※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。
古代インドは、インダス文明から始まってクシャーナ朝まで、紀元3世紀まで来ました。王朝名はマウリヤ朝、バクトリア、サータバーハナ朝、クシャーナ朝と来たきたところです。日本関係でいうと、仏教はインド宗教であって、インドから日本に伝わった経路は、北の方から伝わったということを前回言いました。
そのクシャーナ朝が滅びました。クシャーナ朝はインドにおこった国だといっても、民族的にはインド人ではなかった。イラン系の人たちが支配者層だった国でしたが、次に土着のインド人が巻き返します。
【グプタ朝】
彼らが作った新しい王朝、これがグプタ朝です。紀元4世紀から6世紀にかけてできました。それまでは紀元前4世紀に、ギリシャ人のアレクサンダー大王、アレクサンドロス大王ともいいますが、別の読み方ではイスカンダルというのもアレキサンダーのアラビア語読みです。
そのアレキサンダー大王の影響でギリシャ文化がインドまで及んできましたが、ここでギリシア文化・・・ギリシア人のことをヘレナというからこれをヘレニズム文化といいますが・・・そのギリシャ文化は消滅します。そして純粋インド文化に変わっていく。ギリシア風からインド風へという大きな流れです。
この国で使われているインドの言葉というのは、サンスクリット語という仏教の経典が書かれている言葉で、今は誰も使わない死語になっていますが、この言葉はインド=ヨーロッパ語であって、このインド語とヨーロッパ語は親戚同士なんです。
▼グプタ朝
このグプタ朝の王様がチャンドラグプタ2世です。前にマウリヤ朝のチャンドラグプタという王様がいましたが、今度はチャンドラグプタ2世というのがグプタ朝の王様です。
このグプタ朝も5世紀になると、また異民族の侵入を受けます。エフタルという異民族が中央アジアから侵入し、このグプタ朝は衰退していく。そしてしばらくは小さい国が乱立している状態が続いていきます。
このグプタ朝で、これがインドだ、という純粋のインド文化が栄えていく。インドのことはヒンドゥーという。ヒンドゥー教というのは、H音は鼻に抜けるので、本当はインドゥー教なんです。インドゥーというのはインドのことです。
【ヒンドゥー教】 この時代にヒンドゥー教が成立します。バラモン教の中に、ドラヴィダ系のインドの土着文化、民間信仰が入ってくる。そのヒンドゥー教というのは誰が発明したのでもない自然宗教なんですけれども、その祈り方一式をまとめたのが「マヌの法典」です。このグプタ朝時代に、そういう純インド洋式が復活します。
さっき言ったアレキサンダー遠征以降、ギリシャ文化の影響を受けていたこの地域に、インド様式が復活するということです。
しかしそれと同時に、ヒンドゥー教に押されて、仏教は衰退していきます。
【空の概念】 この時代のインドの偉大な発見というのはなにか。数学上の何を発見したか。無いものを発見した。無いものはふつう意識しないんだけれども、インド人が初めて無いということは、どういうことかを考えた。そしてこれをゼロと名づけた。
数学の世界では、このゼロが有るか無いかによって、数学の水準は格段に進歩したといわれます。言葉でいうと、無いものを発見したということですが、無いものを考えるというゼロの観念はかなり抽象度の高いものです。ふつうは無いものは考えられないのです。
これはインド人の発見です。なぜインド人はゼロを発見したか。インドの仏教思想の中には一番大事な核になる思想として「空」の観念がある。そのことは前にも言いました。だから何もないとはどういうことか、これをずっと考えてきた。
「色即是空」「空即是色」という般若心経の「空」です。
【ヴァルダナ朝】
このグプタ朝の後、統一王朝としてはこれが最後になります。ヴァルダナ朝です。短い王朝ですけれども、ヴァルダナ朝が7世紀。グプタ朝が4、5、6世紀。このヴァルダナ朝は全インド統一というよりも、北インド中心です。
▼ヴァルダナ朝
中国では、このとき仏教が外国の新しい宗教として流行ってるんですが、仏教の本場はインドです。だから中国のお坊さんで、この時代のインドを遠路はるばる訪ねてきたお坊さんがいる。
これが中国史でもやった唐の玄奘です。仏典を求めて。仏典というのは仏教の本です。つまりお経です。中国史のところでもやったこの玄奘というのは、あだ名が有名です。三蔵法師という。三蔵法師といえば、孫悟空のお話をちょっとしましたね。孫悟空は空想上の話ですけど、孫悟空が仕えた三蔵法師というのは実在の人物で、この中国の偉いお坊さんです。本名は玄奘です。その話が変わり変わって孫悟空の話になっています。それが「西遊記」という明の時代の物語です。500年以上後になって書かれたものです。
しかしこのヴァルダナ朝は約50年間という短期間で崩壊し、647年に滅びます。
その後は今まで言ったような大きなインド国家というのは発生しません。
