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「授業でいえない世界史」 25話 近世ヨーロッパ ルネサンスと大航海時代

2019-04-27 08:00:00 | 旧世界史10 近世西洋
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【ルネサンス】

 ここからあとは、ほぼヨーロッパの歴史です。本格的にヨーロッパが強くなっていきます。ここでのテーマはルネサンス宗教改革、この二つです。
 まずルネサンスとは何か。これはフランス語で復活とか再生という。何を復活させるのか。ヨーロッパの過去の文化です。
 この時代のヨーロッパの文化は何ですか。この時代の文化の中心はキリスト教です。ほぼキリスト教一色といってもいい。そのキリスト教以前のヨーロッパ文化を復活させようという動きです。
 キリストが生まれる前の古代のヨーロッパ文化といえば、まずはギリシアです。ギリシア・ローマです。この時にはキリスト教はまだ発生していません。そのギリシアに高い価値を見いだしていく動きです。

 ただこのことは、ヨーロッパで非常に崇められていたキリスト教を否定することにつながる。反ローマ教会の動きに繋がっていきます。
 今までヨーロッパ人は、キリスト教を中心にまず神様のことを考えていたんです。しかしもう神様じゃなくて、ギリシャ人のように人間のことを考よう、というわけです。人間のことをヒューマンといいます。それがちょっと意味が変わって今のヒューマニズムになる。もともとは人間の欲求を肯定する人間中心主義のことです。


 なぜこんな事が起こったのか。ギリシアの2000年前の文化というのは、まずどこに伝えられたか。今までやったヨーロッパ以外に文明は3つ大きく分けてあります。
1番目は、中国文明です。
2番目は、イスラム文明です。
3番目は、インド文明です。

 これに比べれば小さい文明、これがギリシャ文明です。このギリシャ文明はヨーロッパに直接伝えられたか。ヨーロッパではなくてイスラーム世界に伝わったんです。
 このイスラーム世界と接したのがこの時代から300年前の十字軍です。キリスト教徒が胸に十字架のマークを縫い付けて、大挙してイスラーム世界に戦争しに行った。このイスラーム世界との接触によって、そこに保存されていたギリシア文明がヨーロッパに入ってきます。

 結論的なことをいうと、それぞれ世界には中国文明、イスラム文明、インド文明があったんですけれども、ここで急にヨーロッパ文明が強くなって全世界に浸透していく。今ではほとんどがヨーロッパ文明だらけです。日本は違うといえるか。それなら我々はチョンマゲしているのか。紋つき袴をしているのか。髪型でも、ズボンでも、スカートでも、ネクタイでもヨーロッパ流です。このように全世界的にヨーロッパ文明が覆っているのが現状です。
 そのなかで俺はヨーロッパのマネはしない、キリスト教のマネはしないというのがイスラーム世界です。彼らは、女は伝統的なチャドルというのを巻いて、女性は人前では顔を見せたらいけないというイスラームの教えにしたがってスカーフをまくんです。そして男は、髭ぐらい剃らないかと日本人は言うけど、髭のない男なんかみっともなくて外を歩けないといって髭を蓄える。あれがイスラーム世界の男の威厳なんです。ヨーロッパ文明とはかなり違う。
 日本はいち早く、そうだ、そうだ、これからはヨーロッパの時代だと言って、約150年前の明治維新の時に大きく変わった。そこまで変えていいのかなというのが、今大河ドラマでやっている西郷隆盛です。あの人はちょっと疑問をもっていたところがある。あの人は自殺に2回失敗していますからね。残りの人生、どこだって死んでやるという人です。
 こういう古代ギリシャ文明はイタリアからまず入ってきます。イスラーム世界を通って。早くは十字軍の後・・・十字軍が1200年代の後半まで約200年間続くから・・・1300年代から始まる。
 最初の人はダンテというイタリア人です。小説、「神曲」を書きます。それからもう1人、ボッカチオ。これは「デカメロン」といって・・・デカいメロンではなくて・・・話の内容は腐敗したキリスト教のお坊さんの私生活を、隠れてお金を貯めていたり、人には神を信じなさいといいながら自分は神を信じてなくて、贅沢な生活をしていたり、そういう宗教界の裏話を暴露する。

 1400年代になると・・・昔の絵は非常に神様っぽくて肉付きのいい女性とか描かなかったけれど・・・非常に有名な絵、モナリザが描かれます。これを描いたのはレオナルド・ダ・ヴィンチです。この人は絵を描くために、死体を墓場から持ってきて、夜の夜中に自分の部屋で解剖して筋肉の動きまで徹底して調べる。そのうちに絵が本業なのか、医学が本業なのか分からなくなって、めっぽう科学に強くなる。そんな人で万能人といわれる。天才でしょうね。

 それからキリストのお母さんのマリアさんの像で、マリアさんと赤ちゃんのキリストです。普通の親子の若いお母さんと赤ちゃんの姿で描く。みんな驚くんです。マリアさんはこんなに綺麗だったんだと。ラファエロです。
 次、ダヴィデ像という。昔のイスラエルの王様です。ミケランジェロです。1501年。

 それから芸術ではないけれども、この時代に印刷技術が一気に拡大していく。グーテンベルクという人が活版印刷術を発明する。これがなぜ大事なのかというと、聖書を読めるようになる。紙がないところでは庶民は字を読めないです。紙があることによって本が安く手に入り、読み書きができるようになっていく。当時の本というのは聖書なんです。これが読めるようになる。中国ではこんなことは当たり前なんですけどね。ヨーロッパがやっと中国なみに本が読めるようになる。


 それから、太陽が地球を回っている。ウソこけと、見抜いた人。地球が回ってるんだと言った。バカじゃないかおまえと、最初言われたけど、これをバカだという人は今はいない。太陽が動いているんですか。小学校レベルですね。地球が自転してるんです。これが地動説です。コペルニクスです。ここらへんで科学水準が、今まで中国が進んでいたのを、ヨーロッパが一気に追い越していくんです。


 その中心がやっぱりイタリア。中心となるのはフィレンツェです。
 一気にギリシア文化が伝わってくるのは、1453年に分裂したローマ帝国の一方であった東ローマ帝国、名前を変えて何帝国だったか。ビザンツ帝国と言った。それが滅んだんです。
 この国が滅んで、そこにいた学者が命からがらヨーロッパに逃げてきた。学者の亡命です。それをかくまったのがイタリアの金持ちたちです。その中心がフィレンツェです。フィレンツェには、ヨーロッパでナンバーワンの金持ちがいる。金持ちは金貸しです。その中にメディチ家がある。金貸しはお金が儲かる。銀行業はお金儲かる商売です。これにいち早く目をつけて、腐るほどのお金をもって、芸術家の一人や二人、三人、四人、ドンと来いです。才能があれば、なんでも材料整えてやって、給料100万やるから、何でもいいからつくれ。ぼこぼこつくらせる。またそういったことで文化が発展していく。
 ただこれは一方では反キリスト教的な動きなんです。キリスト教中心に考えていたものを、逆に人間中心に考えていく。ということは教会中心には考えないということです。


【大航海時代】

 こういうキリスト教反対の動きと同時に起こるのが、まったく別のことです。全然関係のないことが同時に起こっていきます。
 これがヨーロッパ世界がどんどん、海の向こうに乗り出していくきっかけになります。イギリスなどはもともとはバイキングの子孫です。海賊の伝統がある。海が大好き、船が大好きなんですよ。
 ただ昔の地球は、ここにヨーロッパがあるとすると、船乗りたちは海岸の近くだけしかいかない。海岸から離れて遠くに行こうとすると暴動が起こる。それでも船長が行こうとすると、船長は殺される。
 なぜかというと、この当時、地球は平面でしょう。海があっても、どこまでも海が続いているわけはない。どこかで切れるはずだ。そこまで行ったら地獄の底に落ちる滝がある。その滝の水に巻き込まれたら手遅れで、地獄に落ちるんだ。これを怖がった。

 そこまで行っていいというのは、命知らずの荒くれ男たちですよ。つまり海賊です。命なんか惜しくないわい。100万円儲かるなら、命なんか惜しくないわい。賭けです。そんなことをどんどんやっていく。そんな男たちだから、人殺しだってしていく。
 
▼大航海時代


【ポルトガル】 そういったことに乗り出していく国がまずポルトガルです。今は小さな国です。スペインの西のほうにあるヨーロッパの西の端にある小さな国です。しかし大西洋に面している。ここがまず海に乗り出して行くんです。

 地中海貿易でアジアの香辛料を高値で取引し、成功していたイタリア・ドイツは、地中海以外の新たな交易ルートを開発し、大西洋経由で直接アジアと取引しようと試みていました。そこで彼らはポルトガルに莫大な投資をし、造船をさかんにおこない、ポルトガルやその国王を新航路開拓へと駆り立てました。

※ 15世紀の大航海時代は、ベネチアに苦汁を飲まされたジェノバの逆襲として幕を開けるといっても過言ではありません。・・・ジェノバはポルトガルに積極的に資金を拠出し、これを支援しました。(宇山卓栄 経済)


 その親分はバスコ・ダ・ガマ。いかにもガマといえば、親分さんのような。そんな荒くれ男の、海賊たちの棟梁だから、歴史に登場するようなエリートじゃない。やくざの親分みたいな人です。若い頃は何をしていたかよく分かっていない。それがなんで歴史に名が残るか。ヨーロッパからこんな南に行ったら、地球から落ちると、乗組員たちの大暴動が起こる。それをなだめる。命知らずの男たちを。俺に任せろ。絶対に悪いようにはしない。そういう親分さんです。
 彼が行った航路は、ポルトガルから赤道、赤道はここに通っているから、暑くて暑くて仕方がない。これもイヤなんです。赤道を過ぎて南下すると、だんだん寒くなる。今度は逆に寒くて寒くて仕方がない。不安も大きくなる。世界の滝から落ちる不安。これをなだめて、つべこべ言わずでオレに着いてこい、バカたれが、となだめる。

 その大親分がどこに行きたかったかというと、結局ここです。インドです。これはヨーロッパ人の羨望の的です。うらやましくて、ここに行きたくて行きたくてしかたがない。インドとの貿易をしていたのは、それまではイスラム圏だから。イスラム商人がインドから買ったものが、地中海経由でヨーロッパに運ばれていた。だから高くなる。インドに直接行けたら、安く買うことができて、それだけで億万長者になれる。胡椒を一袋もってきたら金と同額だから億万長者です。そんなぼろい儲けができる。

 しかし胡椒は胡椒に過ぎません。それに高値がつくということ自体実体のないバブルです。胡椒バブルが崩壊すると莫大な資金を投じ、世界各地に港湾を建設し、香辛料貿易を行っていたポルトガルのリターンは著しく減少しました。ポルトガルはデフォルトし、隣国スペインに併合されました。

※ 小国ポルトガルの予算だけではその費用を負担できず、ジェノバ資本に依存しなければなりませんでした。その結果、香辛料貿易の利益のほとんどをジェノバに取られ、ポルトガル王室は慢性的な財政難に陥っていました。・・・ポルトガルは身の丈に合わない開発話に乗り、負債とその利払いに追い立てられ疲弊していったのです。・・・1578年、モロッコを心配していたイスラム王朝サアド朝に大敗します。この戦いに負けポルトガルは、負債の返済の目処が立たなくなり、デフォルトします。そして1580年、隣国のスペインがポルトガルを併合します。(宇山卓栄 経済)


 その時に、イスラーム商人たちが牛耳っていたインド洋を、それをポルトガルが戦争して取る。これが制海権です。海の支配権を握る。これをディウ沖の海戦といいます。


【スペイン】 そして次は、ポルトガルに先を越された隣のスペインです。お前たちが東に行くなら、オレは西に行く。西に行って滝から落ちて死んだらどうするか。いやいや、地球は丸いんだ、という。これコペルニクスの説です。これを信じていく。のるか反るかの大博打です。証拠がないんだから。ただコペルニクスがそういっただけで証拠は何もないけど、絶対、西に行けばインドに着けるという。
 その大西洋の詳しい地図なんかないし、しかもアメリカ大陸の存在を知らないから、すぐ行けるという。

※ ジェノバは16世紀以降、スペインにも資金を拠出します。 ジェノバ出身のクリストファー・コロンブスの努力により新大陸を発見し、金・銀を大量に採取し始めます。(宇山卓栄 経済)

※ ポルトガルやスペインという西の辺境を一躍、時代の雄に押し上げたのはジェノバの資本です。ジェノバの船乗りコロンブスはポルトガル王やスペイン王にジェノバの融資を元手にした新航路の改革を薦めて廻り、ジェノバの銀行のセールスマンのような役割をしていました。(宇山卓栄 経済)



 これがコロンブスです。スペインから大西洋を西へ向かって行くんです。近かった、ほらインドだ。でもインドじゃないでしょう。今でも地図には、このコロンブスが見つけた島々は西インド諸島と書いてある。コロンブスはインドだと信じていたから。インドを見つけたぞと言って帰って来る。
 しかしだんだん日が経つと、どうもおかしいんじゃないかと言って、アメリゴ・ベスプッチという人が探検して、これは大嘘だ、インドでもなんでもなかった、これはオレたちの知らない陸地なんだ、と言った。何という陸地か知らない。名前はないから、アメリゴさんが発見したからアメリゴの土地、これがアメリカです。それでアメリカという名になる。
 おおぼら吹きで死んでいったのがコロンブスです。死に方は不幸です。

 次に、地球が丸いならといって、ヨーロッパから西へ西へと行って、逆の東からヨーロッパに帰ってきたのがマゼランです。太平洋を西へ向かう途中、フィリピンで一旦休憩する。だからこのあとフィリピンは300年間、スペインの植民地になる。そして太平洋からインド洋を渡って戻ってきた。マゼランは途中で殺されたんですけど、乗組員が帰ってきて、地球が丸いというのが証明されたんです。

 それからヨーロッパ人は、もうアメリカだ、アメリカだ、あそこに行けば一獲千金だと、アメリカ大陸に乗り込んでいきます。難破もします。海の藻屑と消えていた船乗りたちは、生き残ってる人たちよりもたぶん多いですね。それでも行くんです。

 金に目が眩んで。金に目が眩むと、最終的には人間を犬猫のように奴隷にしてきます。これが実際にこのあとに起こることです。アフリカの黒人奴隷です。このあと人間を売り飛ばしていく。


 今言ったことをまとめます。
 コロンブスは本当はスペイン人じゃないです。イタリア人です。ただ大航海には、会社をたちあげるような何千万円という資金がいる。船乗りもいる。船もいる。
 そのための金を貸してくれたのが、スペイン女王イザベルだった。だからスペインの業績となる。コロンブスは本当はイタリア人で、イタリアの都市ジェノバの船乗りです。しかも目指したのは別にアメリカではなくて、インドだったんだということです。アメリカはまだ誰も知らないから。
 これを大嘘だ、インドじゃないと、突き止めたのが、アメリゴ・ベスプッチです。アメリカという名は、このアメリゴから来る。

 では地球が丸いと言って、西へ出発して、東から帰ってきた人、これがマゼランです。これらのことは、ほぼ一斉に1500年頃に起こる。
 しかも早いもの勝ちで、これ新大陸だ、とヨーロッパ人は思ったんです。でも新大陸にはインディアンがちゃんと住んでいる。インディアンというのも、日本語に訳すとインド人という意味です。インド人じゃないんだけれども、なぜインディアンというかというと、ここをインドだと誤って信じていたから。しかし人間が住んでいようと、インディアンなんかお構いなし。早い者勝ちで、ぶんどり合戦です。

 それで真っ先にここにたどり着いたのがスペインです。スペインの領域は、中南アメリカ全部です。今のアメリカまでも。しかし今ほとんどここらへんはスペイン語しゃべってるのはなぜか。スペイン人が植民地にしていくからです。このあと300年間。

 アメリカに遅れてきたポルトガルは、ブラジル側にたどり着いて、ここがどの大陸と繋がってるのかまだわからないのですよ。人工衛星も何もないから。
 早い者勝ちで、彼らは南米のブラジル側を植民地にしていく。ここから広がって今のブラジルになる。ポルトガルの植民地はこのブラジルだけです。あとはすべてスペインです。
 いやアメリカがあるじゃないか。この約100年後にイギリスが乗り込んでいくんです。それで今の北アメリカはイギリスの植民地になっていく。

 さらに南アメリカ大陸を、スペインとポルトガルで勝手に分けた。この条約をトリデシリャス条約という。誰の許可を得て人の土地を分けているのか。そう思いませんか。インディアンに無断で勝手に分ける。分けていいと言ったのはローマ教皇です。カトリックの法王です。そういう時代だとはいっても、ロクなことしていない。
 アメリカ大陸は基本的にスペインの領地です。ただ例外的にポルトガル領になったのが今のブラジルということです。

▼16世紀の世界


【価格革命】 このあと、ヨーロッパ人は武力が強かったから、それにものを言わせて、まずインディオを押さえて強制労働させる。何かいいものはないかと、金銀財宝なんかを真っ先に奪う。もう掘り尽くしてしまったんだけれど、メキシコに銀山があったんです。自分たちは働かずに、現地のインディオをムチ打ちながら働かせて、穴を掘らせて、をいっぱい掘ってこらせる。そうやってここから銀を取るんです。それを取れたメキシコからヨーロッパに運んでいくんです。
 こうやってまずヨーロッパにお金だけ増えていくんです。そうすると、物の量が変わらないのにお金だけが増えたら、物の値段は上がるか下がるか。一気に上がるんです。物価が急上昇する。これが価格革命です。ヨーロッパに、お金があふれ出した。


【商業革命】 同時に商業革命です。今までの商業の中心は地中海のイタリア都市だった。しかし地中海はお払い箱です。よしこれからは新大陸だということで、港が大西洋に面したポルトガルのリスボンに移る。さらにメインはこっちのアントワープです。これは・・・ベルギーという国はまだないけれども・・・今のベルギーです。オランダの隣にある国です。ここが繁栄していく。



【スペイン人の征服】
【インカ帝国】 そのあいだにスペイン人が何をやったか。根こそぎ、現地の文明を潰していく。でもここは未開の土地ではない。ちゃんと国がありました。アンデス山脈にはインカ帝国がありました。
 スペイン人がたった数百人で滅ぼす。インカの王をだまして、オレは神だと言う。まずいことにインカには、神様は肌が白いという言い伝えがあった。白い人間を始めてみて、自分で神だと言っているから、神様に違いないと信じる。そうやって、いいように騙していく。王を殺した後は武力を使う。それで一気に滅んでいく。


【アステカ王国】 それからもう一つ、今のメキシコ南部にアステカ王国というのがあった。これもスペイン人によって、数百人のスペイン人によって、あっという間に滅ぼされてしまう。王は殺される。金銀財宝は奪われる。しかしこういう高度な文明社会があったということです。
 もう一つ言うと最近流行りなのは、その南部にも文明があって、これがマヤ文明ですね。あちこちに遺跡がある。今は森に囲まれてますけど。非常に人気が高いパワー・スポットです。
 南米のことをラテンアメリカといいますね。スペイン人はラテン民族で、そこに征服された地域だからです。
 今も南アメリカの先住民は、ちゃんといます。インド人じゃないけれども、最初はインドと間違われたから、インド人という意味のインディオと名付けられた。彼らは血統的には我々と同じ黄色人種ですよ。モンゴロイドです。我々に近い人たちです。そこには、エジプトと同じ規模ぐらいのかなり大きいピラミッドも造っている。
 彼らがどうやって、アメリカ大陸に渡って来て、ここに住み着いたのかというと、我々と同じ黄色い人間だから、彼らの移動経路は、北のベーリング海峡からです。そこからアメリカ大陸に渡り、さらに南下して南米の一番南端まで達した。

 ではそのインカ帝国、アステカ帝国を滅ぼした人物。

 メキシコにあったのがアステカ王国です。滅ぼしたのはスペイン人のコルテス。1521年です。鉄砲を使い、暴力的に制圧していく。ここにはまだ鉄砲がなかったから武力の差は歴然です。
 それから南米ペルーにあったのがインカ帝国。これを滅ぼしたもの、気の荒い親分のようなものです。ピサロという。金にあくどい征服者です。1533年です。アステカ滅亡の約10年後です。

 その後彼らがやったこと、金銀略奪、土地を奪う。しかもを宗教を強制する。カトリックを信じろということです。信じなかったら殺す。ひどいものです。そして信じてどうなるか。有無を言わさず強制労働です。これでまた現地人の多くが死ぬ。南米がラテンアメリカと言われるのは、ラテン的な陽気な民族性の裏に、こういう悲惨な文化的な強制があったからです。


【伝染病】 それともう一つが伝染病です。南米にはなかった病原菌をヨーロッパ人が持って行ったものだから、抵抗力のないインディアンたちにとっては、すぐイチコロなんです。
 これは今のように、全世界の人間が動くんだったら、今ヨーロッパ人と接近しても日本人が死ぬことはないけれども、こうやって大陸が隔離された時代に、別の世界から来た人間には、いっぱい体に病原菌もっているんです。それが何百年の間に、病原菌に対する抵抗力というのがついた人間だけが生き残っていくんです。
 その抵抗力がない人間は、新たな病原菌に接するとイチコロです。それでバタバタと死ぬ。生き残ったのは10人に1人もいない。全滅に近い。ものすごい死に方をしていく。


