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2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

「授業でいえない世界史」 50話 戦後 冷戦とアジア独立

2019-05-28 08:00:00 | 旧世界史13 戦後
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。



 第二次世界大戦が終わりました。日本には原爆が落ちました。
 日本史のことを言うと、この図が日本の占領地域の最大領域なんですが、東南アジアは、ほとんどヨーロッパの植民地だったんです。日本がこれだけ占領したということの裏には何があるか。一旦全部イギリスもフランスもオランダも、日本が追い出したんです。

 でも日本が負けたから、イギリスが戻ってきて植民地を続けようとする。フランスが戻ってきてまた植民地にしようとする。オランダが戻ってきてまた植民地にしようとする。しかし現地の人たちは、日本軍に追い出された彼らの姿を見ていました。

 日本とドイツは負けて世界は平和になるかというと、アメリカ側にソ連がついたるということが火種になっていきます。アメリカとソ連は経済体制が違う。これは政治経済でもいいました。

 資本主義の親玉がアメリカ、社会主義の親玉がソ連です。今から見ると、こういう水と油の経済体制でアメリカとソ連がなぜ手を組んでいっしょに戦えたのかということのほうが、かえって理解しにくいところです。戦後対立することは分かっていたろうに、という感じですが、全くその通りになっていくんです。



【ドイツ分裂】
 ドイツは分断されて一番被害を被ります。分断されたこのドイツが、半世紀後の1990年に統一されてまた一つのドイツになった。それでも第一次世界大戦前からみるとだいぶ小さいです。今のドイツはこれです。

 ドイツはそこに至るまで、ドイツの首都ベルリンには東側からはソ連が攻めて来る。西側からはノルマンディー海岸に上陸したアメリカ軍が攻めてくる。それにくっついてイギリス軍も入ってくる。フランス軍も入ってくる。
 ということで、ドイツのベルリンはここにあるんですが、ドイツ自体もソ連に占領され、アメリカに占領され、イギリスに占領され、フランスに占領される。さらに首都ベルリンもソ連に占領され、アメリカに占領され、イギリスに占領され、フランスに占領される。それでこんなバラバラになっている。


 ベルリンは、ソ連占領地域の中にこうして飛び地みたいにしてあります。変な格好です。よく間違うのが、ベルリンというのはちょうどこの国境の真ん中にあって、そこをベルリンの壁で分断されていた、と勘違いしている人がいますが・・・これが分かりやすいけど・・・そうじゃないです。ソ連の領域の中にベルリンという首都があって、つまり今の日本の中に東京があるようなものですけど、その東京が四つの国によって分割されているような状態なんです。
 
▼ドイツ分割


 アメリカの占領地域である西ベルリンもソ連は本当は全部取りたいんです。だからソ連は、西ベルリン側を援助しない、物資を輸送しない、パンとか米を輸送しない、ということをやった。これがベルリン封鎖1948年です。


 このままだったら、西ベルリンに住むドイツ人は飢え死にしてしまう。アメリカはどうしたか。周りはソ連の領域だから陸上での貨物輸送はできません。トラック輸送できない。だから空から落とすんです。つまり空輸です。これにはソ連もビックリして、いずれ封鎖を解くんですけど、この対立はそのまま続いていく。


 そしてそれまでのドイツは翌年の1949年には分裂して、いわゆるアメリカ側の西ドイツと、ソ連側の東ドイツに分断されてしまう。


 ドイツ連邦共和国が西ドイツです。東ドイツはドイツ民主共和国です。そして東ベルリンから西ベルリンに行かないように、1961年に壁をつくるんです。人の移動を禁止する。これがベルリンの壁です。これはこの後約30年間ずっと、人の移動を阻んできました。

 1990年のドイツ統一というのは、このベルリンの壁が崩れることによって実現されたものです。


【東西冷戦】
 第二次世界大戦が終わっても、世界は半分は戦争状態です。いつでも戦争できるように、ソ連グループとアメリカグループにほぼ世界が割れるんです。

 アメリカグループはNATOという。漢字でいうと北大西洋条約機構です。結成は1949年です。戦争終わって4年しか経っていないのに、もう次の戦争の準備をしている。

 それに対して、相手がやるんだったら俺たちだってやると、同じ年にCOMECON、これはソ連側です。経済相互援助会議という。これをつくる。経済という名前がついているように、社会主義圏の経済をソ連が応援する。アメリカのマーシャルプランというアメリカの経済援助に対抗する形で。
 さらに軍事的にはワルシャワ条約機構です。こうやってソ連とアメリカがそれぞれグループを作って敵対しだした。
 イメージとしては、大砲がどっちを向いているか。アメリカの大砲はベルリンから東側を向いている。それに対して東にあるポーランドの首都のワルシャワからは、ソ連の大砲が西側を向いている。こういう状態でにらみ合いが続いていく。
 
▼第二次世界大戦後のヨーロッパ


 戦争が終わってすぐにこういう状態になっていく。結局なんの解決にもなってないじゃないか、ということなんです。

 ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国、連邦と民主が違うだけで、民主がついている方が実は民主的じゃなかった。
 北朝鮮だって、国家トップが世襲制で受け継がれている国が、朝鮮民主主義人民共和国と民主主義がついています。だから名前の通り受け取ったらダメなんです。


【アジアの独立】
 では日本がイギリス、フランス、オランダを追い出したアジア諸国をザッと見ます。下の地図からいきます。

 まず日本がオランダを追い出した地域インドネシアです。ここはオランダの植民地だった。戦後、オランダが日本が負けたから戻って来ようとすると、インドネシアは入らせないという。独立戦争です。4年間戦って独立を勝ち取る。インドネシアがオランダに勝つ。10年前だったら考えられないことですけれども、戦争の前と後でこんなに変わります。この独立運動のリーダーがスカルノです。この人の嫁さんが誰だったか。今はテレビタレントになっている。デヴィ夫人です。よくテレビに出てる。この人の嫁さんです。


 次はフィリピンです。ここはアメリカの植民地だった。ここは独立します。アメリカは独立を認める。しかし政治・経済に支配力を維持する。親米大統領マルコスというのが約20年ほぼ独裁政治をして、そのあと民主革命が起こって逃げていった。そこまで行くのに20年ぐらいかかります。


 次はインドです。これはあとで言いますけれど、ここはイギリスの植民地だった。ここはいろいろモメますが、独立します。


 次はミャンマーです。昔はビルマといった。ここもイギリスの植民地だった。ここも独立する。


 次はカンボジアです。インドシナ半島にある国です。ベトナムの西側にあります。ここはフランスの植民地だった。カンボジアもフランスの植民地だった。ここも独立していく。


 次がベトナムです。フランス植民地のメインであった。だからフランスはここを独立させまいとして必死で戦う。だからこのあとでアメリカに応援してもらうんです。ここからが泥沼の戦いです。決着がつくまでに、延々とこのあと30年かかります。米軍がとてつもない枯葉剤とか、遺伝子まで組み替えるような毒薬をまいて行きます。そういうアメリカの戦闘機が飛び立つ基地が、実は沖縄の米軍基地なんです。