これでインドの古代史は終わりますが、このあとのことまで行きます。
【インド中世】
【ラージプート諸王国】
このあとは、ずっと小国分裂の状態が約500年~600年ぐらい続きます。この長い小国分裂の時代の国々をラージプート諸王国といいます。8世紀から13世紀まで、長いです。インドは戦国時代のようになっていく。
このラージプートの意味は新しい土豪という意味です。土豪は地方の親分さんです。彼らが小さな国をいっぱい建てていった。
もともと小さい田舎の親分さんだから、オレが王だというのには、いかにも権威がない。この権威を何によってカバーするか、それが重要になっていきます。彼らは、ヒンドゥー教の神様によって、オレは王に任命されたんだというアピールをしていく。
しかし、ヒンドゥー教はバラモンの力が強い。王よりもバラモンの権威を認めることになる。しかしバラモンの力では大帝国をつくれない。だから小国分立が続きます。その一方でバラモンは親分の協力を得て社会に根づいていきます。
この時代には仏教よりもヒンドゥー教の神様の方がもてはやされていく。ということは、今まで流行ってきた仏教はだんだん廃れていって、ついにインドから消滅してしまいます。別に仏教が弾圧されたわけではなくて、仏教が感覚的に本質をとらえようとする密教化していって、ヒンドゥー教との見分けがつかなくなり、ヒンドゥー教の一つとして取り込まれていきます。
インドで発生した仏教は今のインドにはありません。仏教は、インドの周辺の中国や東南アジアや日本に残っています。仏教は日本の宗教ではありません。中国の宗教でもありません。インドの宗教です。では今のインドは仏教国かというと、インドでは仏教は消滅している。仏教はそういう複雑な動きをしています。
もう一つ、このラージプート諸王国の500~600年の間に、インドの文化が強まって一つの社会制度が定着していきます。これがいわゆるカースト制というものです。ヴァルナという4つの身分、それがジャーティという職業集団と結びついていくんです。そして身分制度と職業がセットになった社会になっていく。だからカースト制は最近ではヴァルナ・ジャーティ制と言うようになっています。
こうやって職業の世襲制が完成していきます。世襲というのは、親から子、子から孫へ、と受け継がれることです。
【インドのイスラーム化】 この時代のインドは、ヒンドゥー教では大国家を作ることができずに小国に分かれたままですが、次にインドに大帝国を作っていく宗教が何かというと、それはヒンドゥー教ではなくイスラム教です。
しかしそれはインドがイスラーム化してからです。イスラム教のことは、またあとで言いますが、7世紀にすでにイスラム教が発生しています。
そのあと約500年かけて、インドの近くにできた最初のイスラム国家といえば、1148年のゴール朝です。今のアフガニスタンあたりの国です。
今までインド人はイスラム教徒ではなかった。ヒンドゥー教徒だった。または仏教徒だった。ゴール朝はイスラム教国です。北西インドから発生して、デリーというところまで進出してくる。インドに乗り込んできた王朝です。その後、こういうイスラム教国家がコロコロ変わって、5つ続いていく。
そのゴール朝の武将のアイバクがゴール朝を倒して、自分が王様になってインドに君臨する。このイスラム王朝の武将というのが、イスラム教の場合にはわかりにくいんですが、武将は奴隷なんです。
この奴隷のイメージが日本と違っていて、奴隷がなぜ武将になれるのか、日本人の感覚ではわかにりくいですが、イスラム教の兵隊は、もともと他民族から連れてきた奴隷なんです。そのうち有力な奴隷が兵隊をまとめて武力をもち、親分を倒して次の王様になったりする。こういうことは他の地域でも、このあともよく出てきます。
奴隷という訳し方が間違ってるという言い方もあるんだけども、結婚の自由がなかったりするから、やはり奴隷だという見方もある。それで奴隷が王様になる。そうやって1206年に奴隷王朝ができる。建国者はゴール朝の武将だったアイバクです。
そしてこの後も、名前を変え、王様を変え、5つのイスラム国家がコロコロ変わる。奴隷王朝から、ハルジー朝、ツゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝、これで約300年間。この300年間をデリー=スルタン王朝という。すべてイスラム教の国です。ここで共通するのは、すべてデリーを拠点とし、北インドを押さえたということです。
その次に全インドを含む大帝国ができる。それがムガール帝国というイスラム国家です。
インドはここまでです。
【東南アジア】 ここからは、東南アジアです。ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、インドネシア、これを一気にやっていきます。1000年ぐらいを。
この地域には、多くの民族、多くの国家が乱立していく。この東南アジアは、数千年前から、人の流れは北から南に南下する。主に中国系の人々です。だから顔つきも似ている。何千年も前から、こういう人の移動が見られた地域です。
