インドシナ半島にある国です。ベトナムの西側にあります。ここはフランスの植民地だった。カンボジアもフランスの植民地だった。ここも独立していく。
次がベトナムです。フランス植民地のメインであった。だからフランスはここを独立させまいとして必死で戦う。だからこのあとでアメリカに応援してもらうんです。ここからが泥沼の戦いです。決着がつくまでに、延々とこのあと30年かかります。米軍がとてつもない枯葉剤とか、遺伝子まで組み替えるような毒薬をまいて行きます。そういうアメリカの戦闘機が飛び立つ基地が、実は沖縄の米軍基地なんです。
最後にマレーシアです。ここもイギリスの植民地だった。ここは独立するまでに10年ばかりかかりますが、1957年に独立します。
10年たってふと見わたすと、東南アジアからほとんどの植民地は無くなった。欧米列強は、本当は植民地に独立させたくなかった。だから戦争せざるをえなかった。彼らは日本軍から追い出された。それを見て現地の人は、オレたちも戦ったらできかもしれない、と思った。そして独立を勝ち取った。そのきっかけになったのが、日本軍が欧米各国の軍隊を東南アジアから追い出したことです。現地の人たちは彼らが逃げていくのを見た。絶対的存在だとそれまで思っていたヨーロッパの兵隊たちが逃げていった。それを見ていた彼らは、オレたちにもできると思った。
【インドとパキスタン】
では問題はインドです。あの巨大なインド。インドは宗教が二つあった。ヒンドゥー教とイスラム教です。彼らは一緒に独立することができなかった。ヒンドゥー教徒はインドをつくり、イスラム教徒はパキスタンをつくって別々に独立した。だからこの二つは今に至るまで非常に仲が悪い。これが他人事でないのは、核を持ってるからです。まずインドが核を持つと、パキスタンは、隣に核を持ったら恐ろしくてたまらないからオレも持つんだ、といって核保有国になった。
アメリカはそれに対して何も言いません。なぜか。アメリカはインドを押さえるために・・・インドはソ連寄りでした・・・パキスタンを利用しているようなところがあります。パキスタンに核を認める一方で、イランや北朝鮮に対しては厳しく核を禁止しています。
アメリカは自分の都合で核を黙認したり、逆に禁止したりしています。第一次大戦中のイギリスの二枚舌外交はこういうところに引き継がれています。こういうのをダブル・スタンダード(二重基準)と言って、武力を持つ大国がよく使う手です。
インドの中心はヒンドゥー教徒です。彼らは、イスラーム教徒ともまとまって、いっしょに一つのインドで独立したかった。インドは大国だからアメリカとの仲はあまりよくないです。イギリスから独立しようとするから、イギリスとも仲が良くないです。だからアメリカ・イギリスは、インドとは仲が良くなくて、逆にパキスタンびいきです。なるべく力をインドの力を削ぎたいのです。
だから戦後のインドは反米的です。パキスタンはここで応援してもらったから親米的です。日本も親米側です。原爆落とされてからずっと。
インドの指導者はネルー、パキスタンはジンナーという人、が出ます。
この二つは、今でも仲が悪くて、今でも領土問題に決着がつきません。これがカシミール問題です。これを引きずったまま70年間きている。未だに国境は不明です。
【インドシナ戦争】
次はベトナムです。ベトナム独立までには戦争が二つあるんです。場所は同じベトナムなんですけど。
前半がベトナムが独立を目指してフランスと戦う戦争、後半がフランスがアメリカを引き連れてきてベトナムとアメリカと戦う戦争です。後半の戦争がベトナム戦争です。
前半のフランスと戦う戦争はインドシナ戦争という言葉が名前がついています。約10年間、1946年から1954年までがインドシナ戦争です。ベトナム対フランスの戦いです。もともとはフランス植民地だから。
第二次世界大戦が終わった1945年に、ベトナムは独立を宣言する。リーダーはホー・チ・ミンです。
このインドシナ戦争は、ベトナムとフランスの戦争です。しかしこの戦争は、フランスが当然強いだろうという予想に反して、ベトナムが強かった。ベトナム優勢です。