 最後にマレーシアです。ここもイギリスの植民地だった。ここは独立するまでに10年ばかりかかりますが、1957年に独立します。

 10年たってふと見わたすと、東南アジアからほとんどの植民地は無くなった。欧米列強は、本当は植民地に独立させたくなかった。だから戦争せざるをえなかった。彼らは日本軍から追い出された。それを見て現地の人は、オレたちも戦ったらできかもしれない、と思った。そして独立を勝ち取った。そのきっかけになったのが、日本軍が欧米各国の軍隊を東南アジアから追い出したことです。現地の人たちは彼らが逃げていくのを見た。絶対的存在だとそれまで思っていたヨーロッパの兵隊たちが逃げていった。それを見ていた彼らは、オレたちにもできると思った。


【インドとパキスタン】
 では問題はインドです。あの巨大なインド。インドは宗教が二つあった。ヒンドゥー教とイスラム教です。彼らは一緒に独立することができなかった。ヒンドゥー教徒はインドをつくり、イスラム教徒はパキスタンをつくって別々に独立した。だからこの二つは今に至るまで非常に仲が悪い。これが他人事でないのは、を持ってるからです。まずインドが核を持つと、パキスタンは、隣に核を持ったら恐ろしくてたまらないからオレも持つんだ、といって核保有国になった。
 アメリカはそれに対して何も言いません。なぜか。アメリカはインドを押さえるために・・・インドはソ連寄りでした・・・パキスタンを利用しているようなところがあります。パキスタンに核を認める一方で、イランや北朝鮮に対しては厳しく核を禁止しています。
 アメリカは自分の都合で核を黙認したり、逆に禁止したりしています。第一次大戦中のイギリスの二枚舌外交はこういうところに引き継がれています。こういうのをダブル・スタンダード(二重基準)と言って、武力を持つ大国がよく使う手です。

 インドの中心はヒンドゥー教徒です。彼らは、イスラーム教徒ともまとまって、いっしょに一つのインドで独立したかった。インドは大国だからアメリカとの仲はあまりよくないです。イギリスから独立しようとするから、イギリスとも仲が良くないです。だからアメリカ・イギリスは、インドとは仲が良くなくて、逆にパキスタンびいきです。なるべく力をインドの力を削ぎたいのです。


 だから戦後のインドは反米的です。パキスタンはここで応援してもらったから親米的です。日本も親米側です。原爆落とされてからずっと。
 インドの指導者はネルー、パキスタンはジンナーという人、が出ます。


 この二つは、今でも仲が悪くて、今でも領土問題に決着がつきません。これがカシミール問題です。これを引きずったまま70年間きている。未だに国境は不明です。


【インドシナ戦争】
 次はベトナムです。ベトナム独立までには戦争が二つあるんです。場所は同じベトナムなんですけど。

 前半がベトナムが独立を目指してフランスと戦う戦争、後半がフランスがアメリカを引き連れてきてベトナムとアメリカと戦う戦争です。後半の戦争がベトナム戦争です。
 前半のフランスと戦う戦争はインドシナ戦争という言葉が名前がついています。約10年間、1946年から1954年までがインドシナ戦争です。ベトナム対フランスの戦いです。もともとはフランス植民地だから。


 第二次世界大戦が終わった1945年に、ベトナムは独立を宣言する。リーダーはホー・チ・ミンです。


 このインドシナ戦争は、ベトナムとフランスの戦争です。しかしこの戦争は、フランスが当然強いだろうという予想に反して、ベトナムが強かった。ベトナム優勢です。
 これはまずいということで、ここでアメリカがフランスを応援する。そこからとんでもなく泥沼化していく。一旦、停戦協定であるジュネーブ協定が結ばれるんだけれども、完全独立まではまだまだです。今度はもう一回アメリカと戦わないといけない。


 そういう意味では、フランスに勝って、さらにアメリカに勝った国は、ベトナム以外にはない。あのアメリカが出てきたところで、ふつうはこれは無理だなと思う。これはゲリラ戦です。殺されることを恐れる兵士だったら戦えない。もう地下道を何百キロと掘る。ビルをまたいで何十メーターじゃない。何百キロの地下トンネルです。ゲリラもやるし、汚いこともやる。ベトナムは必死です。


 ベトナムは、一旦アメリカからこのあと分裂させられる。朝鮮と同じように北と南に。南半分を分断させて、ここをアメリカが援助していく。こういう形で1960年代まで約10年が過ぎる。
 
▼アジア諸国の独立

【地図】
 この東南アジアの地図で見ると、一番植民地が広いのはイギリスです。イギリスはインドもセイロンも領有していた。そこから一部がパキスタンになって独立した。

 それからアフガニスタンもイギリスです。最近でもアメリカの空爆で人がよく死んでいるところです。


 それからビルマつまりミャンマーもイギリス領だった。マレーシアもイギリスだった。マレーシアの飛び地、こんなところボルネオ島、今のカリマンタン島にもある。
 さらにサウジアラビア、こんなところにもある。


 そして、10年以上前にアメリカとの戦争でつぶされた国、イラクもイギリス領です。
 それからヨルダンです。
 もう一つ決定的なのはここのイスラエルです。ユダヤ人の。


 次にフランス領です。シリアとレバノンはフランス領だった。植民地だったんです。カルロス・ゴーンという日産自動車の社長が捕まえられた。あの人はフランス人になってますが、もともとはそうじゃない。
 二重国籍です。出身地はレバノンです。なぜレバノン人がフランス人になっているのか。植民地だったからです。そういうつながりでフランスに行ったんです。それが日本に乗り込んできて、日本企業であった日産の社長になっている。そして悪いことして捕まった。
 ベトナム、ラオス、カンボジア、ここもフランス領です。


 オランダ領はこの広大な島々インドネシアです。メインはジャワ島、スマトラ島です。


 これだけの植民地が、第二次世界大戦後に独立国になった。


【中華人民共和国の成立】
 まだ戦争がおさまらないのは、実は中国なんですね。中国には二つの政党があった。国民党共産党です。内戦している場合じゃないということで、この水と油の二つが一時的に手を組んで、日本と全力で戦った。そして勝てた。

 しかし日本の敗戦と同時にこの内戦が再開する。国民党と共産党、頭文字をとって国共内戦です。


 勝ったのは毛沢東が指揮する中国共産党です。今でも中国の指導部は、この中国共産党です。このトップにならないと、国家主席になれない。

 
 勝ったほうが今の中国です。原爆が落ちてから4年後、1949年の建国です。4年間も戦争する。正式名称は中華人民共和国です。

※ 1946年から始まる国民党と共産党の内戦に対し、アメリカはソ連の脅威への対処を優先するため、両党勢力の和解に尽力しました。そのため、アメリカの国民党軍への財政・軍事支援が積極的になされず、国民党軍は次第に追い込まれてきました。(宇山卓栄 経済)

※ トルーマンは、国民党と共産党の連立政権をチャイナに樹立するという幻想にとらわれていました。・・・この時点ではアメリカ政府内に共産主義シンパがたくさんいたこともあり、国民党への援助を停止してしまうのです。トルーマンは内戦に巻き込まれることを避け、チャイナからの撤退を表明します。当初は共産党に対して国民党が優勢に内戦を戦っていましたが、アメリカからの支援が途絶えると、ソ連から応援があった共産党軍が立て続けに勝利し、ついに1949年10月、毛沢東は中華人民共和国の樹立を宣言します。(太平洋戦争 藤井厳喜)
 
