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「授業でいえない世界史」 21話 近世イスラム ティムール帝国とオスマン帝国

2019-03-19 07:46:03 | 旧世界史8 近世イスラーム

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


今まではヨーロッパをやってきました。ゲルマン民族の移動から初めて、ヨーロッパの紀元後4世紀頃から1300年頃まで来ました。中国史もモンゴル帝国が終わって1200~1300年まで来てるわけです。
前回から少し触れているけど、もう一つの世界の中心どこだったか。ヨーロッパの東にあるイスラーム世界です。そのイスラーム世界に入っていきます。
中国は先にやった。次にヨーロッパをやった。次はイスラム世界をやります。



【ティムール帝国】

 一旦、東南アジアを終わって、また中央アジアにいきます。内陸です。中央アジアはすでにイスラーム化しています。
 頭をまたモンゴル時代に戻してください。
 世界最大のモンゴル帝国はすぐ4つに分裂して、ここにできたのはチャガタイ=ハン国という。そのあと、この地域がどうなったか。
 ティムール帝国ができた。ティムールは人の名前です。1370年です。この人はイスラーム教徒ですが、血筋からいえばチンギス=ハンの子孫を自称するモンゴル系の人です。モンゴル帝国の権威がまだ強く残っています。
 ティムールがチャガタイ=ハン国が内乱状態になったすきに、自分の国を作った。それがあっという間にみるみる大きくなって、1370年にティムール帝国ができた。
 このときにはこの国が一番強く、そして大きかった。都はサマルカンド。インドの北西、今のウズベキスタンにあるサマルカンドです。
 これはイスラーム教国です。もう一つライバルのイスラーム教国が西にある。歴史的にはこれが強くなる。これをオスマン帝国といって、20世紀まで存続します。
 ティムールはこの国と戦い、勝利する。1402年アンカラの戦いです。オスマン帝国に勝つほど強かった。
 これを破って、金のなる道つまりシルクロードの交易、その利権を一手に納めた。その後ティムールは、モンゴル帝国の再興を目指して明への遠征を開始したんですが、その途中で病死してしまいます。一時非常に繁栄したんだけれど、遊牧民ウズベク族によって1507年に滅ぼされてしまった。
 それに代わって力をつけていくのが、さっき言った西隣のオスマン帝国なんです。
 オスマン帝国、わかりにくかったら中心は今のトルコだと思ってください。オスマン・トルコ帝国とも言います。トルコ半島は黒海を囲む出べそのようなところ。そこが本拠地です。
 このあと、ビザンツ帝国つまり東ローマ帝国を滅ぼすのは誰か。このオスマン帝国です。オスマン帝国は西に攻めて行きます。それでヨーロッパと境界を接します。緊張関係が発生します。



【イスラム三国】

 1400年代からどういう国がこのユーラシア大陸に出てくるか。東は中国だからイスラーム世界ではないです。中国の西がほぼイスラーム世界なんです。何カ国あるか。3つの大帝国が並んでいます。
 今の感覚からいうと、国境がなんでかぶっているのか。でもピタッと国境線が画定されたのは、ここ100年です。国境はもともとぼやけているんですよ。強い者が押したり引いたりしていくから、これが16世紀後半ですけど、100年の間には国境はかなり移動するんです。

 

▼16世紀後半のユーラシア


 1つ目の国。それでまず西のほうから行くと、一番メインはこのオスマン帝国です。中心はトルコです。第2のローマといわれた首都コンスタンティノープルはイスタンブールと改められます。

 ヨーロッパとアジアの境目はどこか。おおざっぱに言ってだいたいこの国です。
ここの海峡は切れている。地図が小さいからわかりにくいけど。ここの出べその半島とヨーロッパ側は切れていて、今は海峡に橋がかかっている。川じゃないです。ボスポラス海峡という海峡なんです。アジアとヨーロッパの切れ目です。西がヨーロッパ、東がアジアです。
 トルコ人の出身はもともと東のほうから来た民族で、ヨーロッパにも攻め入ろうとします。ヨーロッパはまだイスラム世界に押されているんです。ヨーロッパは負けているんです。もともとヨーロッパは田舎なんです。中心は今のトルコです。別名オスマン・トルコともいう。