【奴隷貿易】 そうなると働く人たちが激減する。スペイン人は、自分たちが強制労働させる人間がいなくなって、ああ困った、働いてくれ者がいない。それならアフリカから人間を持ってこよう、となる。持ってくるという発想です。これが黒人奴隷です。
 豚といっしょです。豚を船に積み込むのといっしょで、トイレも何もない船の底に押し込めて、エサをまき散らしてさあ食えという。そして1ヶ月間我慢していろ。そのうちに着くからと。病気にかかると、死ぬ前に海から投げ捨てる。人間と思ってないですね。ここらへん一神教の怖さが漂いますね。キリスト教を信じてない人間を、どうも人間だと思っていない。
 彼らポルトガル人中心に、こうやって黒人奴隷を新大陸へ送る。そういう奴隷貿易が始まる。
 人間は高く売れるんです。犬猫よりも頭いいし、言葉が通じなくても、身振り手振りでわかるでしょう。犬猫は分からない。犬猫はお手ひとつさせるために、どれだけ労力がいるか。人間は、ああしろ、こうしろと言えばできる。畑を耕せと言えば耕す。だから高く売れる。
 これで儲けるんです。こんな奴隷貿易を国を挙げてやるのは、ヨーロッパだけですね。


【北アメリカ】 そのあとに北アメリカのほうが出遅れているから、オレたちが取るぞと出ていくのがイギリスです。ここからイギリスの出番です。
 フランスも、オランダも、それぞれ自分の植民地にしようとして、俺のものだ、俺のものだと、奪い合う。このあと200年間も争い合います。

 そしてその戦いに最終的に勝ったのがイギリスです。勝ってどうするかというと、黒人奴隷を使ってまず農業経営です。工場形式の。これをプランテーション農業という。
 奴隷は狭い小屋に住ませて、朝が来たら追い出して、クワ持たせて、耕せ、種まけ、水まけといって働かせる。
 作ったのはサトウキビです。だから砂糖が手に入る。その砂糖をお茶に入れて飲み始める。これが紅茶です。これが爆発的に人気になる。ヨーロッパ人が紅茶を飲み始めるのはここからです。
 これで終わります。ではまた。




「授業でいえない世界史」 26話 近世ヨーロッパ 宗教改革と主権国家

2019-04-27 07:00:00 | 旧世界史10 近世西洋
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 前回はヨーロッパ人が新大陸を見つけたという話をしました。新大陸というのはアメリカ大陸のことです。
 それを見つけて、ヨーロッパ人は最初はそこをインドだと思っていて、そこに住んでいた人たちをインディアンと名付けたりまたはインディオ・・・これもインド人という意味です・・・そういうふうに名づけたりしたんだけど、結局インドではない、自分たちの知らない新しい大陸だったということを発見したのがアメリゴ・ベスプッチだった。だから、彼の名を取ってアメリカと名がつく。ちなみにコロンブスの名前はコロンビアに残っています。
 するとヨーロッパ人がそこに乗り込んできて、ここは自分の土地だといって、そこに住んでいる人を強制労働させたり、インカ帝国という文明を滅ぼして金銀財宝を全部もって帰ったり、そういうことをスペイン中心にやっていったわけです。そういった話をしました。
 コロンブスが最初に、西インド諸島を・・・西インド諸島というのはインドにあるんじゃないです・・・インドだと思っていた。今のアメリカの南のカリブ海に浮かぶ島々です。ジョニーデップのパイレーツオブ・カリビアンという映画、あの舞台です。ああいうところにヨーロッパの海賊がわんさか入ったりしたわけです。
 コロンブスが発見したのが、1492年。すぐ1500年代になっていく。そうやってヨーロッパ人がアメリカ大陸に乗り込んでいく一方で、ヨーロッパの国内ではどうだったか、という話を今日はします。時代は同時代です。新大陸にヨーロッパ人が乗り込む一方で、ヨーロッパでは何が起こっていたかということを話します。




【宗教改革】
 まず宗教戦争が起こるんですね。大航海時代とほぼ同時です。大事なことというのは、何も起こらない時は100年も200年も何も起こらないけど、何か起こる時は2つも3つも同時に起こる。もうちょっとゆっくりとわかりやすく起こってくれたらいいと思うけど、そんなことは過去に生きていた人たちの預かり知らぬところで、起こるときはランダムに一気におこっていく。これが1500年代です。
 まず宗教改革が起こります。改革というけど、実際に人が死んで殺されて血が流れていく。何百万人も。ドイツの人口はこれによって、100人いれば30人以上死ぬ。3割、4割方死んでいく。日本が1億2000万の人口であったら、2万人死ねば大事件ですが、それが4000万人死ぬとなると、とても想像できない大惨事です。これでヨーロッパが激変するんです。こんなとんでもない戦争になっていく。宗教戦争というのはよく人を殺します。特にヨーロッパの歴史では。

【ルター】
 その発端が1517年、1人の牧師さんです。ドイツのルターです。
 キリスト教会の親分、これは今のローマ教会です。正式な名称は聖ピエトロ教会といいます。今はイタリアのローマ、ヴァチカンにある。ここは独立国ですよ。面積は大学のキャンパスぐらいしかないのに歴然とした独立国です。別名、ローマ法王庁です。

※ 1517年、カトリック教会は、第5回ラテラン公会議で利子徴収を解禁しました。(宇山卓栄 経済)


【贖宥状】 この壮大な立派な建物は、この時代にできたものです。その建物をつくる時には莫大なお金がいるんです。でもお金がない。だからそのお金を稼ぐために、このローマ教会が何をしたか。字がやたら難しいだけれども、贖宥状(しょくゆうじょう)という。ただもっとわかりやすい別名がある。別名の方が覚え安い。免罪符という。日本流にいえば・・・誤解をおそれずにいえば・・・おみくじみたいなものです。

 正月に三社参りしておみくじ引いて、大吉、それです。ただ違うのは、おみくじは100円で引けるけど、これは100万円です。または1000万円です。額が大きくなるほど、罪を免れる可能性が増すという。地獄の沙汰も金次第みたいなものです。これを販売するんです。これを買えばあなたは間違いなく天国にいけますよと。
 これにみんなコロッとくる。ドイツを中心にこれを売り出し、そのお金でローマ教会は今の建物を建て替えたんです。
 しかしルターは、それはおかしい、そんなことはウソだと言った。
 そしてそのついでにローマ教会に対して自分が疑問に思ってることを、ずっと書いていったら95個見つかった。これを95カ条の論題という。
 今で言えば、公開質問状みたいなものです。これだけおかしいことがある。なぜだ、答えてくれ、というわけです。こういうのを学校の正門の前にピタッと大きな張り紙で張り出した。これが問題の種になる。

 これにローマ教会は腹を立てて、おまえは破門だという。破門というのは、キリスト教徒と認めないということです。ヨーロッパ人はインディアンでもボコボコ殺すでしょう。あれはキリスト教徒以外は人間じゃないと思っているからです。人としての人格を認めないからです。だからキリスト教徒と認められなかったら、何されるかわからない。ものすごく危険な状態になるんです。キリスト教徒でない人間は、殺されても文句いえない状態になる。

 それでもルターは自分の説は撤回しない。この時よく間違われるのは、ルターはなぜ反対したのかということに対して、ローマ教会がぼろ儲けしたからだ、と思っている人が多いけれども、実はそうではありません。
 キリスト教の教えというのは、日本人とかなり違っていて、未来に起こることはすべて神様が決めているんです。例えば私が死んで、天国に行けるかどうかはすでに神様が決めてるんです。君たちが信じる信じないは別にして。それを信じてる人たちがキリスト教徒なんです。すべては神様が決めていると。

 しかしローマ教会が今やってることは、お金持ちが、贖宥状つまり免罪符を買って、地獄に行く人を天国に行けるといっている。これは神様が決めるんじゃなくて、神様の決めたことを人間が変えていることなんだとルターは言う。決めているのは神様じゃなくて、人間じゃないか、それはおかしいという論理です。

 お金の問題じゃなくて、非常に論理的な問題なんです。これが真面目に考えれば考えるほど、どうしてもわからないという。すべてはここから始まります。
 キリスト教の基本は、神が人を動かすのであって、逆に人間が神を動かしてはならないということです
 もっと言うと、彼が言いたいのは、人間の救いというのは、天国に行けるかどうかは神様が決めることであって、これは昔から決まってる。天国に行けるかどうかは、人間の努力は関係ないんだという。人間が努力して天国に行けるのだったら、それは人間が神を動かしたことになる。しかしそれはできないことだ、という。人間はそういう神様の決定を覆すことはできないから、神の決定には従うしかないんだ、とルターは言うわけです。

 この考えは一神教の基本的なものです。ルターはその基本原理に戻ろうとしたわけです。基本原理を作りかえようとしたわけではありません。そして人間は、そういう非常に大きな神様の前で、神様と一対一でサシで向き合って、その教えに従わないといけない、という。こういう神と人間との一対一の関係が個人主義の母体なんです。


【聖書中心主義】 自分の意識の中で神様と向き合う。でも神様は話し掛けてくれないんですよ。ではその教えは何に書いてあるかっていうと聖書しかない。聖書の教えに従いなさい、とルターは言った。
 今から見ると当たり前なんですけど、この時代のヨーロッパ人、キリスト教徒は字が読めないんです。聖書なんか読んだことない人が多い。多分見たこともない。そういうなかで、とにかく聖書を読みなさい、ということをルターが言い始めた。これが聖書中心主義です。


【ローマ教会否定】 聖書を読んでいくと、キリストさんはローマ教会のことには触れていないし、これが正しいとも一言も言ってない。ローマ教会があっていいとも言ってない。なんで、おまえたちローマ教会が威張っているのか、と言うんです。ローマ教会なんかなかったし、なんでおまえたちが建物を立てるために、おみくじみたいなものを100万円で売っているのか。おかしいじゃないか、と言うんです。これはローマ教会否定です。ルターは自分の職業である牧師さんも否定していく。そんなのいらないと。こうやって教会否定につながっていく。


【プロテスタント】 この考えに実は非常に近いのがイスラム教なんです。イスラムはモスクという教会があっても、そこにお坊さんはいません。モスクに何か役割があるんではなくて、あれは屋根があって夜露がしのげればいいんです。あれはただの箱なんです。ただの礼拝する場所なんです。そこには神に仕えるお坊さんはいない。

 こうやって今まであったローマ教会に反対する人たちの集団がでてくる。彼らをプロテスタントという。プロテストというのは抗議するという意味です。反対する人たちです。この宗派を、新しく生まれた宗派だから新教ともいう。
 ではいままで何百年も続いてきたイタリアのローマにあるローマ教会は、カトリックという。これは昔からあったから旧教という。この対立が起こっていく。
 これがヨーロッパを2分していく。お互い一歩も譲らない。オレが正しい、いやオレが正しいと、とことんやる。上から下まで。


【利息】 ちょっといらんことを言うと、このちょうど同じ年の1517年にローマ教会がやったことが、とにかくお金欲しいんです。今までキリスト教会は金儲けは卑しいことだ、人にお金を貸して利息を取るなんてとんでもないことだ、と言ってきた。しかし、いや取っていいよ、と同年の1517年にカトリック教会が利息を認める。ローマ教会は金儲けにシフトするんです。
 利息が取れると、次に何をするか。お金を人に貸したら、それだけ儲かる。ちょうど儲かるところがアメリカ大陸なんです。
 あそこに植民地会社ができていくんです。そこに100万円貸すというか、出資する。それで株式会社の原型のようなものができる。会社の株100万円を買うと、1年間でそれが200万に値上がったりする。そういう時代とかぶっていく。


【政治ルールの変化】 いろんなことがここから発生するけど、次に世の中の政治のルールは誰が決めるべきか、という問題がヨーロッパで発生する。今までそれを決めていたのは・・・笑うかもしれないれど・・・神様なんです。でも神様はものを言わない。語りかけない。では神の考えてることがどうやってわかるか。今まではそれがローマ教会だったんです。
 ローマ教会の親分のことをパパという。パパ、ママのパパというのはそこから来る。これが教皇です。この教皇が任命したのが皇帝です。おまえを皇帝にする、どこの皇帝かというと神聖ローマ皇帝です。


【皇帝と諸侯】 ルターの考えに賛同した人たちは、この皇帝にずっと反発していた地方の親分さんなんです。これを諸侯といいます。日本の江戸時代の大名みたいなものです。ちょっとした田舎のお城の主人、そういった人たちが、新教つまりプロテスタント側につく。まずここで血で血を洗う戦いが始まる。
 お互いに相手の人格を認めないんだから徹底してやります。どっちかというと、プロテスタント側が優勢です。プロテスタントが強いということは、だんだんカトリック側は没落していく。神聖ローマ皇帝はカトリックの権威のもとに成り立っていますから、神聖ローマ皇帝の命令を誰も聞かなくなっていく。こうやって力を失っていくのが神聖ローマ皇帝です。これはドイツの王です。




【王権神授説】 では国の命令を最終的に決めるのは誰になっていくか。ドイツの王以外の王、例えばフランスの王、イギリスの王です。皇帝がだめなら王だという。王が決定していいんだ。この説が、王権は神によって教会を経ずに直接授けられたんだという王権神授説です。難しい名前ですけど、考え方そのものはそう難しいものではない。

 王のワンランク上の皇帝に正当性がなかったら、その下のフランス王とかイギリス王が国家の命令権を持つ。もともとドイツ王が皇帝を兼ねていて1ランク上なんです。王にもいろいろあって皇帝がナンバーワンです。その下が王です。その下が大名というか諸侯です。
 しかし世の中は・・・このあと説明していきますが・・・これもダメになる。

 イギリスの王は、約100年後、ピューリタン革命が起こって殺されていくんです。その200年後にはフランスの王様もギロチンでスパーンと首を切られていく。
 

【社会契約説】 そしたら誰が国のことを決めるのかというのは、皇帝でも王でもなく、オレたち庶民だとなっていく。これが民主主義です。民主主義どこから来たのか。江戸時代の日本はぜんぜん民主主義ではなかった。それはこのヨーロッパの考え方を真似したんです。これを社会契約説という。
 だんだんと皇帝から王へ、王から庶民へと、主権が移っていく。政治を決定できる権利のことを主権といいます。今の日本の主権者は誰ですか。内閣総理大臣ですか。天皇陛下ですか。われわれ国民ですよ。それはこういう理屈です。
 民主主義の裏には、神様がいるんです。そこには宗教改革以来、神と人が一対一で向き合うプロテスタント的考え方があります。神は、皇帝のものでもなく、王のものでもなく、オレたち庶民のものだというわけです。神は、皇帝でもなく、王でもなく、オレたちを選んだんだという宗教的確信が、民主主義を生み、また個人主義を生んでいきます。個人に対する圧倒的信頼があります。

 以上をまとめると、主権は皇帝のものでなかったら、その下の王のものだというのがイギリスなどの王権神授説です。そして革命が起こって王が殺されると、主権は我々国民のものだ、というのが現在の社会契約説です。


【宗教戦争】 またもとに戻ってルターです。ルターがこれだけおかしいじゃないかと、ローマ教皇に反抗した。すると、そうだ、そうだ、ルターの言うとおりだと、まず農民ルター派になる。そして徹底して戦う。これが1524年ドイツ農民戦争です。たった7年後です。たんにドイツの農民が戦ったんではなく、農民がルター派になって戦った。相手は皇帝です。負けるんですけど。

 次に今度は、日本の江戸時代でいうと大名クラスルター派になって同盟を組んで・・・この同盟は土地の名前をとってシュマルカルデン同盟といいますが・・・そういうルター派の大名たちが戦争した。これが1546年シュマルカルデン戦争といいます。また負けますけど。これで多くの人が死にます。


【商業革命】 この間にもう一つ起こっているのが、アメリカでの出来事です。

 アメリカでは、そこに住んでるインディアンたちを働かせて、山に連れて行って、穴を掘らせて、死ぬまでこき使ってを掘らせる。当時のお金は、金と思うかも知れませんが、この時代は銀なんです。そしてその取れた銀を、丸ごとヨーロッパに持っていく。
持って来て、もうちょっと豊かになるために使えばいいけれども、ヨーロッパでは7割方は戦争のための資金です。宗教戦争のための資金です。


【アウグスブルクの和議】 こういったことが30年も40年も続いて、どうにか一応の手打ちになった。解決にはなってないけれども。これが1555年。これも土地の名前をとってアウグスブルクの和議という。手打ちですね。大名は、信仰はどっちでもいい、あんたのいいようにしていいと信仰の自由を勝ち取る。カトリックになれとは強制されなくなった。ただ農民にはまだ信仰を選ぶ権利はないです。

 こういうルター派はどこに広がっていくかというと、その中心はドイツです。南にはいかない。南にはイタリアのローマ教皇いるから。そこから遠いところへ向かって広がります。北に行ってノルウェー、スウェーデン、デンマーク、こういった北欧がプロテスタントになる。



【カルヴァン】
 その後、さらに2人目のルターが出てくる。彼はまた言うことがルターと違う。これがスイスの中心都市ジュネーブというところの牧師さんで、カルヴァンという。
この人は、さらにルターの考えを徹底して、世の中は何億年も前からたった1人の神様によってすべてが決定されているとした。予定されてるとした。
 キリスト教徒にとっては、そんなことは実はどうでもいいんです。自分が死んで、地獄に行くのが怖くて怖くて仕方がない。どうにか天国に行きたい。バカだなあと思うかも知れませんが、宗教というのはそういうものです。君たちは、まだ死ぬことを考えていないかも知れませんが、50年も60年も生きていると、死ぬことの準備は無意識のうちにするものです。みんな死ぬんだから、それは人生の重大関心事になる。高齢になるにつれ、関心が高まると思う。どうやって死のうかと。今までの人間もそうしてきましたし、これからもそうではないでしょうか。そんなことを人間は繰り返してきました。


▼ヨーロッパの宗教分布


【富の肯定】 彼はどうしたら天国に行けると言ったか。仕事して金を儲ければそれは成功した印だから、それは神様が選んだ証拠だと言うんです。何と言うことだと思うかも知れませんが、それを聞いて喜ぶ人がいたんです。一生懸命仕事して金を儲けたら、あなたは少なくとも神様から嫌われていない。たぶん好かれている。それは神様から選ばれたからた。だから天国に行ける、と言う。

※ カルヴァンは5%の利子取得を認めた。(宇山卓栄 経済)


【予定説】 それで天国に行けるなら、とにかく仕事に成功してを蓄えよう、これで天国に行けるんだ。こういう考え方が流行って、それが社会を動かすほどに広がっていくんです。私は宗教家ではないから、それが正しいかどうかは、分からない。信じる人が、百人、2百人、何万人となっていけば、社会がどんなに変わるか、問題はそこなんです。これが予定説です。予定とは予とは、あらかじめです。人間誰が救われるかは予(あらかじ)め定まっていて、それを人間が変えることできない。

 しかしそれを死ぬ前に知れたいと思う。これが職業での成功次第だとしたら、職業の価値というのがグンと上がっていく。職業というと労働です。労働はきつい。休みたいんです。土曜、日曜は休みがいい。しかし労働の価値が上がって、そこで成功すれば天国に行けるとなると、職業は天職・・・英語でコーリングというんですけど・・・職業こそがすべてだということになって、プロテスタント、特にカルヴァン派では人々がやたら働き出す。
 キリスト教には、この選ばれたという思想、俺は特別だという思想が、時々出てくる。キリスト教の母体であるユダヤ教には・・・これには教科書に太文字で書いてあるけど・・・選民思想があった。ユダヤ民族だけが神に選ばれている。だからユダヤ民族だけが救われるんだという思想です。誰によってか。救世主によってです。早い話、スーパーマンがユダヤ人だけを救いに来てくれるんです。彼らが待ち望むのはスーパーマンです。


【私的所有権】 今までのキリスト教では、貧しいこと、貧しい中で一生懸命に働く姿、これこそが神様が望んでいたことなんだという考えだった。清貧の思想です。それが180度変わって、貧乏人なんか怠け者のしるしだ。この怠け者、貧乏人は神に捨てられたしるしだというふうに変わっていく。こんな考え方の変化にそう時間かからなかった。変わるときには一気に変わる。

 そうなると働いて得た富は誰のものか、ということが問題になっていく。それは働いて努力した者のものだろう。これが私的私有権の確立です。
 当たり前だと思っているかもしれませんけど、その前まで、農民が持っている財産は、お殿様のものだったんです。
 おまえ家を退けと言われると、家を立ち退かないといけなかった。私的所有権が保障されるということは、この家はオレが生まれて育った家だから、一億円包まれても動かないし、売らないと言えば、絶体動かなくてよい。今の日本の法律ではそうなっています。
 こういうカルヴァン派が広まったのが、実はイギリスなんです。そこでこのあと王が殺されていくんです。


【オランダ】 もう一つがオランダです。オランダには風車がある。あの風車がなんのためかというと、水を出すためです。なぜ水を出すか。オランダというのはネーデルランドという。ネーデルは低い、ランドは土地です。低い土地で、周りを堤防で囲って海を陸地化した土地です。昔は干拓地です。水が高潮がすぐ入ってくる。これをしょっちゅう出さないといけない。人の手でかきわけていても、ラチがあかないから風車を回して水を出すんです。それで風車が立っていく。もともと人が住んでないところです。こんな所にカルヴァン派が広まっていく。


【イギリス国教会】 この考え方とは全く別に、イギリス国王はローマ教会と縁を切ります。これは教義上の問題ではなく、嫁さんと離婚したかった王のわがままです。

それで教会が独立する。今でもイギリスの教会はローマ教会の下の組織ではなくて、独立した教会です。これをイギリス国教会という。その時の王をヘンリー8世といいます。まだ1500年代です。
 ローマ教会は離婚を認めてない。ヘンリー8世は、嫁さんの他に若い女の子が好きになって、離婚したくなった。しかしローマ教会は離婚を認めないという。
 それならいい、オレは別に教会を作るという。王のわがままです。これで一国の教会が成立するところがヨーロッパの王権のすごいところです。国というのは国王の私有物なんですね。ヨーロッパはパブリックの観念が行き届いていると言われますが、政治を見ると非常に私的な政治が行われています。