※ アメリカの中国政策は一貫して中国に共産党政権を樹立することにあったのです。それは、共産中国をソ連の影響下に置くためでした。冷戦の一方の雄であるソ連をアメリカと対等の強国に仕立て上げるために、中国をソ連の衛星国にする狙いだったのです。そして中国をソ連に従属させるために、やがて朝鮮戦争が起こることになります。・・・・・・毛沢東が共産主義革命を成功させることができたのは、ひとえにアメリカの支援のお陰であるからです。しかし、アメリカは毛沢東の期待に応えようとせず、援助を拒否して毛沢東を裏切ります。そうなれば毛沢東の中国はソ連に援助を求めざるを得なくなります。これこそがアメリカの狙いであったわけです。同時にアメリカは蒋介石を台湾で生き延びさせることによって、共産中国を牽制するレバレッジとしたことを忘れてはいけません。アメリカは中国に台湾という紛争の火種を残したのです。悪名高い分割統治の鉄則です。(馬渕睦夫 「国難の正体」)

 負けたのが蒋介石の国民党です。その負けた蒋介石は・・・この前の中国の名称は中華民国だった・・・どこに逃げたか。それが台湾です。そこで、正式中国はオレたちだ、と一歩も譲らない。


 この時アメリカはどっちを応援するか。大陸中国は社会主義です。だから敵です。しかし誰がみても、本物の中国はその大陸中国です。しかしこの時は蒋介石政府つまり台湾の中国の味方をする。この国は中華民国を名乗っています。
 そのあとアメリカは約20年間は台湾政府を支持します。ところが約20年後の1971年には、アメリカのニクソン大統領が中国に飛んで、手のひら返しで台湾中国はダメだ、大陸中国が正しい中国だという。
 そのあと日本の首相田中角栄がポーンと飛んで、台湾中国はダメです、中華人民共和国が正しいです、と言う。それで今の体制になっていく。その後は今日までこういう体制が続く。アメリカの支持が台湾政府から大陸の共産中国へと変わったのです。


 しかし建国以後の共産中国はこのあと10年以上、全く経済がさえない。飢えで死ぬ人が何百万といた。報道されなかったから当時の日本人は知らなかった。中国は大躍進というのをやるんだけれども、生産はいっこうに上がらない。社会主義がうまくいかない。


【朝鮮戦争】
 そういう時に問題が起こるのが朝鮮半島です。戦後の朝鮮半島は誰のものか。アメリカのものか、ソ連のものかということが、よくわからないんです。

 ソ連は朝鮮と国境を接しているから、オレのものだと言う。アメリカは日本を占領していて、朝鮮もオレのものだと言って、南から入ってくる。


 朝鮮半島で真っ向から米ソ対立が起こる。そしてソ連とアメリカがそれぞれ別の国を朝鮮半島につくる。

北が朝鮮民主主義人民共和国、民主主義がついているけれども全く民主的ではない。南は大韓民国つまり韓国です。

 北朝鮮のリーダーは金日成という。今の金正恩のおじいさんです。親・子・孫と指導者になる。こういうのは民主国家とは言わない。選挙も行われていません。1950年に、そのにらみ合いがついに戦争に発展する。これが朝鮮戦争です。

 最初はソ連の支援を受けた北朝鮮が有利なんです。北朝鮮に押され気味の朝鮮半島に対して、アメリカができたばかりの国連軍で攻めようとする。そしてこの提案が国連で決定される。これが分からないところです。
 国連の常任理事国にはアメリカもソ連も入っています。しかもここでは全会一致でないと議決できないんです。ソ連がダメだと一言いえば、国連軍は派遣できないんですが、その会議にソ連は欠席する。欠席することによって、国連軍をOKする。これがわからないです。なぜ欠席したのか。


 とにかくこうやってアメリカ軍中心の国連軍が朝鮮戦争に参戦した。国連軍といっても中身の兵隊は90%は米軍です。実際はアメリカ軍です。それを国連軍という名前にするところが政治的力なんです。国連が賛成すれば、正義は国連軍にあることになるからです。

 ソ連の欠席という謎はあるけれども、こうやって国連軍という名のアメリカ軍が朝鮮戦争の反撃に向かいます。
 すると今度は、中国から義勇軍が派遣されて米中の戦争になります。その後戦線は38度線で膠着状態し、1953年7月に休戦協定が結ばれ、今日に至ります。


【占領下の日本】
 この時には正式な日本という国は法的にはありません。日本という土地はあっても主権がないのです。日本はアメリカの占領下にある国で、独立国ではありません。
 この朝鮮戦争の勃発によって日本の占領政策が変わります。

 世界地図はこうなっている。日本はここにある。東西冷戦という、ソ連・中国、そしてインドも半分ぐらい共産主義なんです。これが東陣営。

 それに対して、西ヨーロッパから、カナダ、アメリカにかけて、これが資本主義陣営です。西陣営と東陣営です。これが世界地図です。こう見ると日本の周辺は共産主義国ばかりであることが分かります。このままだったら日本は共産圏になるのが普通です。

 しかしアメリカは、日本だけは絶対に共産主義になってもらった困るのです。だから日本に強くなってもらわないといけない。
 今までの日本は二度と歯向かわないように、戦争できないように弱い国であってもらったほうが一番いい、という5年間だった。しかし朝鮮戦争で、しっかりと経済力を持って、軍事力を持ってもらわないと、極東地域はすべて共産主義国家になって、アメリカは負けてしまう。だからここで日本の占領政策が方向転換するんです。


 日本は最初の5年で憲法をつくってしまいますが、その後は憲法とは全く違う政治になります。これが憲法どおりに政治が行われていない最大の原因です。


 憲法をつくったのは実質的にアメリカですけど、このあとの占領下の日本は憲法に書かれたことと違うことをやっていきます。植民地というのは悲惨なものです。自分で決定してないことを、未来に向かって背負っていかないといけないから。今の日本です。


 日本はそれまで弱い国であればいい、日本は非武装国家で、軍隊をもたないひ弱な国であって欲しい。これが憲法9条です。
しかしアメリカは、日本が強い国となり、アメリカの砦となって軍隊を持ち、経済力もある国になってもらわないと困る。アメリカの強い同盟国になってもらわないと困る。こういうふうに変化していく。朝鮮戦争によって戦後5年で急に方針が変わる。


 よく言われることは、日本は極東の防壁、防ぐ壁だと。誰にとっての壁か。アメリカにとってのです。


 それで早く独立させて一人前にしよう。ただしアメリカとの軍事同盟が条件です。これをアメリカで同時に、同じ日にやります。
 独立回復がサンフランシスコ講和条約です。
 もう一つのアメリカとの軍事同盟が日米安全保障条約です。この二つはセットです。
 日本の日米安全保障条約はのちに、政府は30年経って言い方を変えた。日米同盟という言葉を使うようになった。最初から日米同盟なんですけどね。すぐには使わなかった。最初の30年間は。
 ただこれが不平等な同盟である証拠には、日本には1年中このときから米軍が常時駐留しています。戦争があってもなくても、いつでも日本内に米軍がいます。今もそうです。これを許したのが日米安全保障条約です。これが普通の独立国ではないというのは、A国はA軍が守り、B国はB軍が守ると言うことを前に言いました。


▼安全保障体制


【イスラエルの建国】
 もう一つ、世界のヘソとしてパレスチナのユダヤ人国家です。イスラエルの問題です。

 実は、ここはもともとイギリスの植民地だったけど、1948年にここにユダヤ人のための国家をつくった。イギリスが後押ししてできた国がイスラエルです。

 同時に戦争が起こっていきます。
 今日はここまでで終わります。ではまた。















「授業でいえない世界史」 51話 戦後 戦後のアラブ・アジア・アフリカ

2019-05-28 07:00:00 | 旧世界史13 戦後
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【アラブの動向】
 第三勢力の結集というところのアラブの動向に行きます。

