ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

フェイスブックの仮想通貨発行 利益は誰のものか

2019-06-23 06:50:34 | 国際金融
フェイスブックのザッカーバーグの後ろには、ロックフェラーなどの金融資本がある。
そのことに関わる記事は書かれない。
フェイスブックが仮想通貨を発行するということは、国家または中央銀行の通貨発行権を、いち民間企業が握るということだ。
多くの議論は『なぜ通貨発行権を国家が独占しているのか』という疑問を投げかけるものだ。
通貨発行権を国家から民間企業に移そうとすることは、ここ400年間の流れである。1694年にイングランド銀行ができてから以降の流れである。この時すでに通貨発行権は国家から民間銀行に移行していたのだが、中央銀行という性格上、そのことは曖昧にされてきた。
しかし、ザッカーバーグによるフェイスブックの仮想通貨発行は、はっきりと通貨発行権を民間企業に譲り渡すものである。
賛否両論あるが、おおむね好意的論評が優先されている。
批判的な記事は、マネーロンダリングを危惧するものが中心である。

しかしここでは肝心なことが触れられていない。それは通貨発行益のことである。いわゆるシニョリッジである。歴史上、多くの権力者がなぜ通貨発行権を欲しがったか。それはこのシニョリッジを得るためである。
フェイスブックが発行する仮想通貨の通貨発行益は当然フェイスブックが握るであろう。そのことがどういうことなのか、そのことを議論すべきなのである。
フェイスブックの仮想通貨の価値は、既存の紙幣や国債で裏打ちされ、その価値が担保される予定のようだが、そしてそのことによって価格を安定させるステーブル貨幣にするようだが、そのことによる通貨発行益は莫大である。
ビットコインが当初、無償で知人の間に配布されることによって広まったこととは、全く違っている。
この通貨発行益が誰のものになるのか。今のところそれはフェイスブックのものになるしかない。そのことの意味は、通貨発行権が完全に民間企業のものになるということである。
そこには莫大な利益が発生する。



FB仮想通貨創設 金融秩序に動揺、各国が警戒感

2019-06-23 06:19:06 | 国際金融
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190622-00000552-san-bus_all

FB仮想通貨創設 金融秩序に動揺、各国が警戒感

6/22(土) 20:36配信    

    

産経新聞

 【ワシントン=塩原永久】米交流サイト大手フェイスブック(FB)が独自の暗号資産(仮想通貨)構想を発表し、波紋が広がっている。世界27億人の利用者を抱える同社だけに、独自通貨のサービスが浸透すれば既存の金融秩序を揺るがす可能性がある。米議会では、プラバイシー保護をめぐる批判を浴びた同社に構想中止を求める声が浮上。仮想通貨のルール整備が追いつかない中、各国当局も慎重姿勢をとり、実現のハードルは低くない。
【表でみる】「リブラ」の主な参画企業
 フェイスブックが18日公表した「リブラ」という名前の仮想通貨は、送金や買い物の決済をスマートフォンのアプリで手軽にできるようにする。来年前半の利用開始が目標だ。
 リブラはデータ改(かい)竄(ざん)が難しいとされる「ブロックチェーン」と呼ばれるIT技術を活用。スイスに運営団体を設置し、米クレジットカード大手のビザやマスターカード、米配車大手ウーバー・テクノロジーズなど27社が団体に加盟した。
 リブラでフェイスブックが目指すのは、金融サービスの主軸となってきた銀行を介さないお金の取引だ。
 「世界には基本的な金融サービスも受けられない人がいる。新興国では銀行口座がない人の割合が高い」
 同社はそう説明し、世界で17億人に上る口座を持たない人々に金融サービスを提供する社会的意義を強調した。新たな顧客の開拓もでき、交流サイトの広告に依存する収益構造の改善にもつなげる狙いだ。
 一方、仮想通貨は既存の金融インフラと異なる仕組みで取引され、巨大な利用者数を誇るフェイスブックが金融界の“縄張り”を侵食する動きには、銀行や規制当局の警戒感が強い。
 フェイスブックは昨年、約8700万人の利用者データが外部企業に流出した問題で不信を招いており、米議会ではリブラ構想への厳しい反応が相次いだ。
 下院金融委員会のウオーターズ委員長(民主党)は18日、「仮想通貨の開発停止に合意するようフェイスブックに要求する」との声明を発表。19日には上院銀行委員会も公聴会を7月中旬に開くとした。
 米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長も19日、仮想通貨は「利点もあるがリスクもある」と述べ、高い水準の規制クリアを求める意向を示した。
 「GAFA」と呼ばれる米IT大手4社では、ネット通販アマゾン・コムが事業者向け融資を手がけるなど、金融分野を虎視眈(たん)々(たん)と狙う。中でも「フェイスブックが本命」(米マサチューセッツ工科大学のシュライアー氏)とされる。
 ただ、まだ詳細がはっきりしていない「不確実な計画」(米紙メディア)とも指摘されており、規制当局の「ゴーサイン」を得るまでには時間を要しそうだ。
     ◇
 仮想通貨 インターネット上で取引される財産的な価値を持つ電子データ。硬貨や紙幣などの実体はない。公的な発行主体や管理者は存在せず「ブロックチェーン(分散台帳)」という技術を使い、偽造などを予防している。金融庁は今年5月、国際的な動向を踏まえ法令上の名称を「暗号資産」に変更した。


仮想通貨の規制 G20でも議論

2019-06-23 06:14:43 | 国際金融

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190622-00000554-san-bus_all

仮想通貨の規制 G20でも議論

6/22(土) 20:40配信    

    

産経新聞

 仮想通貨は28、29日に大阪市で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)でも規制のあり方が議論される見通しだ。リブラについてはフェイスブックの厚い顧客基盤から、既存の仮想通貨とは桁違いの利用が想定され、リスクも高まる恐れがあり、政府関係者は「話題に上る可能性は十分ある」としている。
 仮想通貨は法定通貨とは異なり政府や中央銀行が関与していない。取り扱う業者によっては購入者の十分な本人確認も行われておらず、匿名性が高いことからテロ資金供与やマネーロンダリング(資金洗浄)などの犯罪に利用されるリスクが指摘されている。
 そのため、テロ資金供給を阻止するための国際組織「金融活動作業部会(FATF)」が各国に規制強化を求めてきたが、技術革新に期待して過度な規制に後ろ向きな国もあり、足並みはそろっていない。フェイスブックのように全世界で27億人もの利用者を持つ企業が参入すれば、規制が甘い国を中心に抜け道も多くなる恐れがある。
 日本では資金決済法で仮想通貨について「(円やドルなどの)通貨建資産を除く」としており、ドルなどと一定比率で交換できるリブラが、仮想通貨に該当しない可能性もある。金融庁の担当者も「どのように規制するか検討が必要」と話している。
 また、リブラが大規模に流通するようになれば、法定通貨の供給量を調整してお金の価値を上げ下げする金融政策にも影響しかねず、警戒感を示す首脳は多そうだ。(蕎麦谷里志)



「ビットコインのバブルを馬鹿にするのは愚か」慶大・坂井教授が語る“暗号通貨と国家”

2019-06-23 06:07:27 | 国際金融

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190617-00010003-coindesk-sci&p=1


「ビットコインのバブルを馬鹿にするのは愚か」慶大・坂井教授が語る“暗号通貨と国家”

6/17(月) 21:00配信    

    

 

なぜ通貨を発行するのが国家である必要があるのか。好きな通貨を自由に使えればいいのではないか。そもそも国家の金融政策により私たちの財産価値は下がっているのではないか──『暗号通貨vs.国家』(SB新書)を上梓した慶應義塾大学経済学部教授の坂井豊貴氏に聞いた。

    
ビットコインのエコシステムは社会そのもの

──著書『暗号通貨vs.国家』(SB新書)では、ビットコインをはじめ仮想通貨の非常に深い所まで調べて議論しています。なぜビットコインや他の仮想通貨に関心を抱いたのでしょうか?

ビットコインに本格的に関心をもったのは遅くて、2017年の夏頃でした。あるテレビ番組で経済学者の野口悠紀雄さんと対談したのですが、そのとき彼がビットコインという発明について熱っぽく語ってくれたのです。当時はバブルの上昇局面でしたが、「値動きに気をとられてはならない、これは舐めてはならないものだ」と直感しました。そこから野口さんの本や、サトシ・ナカモトの論文などを読み始めました。
ビットコインの仕組みが健全に維持されるためには、さまざまな人々が関わる必要があります。たとえば報酬のために他人の取引を記録するマイナーや、ボランティアでコードを書く開発者などです。中央の管理者はいないから、これらの人々が勝手に行動して、その結果としてビットコインという仕組みが健全に維持されている。よく出来ているなあ、サトシはよくこんなものを考えたなあと感嘆しました。
経済学には、ゲーム理論を用いてよい制度を設計する「メカニズムデザイン」という分野があります。その分野の専門家としては、ビットコインの仕組みは、制度のように見えます。制度と人間を合わせると、全体として社会になっている。サトシは電子空間に社会を作ったわけです。これに気づいたときには鳥肌が立ちました。マイナーと開発者の意見が対立してケンカが起こるといったようなことも、社会らしいなあと思います。
分散管理の仮想通貨を一つ作るというのは、一つの社会を作るようなことです。通常、社会は自作できません。でもサトシはそれをやってしまった。これまでは紙と鉛筆で描かれていただけの構想が、電子空間に実在を与えられたわけです。
これが、私が分散管理の仮想通貨や、パブリックブロックチェーンに惹かれる理由です。パブリックブロックチェーンは、人間の行動とつながっている。その考察には経済学の知見が色々と役立てられます。

ノーベル賞の経済学者はなぜブロックチェーン業界へ飛び込むのか?