【イエズス会】 こうやってローマ教会は力を失っていきますが、このままでは済まない。盛り返さないといけない。その中心がスペインです。スペイン中心にカトリック教会が盛り返すための団体をつくる。これがイエズス会です。

 イグナチウス・ロヨラという人、これがナンバーワンです。ではナンバーツーはというと、フランシスコ・ザビエルです。聞いたことないですか。日本にキリスト教を伝えた人です。長崎に来た。世界遺産になった長崎の平戸の隠れキリシタンも、ここからです。彼が日本に来た。そして日本にキリスト教を広めようとする。ヨーロッパでの運動がこういう形で日本にも及びます。
 しばらくしたら、本格的に宗教戦争がまた始まります。しかしいったん、ここで切ります。



【主権国家】 次に何が起こるか。さっきの話と関係するのは、形上はドイツの王様が神聖ローマ皇帝として、ヨーロッパ全体を支配するという考え方が、何百年も続いてきた。しかしそれがルターによってダメになった。
 俺が決定者だと、フランスやイギリスの王が言い始めた。そういう国を主権国家といいます。王がオレがナンバーワンだと言い始める。1500年代からです。


【植民地戦争】 ちょうどその頃、アメリカ大陸が発見されて、海の向こうのアメリカで植民地をめぐって国同士の対立が始まる。その中心はイギリス・フランスです。その植民地争奪戦です。こういうことがヨーロッパの宗教戦争と同時に起こります。

 戦争するのに忙しい。ヨーロッパで戦争して、太平洋の向こうのアメリカ大陸でも戦争して、植民地ぶんどり合戦をやる。そして強い者が勝つ。ただそれだけのルールです。だから軍事力が発展する。
 これが1600年代まで続いて、このあとでいう最大の戦争は三十年戦争です。これで人口の3分の1が死ぬ。ひどい戦争です。徹底して殺していく。そういったなかで、国のことは王が決めるんだという主権国家が、実はこの戦争の中から生まれてくる。ヨーロッパはとにかく戦争、戦争です。

 だからペリーが来たときに日本がこれは勝てないと思ったのは、豊かさや頭のよさではない。武力です。戦争技術だけが圧倒的に強くなるんです。

 大砲の飛距離というのは、10メーター飛ぶ大砲を10本100万円で買うのと、100メーター飛ぶ大砲を1本100万円で買うのは、どっちを買うか。1本よりも10本のほうが強いような気がしませんか。でもこれは絶体に迷うことなく、100メーター飛ぶ大砲を1本買うべきです。100メーター飛ぶ大砲の前では、10メーター大砲など、こんなもんが10本、100本あろうが、何の役にもたちはしない。大砲は飛距離なんです。飛距離のある大砲の前では、飛距離のない大砲が10本あろうが、100本あろうが何の役にも立たない。このような軍事技術の点で、圧倒的にヨーロッパが強くなる。このあと300年間、戦争ばっかりしているから軍事力が発達するんです。


【絶対主義】 こうなって誰が権力を握っていくかというと、民主主義の前までは、まず王様なんです。王が殺されることもこのあと起こるんですが、まず王様です。王様の力が強い国家、これを絶対主義国家といいます。絶対主義という言い方をするけど、実際は絶対というほど強くはないんだけどね。少なくとも以前よりも強くなる。

 そして王の力が地方にまで及ぶようになる。こういうのを中央集権国家といいます。政治上の言葉の問題として、この反対語は今でもよく出てくる。地方分権といいます。地方分権の反対語が中央集権です。
 そこで王は誰と結びつくか。農民と大名は、王は大嫌いなんです。喧嘩している、戦争している、殺されている、血が流れている。王は他のお金持ちと結びつく。大名なんか関係ない、農民は相手にしない。王様はお金が大好きな大商人と結びついていく。
 商人はアメリカ大陸が発見されて、そことの貿易が当たれば、一獲千金で儲かるんですよ。そういう外国貿易をしている。難破したら命がないけど、その危険のなかでどんどん行く海の荒くれ男たちが、この商人と結びつくんです。それを国王が後押ししていく。
 こういう外国貿易によって、ガッポリ利益をあげようという金儲けの方法を、重商主義という。日本の江戸時代のような農民中心の社会じゃない。とにかく商売だ。ぼろ儲けだ。一獲千金だとなっていく。


【スペイン】 それでガッポリ儲けるのは、まず第一はスペインです。次にイギリスが出てきて、世界をまた変えていくんだけれども、まずはスペインです。

 スペインは次のイギリスと何が違うかというと、王だけが貿易を独占したということです。商人と組んではいたんだけれども、その商人の利益をガバッと王が自分の懐に入れたということです。一時、スペインはその100年間ぐらいは強かった。

 そのスペインの王様は・・・1500年代でちょうどルターの時代です・・・カルロス1世という。1516年に即位します。
 強いと言っても、この時代はまだ世界ナンバーワンはイスラーム圏のオスマン帝国なんです。
 ヨーロッパまだ田舎が今から盛り上がろうとしていくところです。カルロス1世は、実はもともとはドイツ人なんです。これが複雑なのは、お母さんはスペインの王女だった。そのスペインで、王様の息子たちが次々と死ぬんです。だいたい5人に2人は成人前に病気で死ぬ。半分生き残ればいいほうです。だからこの時代は多産なんです。

 スペインで王の跡継ぎがみんな死んでしまった。それで母親がスペイン王女だったことから彼はスペイン王になり、その上にさらにドイツの皇帝の位が回って来た。だから2カ国の王です。スペイン王としてはカルロス1世、同時にドイツの神聖ローマ皇帝としてはカール5世です。3年後の1519年に即位します。わかりにくいのは、カルロス1世、カール5世、使い分けて出てくる。なんだこの人は、と思うと同一人物です。一人の人物がカール5世と言ったり、カルロス1世と言ったりする。

※ スペインもポルトガルと同じく、ジェノバの資本に支援され、利益の多くを利払いに充てていました。スペインの国家収入の約7割が対外利払いに回されていたのです。ただ、スペインは、ポルトガルと異なり、強国であり、ジェノバの資本にだけ依存していたわけではありません。スペインは、スペイン領ネーデルラントの中心都市アントワープを特区地域として開放していました。  ・・・スペインはこのアントワープで起債し資金を調達していました。・・・スペインにとって、高出払いを要求されるジェノバよりも、アントワープの方に魅力があったことは言うまでもありません。(宇山卓栄 経済)

 ということは、この人はドイツ王としての広大な領地を持っているということです。どれくらいの領地をもっていたか。もともとのドイツの領域の他に、まずスペイン本国です。それからネーデルランド、これはオランダです。それからイタリアの南半分。
 
▼16世紀中頃のヨーロッパ



【オランダの独立】 特に大事なのはここ、オランダがスペイン領・・・オランダはまだ国じゃないんです・・・スペイン領です。次に起こることは、オランダがスペインから独立したいといったことです。そして戦争が起こり、人が死んで、血が流れる。オランダ人も戦争好きです。オランダは小さい国だけれども自分の利益は手放しません。

※ 16世紀前半、経済特区アントワープには新しい世代、カルヴァン派新教徒たちが集まりました。(宇山卓栄 経済)

では終わります。ではまた。




「授業でいえない世界史」 27話 近世ヨーロッパ 16世紀のスペイン、オランダ、イギリス

2019-04-27 06:00:00 | 旧世界史10 近世西洋
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 16世紀、1500年代のスペインを途中までやったところです。大きなこととして、ルターの宗教改革が1517年です。ほぼこの時代です。
 我々日本人にとって意外と大事なのが、オランダです。オランダの場所わかりますか。フランスとドイツの中間にある。海に向かってライン川が注ぐところ、低湿地帯です。そして小さい。それがオランダです。
 その南はベルギーというところです。ここもバカにしたらいけません。
 現在のヨーロッパは旧ローマ帝国のように、一つの国家にまとまろうとしています。これがEUです。そのとき首都はどこになるか。EUの本部がある国はどこですか? イギリスだとか、バカなこと言ったらダメですよね。イギリスは逆にいまEUから離脱しようとしています。しかし、変な勘違いをしている人がいるんです。ヨーロッパはいまイギリスを中心にまとまろうとしているとか。そうだ、そうだと納得する人がいたりする。でもそれ、おかしいでしょう。EUの本部はどこにあるか。ベルギーです。ということは、このまま行けばベルギーがヨーロッパ全体の首都になったっておかしくない。イギリスは逆にEUから離脱しようとしています。
 さしあたって問題は、こんなことまで言うと前に進みませんけど、イギリスが離脱しようと思っても、いま離脱できそうにない。もめている。あそこが離脱に失敗すると、日本企業が何百社とイギリスに進出している。これが現地で生産できなくなる。するとガクッと日本の景気は落ちるでしょうね。また第2のリーマンショックが来るかも知れない。リーマンショックの時の卒業生は就職は悲惨だった。これは全国的に。不景気になると人が余る。企業が首切るから。当然新規採用も減る。
 それはともかく、主要四カ国以外に、オランダ、ベルギー、スペインに注意です。


【スペイン】
 スペイン王は、カルロス1世という。しかし母親がスペイン王女で、ドイツに嫁いだ。もともとはドイツ人なんです。神聖ローマ帝国というのはドイツなんです。ドイツ人がスペインの王とドイツの王を兼ねた。だから名前が2つあるというところまで、前回言ったと思います。
 ドイツの王としてはカール5世。カルロスとカールは同じです。おんなじ綴りでドイツ語読みがカールで、スペイン語読みするとカルロスになる。
 このカルロス1世の時代・・・それから神聖ローマ皇帝としてはカール5世ですけど・・・この時代がスペインの全盛期でした。新大陸との貿易でがっぽり儲けて、金銀財宝を握る。しかし宗教戦争で戦争ばかりして、銀貨を戦争につぎ込む。そんな無駄遣いをしてるから、100年ももたないで没落していく。

※ 16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパのお金が一挙に大膨張したのである。折から宗教戦争の時代である。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ スペインが新大陸からかき集めた「あぶく銭」のなんと約70%が宗教戦争に浪費されたのである。(宮崎正勝 お金の世界史)

 しかもドイツ王としてはフランスと対立して、このとき同時にイタリア戦争というのをやってる。ドイツはイタリアが欲しい。この戦争は1494年から1559年まで60年以上続きます。
 ヨーロッパの戦争というのは恐ろしく長いです。前にも言いましたけど、日本は平和の合間に戦争する。ヨーロッパは戦争の合間に平和がある。全く逆です。

 この戦争はイタリアをめぐる戦いです。なぜイタリアが欲しいのか。ローマ教皇がいるからです。ローマ教会がイタリアにあるからです。宗教を手に入れたいからです。
 戦いの構図は、神聖ローマ帝国対フランス王国です。宗教のことでドイツのなかでも戦争が起こるし、フランスとも戦わないといけない。敵が何人いるか。あっちにもこっちにもいる。
こうやってこのカール五世は戦争に忙殺された皇帝です。もうイヤだと思うぐらい戦争が起こっていく。

 そして1556年にスペインの王様をやめる。すると今度は息子のフェリペ2世が王になります。この人はドイツ王は受け継がなかった。スペインだけです。
 この人が植民地にしたのがアジアで・・・他にもいっぱい南米に植民地があるんだけれども・・・フィリピンです。フィリピンという名前は、フェリペの国という意味です。フェリペがフィリピンになる。スペインがフィリピンを支配したということです。

 この時代に日の出の勢いで力をつけていって、あの宿敵、世界の中心であったオスマン帝国、これを破るまでになる。それが1571年。これは海の戦いで、レパントの海戦という。レパントは地中海のギリシャ近辺にあります。
 そこで勝つまでになったんだけれども、同時にスペインはカトリックだけしか認めないから、それ以外の宗教を信じてる人、おもに商人たちを追放したんですね。彼らはどこに逃れたか。ライン川の低湿地帯です。これがオランダです。
 だからオランダは商工業の国になっていく。あのぬかるんだ土地が一気に変わっていきます。堤防で陸地化しても、水がどんどんどんどん入ってくるから、風車を回して水を出さないといけない。だからオランダの名物は風車です。それはのどかなオランダの風景ではなくて、土地が低いから必死なんです。
 もともとの言い方は、低い土地という意味のネーデルランドといっていました。オランダという言い方は完全な和製英語です。外国でオランダ、オランダといくら言っても通じません。オランダのことをオランダと言っている国は日本だけです。本当は今でもネーデルランドという。
 そのオランダがスペインから独立を目指して、オランダ独立戦争を始めていきます。1568年からです。ここらへんからスペインの没落が始まって、新たに今度はイギリスが強くなっていく。
 スペインの持つ海軍、これは世界で一番強い艦隊と言われていて、無敵艦隊といわれていた。これに勝てる海軍はヨーロッパには存在しないと言われていたのですが、それがイギリスに負けた。これが1588年アルマダ海戦です。イギリス近海での戦いです。イギリスももともと海賊の国だから海戦は得意です。ここのご先祖はノルマン人という海賊です。そのイギリスを率いていた王がエリザベス1世という女王です。
 だから負けたスペインは次の1600年代になると衰退していく。貿易でいくら稼いでも王様独占、その王様は無駄遣いして戦争にばかりお金をつぎ込んだから繁栄しない。

 
【オランダの独立】
 次は、イギリスの覇権の前に、このスペインから独立したオランダが強くなっていく。もともとスペインの植民地であった。
 しかし今言ったように、宗教政策でスペインの王様は、カトリック以外の宗教は認めない。それを拝むんだったら国を出て行けと言って、お金持ちの商人がオランダに逃げた。だからオランダは商人の町です。領土は小さいけれどもお金持ちです。これがオランダです。
 だからこのあと貿易の利を求めて江戸時代の日本にもやってくる。これが長崎の出島です。
 オランダで繁栄したところがアントワープです。これが一時はヨーロッパの中心になる。ここが非常に繁栄していって、1500年代の終わり頃には、オレはスペインとかに頭を下げたくないと言って、俺たちの地域だけで独立しようという独立宣言を発表する。これが1581年オランダ独立宣言です。

※ ポトシ銀山で産出された年産30万キロの銀のかなりの部分もアントウェルペンに流れ込む。「金あまり」の中で、アントウェルペンでは有価証券取引が活発になる。アントウェルペンには1531年に通年為替取引を行う有価証券取引所が開設された。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ フェリペ2世は異常なほどの敬虔なカトリック教徒でした。1576年、新教徒の拠点であったアントワープはスペイン軍によって略奪・破壊されました。それ以降、新教徒の商工業者はオランダのアムステルダムに逃れます。フェリペ2世はスペイン王国の資金源たるアントワープを自らの手で破壊したのです。・・・敬虔なカトリック教徒のフェリペ2世にとって、金の流れを追うというのは卑しい所業であり、耐えられることではありませんでした。・・・フェリペ2世にとって、有数の商工業都市アントワープは国庫を潤す貴重な財源として映っていたのではなく、不埒な新教徒たちの悪の巣窟と映っていました。(宇山卓栄 経済)

 ただスペインのフェリペ2世はこれを、何をいうか、オレは認めないぞ、と頑なに拒む。認めるまでにあと60年かかる。そこまで行くのにもう1回大戦争が起こる。これが1618年からの三十年戦争です。
 オランダに逃げた商工業者はお金が大好きです。お金を貯めなさい、そういう宗教がカルヴァン派だった。お金は卑しいものではなくて、お金は救われた証拠だ、と言ってガバガバ商売しだす。そして富を蓄える。商売人の多くはカルヴァン派です。そういう人たちがオランダに移り住むんです。


【オランダ東インド会社】 そういうお金持ち国家で、独立宣言をしたオランダは、次には海の向こうのアジアに乗り出して貿易していく。
 1602年には、インドとの貿易会社をつくる。これがオランダ東インド会社です。この東インド会社という名前はイギリスもフランスも同じ名前をつけるから、ここではオランダ東インド会社です。これが株式会社の始まりと言われる。他人の金を集めて会社をつくるわけです。


※ 1602年に東インド会社が設立されてオランダ経済をリードするようになると、1609年に設立されたアムステルダム銀行は東インド会社の短期資金を都合するようになり、両者の癒着関係が強まった。銀行は預金としてプールされているお金を記号化して東インド会社の口座に移し、投資したのである。銀行が簡単に利子を稼げる仕組みができ上がるのである。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ 株券が債券や手形と大きく異なる点は、株券の所有者が、この事業体の所有者となり、経営権を持つことです。・・・つまり、自らが会社のオーナーになるということです。(宇山卓栄 経済)

※ オランダの東インド会社は、今日と同じく株主責任を、集められた資金の範囲内にとどめ、有限化するとともに、株券を購入しやすくしました。しかし、責任を部分限定する会社に社会的な信用がつくのかという疑問が当初ありました。(宇山卓栄 経済)

 それならオレも、東インド会社に1枚かもうと言って100万円投資する。投資したら今の株といっしょで・・・株には配当が来ます・・・配当が200万円になる。100万円で1年で200万円の配当が戻ってくる。ものすごく儲かる。200万円までいかないけれども、1606年には配当が年率75%になる。
 いま銀行金利は何%ですか。1%にもならない。この間10万円預けたら、年率0.01%だった。100万円預けて利息は1000円ぐらいしかつかない。100万円預けて75万円も配当がもらえるんだから、これはすごいです。こうやって株式会社が発展していく。ただこの儲け方は尋常ではありません。

 今度は西インド会社というのがある。西インド会社というのはどこか。全くインドとは関係がないところ、アメリカ大陸です。なぜアメリカ大陸に西インド諸島があるかはすでに言いましたけど、コロンブスの勘違いだったんですね。アメリカをインドだと思っていたからです。西インド諸島はアメリカなんです。そのアメリカにも乗り出していく。

 オランダがその植民地の拠点にしたのが、本国アムステルダムにならって、新しいアムステルダムという意味で、ニューアムステルダムという場所を拠点にする。そこに小屋を建てて、オランダ人が住み着く。これが今のニューヨークです。今では世界ナンバーワンの大都市です。1番お金のある都市といえばニューヨークです。あそこには世界中からお金が集まっています。
 なぜニューヨークと名前が変わるのか。これもあとで言うけれど、この都市はイギリスに奪われるんですよ。ということは、このあとイギリスと戦争したということです。そしてオランダが負けたということです。


 それ以外に新大陸ではブラジル方面にも乗り出すし、パイレーツオブ・カリビアンのような海賊たちが乗り込んできて島々を押さえ、カリブ海の島々で大農場経営をやっていく。中心はサトウキビです。そういう農業をプランテーションといいます。
 プランテーションというのは、白人の大金持ちが黒人奴隷たちを使って、鞭打ちながら働け働けとしてやる農場です。何が欲しかったか。砂糖です。今では甘いものはありふれているけど、この時代に甘いもの、特に砂糖は貴重品です。

 さらに新しい飲み物を発明したんですよ。中国のお茶は甘くない。イギリス人はそれに砂糖を入れて甘いお茶を飲む。我々中国人とか日本人の好みと全然違う。普通の茶に砂糖入れて飲もうとかいう発想は、我々にはないです。しかしイギリス人はこれをやるんですね。イギリスが中国から買ったのはボロ茶だからまずいんです。だから甘ければいい。甘いものがいい。そうやって何にでも砂糖を入れる。逆に言うとそれだけイギリスは食い物がまずかったんです。イギリス料理とか聞かないでしょう。だから甘さでごまかすわけです。

 コロンブスがアメリカ大陸を発見してもう100年以上経った。1620年代です。そうなると今まで、黒人奴隷を使いながらゴソゴソと銀を掘らせていたのが、その銀が掘り尽くされてしまって、ヨーロッパに入る銀の量が減少してくる。お金の量が少なくなっていく。お金が少なくなると景気がよかった1500年代に比べて、不況になっていくんです。

 1600年代、つまり17世紀は一転して不況です。不況になると生活が苦しいから、みんな腹を立てて戦い出すんです。そして革命が起こるんですよ。王が殺されたりする。こういった殺伐とした戦いが起こっていく。


【チューリップバブル】 その中でオランダだけは商売上手だから、お金持ちです。お金が余るとどうなるか。今の現代の株式相場で起こることと同じ現象がオランダで起こりはじめる。
 これが1637年チューリップバブルです。原因はチューリップの球根です。これが今は一つの球根は100円か200円ぐらい。それが200万円とか300万円になっていく。どんどん値上がりして。もうわけわからなくなる。なぜ上がるか。チューリップそのものが欲しいんではない。チューリップの球根さえ手に入れば、今100万円で買っても必ず200万円になる。そう予想されたんです。これが金儲けの手段になる。一種のマネーゲームです。これがバブルです。バブルはヨーロッパの発明です。そしてあるとき一気に暴落する。
 1600年代の前半はそういうオランダの全盛期です。その中心がアムステルダムです。今のオランダの首都です。ここに世界からお金が集まる。ヨーロッパ金融の中心になっていく。しかしこのオランダの繁栄は50年もちません。
 イギリスのことはこのあと言いますが、1652年にオランダはイギリスと戦争するんです。漢字で書くとイギリスは英、オランダは蘭です。だから英蘭戦争といいます。このことはイギリス史をするときにもう1回あとで言います。とにかくオランダがイギリスと戦って負けて衰えるきっかけになります。
 こうやって国の勢いが、だいたい100年から50年ごとに変わっていく。最初はスペイン、次にオランダ、その次にくるのはイギリスです。そのイギリスの覇権は200年ぐらい続く。それが20世紀に今のアメリカに変わる、というのが現代までのあらかたの流れです。

 またスペインの勢力範囲のことを言うと、王様の家柄はハプスブルク家です。このスペインはどれだけ領地を持っているか。スペインはここです。それと要注意はこのネーデルランドです。低い土地という意味の今のオランダです。スペインの領地としてこのオランダは押さえてください。そのオランダはスペインから逃れた商売人たちの国として独立していく。なぜスペインから逃げないといけないか。宗教とそこから来る彼らの行動が当時の社会を崩壊させる危険性を持っていたからです。