 2つ目の国。今度は西のほうのペルシャです。ペルシャというのはギリシア人が呼んだ言い方で、自分たちではイランという。イランとその隣のイラク、似たような名前ですけれども・・・場所わかりますか・・・そのイランです。イランがペルシャです。ペルシャが日本でも通りがいい。これがサファービー朝ペルシャという。1501年、ティムール帝国が衰退したあとで建国されます。これもイスラーム教国です。世界の富の半分を集めたといわれた首都はイスファハンといいます。

 3つ目の国がインドです。ここもイスラーム教国です。アレッと思いませんか。インドの大多数、8割がたの人口はヒンドゥー教なんです。今、何教やっているかというとイスラーム教なんです。つまりインドは異教徒の国になったんです。
今までヒンドゥー教のインドが、イスラム教徒によって征服されていきます。これをムガール帝国といいます。

 今からこの3つをやります。全部イスラム教国家です。ヨーロッパ人が、キリスト教国どうしで仲が悪いように、同じイスラム国どうしも仲が悪い。隣同士の国というのは、よくケンカして仲が悪いのです。



【オスマン帝国】
まずそのオスマン帝国から行きます。これが一番西のオスマン帝国の領域です。
モンゴル帝国が世界最大の帝国を形成したあと、それを受け継いだのはティムールが受け継いだティムール帝国であった。
 オスマン帝国はまだ最初は強くなかったから、ティムールに負けて、もはやこれまでかと、弱小帝国で終わりそうになった時がある。これが1402年アンカラの戦いです。
しかしどうにかそのピンチを切り抜けて、復興していくのが1400年代の後半です。


【ビザンツ帝国滅亡】 ヨーロッパをみていくと、この帝国の隣には、今までヨーロッパの歴史をやったときに、何という国があったか。
 ローマ帝国の生き残り、東ローマ帝国があった。オスマン帝国はボスポラス海峡を越えて、ヨーロッパに攻めていった。それで東ローマ帝国は滅んだんですが、東ローマ帝国は名前を変えていたんです。ビザンツ帝国といった。これを滅ぼした。そしてヨーロッパ内に領土を広げた。オスマン帝国の皇帝はメフメト2世という。これが1453年です。ビザンツ帝国がオスマン帝国によって滅ぼされた。
 首都は、ここでコンスタンティノープルというローマ帝国の都から、イスラーム教徒の都になると名前が変わるんです。イスタンブールというふうに。今もイスタンブールです。

 ヨーロッパのことをいうと、東ローマ帝国つまりビザン帝国が滅んだから、ここの高い文明をもったその学者たちがヨーロッパに逃げて来る。ビザンツの学者がヨーロッパに亡命します。
 これによってヨーロッパの古典文明である、ギリシャ・ローマ文明が、ヨーロッパに伝えられる。これが後にいうルネッサンスです。復活という意味です。だから1453年という年号はけっこう大事です。


【領土の拡大】 次に1500年代、セリム1世の時代です。王様の名前は神経質にならなくていいけれど、この間ヨーロッパでは何が起こっていたかというのが大事です。
1492年にはスペインから飛び出た船乗りが何を発見したか。ないはずの大陸を発見した。これがコロンブスです。
 1500年代は、ヨーロッパ人がどんどん世界に乗り出していくときです。
中心はインドです。インドは今まで近づけなかったんだけれども、ヨーロッパ人が直接インドと取り引きをして、貿易でぼろい儲けをしだす。
ということは、ここのインド洋はもともとイスラム商人のものだったけれども、彼らが落ち目になっていく。世界ナンバーワンのイスラームが落ち目になっていき始めた。これが1500年代です。

 その間もオスマン帝国はあと100年ぐらい、勢を強めていって隣の帝国を破る。オスマン帝国の東隣は何だったか。サファビー朝ペルシャです。これを破る。これが1514年です。戦いの名前はありません。
 今度は西のほうです。アフリカの入口、エジプトです。そこも滅ぼす。何という国があったか。マムルーク朝です。これを滅ぼした。1517年です。