これはまずいということで、ここでアメリカがフランスを応援する。そこからとんでもなく泥沼化していく。一旦、停戦協定であるジュネーブ協定が結ばれるんだけれども、完全独立まではまだまだです。今度はもう一回アメリカと戦わないといけない。
そういう意味では、フランスに勝って、さらにアメリカに勝った国は、ベトナム以外にはない。あのアメリカが出てきたところで、ふつうはこれは無理だなと思う。これはゲリラ戦です。殺されることを恐れる兵士だったら戦えない。もう地下道を何百キロと掘る。ビルをまたいで何十メーターじゃない。何百キロの地下トンネルです。ゲリラもやるし、汚いこともやる。ベトナムは必死です。
ベトナムは、一旦アメリカからこのあと分裂させられる。朝鮮と同じように北と南に。南半分を分断させて、ここをアメリカが援助していく。こういう形で1960年代まで約10年が過ぎる。
▼アジア諸国の独立
【地図】
この東南アジアの地図で見ると、一番植民地が広いのはイギリスです。イギリスはインドもセイロンも領有していた。そこから一部がパキスタンになって独立した。
それからアフガニスタンもイギリスです。最近でもアメリカの空爆で人がよく死んでいるところです。
それからビルマつまりミャンマーもイギリス領だった。マレーシアもイギリスだった。マレーシアの飛び地、こんなところボルネオ島、今のカリマンタン島にもある。
さらにサウジアラビア、こんなところにもある。
そして、10年以上前にアメリカとの戦争でつぶされた国、イラクもイギリス領です。
それからヨルダンです。
もう一つ決定的なのはここのイスラエルです。ユダヤ人の。
次にフランス領です。シリアとレバノンはフランス領だった。植民地だったんです。カルロス・ゴーンという日産自動車の社長が捕まえられた。あの人はフランス人になってますが、もともとはそうじゃない。
二重国籍です。出身地はレバノンです。なぜレバノン人がフランス人になっているのか。植民地だったからです。そういうつながりでフランスに行ったんです。それが日本に乗り込んできて、日本企業であった日産の社長になっている。そして悪いことして捕まった。
ベトナム、ラオス、カンボジア、ここもフランス領です。
オランダ領はこの広大な島々インドネシアです。メインはジャワ島、スマトラ島です。
これだけの植民地が、第二次世界大戦後に独立国になった。
【中華人民共和国の成立】
まだ戦争がおさまらないのは、実は中国なんですね。中国には二つの政党があった。国民党と共産党です。内戦している場合じゃないということで、この水と油の二つが一時的に手を組んで、日本と全力で戦った。そして勝てた。
しかし日本の敗戦と同時にこの内戦が再開する。国民党と共産党、頭文字をとって国共内戦です。
勝ったのは毛沢東が指揮する中国共産党です。今でも中国の指導部は、この中国共産党です。このトップにならないと、国家主席になれない。
勝ったほうが今の中国です。原爆が落ちてから4年後、1949年の建国です。4年間も戦争する。正式名称は中華人民共和国です。
※ 1946年から始まる国民党と共産党の内戦に対し、アメリカはソ連の脅威への対処を優先するため、両党勢力の和解に尽力しました。そのため、アメリカの国民党軍への財政・軍事支援が積極的になされず、国民党軍は次第に追い込まれてきました。(宇山卓栄 経済)
※ トルーマンは、国民党と共産党の連立政権をチャイナに樹立するという幻想にとらわれていました。・・・この時点ではアメリカ政府内に共産主義シンパがたくさんいたこともあり、国民党への援助を停止してしまうのです。トルーマンは内戦に巻き込まれることを避け、チャイナからの撤退を表明します。当初は共産党に対して国民党が優勢に内戦を戦っていましたが、アメリカからの支援が途絶えると、ソ連から応援があった共産党軍が立て続けに勝利し、ついに1949年10月、毛沢東は中華人民共和国の樹立を宣言します。(太平洋戦争 藤井厳喜)