 前回は日本のことを言いました。1951年日本が独立しました。エッ、日本が独立してなかったんですか、という人がいます。1945年から1951年まで、法的にはこの6年間、日本という国はないです。日本列島はあっても日本という国はない。主権がないからです。ここの日本という地域の主権、これはアメリカ史の一部です。この地域の行政を決めるのはアメリカです。GHQというのは、アメリカ政府の下部組織です。それまでの日本の政治はここで決まっています。

 日本が独立したのがサンフランシスコ平和条約です。ただし独立の条件が何だったか。日本の独立は、極東の防壁のための日米安全保障条約とセットなんです。これで日本に米軍が常時駐留することが決まった。


【イスラエル】 日本の次にはポンと飛んでイスラエルに行きます。ほぼ同時期、1940年代、戦争が終わってすぐに本当はここに来ないといけない。


 1948年5月、ユダヤ人国家が2000年ぶりに誕生した。これがイスラエルという国です。私はずっと世界のヘソと言ってきた。小さいけれども世界のヘソで、世界はここを中心に動いてるようなところがある。ここを中心に見ると、分からなかったことが分かったりするから恐ろしい。
 ここは2000年間、誰も住んでなかったわけではない。アラブ人がそこに住んでいた。そこにユダヤ人が入ってきて、おまえたちは出て行けと言われる。当然、腹を立てる。2000年ぶりに、帰ってきたぞと、ユダヤ人は言うんだけど、帰ってきたんじゃない。おまえたちはオレたちを追い出しているだけだ、こんな非合理なことがあるものか。これがパレスチナ戦争です。1948年、戦争が終わった3年後に起こる。


 本当はパレスチナ戦争で終わりのはずだったんだけれども、この後に2回目が起こる。10年後に3回目が起こる。そのあと4回目が起こる。だから、名前はパレスチナ戦争ではわからないということになって、第一次中東戦争といいます。その始まりになってしまった。2次、3次、4次まで続きます。


 ここは第一次世界大戦後、イギリスが領有していた。つまりイギリスがいるんです。当時は大英帝国です。その後ろにアメリカがつく。イギリスは、あなたたちが第一次大戦でイギリスに協力するなら、あなたたちの国をパレスチナに2000年間ぶりに建ててやりましょうと約束したものだから、ユダヤ人がオレたちの土地だといいながらそこに移住し始めた。そして、それまで2000年間住んでいたアラブ人を追い出した、退け、と言う。するとアラブ人は、何だと、と対立するわけです。


 彼ら追い出された人たちを、パレスチナ人というわけです。広くとらえればアラブ人なんです。イスラエル建国の最初からこうなっていたのです。
 そのパレスチナ戦争はイスラエルの勝利です。不思議です。こんな小さな国が、できたばかりの国が、なぜこんなに強いのか。イギリスがいる。さらにその後ろにアメリカがいるからです。今では核まで持っている。


 その一方では、さっき言ったようにパレスチナ難民が発生します。追い出されたアラブ人のことをパレスチナ難民といいます。難民というのは、国を追い出されて、行き場を失った人たちです。

 当初のユダヤ人国家というのは、この地図の緑の部分、これで半分ずつ住み分けようという約束だった。ところが戦争に勝利したら、イスラエルの領域はますます広がった。当初は半分にしようという話が、どんどん嘘の塊のようになって、結局戦争に負けたらどこも住めない。今ではここはほとんどが実質上、イスラエル国家です。ここにそれまで住んでいたアラブ人たちは、今はガザ地区というこんな狭いところに押し込められています。


▼イスラエルの占領地域


 ユダヤ人はユダヤ教徒です。それに対して、ここに追し出されたパレスチナ難民はイスラーム教徒です。しかもこの周辺は全部イスラーム教徒なんです。


 こういう事態にイスラーム社会全体はこころよく思わない。オレたちの国の一部にこんな国をつくって、一体どういうつもりなんだと。


 今でもこの紛争は続いています。イスラーム教徒とキリスト教は・・・つまりアメリカとですが・・・仲悪いです。アメリカは世界最大の軍事力を持っていて喧嘩すると強いから、すぐ勝つわけですけれども、それに対するイスラーム教徒の反発というのは非常に大きい。


 日本はそうでもないけれど、フランスとかイギリスとかでは、最近しょっちゅうテロが起こっています。これはここ70年来の恨みです。


 それがまた20年前の9.11事件から急にまた大きくなって、恨み骨髄です。あまりアメリカに肩入れしていると日本でも起こるかも知れません。日本は戦後は完全にアメリカ側の国になってますから。最近では集団安全保障で、アメリカの仕掛ける戦争に荷担することさえできるようになりました。


【エジプト】 反発したのが、やっぱりエジプトです。エジプトはこの地域では、アラブ地域のリーダー的存在です。そこに1952年エジプト革命が起こった。


 もともとはイギリスの植民地で、イギリス寄りの国だった。それではダメだと言うことで革命が起こって、今までの王政を滅ぼして新しい政権をつくった。その後、軍人のナセルが実権を握りました。


 革命後もイギリスが絶対手放さなかったエジプトの一部がある。100年前にインドに行く近道として掘ったもの、スエズ運河があったんです。これだけはイギリスは手放さなかった。しかしナセル大統領はそれを国有化した。エジプトがエジプトにあるスエズ運河を国有化するのは当たり前じゃないか、と言うわけです。今までは、その当たり前のことが当たり前じゃなかった。イギリスのものだった。

 そこからエジプトとイギリスの戦争が始まる。これが1956年のスエズ戦争です。するとその隣のイスラエルがイギリスの味方をして、エジプトを攻撃してくる。イスラエルの後ろにはイギリスがいるからです。こうやってまたイスラエルとアラブの対立になります。約10年前の第一次中東戦争と同じなんです。だからこれは第二次中東戦争といいます。

 イギリスが後ろについているから、戦争やってみると圧倒的にイスラエルが強くて、軍事的にはイスラエルが勝つんだけれど、これどうですか。勝ったイスラエルに対して国際世論は、なんだこれは、戦争して強ければ人の土地でも奪っていいのかという反発が起こる。

 そうするとイスラエル寄りだったアメリカが、ここでイスラエルに応援したらちょっとまずいなあ、ということで、これをアメリカは、そうですよね、皆さん、と逆にエジプトを支持するんです。
 ここでイギリスとアメリカが割れた。しかしイギリスの時代はすでに過ぎている。もうアメリカに覇権が移ってる。イギリスはアメリカにタテつけない。
 それで結局、戦争では負けたエジプトが、外交的に勝った。だからスエズ運河は、今はエジプトのものです。エジプトのナセル外交が勝利を収めた。

 しかしイスラエルはこれに不満です。10年後には突然奇襲攻撃をかける。圧倒的な強さです。そういうことがもう一回起こる。これが1967年の第三次中東戦争です。


【米ソ接近と中ソ対立】
 では次です。戦争が終わったと思ったら、勝ったもの同士がまた対立し始めた。アメリカとソ連です。このソ連も独裁国家ですから、一人の独裁者が死ぬと、国の方針がその死によって180度変わっていく。ソ連の独裁者はスターリンです。彼が大戦終結から8年後の1953年に死んだ。レーニンの死にもいろいろな噂があるし、このスターリンの死にもいろんな噂がある。それまで戦後8年間は、ほぼ独裁状態でアメリカと対立してきた。
 