──現実の人間社会と異なり、経済学や社会科学の知見をリアルな社会に生かして制度設計ができるわけですね。

2015年に『多数決を疑う』(岩波新書)という本を出しました。そこでは「多数決という方法は、人々の意思を上手く反映できない」といった議論をしました。この本は評判がよく、講演でもたくさん喋りました。しかし私が何百回喋っても、もちろん選挙制度は変わりません。選挙制度を変えるには、国会が公職選挙法を変えねばなりません。ということは、与党が変えようとせねばならないわけです。しかし、現行の選挙制度で与党になれた人たちは、その制度を変えたいとは思いませんよね。これはインセンティブの問題です。
日本国憲法の第41条は、国会を「唯一の立法府」としています。しかし公職選挙法だけは、国会から切り離しておくべきだったのではないか。私はこれを日本の統治機構の根本的な設計ミスだと考えています。
と、まあ、現実の制度を変えるのは難しい。ところが、ビットコインのようにパブリックなブロックチェーンだと、電子空間に制度を作るようなことができるわけです。このことの自由度に惹かれます。
──ノーベル賞を受賞した経済学者が仮想通貨業界の企業に参加しています。こうした動きを、どのように見ていますか?
IT企業が経済学者を活用するのは、ここ10数年で、アメリカで定着した流れです。私が一番注目しているのは、2012年にマーケットデザインでノーベル賞を受けたスタンフォード大学のアルヴィン・ロス教授です。ブロックチェーンのスタートアップ企業であるコビー・ネットワーク(Covee Network)に参加したとの報道がありました。ロスは、マッチング・アルゴリズムの実用で、多大な実績がある人です。彼にとってサービスの開発は、とても面白いチャレンジなのだろうと思います。

    
ビットコインのバブルを馬鹿にするのは愚かなことだ

──ビットコインを最初に知った頃には、どのように見ていたのでしょうか?

僕は経済学者なので、「怪しい」とは思わないんです。そもそも「通貨は国家が発行するものだ」というのは最近の人間の固定観念です。日本でも宋銭や私鋳銭が使われていた歴史は長くあって、日本史の教科書には載っています。高校生のとき日本史を真面目に勉強していたら、ビットコインに驚きはしない(笑) だからビットコインが登場したときは「ただの通貨じゃないか」と思いました。
国家から通貨の発行を切り離すべきだとの主張は、経済学のなかではそれなりに伝統があります。主な論者はフリードマンとハイエクですね。二人とも自由主義の経済学者で、ノーベル賞をとっているので、異端ではないでしょう。政治は国家がやってもいいけれど、通貨は経済のものだから国家じゃなくていいという発想です。
通貨となるものは金でも貝殻でもなんでもいい。仮想通貨のように電子的な数字でもいい。
交換の媒介になれたものが、通貨なのです。重要なのは「有名なこと」です。交換の媒介となるためには、人々がよく認知している必要があるから。その点、ビットコインは非常に有名になりました。

――投機やバブルについてはどう思われましたか

まずは投機でも何でも、一度、有名にならないといけません。そのプロセスはビットコインには必要なことでした。それと、ビットコインのバブルを「バブルだから」といって非難したり、馬鹿にしたりするのは、とても愚かなことです。だってビットコインの価格が上がっても、誰も困らないでしょう。持っている人が喜ぶだけ。これが土地の高騰なら人が住めなくなって、困る人も出るわけですが。

──ビットコインでは「共同幻想」がすでに成立している?

そうなる過程にあると考えています。日本では「円(えん)」が安定しているので、ビットコインの有難みは分かりにくいかもしれません。しかし、劣悪な経済政策がなされたトルコや、独裁政権がハイパーインフレを引き起こしたベネズエラでは、人々のお金が相当ビットコインに流れました。つまりビットコインは、国家がダメになったときの避難先という役割を、すでにそれなりに獲得しています。これはビットコインが「他の通貨との交換に使える」との信頼があるからでしょう。その意味では「共同幻想」は成り立っています。
また、ビットコインは仮想通貨のなかでは、特別なブランドです。ビットコインより処理能力が早い仮想通貨はたくさんありますが、どれもブランドにはなっていないでしょう。ブランドであることは、大変高い価値です。高級ブランドのロゴが印刷されたビニールバッグに、人が有難みを感じることを忘れてはなりません。あの有難みは価値そのもので、自由市場では高い値段がつく。サトシ・ナカモトがビットコインに与えたミステリアスな物語は、紛れもなくビットコインの価値です。

──ビットコインと自由にはどのような関係がありますか?

ビットコインの熱心なファンは、自由主義の思想というか、価値観をもっていると思います。国家や情報企業から独立した通貨がほしいという願望がある。個人の自由を至上のものとするリバタリアニズム(自由至上主義)とは、相性がよいものだと思います。
私自身は、自由にとても高い価値を置きますが、リバタリアン(自由至上主義者)ではありません。リバタリアニズムは基本的に、自律して自己決定する「強い個人」を想定します。私は「強い個人」が好きで、自分はそうありたいと望んでいますし、それがリバタリアニズムに惹かれる理由でしょう。しかし皆が「強い個人」に向いているとは思えないので、リバタリアニズムで社会を作ることには賛同できない、といった具合です。
18世紀の思想家ルソーは『社会契約論』で、人々が自由な約束によって作る社会を論じました。その約束を「社会契約」(social contract)といいます。これだと皆が自分の意志で社会に入るのだから、自由ですよね。ルソーの構想する社会契約は、定期的にやり直しがあるんです。次回は抜けようと思ったら、抜けられる。しかし現実的にはそんなことはできません。日本社会は契約で作るわけではないし、契約の定期的なやり直しもない。
しかし仮想通貨の世界は違います。2016年、ICOでの資金調達に成功したザ・ダオ(The DAO)が、プログラムのミスを衝かれ、イーサリアムが奪われてしまいました。対処をめぐりコミュニティは分裂します。イーサリアム財団は、奪われたことを「なかったこと」にするハードフォークを実施しました。しかし、プログラムのミスをしたほうに非があると考えた「Code is Law(コードは法である)」派の人たちは、イーサリアムクラシックという別の仮想通貨に枝分かれしました。
こうした分裂は「よくないこと」と語られがちですが、私は分裂できてしまえることに強い魅力を感じます。物理的な社会では、こうした分裂はできません。私と隣人とが異なる社会に住むことはできない。しかし仮想通貨については、それができる。ルソーが描いた社会契約のようなことができるのです。これは私にとって、SFの世界が実現したようなことです。

 

仮想通貨のプライバシーをどう考えるべきか?

──通貨としての仮想通貨はどのように見ますか?

私はプライバシー保護の観点から、仮想通貨を支持します。中国ではスマートフォンで使える決済サービスとしてアリペイ(Alipay)などが普及しています。中国には国家情報法というのがあって、事実上、政府がデータを見られるようになっている。いつ、どこに行って、どんなものを買ったかとかが分かると、個人の思想や行動はかなり丸見えになります。
ところがビットコインは、所有を暗号で管理するので、基本的にはプライバシーが守られます。この方針には源流があります。デヴィット・ショーンによる1982年の「ブラインド署名」ですね。彼は90年代にブラインド署名の技術を使って、プライバシーが保護されるデジタル通貨を作成しています。ビットコインは画期的ですが、歴史のなかで突然発生したものではありません。

──世界的に金融業界はAML(マネーロンダリング対策)を強化する傾向にあります。仮想通貨におけるプライバシーとの関連性について、教えてください。

いまのところ、マネーロンダリングに使われないことと、プライバシー保護が強いことは、両立が難しいです。ただ、「仮想通貨はマネーロンダリングに使えるからダメだ」とだけ言うのは、バランスを欠いています。政府がお金の流れを捕捉できることを良しとする前提を、安易に置きすぎではないでしょうか。どのようなバランスが最適なのかは、これから考えていかねばならない問題です。
私自身は、物理的な「現金」は、ちょうどいいバランスなのだと考えています。かなりプライバシー保護ができるし、大金になると動かすのが大変だから。

    
「国家が通貨の発行を独占することの弊害はある」

──著書『暗号通貨vs.国家』では、仮想通貨ではなく「暗号通貨」という用語を使っています。なぜですか?