【イギリスの絶対主義】
 では次にイギリスに行きます。移り変わりが激しくて100年ずつで覇権国が変わるんですけれども、今の話のペースだと20分ぐらいで100年ぐらい行っています。
 オランダの次はイギリスに行きます。いま覇権がスペインからオランダに変わったところです。時代は1600年代です。その1600年代のイギリスで何が起こるか。


【ヘンリ8世】 ちょっと前にも言ったけれど、イギリスはヘンリー8世というわがままな王様が、ローマ教会から分離して自分の教会を勝手につくってしまった。理由は嫁さんと離婚したかったから。それをローマ教会が認めなかったから、それならもういい、オレはオレで教会を作る、とつくってしまったんです。そして今もこの教会はイギリスという国を代表する教会としてあります。これをイギリス国教会といいます。こうやってイギリスはローマ教会から独立しました。
 そしてそのイギリス国教会の親分に、ヘンリー8世、王様自らがなります。王様が宗教の支配者になる。こうやってイギリス王権は一度は絶対的な権力を持つんです。

 次の国王のメアリ1世は・・・この人はヘンリー8世の最初の嫁さんとの間にできた娘です・・・カトリックを復活させることで国内の諸侯と和解し、同じカトリックの信奉者スペインのフェリペ2世と結婚することで、対外的にもスペインと和解することができました。


【エリザベス1世】 そのヘンリー8世の娘、といっても前の嫁さんの娘ではなくて、離婚したあとの2番目の若い新しい嫁さん・・・アンブーリンと言いますが・・・彼女が産んだ娘が成人して女王になります。それがエリザベス1世です。やわな女王じゃないですよ。若い頃は牢屋に幽閉されたりして、命の危険にさらされていますから、政治の怖さを知っている筋金入りの女です。
 私が若い頃にイギリスの首相で「鉄の女サッチャー」という女性首相がいましたが、あんな感じかなあ。1558年から約50年間も女王を務めます。しかも独身で。だから彼女のアメリカ植民地はヴァージニアと言います。処女地という意味ですね。
 本当に処女だったか。とんでもないです。結婚しなかったのは政治的な判断です。宮廷には常に愛人を引き入れてます。海賊だってアゴで使う、恐いおばさんです。でも表向きは処女だから子供は産めません。ということはこの王朝は・・・チューダー朝といいますが・・・跡継ぎがいなくてここで終わりです。彼女がそこまでして守りたかったのは何か。イギリスの独立です。イギリスはまだ弱い島国で、スペインに押されてしまう危険があった。
 ちなみに今のイギリスの女王はエリザベス2世です。この人とは関係ありません。
 さっき言ったように、この女王がそれまで無敵のスペイン艦隊を破る。1588年アルマダ海戦です。それぐらいイギリス海軍は強い。もともと海賊の子孫です。ノルマン人というのはバイキングの子孫だから海賊が得意です。


【奴隷貿易】 さらにその海賊を使って、この女王はぼろ儲けしていく。1560年代から奴隷貿易に手を染める。おしとやかな女王様なんかを想像していたらダメですよ。裏も表もある、酸いも甘いも知り尽くしたような、海千山千の女王です。気に入らなかったら男でも殺される。やわな女じゃない。

 この200年後に、イギリスに世界初の産業革命が起こって、あの小さなイギリスが大英帝国となって、世界の七つの海を又にかけるような植民地帝国になっていきます。なぜそんなことが起こるのか。奴隷貿易で儲けたお金があるからです。教科書にも書いてある。「奴隷貿易なくして産業革命なし」と。奴隷貿易とは、アフリカの黒人をアメリカに連れて行って売り飛ばすんです。


【私掠船】 その間、アメリカ大陸で一番金儲けしてるのはスペインなんです。スペイン船は銀をいっぱい積んで、スペインに運んでいるんですね。それをイギリスが襲う。襲っていいのか。この時代にお巡りさんなんていないんですよ。戦って負けたら仕方がないんです。それでスペイン船を襲撃する。誰を使ってか。仲間の海賊を使ってです。この女王様は海賊とお仲間です。

 こういう犯罪船、別の国のお宝船を襲ったら本当はダメでしょ。しかし教科書はこれにご丁寧にちゃんとした名前を付けている。これを私掠船という。早い話、海賊船です。金銀財宝があれば、どんな船でも襲って自分のものにする。この海賊の元締め、それがイギリスの女王です。
 そしてガッポリ海賊が儲けて、金銀財宝を奪って持って来ると誉めるんです。おまえ大した男だ。爵位を授けてやる。爵位とは貴族の位です。海賊にですよ。お金を稼いで来たから、おまえを貴族にしてやる。この海賊の親玉がドレークです。実体は海賊です。それが貴族になる。サー・ドレークという立派な名前になる。本当は何のことはない、ただの海賊です。

※ 産業革命以降、イギリスは工業製品を大量に輸出し、利益を得たとする俗説がありますが、イギリスの貿易収支は常に赤字です。イギリスは、海外金融業や海外投資収益などの貿易外収支で稼ぎ、貿易収支の赤字を補っていました。
 以上の点から、イギリスを覇権国家に押し上げた主要な原因は、産業革命による生産力拡大でないことは明らかです。イギリスが他国よりも優位に立つことができた根本的な原因は、他国がマネのできない独自の収益構造を形成することができたからです。その方法はかつてのスペイン、オランダにさえなかった悪辣なものでした。(宇山卓栄 経済)

※ そもそも、覇権というものはその本質において、犯罪的な収奪によって成立するものです。ウォーラーステインは覇権国家の条件を「圧倒的な生産力」「圧倒的な流通力」「圧倒的な金融力」と言いましたが、これら三つの条件に加え、「圧倒的な詐術力」「圧倒的な強奪力」の二つの条件を加えなければなりません。
 イギリスの悪辣なる収奪システムの拡大には三つの段階があります。
第1段階は16世紀の私掠船の略奪、
第2段階は17~18世紀の奴隷三角貿易、
第3段階は19世紀のアヘン三角貿易です。(宇山卓栄 経済)

※第1段階 第1段階の私掠船とは、国王の特許状を得て、外国船の捕獲にあたった民間船で、国王が許可し、国王や貴族が資金援助した海賊船でした。
 イギリスの私掠船は、スペインやポルトガルの貿易船を繰り返し襲い、積み荷を略奪しました。積み荷を売却した利益は国王や金属などの出資者に還元され、イギリスの初期資本の蓄積に寄与します。この海賊私掠船のスポンサーリストにエリザベス女王の名前も掲載されていました。(宇山卓栄 経済)

※第2段階 イギリスの第2段階の収奪は、17世紀後半以降の黒人奴隷貿易です。黒人をカリブ海の西インド諸島に搬送し、砂糖プランテーションで強制労働させて、砂糖をイギリスに持ち帰る三角貿易を行います。
 イギリスは17~18世紀、スペインやフランスという競合者と戦争し、彼らに勝利することで奴隷貿易を独占し、莫大な利益を上げていきます。当時、奴隷貿易ビジネスへ出資した投資家は30%程度のリターンを受けていたとされます。この犯罪的な人身売買ビジネスが、イギリスにとって極めて有望な高収益事業であったことは間違いありません。
 18世紀前半から産業革命が始まると、綿需要が高まり、綿花栽培のプランテーションが西インド諸島につくられます。綿花は砂糖に並んで「白い積み荷」となります。17~18世紀のイギリスは砂糖や綿花を生産した黒人奴隷の労働力とその搾取のうえに成立していました。
 1790年代に産業革命が本格化すると、西インド諸島のプランテーションだけでは原綿生産が間に合わ間に合わず、アメリカ合衆国南部一帯にも大規模な綿花プランテーションが形成され、黒人奴隷が使われました。
 18世紀後半に至るまで1000万~1500万人の奴隷たちがアフリカから連行されたため、アフリカ地域の人的資源が急激に枯渇しました。
 人道的な批判や世論も強まり、イギリス議会は1807年、奴隷貿易禁止法を制定します。しかし、それでも19世紀半ばまで奴隷貿易は続きます。この頃、イギリスはインドの植民地化を着々と進め、インド産の原綿を収奪しました。(宇山卓栄 経済)

※第3段階 イギリスの第3段階の収奪として、奴隷三角貿易の衰退とともに、19世紀にイギリスはインドのアヘンと中国のお茶を結びつける三角貿易を始めます。イギリスで喫茶の習慣が拡がり、イギリスは中国のお茶を求め、銀で支払いをしていました。そのため、イギリスは輸入超過状態となり、銀の流出が止まりませんでした。そこでイギリスは銀の代わりにインド産のアヘンを中国に輸出し、茶を中国から得ました。
 ジャーディン・マセソン商会などの貿易商がアヘンの中国への輸出を担当し、大きな利益を上げて、逆に中国側の銀が流出しはじめました。ジャーディン・マセソン商会は1832年に、マカオで設立されて、イギリス東インド会社の別働隊のような役割を担った民間商社で、アヘン貿易を取り仕切ります。
 アヘン戦争の開戦に際し、ジャーディン・マセソン商会は議員に対するロビー活動で多額のカネをばらまき、反対派議員を寝返らせます。
 ジャーディン・マセソン商会は、アヘン戦争でイギリスが占領した香港に本店を移し、さらに上海にも支店を開き、中国市場に進出します。
 ジャーディン・マセソン商会は、清朝政府に対して借款を行い、清崩壊後も鉄道の敷設権や営業権などを得て、莫大な利益を上げていきます。今日でも、ジャーディン・マセソン商会は国際的な複合企業です。
 アヘン戦争後、香港上海銀行が設立されます。香港上海銀行はジャーディン・マセソン商会をはじめ、サッスーン商会などのアヘン貿易商社の資金融通や、送金業務を請け負いました。香港上海銀行は香港で、アヘン戦争以降、今日まで続く通貨の発行もおこない、中国の金融を握ります。
 このようにイギリスの覇権は奴隷貿易の人身売買業者、アヘン貿易のドラッグ・ディーラーなどによって形成されたものであり、その犯罪的かつ反社会的な手法なくして、持続可能なものでなかったことは明白です。悪辣非道、弱肉強食、厚顔無恥、こうしたことこそが国際社会の現実であることを歴史は証明しています。(宇山卓栄 経済)


【綿織物の人気】 これと同時にイギリスでは、毛織物業が発展しつつあります。ヨーロッパ人は毛を着る。動物繊維を着ています。前にも言ったけど、ただ毛は洗ったら縮む。だから基本的に洗えない。着潰すんです。汗まみれで。だから汚いんですよ。

※ 綿花を栽培できない寒いヨーロッパで、衣料は毛織物(ウール)製品が主流でした。綿織物がウール製品と決定的に違うのはウォッシャブル、水洗いできることでした。ヨーロッパ人は水洗いできない不潔なウール衣料を着ていたために病原菌に侵されやすく、特に免疫力のない乳幼児の死亡率が高かったのです。18世紀以降、綿製品がヨーロッパで流通すると、乳幼児の死亡率が劇的に改善されます。
 ・・・こうなるとイギリスなどのウール製品業者は壊滅状態に陥り、彼らは生き残りをかけてビジネスモデルの転換を図らなければなりませんでした。イギリスはインド産「キャラコ」に対抗するために、アメリカ西部のカリブ海諸島やアメリカ南部に奴隷制プランテーションを経営し、インド産綿花に代わる安い原料栽培します。(宇山卓栄 経済)

 ヨーロッパ人が明治に日本に来て驚いたことに、こいつら日本人は毎日風呂にはいっているぞ、と驚くんです。ということは、彼らは毎日風呂にはいっていない。臭くて臭くてイヤになったころにシャワーを浴びるだけです。だから女は臭い消しとして香水を振りまく。それにバカな男が騙される。

 日本人のように、毎日風呂に入っている人間に香水なんて要らない。そのくらいヨーロッパ人は汚いんですよ。着ているものも洗わない。
 でも木綿は洗えるんです。これがヨーロッパにはない。アジアにしかない。特にインドにしかない。ヨーロッパ人が木綿が欲しくて欲しくてたまらないというのは、そういうことです。我々のようにふだん木綿を来ている人間から見ると、この感覚は分かりませんね。でもヨーロッパには毛織物しかない。この毛織物で儲けているのがイギリスです。


【イギリス東インド会社】 イギリスも、そういう木綿があるところはインドだから、そこと貿易するために1600年イギリス東インド会社という貿易会社をつくる。東インドは本当のインドです。
 貿易は船で行く。海賊が行く。ちゃんとした商行為が成立すればいいけれども、成立しなかったら子供の使いじゃないから奪ってくる。殴ってでも、売れ、と言って奪ってくる。荒っぽい商売です。
 さっき言ったオランダ東インド会社というのは、実はこの2年後です。それが世界初の株式会社になります。

 この動きはスペインと何が違うか。民間人が貿易をしているんです。スペインは王様独占だった。イギリスやオランダは違う。金持ちたちが国家プロジェクトにお金を出して、俺も俺もと、俺も参加させてくださいと言って、出資していく。難破してパーになることもあるけれども・・・確かにリスクは高いけれども・・・生きて帰れれば100万円が10倍の1000万円になる。だからこれが軌道に乗れば、イギリスに大金持ちがいっぱい出てくる。こうやってお金持ちたちが、お金を蓄えていくんです。

 しかも会社が潰れたら、出資した者は、普通はその会社の借金を返さないといけないけれど、株式会社のいいところは(?)返さなくてよいところです。有限責任です。政治経済で習ったと思います。株式会社は有限責任です。会社がいくら借金を抱えて倒産しても、会社の出資者である株主はそれを返さなくていい。1億円の借金を抱えて会社が倒産しても、株主はその会社に10万円投資していたら、10万円だけ損すればいい。後の借金は払わなくていい。では借金は誰が払うのか。誰も払わないです。これが倒産です。これはいい。
 儲かれば儲かったお金は株主のもの、失敗して損失を出してもそのお金は払わなくていい。この形式が今の株式会社です。これはヨーロッパだけのルールだったんです。他の地域はそんなことはしません。しかしその後、ヨーロッパの株式会社のルールが世界中に広がり、いまでは日本の会社もそういうルールで成り立っています。なぜこんなことになったのか、というのがこの後の歴史です。


【アメリカへの移民】 それからイギリスから、宗教改革でプロテスタントになった人たちは、アメリカに渡るんです。アメリカの東北部、東海岸のニューイングランド地方と、いまは名前がついています。これは逆ですね。イギリス人がそこに住み着いたから、ニューイングランドつまり新しいイングランドという名前をその地域につけたんです。今でもそう呼ばれています。

 最初にアメリカに行った人はピルグリム・ファーザーズと言って、ちょっと有名な一族です。乗って行った船はメイフラワー号という。オレたちがアメリカ一番乗りだ。アメリカはイギリス人中心の国です。だからアメリカでは英語を話しています。むかし英語がイギリス語だというのを知らない人が一人だけいました。アメリカ語は英語です。英語はイギリス語です。


【インド貿易】 1600年代の初め、イギリスはまだオランダと張り合ってる最中で、アジア方面に関して一番欲しかったのはインドネシアです。あそこで胡椒が取れる。しかしオランダと戦って負けて、負けたからどこに行くか。今度はインドに行く。この事件が1623年アンボイナ事件です。イギリスがオランダに負けた事件です。だからこの後、イギリスのアジア植民地はインドになる。


【キリスト教の分布】 キリスト教の宗派を見ていくと、こういうふうに枝葉が分かれています。
 キリスト教は昔からあったローマ・カトリックと、ルターがはじめたプロテスタントです。最初はルター派だけです。
 しかしこのプロテスタントにはルターの次に第2のルターが出てくる。これがカルヴァンという人です。このカルヴァン派が面倒くさいことに、国によって呼び方が違うんですよ。
 イギリスの場合にはピューリタンという。ピューリタンと言えばカルヴァン派だな、お金が大好きな人だなと思ってください。商売熱心な人だなと。ピュアーなピューリタン、「きれい好きな人」と言う意味です。でもほめてるんじゃないです。何でもかんでもピカピカに磨く奴ら、という侮蔑的な意味があります。
 ところがフランスの場合はユグノーといいます。「徒党を組む奴ら」という意味です。それがこのあと革命や戦争の名称になったりします。
 さらに、オランダではゴイセンと言います。「乞食」という意味です。すべて侮蔑的な意味です。彼らは一種社会のアウトロー的存在です。だから本国にいられなくなって、新天地を求めてアメリカに渡ったりするんです。
 のちに産業革命を起こしていくピューリタンは、お金にがめつくて、当初はヨーロッパでも嫌われた人たちです。でもその人たちがお金を蓄え、産業革命を起こし、現在の資本主義社会を作り上げていきます。現代の社会の出所はこんなところにあります。そのことが人間にとってどんな意味を持つのかは、まだよく分かりません。
 以上がイギリスです。
 これで終わります。ではまた。



「授業でいえない世界史」 第28話 近世ヨーロッパ ドイツ三十年戦争とイギリス革命

2019-04-27 05:00:00 | 旧世界史10 近世西洋
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 
【ドイツ】
【三十年戦争】 今度は、中世ではヨーロッパの中心であったドイツです。宗教戦争の本場はここです。ルターはドイツ人であった。この宗教をめぐって血で血を洗う戦いが起こります。これが30年間も続く一番ひどい戦争です。三十年戦争というのが起こる。1618年から1648年まで。この主戦場がドイツです。戦ったのはドイツの中の旧教つまりカトリックと、新教つまりプロテスタントです。
 カトリック側の中心は伝統を守ろうとする勢力です。ローマ教会が大好きなドイツ王です。ただドイツ王は正式には神聖ローマ皇帝という。これはドイツの王ですね。この王、引きずり下ろそうぜ、というのが家来の殿様たちです。大名たちです。そういうドイツ領主プロテスタント側です。
 これが外国にそれぞれ応援を求めたから、たんにドイツ内の戦争じゃなくて、国際戦争つまりヨーロッパ全体を巻き込むような戦争になっていっていきます。だからフランススウェーデンも加わるんです。そういう大々的な戦争になっていって、いつ果てるとも知れないような、ついには人口の3人に1人が死ぬまで戦うという、すごい戦争になる。
 そして決着がはっきりしないまま、とにかくもうやめようよ、というのが1648年です。その地名を取ってウェストファリア条約といいます。ドイツはもうぐちゃぐちゃです。バラバラです。つまり実質的に皇帝が負けたということです。滅ぼされはしないけどももうドイツをまとめる力はありません。逆にお殿様たち、日本でいえば大名が力を持ち出した。
 いままではドイツが中心だったがもう力がない。するとフランスが強くなる。イギリスが強くなる。そしてドイツの命令には従わないぞと、イギリスの王様が言う。フランスの王様も言う。それまでは何となくですけど、神聖ローマ皇帝の命令には従わないといけないという合意があったんです。しかしそれがなくなったんです。これが教科書的にいうと主権国家の自立です。つまり近代国家は戦争から出てくる。平和の中から話し合いでできたんじゃない。しかもこのあと戦争はますます激しくなります。主権国家は戦争をする国家です。
 それまではヨーロッパの国々は、神聖ローマ皇帝の命令に従わないといけないという考え方があった。しかし、そんなものくそ食らえだ、あそこはたんにオーストリアを支配している小さな国にすぎないんだ。あと神聖ローマ皇帝はオーストリアを支配するだけです。
 あんな大きい国をですか、とか言わないでください。オーストリア人のシャレで、ウィーン空港で「ここにカンガルーはいません」というシャツを売ったという話があります。オーストラリアじゃないですよ。オーストリアです。オーストリアという国があります。ドイツの南に。今は小さな国になってるけど昔は大きかった。今の3倍ぐらいの面積がありました。もともとは神聖ローマ皇帝の本拠地です。ドイツの王様つまり神聖ローマ皇帝はヨーロッパの実権を失ったのです。

 ハプスブルク家はドイツの支配権を失い、本拠地オーストリアへ撤退します。以後ハプスブルク帝国は神聖ローマ帝国とは呼ばれず、オーストリア帝国と呼ばれます。




【イギリス】
【ピューリタン革命】
 イギリス革命に行きます。1600年代の世の中は不況です。新大陸からの銀が入ってこなくなって、だんだんと景気が悪くなる。そうなると不安が増大して、今まではそれを宗教で解決していたけれども、宗教同士が戦ってる。そうすると疑心暗鬼になる。何が行われるか。気に入らない人間を魔女としていく。そして裁判にかけて火あぶりにする。こんな蛮行がヨーロッパで盛んになる。一番、魔女刈りで人が殺されたのは、実はこの17世紀です。同時にイギリスで革命が起こっていく。不安と不景気の中で。
 不景気の理由は銀の減少です。新大陸からの銀の減少です。そこで革命が起こる。
 これがピューリタン革命です。こういう名前でさっき言ったピューリタンが出てくる。ピューリタンとはイギリスのカルヴァン派です。結論をいうと王と戦って、王を殺す。普通は日本だったら百姓一揆で、百姓が負ける。しかしヨーロッパは逆です。本気で腹を立てたら、王が負けていく。そして王だって殺す。
 ここから1600年代です。ここはイギリスの内政面で革命が起こるということをやりますが、ここで同時に、こんなイギリスが気にくわないという人は、こんな国捨てて、アメリカに渡って行くぞという人がちらほらできてるんですよ。イギリスからアメリカへの移民です。そういう雰囲気です。しかも国内もヨーロッパ全体も銀が減少して景気が悪い。そういう1600年代です。不況の17世紀といわれます。ここでイギリスにピューリタン革命が起こる。