それから東南アジアというと文化的には、中国とインドという二大文明の影響を二つとも受けている。どちらかというと、影響が早いのはインド文明ですね。最初に入ってくるのはインド文明。民族的には中国人の南下ですけど、文化的にはインド文明です。だからここは統一性がないんです。顔かたちは似ているけれども、言葉は違うし、文化も宗教も違う。多くの民族がごちゃごちゃ混じりあっている。
ただここは海に島がいっぱい点在して、船が往来するんです。東西に、東から西に、貴重品がいっぱい、珍しいものが船に揺られていく。物は陸を行くんじゃない。今のようにトラックで行くのはここ数十年ぐらいのもので、物を運ぶのは大八車引いてとか行かない。だから船に乗せて運びます。日本でもそうです。陸を動くのは人間ぐらいのものです。物を輸送するときにはみんな船です。だから船を使った東西交易が非常に盛んです。
ここをねらって世界征服を企てていくのがヨーロッパです。こんなところまであと500年経つとヨーロッパ人が進出してくるんです。そしてごっそり金目のものを持って行く。
まずスマトラ島にできた国、7世紀頃、早いですね。スマトラ島は、これね。インドネシアで一番中心は、大きいから偉いんじゃない。これです、ジャワ島です、中心は。ジャワ島のジャカルタという都市。これは一番大きな島にあるんじゃない。中心はここ。ここに人口が密集している。現在はこのジャワ島です。しかしこのスマトラ島、ここにできた7世紀にできた国は、シュリーヴィジャヤ国。まずインドの文化、仏教が広まる。
次です。人口が多いといったこのジャワ島の中部では、シャイレーンドラ朝。ちょっと遅くできて、早くつぶれた。シャイレーンドラ朝。ここも大乗仏教です。ここに壮大な仏教の世界をかたどった建物がある。建築物があるんですよ。これがボロブドゥールという仏教寺院の跡です。ボロブドゥール寺院。写真があった、これです。ボロブドゥール寺院、ジャワ島にある。これは仏の世界の建築物です。
ジャワ島の東の方に行くと、マジャパヒト王国。日本語では変な名前ですけれど、マジャパヒト王国という。これは長く続く、1200年代から1500年代まで。
次です。島ではなくて今度は、大陸部です。カンボジアです。カンボジアにはアンコール朝。600年間、9世紀から15世紀まで。ここにはインドの文化でヒンドゥー教寺院が建てられた。アンコール=ワットという。最近に非常に人気が高い観光地で、これも、上の写真、アンコール=ワット。ヒンドゥー教寺院です。しかしこの後、仏教勢力を盛んになってきて、これはこのあと仏教寺院に変わっていく。覚えにくいけど、こういうふうにいろんな人たちが覆い被さっていて、日本のように2000年の昔から日本民族が一ついるという歴史ではない。いって見れば日本民族が500年いて、次の騎馬民族が船で押し寄せてきて、さらに元のモンゴルの大軍の元寇が押し寄せてきて、日本が負けて支配されて、モンゴル帝国になって、そのあとまた北方の騎馬民族が日本を征服しにやってきて、そういうふうに何重にも人々が積み重なってる。ここらへんは。
それから、ベトナム、ベトナム南部はチャンパー、古いね、2世紀から17世紀の1000年以上。
それから、ミャンマーはパガン朝。インドの東にある。
それから、タイはスコータイ朝、13世紀、14~15世紀。タイは今でも仏教の敬虔あらたかな、熱心な国家です。
マレー半島、細長いひょうたんみたいなマラッカ王国。14・15・16世紀。この地域が最初にイスラーム化していくのは、このマラッカ王国が15世紀にイスラーム化してからです。ここから東南アジアのイスラーム化が始まる。世界最大の人口を持つイスラム教の国というのはここにある。西南アジアじゃないです。サウジアラビアでもない。世界最大の人口、2億の人口がいるイスラム国家というのはインドネシアです。この地域にあるインドネシアだとこういうことです。
それからこの時代、ここで重要なのは、海峡の名前を○をしていてください。マラッカ海峡です。このマレー半島とスマトラ島を抜けるためには、船はインド洋からここを抜けて、中国の沿岸の南シナ海に行く。このルートが一番近いです。ここを塞がれたら商売上がったりなんです。重要なんです。マラッカ海峡は、日本の石油も運ぶ。石油止まったら、日本はパーです。その石油をアラビアから運んでくるタンカーは今でもここを通る。我々はさほど意識しないけれども、このマラッカ海峡は非常に大事なところです。ここを押さえているのがこの半島の先端にある小さな島、シンガポールですよ。
シンガポールというのはそれはそれは大事な場所です。目立たないが。シンガポールを取ればこのマラッカ海峡を押さえることができる。そういう国です。面積は日本の小さな県ぐらいしかない。しかしがっぽりお金を持っている。
以上で、インドが終わりました。中国が終わって、インドが終わりました。
これで終わります。ではまた。