ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

「授業でいえない世界史」 9話 古代オリエント メソポタミア文明~ヘブライ王国

2019-02-03 19:33:27 | 旧世界史3 古代オリエント

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【メソポタミア】
 今度また、2000年戻ります。どこに戻るかというと、メソポタミアです。
 メソポタミア文明が栄える地域は、三日月地帯と言われます。ここが非常に豊かな地域です。麦が取れるからです。

 でもまっさおとした緑の草原ではない。日本人から見ると、砂漠じゃないのと思うくらいのところです。この周辺は砂漠です。日本のような緑の多いところから見ると、ここは砂漠に見えるけれども、本物の砂漠から見ると、草がポコポコ生えているぐらいのこの三角地帯は天国のように見える。砂漠から見たらここは豊かな土地なんです。日本人から見ると寒々とした荒野のように映るけど、砂漠の民からすると、ここは蜜がしたたる土地です。
 ここを流れる川が二つ、チグリス川とユーフラテス川です。川があるところ水がある。水があるところ文明が発生する。農耕ができるという循環、この二つの川に挟まれた地域が豊かなんです。この地域をメソポタミアという。川に挟まれた地域という意味です。

 一気にまた5000年前に戻ります。紀元前3000年ころです。
 ここで初の国家ができる。作った民族はシュメール人。発音しか分かりません。どんな民族なのかわかりません。シュメールという名前が伝わるのみです。


【都市国家】 国の始まりは中国とほとんど同じです。小さな都市の形をとる。これを都市国家という。ギリシアもそうです。周りを城壁で囲む。
 有名な都市国家として、ユーフラテス川下流のウルがあります。紀元前2700年頃には、そこにウル第一王朝ができます。しかしそれはまだ小さな都市国家です。
 国ができる時には必ず神様が発生します。神様によってまず守られている。これが国家です。守ってくれる神がいない国は恐くて恐くてとても住めない。国と神は深いつながりがあります。
 都市国家の神の象徴がジッグラトという高い塔です。神様はなぜか高いところが好きです。日本の神様だって、鯉のぼりののぼり竿は、もともとは神様が降りてくる竿です。神様はそういう高いところに降りてきます。
 ジッグラトとは聖塔と日本語では訳します。その塔の上に神の住まいを作る。神様が住むところが神殿です。だから塔の上には神殿があります。イラクにはこのウルのジックラトが復元されて建っています。今は砂漠ですが、当時は河口が近く水があったようです。
 この神の言葉を聞くことができる人・・・そんなのウソだろうと思わないでください・・・そう信じられてきた、という話をしているんです。
 これが王になる。だから王の原型は、神様の言葉を聞ける神官です。そして神様は王の言葉しか聞かない。だから神の言葉を聞けたら王になれる。そこで最高神官は神の代理人となりやがてとなります。神様の権威によって王様が発生するということです。政治は政りごと(まつりごと)です。神を祭ることだったんです。
 そしてその神様が神殿とその周りを守ってくれる。そう信じた人たちが都市を城壁で囲む。こうやってやっとひと安心するんです。神が守ってくれる上に、城壁までつくった。これで敵が攻めてきても安全です。
 つまり敵が想定されていたのです。そういう敵の中にいる人間だからこそ、人は集まって住まないと不安で不安で仕方がない。敵がいるから城壁をつくる。平和なところでは壁をつくりません。この時、人間の敵になっているのは獣ではなく人間です。人間が人間の敵になっています。壁ができるのは、人間と人間が争うところ、つまり戦争があるところです。今から1万年前に人間は南米の南端に到達し、他に行くところがなくなりました。
 そんな敵がいるところにオレは住まないと言っても、どこかに敵がいるわけですから、ますます自分だけが不利になるだけです。1人の人間はすぐに敵に襲われてしまいます。孤立したら人間終わりです。だからここに集まって住むしかない。

 こういう都市国家が文明をつくります。その一つの重要な条件が文字の発生です。中国はかなり早く文字を発明し、さらにそれを書く紙を発明した。でもここらへんは乾燥地帯だから紙が発明されません。だから文字は粘土に書く。書くというより、粘土板に刻むんですね。ギザギザをつけて。こうやって書かれた文字を楔形文字といいます。楔はくさびと読みます。粘土を板状にして、それに△□みたいな模様を押す。これが文字になる。

 1年は人間が決めたわけじゃない。これは太陽の運行だから。1ヶ月も人間が決めたわけではない。これは月が地球の周りを回る周期だから。
 でも1週間は人間が決めたものです。7日である必要はない。6日でも、10日でも本当はいいんです。

 では誰が決めたか。はっきり歴史に現れてくるのは、ここからです。7日区切りの人間の生活をリズムとして採用する。1週間はここから発生して、それがキリスト教の母体である旧約聖書に取り込まれます。
 日本には1週間の制度は江戸時代にはありません。だから日曜休みもありません。日曜日は明治になってからです。代わりに多くの祭日がありました。日本に1週間ができたのは、明治政府がヨーロッパの制度の多くを真似していったからです。ヨーロッパが1週間は7日としていたから、明治の日本がそれを真似したのです。
 ヨーロッパはキリスト教です。ヨーロッパの核には宗教があります。それがキリスト教です。キリスト教の聖典である旧約聖書に1週間7日の観念が取り込まれるのは、ここにルーツがあります。



【アッカド王国】
 こういうシュメール人の国家は、500~600年で別の民族に滅ぼされます。日本のように四方を海で囲まれた国と違って、陸づたいに山からAという民族、川の向こうからBという民族、海からはCという民族がやってくる。言葉も違うアッカド人という人々が侵入する。

 シュメール人はどういう人だったか全くわからない謎の民族ですが、アッカド人はセム系だといわれます。セム系・ハム系は世界史でよく出てくる。セム系は大まかにいうとアラビア人です。ハム系がエジプト人です。
 シュメールの国家は紀元前3000年頃ですが、このアッカド王国の征服は紀元前2400年頃です。このアッカド人の王サルゴン1世によってメソポタミアは始めて統一されます。

 では征服されたシュメール人はその後どうなったか。彼らは紀元前2100年頃に一時的に国家を再興し、ウルにウル第三王朝を建てます。創始者はウル=ナンムです。彼は最古の法典であるウル=ナンム法典をつくります。アッカド後のメソポタミアを再統一しますが、次に登場するアムル人によって滅ぼされます。

 その後のシュメール人は、わかりません。全部殺されたのか。多分そうではなくて、被支配階級となってあとは同化していったのでしょう。同化というのは、別の民族と混血しながら民族としては消滅していくことです。しかしそれは予想であって、実際のところはわかりません。

 ただここでは、こういう民族の興亡・混乱を、中国と比較してください。中国のように漢民族によって殷が誕生して、同じ漢民族によって周が生まれ、さらに秦によって統一されるというようには、すんなりいかないということです。国家をつくってもそれは一時的で、次にどんな民族によって滅ぼされるか分からない。油断も隙もないような場所です。
 こういう安定しない国家です。こういう安定しない国家では、国家の滅亡とともに神も殺されていきます。だから神様のありようも違います。



【バビロン第一王朝】

 このシュメール人・アッカド人のあと、3度目にメソポタミアを統一していくのが、セム系民族のアムル人です。
 彼らはバビロン第一王朝をつくります。首都は今のイラクの首都のバグダッド近郊です。バグダッドではないけれども、その近くにあった古代都市バビロンです。シュメール時代のウルから約200キロぐらい上流です。これは神の門という意味です。今は廃墟ですが、そこを首都にして王国を建てた。紀元前1800年頃です。約300年ぐらい続きました。

 建国して100年ぐらい経った紀元前18世紀つまり紀元前1700年代に出てきた王様がハンムラビ王です。

▼古バビロニア

 
 旧約聖書を書いたユダヤ人、ユダヤ人のことはまたあとでいいますが、少数民族ですけど、世界史では非常に重要な民族です。ユダヤ人がわからないとなかなか世界史は分からない。
 ユダヤ人はこの文明を見てびっくりした。庭が空中に浮かんでる、と書いています。バビロンはそんなすごい都であった。よく意味が分からないけれども。
 たぶん高いジッグラトがあって、その上に宮殿を建てている。それを見て、宮殿の庭が空中に浮かんでいるとか、そういう表現をしたんじゃなかろうかということです。これは旧約聖書に記述があります。ユダヤ人と旧約聖書の関係? それは追い追い言っていきます。

 このハンムラビ王は法律を作った。世界初じゃないけれども、非常に早い法律です。これをハンムラビ法典と言います。
 この法律の原則は何か。相手から被害を受けたら、その加害者にも同じ被害を与えてよい。目を潰されたら相手の目を潰してよい。歯を折られたら相手の歯を折ってよい。これをもっと縮めて「目には目を、歯に歯を」という。今こんなことしたら、両方とも傷害罪で刑務所行きです。
 しかし法律の原則はここに記されています。まずはこうなんです。殺されたら殺してよい。憎しみのあまり倍返しなんかしない。これでおあいこです。おあいこのことを難しく言うと、同害復讐と言います。倍返しはダメです。
 この時代は、お巡りさんがいない、裁判所がない。それでどうやって決まりを作るかが問題になる。そのルールが同害復讐です。

 黙っていると悪ははびこるんです。それをどうやって防ぐか、というのが人間の知恵なんです。目をつぶされたら相手の目をつぶしていい。これが正しいと決まったら、次はどうなるか。目をつぶさなくなる。こうやって正義を保つ。