 ピューリタンというのは、宗教改革でカトリックに反対したプロテスタントの一派です。より具体的にいうとルター派ではなくて、第2のルターになるカルヴァン派です。
特徴はお金大好きで、仕事も大好き、金稼ぐのも大好きという人たちです。それが自分が救われた証拠だという宗派です。これ漢字で清教徒という。なぜ清らかなキリスト教徒という言われるか。とにかくで几帳面で、時間に厳しく、綺麗好き、家の中も掃除を1日2回3回、まだ足りずに暇さえあれば磨いている。ドアのノブまで一所懸命磨いていないと気が済まない。他宗派の人が、皮肉交じりに清教徒と呼んだ。本当はお金が大好きです。この人たちが時の王様に歯向かう。

 王様はジェームズ1世。息子は次の王でチャールズ1世。彼らは神聖ローマ帝国がほぼガタガタになったあと・・・これはドイツなんですが・・・国の主権は王にある、神様がそう決めたんだ、という王権神授説というのを唱えて、いばり出すんです。
 すでに1200年代からイギリスの特徴としては議会があった。これは王様に文句を言う組織です。それを王は、俺は神様から主権をもらってるんだ、黙っていろという。ナンデやと、議会は腹を立てる。いつからそんなになったのか。王は300年も前から議会の伝統を守ってきた。それを守れよ。それを最初はちょっと丁重にお願いした。これが権利の請願です。1628年です。お願いです。守ってください。権利というのは、貴族の権利、その貴族の権利を、話し合って王に言うのが議会なんです。
 するとチャールズ1世は、しゃらくせー、おまえたちは解散だ、もう来るな、と言った。そこからです。議会が反発して徹底的にやる。じゃあ、やってやろうじゃないかと。

 ほぼ同時に、海をわたってすぐのオランダ、ここは小さい国ですが、当時景気がよかった唯一の国なんです。オスマン帝国からもらった珍しい花、チューリップの球根にお金をつぎ込む人ができて一株100万、200万になる。これが1637年チューリップバブルです。たんなるチューリップの球根が、100万円、200万円になる。しかしこんなことは、いつまでも続かない。ピークをつけたら、さっと一気に落ちる。これがバブルです。400年経った21世紀の今でも、人間は学習能力ないですね。同じことを、もっと大規模に世界規模でやってる。そんなことの始まりはここからです。

 イギリスの王は議会の反発に懲りて1640年、そんならわかった、議会だけは開いてやろう。でも開いたところがやっぱり意見があわないんです。ますます議会と王が対立して、ここからピューリタン革命が起こっていく。革命というのは血が流れる、と思ってください。日本流にいうと内乱です。

 イギリス人が王党派つまり王を支持する人と、議会を支持する人に真っ二つに分かれていく。一方ではイギリスを見捨ててアメリカに渡っていく人もいる。そういうなかで、ぐちゃぐちゃになって、こういう戦争が7年、8年続くんです。
 ふつう日本だったら百姓一揆は農民が負けるんです。ヨーロッパはそうじゃない。王が殺されていく。逆に議会側が勝利する。勝利するということは、以後気をつけろよ、そんなあまいものじゃない。王が処刑される。1649年チャールズ1世処刑です。これがヨーロッパです。

 この後しばらくはイギリスは王様がいない国になります。議会派の軍隊を率いていた中心人物が中心になって・・・王にはならないけど・・・政治を行う。この人がクロムウェルです。宗教はピューリタンです。決まりにうるさい、時間にうるさい、非常に厳格な政治を行う。決まり通りしないと気が済まない。実績も上げ、戦さにも強いけれど、人気は今ひとつです。この人がピューリタン的な独裁政治をする。

 政権を握るとクロムウェルは下級階級を弾圧し始めます。特に下層階級で急進的な共和制を主張した水平派と呼ばれる人々を危険視し、大勢を処刑しました。一方クロムウェルは、政権運営のために、台頭するブルジョワ中産階級の経済力が必要と考え、中産階級を擁護する政治を行います。王政を倒す革命のエネルギーを下級階級に求め、革命が成功すると彼らを切り捨て、政権運営能力を中産階級に求め彼らと手を組みました。


【英蘭戦争】 ただこの間にも戦いは強い。唯一景気がよかったオランダと戦って、1回、2回、3回ともイギリスが勝つ。ここでオランダとイギリスの関係が逆転する。100年前のエリザベス1世の時はスペインだった。その次はこのオランダです。このピューリタン革命のあとに強いイギリスになっていく。この3回にわたる戦い英蘭戦争です。
 海の航路、大西洋貿易航路を、イギリスがオランダから奪う。奪うと同時に、平和な国になっていくかというととんでもない。アフリカから奴隷を連れてきて、売り払っていく。この中心になっていくのがイギリスなんです。それで奴隷貿易が活発化する。奴隷三角貿易というのは、イギリス・アフリカ・アメリカ、この三角形です。奴隷が取り引きされていく。このピークがこの頃、1650年頃です。

※第2段階 イギリスの第2段階の収奪は、17世紀後半以降の黒人奴隷貿易です。黒人をカリブ海の西インド諸島に搬送し、砂糖プランテーションで強制労働させて、砂糖をイギリスに持ち帰る三角貿易を行います。
 イギリスは17~18世紀、スペインやフランスという競合者と戦争し、彼らに勝利することで奴隷貿易を独占し、莫大な利益を上げていきます。当時、奴隷貿易ビジネスへ出資した投資家は30%程度のリターンを受けていたとされます。この犯罪的な人身売買ビジネスが、イギリスにとって極めて有望な高収益事業であったことは間違いありません。
 18世紀前半から産業革命が始まると、綿需要が高まり、綿花栽培のプランテーションが西インド諸島につくられます。綿花は砂糖に並んで「白い積み荷」となります。17~18世紀のイギリスは砂糖や綿花を生産した黒人奴隷の労働力とその搾取のうえに成立していました。
 1790年代に産業革命が本格化すると、西インド諸島のプランテーションだけでは原綿生産が間に合わ間に合わず、アメリカ合衆国南部一帯にも大規模な綿花プランテーションが形成され、黒人奴隷が使われました。
 18世紀後半に至るまで1000万~1500万人の奴隷たちがアフリカから連行されたため、アフリカ地域の人的資源が急激に枯渇しました。
 人道的な批判や世論も強まり、イギリス議会は1807年、奴隷貿易禁止法を制定します。しかし、それでも19世紀半ばまで奴隷貿易は続きます。この頃、イギリスはインドの植民地化を着々と進め、インド産の原綿を収奪しました。(宇山卓栄 経済)


 それで1655年、その頃イギリスはジャマイカ、カリブ海に浮かぶ島です。そのジャマイカにアフリカの黒人奴隷を連れてくる。オリンピックの短距離走で世界最速の男フセイン・ボルトはここの出身だった。彼も黒人です。
 そこで何を作るか。ちょうどヨーロッパで中国のお茶が流行りだした頃です。それに砂糖を入れたくてたまらないわけです。それでサトウキビをつくる。誰が耕すか。イギリス人は鞭を持っているだけ。働くのは当然、アメリカからの奴隷です。
 変な話があって、なぜイギリス人はお茶に砂糖を入れたかったのか。もともと豊かなのは中国です。売らなくても中国は成り立ってるんだけれども、そこに来たイギリス人がどうしてもお茶が欲しいと言うものだから、仕方なく中国人は売ってやった。だから不要な余ったお茶しか売ってないんです。まずいお茶だった。だからイギリス人は砂糖を入れたくなる。上級なお茶、我々が飲んでいるような日本茶なんか、砂糖を入れようという発想を日本人はしない。あれは上等なお茶だからです。まずいお茶には砂糖を入れる。しかしこれが紅茶になって明治以降に日本に伝わって、イギリス流の紅茶はさすがおいしいとか誰かが言い始めた。もともと低俗なお茶です。そこらへんけっこう勘違いしている人が多い。


【金匠手形】 もう一つ変なことが起こるんですけれども、この時代は金(きん)を預かる商売がある。物騒で泥棒がいっぱいいて、金を家の箪笥の引き出しに入れていたら、泥棒が土足で踏みにじって取られてしまう。不安で仕方がないから、金を扱う業者に預ける。これを預かった人たちが、預かった証拠に預かり証を切るんです。
 例えば、ズボンを買うときにはスソを曲げてくださいといって、いったんそこに預けるでしょう。その時に1週間後に来てください、と引換券をもらう。これはスボンと同じ価値がある。この引換券が、お金と同じ価値を持って流通し始めるんですよ。これが銀行券つまり今の紙幣の始まりです。1万円札は正式には日本銀行券です。銀行が発行したものです。もともとは金の引換証です。これちょっとブラックなところがあって、資本主義の隠れた伏線ですね。

※ イギリスで銀行が誕生するには1つのドラマがあった。1640年、従来、ロンドンの商人たちは、金貨や銀貨などの貴金属を当時造幣所があったロンドン塔に預けていた。ところが議会と対立して財政難に陥った国王チャールズ1世が13万ポンドにむおよぶ貴金属を差し押さえてしまう。王は4万ポンドの貸し付けを条件に貴金属を返還したものの、貸し付け分は返済されなかった。
 政府への信頼をなくしたロンドン商人は、長い間シティで両替業を行っていたゴールドスミス(金匠・金細工師)に貨幣を預けるようになる。ゴールドスミスは、貨幣を預かり、ベネチア銀行にならって預金証書を発行した。やがて預金証書を、同じ額の「金匠手形」という補助券に分割する。一種の紙幣である。便利な「金匠手形」はお金よりも広汎に流通したという。
 ゴールドスミスは、預金者が請求すればお金を返済したが、沢山のお金が手元に残されているのが常だった。そこでゴールドスミスは、手元に残されたお金を短期で貸し付けたり、手形の割引をしたりするようになった。ゴールドスミスが保管するお金が、預金と貸し付けの保証として作用するようになったのである。(宮崎正勝 お金の世界史)


 話を戻すと、それでイギリスではお茶と砂糖をミックスして紅茶を飲み始める。これが爆発的な流行を生む。


【名誉革命】 そして王がいない政治が20年近く続いていく。そして1688年に2回目の革命が起こるんです。これを名誉革命という。この説明をします。

 ピューリタン革命後、イギリス人は考えた。今までずっと王がいてイヤだったけど、王がいないのも何かと不便だな。代わりのクロムウェルもちょっとねえ。王様はやっぱりいた方がいいんじゃないか。それで処刑されたチャールズ1世の弟がまた王になる。これがチャールズ2世です。こうやって王が復活するんです。これを王政復古という。1660年です。

 議会政をとなえる中産階級と王政をとなえる上流階級の両者の折衷案である立憲君主主義の考え方が誕生します。

 この王の治世下で、オランダとの戦争に勝ちます。オランダはアメリカに植民地を持っていた。そこにニューアムステルダムという都市をつくっている。それをイギリスが奪って名前まで変える。ニューアムステルダムというのはオランダの都市じゃないか。イギリスの名前にしよう。イギリスにヨーク地方という毛織物の産地がある。ここは景気がいいんですね。ここの名前をつける。これが今の世界最大の都市、アメリカのニューヨークになる。新しいヨーク地方という意味です。これが1664年です。
 一方で不況の中、多くの貧しいイギリス人がアメリカに渡っている。新天地を求めて。
 いろいろな伝染病も入ってくる。船に乗ったり、シルクロードの行き来があると、ヨーロッパになかったような風土病が伝わったりする。最大のものがペストです。
 戦争はするわ、王様は殺すわ、奴隷貿易はするわ、伝染病は流行るわ、小氷期で気温は下がるわ、大変な時代です。

 政治に戻ると、、王政復古したチャールズ2世が、また自分のいいようにしだすんです。議会のいうことを聞かない。それでまた議会と対立する。それでまた同じことが起こるのかというと、議会の中にも王がいないとまずいという考え方も半分出てくる。王様は必要だという考えのグループ、これをトーリー党という。王様のいうトーリー、そんな感じです。それに対して、王は要らない、議会で決めればいいじゃないか、これをホイッグ党という。これが今の日本にもある政党の始まりです。
 考え方を同じにする人たちが政治的グループを作っていく。そして議会で話し合うんです。この政党同士が話し合って話がまとまる。王はやはり追放しよう。1688年、チャールズ2世の弟で新しい王になっていたジェームズ2世を追放する。
 実は追放される前に、これは命が危ないと思ったジェームズ2世は、夜の夜中に、テムズ川というロンドンを流れる川に船を浮かべて、自分ですたこらさっさと逃げていく。
 ではこれで王はいなくなったのかというと、イギリス人がやることは、ちょっと中途半端というか、今度はジェームズ2世の娘を王にする。娘は結婚してオランダの王に嫁いでいた。その娘夫婦を二人で共同で王にするんです。これがメアリー2世とウィリアム3世です。変な形ですね。けっきょく王になったのはオランダの王です。オランダの王を招いて、新しいイギリスの王とする。

 オランダは英蘭戦争でイギリスに敗北し、復讐感情を持っていました。そのオランダに対しイギリスは破格の誠意を示します。1688年、名誉革命でジェームズ2世が追放され、オランダから総督ウィレムと妻メアリーを国王として招きます。オランダのトップをイギリス国王として迎え、オランダと一体化していきます。

 この時に、オランダの王の取り巻き連中が一緒にイギリスについて来る。オランダは商業の国だから商売人が多い。その中にけっこうユダヤ人がいるんです。そのユダヤ人がイギリスで何を始めるかというと・・・ユダヤ人は金貸し業が多い・・・金融業つまり銀行業に入っていく。これが10年後に何をつくるか。それがもう一つの伏線になります。

 その前に政治的なことを言うと、議会はこの新しい王に対して、議会の権利をちゃんと認めなさい、王にしてやるから認めなさい、という。これを認めないといったところから名誉革命が始まった。わかった、認めよう。これで確定です。これを権利の章典といいます。1689年です。
 何を認めるかというのは、この章典にいろいろ書いてある。しかし一番大事なことは何かというと税金です。税金を勝手に取らない、勝手に上げない、ということです。消費税、来年上がりますね。安倍首相がそう言っている。課税権は議会にある。王が課税したいという時には、必ず議会に相談してその了解をもらいなさい。議会がダメと言ったらダメです。

 決定権は王にはないのです。でも一番お金がいるのは戦争です。イギリスはこのあとずっと戦争していきます。戦争するにはお金がいる。税金を取りたいけど取れない。どうするかという問題です。
 結論をいうと、銀行から借りるんです。銀行から借金して戦争していく。それで勝っていくんです。銀行がそのお金を貸す。だから新しい王様は銀行に頭が上がらない。


【財政革命】 それが財政革命です。お金がないから借金したいんです。この借金の方法が、今まで他の国と違って、借用書を発行して、これを100万円で買ってくれよ。これが世界初の国債です。
 日本は現在1000兆円もの国債を発行してます。日本も借金大国です。ナンバーワンはその2倍、2000兆円を借金しているアメリカです。その次が日本です。国債での借金はここから始まります。
 借金して何するか。フランスとの戦争です。これを1688年からのファルツ継承戦争といいます。名誉革命と同時に始まっています。その戦争を続けるために銀行が欠かせなくなります。


【イングランド銀行】 しかしその借金に応じる国民がいないんですよ。だから何をつくるか。それがイングランド銀行です。1694年です。名誉革命から6年後です。イギリスは忙しい。王が殺され、2回革命が起こって、革命が終わったらすぐにフランスと戦争して、借金するために銀行をつくるんです。
 しかしこの資金源は国王の手持ち資金ではありません。民間の金融業者たちの資金を集めたものです。ということはこの銀行は民間銀行に過ぎません。この民間銀行から、王様はお金を借ります。
 この頃、お金が何になりはじめていたか。紙幣になりはじめていた。紙のお金でよかったら銀行はいくらでもお金を刷れる。これは、ここ数年やたらと一万円札を刷っている今の日本銀行と同じです。紙でよかったらいくらでもお金を刷れる。戦争したいからお金を貸せと言うと、良いですよ、何枚要りますか、いくらでも刷りますよ、それでお金を貸すんです。何か変な話です。こうやってイングランド銀行がイギリス国債を買うんです。そしてその代金をイギリス政府に払います。これを国債を引き受けるという言い方をします。
 イギリスが戦争に強かったのはこういう変なお金の発行の仕方を発明して、紙のお金がいくらでもあるからです。そのお金で武器弾薬をいくらでも買うことができるんです。
 フランスはその点、そういうことをしないから戦争には弱い。ある意味きまじめです。お金は金貨じゃないとダメだというルールを守っている。でもフランスにはその金貨がないんです。
 しかしイギリスの紙幣はいくらでも刷れます。王様が銀行に紙幣の発行を認めさえすれば紙がお金になります。このスタイルが世界中に広まって、今のお金になっています。それはここから始まります。
 しかし目的は戦争に使うためです。これが通貨発行権ですよ。紙のお金を自由に発行する権利を銀行が持つようになった。それを王が認めた。これがのちの中央銀行になります。日本でいえば日本銀行です。イングランド銀行はこういう形で、世界初の本格的中央銀行になります。
 だからイギリスにはガッポリ、紙のお金がある。銀行から借金して紙のお金をもらう。借金したお金だろうが、お金に変わりはないんだから、武器、弾薬、戦争に必要なものは何でもガバガバ買える。フランスの何倍も買える。兵隊の給料だって払える。だからイギリスが強いんです。その銀行業の中心にオランダから来た金貸し業のユダヤ人がいるんです。


 こんなことをするんだったら、イギリス政府が直接紙幣を発行すればいいという考え方もあります。これが銀行券ではなくて、政府紙幣です。しかしこれをやられると銀行家の商売はあがったりです。銀行券政府紙幣の違いは何か。政府紙幣はいくら発行しても利息は発生しません。しかし銀行券には利息が発生します。中央銀行が政府にお金を貸しているからです。ではその利息は誰が払うか。政府が国民から徴収した税金の中から払うんです。つまりこれは国民が中央銀行に税金を払うここと同じことです。
 紙幣を刷るだけで国民の税金が手に入る。このぼろい儲けを銀行家たちは決して手放そうとしません。逆にいうと、政府紙幣を発行しようとする政治家は銀行家たちにとっては敵なんです。



【奴隷貿易】 ここからちょっと変な話なんですけど、これと同時進行でイギリスに不満をもつイギリス人はアメリカに乗りだしていく。イギリスの西に、大西洋を越えたところにアメリカがあるから、大西洋をまたいで貿易をしていく。過去にはスペインもやってた。オランダもやってた。ただ1600年代の中心はイギリスです。奴隷貿易の中心もスペインからイギリスに移っていく。そこで奴隷貿易をやる。
 アフリカの現地の人たちを・・・これは今でいう拉致ですよ・・・勝手に捕まえて来て、船に乗せて奴隷として売り飛ばしていくんです。
 そこでイギリス人が経営する・・・砂糖が欲しいでしょ・・・サトウキビの農場で働かされる。紅茶を飲むために。紅茶ぐらいで、とバカにしないでください。この砂糖で稼ぐんです。
 もともとアメリカに住んでいた原住民たちは、重労働でバタバタ死んでいく。そこに伝染病も加わって死んでいく。その労働力不足の補充にアフリカから奴隷貿易で黒人奴隷を連れてくる。そしてアメリカに売る。これが利益莫大です。犬猫どころじゃない、高級ロボットどころじゃない。言葉が分かって、言われたとおり、指示どおりに働いてくれる機械だから、奴隷というのは法外の値段で売れます。これでイギリスはガッポリ儲けた。そのピークが1650年ぐらいです。さっき終わった2回のイギリス革命の中間ごろです。イギリス革命と同時にこういった事が起こっています。
 そのアメリカで作られたサトウキビからできた砂糖を購入し、砂糖入り紅茶を飲む生活スタイルがまず確立する。紅茶はお茶です。しかも低品質のボロ茶です。
 社会的に重要なのは、そういうあこぎな商売人たちがお金をガッポリ稼ぎ、お金を貯めだしたということです。こういう貯まったお金のことを経済的に資本という。この資本が次の1700年代にイギリス産業革命の資金源になる。
 もともとは何の金か。奴隷を売った金です。つまり産業革命の富の源は奴隷貿易の利益です。


【キャラコ貿易】 もう一つあります。イギリスはインドを植民地にしていた。このインドではヨーロッパでは取れない植物繊維があった。
 ヨーロッパ人は毛糸を着ている。毛糸は洗うと縮むから洗えない。だから臭い生活をしてる。しかしインド人は・・・これはキャラコとインドでは言ってるんだけど・・・綿織物を着ている。着ているものが違うんです。洗えるじゃないか。綺麗じゃないか。清潔じゃないか。着心地がいい、これ欲しいな。
 イギリスは奴隷貿易で儲けている。ある程度お金を持ち出した。高いインド産キャラコが買えるようになる。するとこのキャラコが熱狂的に流行する。
 そうなると、今まで着ていた毛織物が売れなくなって、毛織物業者がバタバタと倒産していく。だから1700年代には一旦インドからの綿織物は禁止される。国内産業を保護するためです。
 そしてピューリタン革命から100年ぐらい経って、イギリスに産業革命が起こると・・・それ以前には綿織物を作る技術はイギリスは持ってなかったけど・・・100年後に技術が進歩すると、国産化できるようになる。つまりイギリスで綿織物がつくれるようになる。これを今度はインドに輸出して儲ける。こういう先の流れがあります。
 
▼18世紀中頃の世界貿易

 産業革命は18世紀、1700年代半ばです。そのころイギリスはインドを征服して、植民地にしていく。それで何をするかというと・・・ヨーロッパでは綿花はイギリスでは寒すぎて作れない・・・だからインドでその原料になる綿花を強制的に作らせる。これが綿織物の原料です。その原料をインドからイギリスに持ってきて、それを糸にして、さらに綿布にしていく。そして売る。またがっぽり儲ける。