【スレイマン1世】 そしていよいよヨーロッパ本土にまで攻めて行こうとする。これにヨーロッパはビビった。ここらへんはよく説明の順番が逆になる。ヨーロッパのことはこのあと言います。これ教科書によると、どこから先に言わなければならないか、とにかく同時には言えないのは分かるよね、構造的に。テレビを2台つけていて、同時に分かるかというと、分からない。同時に起こっていることでも、どちらかを先にしないといけない。
 だからヨーロッパのことはあとで言うんだけれども、この時代のヨーロッパは宗教改革が起こって、戦争ばかりで内輪もめしている最中なんですよ。

 そこに外からイスラム教徒が攻めてくる。ヨーロッパはこれで一巻の終わりか、と追い詰められる。ヨーロッパに攻めてきたオスマン帝国の王様が、スレイマン1世です。1529年です。これを第一次ウィーン包囲といいます。1500年代まではまだオスマン帝国が強いです。ヨーロッパを攻めている。
 オーストリアの首都はウィーンです。オーストリア人があまり世界中の人間がオーストラリアと間違うから、頭にきてシャレで何をしたか、ウィーンの空港でTシャツを販売して、そのTシャツに何と書いてあってたかというと、「ここにカンガルーはいません」と書いていたという。オーストラリアとしょっちゅう間違うんですよ。オーストラリアは日本の真南にある。オーストリアはヨーロッパです。
 そのオーストリアの首都はウィーンです。ここを包囲したんだけれど、オーストリアはやっとのことで占領されるのを防いだ。

 この当時、ヨーロッパで一番強いのはイギリスではなくて、まだスペインなんです。コロンブスもスペインの女王様のお金で航海した。そのスペインにオスマン帝国が勝つ。1538年プレヴェザの海戦です。まだオスマン帝国が強い。ヨーロッパはまだ田舎ということです。
 こうなると、オレ怖いな、やっぱり強い者について行こうかな、というのがフランスです。ヨーロッパとは手を組まずに、コソッとオスマン帝国の王様と手を組んだりする。これが1536年です。
 
 オスマン帝国の最大領域は地図の外側の線です。これがオスマン領です。ギリシャも含まれます。古代ギリシャは、イスラーム教という異教徒の支配になります。そしてトルコ半島、カスピ海沿岸まで。サファビー朝と境界を接して、ペルシア湾まで。今のイラクあたりも全部オスマン帝国の領土です。メッカとメディナ、イスラム教徒の一番重要な聖地メッカもオスマン帝国が領有する。アラビア半島のまん中は、なぜ取らないか。人が住まないから、砂漠だから要らないのです。そしてアフリカの北の方はずっと西まで、こんな広い大帝国をつくる。
 ヨーロッパにこれだけ大きい国というのはないです。イギリスでもフランスでもドイツでも、これに比べたら、3分の1、4分の1、5分の1、小さなものです。それだけ大きいのがオスマン帝国です。こういう帝国があった。オスマン帝国、またはオスマン・トルコ帝国です。


【軍事】 このオスマン帝国の特徴。イスラーム教徒は今でもサウジアラビアとか、アラブ首長国連邦とか、お金もちです。なぜお金持ちなのか。石油が出るからです。世界で最も高いビルなんかというのは、東京とかニューヨークにはない。アラブ首長国連邦という、昔は何もない漁村だったところに、高さ500メートルぐらいのタワービルがある。ドバイです。石油が出るからお金もっている。
 ではそこで世界最高のタワービルを建設するために、アラビア人が一所懸命汗水垂らして働いているのかというと、お金もっているから、全部他人にさせるんです。
給料出すから来いと言って、インド人とかトルコ人とか、そんな外国人ばっかりですよ。外国人が一生懸命働いている。

 こういうことは昔から基本的に変わらない。社会的に立場が上がると、自分たちで国を守ろう、兵隊になろうじゃなくて、外国人を兵隊として連れてきて、給料払うからおまえたちが国を守れというんです。
 キリスト教社会のヨーロッパはまだ弱いから、キリスト教徒のを子供たちを、お金で買って連れてきて、そして大切に育てて、彼らに軍事教練していく。敵が来たら戦え、と徹底して教えていく。自分たちは戦わない。彼らは彼らで、優秀なキリスト教徒の子供たちだから一生懸命戦うんです。これが強いんです。イスラム帝国を守っている軍隊はキリスト教徒である、という変なことになる。
 ドバイというイスラム国家の最高層ビルを建てているのはインド人です。それとあんまり変わらないです。ぜんぶ外国人にさせる。
 この軍隊をイェニチェリという。半分奴隷です。子供の時から連れてきて、軍事教育を受けさせる。結婚したらダメ。半奴隷です。こうやって奴隷にさせる。