※ アメリカの中国政策は一貫して中国に共産党政権を樹立することにあったのです。それは、共産中国をソ連の影響下に置くためでした。冷戦の一方の雄であるソ連をアメリカと対等の強国に仕立て上げるために、中国をソ連の衛星国にする狙いだったのです。そして中国をソ連に従属させるために、やがて朝鮮戦争が起こることになります。・・・・・・毛沢東が共産主義革命を成功させることができたのは、ひとえにアメリカの支援のお陰であるからです。しかし、アメリカは毛沢東の期待に応えようとせず、援助を拒否して毛沢東を裏切ります。そうなれば毛沢東の中国はソ連に援助を求めざるを得なくなります。これこそがアメリカの狙いであったわけです。同時にアメリカは蒋介石を台湾で生き延びさせることによって、共産中国を牽制するレバレッジとしたことを忘れてはいけません。アメリカは中国に台湾という紛争の火種を残したのです。悪名高い分割統治の鉄則です。(馬渕睦夫 「国難の正体」)
負けたのが蒋介石の国民党です。その負けた蒋介石は・・・この前の中国の名称は中華民国だった・・・どこに逃げたか。それが台湾です。そこで、正式中国はオレたちだ、と一歩も譲らない。
この時アメリカはどっちを応援するか。大陸中国は社会主義です。だから敵です。しかし誰がみても、本物の中国はその大陸中国です。しかしこの時は蒋介石政府つまり台湾の中国の味方をする。この国は中華民国を名乗っています。
そのあとアメリカは約20年間は台湾政府を支持します。ところが約20年後の1971年には、アメリカのニクソン大統領が中国に飛んで、手のひら返しで台湾中国はダメだ、大陸中国が正しい中国だという。
そのあと日本の首相田中角栄がポーンと飛んで、台湾中国はダメです、中華人民共和国が正しいです、と言う。それで今の体制になっていく。その後は今日までこういう体制が続く。アメリカの支持が台湾政府から大陸の共産中国へと変わったのです。
しかし建国以後の共産中国はこのあと10年以上、全く経済がさえない。飢えで死ぬ人が何百万といた。報道されなかったから当時の日本人は知らなかった。中国は大躍進というのをやるんだけれども、生産はいっこうに上がらない。社会主義がうまくいかない。
そのあと日本の首相田中角栄がポーンと飛んで、台湾中国はダメです、中華人民共和国が正しいです、と言う。それで今の体制になっていく。その後は今日までこういう体制が続く。アメリカの支持が台湾政府から大陸の共産中国へと変わったのです。
しかし建国以後の共産中国はこのあと10年以上、全く経済がさえない。飢えで死ぬ人が何百万といた。報道されなかったから当時の日本人は知らなかった。中国は大躍進というのをやるんだけれども、生産はいっこうに上がらない。社会主義がうまくいかない。
【朝鮮戦争】
そういう時に問題が起こるのが朝鮮半島です。戦後の朝鮮半島は誰のものか。アメリカのものか、ソ連のものかということが、よくわからないんです。
ソ連は朝鮮と国境を接しているから、オレのものだと言う。アメリカは日本を占領していて、朝鮮もオレのものだと言って、南から入ってくる。
朝鮮半島で真っ向から米ソ対立が起こる。そしてソ連とアメリカがそれぞれ別の国を朝鮮半島につくる。
北が朝鮮民主主義人民共和国、民主主義がついているけれども全く民主的ではない。南は大韓民国つまり韓国です。
北朝鮮のリーダーは金日成という。今の金正恩のおじいさんです。親・子・孫と指導者になる。こういうのは民主国家とは言わない。選挙も行われていません。1950年に、そのにらみ合いがついに戦争に発展する。これが朝鮮戦争です。
最初はソ連の支援を受けた北朝鮮が有利なんです。北朝鮮に押され気味の朝鮮半島に対して、アメリカができたばかりの国連軍で攻めようとする。そしてこの提案が国連で決定される。これが分からないところです。
国連の常任理事国にはアメリカもソ連も入っています。しかもここでは全会一致でないと議決できないんです。ソ連がダメだと一言いえば、国連軍は派遣できないんですが、その会議にソ連は欠席する。欠席することによって、国連軍をOKする。これがわからないです。なぜ欠席したのか。