※ スターリンが暗殺されたと思われる理由の一つは、スターリンは国際金融家たちが目指すグローバルな利益ではなく、ソ連の国益を守ることに心血を傾けるようになったからだと思われます。(馬渕睦夫 「国難の正体」)

 その3年後の1956年にスターリンの後を継ぐリーダーとして選ばれたのが、フルシチョフという人です。

 スターリンは米ソ対立路線だったけれども、このフルシチョフは米ソ協調路線に方向を変えた。そして対立していたスターリンの政治に対して、スターリン批判というのを行った。これは同時にソ連の方向転換でもあります。
 今までは米ソの首脳会談とかありえなかった。しかしここでアメリカとソ連の首脳同士が話し合うことになった。

 アメリカの大統領はこの時アイゼンハワー大統領です。1回でできた人です。第二次世界大戦の将軍として出てきました。何という上陸作戦の最高司令官だったか。ノルマンディー上陸作戦の最高司令官だった。これでドイツは負けたんです。その後、アメリカの大統領に選ばれます。


 米ソの首脳が歩み寄った。しかし、今まででアメリカとの対立路線をとっていたもう一つの国があるんです。アメリカなんか大嫌いだ、資本主義は大嫌いだ、それが中国です。今まで仲間として同じ共産主義を取ってきたソ連が、なぜ急に寝返ってアメリカに近づいているのか。

 今度は、ソ連と中国が仲が悪くなり始める。これが中ソ対立です。共産陣営同士が対立する。しかしこれがアメリカの狙いだったという話もある。それはよく分からない。分からないことは言うなと人はいうけれども、人が外交で秘密裏にやっていることが完全にわかるまでには、100年とか150年とかザラにかかる。その間黙って待っていていいかというと、誰かが調べないと分からない。誰も調べなかったら永遠にわからない。


【東西冷戦の構図】
 大まかな戦後体制はここで決まりました。日本人としてまず1番目にラインを引くところは、太平洋の虹のかけ橋とアメリカがいう日米安全保障条約です。軍事同盟関係ですね。

 日本だけがアメリカの味方だと思って安心していたら大間違いです。日本と韓国は仲が悪いです。ここ2~3年、ますます関係が悪くなった。アメリカはこの韓国とも同様に米韓相互防衛条約を結んでいます。防衛がついています。軍事同盟です。アメリカは韓国とも軍事同盟を結んでいます。

 日本人が見る世界地図が勘違いしやすいのは、日本人だからこう書いてあるのであって、本当の世界地図というか、ヨーロッパ人が使っている世界地図、アメリカ人が使っている世界地図はこうなっていません。そのことは知っておかないといけない。
 アジア大陸とアメリカ大陸が逆になっているのが彼らの見る世界地図です。太平洋がまん中ではなく、大西洋がまん中になっている地図です。この地図を見ると、世界情勢がよく分かります。アメリカのワシントンから西側・東側陣営を見ると、ソ連側の東側陣営は、ソ連・中国・モンゴルは東側の大半を占めています。そこにちょこんと日本がある。こんな感じです。この地図を見て、西側・東側というんです。


 これを見ると分かるように、一歩間違えば日本は共産陣営になっていきます。だからここに線を引いて、日本をブロックをしておかないといけない。これが極東の防壁ということなんです。だから日本は守らないといけない、ということなんです。日本のためではなく、これはアメリカの利益のためです。日本は極東の防壁となって、アメリカの利益を守らなければならないことになっている。


 では東側がつぶれてしまえば・・・前にも言ったけど・・・この位置づけは180度変わる。これが平成30年間で起こっていることです。今アメリカにとって日本は、以前ほど重要じゃない。そうなったとたんに日本の景気ががっくり悪くなった。経済成長も急に止まった。この因果関係もはっきり分からない。



 日本は、少なくともここ70年間は戦争をおこしてないけれども、世界はそうじゃないです。いろいろな戦争があっている。


 大きいところは、このベトナム戦争

 それから、今いった中東戦争、1次から4次までです。
 核戦争の危機に陥ったキューバ危機は、このあと言います。1963年です。

 世界は、赤と青の陣営の対立です。これが東西対立です。日本人が見る地図だったら分からないでしょ。東西対立になってない。もう一つの地図で見ないといけない。その地図で見たら東西になる。世界の標準の世界地図は、世界の8割方はもう一つの地図です。我々が日本人だから便宜的に、今の地図で見ているだけで、どっちが便利かといったら、もう一つの方が便利だと思う。そうでないと解釈し直さないといけない。頭を整理するときに、90度また回転し直さないといけない。


【アジア・アフリカ会議】
 では米ソが終わって、東南アジアにいきます。東南アジアは植民地でした。ここは2度と植民地になりたくない。その植民地から独立した一番大きな国というのがインドです。首相はネルーです。

 有名な独立指導者ガンジーは殺されるんですよ。本気で政治やると反対派から殺される。生半端な気持ちでは政治家になれない。でも今は政治家になり手がなくなってるんですけどね。政治家になるには命よりも大事なものをもっている人がいい。最近ある政治家が、今までさんざん自民党を批判しながら、立場が悪くなるとコロリと自民党に入りました。ビックリしました。政治家に信念がないとこうなります。今の日本の政治家には信念など、あって無きがごときものに見えます。

 中国の周恩来、彼は首相です。会議を行って、合意して発表したのが、これ政治経済でもやりましたが、平和五原則です。植民地禁止ということです。主権の尊重というのは、植民地にするな、ということです。各国の主権を守れ。国家で一番大事なのは主権です。その一番大事なのが失われたのが戦後の日本です。これは国として一番大事なものです。主権のない国民は無責任になります。国として一番大事なものを失うと、国民もダメになるのです。

 これは人生で一番大事なのは、自分の命だと思っていたら分からない。人生で一番大事なのは、命ではなくて人権だと考えると分かる。それでも分からなければ、プライドと置き換えてもいい。一番恐いことは、このプライドのない人間が政治権力を握ることです。

 国家があって食い物さえあれば、それで人の命が生きながらえると思っていたら、大間違いです。そんな国はないです。国の主権が守られないのに、国民の権利が守られる、そんな国はありません。生物学的には命が大切でも、社会的に大事なのは権利なんです。


 次は東南アジアです。1954年です。今度は、インドネシアのバンドンです。インドネシアが中心になって、旧植民地の合同会議を開く。旧植民地とはアジア・アフリカです。アジア・アフリカ会議といいます。
 何が珍しいかと言うと、今まで国際会議というのは白人の会議に限られていた。しかしこの会議には白人はいない。有色人種だけの国際会議を開いた。今からやっていくぞといって、2回しか開かれずに潰されるんですけど。略してA・A会議という。アジア・アフリカのどっちもAがつくからです。


 ここで何を決めたか。アメリカは嫌いだ、ソ連も嫌いだ、どっちの味方にも入らない。アメリカでもなくソ連でもない。これを第三勢力という。どっちの味方でもない。俺たちは俺たちだ。狙いは主権の維持です。

 オレが決めることに他人がとやかく言わんでくれないか、オレは考えて自分でやっているんだ、ということです。その代わり、自分でちゃんと迷惑かけないで生きていく。そういうことを言った。君たちは言えますか。言えたら独立していいです。