※ 都市が自立性を持ち民族の交流が盛んなメソポタミアでは古くから交易が発達し、都市の神殿が利子を取って『お金』の貸し付けを行っていた。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ ハンムラビ法典の第89条は、銀を貸したときの最大利息を2割と規定している。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ ハンムラビ法典では、大麦を貸したときの利子は年33%とされ、奴隷の価値も銀の重量単位のシュケルで表示された。(宮崎正勝 お金の世界史)

 このハムラビ法典が書かれた石碑はバビロンに建っていましたが、1902年にフランス人がこれを発見したときにはバビロンから約400キロも離れたスサという場所で・・・のちのアケメネス朝ペルシャの首都ですが・・・ここで発見されました。これはバビロン第一王朝が滅んだとき、滅ぼしたのがカッシートですが、これはカッシートを滅ぼしたエラム人がハンムラビ法典の石碑を持ち去ったからです。
 このハンムラビ法典の石碑には、法律の条文だけではなく、この決まりをハンムラビ王が国の守護神から受け取る絵が描かれていたのですが、それの神様が気にくわなかったのです。神を殺す必要があった。だからエラム人は石碑もろとも持ち去った。
 これは神を殺すことです。国が滅ぶとき、神もこうやって死ぬのです。逆にいうと民族を殺すには、その神を殺せばいい。
 死んでしまう神は頼りにならない神です。そんな神は当てにならない。もっと強い神が欲しくなる。そういう神がだんだんと誕生していきます。このような戦争絶え間ない地域では、神の姿はだんだんと強大化していきます。
 もともとメソポタミアは多神教です。民族ごとに守護神がいて、王はその神を祭る最高の神官でもありました。しかし民族同士が戦い合い、次第に大きな国家を形成すると、戦いに勝った民族の神が最高神になっていきます。そういう点では一神教的要素があります。しかしこの時には本格的一神教のように他の神を排除
することはありませんでした
 彼らはヒッタイトに滅ぼされます。彼らは白人です。彼らは北からやってきた民族です。これがケンカ強い。をもってるからです。木剣と鉄剣といったら、鉄もってるのが強いですよね。それから馬に戦車をひかせて戦います。ヒッタイトはこの二つを持っている。



【エジプト】
 その隣のアフリカにいきます。その頃のエジプトです。これも紀元前3000年だから、2000年たして今から5000年前に国家が誕生する。
 王が非常に強い権力を持っていて、その権力の象徴として作ったのが、ピラミッドです。
これにはいろんな噂があるけれども、本当のことはわからない。何のためにつくったのか。王の墓と言われてるけれど骨は出てきてない。王の谷とか、死体は別の所からでてきてるんです。墓ではないとすると一体なんなのか。よく分からない。

 これを簡単につくれるのかというと、日本最大の建設会社でもさじ投げるほどです。こんなでかい石をどうやって運ぶのか、どうやって持ち上げたのか。どうやって積み上げたのか。現代の建設会社でも尻込みする。こんなものをよくつくったものだ。誰がつくったのか、何のためにつくったのか。
 もしかしたらこれは庶民を養うための古代の公共事業ではなかったのか、という話もあります。


 しかし一般には王の権力の象徴といわれる。王が非常に強い力を持つ。王は太陽神の化身です。世界にはいろんな言い方があります。神の代理人、これはメソポタミアだった。エジプトは神の化身です。代理人と化身とを比べたらどっちが神に近いと思いますか。化身が神様に近いみたいです。

 これがファラオという王様です。神というのはエジプトにはいっぱいいて、古代エジプトは多神教です。これは日本人には当たり前のことです。日本にも神様はいっぱいいる。観音様もいれば、天神様もいて、八幡様も、お地蔵様もいる。神社の神様だっていっぱいいる。
 しかしこのあと、神様は世の中に一つしかあったらいけないという考え方が出てくる。日本にはそういう考え方はないけど、これが一神教です。
 ヨーロッパは今でも一神教です。これがキリスト教です。その前身がユダヤ教です。そのことは、あとで言っていきます。

 なぜエジプト人はミイラを作ったのか。古代エジプトのミイラです。あの世で復活するために体が必要だったからです。体がなければ復活できません。
 ミイラというのは、死後の世界を想定していないとできない。そのミイラを復活させるために、死後の世界を支配するオシリスという神様もまた別にいます。
 太陽神は王に権力を授ける神様となっていますが、その他にも、いろんな神様がいます。だから多神教なんです。
 このエジプトの復活を願う死生観は、キリスト教の「最後の審判」の考え方に影響を与えました。「最後の審判」で許されたものは復活して生き返るんです。つまり彼らは死後に復活して生き返りたい人々なんです。

 これをインド人と比べたらどうでしょうか。全く逆ですよね。インド人は、永遠に続く輪廻から脱出して、完全にになることを望んだ。そのためにいろいろ修行をするのです。つまらないヤツほど生き返るのです。完全に生きなければ、完全に死ねない。完全に生きて、完全に死のうとした。つまり絶対に生き返らないことを望んだのです。
 こういう死後に対する考え方の違いが、多くの文化の違いを生んでいきます。
 日本人はどうなんでしょうか。仏教の影響を受けて「無」の思想に近づいているようにも見えますが、死んだ人が「草場のかげて泣いている」と言うように、死んでもこの世にとどまりたがっているようにも見えます。これは神道流のような気もします。日本人の宗教観は簡単に見えて、かなり複雑です。
 これを日本人は無宗教だの一言で片付けてしまうと、とんでもない間違いを犯すことになります。

 文字もやっぱりエジプト文字ができます。さっきのメソポタミアの楔形文字とまた違う。象形文字といいます。横文字でいうと、ヒエログリフという文字です。

 文字ぐらい、書けばいいじゃないか、と簡単に思うかもしれませんが、そう言うときには、紙の存在が前提になっている。実はこの紙がないんです、
 メソポタミアでは紙がないから、粘土に書いた。エジプトでも紙がないから、パピルスに書いた。これがペーパーの語源です。パピルスという葦みたいなものの表面の皮をタテヨコ織ったものです。しかし今、我々が何気なく使っている紙に比べると、非常に素材は悪い。だからあまり残ってない。文字は何に書くかれるかというのがもう一つの課題です。
 紙の使用が早いのが中国です。中国の方が進んでいます。他の地域にはありません。パピルスがその紙の代わりだったということです。


【一神教】 紀元前3000年からエジプトの王権が始まって、紀元前14世紀ぐらいになると、アメンホテップ4世という王様がでてきます。この人の名前に注意です。アメンと言う言葉がある。これは神様の名前です。もともとこの王は、アメン神が大好きだと言っていた。しかしアメンを祭る神主さんたちがだんだんと強くなって、王と対立しだした。
 それでこの王は考えた。別の新しい神を作ろうと。そしてこの新しい神しか信仰したらいけない、ということにしよう。こういうことを歴史上最初に考えたのはこの王です。これが一神教の発想です。その神がアトン神です。
 アトン以外に神はない、この神だけ信じろ。それでアメンホテップという自分の名前がいやになった。だから名前を変えます。新しい名前がイクナアトンです。名前にアトンが入っています。アメンからアトンに自分の名前まで変更します。アトンだけ信じろ。それ以外は神様を認めない。これが一神教の発想です。
 しかしこの一神教の政治は成功したのかというと、次の王様、この王は墓から黄金のマスクでてきて、ものすごく有名になったツタンカアメンです。
 黄金のマスクのことを言いたいのではありません。ツタンカアメンという名前に注意して下さい。アメンがあります。元の神様に戻っているわけです。アトンが消えてアメンが復活しています。これで史上初の一神教の試みは失敗したことがわかります。

 しかし、ここで世界最初の一神教的発想が登場したということが大事です。これを見ていたのが、当時エジプトに奴隷として住んでいたユダヤ人です。



【インド=ヨーロッパ語族】 またイラクあたり、メソポタミアに行きます。メソポタミアに新たに侵入しはじめたのが、ヒッタイトです。彼らは白人です。ヨーロッパ人と同じです。この民族を語族でいうと、インド=ヨーロッパ語族といいます。

 インド語とヨーロッパ語というのは全然違うみたいですけど、言葉としては親戚です。インド=ヨーロッパ語の分布帯というのはヨーロッパからインドへと長い帯を引いて続いています。インドに侵入したアーリア人も、インド=ヨーロッパ語族です。インド=ヨーロッパ語族の分布の帯は、こうやって民族が動いた後です。
 彼らはもともとは、インド北西部の中央アジアつまりアジア大陸の真ん中あたりに住んでいたようですけど、何らかの事情で移動し始めて、西に行けばヨーロッパ、東に行けばインド、南に南下すればこのオリエントに移動する。
 いま話しているのはオリエント地域です。オリエントとは、ヨーロッパ人から見て東の方、日が登る場所という意味です。今の中東地域です。



【ヒッタイト】
 そこでこの地域で初めて王国を築いたのが、さっきでできたヒッタイトです。国の名前もヒッタイト王国です。彼らが建国したのは今のトルコです。トルコの場所は、黒海から突き出しているところ、出べそのように天狗の鼻のように出ている。そこに建国した国です。そしてギリシアのすぐ東です。