 軍の統率権を握る立場の者をイスラム教徒の子弟から選ばず、あえてキリスト教徒の子弟から選んだのは、イスラーム豪族の台頭をおさえ、キリスト教勢力を懐柔し、両教徒の勢力の均衡の上にオスマン帝国の権力を強化して行こうとしたためです。イェニチェリは妻帯禁止とされ、その子孫たちによる世襲を起こさせませんでした。

 イスラム社会には、ヨーロッパ世界とは別ですけれども、そういういわば納得済みの奴隷たちがいっぱい出てくる。彼らをマムルークという。これを奴隷軍人という。
奴隷なのか軍人なのか、なぜ奴隷が軍人になるのか、日本人の感覚ではなかなかわからないけれども、イスラーム世界の得意技はこれです。強い優秀な外国人を連れてきて、半自由の奴隷にさせて、国を守らせる。働かせる。そしてまたよく働くんです。でも奴隷です。結婚したらいけないという人間は、奴隷でしょ。


【都市】 ただイスラーム社会と、キリスト教の社会が違うのは、キリスト教社会は一言でいうと個人主義になっていくんです。自分が豊かになりたかったら、自分が働いて、自分のために金を稼ぐ。それは全部自分のものだとなる。
 しかしイスラム社会はその成立の最初から、お前だけ儲けてなんのつもりか、儲けたぶんは社会に返せよ、と寄付が発達していく。こういう寄付制度をワクフという。イスラム教の教えでは金を持っていたら、寄付をするというのは当然の義務なんです。オレの金をオレがどんなに使おうと、オレの勝手じゃないか、という今の人間とは違う。それではいけない社会です。それが寄進です。
 だから学校でも、モスクというイスラーム教のお寺のようなものでも、国家経営ではない。お金持ちの寄進です。それで成り立っている。そこらへんが違う。学校のことはマドラサという。
 もう一つ、金持ちの寄付で店をつくる。最近まで日本の至る所にあった・・・君たちは知らないだろうけど・・・アーケード街がある。これをスークという。ペルシャ語でバザールという。アーケード街のような商店街がずっと軒を連ねているんです。誰がアーケードをつくったのか。金持ちの寄進です。こういうことをやって社会的に非常に発展していく。それからラクダで物を運ぶ人たちのためには安宿、キャラバンサライという砂漠の中に転々と宿がある。50キロに一軒ぐらい。こういうのも寄付です。

もともと、そのイスラーム教徒にとっては・・・他に言葉がないから帝国とか国とかいう日本語をあてるんだけれども・・・アラビア語には国という言葉がないんですね。
 ではその国と翻訳される言葉は何かというと、ウンマです。これは共同体という意味です。イスラーム教という信仰を同じくする人間がウンマという共同体をつくる。その共同体がそのまま国だという発想なんです。
 だからイスラーム教徒の共同体が大事だったら、征服したところに別のキリスト教の共同体があっても、それはそれで大事だ、と尊重する。それがキリスト教と違うところです。キリスト教徒は異教徒を国から追い払っていくんです。レコンキスタで。

 だからイスラーム教徒の共同体が大事だったら、キリスト教徒の共同体も大事だ、認めましょうとなる。だからキリスト教OKです。「宗教に強制なし」というムハンマドの言葉どおりです。イスラム教徒ではない人たちの共同体も認めていく。これをミッレトという。だからイスラム国家の中にはキリスト教徒が当たり前のごとく住んでいます。
 絶対キリスト教を捨ててイスラム教になれ、そういうことは言わない。宗教的には非常に寛容です。