「仮想」というけれど、あれはブロックチェーン技術が生んだ、実在するものでしょう。それと「仮想」という言葉には、「現実に劣る」というニュアンスがありますよね。また、英語圏では「cryptocurrency」(暗号通貨)と呼ばれています。

──同書には「暗号通貨は非国家」という言葉が出てきます。なぜ「国家ではない(国家に非ず)」ことを重視するのでしょうか?

通貨は国家が担当しなくてもよいのではないかという、ハイエクやフリードマンの考えに基づきます。私たちはさまざまな制度を使って社会を作っています。国家もそうだし、自由市場もそうだし、企業や家族もそうです。あれらはすべて特殊な制度。制度は道具です。人間の暮らしを改善するための道具で、それぞれに向き不向きがあります。国家に何をさせるか考えたとき、通貨の発行を国家に独占させようというのは、決して自明な結論ではありません。むしろ使いやすい通貨がいくつか共存して、自由市場で競争すればよいのではないか。
国家が通貨の発行を独占することの弊害はあるのです。たとえば今の日本では「異次元の金融緩和」により、日本銀行が大量の国債を市中で買い集め、市中に円をじゃぶじゃぶと流しています。あれは1円の価値を薄めるようなことで、円の価値を下げています。法定通貨の価値って、意外と安定していないのです。また、市中に円が溢れたことで、お金が土地に注がれて、一部の土地にバブルが起こっています。たとえばいま銀座の地価は、バブル期を超えて、過去最高額を記録しています。金融政策によって、資産の額が変動するわけですね。
ビットコインのGenesis Block(最初のブロック)には、イギリス政府による銀行救済の記事が埋め込まれています。おそらくサトシ・ナカモトは、政府の自由市場への介入に否定的なのだと思います。私自身は金融政策をすべて否定するわけではないですが、自分がもつ円の価値が下がるのは私的所有権の侵害だとの思いはあります。

 

好きな通貨を自由に使えればいい

──国家が発行する通貨より、仮想通貨の方が望ましいのでしょうか?

いえ、円やビットコインなど、いろいろな通貨が共存するのがよいと思います。各自が気に入った通貨を自由に使えるようになればいい。国の金融政策で法定通貨の価値が下がることを好まない人は、仮想通貨としてお金を持てばいいと思います。私はべつに「反国家」ではありません。「非国家」なものを大切にしたいだけです。
ただ、今ある何千種類もの仮想通貨が全部残ることはないでしょう。やはり一定数の人が支持せねば、通貨は通貨になれないですから。

──国家の役割には何が残るのでしょうか?

マックス・ヴェーバーは「国家とは一定の領土内における暴力の独占である」と述べましたが、この役割は今後も変わりません。領土の外側では軍隊、内側では警察ですね。そして、暴力の管理と、通貨の管理は分けたほうがよい。というのは、国家が両者をあわせもつと、戦争をするための戦費の調達が、容易にできてしまうからです。通貨の増発や、国債の乱発ですね。こうしたことはカントの『永遠平和のために』で論じられています。仮想通貨の実業家ロジャー・ヴァー氏は、よくビットコインを反戦と結びつけて論じていますが、あれは決して突飛なものではありません。

──ブロックチェーン技術の将来の可能性についてのご意見をお聞かせください。

ブロックチェーン技術を利用したサービスが本格化して普及するには、少し時間はかかりそうです。ブロックチェーンは記録の仕組みですから、記録だけでサービスが完結するものと相性がよいでしょう。モノを物理的に動かさなくてよいもの、お金や証券、権利ですね。不動産はモノがありますが、物理的に動かせないので、これも相性が良いです。ただ、そのなかで一番シンプルなのはお金。お金がいちばんブロックチェーン技術との相性がいい。最初のブロックチェーンサービスが、ビットコインだったのは偶然ではありません。 現時点では、私はあらゆる可能性を否定したくありません。いまは、ブロックチェーンや仮想通貨に期待するコミュニティで、全体を盛り上げることが大切だと思っています。おそらくわれわれは、何かしら重大なものの黎明期に立ち会っています。CoinDesk Japanが、同じ時代に居合わせて、同じものに関心をもってしまった者同士をつなぐメディアになることを強く期待しています。

構成:星暁雄 | 編集:久保田大海 | 写真:多田圭佑


「授業でいえない世界史」 7話 古代インド インダス文明~クシャーナ朝

2019-06-05 10:43:47 | 旧世界史2 古代インド

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【インダス文明】

 ここからはガラッと変わって、お隣の地域に行きます。
インドは東と西から川に囲まれた地域です。西のインダス川、東のガンジス川。今はこのガンジス川がヒンドゥー教の聖なる川として有名です。しかし文明はここからではなくて、西のインダス川から発生しました。ここも四大文明の一つです。
 インド文明のことをインド文明とは言わない。インダス文明という。インダスとは、インドのという意味です。

 これが今から紀元前2500年というと、約2000年足して、今から4500年ぐらい前に文明が栄える。約700年間ぐらい。
 なんでそんなことがわかるか。文字はないから、土の中から掘り起こす。その遺跡がモヘンジョ=ダロです。それからハラッパーです。東側ではなくて、西のインダス川周辺です。

 そこの遺跡を見ると、どういったことがわかるか。普通は文明ができると王が出てくるんですよ。中国でも出てきたでしょう。神権政治という、神様と繋がっている王権が。
 でもここには、王がいた気配がない。王の宮殿のような跡がないんです。なぜなのか、うまく説明した学者はまだいない。
 では、どういう人たちがここに住んでいたのか。民族でいうとドラヴィダ系の人、これが有力です。どういう人か。今のインド半島の南の方に住んでいる人たちです。


【アーリア人】 これが紀元前1500年頃、突如、滅亡する。なぜかよくわからない。とにかく都市があったということはわかる。
 いろんな噂があります。急に寒くなったとか、急に洪水が来たとか、異民族がやってきたとか、いろんな話があるんだけれども決定打がない。

 ただ、なぜ滅んだかはわからなくても、異民族がインドに侵入してきたというのは本当です。ドラヴィダ人が住んでいた所に、新しく別の言葉を操る顔かたちが違う人たちがやってきた。彼らをアーリア人という。これがちょうど滅んだ頃なんですね。

 彼らが今のインド人の中心になっていく。もともとどこに住んでいたかというと、インドの北西です。中国史でも、中国のずっと西のほうとしてでてきた、中央アジアというところです。今はカザフスタンとか、トルキスタンとか、カスピ海の東あたりです。
 そういったところから、半分は農業し、半分は牧畜をやっている、牛とか馬を飼っている、そういうやや気性が荒い人たちが侵入して来て、ドラヴィダ系の先住民を征服していった。そして奴隷にしていった。


▼アーリア人の侵入


 それが今に至るまでインドの社会構造をつくっています。インドは今でも強い階級社会です。これがいわゆるカーストです。今でも政治問題になっています。


【リグ=ヴェーダ】 彼ら、アーリア人がどういう宗教、神様を信じていたかというのは一つの文献が残っている。彼らが神を祭る儀式の方法とかを書き留めている。これを「リグ=ヴェーダ」といいます。
 神様の祭り方、やっぱり政治に神様は欠かせないですね。個人の信仰よりも、この時代は政治とか国家に神様は絡んでくる。
 イメージとしては、もともとはドラヴィダ人が住んでいたところに、中央アジア方面から、北西のカイバー峠を通ってアーリア人が侵入してくる。地図の斜め左上からインド半島へ侵入した。
 では昔からそこにいた人は誰か。これがドラヴィダ人なんです。彼らはところてん式に押し出されて南に移動する。だから彼らは今もインド南部にいるんです。彼らが南のドラヴィダ人です。
 北がアーリア人です。アーリア人は白人です。もともとはイギリス人やドイツ人と同じ人たちです。インド人とヨーロッパ人はちがうじゃないかと思うけど、実はご先祖はいっしょです。

 今もインド人は公用語の一つとして英語を使ってますが、それはイギリスの植民地支配という不幸な歴史があるからなのですが、それとは別に、もともとのアーリア人の言葉がヨーロッパの言葉と近かったということもあるのでしょう。だから根付きやすかった。
 日本人に英語を根付かせようとするのとは、わけが違うと思います。我々の言葉は、英語とはまったく違った言語体系をもってますから。語順からして違います。

 ただドラヴィダ人が肌の色が黒かったから、両者が混血して何千年と過ぎるうちに、インド人はヨーロッパ人よりも肌の色は黒くなる。しかも、インドでは南に行けば行くほど肌の色は黒くなります。逆に北に行けば行くほど白いです。かなり肌の色の違いがある。
 インド人は肌が黒い人とばかり思わないでください。侵入してきたアーリア人はもともと白人です。