 別名はアナトリア地方です。これが今のトルコです。彼らヒッタイトはケンカがめっぽう強かった。それは、当時まだ普及していなかったを使って、それで武器をつくれたからです。
 一気に人の三倍ぐらい強くなった。そしてそういう刀を馬に乗りながら振り回す。相手は怖くて怖くて仕方がない。馬にチャリオットというリヤカーを引かして、そのリヤカーの上から刀を振り回す。危ない危ない。
 昔、ヤーヤー我こそは、と言って、古式ゆかしく日本人が戦っていたような戦争から比べれば、荒い、荒い。日本人はちゃんと礼儀正しく、名前を名乗って、親父の名前まで名乗って、それからオレでいいかという了解のもとで、それではやりましょうといって、命を賭けて戦った。
 それと比べたら仁義なき戦いです。戦争方法が大きく変化した。これが紀元前1700年頃のオリエント世界です。
 そのヒッタイトの他にも、ここら辺、地中海沿岸にはいろんな民族が、あっちこっちから押し寄せてきます。この時代には、メソポタミア北部ではミタンニ王国、メソポタミア南部ではカッシート王国という国が誕生します。彼らは民族系統不明です。
 カッシートはバビロン第三王朝としてバビロンを制圧します。このように一つの都市が何度も別の王朝によって支配されます。一つの古代都市遺跡が、一つの王朝だけのものではない、ということはよくあることです。
 そして、ヒッタイトミタンニカッシート、それにエジプトを加えてこの四つが、お互い覇を競い合います。

 

▼前13世紀頃のオリエント


 しかしこれを統一するのは四つの国のいずれでもなく、ミタンニに支配されていたアッシリアです。これはティグリス川上流の国です。これは後で言います。


【フェニキア人】 今のパレスチナ一帯、世界のヘソの今のイスラエルあたり、地域でいえばパレスティナ、国で言えばイスラエル、このあたりには、いろんな民族が押し寄せて来ます。彼らの一つをフェニキア人といいます。

 どうも海で活動している海賊みたいな人々だったらしい。この人たちは、海賊のくせに頭が良かった。そして文字を作った。これがアルファベットです。アルファベットって何ですか。英語の時間に使っているabcdのことです。
 abの代わりに、aはα(アルファ)と書く、Bはβ(ベータ)と書く。つまりαとβから始まる。だからabcdのことをアルファベットといいます。これがヨーロッパ文字の原形になる。
我々がabcdを勉強しなければならないのは、彼らがabcdという文字をつくったからです。



【ヘブライ人】
 それからヘブライ人、彼らは後にユダヤ人と呼ばれるようになりますが、この当時はヘブライ人といわれていた。20世紀でユダヤ人といえば、ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺で有名ですけど、今でも彼らは世界史のヘソです。

 彼らは今は大金持ちです。アメリカのニューヨークのウォール街では10人に2人はユダヤ人だといわれている。お金を持ってる。1兆円、2兆円の金を一日で動かしている。世界経済の中心にいる人たちです。
 でもこの時は非常に貧しくて、生活の糧を求めて一部はエジプトへ移住して、食うや食わずでどうにか生き延びていた。しかし彼らのエジプトでの生活は苦しくて、ほぼ奴隷化していた。
 そうすると、こんな生活はもうイヤだと思う。このあたりは、民族の競合が激しくて、強い民族がやってくると弱い民族は叩かれて、下へ下へと押し込まれていく地域です。
 日本のように島国で、ほとんど民族が入ってこない地域ではそういうことは起こりませんが、彼らは油断も隙もないようなところで奴隷となって生きている。そしてあらゆるところから異民族が押し寄せてくる。だから生きるのにやっとなんです。生きるためならどんなことでもしていこうとする。
 ユダヤ人は、百年ぐらいエジプトで暮らしたけれども、全く生活が良くならない。こんなエジプト抜け出そうぜ、そういうリーダーに引っ張られて集団でエジプトを逃亡する。
 こういう大脱走が、紀元前1250年頃起こった。なぜそれがわかるか。旧約聖書に書いてあるからです。オレたちの祖先はこんなことをして生き延びたんだと言うことを書いています。この事件を「出エジプト」といいます。これは事実だとされています。
 ユダヤ人・・・このときにはヘブライ人と言いますが・・・何万人というヘブライ人を率いてエジプトから脱出した。その指導者がモーセです。
 伝説として、目の前の海を渡ろうと、モーセが呪文を唱えて、海よひらけと言うと、海の水が真ん中だけ分かれて、道ができて渡って行った。
 これが何を意味しているかは分からないけど、そういうのが映画になったりして、有名なシーンになっている。そんなもんウソだろうというと、宗教上のことだからなかなか触れられないところがある。


【十戒】 目指すはエジプトからイスラエル地域です。国で言えばイスラエル、地域でいえばパレスティナです。そこを目指した。
 日本から見れば砂漠みたいなところですが、砂漠の住人から見ると、蜜のしたたる地域です。緑があるじゃないか、と感動ものです。砂漠の民から見れば、こんな所に住めたらいいなと思う。
 その途中でモーセは自分たちが信じる神様から、十の戒めつまり「十戒」を授けられた。その1番目に何と書いてあるか。「オレ以外の神を拝むな」です。これが一神教の発生です。
 この話がホントかどうかは知りません。そういうふうにキリスト教世界では信じられています。根拠はユダヤ教の聖典である旧約聖書にそう書いてあるからです。



【ヘブライ王国】
 ちゃんと神を信じれば救われる、という教えなんです。それで、彼らは紀元前1020年にやっと念願の国を作ることができた。これをヘブライ王国といいます。ユダヤ人初の国家です。この首都が・・・首都と言ったらいけないけど・・・中心都市がエルサレムです。

 しかしこの国にも宗教上の対立があって、紀元前922年頃に北と南に分裂する。北は名前を変えてイスラエル王国と名のります。今といっしょの名前ですね。逆にいえば今の国名イスラエルはここからきます。この国はもう一つ別の神を拝もうとした。
 南はユダ王国という。ユダヤ人という名前はここからくるんです。彼らはかたくなに1つの神のみを拝もうとした。

 しかし北のイスラエル王国は短命で紀元前722年に滅ぼされる。メソポタミアから攻めてきた国、アッシリアに滅ぼされます。
 それを見ていたユダ王国の人々は、別の神を拝もうとしたから滅ぼされたんだと思う。自分たちの神への信仰をいっそう強めます。


【バビロン捕囚】 南のユダ王国はこのあと100年ばかり生き残る。しかしやはり滅ぼされます。滅ぼしたのは新バビロニアです。紀元前586年のことです。

 国が滅ぼされるということは、女は犯される、子供も殺される、男はまっ先に殺される。殺すのが一番簡単ですから。そうでなかったら捕らえて捕虜にする。そして連れて帰って奴隷にして働かせる。古代ではよくあることです。
 だからこういう目にあった人は他にもいっぱいいるんです。しかしその多くは消滅しているから歴史に残らない。だからユダヤ人もそういう目にあうんだけれども、彼らは消滅しないどころか、今では世界の中心都市でお金持ちになっている。
 だから特にこれがクローズアップされるのです。彼らが新バビロニアに滅ぼされた後、新バビロニアの首都バビロンに連れて行かれて奴隷にさせられる。これをバビロン捕囚といいます。
 そこで約50年間、奴隷として使われた。この間彼らは何を考えたか。オレたちを奴隷にした神はダメな神だとは考えない。
 この教えは「信ずる者は救われる」です。この言葉、よく聞きませんか。しかし自分たちは救われてないと彼らは思った。
 では救われてないのはなぜか。信じる者は救われるんです。でも救われていない。救われないのは信じてないからなんです。こういう発想をするんです。
 すべては信じる側の責任なんです。それまでの宗教は神の責任を保持しています。民を救えない神は、捨てられるか、殺されていきます。しかし一神教は神としてのすべての責任を、信じる側の責任に転嫁することに成功した宗教です。
 もっと信じろ、救われないのは信仰が足りないんだ、という発想です。信じても信じてももっと信じろと言う。救われないのは信仰が足らないからだ、と彼らは考えたんです。これが定着すれば、強靱な一神教が出来上がります。
 どこまでも信仰していかないと気が済まない。信仰しても信仰しても不安になる。これが一神教です。これがのちのキリスト教の母体になっていきます。なぜそこからキリスト教が生まれるか、それはまたイエスの誕生のところで言います。

 こうやってバビロン捕囚の間も、彼らは神への信仰は失わなかった。他の神を拝んではダメだ、と言った神様を信仰し続けた。この神様、名前はヤハウェという。この神様がのちのキリスト教の神です。


【ユダヤ教】 その後ユダヤ人はどうなったか。彼らを連れ去った新バビロニアを滅ぼす国が出てくるんです。これがあとで出てくるアケメネス朝ペルシアです。

 ユダヤ人はこれが大好きです。なぜか。奴隷身分からも解放してくれたからです。そして故郷へ帰って良いぞ、帰国まで許してくれた。前538年のことです。それで彼らはイスラエルに帰った。ばんざいです。ペルシアさまさまです。
 そういう苦しい奴隷生活をしていた50年間で、じわじわと形を整えてくるのが、彼らユダヤ人の一神教信仰です。これをユダヤ教といいます。ユダヤ人というのはこのユダヤ教を信じている人です。
 バビロン捕囚から帰国した後、エルサレムに神殿を再興し、今までの教えをまとめて本格的なユダヤ教が成立します。その聖典が「旧約聖書」です。その中には彼らがバビロンで見た「バベルの塔」や「空中庭園」の話が形を変えて織り込まれています。


【一神教】 

 この世界に一つしかないはずの神様の本名がヤハウェです。変な読み方です。YHWH、こういう書き方です。母音がないから、これ本当は何と読むかよくわからない。ヤハウェだろうといわれます。ヤハウェでも、エホバでもいいけれども、これは強い一神教です。