【動揺】 1500年代の第一次ウィーン包囲はすでにしました。その150年後、もう一回ウィーに攻めてくる。1683年第二次ウィーン包囲をやる。またオーストリアの首都です。
 地図で見るとウィーンはここです。ここを攻めた。2回も。しかしこれも失敗する。
 ここから形勢逆転します。ヨーロッパが逆に強くなっていく。ヨーロッパが強くなって、オーストリアが初めて今までの領土を奪い返す。今のハンガリーなどを奪い返します。
 さらにこのあと100年~200年の間には、ヨーロッパはますます勢力を拡大して、その北東の小さな国がどんどん大きくなっていって、オスマン帝国を圧迫していく。この国がロシアです。本当は黒海の北側までオスマン帝国の領域であった。これをロシアが奪っていきます。このことはまた後で言います。

 3つ並んだ帝国の1番目、オスマン帝国はここまでです。

 これで終わります。ではまた。



「授業でいえない世界史」 22話 近世イスラーム ムガール帝国とサファビー朝

2019-03-19 06:17:13 | 旧世界史8 近世イスラーム

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 イスラーム世界の最初のところで言いましたけれども、イスラーム教徒をムスリムといい、ムスリムの共同体をウンマといいます。
以前、地理で国家の三要素といったのを覚えてますか。国の三要素、1、2、3。国は何で成り立つか。

1.まず土地です。これは領域です。
2.次はです。国民です。
3.そして次は、その国民が決定権をもっていること、つまり主権
この3つなんです。これで国になる。

我々日本人は国とは何かと言われると、国の範囲つまり領域だけで、これが国だ、これが日本だと思う。3つ全部そろわないといけないんだけど。

 しかしイスラーム教徒は違うんですね。国というのは共同体のことです。イスラームには国という言葉はないんです。ないから仮にこのウンマのことを国と言っているけれども、共同体の仲間つまり人がいるところが国なんです。
 日本の国民はほぼ定住なんです。日本人の多くは伝統的に農民だから、人は土地から離れない。しかし、イスラーム教徒はラクダに乗って商売している。ラクダに乗ってたえず移動している。すると仲間が移動した先がそのまま国の範囲になるんです。

国の発想が我々日本人とちょっと違う。土地の範囲から国を見るのではなくて、人の範囲から国を見る。だから国民がいるところはすべて国になる。イスラーム教徒の国の観念というのは、こういう発想です。
 その国民がいるところが国になるというのは、面積の範囲が国の範囲ではなくて、もともとイスラーム教を信じている仲間がいるところはどこでも国になる。つまり共同体が国です。俺たちは仲間だから、仲間がいるところは国なんだ、という発想です。
 一口に国といっても、そういう国の範囲の観念が微妙に違います。そういうのがイスラーム国家です。土地の面積じゃなくて、自分たちの仲間がいるところが自分たちの国です。

 そういうイスラム国が横に3つ並んだのが、1500年代です。

西のヨーロッパ側から行くと、
1.まずオスマン帝国。これが今のトルコなんです。オスマン・トルコ帝国ともいう。

2.次に東に行って今のイラン。むかしペルシャと言っていた。サファビー朝ペルシャです。
3.さらにその東のインドです。ムガール帝国です。
この3つは全部、イスラーム国家です。そしてしかもここが世界の中心です。

ヨーロッパはまだおまけです。しかしこれから100年たつと逆転していく。世界の大転換です。中心地が変わっていく。



【ムガール帝国】
ではそのインドに誕生したムガール帝国

これもムガールとはインド訛りなので、本当は何と言ってるつもりなのかというと、モンゴル、ムンゴル、ムンガル、ムンガール、ムガール。モンゴルと言っているつもりが、インド人がムガールと聞いた。本当はモンゴル帝国の意味なんです。


【バーブル】 建国した人はバーブルという。どういう人か。チムール帝国が前にありました。彼はチムールの子孫です。そのチムールは、チンギス・ハーンの子孫だ、と言っていた。ということはチンギス・ハーンの子孫だと名乗ったということです。だからこの国は一種のモンゴル帝国です。でも宗教的にはすでにイスラーム教に改宗しているイスラーム国家です。だからモンゴル帝国の復興を目指しながら、実態はイスラーム帝国であるという、理念がミックスされた国家です。
 あの大ご先祖様のチンギス・ハーンの帝国を、俺は再び復活するぞ。場所は違うけど。インドにつくるぞ、というのがこのバーブルです。この人はチムール帝国の一大名だったんですけれども、別の民族、ここらへんはやっぱり馬やラクダに乗った人たちが、しょっちゅう攻めてくるんですよ。この時はこれをウズベク族という。今もここには彼らの名前をとったウズベキスタンという国があります。
 バーブルはそのウズベクに敗れて、それはインドのちょっと北西にあった国ですが、そこで敗れて、じゃあインドを征服していこう、となる。
 当時そこにあったインドの王朝は、ロディー朝というんです。デリー=スルタン朝の最後です。ムガール帝国の建国は1526年です。