 このためにインドは、このあと約200年かけて、イギリスの中心的な植民地になっていく。インドが本当に独立国になったのは今からたった70年前です。日本が原爆を落とされた後です。それまではずっとイギリスの植民地です。インド人がなぜ英語がしゃべれるのか。イギリスの植民地だったからです。
 こういうふうにイギリスが壊したところはアフリカとインドです。その影響は、アフリカは20歳前後の働き盛りの男たちが奴隷にされて、アメリカに連れて行かれるから働き手がいなくなる。それで社会が貧しくなって、社会そのものがボロボロに破壊されていくんです。
 アフリカには、それまでマリ王国とかソンガイ王国とか、ちゃんと国があった。それがなぜ未開の土地になったかというと、こういう理由で破壊されたからです。未開ではなかったのです。

 それと同時に、アメリカでもインディアンが迫害されていく。さらにその土地をめぐってイギリスとフランスは植民地合戦でずっと戦う。そして最終的にはイギリスが勝つ。イギリスが勝って、以前から住んでいた先住民をさらに追い込み、人の住まないような西の方にどんどん追い払われていく。先に住んでいたのはインディアンなのにです。

 イギリスは、イギリス革命が起こったあとも、まずフランスと、次にはスペインとずっと戦争していきます。ヨーロッパでは数え切れないほど戦争がある。戦争につぐ戦争です。たまに平和がある。日本は平和が基本でたまに戦争がある。まったく逆なんです。
 1701年から1713年のスペイン継承戦争でスペインとも闘って、そのスペイン植民地で、イギリスが奴隷貿易の独占販売権(アシエント)を握る。イギリスからしか奴隷が買えなくなる。


【南海泡沫会社事件】
 これで儲けたイギリスは・・・もう1700年代です・・・ピュータン革命から100年が過ぎました。

※ 17世紀末、イギリスは新大陸の植民地争奪戦争を本格化させ、イギリスと激しく戦いました。戦費調達で財政状況が悪化し、膨大な赤字国債の発行が続きました。政府は国債の利払いや償還に追われ、デフォルトの危機に直面していました。この危機を乗り切るため、ある陰謀が画策されます。(宇山卓栄 経済)

※ イギリスは1711年、南海会社という特権会社を設立します。イギリスは新大陸の植民地争奪戦(スペイン継承戦争とアン女王戦争)を有利に戦い、1713年にユトレヒト条約が結ばれると、イギリスはスペイン領西インドの奴隷貿易独占権(アシエント)を獲得し、南海会社にそれを与えました。(宇山卓栄 経済)

※ 1718年、イギリスはスペインとの間で四カ国同盟戦争を開始し、スペインとの奴隷貿易ができなくなり、アシエントは事実上、失効します。
 焦った政府は計画を練り直し、新たに南海会社に対し、宝くじの発行を認める特別措置をとります。この手法は大当たりし、宝くじは一般市民に飛ぶように売れ、南海会社は莫大な収益を得ます。
 一定の信用を得たところで、政府が国債と南海会社の株券との引き換えを提起します.提起というのは建前上のことで、半ば強制でした。政府は財政難で、国債の償還ができないため、南海会社の株券と国債を引き換えて欲しいと申し出たのです。事実上のデフォルト宣言でした。
 もちろん国債保有者は政府を批判しましたが、デフォルトで国債の紙くずになり、何も得られないより、南海会社の株券を取得する方が良いと考え、政府の半強制的な提起に従いました。
 当時、宝くじ事業で成功していた南海株の値上がりが見込まれており、損をしたくなければ早急に国債と株券の交換に応じなければならない状況でした。国債保有者は南海株との交換に押し寄せ、それが株買いと同じ効果となり、1720年、南海株は値上がりし始めました。(宇山卓栄 経済)


 1720年
です。またバブルが起こるんです。イギリスはアメリカとの奴隷貿易で儲けています。今度は奴隷会社をアメリカに作る。この会社の名前をなぜか、アメリカ会社ではなくて南海会社という。アメリカにつくったイギリスの奴隷貿易会社です。


 この時の会社は株式会社に近くなっている。株を発行します。そうするとお金を持ってるイギリス人たちが、この株は上がるぞと勝手に予測して、株を買おう、俺も買おう、これでバブルになる。この会社は儲けてないのに。それだけで株価がグーッと何十倍も上がってピークをつけたら、ストーンと落ちる。1720年です。これを南海泡沫会社事件といいます。

※ イギリス政府は南海会社を使ってバブルを仕掛け、財政の窮地から出しましたが、そのツケはバブルに踊った一般市民が払う羽目になりました。結果として、詐欺的な手法で、国家が国民の富を収奪したことになります。(宇山卓栄 経済)

※ それ以降、イギリス国債は議会により、その発行や償還がコントロールされ、意志決定の透明性を確保していきます。また、議会は予算の審議を行い、国債を管理しました。他の国の債券は王政によりコントロールされ、その意思決定が恣意的で不透明であり、投資家にとってリスクは大きかったのですが、イギリスの政治は議会により開かれ、外部からも動向が見えやすく、投資家に判断材料を多く提供しました。
 イギリスは投資家の信用を得て、国債市場を発展させ、全ヨーロッパの富裕層から投資金を集めました。ヨーロッパの国々の中でもイギリスの国債の人気が圧倒的に高く、イギリスにマネーが大量に流れ込みました。イギリスは豊富な資金・資本を新たな市場開拓へと振り向けるべく、積極的に海外進出をし、世界各地を植民地経済に編成していきます。(宇山卓栄 経済)


 だからここからあとは、株式会社は危険だぞ、ということになって、このあと120年間ぐらいは株式会社は禁止されます。もともと株式会社は危険でブラックな会社だったんです。

※ 1720年に泡沫会社禁止条例が制定され、7名以上の出資者からなる株式会社は、議会の承認、あるいは国王の勅許が必要とされることになった。事実上1825年に同条例が廃止されるまで、イギリスでは株式会社の設立が不可能になる。イギリスの産業革命は、株式会社の設立が不可能な状態の下で始まるのである。(宮崎正勝 お金の世界史)

 そのほとぼりが冷めた約150年後に・・・南北戦争後ですが・・・また株式会社をつくり出すのがアメリカです。アメリカで株式会社が流行り出すんです


【ミシシッピーバブル】 似たようなことは、フランスでもほぼ同時に起こっています。フランスは・・・アメリカにミシシッピー川というアメリカ最大の長い川がある・・・その名前を取ってミシシッピー会社をつくります。アメリカに広大な開発農場を作るぞ、という会社です。するとイギリスと同じように、株が暴騰して、暴騰してピークをつけたら、ストーンと落ちる。そして会社が破産する。そういう非常に景気の波の激しい、不安定な社会が発生し始めた。実はこちらが1年早い。1719年です。

※ フランス王室はミシシッピ株式会社という特許会社と紙幣発行権を持つバンク・ロワイヤル(王立銀行)をテコに、「ミシシッピ計画」を立てます。その手法はイギリスの南海会社と同じく、負債と資本の交換でした。1719年、特許会社のミシシッピ会社が作られます。この会社は新大陸の開発を一手に任され、ミシシッピ川河口のニュー・オーリンズの開発などを請け負っていました。ミシシッピ会社は、開発が成功していることを誇張して宣伝し、会社の信用を高めます。そしてこのミシシッピ会社株とジャンク化していた国債を半ば強制的に交換させます。(宇山卓栄 経済)

※ フランス王室にとってローのリフレ政策は意味のあるものでした。たとえバブルで一般市民が破産しようとも、王室財政は債務から逃れ、一息つくことができたからです。貨幣増刷、金融緩和などのリフレ政策が、政府の財政を救済することを目的として展開されるとき、それは結果的に、国家が国民の富を収奪する行為となります。
 イギリスは南海会社計画で、フランスはミシシッピ計画で、それぞれ当面の財政危機を乗り切ることができ、新大陸やインドなどでの植民地争奪戦を1744年から再開します。両者の戦いは最終的にイギリスが勝利し、1763年、パリ条約が締結されます。(宇山卓栄 経済)


【政党政治】 ではまたイギリス内の政治の流れです。名誉革命の時に初めて政党の原型みたいなものができた。トーリー党です。今も続いています。名前を変えていますが、これが保守党です。今もこれがイギリスの政権与党です。
 次にホイッグ党です。これはのちの自由党になる。でも今はないです。保守党はあるけど自由党は消滅しました。でも当時はこのトーリー党とホイッグ党の二大政党制です。

 イギリスの政治は議会で、例えば100人で二つの政党が議席を争ったら、51人が議席を取ったら勝ちです。賛成多数で。100人しか国会議員がいないうちの51人取ったら賛成多数で決定です。51人をどっちが取るか、これが勝負の分かれ目です。内閣総理大臣は王様が任命するんじゃなくて議会で選ぶ。多数決で選ぶから、半自動的に勝った政党から首相が選ばれることになる。これを責任内閣制という。

 今の日本はこれですね。日本の首相は、天皇陛下が任命しているんですか。衆議院で自由民主党が半分以上の議席を持っているから、議会で内閣総理大臣に選ばれている。これはイギリス流です。日本の政治はイギリス流です。アメリカのような大統領制ではありません。
 このスタイルが始まって、初めて政党政治のリーダーとして首相になる人物が1721年のウォルポールという人です。だからこの人は、何も悪いことしていなくても、選挙で負けた、議席が2人減って49人になった。敵が51人になったとたんに、では辞めましょうと言って、辞めるんです。選挙で負けたら議会の信任を失ったことになるからクビです。今の日本もそうです。ここまでがイギリスです。




【フランス】

【ルイ14世】 次は海を渡ってフランスです。また200年戻ります。イギリスは1700年代までいったけど、1500年代の終わりに戻ります。
 ルターの宗教改革が1517年だった。中心はドイツだったけれども、フランスもやっぱり宗教戦争が起こる。

 フランスの宗教戦争をユグノー戦争といいます。ユグノーというのはカルヴァン派です。1562年から98年、40年近く続く。40年間戦争するというのは、日本での感覚ではなかなか理解できない。やっと終わらせたのがアンリ4世という王様で、それを終わらせたのが、1598年のナントの勅令です。勅というのは王様のことです。王様の命令です。
 何を王様は決めたか。新教を禁止しない。信仰の自由でいい。ユグノー、どうぞ信仰してください。これで手を打とう。だからもう戦争やめよう。それでいったん丸く収まった。しかし次に何をするか。やはりイギリスとの戦争です。

 戦争大好きなのは、ルイ13世もやるんですけど、本格的にやるのは次のルイ14世です。この人は、1643年から約70年間ずっと王様です。子供のときからの王様です。20歳過ぎたら戦争ばっかり。この時代のイギリスではピューリタン革命が起こっています。
 イギリスとの違いは、フランスでも貴族が反乱を起こす。1648年のフロンドの乱といいます。イギリスのピューリタン革命とほぼ同じ時期です。イギリスは貴族の反乱に負けて王が殺されました。しかしフランスは王が強いから、貴族を殺した。王が生き残った。それで逆に王権が強くなる。イギリスは王の権利が弱くて、議会の権利が強くなった。この違いです。王は絶対なんだという王権神授説で貴族を抑える。「朕は国家なり」という。朕は王様の一人称です。俺が国家だ、オレが決める、つべこべ言うな。ぶっ殺すぞ。そして戦争大好きです。
 戦争にはお金がかかる。お金を稼ぐ大臣をつける。コルベールという。やはりアメリカ大陸との貿易です。だからフランスもアメリカが欲しい。イギリスもアメリカが欲しい。ヨーロッパでイギリスとフランスが戦争するたびに、同時にイギリスとフランスは植民地合戦しています。

※ フランス絶対王政の産業振興策は、王政が事業そのものに出資し、官製工場を各地で経営し、利潤の大半を王政が徴収するという統制的な経済を展開していました。イギリスが民間資本の蓄積により、経営を拡張していく方針をとることと大きく異なっていました。(宇山卓栄)


 強く見せるためには、身を飾らないといけない。派手な豪邸をつくらないといけない。だから別荘をつくる。これがベルサイユ宮殿です。戦争の傍らで宮殿をつくる。お金がかかることばかりです。メインは戦争です。左うちわでベルサイユ宮殿でお茶飲んでいるような王様ではない。でもこの時代の・・・日本は江戸時代ですが・・・日本のお殿様は小さな庵を好む。派手さを戒めています。この違いは何なのでしょうか。
 これで終わります。ではまた。



「授業でいえない世界史」 29話 近世ヨーロッパ 植民地に乗り出すヨーロッパ

2019-04-27 04:00:00 | 旧世界史10 近世西洋
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【フランス】

 今ヨーロッパです。時代は1700年代にはいろうとしているところです。1600年代の終わりかけですね。
 前の時間にイギリスをやって、ピューリタン革命、別名、清教徒革命。それをやって、その同時代のフランスがルイ14世です。彼がパリの郊外に、なに宮殿を作ったんですか。ベルサイユ宮殿、今もある。そういう話をしたところでした。
 今日は、1700年代のドイツを中心にやっていきますが、そのルイ14世の話を、あと一つ付けたすと、いかにもベルサイユ宮殿で大金持ちみたいな印象を受けますが、実はフランスの国家財政は財政難です。財政難で金持ちからお金を借りまくっているんです。借りたものは返さないといけない。しかし返せない。オレは王様だ、借金かえさないぞと言うんです。こういうのをデフォルトという。何を失うか。信用を失うんです。あそこの王にお金は貸せないと。

 しかし好きな戦争は続けていく。全部負ける。なぜか。戦さが弱かったからじゃないです。お金がなかったんです。信用がないから、金が必要な時にお金を貸してくれる人がいない。それで負けます。では誰が勝つかというと、宿敵のライバルは海の向こうのイギリスです。そのイギリスが勝つ。これ実は借金力の差です。イギリスは借金できる体制をつくっている。
 どっちも借金という点では変わらないけど。借金で戦争する。フランスはデフォルトを何回も宣言して、いざという時にはお金を借りられない。
 しかしどちらも借金して戦争していくという構造が発生しています。ヨーロッパの戦争はこの借金をどこまで続けられるかに依存しています。どこまでも借金し続けることができた方が勝ちなのです。



【ドイツ】
 ではドイツに行きます。実はドイツは不思議な国で、ここは800年間ぐらいヨーロッパの中心であった。
 しかしその国はドイツとは言わなかったんです。神聖ローマ帝国といっていた。これがドイツなんです。その神聖ローマ帝国の領域がこの図なんです。今のドイツよりもだいぶ広い。


【オーストリア対プロイセン】 ただ、ここにはいろんな大名がいて、この神聖ローマ帝国の皇帝になる人はその一つの大名、つまりオーストリア王家なんです。これをハプスブルク家といいます。まずこの神聖ローマ帝国の領域を赤で囲んでください。今のドイツよりもだいぶ広い。イタリアまでかかっている。
 これが複雑なことに・・・オーストリアの大名が皇帝になるわけですけれども・・・ではこのオーストリア王家は、自分の土地としてどこに領土をもっているかというと、ここでは色分けしてないからわからないけれども、皇帝になるオーストリアの王の領域はというと、これだけなんです。もともとは。
 国の中で自分の領地を広げるんだったらよかったんだけれども、帝国の外側に自分の領域を広げた結果・・・隣がハンガリーというんですが・・・そこまで領地をもっている。神聖ローマ帝国をはみ出して領地を持つようになる。これがハプスブルク家というオーストリアの王の領地なんです。ドイツではこれがナンバーワン大名です。
 それを急速に追い上げてくるのが別の領主、ドイツの北方に領地をもっていた大名です。これが神聖ローマ帝国内に領地をもらうんです。
 何を言いたいか。ドイツの主導権をめぐってケンカするんです。この二つの大名が。
 もともと強かったのはオーストリアです。オーストラリアじゃない。これをハプスブルク家という。これを前に戻って説明します。
 ドイツは1600年代に三十年戦争という血で血を洗うような宗教戦争、カトリックとプロテスタントの戦争が起こって、人口の4人に1人が死ぬ。それぐらいものすごい殺し合いを行って、国がメチャメチャになって分裂した。ただ分裂しても一番強かったのは、神聖ローマ帝国の皇帝を出す家柄であったハプスブルク家です。これがオーストリアです。
 これだけだったらよかったけれども、これを急速に追い上げてくる若手の大名が北方から出てくる。これがプロイセンです。
 ではバラバラになったドイツをどっちがまとめるか。俺がまとめる、いや俺がまとめるんだ、それでドイツは戦争していく。
 
▼18世紀中ばのヨーロッパ


【オーストリア継承戦争】 ドイツの中にオーストリアとプロイセンという2つの強力な大名が現れたということです。それでその戦争が1700年代に起こっていく。

 1740年オーストリア継承戦争です。これは王の跡継ぎ問題です。争った人物の名前からいきます。
 プロイセンの王はフリードリヒ2世という。それに対してオーストリアは女帝です。マリアさんという。マリア=テレジアという女王です。どっちもドイツ人です。ドイツ人同士がドイツの中で戦いあう。

 より複雑なのは・・・これはドイツの中の内乱ですが・・・それにイギリスが乗っかることです。さらにフランスが乗っかる。フランスとイギリスは何が目的だったか。ドイツではない。アメリカの植民地なんです。いま北アメリカの植民地を奪い合って、どんどん領地を広げているのがイギリスとフランスです。
 ヨーロッパで戦争が起こると、イギリスとフランスが敵と味方にわかれて、アメリカでも同時に戦争がおこる。これはセットです。
 オーストリア継承戦争がヨーロッパで起こると、北アメリカつまり今のアメリカ合衆国の領地ではジョージ王戦争というのが起こる。イギリスフランスの間で。
 これが約5~6年続いた後、終わったかというと、また2番目の戦争が起こる。本当はこの前にあと2つあって全部で4回戦うんですが、前2つはあまりに複雑なのでカットします。後ろ2つを言います。


【七年戦争】 1757年から七年戦争というのがドイツで起こる。これはオーストリアとプロシアの領地争いです。これに乗っかって、またイギリスとフランスがアメリカ植民地で戦う。
 だから勝ち負けは、ドイツでどうなったか、北アメリカでどうなったか、この二つがあります。ドイツでは勝ったのはプロシアです。新しい新興国です。古いオーストリアが負けた。
 では北アメリカではどちらが勝つか。こっちはイギリスが勝利する。だから今のアメリカはイギリス語を話すようになる。これが英語です。この北アメリカでの戦いをフレンチ=インディアン戦争という。
 こうやって北アメリカ大陸が、イギリスのものになっていきます。これが1700年代です。

 フランスがヨーロッパ内陸部の戦争に関与し動きが取れない状況の中で、イギリスは北アメリカ大陸やインドへ進出し、全軍を投入して、現地のフランス勢力を排除していきます。島国イギリスがヨーロッパの紛争から切り離され、海外植民地支配に専念することができたのに対し、フランスはその兵力の大半をヨーロッパ内陸部の紛争につぎ込まなくてはなりませんでした。イギリスの優位は明らかで、18世紀後半にフランス勢力を駆逐し、イギリスの北アメリカ大陸やインドへの支配権が確立しました。

 勝者は2つ、プロシアとイギリスです。より重要なのはイギリスのほうです。これが大英帝国になって世界最大の植民地帝国を、この後100年かけて作っていく。日本にも来て影響を及ぼす。
ドイツはここまでです。



【ロシア】
【モスクワ大公国】 ロシアに行きます。ロシアの始まりは、1400年代にモスクワ大公国というところから始まります。モンゴル帝国がロシアを約300年間、支配していた。やっとそこから自立したのがモスクワ大公国です。


【ロマノフ朝】 ちょうどその頃、1400年代の半ばに1000年続いた東ローマ帝国の名残つまりビザンツ帝国という。いっとき出てこなかったけど1000年続いたんです。昔は東ローマ帝国と言っていた。そのビザンツ帝国が潰れたんです。潰れたんだけれども、そのビザンツ王様の姪がモスクワに嫁いでいたから、このビザンツ帝国の後継者はオレだと名乗りを上げたのがロシアです。その名乗りを上げたロシア王朝がロマノフ家です。
 ロマノフ家の王朝だからロマノフ王朝といって、これが成立したのが1613年です。このあと約300年間続く。1917年のロシア革命まで続きます。日本が日露戦争で戦ったのはこのロマノフ朝のロシアです。約300年後に。そこまで続きます。
 その間、ロシアはヨーロッパから東へ東へとずっと領土を広げて・・・ここは寒い氷で覆われた世界だからヨーロッパ人は興味がない・・・欲しかったらやるぞということで、この国はヨーロッパの田舎の国から発生して、気づけば世界最大の領域を持つ国家になっていく。これがロシアです。
 このロマノフ朝に出た王様が1600年代のピョートル1世です。英語でいうとピーターです。ピーターパンのピーターです。ロシア語読みでピョートルと発音する。ここは田舎の国だけれども、この王はヨーロッパ人からバカにされないように西洋化をすすめるぞと言って、ヨーロッパ流をどんどん取り入れていった。
 次の1700年代になると女帝です。女の王様、エカチェリーナ2世です。女ながら戦争大好きです。
 弱いものはいじめる。隣に弱い国、ポーランドがある。昔は強かったんですけど。1700年代には弱った。弱ったら最後、領土を盗まれる。これが1772年の第1回ポーランド分割です。江戸時代の日本にも使いを送ったりする女王です。以上がロシアです。
 2つ言いました。ドイツとロシア。ドイツの戦争では同時に北アメリカの植民地で戦争が起こった。これにイギリスが勝った。



【啓蒙思想】
 このように相変わらず戦争が続いているヨーロッパで、1600年代から発展するものが科学的な知識です。
 代表的なものとして、木からリンゴが落ちたんじゃない、これは地球の引力によって木になっていたリンゴが引っ張られた、という引力の法則。これはイギリス人のニュートンです。そういうふうに、田舎のヨーロッパが科学水準が急に上がっていくのが1600年代です。