 神様、仏様、観音様、幸せにしてくださいなどと拝んだらダメです。三つも神様を拝んだら罰が当たる。神様は一つの神様だけにしろ、観音様なら観音様だけにしろ、というのが一神教です。

 このヤハウェというのは戦争神です。イクサの神様です。だからちょっと怖い。戦争神なんてものがあるのかというと、日本でも戦争神はあるんです。
 武門の神様というのは八幡神です。八幡様という神社があちこちあるでしょう。あれは武門の神様です。戦いの神様つまり戦争神です。
 戦争に勝ちますように。俺たちを守ってください。それが戦争神です。戦え、オレが守ってやるから、死んだらどうするのか、天国に行かせてやる、そんなら戦おうかな、という感じですね。これが戦争神です。
 この旧約聖書を読んでいくと、と言ってもこれはなかなか読めない。一冊400ページで20巻ぐらいある。ちょこっと読み始めたけど、最初の3ページで眠たくなってしまいました。とにかく長い。これが旧約聖書です。のちに出てくる新約聖書は一冊ですが。
 旧約聖書を読んでいくと、度重なる戦争です。いろんな街を破壊していく。その誇らしげな記録です。戦って戦ってパレスチナを自分たちのものにしていった。
 彼らユダヤ人が生きた時代は、民族同士の危機的な戦争があります。戦争に負ければ、いつ自分たちが奴隷身分に落とされるかわからない。社会の前提に奴隷制がある。一神教が生まれる背景にあるのはこういう厳しい社会です。


【救世主】 彼らも生きるのに必死です。そういう苦しい生活の中で、彼らは何を求めるか。スーパースターの登場です。これが救世主です。ヘブライ語でいうとメシアです。ではギリシア人はこれを何と言ったか。キリストと言ったんです。のちのイエスさんがそれです。

 救世主などいるものかと思っても、これは今でも形を変えてけっこう人気です。20世紀のアメリカ映画か生んだ救世主がいる。スーパーマンです。スーパーマンは地球を滅ぼす悪と戦って救ってくれるでしょう。これは救世主の発想です。今でも人気がありますね。これが一神教の発想です。
 日本にはこういう発想はない。でも戦後になってアメリカの影響で、日本でもウルトラマンとかが出てきた。ウルトラマンが、日本を征服するような悪と戦って、悪を追い払ってくれる。あれはスーパーマンの発想です。
 戦後アメリカに占領されて、日本もちょっと似てきました。しかしもともとあるのはアメリカのスーパーマンです。キリスト教世界は今でも救世主が大好きです。アメリカもキリスト教です。


【選民思想】 ただ、ユダヤ教の救世主は全世界を救うんじゃない。ここが今のスーパーマンと違います。ユダヤ教のスーパーマン思想の裏側には選民思想があります。

 救世主が現れた結果、全世界が救われるんだったらまだしも、ユダヤ人だけが救われて、あとの民族は死んでしまうんです。それでいいのか、という話ですけどね。
 ユダヤ人は、昔から人にお金を貸して利息を取ります。金貸しは非常に卑しい仕事とされてきたんです。ユダヤ教も実は利息を禁止しています。しかしそれが他の宗教と違うのは、禁止してるのはこのユダヤ人の仲間内だけです。ユダヤ人以外には貸してよい、と逆に勧めている。
 ただユダヤ人の仲間内では利息を取ったらいけない。ユダヤ人同士は金の貸し借りをしても、利息を取ったりはしない。反対に他のヨーロッパ人からは利息を取ることが許されています。
 ほかの民族はどうなろうとユダヤ民族だけは救われる。救世主が現れてユダヤ人だけを救ってくれる。これが選民思想です。

 旧約聖書にはそういう物語があります。洪水が来てノアという人だけ救われた話です。ノアの方舟です。大雨に襲われ大洪水が起きたとき、船をつくった善良なノアだけが救われて、ノアを信じた鶏さんとか馬さんが救われて、あとの人間はみんな死んでしまった。めでたし、めでたしというお話です。

 脚色して何となくいい話になっているけど、根底に流れている思想は、けっこう怖い。ノアだけが救われ、あとの人はみんな死んでしまいます。だから我々はこのノアの子孫です。でもそれはユダヤ人のことです。私はユダヤ教徒ではないから、少なくともそうではない。
 こういう思想が、全何十巻と延々と書いてあるのが旧約聖書です。これがユダヤ教の教典です。ほとんど戦いと苦難の歴史の連続です。


【裁く神】 前に言ったように、その中の十戒の第一条に「オレ以外の神を拝むな」と書いてある。ほかの神を拝んだらいけない。

 これがあとにキリスト教につながっていくんですが、その発生地点はヨーロッパではありません。ローマでもない。
 一神教は裁く神です。戦いの神です。しかも部分的にしか救ってくれない神なんです。恵み豊かな神ではなく、砂漠の神です。オリエントや砂漠地帯から発生したんです。


【偶像崇拝の禁止】 それだけ神というのは恐ろしいものです。人間の比じゃない。だから神様を人間の形で彫ったらダメです。ここがギリシア人とちがいます。

 ギリシア人は神様はなんでも人間の姿に彫った。キリスト教は、今はマリア様の像とか、キリストさんが磔にされた十字架の像とかを今は拝んでいるけれども、あれはキリスト教の原型ではないです。
 神の像を彫るなんてとんでもない話です。神の像を彫ってはならない。これがもともとの一神教の教えです。神の像を拝むというのは偶像崇拝といって、このあとも非常に嫌われる行為です。「神の像を刻むな」とモーセの十戒に書いてあります。これが偶像崇拝の禁止です。
 日本は仏さんの像を拝むから、なんでだろうと思うかも知れないけども。仏教も最初は仏様の像はありませんでした。でも仏教は像を彫れとも、彫るなとも書いてありません。つまりどっちでも良いわけです。
 これで終わります。ではまた。



「授業でいえない世界史」 10話 古代オリエント アッシリア~ササン朝

2019-02-02 09:08:39 | 旧世界史3 古代オリエント

※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 前回は、ユダヤ教のことを言ってました。ユダヤ人のことを言ってました。ヘブライ人ともいいます。この時代はヘブライ人というんだけれども、今ではユダヤ人といいます。

 ここで起こっていることは、この当時は小さなことですが、しかし2000年後には大きなことになったりするんですよね。歴史というのは、その小さな出来事を起こした民族が、ものすごく現代で影響力を持つ民族になったりすると、もともと小さかったものが、ものすごく大きな事件として取り上げられたりする。

 そのユダヤ教がキリスト教に発展して、今や世界ナンバーワンの人口を誇るのはキリスト教です。
 ただキリスト教は、ヨーロッパの宗教というイメージがあるんだけれども、今舞台になってるのはどこなんですか。ヨーロッパではありません。今の地域でいうと、中東とかアラビアとか、歴史上はオリエント地方といいます。
 これがのちにヨーロッパに伝わっていきます。それは仏教がインドで発生して、他の地域に伝わっていったのと似たようなものです。でもその伝わり方がかなり違います。
 これは砂漠地帯で起こっていることです。これがなぜ取り上げられるかというと、ユダヤ人自身は紀元後2世紀に国を滅ぼされるんです。あとで言いますが、ローマに滅ぼされてバラバラになるんです。そして世界中あちこち散らばる。普通そういう民族は消滅するんだけれども、2000年経っても消滅しないのがユダヤ人なんです。彼らは宗教を捨てず、その宗教によって民族としての自覚を維持し続けます。
 逆に今は社会的に力を持っていて、世界の金融界なんかではものすごい力を持っている人たちです。
 おまけに世界三大宗教の一つであるキリスト教の母体になっている。そういうことで非常に注目されている。世界のヘソ、それがユダヤ人です。国が滅ぼされても民族としての自覚を失わない人たちです。

 例えば、日本が滅んで2000年後に「オレたちは日本人だ」と言って、世界中でネットワークを使って、日本人同士が通信しているようなものです。考えられますか。アメリカとアフリカで、日本人同士が2000年後、俺たち日本人だよね、と言うでしょうか。2000年前に国が滅んでいるのに。
 そういう世界です。ちょっと日本人にはわかりにくいですね。でもこれはよく出てきます。



【アッシリア】
 今まで、古バビロニアの滅亡後、ヒッタイト、ミタンニ、カッシート、エジプトの四国が分立していましたが、このオリエントを初めて統一するのがアッシリアです。これが紀元前7世紀です。
 より小さい地域のメソポタミアを初めて統一したのは紀元前24世紀アッカド王国でした。オリエントとはメソポタミアを含めそれよりももっと大きな地域です。帝国の範囲がグンと大きくなりました。この国がオリエント地方、今の西アジア一帯を初めて統一した。
 ついでに何をしたか。ユダヤ人の片方の国である北のイスラエル王国は、この国に滅ぼされました。
 しかし、このアッシリア自体はすぐに滅びます。それが紀元前612年です。滅んだ後、また四つに分裂します。



【4国分立】 
 1つめはエジプト
 2つめはリディア、これはアナトリア地方にできた国です。アナトリアというのは、今のトルコです。出ベソのようなところ。
 3つめは新バビロニア、これはバグダード付近、バビロンがあったところです。カルディアとも言います。
 4つめはメディアという。イラン高原です。イランは高原地帯です。