 非同盟の立場で連携していこうということです。旧植民地同士で。


【アフリカの独立】
 その後のアフリカです。まだアフリカは独立がちょっと遅れてる。一部独立国があったんだけれども。まだ植民地状態ですけど、そういうアジア・アフリカ会議、主権を尊重しようという動きの中で、白人が下に見ていた黒人国家の中からも、指導者が現れる。エンクルマという。こういう名前なんです。人の名前はいじれません。ガーナが独立する。1957年です。次の1958年にギニアが独立する。小さな国ですけど。

 そして1年置いて1960年に一気に17カ国がバラバラ独立しながら、1年間で17ヶ国が独立していく。世界はアッと驚く。これを記念して、1960年は「アフリカの年」といわれる。基本は植民地反対主義です。領土主権ですね。
 
▼アフリカの独立


 ただ政治経済でも言ったように、国を支配するには、土地の支配だけではない。お金を支配したら支配できる、という手法もある。現代はそこまで考えないといけない。


 お金の蛇口を止めたり閉めたりするのは、どこなのか、ということを。こうやって巧妙化していくんです。支配の形も。


 これを見ていくと、この地図が独立している国です。赤と青で。ほぼこれくらい独立していく。赤は旧イギリス領です。青は旧フランス領です。


 これを囲んでみると、旧イギリス領はこれからあと、モザンビークから、ボツワナから、南アフリカ、ジンバブエ、これだけ。次はこの地図からいきます。

 これで終わります。ではまた。















「授業でいえない世界史」 52話 戦後 1960年代

2019-05-28 06:00:00 | 旧世界史13 戦後
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【1960年代】

【アフリカの独立】 戦後世界にすでに入っています。この戦後世界で旧植民地が独立していった。
 ここから1960年代に入ります。特に1960年はアフリカで17ヶ国が一気に独立したから、アフリカの年といわれます。

 イギリス領とフランス領です。赤がイギリス領、青がフランス領です。どういう国が独立したか。エジプトから、スーダンから、エチオピアをまたいで、ケニアまで。さらにタンザニアをまたいで、メインは南アフリカ共和国で、北のボツワナからザンビアまで。これが旧イギリス領です。それから、忘れてならないのが、このナイジェリアですよね。いつ独立したかよりも、どこから独立したかということの方が現状を考える上で大事ですね。いまでも宗主国として力を持っている場合がある。
 もう一つはフランスです。フランスは横断策だったから、アルジェリアを中心にモロッコ、モーリタニア、ギニアをまたいで、コートジボアールから、小さな国、中央アフリカ、ぽんと飛んで東のマダガスカル島、日本と同じぐらいの大きな島です。こういう形で独立したということです。

 第二次世界大戦は1945年で終わります。もう15年過ぎました。


【アメリカ】
 1960年代のアメリカに行きます。世界の中心はアメリカになっているんです。
 それでここからは世界を、1960年代、70年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代と大体10年ごとに見てきます。

※ 1961年、アイゼンハワー大統領は退任演説において、肥大化する軍需産業を「軍産複合体」と呼び、警告を発しました。軍産複合体の典型的な会社として、ロッキード社(航空機)、ボーイング社(航空機)、レイセオン社(ミサイル)、ダウケミカル社(化学)、デュポン社(化学)、ゼネラル・エレクトリック社(電気)、ノースロップ・グラマン社(軍艦・人工衛星)、ハリバートン社(資源生産設備)、ベクテル(ゼネコン)、ディロン・リード社(軍需商事)などがあり、またスタンダード石油に代表される石油メジャーも含まれることがあります。(宇山卓栄 経済)

 1960年代、アメリカの大統領は誰か。ケネディです。1961年からです。この時には、南ベトナムと北ベトナムの対立が非常に激しくなっている。

 北ベトナムは社会主義国です。それが優勢なんです。アメリカは資本主義国の親玉です。親玉として社会主義国の発生を許すことができない。ではもともとベトナムはどこの国の植民地だったか。フランスの植民地だったんです。これは日本の動きとも絡んでいる。戦前の日本もここに進駐いた。

 しかしアメリカが、社会主義の拡大を防ごうと、フランスを支援している状態です。それで分が悪くなった社会主義政権の北ベトナムは、それでもあきらめずに本気で戦っていく。これがゲリラ闘争です。正式名称でいうと、南ベトナム解放民族戦線を結成する。北の勢力が南にも及んでいくということです。


 アメリカは南ベトナムを応援してる。政権はゴ・ディン・ジェムいう政権です。北と南でベトナムが割れてる。これは資本主義と社会主義の対立だということです。


 日本は関係なかろう、ではない。枯れ葉剤をボンボン蒔いていく米軍機が飛び立ったのは沖縄の米軍基地からなんです。日本の基地がものすごく重要です。日本は関係ないどころか、大ありなんです。日本人が空爆したわけではないけど、アメリカにそうやって利用されているんです。


【キューバ危機】 その最中にもう一つ、1962年キューバ危機というのが起こります。キューバというのは、アメリカの目と鼻の先にある島です。


 アメリカのすぐ南のカリブ海、その海の一番アメリカに近いところに浮かぶのがキューバです。そこは、もともとアメリカの半植民地のような国だった。アメリカに支配されていた国だった。しかしそこで革命が起こる。アメリカの支配は嫌いだと言った。これがカストロです。4~5年前に亡くなったんですけれども。


 それでキューバは、ソ連寄りになっていく。ソ連とアメリカは戦後すぐ対立し始めて、1960年代になるとその対立が一番激化していった時代です。そのキューバが近づいたソ連が、アメリカに一番近いキューバを手に入れた。これを利用しない手はない。それでソ連はキューバに核ミサイル基地を建設しようとする。


 この情報をいち早くキャッチしたアメリカ軍は、ソ連から運ばれてくる核ミサイル基地の建設資材を、実力で海上封鎖してストップする。とても危険な行動です。


 アメリカとソ連はお互い核をもっている。軍艦同士が、通せ、通さないで、核戦争勃発か。その直前まで行く。核戦争の危機です。この時に腹くくったという人もいる。日本人は、その時ポカーンとしているだけです。


 アメリカのある軍当局者は書いている。その時に、明日がないかも、と腹くくったと。こんな事は事件から50年ぐらいたってから公開される。アメリカのケネディが、ソ連に対し建設中止を要求し海上封鎖を行った。ソ連のミサイル輸送を阻止しようとした。


 通せんぼしているところで、アメリカが1番胃が痛くなるような瞬間は、通せんぼしているときに、ソ連の軍艦がどんどん近づいてきて、強行突破しようとすればホントに核戦争です。動くかな、動かない、追突か、パッと変わる。最後はフルシチョフの判断です。この時にはソ連の最高指導者はフルシチョフです。そのフルシチョフはキューバのミサイルを撤去した。


 この教訓で震え上がった世界の首脳陣たちは、このままであればいつ全面核戦争が起こってもおかしくないと実感した。

 核というのは、相手国だけを殺す武器ではない。死なばもろともです。大気汚染から何から、何千キロだって放射能は大気上を流れてくる。それが今後の課題として大きく意識された。

