アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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続・JCO事故と六ヶ所村の悲劇から何を学ぶか

2011年06月30日 22時39分05秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな


 先にJCO事故の事を記事で取り上げましたが、この時に被曝したのは何も会社の作業員だけではありません。周辺住民も被曝していました。
 東海村在住で、当時JCOの事故現場から約120mの距離にある自動車部品工場で働いていた大泉昭一さんも、その一人です。彼は、当日10時半過ぎに起こった臨界事故の事も知らされないまま、午後3時過ぎに事故の第一報が飛び込んでくるまで、工場で働いていました。
 事故のあらましも、自分の方から村役場に問い合わせて、初めて知りました。その後も、当日の夜に簡単な被曝線量検査を受けただけで、「問題なし」として放置されました。

 しかし、事故の翌月ぐらいから、「週刊フライデー」4月15日号に掲載の上記写真のように、身体の皮膚のあちこちがかぶれ出し、背中までボロボロのようになっていったのです。医師から処方された10種類の薬も全然効かない中で、かゆみと痛みで夜も寝されない日々が続きました。
 大泉昭一さん夫妻は、2002年9月に、JCOとその親会社の住友金属を相手取り、約5760万円の損害賠償請求訴訟を起こします。しかし、その裁判も、2010年5月に最高裁によって、「被曝と体調変化の因果関係は認められない」と不問にされてしまいます。そして失意のうちに、東日本大震災が起こる僅か1ヶ月前の2月7日に、享年82歳でお亡くなりになりました。

 この事からも明らかなように、上記写真に見られるような明白な被曝がありながら、行政はまともに被曝線量検査も実施せず、線量データも開示しないまま、証拠不十分という口実で、事実を闇に葬ってきました。
 行政の姿勢は、この様に今も昔も全然変わりません。かつて、広島・長崎の原爆被爆者に対しても、熱線・爆風の直撃を免れた人や、被爆後に肉親の安否を尋ねて広島・長崎入りした入市被曝者については、その被害を認めず、補償にもなかなか応じてきませんでした。今回の福島原発事故に際してもそうでしょう。表向きは盛んに「震災復興で力をあわせよう」と言っておきながら、いざ実際に被曝認定や補償の話になった途端に、「人命よりも原発のほうが大事だ」と言わんばかりの態度に終始しています。

 よく原発擁護の御用学者たちが、「今でも日本人の3分の1や半数がガンで亡くなっている」「仮にこのまま原発を存続しても、ガン発生率が今よりも0.0・・%ほど高くなるだけだ」という類の発言をよくします。この発言についても、なるほど言葉だけで捉えれば一見何気ない発言の様に見えますが、実はこれこそが、数字のトリックを悪用した「被曝者見殺し」以外の何物でもありません。幾ら大泉昭一さんのような例が露呈しようとも、「0.01%だか0.0・・%だか」の中に埋もれさせてしまえば、幾らでも事実を「無かった事」にしてしまえるのですから。
 絶対にそのような事を許してはいけない。その為にも最低限、「かつてJCOで何が起こったのか」「今も福島で何が起こっているのか」を、各人はっきりと目に焼き付けておいて下さい。健忘症にだけは、くれぐれもなってはいけません。
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