▼アッシリアと四王国


 またこの4つに分裂する。ここはアッシリア統一以前の、ヒッタイト、ミタンニ、カッシート、エジプトの四国対立とよく間違うところです。
 四国対立 → アッシリア → 四国分立、となります。
 すでにやった中国史と比べてどうですか。ムチャクチャですね。国のできかたが中国史の比ではない。しかもそのできた国の民族が全部違う。
 島国と大陸では国のできかたが違いますが、その大陸の中でも、大陸の端っことまん中ではまた違います。中国は東の端、ここはまん中です。民族が出会う頻度が違います。しかもここはアフリカの国も絡んできます。
 いろんな民族が出会い、しかも平和に暮らすことがいかに大変なことか。黙っているだけで平和にはなりません。そのことを分からない日本人はよく平和ボケと言われます。どうして戦争するのだろう、何もしなければ平和になるのに、こういう発想が平和ボケです。何もしないで平和が維持できる、というのは日本人の発想です。何もしなければ戦争になるというのが、ヨーロッパ人の発想です。

 この4つの中でよく出てくるのが新バビロニアで、この国は今のイラクです。この国が紀元前586年に、ヘブライ人のユダ王国を滅ぼし、彼らを奴隷としてバビロンに連れて行くバビロン捕囚を行います。これを行ったの王としてヘブライ人の歴史に刻まれたのが、新バビロニアの王ネブカドネザル2世です。
 新バビロニア王国時代の首都バビロンにも巨大なジッグラトがあり、バビロンに連れて行かれてそれを見たヘブライ人によって「バベルの塔」として旧約聖書に書かれています。旧約聖書にはバビロンの「空中庭園」の話もあります。彼らヘブライ人がバビロンから解放されたのは、前538年アケメネス朝ペルシャの王キュロス2世によってです。

 もう一つ注目されるのが、この4つの中でリディアが初めてお金を作ったことです。これは絶大なる影響力を後世に及ぼします。今、お金は世界中にあって、これがない国はない。これを初めてつくったのがリディアです。
 歴史的にはあまり注目されない国ですが、本当はものすごく影響は大きい。これが最初の鋳造貨幣です。これをつくった国がリディアです。紀元前8世紀です。

※ ヘロドトスの歴史はリディア人について「リディアの若い女性はみな売春し、それによって結婚の持参金を手に入れる。彼らはこの金を自分の身柄とともに、自分で適当と思うように後で処分するのだ。リディア人の風俗や習慣は、若い女性のこのような売春を除けば、ギリシャ人のそれと本質的に変わらない。彼らは、金、銀を貨幣に鋳造し、小売りに使用したと歴史に記録されている最初の人々である」と記している。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ メルムナス朝の第2代王アルデュスは、王朝の紋章のライオンの頭などが刻印された均質のコインを発行した。エレクトラム鋳貨である。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ コインについてはアッシリア起源説もある。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ リディアはやがてキュロス王が率いるペルシャ軍に滅ぼされたが、コインは逆にペルシャを征服した。(宮崎正勝 お金の世界史)


 このすぐ西にアテネがあります。アテネが勃興するのはこの貨幣鋳造の直後です。ギリシャが貨幣経済になります。
 東のリディアを真似てお金を取り入れた瞬間に、この小さなアテネの都市国家が一気に繁栄してくる。お金の威力は絶大です。
 爆弾が落ちたとか、暴動が起こったとかいうのは、事件として非常にわかりやすいんですが、お金の影響というのは、人も死なないし、物も壊れないから非常にわかりにくい。
 でもこれが一番ボディブローとして効くんです。「オレ100万もらった」っていわない。「100万なくした」とも言わないでしょう。周りの人間は知らないけど自分にとってものすごく痛いこと、目の前真っ暗になるくらい。
 例えば、朝3万円もらって、その日に3万円なくしたら、目の前真っ暗になりませんか。3万円母ちゃんからもらったものを昼に財布からなくしたら、目の前真っ暗になって泣きたくなる。それくらいの影響がこれにはある。
 これがお金です。これがギリシャに波及する。ギリシャはすぐ隣にある。そういう位置関係です。



【アケメネス朝ペルシャ】
 この4つを再度まとめるのが、今度はイラン地方のメディアから出てきた国、ペルシャです。王家の名前はアケメネス家という。だからアケメネス朝ペルシャといいます。紀元前550年~前330年。今までオリエントで出てきた中で最大の国です。中国を除けば、この地域では最大の領域です。

▼アケメネス朝ペルシャの領域


 西はインダスから、アラル海に接して、カスピ海に接して、黒海に接して、ヨーロッパ側まで行く。アテネの手前まで行く。だからアテネとの戦争して、のちにペルシャ戦争というのも起こる。
 アフリカにも行って、エジプトにも行って、大帝国を築く。アラビア半島が入ってないじゃないか。いいんです、ここは砂漠だから。二千年後に石油がでてくるまでは。でも砂漠といって馬鹿にできないのが、世界No.2の宗教イスラーム教が、この千年後にここから発生します。
 ペルシャという今のイラン人の帝国が出てきた。この国はメディアから独立したものです。そして大帝国を築いていった。ペルシャ人というのは白人です。黒人じゃない。アラブ人でもない。白人の一種です。その王様で有名なのが、ダレイオス1世といいます。この名前はなまって、ダリウス1世ともいいます。


【ゾロアスター教】 このペルシャ人の宗教は、今はイスラム教になっているけれども、伝統的な宗教としてはゾロアスター教です。
 これいつ発生したかよくわからない。この頃だという説と、いやペルシアよりも千年前だという説、つまりよくわからないということです。千年の開きがある。これがイランの宗教です。
 人は死んで終わりではなくて、それから本番が来るという発想です。だから死んだ後に最後の審判があって、天国と地獄に振り分けられます。天国に行く人と、地国に行く人。そんなバカなと言ったらダメですよ。ホントですか、という話はしてない。そういうふうに信じられてきた、という話をしています。そしてその信仰が社会を変えていく、ということを言っているんです。人の信仰の力はバカにできない。
 ペルシア人が良いのは、自分が信じてるからといって、人にそれを押し付けないことです。おまえは別の考え方しているけど、まあいいだろう。

 それで誰を解放したか。バビロンから囚われの身になっていたユダヤ人を解放したんです。異民族に対しては寛容です。だからユダヤ人はペルシア人が好きです。解放してくれたから。紀元前538年にユダヤ人をバビロン捕囚から解放してくれたアケメネスペルシャの王がキュロス2世です。ユダヤ人にとっては救世主が現れたのです。
 でもユダヤ人は一神教徒で選民思想の持ち主です。「自分たちだけが選ばれたんだ」「オレは特別な人間なんだ」という考え方です。



【アレクサンドロス】
 しかしここに西からやってくるのが・・・インドでも出てきたけれど・・・ギリシャ北方から大帝国を築く大王が出てくる。ギリシャはまだやってません。この後やります。
 世界史の難しいところは、地域ごとに縦にやっているから、大人物は横のほうから、まだ授業でやってないところから、スーッと横に領土を広げて、突然やってくるような形になる。
 これはある意味、仕方がない。5つの物語を同時に理解するには、テレビを5台同時につけておかないと説明できない。でもテレビ5台は同時に見れない。
 この国がマケドニアです。これはギリシャの一部です。アテネの北、300キロぐらいのところにあります。ギリシャは狭いところです。そこの若きアレクサンドロス大王、英語読みでアレキサンダー、アラビア語読みでイスカンダルです。有名人は国によって何通りも呼び方がある。
 彼が東方を征服し、まずこのアケメネス朝ペルシャを征服した。それが紀元前330年です。これで誰が見ても大帝国です。しかしもっと東のインドまで行こうとしていた、という話をインドでやりましたね。
 しかしこの帝国は、ワンマン社長アレクサンドロスが・・・これは殺されたという話があってどうもはっきり書いてないけど・・・急死する。病死となっている。その瞬間にこの帝国は瓦解する。
 続きませんね。こういうところが中国と違うところです。


▼アレクサンドロスの東方遠征



【三国分立】
 そしてまたすぐ分裂していきます。
 1つ目が、本家のあったマケドニア
 2つ目が、プトレマイオス朝エジプト。このエジプトに後で出てくる絶世の美女というのが、女王クレオパトラです。
 3つ目が、セレウコス朝シリアです。
 この3つに分裂します。


【ヘレニズム文化】 ペルシャを征服したのが、ギリシャ人のアレクサンドロスだったから、分裂した後もギリシャ風の文化はペルシャに残っていく。これをヘレニズム文化という。ヘレナはギリシャ人の別名です。ヘレニズムとはヘレナ風つまりギリシャ風という意味です。
 文化が自然と融合していったような平和なイメージで語られますけど、実際はそういうものじゃありません。ヘレナであるギリシャ人が、ペルシャ人たちに自分たちの文化を強制的に押しつけていったんです。それが一つの文化名にまでなったということは、その強制が徹底したものだったということです。
 文化が融合するときに一番手っ取り早いのは、血を混じり合わせることです。ギリシャの荒くれ男の兵士たちに、ペルシャの女性をあてがって子供を産ませるんです。20~30年も経てば、その子供たちはギリシャ文化とペルシャ文化を両方受け継いだ人間になる。
 戦争に強姦・略奪はつきものです。そして戦争が終わると、どこの国でも子供がいっぱい生まれます。
 問題は、ペルシャ人女性が不本意にギリシャ人の子供を産んだということです。世界市民主義というコスモポリタニズムの裏には、そういう事実が隠されています。一つの民族文化が、他の民族文化とそう簡単に融合することはありません。