 彼らが、ドラヴィダ人を征服して奴隷化していき、インドに根付く社会制度を作っていきます。これがカースト制度です。あとで言いますが、今も残っています。決して過去のことではない。現在に結びついています。

 そういう新しいアーリア人が、次にはどこに移るか。そのまま東の方のガンジス川流域へ進出していく。
 これが紀元前1000年頃、紀元前1500年前から500年過ぎた頃です。そうすると自分たちは白い。もともと住んでいた人たちは黒い。白と黒で差別していく。こういう階級社会、階級制度のことを現在では、ヴァルナ制度という。もともとの意味は、肌ののことです。肌の色で差別が発生します。


【バラモン教】 インドの宗教は、今はヒンドゥー教ですけれども、その前の段階がある。彼らアーリア人が信仰していた宗教はバラモン教です。

 インド人の宗教の特徴は、墓がないんです。
 仏教の空の思想、人間が死ねば無になるとか、そういうこと聞いたことないですか。般若心経の「色即是空」、「空即是色」の「空」です。 
 仏教思想は空だから、人間死ねば空っぽになる。エジプト人のように再生を願って復活するためにミイラをつくったりしない。だから火葬する。火葬したら何も残らないでしょう。または墓をつくらずにガンジス川に流す。
 さすがに今は衛生上よくないということで、あまりしないようですけど、我々が小さい頃、そんな写真をよく本で見ていた。人が体を洗っているガンジス川で、死体がプカーっと浮いて流れている。殺人だ、と日本人だったら驚きそうなシーンを、インドの人たちは、また聖なる川に死体が流れているな、と平然としている。それで終わりです。だからインドには墓がない。
 日本も火葬しますけど、遺骨を残します。そしてそれを墓に入れる。だから日本の仏教思想は完全に「空」ではない。別にそれがいけないと言っているわけではありません。ただ違いを言っているだけです。

 インド人の考え方は、宇宙の神様はブラフマン、自分の神様はアートマン、この二つです。バラモン教のバラモンは、このブラフマンが訛ったものです。BRAHMAN → BARAMONとなります。ブラフマンとアートマン、なんかウルトラマンみたいな名前ですが、漢字でいうとです。中国人がこういう字を当てはめたのです。
 人生の目標は、こういう宇宙の神と自分の心というのを合体できれば、それで人生は成功なんだ。でもそれはタダではできない。そこに修行という考え方も出てくる。
 これはヨーロッパのキリスト教徒ともだいぶ違う。中国から日本に仏教は伝わるから、そういうのを漢字で梵我一如という。これは中国人がインド思想を漢字で表したものです。
 梵我一如とは、我が梵と合体して完全に消えてなくなることです。インド人にとって理想の死に方は、無になることです。これは命の再生を願ってミイラをつくった古代エジプト人とも違いますし、復活を願うキリスト教とも違います。
 これができる人は、世の中の自分のいろんな欲求、これを煩悩といいますが、その煩悩から解き放たれて、すがすがしい心が解放された状態になることができる。その状態を解脱といいます。日本流にいうと悟りです。これが人生の最終目標です。
 そうなるためには生きているうちから修行を積み重ねる必要があるのです。そういう修行をしないつまらない人間ほど、何度でも生き返ってしまう。それを輪廻というのですが、最高の死に方はその輪廻の悪循環から解き放たれて、二度と生き返らない状態、つまり無になることなのです。
 そのためには修行しなければならない。修行せずにアンポンタンのように暮らしている人間は、幾ら年を取っても自分の欲望に押しつぶされて、苦しみの中に生きるしかない。しかもそれを何度でも永遠に繰り返す。これが一番恐ろしいことです。

 そのインドの宗教が日本に伝わってくる中で、もともとのインドの神様も日本の仏教の中に入ってきています。
 さっき言った全宇宙の神、ブラフマンは日本では梵天という。奈良の東大寺の大仏は、このブラフマンが仏教化したものです。
 その他にもいろんな神様がいて、インドは多神教の世界です。生きている間に時に応じていろんな神様を拝んでいいんです。
 そこに他の地域に見られるような、神様同士の戦いは起こらなかったようです。あとで見るオリエントのように、神様同士の間に厳密な序列化は起こらないし、他の神様を殺して一つの神様だけを拝めということも起こりません。たぶんオリエントに比べて平和で、部族同士の血で血を洗うような戦いも少なかったのでしょう。だからいろいろな神様に対する信仰が発生します。
 征服されていくドラヴィダ人も、徹底して戦ったわけではなく、南に逃げるか、半ばあきらめてアーリア人の支配下に入ったようです。
 ただ死後の世界に対する関心は深く、死後、個体は無になっても、個人のアートマンは全宇宙の神ブラフマンとの合体すると考えられていた。しかしそれはヨガのような厳しい肉体的修行をともなうと思われていた。

 インドの戦争の神様は帝釈天といいます。戦争神つまり人を殺す神様というのは不思議な気もしますが、戦いの前に「ご武運を」と祈ることはどの社会にも見られる自然なことです。君たちは、「男はつらいよ」シリーズの映画とか知らないかな。「帝釈天で産湯を使い」という超人気の映画、最長の連作映画、渥美清の「男はつらいよ」シリーズがありました。あの帝釈天です。日本の戦争神、つまり部門の神様は八幡神です。鎌倉将軍家である源氏一族の守り神は、鎌倉の鶴岡八幡宮です。八幡神は武門の神様です。八幡さまは日本全国どこにでもあります。

 また死の世界を支配するヤマという神さまは、日本の閻魔(エンマ)大王です。生きている間に悪いことすると、死んで三途の川を渡るとき、天国に行くか地獄に行くかというとき、閻魔大王に地獄に行けと言われて、そのときに針千本飲まされたり、舌を抜かれたりする恐い神様です。これは民間信仰ですけど、その舌を抜く神様の閻魔(エンマ)大王は、もともとインドのヤマという神様です。死後の世界を支配する神様です。

 それから、コンピラ船ふね ♪ で有名な神社がある。日本の金比羅神です。これはインドではクンビーラという神様です。このクンビーラがコンピーラになる。これももともとインドの神様です。

 それからアスラ神という怒ったら恐ろしい神様がいるんですけれども、日本史では奈良の興福寺の阿修羅(アシュラ)像として有名です。顔が3つ、手が6本、三面六臂の神様です。真っ赤な顔して非常に人気がある神様です。これももともとはインドのアスラ神です。さらに遡れば、このアスラ神は、隣のイランのゾロアスター教の神様であるアフラ・マズダがインド化したものです。AFURA → ASURAというふうに訛ったものです。
 そういう神様を持っていた白い肌の人たちが、黒い肌のドラヴィダ人を支配していくうちに階級社会をつくっていく。


【ヴァルナ制度】 俗にカースト制と言ったほうが通りがよいかもしれない。カーストが違うと、同じ教室ですら勉強できない、結婚するなどとんでもない、一緒に飯も食えない。そんなに根強い。カーストはポルトガル語だから、最近はこれを現地流にヴァルナ制度という。ヴァルナは色という意味です。白い人間が黒い人間を征服したから。これには4階級ある。


 一番上は、日本でいえばお坊さん、バラモンです。インドではお坊さんが一番偉いんです。アレッ、と思いませんか。王様はその下なんですよ。
 王様はクシャトリアといって、バラモンの下です。王様よりもお坊さんが偉い。普通は逆ですよね。王様は普通は一番偉い。でもその王様の上にバラモンがいる。でもこのことはイスラーム教と似ていて、イスラーム教も国家の頂点の大統領の上にはさらに宗教指導者がいます。だから王様の政治力によってではなくて、バラモンの宗教力によって社会が秩序づけられています。だから宗教国家です。
 ただバラモン教はイスラーム教のように強い一神教ではないから、バラモンの支配は緩やかです。ということはバラモン教による国家統一は難しい。国家を統一するほどの強い強制力は持ちません。

 そういうバラモン教の世界で、なぜ仏教という新しい宗教が出てきたか。仏教はバラモン教による階級社会がイヤだったからです。
 そうすると王様は、そうだそうだ、バラモンは威張っている。そう言って仏教になびいていく。王様と仏教はこの関係で良好です。バラモンは王様の上にいるんだから、王様にとっては目の上のたんこぶです。王様にとってはその権威は邪魔になる。
 そうやって広まったのが仏教です。仏教の平等思想はバラモン否定です。さらにその下の商人や農民はヴァイシャという。ここまでが白い人です。特に農耕社会ではなく、新しい都市社会で生きる商人は仏教になびいていく。
 さらにその下がある。昔からいた、肌の黒いドラヴィダ人はシュードラ、これは奴隷です。

 バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ、この4つです。なくそうと今も憲法でつとめているけど、なかなかなくならない。