 こういうと悪いけど、インドは戦はあまり強くない。文明は高いけどね。文明の高さは、戦争の強さには必ずしも比例しない。ヨーロッパなどは文明度合いは、ものすごく低いけれども、戦争になるとこのあとやたらと強くなる。
 文明の高いところが戦争で勝つとは限りません。喧嘩だから、喧嘩は頭がいい者よりも、暴力的な人間が強い。野蛮な人間が強そうな気がしませんか。世界史的にもそれはあてはまる。頭は悪いけど喧嘩が強い人って、どこにでもいるでしょう。
 だからインド人は、あまり戦争は強くない。インドはヒンドゥー教でしょ。ムガール帝国はイスラーム教徒です。これは戦争が強いんです。それでインドは早々と負けるんですね。

 インドの王朝はすでにそれ以前からイスラーム教徒になっている。インドには次々と5つの国が攻防している。これをまとめてデリー=スルタン朝といいます。これはインドの王朝です。そしてこのロディー朝というのが、このデリー=スルタン朝の最後です。
 これを倒して6番目のデリー・スルタン朝になろうとしたんだけれど、このバーブルの国家が長いこと続いて、ムガール帝国になるんです。ムガール帝国は400年ぐらい続きます。その建国者がバーブルです。


【アクバル】 全盛期、そのイスラーム教を広めた王様が第3代アクバル帝という。まだ1500年代です。
ヨーロッパではこのころ宗教戦争ばっかりです。宗教改革が起こってプロテスタンティズムが発生します。戦争や魔女裁判とか、血がわんさかと流れている。そういう状態です。

 しかしインドは宗教的には寛容です。ヒンドゥー教徒を縛り上げて何が何でも改宗させてイスラム教徒になれ、などとは言わない。ただそれまではイスラーム教徒にならなかったら、余分に人頭税を払え、これが条件だった。早い話、金さえ払えば何を信じてもいい。
 でもこのアクバルは、その人頭税さえ廃止する。イスラーム教徒でなくても人頭税を払わんでいい、という政策をとる。非常に寛容な宗教政策をとる。
だから今でもインドにはヒンドゥー教徒がいっぱいいます。半分以上、7割、8割はヒンドゥー教徒です。こういう寛容策によってインドをまとめていく。
 そんならよかたい。インド人にとって、オレたちに悪いことしてないじゃないか、オレたちに口出ししないなら、王様にさせていていい。オレたちには関係ない。それで国がまとまった。


【シャー・ジャハン】 5代目の皇帝がシャー・ジャハンです。
この人は政治的にはたいしたことはしない。だけれども文化人なんです。非常に気が優しい。芸術に興味がある。そして泣き虫で寂しがり屋で、嫁さんが死ぬと、悲しくて悲しくて、嫁さんを祀るインド最高の建築物をつくる。これをタージ・マハルという。嫁さんの墓です。廟というのは墓です。ここに亡き妻の慰霊を祀っている。前に池があって、それは綺麗です。


【アウラングゼーブ】 そういう宗教的には寛容な政策を、これを変えたのが、1600年代になって、第6代のアウラングゼーブ帝です。この人が戦争をふっかけて領土を広げた。
 そこまではいいけれども、戦争というのは国家財政的に一番金をくう。そこで金が必要になる。しかもこの人にとってイスラーム教の教えは絶対だった。なぜイスラームの教えを信じない、ヒンドゥー教徒はバカだ。こんな馬鹿な奴からは、前の王様が廃止した人頭税をとろう。こんないい加減なヒンドゥー教を信じる奴からは、人頭税をとってやる。
 こうなるとヒンドゥー教徒にとっては、なんでオレたちが、こんなにお金を払わないといけないのか、と対立してくる。ここらへんから国が割れてくる。
 イスラーム教徒とヒンドゥー教徒との対立が始まる。時代は1600年代です。これもこの後ヨーロッパのところで言うけれど、イギリスがこのインドに乗り込もうとして、東インド会社という特権的・暴力的な貿易会社を作ったのが、ちょうど1600年です。
 当のインドは一番まとまらないといけないところで、逆に対立しだす。イギリスはインドが欲しくてたまらない。もともと海賊の国だから。喧嘩ふっかけていく。
 最終的にはインドはイギリス最大の植民地になる。イギリスが絶対に手放したくないのはインドです。そのイギリスがインドに入り込んでいく時期です。
イギリスはこの後200年かけてそういうことをしていきます。