 そうやってペルシャはギリシャ風の文化に染まります。そのギリシャ人は、神様でもなんでも人間の通りにつくっていく。そこにギリシャ風の文化が浸透したイラン地方つまりペルシャで、また別のギリシャ風の国がでてくる。



【パルティア】
 これがパルティアです。紀元前3世紀~紀元後3世紀だから、これはけっこう長い、約600年間。ペルシャ地方、イランの北東部あたりからおこったイラン系遊牧民の国です。
 ではペルシャ語を使ったのかというと、公用語はギリシャ語です。王様が使っている言葉、宮殿で使われている言葉はギリシャ語です。こういうふうにこの国はギリシャ文化の強い影響を受けています。イラン人がギリシャ語を使っている。
 インド北西部には、ギリシャ風のバクトリアという国も出来ます。
 この頃の中国は漢の時代で、このパルティアは王家の名前がアルサケスであったことから、中国史には安息という国名で出てきます。
しかし、俺たちはイラン人だ、ペルシャ人だ、俺たちはもっとペルシャ人の誇りを持っていいんだ、そう思う人たちも多くいて、次にそういう国にとって代わられる。
 


【ササン朝ペルシア】
 これがササン朝ペルシャです。226年建国です。ササン家という王家です。前はアケメネス家という王家だった。今度はササン家という王家です。約400年間、651年まで続きます。これを滅ぼすのは、正統カリフ時代のイスラーム帝国です。
 オレたちはパルティアの後釜じゃない、イラン文化を大事にしたアケメネス朝の跡継ぎなんだ。600年前滅んだ国の跡継ぎなんだ、という民族の気概です。
 オレはペルシャ人だから、ペルシャ語を使うのが当たり前だ。ギリシャ語なんか使わない。オレはペルシャ語をつかう。ペルシャ人がペルシャ語を使うのは当たり前だろう。
 こういう形でペルシャ文化が復興していく。
 そのササン朝ペルシャの領域ですが、カスピ海の南半分、それから黒海まで達して、トルコまではいかない。バビロニアまで。アケメネス朝ペルシャよりもやや小さいけれど、それでも大帝国であることには変わりない。

 ここら辺には、今まで出てきただけでも、いろんな宗教が発生しているんです。ペルシャ人はゾロアスター教だった。
 その後、まだ言ってないけれど、ユダヤ教からキリスト教が生まれているんですね。インドは仏教でしょう。そういうのがすでにこの一帯には広がっています。その中でゾロアスター教だけが俺たちイラン人の宗教だというと、それはそれでいいんだけれども、宗教同士はよくケンカするんです。
 ケンカしないように、みんなとりいれていこう。ゾロアスター教、キリスト教、仏教を全部取り入れて融合させる。そういう宗教がこのササン朝で出てくる。これがマニ教です。これが一世を風靡する。非常に一時流行るんです。
 ただ考え方としてはペルシャ文化はゾロアスター教です。それに対して、このマニ教は何でも屋です。何をしているのかよく分からない、という批判があって対立関係になる。

 ササン朝ペルシャでなぜマニ教のような、ミックス宗教がでてきたかというと、商人の活躍があるんです。この国は中継貿易で儲けている国です。生産ではなくて貿易中心です。
 貿易というのは、近くで販売してもたいして儲からない。日本のものを遠く東南アジアとかアフリカとか、ずっと遠くにもっていくと、10倍にも20倍にもなる。
 ということは、当然考えが宗教の違う人と仲良くしないと商売できない。だからマニ教のようなミックス宗教が好都合です。こういうとマニ教徒は腹を立てるかもしれないけど、そういう誰とでも調和できるような宗教がいい。
 ササン朝は中継貿易が非常に重視されていた通商国家です。パルティアのような遊牧民ではなく農業に基礎を置く国ではあるけれども、純粋な農業国家ではない。通商がかなりの比重を持ちます。
 そういうジャンル分けをすると日本は農業国家です。中国も農業国家です。しかしこのあたりは砂漠で農業はできない。ちょっと考え方が違うんです。
 これで終わります。ではまた。



女が出てこない歴史

2018-04-14 21:50:46 | 旧世界史3 古代オリエント

土曜日

古代中国の神は、家族と結びついているが、
古代オリエントの神は、都市と結びついている。

古代周王朝の封建制は宗族を基本とした封建制である。
中国の夫婦別姓はこの宗族を基本とした強い父系血縁制度から発生している。
そしてそれが政治制度とつながっている。『修身、済家、治国、平天下』というように。

ただこれとは別に、神に近いものとして、『天』がある。
中国の皇帝とは、この『天』から認められて初めて、『白』く輝く『王』となることができる。皇帝の『皇』とは白+王である。皇帝の『帝』とはそのための儀式を行う台座のようなものである。
そしてこの『天』の思想は北方シャーマニズム的である。
父系制の血縁組織も、どちらかというと北方的要素が強いような気がする。

しかし古代オリエントの都市の守護神は、家族とは関係がない。
中国史もなかなか家族の中ことは分からないが、西洋史になるとそれ以上に分からない。
歴史はいまだ家族抜きの歴史である。
歴史に家族が出てこないと言うことは、歴史に女性が出てこないということである。
クレオパトラや楊貴妃など確かに女性は出てくるが、それは例外に過ぎない。
歴史を構成するときに活躍する人物は圧倒時に男が多い。たぶん9割以上は男だろう。

世の中は男と女、五分五分で構成されるが、歴史を作っていくのは圧倒的に男である。
しかしそういう男たちも家に帰れば必ず、女房・子供がいたはずである。
男たちは何のために働き、何のために歴史を作っていったのか。

女が出てこない歴史では、いくら詳しく見てもそのことが分からない。
歴史の半分は女たちのものである。

一面では、女たちは歴史の形成を男たちにゆだねた見ることもできる。
女が家に入ったのは、強制的にそうさせられたのではなく、自ら進んでそうしたと見ることもできる。
そうした方が効率的だという女自身の判断が働かなければ、歴史がこうも男中心に動くはずがない。

女性の社会進出が進むことが、良いことか悪いことかは知らないが、
このことは文明社会、数千年の歴史の中で初めて起こっていることだろう。
このことの意味することは何なのだろうか。
夫婦別姓にしろ、少子化にしろ、行き着くところまで行かなければ、このことの意味は分からないのかも知れない。


一神教

2009-07-15 21:43:11 | 旧世界史3 古代オリエント

欠点のない人間はいない。
人間は向上することはできるが、どんなに向上しても完全な人間になることはない。
ということは、どんなに良いことを考えても、それが完全に良いことだとは言えない。
だから自分の考えを無理に人に押しつけることは良くないことだ。
人にはそれぞれの考え方がある。
我々は通常そのように考える。

しかし人間は追いつめられると、一つの考えに固執するようになる。
人を殺すことはいけないことだが、人を殺さざるをえなくなった人間は、それを正当化していく。

それは自分を正当化してくれる神を発明するということである。
一神教とはそういうものである。

神から与えられた使命があって、
その使命の遂行のためには、神を信じない人間を殺していくことが正当化される。

神を信じる人間を殺すことは許されないが、神を信じない人間は殺されて当然だということになる。
なぜなら、神を信じない人間はそのことによって神の与えた秩序を乱しているからである。

そして人を殺していくことを許可された代償として、彼らは神からさまざまな条件を突きつけられる。
それが神との約束、つまり契約である。

旧約聖書は神と人間との契約の歴史である。

神がどういう姿形をしているかはわからないが、人間は神の似姿として神によってつくられた。
そのこと自体が矛盾を含んでいるが、神の似姿としてつくられた人間は、神の完璧さを身につけるように求められた存在である。

世界は神のルールによって動かされており、人間はその神のルールを知ることによって神に近づくことができる。
それは自分に対するルールであるとともに、社会全体のルールでもある。

ユダヤ教においては、内的個人ルールは外的行動ルールと一致していた。
イスラム教もそうである。
キリスト教も宗教改革まではそうであった。
それは道徳ルールであるとともに政治ルールでもあった。

彼らは自分の神を人に押しつけるが、他人の神を信じようとはしない。

戦いの中に身を置く人間は一神教的になりやすい。
一つの考え方に凝り固まることによって、他者を傷つけることを正当化していく。
その時、その代償として神から与えられた条件や約束が発生しないとき、社会は暴力的になる。

競争社会には強い倫理が求められる。

国は宗教と結びついて発展する

2009-05-11 21:39:19 | 旧世界史3 古代オリエント

古来より国家は宗教と結びついて発展する。

古代中国、メソポタミア、エジプトでは、王権は宗教と結びつき、神権政治が行われた。

インドでも王権は新興の仏教と結びつくことによって領域を拡大していった。

ペルシアではゾロアスター教と結びついた。

中世にはいるとインド以西のアジア大陸では、一神教によって支配されるようになる。
キリスト教とイスラム教である。

今でもイスラム圏は宗教と国家が密接に結びついている地域である。
そこでは宗教指導者(カリフ)自らが支配領域を広め国家を形作っていった。

中世ヨーロッパも国とキリスト教は分かちがたく結びついていた。
フランスとドイツはローマ教会を味方につけようとして長いことイタリアの支配権を巡って争った。
中世世界ではローマ教会と結びついて王権を神聖化することは王権の権威を高めるために必要不可欠であった。