 政治的にも啓蒙思想というのが現れてきて、近代的な政治をつくる上で重要な人たちが出てくる。
 そうすると彼らの教えや考え方を学んだ王様がまた次に出てくる。こういう王様を啓蒙専制君主という。
 イギリスに負けないようにどんどん機械化をしなさい。そういう近代化を推進していく。



【英仏の抗争】
【西欧での抗争】 ここまでをまとめます。ヨーロッパではもともと800年間ぐらい神聖ローマ帝国が中心であった。これは実体はドイツだった。しかしこの帝国はバラバラに分裂して、次に勢いのある国に中心が変わっていく。それがさっきも半分説明しました。それがイギリスとフランスなんです。ドイツからイギリスとフランスへと中心が変わっていく。結論をいうと圧倒的にイギリス優勢になります。イギリスが勝者になります。まずヨーロッパで。次に北アメリカ植民地で。
 ヨーロッパではひっきりなしに戦争が起こっていた。そのツメとして1756年から七年戦争が起こった。これはドイツでの戦争です。


【北米での抗争】 しかしこれとほぼ同時に1755年、北アメリカ植民地で起こっていたのがフレンチ=インディアン戦争です。なぜこんな名前がつくか。勝ったイギリス人が呼んだ言い方です。イギリス人の敵は、フレンチ、つまりフランス人です。そのフランス人を応援したのがアメリカのインディアンだった。だから敵はフランス人とインディアン。それにイギリスが勝ったという意味です。
 一番良い迷惑は、先祖代々、住み続けていたインディアンたちです。この後、イギリスにどんどん迫害されて土地を追われて、住みかを失っていく。これに負けたフランスはこの後、アメリカ大陸から撤退していきます。
 これがイギリスの大きな一歩です。


【インドでの抗争】 イギリスは実はこんなものじゃない。他にも植民地を持っています。それがインドです。1757年、七年戦争とほぼ同時です。インドでプラッシーの戦いが起こる。
 インドを植民地にしたいから。ライバルはどこか。やはりフランスです。フランスもインドを植民地にしたい。奪い合いの構造はいっしょです。イギリスとフランスが戦ってイギリスが勝った。フランスはインドからも逃げていく。フランスはアメリカからも逃げて行ったし、インドからも逃げていった。イギリスの一人勝ちです。
 なぜイギリスが戦争に勝てたのか。イギリスが勝った原因は、借金の仕方が上手だったからです。


【資金源】 フランスはデフォルトしていたから信用ないんですよ。フランスの王様は威張っいるばかりで、まったくお金を返さない。そういうところには貸さないでしょう。イギリスとの違いは借り方です。借したのは大商人じゃない。イギリスはイングランド銀行という銀行をつくったんです。つべこべ言わんで・・・誤解を恐れずにスパッと言うと・・・金がなくても紙を印刷してお金にした。イギリスの王が、俺が保証すると言って。それで紙幣を印刷して、これはお金だと言うと、国民がそれを信用すればものが買える。大砲を買える。弾薬、爆弾、何でも買える。それで戦争に勝つ。これは一種の手品みたいです。だから銀行の出所というのは・・・政治経済でもちょっと言ったけど・・・ちょっと怪しいんですよ。
 ただ他の国は、この方法で勝ったイギリスが、このあと植民地を手に入れ世界ナンバーワン帝国になっていくから、どこもかしこもこの銀行スタイルを真似していく。このあとの日本もですよ。

 これでイギリスの王様が、100万円貸せと銀行に言うと、ハイ分かりました、と言って、印刷するだけです。
 こういう国の借金のことを何といったか。これは政治経済の授業といっしょです。これを国債といった。まず銀行が買ってくれるんです。銀行が国債を買うためのそのお金は、印刷すればいい。コピーすれば良いだけです。本物の金銀財宝は要らないんです。
 これで植民地を支配し、植民地の人間を働かせる。またはアフリカから若い青年を奴隷として連れて行って働かせて儲ける。

 その儲けたお金でイギリスは、次の1760年代から産業革命が世界ではじめて起こっていく。
 そのお金で蒸気機関車というのを世界で初めて走らせる。あれはお金がかかるんですよ。線路を敷かないといけないから。
 そしてインドからは・・・ヨーロッパには毛織物しかなかった・・・インドにしか綿織物はなかった。または中国にしかなかった。このインド産木綿をキャラコといいます。英語でキャラコという。綿織物、君たちが着ているような綿織物です。これはもともとイギリスにはなかった。それをイギリスが国内製造に成功し、逆にインドに売りつけていく。インドは原料である綿花の供給地になる。


【西洋文化】
 ヨーロッパの文化です。1700年代の文化です。
 1700年代を代表するものとして、戦争には負けたけど、豪華さで勝った。フランスのベルサイユ宮殿です。
 これはこう考えたほうがいいです。こんな宮殿にお金を使っていたから、戦争に回すお金がなくなって、また負けたんだと。
 そのフランスのベルサイユ宮殿の様式をバロックといいます。作ったのはルイ14世です。戦争大好きです。でも戦争に負けた王様です。

 それからプロイセンもちょっとやる。プロイセンはここまで派手じゃない。小さいところでお金をかける。これをロココ調と言います。バロックとロココです。これがサンスーシ宮殿です。

 科学の発達では、さっきいった、田舎のヨーロッパが急落に世界ナンバーワンの科学技術を持つ。イメージとして代表格は、万有引力の法則を発見したイギリスのニュートンです。どんどん科学の力が発達していく。科学革命とも言われる。
 政治思想では・・・一番最初にやりましたが・・・イギリスのホッブズ、それからロック。国家の主権は誰が持っているか。最初は神様であった。次はローマ皇帝であった。次はイギリスやフランスの王様であったという。いや違う、国民なんだ。というふうにだんだん下に降りてくる。これが社会契約説、国民が契約したに過ぎない。国民主権の考え方の根はここにあります。昔はダントツに王様が偉かったからね。そういうふうにもともと王が偉かったが、国民が偉いというふうに、変わっていく。
 こういう考え方が啓蒙思想です。ヨーロッパで生まれた思想です。古い制度を批判して、新しいものに作り替えていく。

 ヨーロッパはここまでです。




【東アジア】
 今度は中国です。ただ中国じゃない。ヨーロッパが中国にどうちょっかいを出しているか。ヨーロッパはいろんなところに手を出しはじめている。そうじゃないと世界制覇できない。イギリスを中心に支配が伸び始める。
 これが本格的になるのはあと100年後ですが、1700年代からぼちぼちその目は出ている。この時代の中国は日清戦争の清です。300年ぐらい続いていきます。


【華僑】 ただ貧しい農民たちは、日本人のように国にはこだわらなくて、こんな国もう出てやる、捨ててやるといって、東南アジアあたりに出稼ぎに行って、そのまま帰ってこない。中国よりもこっちのほうがよっぽどいい、と言って。今でも東南アジアには、そのまま東南アジアに住み着いた中国人がいっぱいいます。彼らを華僑といいます。華僑の華は、中華の華です。
 東南アジアで一番豊かな都市というか国は、シンガポールです。そこは半分以上、中国人、華僑です。その多くは貧しかった福建省や、その南のほうにある広東省の出身です。
 そういう中国に、今度はヨーロッパ人も出向いていく。ヨーロッパ人が出向いて、中国との窓口にした港・・・南のほうです・・・その代表がマカオです。その隣が香港です。マカオはポルトガル領になります。
 そこに、日本にも宣教師つまりキリスト教のお坊さんを派遣したように、宣教師を送っていくんです。イタリア人のマテオ・リッチです。ヨーロッパから中国に宣教師を送るんです。キリスト教を布教しにくる。あなた神を信じますか。信じなさいと。それからもう1人がカスティリオーネです。こういうふうに最初は布教のためという、宗教の仮面をかぶってやってくる。そして次には大砲で支配していく。


【典礼問題】 キリスト教はやはり中国人の考えとだいぶ違って、そのヨーロッパのお坊さんも、最初は中国人の考え方をだいぶ取り入れて、妥協していくんですね。
 例えば先祖崇拝というのがある。自分の亡くなった爺さん、婆さんをちゃんと拝んで頭を下げる。しかしキリスト教の世界では、人間が頭を下げるのは一つだけなんです。ゴットだけです。神様です。
 これは世の中に一つしかいない。しかし自分のご先祖様にも、中国人は頭を下げている。おかしいじゃないか、キリスト教にはそういう教えはない。だから禁止する。ご先祖様を拝んだらダメだという。すると中国の皇帝は腹を立てて、キリスト教禁止する。それで一時衰退する。しかし文化的にも経済的にも中国のほうが上です。魅了されたのは中国人ではなくて、ヨーロッパ人です。


【中国茶】 中国いいな。何がよかったか。こんないいものを飲んでいる。お茶です。これいいな。ヨーロッパ人は欲しくて欲しくてたまらない。ヨーロッパにはまだないです。この時はまだ1500年ごろだから、コーヒーが流行る前です。それでヨーロッパでお茶が流行する。
 このあとのことは少し言いました。中国人はヨーロッパ人にお茶を売って儲けようとしません。だからヨーロッパ人から売ってくれと言われても、良いお茶はやっぱり自分が飲みたいから、悪いお茶を売った。
 ヨーロッパ人がもらったお茶はまずいお茶だから、砂糖を入れないと飲めない。我々の発想と違ってお茶に砂糖を入れようとするのは、まずいお茶だからです。それで紅茶にしていく。ヨーロッパ人は質の悪いお茶に砂糖を入れて、甘くして飲むという飲み方を始める。


【中露国境】 では中国とロシアの関係です。中国の北にはロシアがある。今は国境を接している。だんだん西から東にロシアは領土を広げている。いつかは中国とゴッツンコする。すると喧嘩して、どこが国境か決めようとなる。こういう交渉が始まる。
 1689年にロシアと中国の間で国境が決められた。これをネルチンスク条約といいます。さらにロシアが東の方に領土を拡大すると、約30年後の1727年キャフタ条約を結んだ。これを結んでどうにか戦争にまではいかなかった。もし条約が結ばれなかったら戦争です。国境紛争になる。こういう緊張関係があります。


【英印交易】 ではインドからヨーロッパにもたらされて、ヨーロッパ人に圧倒的流行になっていくもの、これがインド産綿織物です。着心地がいいんです。
 お茶も飲みたい。木綿も着たい。オレたちよりも良いものを飲んでいる。俺たちよりも良いものを着てる。だから欲しかった。何がよかったか。着心地もですけど、これは洗濯できる。当たり前みたいですけど、ヨーロッパ人の毛織物は洗濯しずらい。だから臭いんです。だから香水が必要なんだ、という話もしました。風呂にも入らない。日本人が毎日、風呂に入ってるといって驚いた報告をしているぐらいだから。毎日風呂に入っている人間だと、日本人が毎日風呂に入っても驚かないでしょう。驚いたということは、自分たちが入っていないからです。


【産業革命の原資】 こういうふうにして、ヨーロッパ人がアジアにちょっかいを出し始めた。そこからイギリスの産業革命のお金のことです。工場つくるにはお金が必要です、そのお金どこから来たか。ここら辺で儲けていく。その産業革命が起こるまでのことです。ちょっとまだいろいろ条件がある。
 インド産の綿が欲しい。このインド産の木綿がイギリスに入ってくる。そうすると、自分たちが作った毛織物が売れなくなる。彼ら毛織物業者が反対するんです。輸入反対だ。それで関税をかけて、売れないようにする。
 しかしイギリスは、これで何十年か木綿の輸入をストップしたあとに、科学技術が発達して、インドの技術を自分たちが盗んで、インド産綿織物と同じ綿織物を自分で作るようになる。つまり国産化に成功する。しかも機械で。


【奴隷三角貿易】 ではその機械を買うお金がどこから来たかというと、この間、今度はアメリカ植民地で稼いでいる。奴隷を使って。自分たちは働いてないんです。アメリカでは主に砂糖をつくっている。お茶に入れる砂糖です。それが紅茶になる。この儲けによってイギリスにお金持ちがいっぱい出てくる。お金のことを資本という。奴隷で儲けた金で機械化に成功する。機械を買う。
 だから前に言ったように、「奴隷貿易なくして産業革命なし」です。産業革命の原資は奴隷貿易です。人を売った金です。ここら辺も怪しいお金です。近代社会のもとにあるお金というのは、きれいなものばかりじゃない。

※ サトウキビは、最初はポルトガルの植民地ブラジルで栽培され、17世紀になるとオランダ人がガイアナで、イギリス人とフランス人がカリブ海域の西インド諸島に進出して栽培を始めた。サトウキビ栽培のプランテーションが大規模化すると、砂糖は贅沢品から大衆的な嗜好品に姿を変える。・・・しかし砂糖だけでは使用量が限られる。そこで砂糖はパートナーを見つける必要に迫られた。その役割を担ったのが、もともとはイスラーム世界の飲料だったコーヒーと中国の茶である。(宮崎正勝 お金の世界史)

※第2段階 イギリスの第2段階の収奪は、17世紀後半以降の黒人奴隷貿易です。黒人をカリブ海の西インド諸島に搬送し、砂糖プランテーションで強制労働させて、砂糖をイギリスに持ち帰る三角貿易を行います。
 イギリスは17~18世紀、スペインやフランスという競合者と戦争し、彼らに勝利することで奴隷貿易を独占し、莫大な利益を上げていきます。当時、奴隷貿易ビジネスへ出資した投資家は30%程度のリターンを受けていたとされます。この犯罪的な人身売買ビジネスが、イギリスにとって極めて有望な高収益事業であったことは間違いありません。
 18世紀前半から産業革命が始まると、綿需要が高まり、綿花栽培のプランテーションが西インド諸島につくられます。綿花は砂糖に並んで「白い積み荷」となります。17~18世紀のイギリスは砂糖や綿花を生産した黒人奴隷の労働力とその搾取のうえに成立していました。
 1790年代に産業革命が本格化すると、西インド諸島のプランテーションだけでは原綿生産が間に合わ間に合わず、アメリカ合衆国南部一帯にも大規模な綿花プランテーションが形成され、黒人奴隷が使われました。
 18世紀後半に至るまで1000万~1500万人の奴隷たちがアフリカから連行されたため、アフリカ地域の人的資源が急激に枯渇しました。
 人道的な批判や世論も強まり、イギリス議会は1807年、奴隷貿易禁止法を制定します。しかし、それでも19世紀半ばまで奴隷貿易は続きます。この頃、イギリスはインドの植民地化を着々と進め、インド産の原綿を収奪しました。(宇山卓栄 経済)


 奴隷というのはアフリカからの黒人奴隷ですよ。アメリカの黒人はアメリカの原住民じゃないですよ。原住民と思っている人がかなりいる。アフリカから連れてこられた奴隷の子孫です。誰がそんな人でなしなことをしたか。白人です。その中心がイギリス人です。


【アヘン三角貿易】 しかしイギリスはさらに儲けたい。イギリスは中国からお茶を輸入したいんです。しかし中国は事足りているから売らなくてもいい。それでも買おうとすると、値が上がって高く買わないといけなくなる。高いお金を払わないといけない。そのお金を払いたくないから、アヘンを売ろうとする。麻薬です。イギリスは植民地にしたインドアヘンを作っていたんです。それをお茶の代金の代わりに中国に売る。これがアヘン三角貿易です。三角というのはイギリス・インド・中国です。これで貿易する。
 麻薬を売りつけられて中国はありがたがったか。そんなことはない。当然、中国は腹を立てる。要らないという。そしたら100年後にイギリスが戦争ふっかけて強引に押しつける。これがアヘン戦争です。そのことはあとで言います。

※3 イギリスの第3段階の収奪として、奴隷三角貿易の衰退とともに、19世紀にイギリスはインドのアヘンと中国のお茶を結びつける三角貿易を始めます。イギリスで喫茶の習慣が拡がり、イギリスは中国のお茶を求め、銀で支払いをしていました。そのため、イギリスは輸入超過状態となり、銀の流出が止まりませんでした。そこでイギリスは銀の代わりにインド産のアヘンを中国に輸出し、茶を中国から得ました。
 ジャーディン・マセソン商会などの貿易商がアヘンの中国への輸出を担当し、大きな利益を上げて、逆に中国側の銀が流出しはじめました。ジャーディン・マセソン商会は1832年に、マカオで設立されて、イギリス東インド会社の別働隊のような役割を担った民間商社で、アヘン貿易を取り仕切ります。
 アヘン戦争の開戦に際し、ジャーディン・マセソン商会は議員に対するロビー活動で多額のカネをばらまき、反対派議員を寝返らせます。
 ジャーディン・マセソン商会は、アヘン戦争でイギリスが占領した香港に本店を移し、さらに上海にも支店を開き、中国市場に進出します。
 ジャーディン・マセソン商会は、清朝政府に対して借款を行い、清崩壊後も鉄道の敷設権や営業権などを得て、莫大な利益を上げていきます。今日でも、ジャーディン・マセソン商会は国際的な複合企業です。
 アヘン戦争後、香港上海銀行が設立されます。香港上海銀行はジャーディン・マセソン商会をはじめ、サッスーン商会などのアヘン貿易商社の資金融通や、送金業務を請け負いました。香港上海銀行は香港で、アヘン戦争以降、今日まで続く通貨の発行もおこない、中国の金融を握ります。
 このようにイギリスの覇権は奴隷貿易の人身売買業者、アヘン貿易のドラッグ・ディーラーなどによって形成されたものであり、その犯罪的かつ反社会的な手法なくして、持続可能なものでなかったことは明白です。悪辣非道、弱肉強食、厚顔無恥、こうしたことこそが国際社会の現実であることを歴史は証明しています。(宇山卓栄 経済)


 もう一つの奴隷三角貿易というのは、イギリス・アフリカ・アメリカの三角です。
 奴隷を売った金、アヘンを売った金、こんなお金で近代社会が生まれていきます。あまり誉められたことじゃない。

▼18世紀の世界



【近代前のアフリカ】 中国とか東南アジアに、このあとヨーロッパがどう進出していくかということをやっていきます。
 アジアに乗り込んでいったことは言いました。アフリカにも乗り込んでいきます。アフリカもこのあと100年かけて、19世紀の末までにはほとんど植民地なってしまうんです。ではアフリカは未開の土地だったのかというと、そうではなくてちゃんとした国があった。キリスト教国さえあった。1000年以上前から国もあった。一番古い国がエチオピアです。アフリカ唯一のキリスト教国です。これは近代になってできたんじゃない。もう2000年ぐらい前からあった国です。アフリカはけっして未開の土地ばかりじゃない。
 その他にもどういう国があったのかということを、見ていきます。アフリカ西部では、サハラ砂漠のはずれに国があった。500年間で3つの国が次々に代わっていく。
 まずガーナ王国です。今もガーナという国はありますけどちょっと場所が違う。アフリカの西のほうです。次がマリ王国。それから3つ目がソンガイ王国。そういう3王国が次々に繁栄をしていった。お金持ちです。金も取れる。代表的な都はツゥンブクツゥーという。
 サハラ砂漠は気候の変化でだんだん拡大しています。いま砂で埋もれそうになって、ちょっと寂れそうになりつつあるんだけれども、昔は砂漠がそれほど大きくなくて繁栄していた。そのマリ王国では、大金持ちの王様がいて、金をばらまいて歩いた、という噂がある。マンサムーサという王様です。宗教はイスラーム教徒だから、イスラームの聖地メッカのあるアラビア半島まで巡礼の旅をしていく。そのときに王様が通るぞというときに、貧乏たらしく節約はできないから、通った村々にお金を配って歩いた。非常に豊かな国だった。

 それからアフリカは大きくて、東南部です。このインド洋側になると、モノモタパ王国という。今はこの首都の名前が国の名前になっている。都の名前は大ジンバブエという。聞いたことないですか。ジンバブエという国がある。最近できた国です。これが東南岸ですね。中心は南のほうです。
 インド洋を西に行くと、ここにはアラビア半島と近いから、宗教的にはムスリムです。ムスリムというのはイスラーム教徒です。彼らがやって来やすい。ここにムスリム商人の進出が見られる。こうやってイスラーム教徒がやってくる。
 ということはイスラーム教徒は文明人だから、この地域も文明化されていく。交易も非常に活発です。交易、商売するということは、少なくとも算数ができないといけない。字が書けないといけない。 そこでバントゥー語というのが現地の言葉、そこにアラビア語が入ってきて、これが商売しているうちにちゃんぽんになって、新しい言葉が生まれた。今使われているのはその新しく生まれた言葉で、スワヒリ語といいます。二つの言葉が融合してできた言葉です。


【近代前のアメリカ】 今度は、ちょこっとだけアメリカのことを言います。1万年さかのぼります。1万年さかのぼってアメリカ大陸の原住民、つまりインディアンという人たちはどういう人か。なぜそこに住んでいたか。 やはり渡っていった。約4万年前の氷河時代は、陸に氷があるから海面が低い。海面が低いベーリング海峡はアラスカと陸続きだった。そこを渡っていく。アジアからアメリカへです。アジアから北のほうを回って、アメリカに渡っていったのは、アジア人種のモンゴロイドです。我々の仲間です。南北アメリカ大陸に、こうやって約4万年前に渡っていった人たちがいた。南アメリカの南端にまで到達したのは1万年前です。ここで人類がほぼ全世界に分布したわけです。 そのとたんに新石器時代に入り、すぐ農耕が始まる。


 今やっている歴史は、たかだか2000~3000年前からです。メソポタミア文明とかの古代文明が分かり出すのはその頃からです。しかしその間にも、このアメリカ大陸は未開の土地ではなくてちゃんとした文明があった。これを壊したのはスペイン人なんです。
 中南米にはマヤ文明アステカ文明。これが滅ぼされて、金銀財宝を根こそぎ持って行かれた。また南米のアンデスにはインカ帝国という非常に高度な文明があった。 エジプトのピラミッドに似たピラミッドなども作っている。この3つの文明ともスペイン人によって粉々に滅ぼされた。これが今から500年前、16世紀のことです。それで滅亡した。これをもって、文明はなかったと勘違いしている人がいます。それは間違いです。文明があったということです。