 しかし同時に、アメリカは宇宙開発に血筋を上げていく。アポロ計画といいます。この宇宙計画は、人間が月面着陸したとか、その人間の偉業を称える、とかよく言われるけれども、本当の目的は軍事目的です。宇宙開発は軍事目的です。宇宙の大気圏外からミサイルを落とす。地球の裏側まで落とす。そういう核開発です。
 だからその証拠には、月の開発、月に人間が住めるとか言って、1964年に月面着陸したんです。しかし2度と行ってない。
 そんなものはもともと目的じゃない。本当は軍事目的です。日本のマスコミは言わないけど、軍事目的です。宇宙空間のどこかで、無重力状態で植物に根がはえたとか、それは小さいことです。本当の目的は軍事目的です。


 それから、オレたちはアメリカの仲間に入らないという非同盟諸国、アジア諸国です。そこにアメリカが援助する。ということは下心丸見えですよ。オマエたち、そう言わずに、オレとつきあえよ、悪いようにはしないぞ、とアメリカは言います。
 こういうことを10年、20年、30年スパンでやっていくんです。ということは、あれだけ60年代で活気づいていた東南アジアの非同盟運動は静まっていく。そんなことするよりも、アメリカからのお金つまり援助金もらった方が早いぞ。いつの間にか聞かなくなる。


【公民権運動】 それから、アメリカ社会は最近まで奴隷社会だということも大事でする。100年前リンカーンが奴隷解放宣言を出したじゃないか。あれは形だけです。本当に差別を無くしてくれよという運動が黒人の間に起こる。これを公民権運動といいます。黒人には選挙権などの公民権がまだ実質なかったからです。みんなに公民権やれよという運動です。反対しようがないんだけれど、黒人にはないんです。このリーダーがマーティン・ルーサー・キングという。


 お坊さんです。キリスト教の牧師さんです。彼が説教をしながら、何万人という聴衆の支持を受けていくんです。このあと、公民権運動によって、黒人の人権が認められるんだけれども、アメリカにつきものは暗殺なんです。このキング牧師は1968年に殺される。


【ケネディ暗殺】 そして大統領のケネディもまた殺される。1963年ケネディ大統領暗殺です。アメリカの大統領はよく殺される。暗殺率の高さのナンバーワンはアメリカ大統領です。暗殺の理由は、財務省証券という政府紙幣を発行したからだといわれますが、犯人は捕まらない、というのがいつものアメリカのパターンです。南北戦争の時、グリーンバックという政府紙幣を発行したリンカーン暗殺もそうでした。捕まっても、本当に犯人かどうかがわからないうちに犯人が殺されたりする。口封じです。犯人はオズワルトです。彼は、オレがやったという。でもウソッぽい。それで別の人物に射殺される。しかも警察署のなかでです。警察署の中で、犯人が部外者の人間にピストルで射殺される。これはどう見ても口封じです。
厳戒の警備の中、白昼堂々と大統領を暗殺するといった犯行はどこかの情報機関の協力がないと不可能です。今もその時の写真はネットで検索すると一発で出てきます。その瞬間が。しかし本当の犯人はわからない。 

 ただアメリカ政府は、この事件の公文書を2039年には開示するといっているんです。分からないなら開示できないでしょ。開示するとは、どういうことか。分かっているんです。あと20年後、私はもう死んでるかも知れないけど、君たちはまず見れる。しかと見てください。とんでもないものが出てくるはずだから。100%は公開しないはずですけれども、80%ぐらいは公開するでしょう。


 キューバ危機という全面核戦争の危機を受けて、1963年には部分的核実験停止条約、つまり核実験を停止しましょうという条約がアメリカ、イギリス、ソ連の間で結ばれる。アメリカは何百回と核実験して、データを収集した後です。まだ実験途中であったフランスと中国は、おまえたちが実験が終わったからと言って、なんで急に中止するか、という話になってもめる。オレにも持たせろ。それまで待ってくれ、ということです。

 核さえ持っていれば百人力です。主要国は自分の持つ核兵器を破棄しようとは決して言わない。自分は核兵器をし予示したまま、他国が新たに核兵器を持つことを禁止しようとしている。これは核兵器の独占を狙っていることです。核兵器はなくなった方が良いけれど、核を一部の国が独占したままにすれば、それらの国が世界を動かしていきます。それは非常に危険なことです。
 今年、中距離核兵器削減条約もアメリカのトランプが破棄したばかりです。今度は逆に中距離核ミサイルを逆に開発する、ということになった。
 アメリカは、自分たちの持つ核兵器を捨てることなど全く考えてはいません。



【キューバ革命】
 前後したけれども、さっきでできたキューバ革命です。アメリカのすぐ南にある島キューバ、そこで1959年キューバ革命が起こる。

 指導者はカストロです。カストロ政権が誕生した。キューバというのは、もともとはアメリカの従属国です。半植民地のようなものだった。アメリカの言う通りにしていた国です。その国のリーダーをバティスタという。民衆の言うことは聞かない。アメリカの言うことだけ聞く。民衆は黙っていろという独裁政権だったんです。


 カストロは、それじゃいかん、ということで、アメリカではなくてソ連に接近した。この情報をかぎつけたアメリカは、キューバのある港、ピッグス湾というところで、カストロの革命を潰そうとしたんだけれども、これには失敗します。
 そこでキューバはアメリカの保護下を抜け出して、社会主義宣言を行っていく。


 この社会主義の親玉がソ連です。つまりアメリカとの絆を絶って、ソ連側につくということを表明した。そしてさっき言ったソ連がそこに核ミサイル基地を作ろうとしたところから、1962年キューバ危機が起こっていくわけです。最終的には核戦争直前のところでソ連が譲歩した。もうハラハラドキドキの緊張の一瞬です。


 このことを本当に意味がわかっていた日本人は非常に少なかった。私もまだ鼻垂れだったからわかりません。3つ4つぐらいだから。当時の日本人が、これにどのくらい無関心だったかということを、私は高校の時の先生から聞いたことがある。その高校の時の先生は、自分が20歳の時だったと言った。自分はどきどきして、核戦争がいつ起こるかとビクビクしていたけれども、周りの友人たちは平和なもので何も思っていない。これでいいのかな、と当時の状況を聞いたのを覚えています。


 それでケネディは殺された。暗殺された。そうすると副大統領が大統領になる。こういった場合には選挙なしで米国副大統領が横滑りで大統領になる。これをジョンソン大統領という。


 そのケネディが殺された理由は、ベトナム戦争関係ではない。ただベトナム戦争でお金がないということと関係している。ケネディは自分で政府紙幣をつくったんです。政治経済で言ったかもしれませんが、お金は日本もアメリカも政府が発行しているのではないです。ではどこが一万円札を発行しているか。政府ではなくて、中央銀行です。日本で言えば日本銀行です。ケネディーはこれを中央銀行を介さずに、自分で政府自ら行った。でもお金の発行に触れるとよく大統領が死にます。


 そこらへんが2039年に公開されるかどうかなんでしょうけど、どうなるかまだわかりません。


【ベトナム戦争】

 このジョンソン政権は、そのまま北ベトナムへの空爆を続けていきます。北ベトナムが社会主義国です。だからここを攻撃します。

 そのゲリラ闘争している北ベトナムに対して、本格的にアメリカが参戦していくわけです。その参戦するきっかけが、1964年トンキン湾事件です。ベトナムの北部ににトンキン湾というちょっとした小さな湾があるんです。この湾の中に停泊していたアメリカの軍艦が、突如爆破される。そして沈没する。これは北ベトナムの仕業に違いないということで、アメリカが北ベトナムに宣戦布告していく。しかし戦争が終わったあとに、アメリカの軍艦を爆破させたのはアメリカの海軍自身だったということが分かる。つまりこれはアメリカの自作自演なんです。北ベトナムの仕業にして戦争したかった、こんなことをするんです。これはのちのアメリカのマクナマラ長官が、そのことを認めている。