 インドの王は力を持ちにくい。上にバラモンがいるから。インダス文明もそうだった。王がいなかった。バラモン教もそうです。ヒンドゥー教もそうです。だからインドの古代王権は弱いんです。
 だから、のち15世紀にインドに帝国が復活するときは、支配層はヒンドゥー教ではなく、別の宗教つまりイスラーム教になっていきます。


【仏教】 仏教はどこの宗教ですか。日本古来の宗教だと思っている人が時々いますが、そうじゃない。ちょっと勉強したつもりで、仏教は中国の宗教という人がいますが、これも間違いです。仏教はインドの宗教です。
 では日本古来の宗教はなかったのか。そんなことはない。日本には神道という日本古来の宗教があります。これがお寺と神社の違いです。この中にもお寺と神社の区別がつかない人がいるはずです。
 地図でも、神社はトリイのマークで、お寺は卍です。神社では力強く両手で柏手(かしわで)を打つけど、お寺では静かに合掌(がっしょう)です。お正月は神社に三社参りをするけど、お盆にはお寺参りをする。結婚式は神道で、お葬式は仏教です。
 お葬式で若いお姉さんが間違って柏手を打ったのを見たことがあるけど、あれだけはやっちゃあいけないな。


 バラモン教に反発して出てくるのが仏教です。バラモンに対抗する宗教だから、王様やそれと結んだ商人に人気がでます。ちょうどこのころお金が発生し、インドにも都市が誕生して金持ちが出てきているころなんです。
 これと歩調を合わせてバラモン教はおかしい、という仏教がでてくる。そうだそうだ、と王や商人がそれになびいていく。基本はバラモン教批判です。

 あと一つ、仏教だけではなくて、バラモン教批判をしたインドの宗教、ジャイナ教というのがある。これも信者は少ないけれども、まだインドに残っています。

 紀元前5世紀、今から2500年前頃、中国では孔子が出た頃です。このあと言うけど、ギリシャではそのころソクラテスが出てくる。ここらへんは、歴史に残る頭のいい人たちが一気に申し合わせたように出てくる。一つの歴史的転換点です。
 紀元前5世紀、そのころ出てきたのが仏教です。インドの宗教です。始めたのはお釈迦様です。これはあだ名です。本名があるんです。ガウタマ=シッダールタという。インド語だから言いにくいです。でもこれが本名です。お釈迦さんは空想上の人物じゃない。実際にいた人、生身の人間です。

※ インド最古のコインは、ペルシャ人のアケメネス帝国の東部諸州で紀元前5世紀から前4世紀に発行されたコインとされている。コインは模倣されコピーされてインドの各地に広まった。そのコインは両面ではなく片面だけに刻印を打つ銀貨であり、その形も様々だった。同時にインドでは、鋳型に入れて鋳造する四角の銅のコインが作られ、それを変形させ打刻したコインも作られた。
 ・・・インドでは地域ごとに異なる300種類以上のお金が流通していたが、1835年にイギリス東インド会社がルピー銀貨を標準的なお金としてインド各地に流通させ、貨幣制度を統一した。(宮崎正勝 お金の世界史)


【出家】 なんでおシャカさまというかというと、彼はシャカ族の王子であったからです。シャカというのは、その一族の名前です。だからお釈迦様です。
 ただ王子だから王になったのかというと、オレは王になるのは嫌だ、と言って、それで嫁さん捨てて、子供も捨てて、父ちゃんは家出する。それでは格好悪いから、俗人がお坊さんになることを字をひっくり返して、出家という。出家とは、坊さんになることです。でも字を逆にすると家出です。嫁さん・子供を捨てて、救いの道を求めたと言えばカッコいいけど、捨てられた方は悲しみますよね。
 一昔前、オーム真理教という世間を騒がせた宗教がありましたが、それにハマって出家した人の親は悲しみましたね。宗教にはそういうところがあります。
 でも人間に宗教はつきものです。宗教のない歴史はない、と言ってもいいくらいです。

 その救いを求めるうちに、お釈迦様がたどり着いたのは、バラモン中心じゃない、カースト制度ではない平等観です。
 我々のような仏教の平等観に親しんだ人間から見ると、差別とか階級とか奴隷とか、何でそんなことがあるのかと逆に不思議に思うかもしれませんが、世界史を見ると、負けた人間はふつう奴隷になっていく。そして当たり前のごとく階級が発生する。差別が生まれる。けっこう怖い社会です。
 日本は世界の中でも平和な国じゃないかな。内側から見ているだけでは、なかなか分からないけどね。他のところではもっと簡単に殺されたり、奴隷になったりします。


【四苦】 仏教では、世の苦しみ、生きる苦しみとして、四つの大きな苦しみがある。生・老・病・死、これが人生の四大苦です。四苦と言います。
 これ見て驚くのは、死がイヤというのはわかる、病気がイヤもわかる、老つまり老いていくはイヤというのもわかるんです。でも「生」つまり生まれたこと、これが苦しみの最大のもので、これが四大苦の最初に来る。生は苦しみである、と仏教はとらえた。


 仏教の特徴は、生きることはすばらしいなんて、口当たりのいいことを言わない。生きることは苦しみなんです。産まれた瞬間に苦しみを背負って来る、という発想です。
 生きることは苦しみなんだ。そこからいかに離れるか、脱出するか、そこに修行という考え方がでてくる。今までの宗教とだいぶ違うんです。

 その苦しみから脱出することを「解脱」といいます。わかりやすくいうと、これが「悟り」です。それは自分だけではできなくて、全宇宙を支配するブラフマンと合体しなければならない。自分が自分が、と言っている限りはダメなんです。そこから無我がでてくる。「無我の境地」とか「無念無想」とかよく言うでしょう。自分が無くなることが理想なわけです。西洋流の自己主張の考え方とは正反対です。西洋はどこまでも自己を拡大させていきます。

 この無我という考え方に強く惹かれるのがインド人です。このようなお釈迦様の考えに多くのインド人が惹かれました。
 でもお釈迦様が自分のことを神様だと言ったことは一度もありません。お釈迦様は神様ではなくあくまでも一人の人間です。神様はどこにいるかといえば、それはお釈迦様ではなく、インドに古くからいる他の神々です。お釈迦様はそういう神様に近づくための方法を説いたのです。神様に近づいて合体する、そうすることによって「解脱」できる。つまり「悟り」の境地に達することができる。お釈迦様はその悟るための方法を説いたのです。
 それが修行です。修行をしなければ人間は何度でも生き返って、輪廻転生の無間地獄から抜け出すことができないのです。キリスト教のような復活の思想と違って、仏教はダメな奴ほど、生き返るのです。逆にいうと、完全に生きなければ、人間は完全に死ねないのです。完全にであって、完璧にではありません。完全に生きることができないから、完全に死ぬこともできず、何回も何回も生き返ってしまう。仏教が最も恐れたのはそういう生き方です。
 先日亡くなった樹木希林が、「この体をすり切れるまで使って、使い切って死にたい」と言って亡くなりましたが、そんなイメージでしょうか。樹木希林は年を取るごとにいい女優になりました。あんなふうに年を取りたいですね。

 釈迦はそういう教えを無理矢理に説いたのではなく、教えてくれという人が集まってきたから、その方法を教えてやったのです。イエスという人間が神様になったキリスト教・・・こう言うとキリスト教徒は怒りますが・・・とはここが大きく違います。その教えて欲しいという人たちがお釈迦様の弟子になって、やがて仏教教団が形成されていきます。これをサンガといいます。

 ただこれが広まったのは、お金持ちが住む都市だけ、そこのお金持ちとは商人です。地方の田舎にはあまり浸透しなかった。商人は、勝ち気で、派手な人間が多いのに、なぜ生が苦しみであるという仏教の信者になるのか、感覚的にはまだちょっと私にもわからない。
 ただよく説明されるのは、王様から見たら、バラモンが王様よりも上にあることが気にくわない。それを否定してくれる宗教が便利だ。
 だから仏教が、王様の保護を受けていくようになる。その王権を商業が支えていく、という説明です。
 確かに仏教は、権力とか、富とか、お金については何も言ってませんね。生業とは関係なく、心の問題だと言っているようにも思われます。商人もお金儲けには関係なく、心の問題として仏教を信仰していたようです。



【アレクサンドロス】
 インドに初めて国らしい大きな国ができていくきっかけは、紀元前4世紀です。仏教が発生してから約100年後です。
 これもまだ言ってないけれども、今は地域ごとに縦に言っているからヨーロッパのことはまだ言ってないけれども、時々こういうことが起こるんです。どうしても言ってない人物に登場してもらわないと先に話が進まないことがある。
 ギリシャ人のアレクサンドロスという王様が、ギリシアから世界征服を企てる。まだモンゴル帝国が出現していない時代ですから、当時としては世界最大の帝国を築いていく。西の方のギリシャからインドまで征服して行こうとする。
 そしてインドの手前まで来て、大きな川があって食い止められた。これがインドの入り口のインダス川です。これを超えていたらインドは征服されていたかもしれません。
 アーリア人たちは、こういう危機を目の前にすると、俺たちもウカウカしていたら征服されるぞ、強い国をつくらないととんでもないことになるぞ、という危機感を持つ。そこで一気に国を興そうという機運が盛り上がってくる。