【太平洋地域】 今度は、南半球のオーストラリアです。そこにも人が住んでいた。彼らをアボリジニーという。アジア系の人々です。島から島へと島づたいに渡っていった人々です。
 ただここもイギリスが植民地にして、彼らは僻地に追いやられていく。絶滅はしてないけど、いま非常に貧しい境遇です。追いやられてしまったからです。今は不毛な砂漠地帯に、住みにくいところに住んでいます。なぜこんな住みにくい所にアボリジニーは、好んで住んでいるのかと思う人がいます。好んで住んでないです。追いやられたんです。誰が好んで住みますか。好んで住んでいない。もともともっと気候のいいところに住んでいたのを、イギリス人が来て彼らを追いやったんです。


 あと太平洋にもメラネシアとかポリネシアとか、そういう小さい島々にも人々が住んでいます。こういう島々への移動は、ほんの最近5000年ぐらい前です。その移動はまだ続いている。無人島に、島から島へと。
 ハワイは太平洋のまん中にあって、人がたどり着いてからまだ2000年ぐらいしか経っていません。
 こうやって人がずっと地球上に拡散して、太平洋の島まで拡散して、ほぼ人間に埋め尽くされるのは、たかだか2000年ぐらい前です。こういう前史があります。
  これで終わります。ではまた。



有限責任 責任を取らずに儲かる方法

2018-05-28 10:46:08 | 旧世界史10 近世西洋

月曜日

犯罪に協力すれば、共犯となる。
事業を起こして、それに協力すれば、共同責任者となる。
この二つの法的関係は同等である。

ある事業に対して出資すれば、共同責任者である。
その共同責任者が、連帯保証人よりも、責任が軽いとはどうしたわけだろう。

出資者にだけ、免責特権を付与した社会、それが資本主義の始まりにある。
これを利用するものは富み、これを利用しない者は貧しくなる。
そういう構造がはじめからある。

自分は働かずに、投資だけを行う。
そこが決め手になる。
自分は投資し、働くのは貧しい人たちだ。
このことは、古代ギリシアの奴隷社会とどう違うのだろうか。
しかも投資家は無限責任を負わない。無限利益だけを得ることができる。


配当 利息を取らずに儲かる方法

2018-05-28 10:03:11 | 旧世界史10 近世西洋

月曜日

中世のヨーロッパキリスト教社会では長いこと利息を取ることが禁止されていた。
だから利息という形を取らずに利益を生むことのできる投資方法が、その代わりに生み出された。
それが株式会社への投資とそこからの配当という方法である。
この方法は直接金融と俗に言われているが、この直接金融は原初的な形態ではなく、ヨーロッパ特有のものである。しかも、時代的には間接金融よりも、あとに発生したものである。
ネーミングからすると、直接金融が先にあり、それが本来の形態であるようなイメージを受けるかも知れないが、人類の歴史が始まってすぐに現れるのは、他人へのお金の貸し借りであり、そこから生じる利息である。

株式会社に投資することは、株式を買うことだけではなく、株式会社の経営に参加する権利をも得ることであるが、そうであれば、経営者は株式会社のすべてに責任を負わねばならないはずであるが、株式会社の経営者である株主は、有限責任である。
有限責任と無責任はどう違うのだろうか。
株式会社がうまくいっているときには、株主はそこから上がる利益をすべて得る権利を有するが、
株式会社がうまくいかなくなって、借金の返済ができなくなったときには、株主はその借金返済の義務を負わないとはどういうことだろうか。
権利と責任は等価であるという原則の中で、この非対称性はどう説明されるのだろうか。
この非対称性を認めたときから、富はますます富のあるところに集中するようになった。
お金はますますお金のあるところに集まるようになった。
それは富者の能力が優れていたからではなく、もともと権利と責任の関係が崩れていたからである。
非対称的な経済原則のもとに社会が組み立てられていれば、富は非対称的に偏在することになる。
つまり株式会社は、利益はすべてもらうが、そのためのリスクは取らなくていい構造になっている。

経済はよく自己責任だと言われるが、株式会社の論理は自己責任にはなっていない。
なぜなら、自己責任とはどこまでも自分で責任を取ることだから。
このような非対称性をどう解釈すべきか。

近代資本主義社会の正義とは、その論理の正当性を追っていくと、必然的に貧富の差を生み出すようになっている。
配当とはそういうことである。


うしろめたい商売には、うしろめたい金(かね)が似合う

2018-05-15 12:00:59 | 旧世界史10 近世西洋

火曜日

17世紀、イギリス。
市民革命と称して、王が殺された時代。
この時代に同時に行われていたことが、奴隷貿易と、預かり金貨の無断貸し出しである。ロンドンの金細工師たちは、預かった金貨を顧客に無断で貸し出しはじめ、そこから利息を取り始めた。
誰が借りたのだろうか。奴隷貿易には多額の資金が必要である。
もともと後ろめたい商売である。うしろめたい商売には、うしろめたい金(かね)が似合う。
資本主義にはこのうしろめたさがつきまとう。


無から紙幣を刷って、利息を取ると

2018-05-15 10:59:12 | 旧世界史10 近世西洋

火曜日

1.誰かが、無から紙幣を刷って、そればかりか、そこから利息を取るようになると、紙幣を刷った人間は利息だけで豊かな生活をすることができる。

2.しかしお金を借りた人間は、利息の分を上乗せして儲けを稼ぎ出し、それを返済にあてねばならない。
すべての人間が、無から刷った紙幣を借りて、それで事業をし始めると、すべての人間が利息分を上乗せした利益を稼ぎ出す必要に迫られる。
そうやって、世の中の経済規模は拡大していく。拡大再生産というものである。
だから経済成長率と利率はほぼ連動する。
しかし経済成長にはいつか限界が来る。

3.しかしその利益は、稼いだその人の懐に入るのではなく、紙幣を貸した人の懐に入る。つまり世の中の利益はすべて金融資本の手元に集められたまま、国民に還元されなくなる。

4.だから誰が通貨発行権を持ち、それをどれだけ貸し付けるかということは、決定的に重要なことなのだが、その肝心なことに、多くの人は無関心である。

5.日本銀行の利益がどこに回されるのか誰も知らない。たぶんそれは国内に還元されているのではない。その証拠に、日本は平成30年間、ほとんど成長していない。
経済が成長しないまま、貧富の格差が広がっている。
富を吸い取る力は温存されたまま、庶民の手元に残る富だけが減少している。
2000年代前半の小泉・竹中改革の5年間にこのことが決定づけられた。

6.拡大再生産や資本主義というのは、富を吸い取る力、あるいはそのシステムのことである。
その始まりは、『奴隷貿易なくして産業革命なし』という言葉に端的に表れている。
そのことはウォーラーステインの世界システム論に詳しい。
しかしそのウォーラーステインがあえて触れていないものがある。

7.それと同じことを最も目に見えない形で行うことが、金融資本主義である。
そのことに触れるとどうなるのだろうか。


お金はお金のあるところに集まる

2018-05-05 09:35:37 | 旧世界史10 近世西洋

土曜日

銀行はお金を結集させるところ。
お金は権利の集まりである。
普通、権利は分散していて、大きな力となることはできない。
しかしそれを1カ所に集めれば、大きな力となる。

預金という行為は日本では成立しなかった。
お金を貯めたらそれを隠すために、壺に詰めて地中に埋めるしかなかった。
そしてそれは今でも各地で発見されている。

人のお金であっても、お金を集める者は力を持つことができる。
西洋ではそのお金を集める方法が発達した。
一つは銀行、もう一つは株式である。
この二つは間接金融と直接金融として別々のものだと思われているが、
そしてさらに間接金融は東洋的で、直接金融は西洋的だと勘違いされているが、
実はどちらも西洋で発達したものである。

自分のお金でなくても、人のお金を借りて多くのお金を集めれば、それを使って大きな事業を起こすことができる。
それは18Cのイギリスの産業革命で初めてそうなったのではなく、
それより300年も前の15C末の大航海時代に現れたものである。
大航海には多額の資金を必要とした。

最初に大航海に乗り出したのは15C末のポルトガルである。
イベリア半島のポルトガルはこの時、イスラム教徒をイベリア半島から追い出していた。よくこれはキリスト教徒の国土回復運動(レコンキスタ)としてヨーロッパの復権だと思われているが、実はそのことによってそれまで手に入っていたイスラム圏からの産物が途絶したのである。
イスラム社会は、西はスペインから東は東南アジアまでの東西貿易の交易圏を成立させていた。
ヨーロッパにとってイスラム圏から手に入るアジアの産物は垂涎の的であった。
歴史的にみて、進んでいたのはアジアであって、ヨーロッパは後進地帯であった。
ヨーロッパ人のアジアへのあこがれは強かった。
だからポルトガル人はイスラム圏を中飛ばして直接アジアに出向く必要があったのである。
しかしそのためにはお金がかかる。
どうやってお金を集めるか。そのことがまず大きな問題となった。

次の16C初めになると、ルターやカルヴァンの宗教改革が始まる。
キリスト教のような一神教では、人間の運命はあらかじめ神様によって決定づけられていたのは以前からあった教えだが、ここで新しいことは、では自分が救われているか、そうでないかを何によって見分けることができるかと問われたときのカルヴァンの答えである。
カルヴァンは、働いて富を蓄積できた者は救われていると答えた。
それまでキリスト教は『貧しき者は幸いである』の言葉のように、富を堕落の証だととらえてきたが、カルヴァンはまったく逆の答えをした。
たぶん苦し紛れに言ったのだろうが(それ以外に論理的説明がつかない)、それが世間に受けたのだった。
ただこれには古くから金融業に携わっていたユダヤ人の発想が入り込んでいるように思える。
これでキリスト教徒はお金を貯めることに邁進し出すのだ。
そして次にはそのお金をどうやって1カ所に集めるか、そのことに集中し出すのだ。

それが預金を集める銀行と、株によって資金を集める株式会社である。
銀行の始まりは16Cのロンドンの金細工師たちが預かった金(きん)を顧客に無断で貸し出したことにある。
株式会社の始まりは、1602年のオランダの連合東インド会社である。
前者には裏切り(無断貸し出し)が、後者には無責任(有限責任)が伴っている。
このようにお金を1カ所に集めるときには、なにがしかの他者に対する不誠実さが伴っている。
それまではお金は分配すべきものであった。
ところがここではまったく逆のことが始まっている。

①お金をどう稼ぐか、
②そのお金をどう分配するか、
この二つは古来から経済上の重要な課題である。
イスラム社会では寄進(ワクフ)という形でそれが行われてきたが、
キリスト教社会はここで分配を行わず、お金を集中させる社会に変わっていく。
これ以降お金はますますお金のあるところに集まるようになる。

そしてさらに銀行は預かってもいないお金まで貸し出すようになる。


東西交易による莫大な利潤追求

2018-04-22 23:21:04 | 旧世界史10 近世西洋

日曜日

ヨーロッパよりも中東地域が歴史的には先進地帯であった。

アジア大陸は、西から、イスラム世界、インド、中国と連なっており、
陸上では、古くからシルクロードのような交易の道があった。
また海上でも、すでに2000年前には季節風が知られており、それを利用して貿易船がアジア大陸を西に東に航海していた。
その利益はバカにできないほど大きい。いや莫大である。国家の命運を左右するといってもいい。

アジア大陸の豊かな地域は東側である。
西は小麦地帯であり、東は稲作地帯である。
1粒の種から実る収穫量はだんぜん稲作の方が大きい。
当然人口収容力も東側が大きくなる。
今でも国別人口の1位は中国であり、2位はインドである。
それに比べると西の小麦地帯は、雨の少ない乾燥帯であり、人口収容力は小さい。
勢い、物は東から西に流れる。
絹にしろ、陶磁器にしろ、東から西へ、中国から西に流れた。
西側の人にとって中国製品は垂涎の的であった。
時代はくだって、大航海時代以降になっても、ヨーロッパ人が欲しがったのはインドのキャラコ(綿布)であり、中国のお茶であった。
それに対して、中国人がヨーロッパから欲しがった物はなにもない。中国は輸入の必要がなかったのである。
ヨーロッパ人は東アジア世界の豊かさを地中海貿易や十字軍遠征を通じて知ることとなった。
しかし、当時はヨーロッパ人が欲しがった東方の製品は、イスラム世界を通じて輸入するしかなかった。
だからその中継貿易でイスラム世界はうるおった。

それを変えたのが、ヨーロッパ人による大航海である。
1498年のバスコ・ダ・ガマのインド航路開拓により、アジアの西端のヨーロッパは、インドと直接取引することができるようになった。
これにより中飛ばしされて中継貿易の利を失ったイスラム世界は、衰退していった。
ヨーロッパとイスラム世界の立場が逆転した。
アジア大陸の片田舎に過ぎなかったヨーロッパが、イスラム世界よりも優位に立つのはここからである。

しかし、イスラム世界と東アジア世界との交易が平和的で共存的なものであったのに対し、ヨーロッパによる東アジアとの交易は武力をともなう暴力的なものであった。
ヨーロッパの繁栄はこの暴力の上に成り立っている。
さらにこの航路開拓は思わぬ副産物を生み出していく。それがアメリカ大陸の発見である。ヨーロッパ人のここでの活動は暴力的というよりも、凄惨なものであり、まれに見る非人道的なものであった。これほど非人道的な東西交易はそれまでの歴史には見られないものである。
近代社会はこの暴力的で非人道的な利益追求の上に成り立っている。
その利益追求の方法をきちんと書き残しておかなければならないが、その歴史記述はいまだ不十分である。

暴力的利潤追求と詐術的紙幣発行。
お金はますますお金のあるところに集まるようになる。
ヨーロッパはこのシステムを世界中に広めていく。


主権国家の発生は、戦争への助走だった

2018-03-31 17:30:56 | 旧世界史10 近世西洋

土曜日

17世紀、ヨーロッパの主権国家の発生は近代の幕開けとして賞賛されるべきものとされているが、
実際はヨーロッパの中心であった神聖ローマ帝国がガタガタになり、ヨーロッパ全体の統一が失われただけのことであった。

このあとヨーロッパは本格的に戦争状態にはいる。
実際にはその前の16世紀のルターの宗教改革以来、実質的にヨーロッパは戦争状態に入っていたが、
17世紀の三十年戦争によって、神聖ローマ帝国が実質的な力を失ってから歯止めがきかなくなり、泥沼の戦争状態に陥っていく。
日本が江戸幕府による天下太平の夢の中にいた頃、ヨーロッパでは果てしない戦争が常態化していた。
この間日本人は平和を基準にして生きていくすべを考え、逆にヨーロッパ人は戦争状態を基準にして生きていくすべを考えた。
日本人とヨーロッパ人の発想の違いには大きくこのことが横たわっている。

このことの基底には何があるのか。
キリスト教の精神なのか、それとも古代ローマ帝国以来の国家の伝統なのか。

この後のヨーロッパは、片田舎の島国に過ぎなかったイギリスが大英帝国として七つの海を股にかけのし上がっていく。
そのイギリスがやったことは、
1.私掠船による海賊行為と略奪。
2.奴隷三角貿易によるアフリカ人からの搾取。
3.アヘン三角貿易による中国人からの搾取。

イギリスの富の蓄積はこのような形でなされた。
これは平和国家のやることではない。戦争状態にあるからこそできたことだ。
このような形でイギリスに蓄積された富は、18世紀の後半には産業革命を引き起こすことになった。
産業革命の裏には略奪による富の蓄積がある。
それは資本主義の成り立ちを考える上で重要なことだ。

国家間の戦争状態は、経済面での戦争状態を生み出した。
主権国家の成立は国家間の戦争を引き起こし、それは資本主義の成立と分かちがたく結びついている。


キリスト教の特徴が何かといえば

2017-11-30 22:55:49 | 旧世界史10 近世西洋

木曜

キリスト教もイスラム教も、同じ一神教である。
一神教の特徴を一言でいうことは私にはできないが、キリスト教の特徴が何かといえば、それは科学的思考を発展させたことであると思う。
神という一つの原因からすべてのものが発生し、それが未来にわたって因果関係によってすべてを決定していくという考え方である。
ルターやらカルヴァンの宗教改革において発生したプロテスタンティズムの考え方はこの傾向をますます強めた。
特にカルヴァンの考え方では人間の死後、救われるか否かは太古の昔から決定されているという予定説を生み出した。
古くは、キリスト教成立以前の古代ギリシアにおいて、アリストテレスに見られるような自然科学的思考が発生していたが、それを保存していたイスラーム文化が中世の終わりに流入することにより古代ギリシア文明が再認識され、再生を意味するルネサンスを経て、その思考法がキリスト教の一神教的発想と結びついた。
したがって、科学的思考そのものはキリスト教特有のものではないが、それを一つの思考法として社会全体が共有しそれを深めたのは、西欧キリスト教社会特有のものであった。

このように一つの原因から、因果関係によって連鎖反応を起こし、一つの定まった結果をもたらすという考え方は、近代科学の一つの原因と一つの結果を結びつける考え方と似ている。

神によってすべてが決定されている。
それは人間世界に限った事ではなく、神がこの世を作ったのであるから、地球上の大気現象や自然現象さらに天体や宇宙そのものまで、神が太古の昔から決定していることになる。
人間の歴史はこの神によって定められたレールの上を、ただたどっているだけになる。

この考え方は近代以降の科学の発展をもたらしたが、現代では原因と結果の間には、不確定な要素が混入していると考えられている。
物理学の不確実性理論というものもその一種である。


社会契約という幻想

2017-11-14 11:02:45 | 旧世界史10 近世西洋

火曜

社会契約説で世の中が成り立っていることは今や中学生でも習うことである。
しかしその社会契約説は一つの幻想にすぎない。
歴史的にそういう事実はない。
ロックやホッブズがそう考えただけだ。
そして多くの人がそれに同調しただけだ。

人間が考えたことはある一定の賞味期間を過ぎた後、必ずどこかに矛盾が現れる。
文明とはそれとの戦いである。
その矛盾にうまく社会が対応できるか、
あるいは新しい思想が現れて社会を作り変えていくか、どうかである。

人間の文明が永続的ではないことは、歴史の事実である。
社会契約説が歴史的事実なのではない。
人間の文明が永続的ではないことが、歴史的事実である。
その間に多くの嘘が現れる。
思想も一つの嘘ではあるが、その嘘には時代に即した一定の真実が含まれている。
しかし嘘はそうではない。嘘はその場しのぎである。
嘘は忘れられることを知っているから。
これが今起こっていることである。

富が一極に集中するのは歴史の常である。
しかしそれがある一定の限度を超えたとき、文明は崩壊する。

全世界がグローバル化の中で、富の一極集中が進んでいる。
これは社会契約説の中に潜んでいる矛盾である。

ロックの私有の観念はねじれている。
私有は富を生み、権力を生む。
そのことの危険性は早くから指摘されていた。
モンテスキューはそのことに気づいた思想家の一人だ。だから権力の分散を唱えた。
しかしそれはロックの思想の上に成り立つ権力分散論である。

権力は腐敗するというのは正しいが、
国家が悪で、市民が善だとするロックの思想は皮相すぎる。
善が権力を持つとまた腐敗するからだ。

悪は良き人間の心にも平等に忍び寄る。
一人の人間はそれに対抗できない。
そればかりか人はお金に目がくらむように、権力に目がくらんで自分を見失う。
そしてそのことを決して認めない。
権力は自分の犯した悪を決して認めない。
その能力もない。

悪を裁くのは決して自分ではない。
それはいつの時代も他人が裁くしかないのである。
しかし誰もそれを裁こうとしないとき、鼠の集団自殺と同じように多くの文明が滅んでいった。

論理的で耐久性のある思想が新しく生まれるかどうか、
そしてそれを多くの人が理解できるかどうか、
文明の存続はその一点にかかっている。


ダーウィンとロック

2017-11-10 11:24:35 | 旧世界史10 近世西洋

金曜

ダーウィンという生物学者は弱肉強食の原理で生物の進化を説明した。
これに対し、ロックという哲学者は人間の自然状態を平和状態だと想定するところから、社会契約説を導き、近代社会の原理を導き出した。

どちらも近代社会の形成に大きな影響を与えた学者でありながら、両者の主張するところはまったく違っている。
自然状態として、ダーウィンは闘争状態、逆にロックは平和状態を想定した。
その矛盾に多くの人は気づかない。

ロックの理論はおもに政治面に適用され、
ダーウィンの理論はおもに人間社会の経済面に適用された。自由競争として。

ロックは先輩格のホッブズの思想『万人の万人に対する闘争』を否定した学者だった。
闘争を否定しながら、革命権を認め、闘争による社会変革を認めた学者だった。
彼の思想は難解というより強引であり、出発点と帰着点は同一ではない。
そして何重にもねじれている。
それを詳細に解説した本は少ない。
これほど名の知れた学者の割には、それを研究する人は驚くほど少ない。
これも不思議なことである。

もっと不思議なことは、彼の理論には多くの矛盾が見られるが、それを指摘する人が少ないことだ。
政治学者にとってロックはタブーなのだろうか。

ただ言えることは、ダーウィンとロックという世界的に有名な学者の理論は、まったく対立する世界観から出発していることだ。
そしてそのことが忘れられている。

ロックの理論は市民革命の理論となり、
ダーウィンの理論は産業革命の理論となった。
ロックの理論とダーウィンの理論が矛盾していることは、
市民革命と産業革命がその原理の点で矛盾するものを含んでいるということだ。

我々はなぜその矛盾に気づかないのだろうか。
その矛盾を見えなくさせているものが、近代社会のどこかにある。
それは何か。