例外はギリシアとローマである。
ギリシアは都市国家の段階で発展を止め領域国家を形成しなかったが、
ローマ帝国は地中海を取り込むような大領域国家を形成したあとも、特定の宗教と皇帝権が結びつくことはなかった。
ところが帝国が行き詰まりを見せた4世紀になると、その方針を大転換してローマ帝国はキリスト教との結びつきをはかり、ついには国教化していく。

またロシアはギリシア正教会を取り込むことによって発展していく。
キリスト教世界にはローマ教会とコンスタンティノープルにあるギリシア正教会があって、15世紀のビザンツ帝国(東ローマ帝国)滅亡後、ロシアはそのギリシア正教会を受け継いだのである。

フランス革命後のナポレオンもローマ教会から戴冠されること(王冠をかぶせて貰うこと)よって皇帝となっている。
ナポレオン帝国はすぐに崩壊してしまうが、ナポレオンが皇帝即位に際してローマ教会と結びつこうとしたことは、王権とローマ教会との結びつきがいかに深かったかを物語っている。

日本の場合でも天皇の権限が確立されるのは、7世紀に天孫降臨の神話が成立してからであるし、8世紀になると天皇自らが鎮護国家の思想をもとに仏教の保護に努めている。



宗教の何が国家に力を与え、国を発展させていくのかまだよく分かってない。
このとき国民の何が変わるのだろうか。
単純にそれを文明化という言葉で片づけてはならないだろう。

神が人を変えていく。宗教にはそういう力がある。
それはたぶん国家が救世主となるということだろう。
王そのものが救世主だとするならば、
その救世主が宗教的体系を持って国民に臨むことは、王権の正当性を証明する。



また近代になると国家から宗教色が消えるのは、宗教と国家がもともと異質のものであるからではなく、キリスト教の抱えるヨーロッパ固有の問題である。

宗教と国家を切り離した場合、国家は何によってその正当性を維持できるのかという問題は未だ解決されていない。

宗教と国家が切り離されたあとの20世紀は、人類が最も悲惨な戦争を繰り返した世紀である。
そのことは何を意味しているのだろうか。

『王』は宗教的建造物を造ることによって発生する

2009-03-20 13:51:04 | 旧世界史3 古代オリエント

『王』は宗教的建造物を造ることによって発生する。
それ以前の部族の『首長』にも、『シャーマン』にも、『将軍』にもそのような力はない。

『王』のもつ動員力が何に由来しているか。

『首長』と『シャーマン』のもつ聖と俗の力を統合しえたものが、王としての力を発揮する。
そのためには女性のもつ宗教権を手に入れることが必要である。
処女なる巫女的女性(例えばアンドロメダやクシナダ姫)との聖婚というかたちでそれは実現する。

さらに怪物退治という奇跡を必要とする。
これは『将軍』の力との融合である。
これは日本のスサノオ神話にはっきりと現れており、スサノオが八俣の大蛇を退治することによって、草薙の剣を手に入れることはその象徴である。

スサノオは八俣の大蛇を退治することにより、草薙の剣とクシナダ姫の両方を手に入れる。
それはスサノオが軍事権と宗教権の両方を手に入れたということである。

これがどのような歴史的事実に基づいているかは分からないが、
神話の意味するところはそのような社会の分割的機能の統合である。

人間の歴史的事実は、神々の世界の出来事として語られるのが、古代社会の常である。

王は神々の世界につながる人物として登場する。

王は、神そのものであったり(日本の天皇)、神の子であったり(エジプトのファラオ)、神を祭る人であったり(オリエントの王)するが、そこに共通するのは、何らかのかたちで神的な性格を帯びているということである。



(この点、ギリシャ世界だけが例外で、ギリシャの王はどこまでも人間的に描かれる。
他の地域の王が神に近づくものとして描かれているのに対して、ギリシャの王は人間に近いものとして描かれる。
古代ギリシャは王権の樹立に失敗した地域である。
ギリシャ世界に強大な王権が発生せず、民主政治という特異な政治形態が発生するのは、ギリシャも最初は王政であったが、王が神的性格を身につけることに失敗したからである。
英雄は神ではない。その英雄に活躍の場を与えることになったのは、王が神としての性格づけに失敗し、人々の信仰を勝ち取ることができなかったからである。)



王のもつこの神的性格が、王をして宗教的な巨大建造物構築へと向かわせる原動力である。

王のもつ神的性格の違いによって、構築される巨大建造物の性格にも違いが出てくるが、
そこに共通しているのは、王のもつ神的性格によって宗教的な巨大建造物が構築され、
それによってそれまであいまいであった国家の姿が明確に浮かび上がってくるということである。

(ギリシャ社会はその点、最後まで都市国家の状態にとどまっており、統一国家の形成には至らない。
ペルシャ戦争後のアテネの繁栄はパルテノン神殿という巨大建造物を構築し、アテネは一時デロス同盟の盟主としてアテネ帝国への道を進もうとするが、ペロポンネソス戦争によって宿敵スパルタに阻まれ、その道を閉ざされる。
その原因は、神が王になろうとしたのではなく、人間が王になろうとしたからであろう。)

ピラミッドそのものが政治である

2009-03-20 11:01:44 | 旧世界史3 古代オリエント

古代の王権を考えるとき、王が政治を行うことの付随物として、ピラミッドや巨大古墳の造営があると考えがちだが、
実はピラミッドや巨大古墳の造営こそが最も重要なことであり、今でいう政治はその付属物に過ぎなかったのではないか。

民族のもつ信仰を一点に集中させることができたとき、国家が誕生する。
そのための行為が巨大建造物の造営である。
多くの文明がなぜ巨大建造物を残しているかという理由もここにある。

その造営をリードすることが出来たものが王である。

国家と王権は、巨大建造物を仲立ちとして結びつく。

ピラミッドは王の墓であるとか神殿であるとか、今でも謎が多いが、
日本の巨大古墳は王の即位儀礼の場であることがほぼ分かっている。

いわば一石二鳥である。

日本人の信仰を一点に集め(古墳の造営)、しかもそこでみずからが王として即位するという、一石二鳥を日本の巨大古墳は実現している。

そのためには、天皇がアマテラスを始祖とする神の子孫であるという信仰が必要とされた。
古事記・日本書紀の編纂はそういう信仰を書物として事実化するために行われたものである。
(そのことによって古事記・日本書紀が捏造であるなどと言いたいわけではない)
国家形成のためにはそういう作業が必要であったのである。

そういう意味では古事記・日本書紀の編纂ですら巨大古墳の造営を正当化するためのものであった。

そしてその編纂が成功し、多くの人にその信仰が事実として受け入れられたとき、もはや巨大古墳の造営は不要となっていったのである。

『祭りと戦争が、よく似た行為であることは、まえから気づかれていました』
(カイエソバージュⅡ 熊から王へ 中沢新一 P180)

巨大建造物の造営は行われなくなっても、そのことがもっていた民衆への動員力はそのまま残される。
それが多くの人々を一カ所に集める盛大な祭りとなり、
同じ原理で多くの人々を動員する盛大な儀式となる。
その延長線上に、国家が民衆をかり出す軍事行動となる。

宗教と国家の結びつき

2009-01-17 21:59:36 | 旧世界史3 古代オリエント

宗教と国家の結びつきとして、
ヨーロッパの王権はではキリスト教と結びついたし、
古代インドの王権は仏教と結びついた。
また中国の王権は儒教と結びついた。
日本の王権はインド仏教と結びついた。
日本の王権の勢力拡大も、仏教と王権の結びつきと歩調を合わせている。

ただイスラム教はちょっと違って、王権と宗教が結びついたというよりも、
イスラム教の指導者そのものが国家の指導者になった。
これはイスラム教が一神教だからである。

一神教は人間の宗教面だけではなく、生活面までも、ただ一つの神の教えのもとに縛ろうとする。
キリスト教も一神教だが、それは不徹底な一神教であって、その証拠には、キリスト教徒は外見を見ただけではキリスト教徒がどうかは分からない。
それに対してイスラム教徒はその外見を見ただけでイスラム教徒と分かる格好をしている。つまり神の教えが、信仰面だけではなく、人間の生活面まで縛るのである。

思考の全能2 ナルシシズム 一神教

2008-12-25 23:27:50 | 旧世界史3 古代オリエント

フロイトは次のように言っている。

『われわれの子どもたち、成人のなかの神経症者たち、そしてまた未開民族においては、
われわれは、「思考の全能」への信仰とも言うべき心的現象を見いだすのだが、
われわれの判断によれば、
これは、われわれの心的行為、ここでは知的行為と言うべきものが外的世界を変えることができるとする、
思考の持つ影響力の過大評価に他ならない。』

(モーセと一神教 ジークムント・フロイト ちくま学芸文庫 P190)

思考の全能感を絶えず持ち続け、それを民族の特性にまで高めたのがユダヤ民族である。
そのためにユダヤ民族は何を発明したか。
それがユダヤ教という一神教である。

ユダヤ教はキリスト教の母胎でもある。

ヨーロッパ人の個性に対するこだわりはこのようなところから発生する。
彼らがそれでいて神経症に陥らない理由も、またここにある。

自分の願いが必ず神に届くと考える人間は、壮大な世界体系を持った一神教を考え出さずにはいられなかった。
旧約聖書『創世記』にある天地創造は日本人には及びもつかないような壮大なる世界観である。