【マウリヤ朝】
 そこでその直後の紀元前4世紀、インドにマウリヤ朝ができます。その前に小さな国、マガダ国というのがありましたが、そこの王様が領土を広げていった。
 これがインド初の統一王朝です。インド全部じゃないけども70~80%ぐらいは支配下に治めた。王様はチャンドラグプタという。変な名前ですね。チャンドラとかグプタとかよく出てくる。一世、二世とかも。
 首都はパータリプトラというところです。これは北東部です。北西部か北東部かの違いは大きいです。北西部だと隣のイラン系になります。

▼マウリヤ朝



 次の次の王様が仏教に深く帰依し、仏教を保護していく。バラモン教ではありません。バラモン教は王の上にバラモンがいて、王の権威を認めないからダメなんです。
 その仏教を保護した王様がアショーカ王です。紀元前3世紀です。
 キリスト教の聖典は聖書一つなんですけれども、仏教の本つまりお経は何万冊もある。弟子たちがずっと教えを深めて書いていくからです。そこに微妙に教えの違いが出てきて、どれが本当だかわからなくなる。
 だから仏教にはいろんな宗派が出てくる。これじゃ分かりにくいから、教えをまとめようという作業が行われます。これを仏典結集といいます。それを国家プロジェクトとしてやっていく。しかも王様が。だからこれは国家プロジェクトです。でもだからといって他の宗教を禁止したわけではありません。他の宗教も保護していく中で、特に仏教を保護したということです。ここがのちにいう一神教と違うところです。 
 インドは多神教だから、仏教だけ保護して他の宗教を禁止したら、他の宗教からの反発が大きくてとてもできません。逆にいうと一神教というのはそれをやるんです。それは徹底して弾圧し、多くの血が流れるということです。仏教ではそういうことは起こりません。
 ヴァルナ制というバラモンが最上位にある中で、王様としてこうやって宗教の教えをまとめようとすることは、宗教の上に立とうとすることで、帝国を形成する上で非常に大事です。


【バクトリア王国】 次に、これとほぼ同時期に、あのアレクサンドロス大王の大遠征があったでしょう。彼は何万人というギリシャ人の兵隊を引き連れている。彼らの一部がそこに留まり、その地を征服して、インドの北西部に国を建てる。彼らはギリシア人です。その国をバクトリア王国という。紀元前3~前2世紀です。これはギリシャ人の国です。
 1000キロ、2000キロ、人間は軽く移動します。モンゴル人は、3000キロ、5000キロ、平気で移動する。
 だから、同じところに1000年後に同じ顔をした人間が住んでいるなんて思わないでください。100年経てば、ごそっと1000キロぐらい、2000キロぐらい人間は移動します。10年で100キロ、福岡県人が10年後には大分県あたりに住む。そう考えるとそんなに不思議なことではない。



【クシャーナ朝】
 そういうギリシャ文化の影響を受けながら、西北の方からインドに入ってきた新しい国がクシャーナ朝です。1~3世紀です。


▼クシャーナ朝


 インド史をやっているのに、主人公はインド人じゃないです。そんなに簡単じゃない。いろんな民族が入ってくる。逆にいうと、今たまたまそこにインド人が住んでいるだけと思った方がいい。国が変われば民族がまた動いて、支配者になっているかも知れないし、もしかしたら奴隷にされているかも知れない。
 このクシャーナ朝はイラン系です。バクトリアはギリシア系、このクシャーナ朝はイラン系です。だからだいぶ西寄りで、インド全域を支配したわけではないです。でもインドの王朝に数えられます。
 このときのインドの首都はプルシャプラです。だからこれもインド北西部にあります。というよりインドをはずれて今のパキスタンの領域です。さっき言ったバクトリア王国はこのやや北側です。ここはギリシア人の国です。

 だからいまインド史をやっていますが、その主人公はインド人ではないです。イラン人です。この頃イランではパルティアという国が成立しています。イランでは別の宗教、ゾロアスター教が成立しています。でもこのイラン人たちは、ゾロアスター教ではなく、仏教を信仰していきます。

 中国史では言わなかったけれども、さらにここには大月氏という国もありました。バクトリアとクシャーナ朝の間に大月氏という中国系の騎馬遊牧民の国があったんです。
 本当は、バクトリア → 大月氏 → クシャーナ朝、となります。ここらへんはいろんなところから、四方八方から人が来ます。


【大乗仏教】 このクシャーナ朝のころ、新しい仏教が成立する。これを大乗仏教といいます。大きな乗り物という意味です。これはドラヴィダ系のインド南部から発生します。ナーガールジュナという人・・・この人は中国では龍樹と呼ばれますが・・・この人が3世紀に大成します。
 お釈迦様は何を求めたか。この500年前に仏教が生まれたときは、自分個人の救済だった。だから嫁さん捨てて、子ども捨てて家出したんです。しかしそれでいいのか、という疑問はずっと前からある。
 自分だけ救われて、それでおまえ満足なのか。満足だという人もいるかも知れませんが、それはおかしいじゃないか、という考えも出てくる。
 自分だけ救われて、あとの者はどうなるのか。みんな救われないといかんのじゃないか。インド人はこの思想に近づいていく。そうだ、そうだと。
 オレは救われていない。金持ちばかり救いの道を求めて、オレたちはそんな暇はない。毎日汗水垂らして働かないといけない。そんなに瞑想にふける暇はない。俺たちは救われなくていいのか。
 そんなことはないはずだ。すべての人が救われないといけないのではないか。こういう考えの対立から出てきて、すべての人間を救うための宗教が発生する。
 だから家出したり出家したりする必要はない。普通の生活をしながら、心さえ磨いておけば、出家せずに解脱することができる。悟りに達して、欲望を離れることができる、という教えです。

 実は日本に伝わったのは、お釈迦の生の教えではない。その500年後に出てきたこの教えです。日本仏教はこの大乗仏教です。
 自分ばかり救われて何が楽しいのか、自分ばかりいい思いをして、それでおもしろいのか。日本人にはこういう思い、ありませんか。
 これがインドから、中央アジアへ、そして北の方に伝わって、中国までたどり着く。そして中国から朝鮮半島へ、朝鮮半島から日本へと伝わる。それがだいたい6世紀のことです。500年代の日本に伝わります。


▼仏教の伝播


【上座部仏教】 では、もともとのお釈迦様の教えはどこに行ったのか。これは逆に南に、東南アジアあたりに伝わっている。この教えは呼び方が違う。上座部仏教といいます。
 これは従来の教えどおりに出家しなければならない。だから東南アジアの若い青年、頭のいい人ほど、若い頃に2~3年、お坊さんになって修行するんです。
 そして托鉢(たくはつ)といって、どうぞめぐんでください、といいながら、米一合めぐんでくださいと、田舎を回りながら、家のお母さんたちは喜んで布施を行う。それで、ありがとうございました、という。
 そういう苦しい時期があったことを忘れるなよ、という思いも入っている。だからお坊さんに1度はならないと、立派な大人とは認められない。
 しかし日本はならなくてもいい。きちんと自分で勉強して、心を磨いてさえいれば。ふだんの日常生活そのものが修行なんだ。そういう仏教の違いがあります。


【ガンダーラ美術】 それから、このクシャーナ朝時代には仏教美術が栄えていく。これを発生地帯の名前をとって、ガンダーラ仏教美術といいます。3世紀頃です。ガンダーラとはインド北西部です。ギリシア系の地域です。
 今の仏教には、仏さんの像があるのが当たり前みたいですけど、それまでの仏教には仏さんの像はなかった。お釈迦様は神様じゃないです。生身の人間です。キリスト教のような一神教から見ると、仏教は宗教ではない、という人もヨーロッパにはいるようです。
 お釈迦様が、神様じゃないということはわかります。ガウタマ=シッダールタという本名を持つ生身の人間だから、確かに神様じゃない。偉いのは偉いんでしょうけど神様じゃない。
 でもその点は、キリストさんも同じなんです。キリストさんも実在した生身の人間です。でもキリスト教は、イエスを神様にしていきます。日本人から見ると、生身の人間が神様になるという感覚は、なかなか分かりづらいです。
 しかし日本でも菅原道真が、北野天神や太宰府天満宮に祀られて神様になっていることを考えると、そういうこともあるかも知れません。徳川家康だって、日光東照宮に祀られて神様になっていますからね。でもこれは、人間は死ねば仏になる、という感覚に近い気がします。
 それに対してキリストさんは、もともと神様が人間の姿となって現れたという感覚らしいです。遠い国から来たスーパーマンが人間に化けているようなものです。