とにかくこうやってアメリカ軍中心の国連軍が朝鮮戦争に参戦した。国連軍といっても中身の兵隊は90%は米軍です。実際はアメリカ軍です。それを国連軍という名前にするところが政治的力なんです。国連が賛成すれば、正義は国連軍にあることになるからです。
ソ連の欠席という謎はあるけれども、こうやって国連軍という名のアメリカ軍が朝鮮戦争の反撃に向かいます。
すると今度は、中国から義勇軍が派遣されて米中の戦争になります。その後戦線は38度線で膠着状態し、1953年7月に休戦協定が結ばれ、今日に至ります。
【占領下の日本】
この時には正式な日本という国は法的にはありません。日本という土地はあっても主権がないのです。日本はアメリカの占領下にある国で、独立国ではありません。
この朝鮮戦争の勃発によって日本の占領政策が変わります。
世界地図はこうなっている。日本はここにある。東西冷戦という、ソ連・中国、そしてインドも半分ぐらい共産主義なんです。これが東陣営。
それに対して、西ヨーロッパから、カナダ、アメリカにかけて、これが資本主義陣営です。西陣営と東陣営です。これが世界地図です。こう見ると日本の周辺は共産主義国ばかりであることが分かります。このままだったら日本は共産圏になるのが普通です。
しかしアメリカは、日本だけは絶対に共産主義になってもらった困るのです。だから日本に強くなってもらわないといけない。
今までの日本は二度と歯向かわないように、戦争できないように弱い国であってもらったほうが一番いい、という5年間だった。しかし朝鮮戦争で、しっかりと経済力を持って、軍事力を持ってもらわないと、極東地域はすべて共産主義国家になって、アメリカは負けてしまう。だからここで日本の占領政策が方向転換するんです。
日本は最初の5年で憲法をつくってしまいますが、その後は憲法とは全く違う政治になります。これが憲法どおりに政治が行われていない最大の原因です。
憲法をつくったのは実質的にアメリカですけど、このあとの占領下の日本は憲法に書かれたことと違うことをやっていきます。植民地というのは悲惨なものです。自分で決定してないことを、未来に向かって背負っていかないといけないから。今の日本です。
日本はそれまで弱い国であればいい、日本は非武装国家で、軍隊をもたないひ弱な国であって欲しい。これが憲法9条です。
しかしアメリカは、日本が強い国となり、アメリカの砦となって軍隊を持ち、経済力もある国になってもらわないと困る。アメリカの強い同盟国になってもらわないと困る。こういうふうに変化していく。朝鮮戦争によって戦後5年で急に方針が変わる。
よく言われることは、日本は極東の防壁、防ぐ壁だと。誰にとっての壁か。アメリカにとってのです。
それで早く独立させて一人前にしよう。ただしアメリカとの軍事同盟が条件です。これをアメリカで同時に、同じ日にやります。
独立回復がサンフランシスコ講和条約です。
もう一つのアメリカとの軍事同盟が日米安全保障条約です。この二つはセットです。
日本の日米安全保障条約はのちに、政府は30年経って言い方を変えた。日米同盟という言葉を使うようになった。最初から日米同盟なんですけどね。すぐには使わなかった。最初の30年間は。
ただこれが不平等な同盟である証拠には、日本には1年中このときから米軍が常時駐留しています。戦争があってもなくても、いつでも日本内に米軍がいます。今もそうです。これを許したのが日米安全保障条約です。これが普通の独立国ではないというのは、A国はA軍が守り、B国はB軍が守ると言うことを前に言いました。
▼安全保障体制
【イスラエルの建国】
もう一つ、世界のヘソとしてパレスチナのユダヤ人国家です。イスラエルの問題です。
実は、ここはもともとイギリスの植民地だったけど、1948年にここにユダヤ人のための国家をつくった。イギリスが後押ししてできた国がイスラエルです。
同時に戦争が起こっていきます。
今日はここまでで終わります。ではまた。