【サファヴィー朝ペルシャ】
 ではその中間にあるイランです。サファビー朝ペルシャです。建国は1501年です。今のイラン、昔はペルシアといっていた。これもイスラーム国家なんですが、他のイスラーム教国家と違うのは・・・イスラームには2つの宗派があって・・・ここは少数派のシーア派です。多数派はスンナ派という。
 この国はトルコ系遊牧民の国で、神秘教団の一つであるサファビー教団の長であったイスマーイールが、彼らを率いて1501年に建国したものです。
 宗派が違うから隣の国と宗教対立する。東のオスマン帝国も西のムガール帝国もどっちもスンナ派で、この国はシーア派だから、東とも西とも仲が悪い。
 実は今もイランはイスラーム世界の中で独自路線をとっていて、周辺諸国と対立しています。今もアラブ世界が一枚岩にまとまらないことは、アメリカにとって都合がいいように見えます。


【アッバース一世】 この最盛期の王様がアッバース一世です。都はイスファハン。世界の半分といわれる富を持った。これも壮大な宮殿とモスクが一体となって公園みたいになっていますが、とても広い公園です。
 この国は約200年以上続く。200年もてばたいしたものです。なかなか200年はもたないです。100年というと短いですけれども、日本は戦後まだ70年です。明治維新から150年ぐらいです。
 日本もこれから200年もつでしょうか。だいたい70年ぐらいで変わる。70年で安泰になったら、だいたい150年から200年ぐらいは持つ。あとのことはわからない。その点、ここで行き詰まっているなあと思っている江戸幕府が、あと200年もつ、たいしたものだと思う。あれだけの王朝はないです。日本の歴史のなかでも。
君たちの世代だな。日本が変わるとすれば。変わってる気配はある。いい方に変わるかどうかは分かりません。

 貿易一つでも、あれだけ自由貿易・自由貿易といっていたアメリカが、急に保護貿易で関税を上げるとか言い出した。私は、アメリカが保護貿易にしようと言ったのを、はじめて聞きました。何かが変わりそうですね。そして中国と対立している。不思議なのは、ニュース見ててビックリしたのは、アメリカは日本に対して関税を上げると言った。アメリカは日本車を輸入している。関税は2.5%です。日本車は売れすぎだと言って、これを一気に25%に上げると言うんです。10倍です。
 では日本はこれに対してどうするか。牛肉が来ている、アメリカから。これを数字では言わなかったけれども、向こうが上げるんだったら、日本も輸入牛肉の関税を引き上げるというかと思うと、逆にうちは引き下げる、といった。何これ。これにはびっくりした。日本は逆に関税を引き下げる、ということは、日本の牛肉農家は潰れる。日本はアメリカへの輸出品への関税を引き上げられたうえに、アメリカからの輸入品の関税を引き下げる。これが日本の現実かな。
 これと比べて、中国はアメリカが中国製品に関税をかけるだったら、俺だってアメリカからの輸入品の関税を引き上げるぞ、と言っている。独立国としてのありようがぜんぜん違うのです。

 これが国際的な日本の実力かな。米軍が日本に常駐しているというのは、そういうことです。オスプレイも買いました。日本で飛びます。大変なことになるんじゃないかな。
時代が変わるとすれば、君たちの世代かな。私が生きた時代よりも変わるでしょう。変わりようによってはとんでもないことになる。

このサファビー朝が今のイランの原型になっています。
イスラム世界はここまでです。
ヨーロッパに行くまえに、あとワンクッション。次は中国です。
これで終わります。ではまた。