 確かにお釈迦様は、心が救われる道を考え続けて、もがき苦しんだ生身の人間です。だからもともと仏像はなかったんです。
 しかし、ここにアレクサンドロス以降ギリシア人が住んだ。ギリシャ人は彫刻するの大好きです。そして目に見えない神様を人間と同じ姿に彫っていく。
 これもまだ言ってないけど、ギリシャ彫刻は、女性でも裸にしておっぱい出して、男でもあそこをむき出しにして、ありのままの人間の姿を彫って、これが神様だと言ってはばからない。これは偶像禁止の考えからすると、神様を人間におとしめることです。

 そういうギリシャ人の影響で、お釈迦さんもそうしよう、彫ろう、となる。そうやって仏像ができてくる。発生地点がガンダーラです。ガンダーラというのは、クシャーナ朝の首都プルシャプラのちょっと北西です。仏像は西北インドから発生する。そこにギリシア人の文化があった。だからギリシア彫刻の影響があります。この頃のお釈迦様の顔はギリシャ人の顔をしています。

 このクシャーナ朝に、2世紀に出てきた王様がまた仏教に帰依します。カニシカ王といいます。仏教を中心にして、統一的な国の宗教にして行こう。みんな幸せになるためには、国を幸せにすればみんなが幸せになる。そうやって国家と結びついていくのです。そのための教えを統一していきます。また仏典結集を行います。でもアショーカ王のところで言ったように、他の宗教を禁止したわけではありません。神様を一つに限定する一神教世界とはかなり違います。
 このカニシカ王はイラン人です。イラン人が仏教を信仰している。この時代の仏教は国際色豊かです。ギリシャ文化の影響も受けている。南では大乗仏教も発生する。イラン人も信仰する。我々が今見る仏教とはかなり違ったものだと思われますが、それは逆に言うと、日本の仏教がそれを丸呑みするのではなく、いろいろ手を加えながら、日本化することに成功した姿だと思います。猿まねではないということです。



【サータヴァーハナ朝】

 今までは北インドです。ではそのころのインドの南の方はというと、別の王朝があります。これをサータヴァーハナ朝という。紀元前1世紀~紀元後3世紀です。これはアーリア人に征服された側のドラヴィダ系の国家です。大乗仏教はこの地域で発生しました。

 そこに面している南の海はインド洋という。ここでは早くから季節風が気づかれていました。日本にも季節風が吹きます。横文字でいうとモンスーンです。夏と冬で風向きが違う。
 これは早くから気づかれていて、これを何に利用するか。帆掛け船です。船で貿易すれば金になるんですよ。珍しいものを、100キロ、200キロ、500キロ、ずっと遠くに持って行けば行くほど、1万円のものが100万円になる。そういう貿易に命をかける男たちが早くから出てくる。
 このインド洋交易でこの国は儲ける。だから、1000年の間に、アラビア人も来れば、イラン人も来る。彼らの多くはイスラム教徒です。中国人だって東からやって来る。

 日本に伝わってきた仏教は大乗仏教です。仏教伝来の日本へのルートは、北から伝わったから、別名は北伝仏教という。仏教に2種類あって、一つは南に行った仏教、もう一つは北に行った仏教です。日本は北です。
 中身は、自分だけ救われて何のつもりか、自分だけ救われて何の意味があるんだ、という教えなんです。

これで終わります。ではまた。



「授業でいえない世界史」 8話 古代インド グプタ朝~イスラーム化、東南アジア

2019-06-04 17:39:43 | 旧世界史2 古代インド

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 古代インドは、インダス文明から始まってクシャーナ朝まで、紀元3世紀まで来ました。王朝名はマウリヤ朝、バクトリア、サータバーハナ朝、クシャーナ朝と来たきたところです。日本関係でいうと、仏教はインド宗教であって、インドから日本に伝わった経路は、北の方から伝わったということを前回言いました。
 そのクシャーナ朝が滅びました。クシャーナ朝はインドにおこった国だといっても、民族的にはインド人ではなかった。イラン系の人たちが支配者層だった国でしたが、次に土着のインド人が巻き返します。




【グプタ朝】
 彼らが作った新しい王朝、これがグプタ朝です。紀元4世紀から6世紀にかけてできました。それまでは紀元前4世紀に、ギリシャ人のアレクサンダー大王、アレクサンドロス大王ともいいますが、別の読み方ではイスカンダルというのもアレキサンダーのアラビア語読みです。
 そのアレキサンダー大王の影響でギリシャ文化がインドまで及んできましたが、ここでギリシア文化・・・ギリシア人のことをヘレナというからこれをヘレニズム文化といいますが・・・そのギリシャ文化は消滅します。そして純粋インド文化に変わっていく。ギリシア風からインド風へという大きな流れです。
 この国で使われているインドの言葉というのは、サンスクリット語という仏教の経典が書かれている言葉で、今は誰も使わない死語になっていますが、この言葉はインド=ヨーロッパ語であって、このインド語とヨーロッパ語は親戚同士なんです。

▼グプタ朝


 このグプタ朝の王様がチャンドラグプタ2世です。前にマウリヤ朝のチャンドラグプタという王様がいましたが、今度はチャンドラグプタ2世というのがグプタ朝の王様です。
 このグプタ朝も5世紀になると、また異民族の侵入を受けます。エフタルという異民族が中央アジアから侵入し、このグプタ朝は衰退していく。そしてしばらくは小さい国が乱立している状態が続いていきます。

 このグプタ朝で、これがインドだ、という純粋のインド文化が栄えていく。インドのことはヒンドゥーという。ヒンドゥー教というのは、H音は鼻に抜けるので、本当はインドゥー教なんです。インドゥーというのはインドのことです。


【ヒンドゥー教】 この時代にヒンドゥー教が成立します。バラモン教の中に、ドラヴィダ系のインドの土着文化、民間信仰が入ってくる。そのヒンドゥー教というのは誰が発明したのでもない自然宗教なんですけれども、その祈り方一式をまとめたのが「マヌの法典」です。このグプタ朝時代に、そういう純インド洋式が復活します。
 さっき言ったアレキサンダー遠征以降、ギリシャ文化の影響を受けていたこの地域に、インド様式が復活するということです。
 しかしそれと同時に、ヒンドゥー教に押されて、仏教は衰退していきます。


【空の概念】 この時代のインドの偉大な発見というのはなにか。数学上の何を発見したか。無いものを発見した。無いものはふつう意識しないんだけれども、インド人が初めて無いということは、どういうことかを考えた。そしてこれをゼロと名づけた。
 数学の世界では、このゼロが有るか無いかによって、数学の水準は格段に進歩したといわれます。言葉でいうと、無いものを発見したということですが、無いものを考えるというゼロの観念はかなり抽象度の高いものです。ふつうは無いものは考えられないのです。
 これはインド人の発見です。なぜインド人はゼロを発見したか。インドの仏教思想の中には一番大事な核になる思想として「」の観念がある。そのことは前にも言いました。だから何もないとはどういうことか、これをずっと考えてきた。
 「色即是空」「空即是色」という般若心経の「空」です。




【ヴァルダナ朝】
 このグプタ朝の後、統一王朝としてはこれが最後になります。ヴァルダナ朝です。短い王朝ですけれども、ヴァルダナ朝が7世紀。グプタ朝が4、5、6世紀。このヴァルダナ朝は全インド統一というよりも、北インド中心です。

▼ヴァルダナ朝


 中国では、このとき仏教が外国の新しい宗教として流行ってるんですが、仏教の本場はインドです。だから中国のお坊さんで、この時代のインドを遠路はるばる訪ねてきたお坊さんがいる。
 これが中国史でもやった唐の玄奘です。仏典を求めて。仏典というのは仏教の本です。つまりお経です。中国史のところでもやったこの玄奘というのは、あだ名が有名です。三蔵法師という。三蔵法師といえば、孫悟空のお話をちょっとしましたね。孫悟空は空想上の話ですけど、孫悟空が仕えた三蔵法師というのは実在の人物で、この中国の偉いお坊さんです。本名は玄奘です。その話が変わり変わって孫悟空の話になっています。それが「西遊記」という明の時代の物語です。500年以上後になって書かれたものです。
 しかしこのヴァルダナ朝は約50年間という短期間で崩壊し、647年に滅びます。
 その後は今まで言ったような大きなインド国家というのは発生しません。
 これでインドの古代史は終わりますが、このあとのことまで行きます。




【インド中世】
【ラージプート諸王国】
 このあとは、ずっと小国分裂の状態が約500年~600年ぐらい続きます。この長い小国分裂の時代の国々をラージプート諸王国といいます。8世紀から13世紀まで、長いです。インドは戦国時代のようになっていく。
 このラージプートの意味は新しい土豪という意味です。土豪は地方の親分さんです。彼らが小さな国をいっぱい建てていった。
 もともと小さい田舎の親分さんだから、オレが王だというのには、いかにも権威がない。この権威を何によってカバーするか、それが重要になっていきます。彼らは、ヒンドゥー教の神様によって、オレは王に任命されたんだというアピールをしていく。
 しかし、ヒンドゥー教はバラモンの力が強い。王よりもバラモンの権威を認めることになる。しかしバラモンの力では大帝国をつくれない。だから小国分立が続きます。その一方でバラモンは親分の協力を得て社会に根づいていきます。