 ただこの時にはそういう真実はわからないから、北ベトナムは憎い憎いヤツだ、卑怯な手を使うヤツだ、ということで、アメリカ軍は北ベトナムを空爆していく。これを北ベトナム爆撃だから略して北爆といいます。これが1965年です。
 この時から本格的にベトナム戦争が開始されていく。B52戦闘爆撃機がベトナムに向かって飛び立つ場所、それが日本の沖縄の米軍基地なんです。
 爆撃もやるけれども、このあと歴史に汚点を残すのは枯葉剤攻撃です。森林を枯れさせるために枯葉剤をまく。それだけならまだしも、ジャングルの下には、いっぱい人間が住んでいる。その人間たちの遺伝子まで枯れ葉剤によって侵していく。そのあとはベトナムには奇形児がいっぱい生まれてくる。戦争に関係のない赤ちゃんまで犠牲になる。このアメリカの非人道性が問題になる。


 ではアメリカと戦ってる北ベトナムはというと、ソ連からの支援を受けている。社会主義国ではナンバー1がソ連、ナンバー2が中国です。ソ連と中国からの支援を受けていく。
 アメリカはというと、史上最大の50万人以上の戦闘員を投入し、さっき言った枯葉剤作戦をしていく。非常に非人道的な作戦をやっていく。そこまでしてもアメリカが勝てなかったというのが、ベトナム戦争です。


【アメリカの挫折】それまでアメリカは、偉大な社会の建設、そんなことを言ってた。アメリカは偉大な国家だ。自分たちの手で偉大な時代をつくっていくんだ。そのウソがばれてしまった。
 まずベトナムでつまずく。お金が足りなくなる。黒人には差別がある。その要求に押されて公民権法を制定したのが、1964年。黒人差別を禁止していく。しかしその4年後の1968年にはその指導者であるキング牧師が暗殺されます。


 ベトナム戦争はアメリカが不利のまま、なかなか終わろうとしない。アメリカ人たちは早く終わればいいのにと反戦気分が高まります。若い人たちを中心にベトナム反戦運動が起こっていく。しかもこれが年々激しくなって、世界の一等国アメリカにも、戦後約20年でぼちぼち暗い影が差し始めた。アメリカのピークは1960年代です。そこからは下り坂です。


 次のことをちょっとだけ言うと、1970年代になるとドル・ショックが起こる。アメリカのドルなんか使えるか、というふうになる。ドルの価値がどんどん落ちていくんです。ピークを過ぎる。あんまり威張って、ベトナムなんかやっつけてやるというと、おおごとする。ただ日本はアメリカの核の傘に隠れている国だから、アメリカが追い詰められると、必ずそのツケは日本に回ってくる。日本はそのアメリカが嫌いだったけど、戦争して負けたから、今こういうふうになっている。
 その後はアメリカのツケは日本にまわってきます。


【東欧】
 そのころ1960年代に、ソ連側についた東ヨーロッパの社会主義国はどうだったか。国の名前としてチェコスロバキア、今はチェコとスロバキアという二つの国になっているけれども、この時は一つの国なんです。第二次世界大戦後、社会主義国体制になっていく。しかし独裁的で民主的じゃなかったから暴動が起こっていく。反政府運動が起こっていく。首都の名前を取ってプラハの春という。1968年です。チェコスロバキアの首都がプラハです。これを起こした中心人物がドプチェクです。民主革命が起ころうとした。そのやさきに親分のソ連が出てきて潰す。ソ連が出てきて弾圧します。
 今はソ連は潰れたから、ソ連の悪事というのはよく教科書に載っているけれど、アメリカもソ連も、やっていることはたいして変わらない。


【中ソ対立】
 では中国です。中国はソ連側ですね。ソ連が親分で、ナンバー2が中国です。

 そこで1960年代から、これじゃいかん、もっと頑張らねばと、1966年から文化大革命が起こる。こういうとわからないんです。文化大革命とは、文化とは名ばかりで、徹底した社会主義路線です。その徹底した社会主義路線を取ろうとしたリーダーが毛沢東なんです。しかしこれは戦後すぐからうまくいっていなくて、国民が飢え死にするぐらいの悲惨さなんです。

 それで、ソ連はフルシチョフがアメリカに接近したということを、前の時間に言いました。1950年代、資本主義を取り入れようとして、ソ連がアメリカに接近した。中国もうまく行ってないけれども、これには賛成しないんです。この弱腰がと、歯を食いしばってでも頑張れ、と言うんです。社会革命を成し遂げたら、あとは飢え死にしたって頑張ろうと、よく訳の分からないことをいって批判した。だから中国とソ連が方針が合わなくなるんです。ソ連はアメリカ側寄りにちょっとシフトした。中国は社会主義をそのまま守ろうということで、これを批判する。だからアメリカとソ連の米ソ対立の上に、中ソが対立した。

 世界のルールは、意外と単純で、敵の敵は何になるか。敵の敵は、敵になるか、味方になるか。敵の敵は、味方です。米中が手を組めば、ソ連は潰せる。

 こういうイメージ、ちょっと見ててください。こういうのを分かったら、策を読めるでしょ。だから分からないようにしていく。囲碁でも将棋でも、自分の作戦が相手に分かったら絶対に勝てない。だから分からないようにしていく。あとから追いかけて行く者は、表面の言葉だけを追っていても、絶対に分からない。ホンネはどこかというのを考えないと分からない。歴史なんかは。特にここらへんは。
 将棋を打つ前から、オレはこんな作戦でやりますと言って、その通りするバカはいない。勝負というのは、自分の作戦を見せないでしょ。バスケットでもバレーでもそうです。政治も基本的にはそうですよ。

 中ソ対立ということです。

 しかしこの文化大革命は結局、死人ばかり出して、うまくいかない。

だからどんなことするか。夜中に、トントンと秘密警察が家をノックして、こんばんは、お父さん出してください、お父さんが出てきたら、そのまま警察に取り囲まれて、連れて行かれて、何年待とうと帰ってこない。私は、ある中国人から直接そのことを聞いた。うちのお父さんは、あれ以来帰って来ない。いつのことですか。もう20年ぐらい前のこと。そのとき40歳ぐらいの女の人だったですけど。こんなこと世界ではいっぱい起こっています。

 そのリーダー毛沢東が1976年に死んだ。そこから中国の方向が変わっていく。変わるということは、中国はソ連寄りではなく、逆にアメリカ寄りにシフトしていくということです。


 その動きが1970年代後半です。アメリカ側にシフトしていく中心人物、この人が今の中国を作りかえていった。小柄な風采の上がらない男だったけれども、これが鄧小平です。彼が中国を変えていく。2回牢屋に入る。3回目のチャレンジで国家の最高指導者になる。正式な肩書きはつかないけど、誰が見てもこいつがドンだと分かる。
 本当のドンは、飾りの権力者を上に立てたりする。自分より見かけ上偉い人を立てて、それを操ったりする。しかしみんな、それが一番上の人物ではなくて、その下にいるのが本当の実力者だというのが分かる。鄧小平というのはそうやって権力を握る。


 こういうパターンが時々あるから。最高指導者とみせて、実は別の最高指導者がいたりする。それが鄧小平です。彼による改革が、1970年代後半から始まります。
 これで終わります。ではまた。