このような世界観のなかでのみ、『思考の全能』は維持され、社会のなかで受け入れられるのだ。
そのための努力には涙ぐましいものがある。

そのような文化的体系を持たない日本人に、思考の全能が入り込むと、精神的な病理が発生する。

子どもばかりでなく大人にもこの病理は入り込んでいるが、もっとも被害が大きいのは何ら免疫を持たない今の子どもたちである。

思考の全能1 完璧主義 一神教

2008-11-22 21:36:45 | 旧世界史3 古代オリエント

フロイトのいう『思考の全能』は完璧主義につながる。
それは通常、幼児期の特性であり、年を重ねるに従って、そのような幼児的全能感は薄れていく。
しかし中にはその幼児的全能感から離れられず、どこまでも完璧な人間になろうとする努力をし続ける人間がいる。
彼らの多くは神経症に陥るが、
自分が完璧な人間になろうとする人間は、いくらもがいても自分が完璧な人間になれないことを悟るしかない。

だから彼らは自分以外に完璧なものを造ろうとする。
それが全知全能なる唯一神である。

このような人間の持つ一神教への志向に、奴隷的な抑圧が社会的な状況として加われば、それが触媒となって一神教は急速に成長する。

それらは民族の神話体型を変え、世界を体系化し、やがて自らを救済するであろう絶対的な神の像を育て上げる。

イスラエル民族が行ったことはそのような絶対神の創造である。

神話のカオス

2008-11-21 22:45:55 | 旧世界史3 古代オリエント

神話の世界では最初にカオス(混沌)がある。
そこではすべてのものがつながっている。
自分と他のものはすべて同一である。
自分は母の子宮とつながっており、
人間と動物もつながっていた。
神はこのような混沌の中から生まれた。

神は人間を飲み込んでしまうような何かであった。

ところがキリスト教では神と人間との間に越えがたい一線を引く。
これはユダヤ教に始まるものだが、
神と人間がつながっていたカオスの状態から、神と人間が明確に分離されていくのである。
このようなことはユダヤ人という唯一例外的な民族の間に起こったことであり、
しかもこれがとてつもない破壊力を持って人間社会に広まっていった。

これが一神教の誕生である。
一神教はカオスを分析によって破壊していく。
このことによって人間の心理的不安は極限にまで高まった。




このカオスの世界では、一切のものが許されている。
善も悪もなく、すべてのものが無秩序の状態で放り出されている。
そこに陥ることは人間社会の崩壊を意味する。

そこに秩序をもたらすものが神なのであったが、その神は超越的なものではなく、いつでも人間世界と行ったり来たりできる相互交流的なものであった。
そういう神とのつながりが人間の心に安定を与えていた。

しかし一神教はすさまじいばかりの秩序を造る代わりに、人間と神との相互交流を破壊してしまった。




戦後の日本はカオスへと向かおうとする強烈なエネルギーを秘めていた。
戦後の日本に思想らしき思想が現れなかったのはその証拠である。
ところが1980年代からの新自由主義は、このようなカオスに向かいつつある日本の中に強烈な一神教的要素を持ち込もうとするものであった。

それから約20年たって、日本人は新自由主義の持つ一神教的要素への不安におののいている。
かといってそれに変わるべき思想を育て上げることに失敗した日本では、カオスへの志向をますます強めているように思える。

政府は新自由主義の失敗に気づきつつあるが、それに代わるべきものを持たないまま、政治的迷走を続けているし、
民主党も政府批判を繰り返すばかりで、何ら新自由主義に代わる新しい政策を国民に示そうとしているようには見えない。

一国の首相がマンガを愛読していることを示すことによって、国民の支持を得ようとしていることは、この国の政治レベルの低さを表すとともに、
国民自身がカオスに身をゆだねることを好んでいることの証拠のようでもある。

戦争をして国ができる(残念ながら)

2008-09-23 16:43:08 | 旧世界史3 古代オリエント

4世紀から、ゲルマン民族が大移動を始める。
彼らは当然ながら先に住んでいたガリア人やローマ人と戦いながら、移動していく。
そうすると今まで部族としてしかまとまっていなかったゲルマン人たちは、急に国家をつくり始め、西ヨーロッパには多くのゲルマン人国家が誕生する。

戦いながら国家ができる。
というよりも、戦うことによって国家ができる。
残念ながら、国家誕生の秘密は戦争のなかにあるようだ。

よく知られていることに、内政が混乱したときに時の統治者が対外戦争によって国民の目をそらすということがよくある。
そうやって戦争を始めると、壊れそうな国家でもその体制を立て直すことがある。
これなどは国家が戦争によって生まれたことの名残ではなかろうか。

古代ギリシアもローマも戦いのなかから国家が誕生してきたようだ。
古代ギリシアもローマも典型的な奴隷社会であることは、そのことをよく物語っている。奴隷の祖形は戦争捕虜にある。

歴史上、国家のはじまりは、先祖代々その土地に住み着いている人々が徐々に発展して国家をつくるよりも、
別の民族が他所から移動してきて、先住民族を支配下におきながら国家を形成することが多い。

このときに部族の長たる酋長が背後に退き、軍隊を率いる司令官が王となる政治的変化が部族内に起こるようだ。
これと同時に部族の崇める神も交代し、平和の神から、軍事をつかさどる軍神への変化が同時に行われるようである。
司令官はその軍神の化身としての力を身に付け、それを認められなければ王として振る舞うことはできない。
順番は国家の誕生よりも、この変化のほうが早いだろう。

戦争 → 将軍の登場 → 神の変化 → 王の誕生 → 国家の誕生
このようなモデルが考えられそうだ。

ゲルマン社会では大移動前の2~3世紀に、マルコマンニ戦争が起こり、そこで部族の崇める神が、平和の神ティワズから戦争の神オーデンに変わっている。

ついでに言っておくと、キリスト教の神であるヤーヴェも戦争神である。そのことは宗教社会学者のマックス・ウェーバーがすでに100年も前に見抜いている。

思考の全能0 自然支配への全能感

2008-07-06 18:29:52 | 旧世界史3 古代オリエント

一神教的傾向というのは、一言でいえばそれの持つ全能感のことである。
一神教の神は全知全能の神だとされる。

近代科学というのはキリスト教から発生したものだが、キリスト教徒たちがなぜ自然をすべて支配できるかと考えたかといえば、自分たちが全知全能の神からすでに救済されていると考えたからである。
イエスの十字架の磔は、贖罪の証だとされる。
そしてイエスは人間ではなく、神だとされる。
神とは全知全能の神である。

だとすれば、全知全能の神から贖罪(罪を贖われた)されたのであるから、贖われた民は全能感を持つことが許される。

このような経過をたどって、キリスト教徒は全能感を持つにいたった。
だから自然を人間が支配できると考えたのである。

一神教と多神教

2008-07-04 18:48:54 | 旧世界史3 古代オリエント

純粋な一神教が存在しないように、純粋な多神教も存在しない。
一神教と多神教とを分けるものは、他の宗教を認めるか認めないかということである。
一神教のはじまりはモーセの十戒(紀元前13世紀)にあるとされる。そこでは明確に『他の神を拝んではならない』と記されている。
そのことが一神教の発生である。

しかしその後ヤーヴェを信じるユダヤ人が他の神を崇拝しなかったかというとそうではなく、そこでは多くの他神への崇拝が行われた。
一神教社会のなかでも他の神への崇拝が行われることは十分考えられることである。

ではなぜ『他の神を拝んではならない』とする唯一神への強制が生まれたのか。
それを知るためにはユダヤ民族の苦難の歴史を見なければならない。

苦しみに耐え抜いた民族は団結を求める。その団結のためには、強力な神が必要となる。
ユダヤ民族は自分たちを救ってくれる強力な神を求めた。
これが『救世主』の思想である。

このような救世主の思想が登場するということは逆にいえば、人々が救ってもらわねばならないほど不幸であったということである。

『多神教は上層階級がつくった宗教で、一神教は差別されている下層階級がつくった宗教である』といえる。
(一神教VS多神教 岸田秀著 新書館 P201)

そのような差別されている下層階級が不幸のどん底にあるとき、次に起こるのは戦いである。そこで必要なのは救世主の思想である。
『一神教はまさに戦争の宗教』である。
(前掲書 P201)

『一神教が奴隷の宗教だということと戦争の宗教だということは同じこと』である。
(前掲書 P170)

人は不幸の度合いに応じて救世主を待ち望むようになる。
いわば、苦しいときの神頼みである。
だからそれは必ずしも一神教世界だけの出来事とは限らない。
多神教の世界であっても起こりうることである。

しかし一神教の救世主は、宗教的な信仰だけではなく、すべての世俗的な行動においても神の命令に従うことを要求するようになる。いわば一つの目的のもと、すべての人々をそれに向かわせていくのである。
すべての人が一つのものを向いている世界が一神教の世界である。

のちのイスラム教(7世紀成立)において、カリフが宗教的指導者だけではなく政治的指導者になる下地はこの段階で現れている。

しかしモーセは政治的指導者になることはなかった。彼は国を形成しなかったのである。
ユダヤ人がヘブライ王国を形成するのは、モーセから約200年あとのことである。

しかしこのヘブライ王国では先ほどいったように、ヤーヴェ神だけへの信仰を貫くことができず、バール神などの他の神を崇拝するようになっている。

本当の意味で民族的団結を必要とし、一神教を貫徹したのは、砂漠の民アラブ人である。このアラブ人によりユダヤ教はイスラム教に変貌を遂げた。
いわばユダヤ教は砂漠の民と出会うことによって、本当の意味での一神教に変貌を遂げたのである。

この一神教国家の誕生はジハード(聖戦)と表裏一体の関係にある。
一神教国家の誕生は最初から戦争と隣り合わせであったのである。