 この時代には仏教よりもヒンドゥー教の神様の方がもてはやされていく。ということは、今まで流行ってきた仏教はだんだん廃れていって、ついにインドから消滅してしまいます。別に仏教が弾圧されたわけではなくて、仏教が感覚的に本質をとらえようとする密教化していって、ヒンドゥー教との見分けがつかなくなり、ヒンドゥー教の一つとして取り込まれていきます。
 インドで発生した仏教は今のインドにはありません。仏教は、インドの周辺の中国や東南アジアや日本に残っています。仏教は日本の宗教ではありません。中国の宗教でもありません。インドの宗教です。では今のインドは仏教国かというと、インドでは仏教は消滅している。仏教はそういう複雑な動きをしています。
 もう一つ、このラージプート諸王国の500~600年の間に、インドの文化が強まって一つの社会制度が定着していきます。これがいわゆるカースト制というものです。ヴァルナという4つの身分、それがジャーティという職業集団と結びついていくんです。そして身分制度と職業がセットになった社会になっていく。だからカースト制は最近ではヴァルナ・ジャーティ制と言うようになっています。
 こうやって職業の世襲制が完成していきます。世襲というのは、親から子、子から孫へ、と受け継がれることです。


【インドのイスラーム化】 この時代のインドは、ヒンドゥー教では大国家を作ることができずに小国に分かれたままですが、次にインドに大帝国を作っていく宗教が何かというと、それはヒンドゥー教ではなくイスラム教です。
 しかしそれはインドがイスラーム化してからです。イスラム教のことは、またあとで言いますが、7世紀にすでにイスラム教が発生しています。
 そのあと約500年かけて、インドの近くにできた最初のイスラム国家といえば、1148年ゴール朝です。今のアフガニスタンあたりの国です。
 今までインド人はイスラム教徒ではなかった。ヒンドゥー教徒だった。または仏教徒だった。ゴール朝はイスラム教国です。北西インドから発生して、デリーというところまで進出してくる。インドに乗り込んできた王朝です。その後、こういうイスラム教国家がコロコロ変わって、5つ続いていく。
 そのゴール朝の武将アイバクがゴール朝を倒して、自分が王様になってインドに君臨する。このイスラム王朝の武将というのが、イスラム教の場合にはわかりにくいんですが、武将は奴隷なんです。
 この奴隷のイメージが日本と違っていて、奴隷がなぜ武将になれるのか、日本人の感覚ではわかにりくいですが、イスラム教の兵隊は、もともと他民族から連れてきた奴隷なんです。そのうち有力な奴隷が兵隊をまとめて武力をもち、親分を倒して次の王様になったりする。こういうことは他の地域でも、このあともよく出てきます。
 奴隷という訳し方が間違ってるという言い方もあるんだけども、結婚の自由がなかったりするから、やはり奴隷だという見方もある。それで奴隷が王様になる。そうやって1206年奴隷王朝ができる。建国者はゴール朝の武将だったアイバクです。
 そしてこの後も、名前を変え、王様を変え、5つのイスラム国家がコロコロ変わる。奴隷王朝から、ハルジー朝、ツゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝、これで約300年間。この300年間をデリー=スルタン王朝という。すべてイスラム教の国です。ここで共通するのは、すべてデリーを拠点とし、北インドを押さえたということです。
 その次に全インドを含む大帝国ができる。それがムガール帝国というイスラム国家です。
 インドはここまでです。


【東南アジア】  ここからは、東南アジアです。ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、インドネシア、これを一気にやっていきます。1000年ぐらいを。
  この地域には、多くの民族、多くの国家が乱立していく。この東南アジアは、数千年前から、人の流れは北から南に南下する。主に中国系の人々です。だから顔つきも似ている。何千年も前から、こういう人の移動が見られた地域です。
  それから東南アジアというと文化的には、中国インドという二大文明の影響を二つとも受けている。どちらかというと、影響が早いのはインド文明ですね。最初に入ってくるのはインド文明。民族的には中国人の南下ですけど、文化的にはインド文明です。だからここは統一性がないんです。顔かたちは似ているけれども、言葉は違うし、文化も宗教も違う。多くの民族がごちゃごちゃ混じりあっている。
 ただここは海に島がいっぱい点在して、船が往来するんです。東西に、東から西に、貴重品がいっぱい、珍しいものが船に揺られていく。物は陸を行くんじゃない。今のようにトラックで行くのはここ数十年ぐらいのもので、物を運ぶのは大八車引いてとか行かない。だから船に乗せて運びます。日本でもそうです。陸を動くのは人間ぐらいのものです。物を輸送するときにはみんな船です。だから船を使った東西交易が非常に盛んです。
 ここをねらって世界征服を企てていくのがヨーロッパです。こんなところまであと500年経つとヨーロッパ人が進出してくるんです。そしてごっそり金目のものを持って行く。

  まずスマトラ島にできた国、7世紀頃、早いですね。スマトラ島は、これね。インドネシアで一番中心は、大きいから偉いんじゃない。これです、ジャワ島です、中心は。ジャワ島のジャカルタという都市。これは一番大きな島にあるんじゃない。中心はここ。ここに人口が密集している。現在はこのジャワ島です。しかしこのスマトラ島、ここにできた7世紀にできた国は、シュリーヴィジャヤ国。まずインドの文化、仏教が広まる。
  次です。人口が多いといったこのジャワ島の中部では、シャイレーンドラ朝。ちょっと遅くできて、早くつぶれた。シャイレーンドラ朝。ここも大乗仏教です。ここに壮大な仏教の世界をかたどった建物がある。建築物があるんですよ。これがボロブドゥールという仏教寺院の跡です。ボロブドゥール寺院。写真があった、これです。ボロブドゥール寺院、ジャワ島にある。これは仏の世界の建築物です。
  ジャワ島の東の方に行くと、マジャパヒト王国。日本語では変な名前ですけれど、マジャパヒト王国という。これは長く続く、1200年代から1500年代まで。

  次です。島ではなくて今度は、大陸部です。カンボジアです。カンボジアにはアンコール朝。600年間、9世紀から15世紀まで。ここにはインドの文化でヒンドゥー教寺院が建てられた。アンコール=ワットという。最近に非常に人気が高い観光地で、これも、上の写真、アンコール=ワット。ヒンドゥー教寺院です。しかしこの後、仏教勢力を盛んになってきて、これはこのあと仏教寺院に変わっていく。覚えにくいけど、こういうふうにいろんな人たちが覆い被さっていて、日本のように2000年の昔から日本民族が一ついるという歴史ではない。いって見れば日本民族が500年いて、次の騎馬民族が船で押し寄せてきて、さらに元のモンゴルの大軍の元寇が押し寄せてきて、日本が負けて支配されて、モンゴル帝国になって、そのあとまた北方の騎馬民族が日本を征服しにやってきて、そういうふうに何重にも人々が積み重なってる。ここらへんは。
  それから、ベトナム、ベトナム南部チャンパー、古いね、2世紀から17世紀の1000年以上。
  それから、ミャンマーはパガン朝。インドの東にある。
  それから、タイはスコータイ朝、13世紀、14~15世紀。タイは今でも仏教の敬虔あらたかな、熱心な国家です。
  マレー半島、細長いひょうたんみたいなマラッカ王国。14・15・16世紀。この地域が最初にイスラーム化していくのは、このマラッカ王国が15世紀にイスラーム化してからです。ここから東南アジアのイスラーム化が始まる。世界最大の人口を持つイスラム教の国というのはここにある。西南アジアじゃないです。サウジアラビアでもない。世界最大の人口、2億の人口がいるイスラム国家というのはインドネシアです。この地域にあるインドネシアだとこういうことです。
  それからこの時代、ここで重要なのは、海峡の名前を○をしていてください。マラッカ海峡です。このマレー半島とスマトラ島を抜けるためには、船はインド洋からここを抜けて、中国の沿岸の南シナ海に行く。このルートが一番近いです。ここを塞がれたら商売上がったりなんです。重要なんです。マラッカ海峡は、日本の石油も運ぶ。石油止まったら、日本はパーです。その石油をアラビアから運んでくるタンカーは今でもここを通る。我々はさほど意識しないけれども、このマラッカ海峡は非常に大事なところです。ここを押さえているのがこの半島の先端にある小さな島、シンガポールですよ。
 シンガポールというのはそれはそれは大事な場所です。目立たないが。シンガポールを取ればこのマラッカ海峡を押さえることができる。そういう国です。面積は日本の小さな県ぐらいしかない。しかしがっぽりお金を持っている。
 以上で、インドが終わりました。中国が終わって、インドが終わりました。
 これで終わります。ではまた。