私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史資料館で 龍野城物語と 鶏籠山

2011-10-26 15:14:47 | 日記
 10月26日(水)   天気:晴れて涼しい   室温:20.9℃   地図:龍野

 きょうも いい天気です。 きのうの新聞に 「龍野城物語」が 載っていて 龍野歴史文化資料館で
歴代の龍野城主にまつわる各種資料をたどりつつ 「龍野城下町絵図」 「侍屋敷図」などを 紹介とあ
ります。 特別 お城に興味があるわけでは ないのですが 暇なので さっそく 行ってきました。 65
歳以上200円と あるので 念のため 姫路市の優待カードを 持って行ったのですが 不可!
 姫路では 「姫路城物語」 というのが あるようですが こちらは あまり面白くなさそう・・・。
 ついでに 龍野城、鶏籠山、聚園亭、龍野神社を巡ってきました。 鶏籠山の頂上・龍野古城本丸跡で
「はりま歴史の山ハイキング」 の著者・横山晴朗さんに お会いしました。 三人の女性をお伴に 足取り
も軽く まだまだ お元気です。 私より 9歳上の筈・・・。 私は その歳まで 生きていられるかなァ・・・。

下の図で ③が 歴史資料館、④が 龍野城、一番上が 鶏籠山218m、⑧が 聚遠亭、⑨が 龍野神社です。

 9:38 出発。 JRの陸橋を越え 太子町を抜け 国道179号線で たつの市に入り 北へ走り 龍野橋を
渡り 直進して 街中の細い道を進み 10:02 龍野歴史文化資料館に到着。 家から 9.8km。 資
料館の駐車場は 無料です。 資料館は 扉はありませんが 三つの部屋があり 歴代城主に関するものが
展示してありますが 書物関係が多く 字の読めない私には あまり面白くありません。 城下町絵図、地図
も いろいろと 紹介されていました。

 龍野城物語は 16世紀初めに 赤松村秀によって築かれ 四代続いた赤松氏、その後 四人の豊臣
大名(蜂須賀、福島、木下、小出)、関ヶ原の合戦以降は 池田輝政に始まり 寛文12年(1672)
入封した脇坂氏の 安政まで 六家の大名を取り上げ 目まぐるしく変わった支配者の変遷を たどります。
 龍野城は 秀吉の播州征伐で 天正五年(1577) 赤松広秀のとき 開城。 鶏籠山にあった山城を
麓に移築したのは 1598年頃 とされています。 赤松広秀は 後に 和田山の竹田城の城主になった?
≪追記≫
 10月14日の夕刊に「歴ナビ 旅する日本史 ゆかりを訪ねて」という記事が載っていて 赤松広秀に
ついて 詳しく書いてありました。 広秀は 秀吉に 龍野城を明け渡した後 関ヶ原の戦い後 西軍から東軍
に転じ 賎ヶ岳合戦や四国攻めなどに参加し その功績で 竹田城主になった。 鳥取城を攻めた際 城下を
焼いたとして 家康から切腹を命じられ・・ そして、竹田城は 廃城となる・・・。 現在残る穴太積み
の石垣を築いたのは 高々2万2千石の大名だった 赤松広英だったという。 文化資料館でもらった資料
の赤松広英は 広秀 の間違い? 新聞の方が正しいそうですが・・。
 復原された大手門(埋門)を潜り 龍野城へ c/1ebc6438bd95091db8d117536058b505.jpg" border="0">
 龍野城は 麓に降ろされた時代から 本丸御殿と言われる建物があったようで 信濃から脇坂安政が
入封し 再建した。 近世龍野城は 陣屋形式の建物で 五万三千石のお城としては やや貧弱な建物だ
ったようで 城主・脇坂氏は 別の武家屋敷に住んでいた? 脇坂安政は 取潰しとなった 浅野家の赤穂
城受取の使者となったそうです。 今は 新しい龍野城(御殿)が 復原されています。 無料なので
見学します。 見学者は 一人もおらず 一人で見学するには 広いお屋敷は 立派過ぎて もったいない。
龍の襖絵も素晴らしい。

 お庭を見て 隅櫓を見て 裏門から石垣の間を降りて 外から白壁の隅櫓を撮ろうとすると 団体
さんが現れて 記念撮影? 仕方ない 写真は 帰りにしましょう。 龍野城の石垣は 野面積みとい
う積み方で 表面は 赤穂城と違って がたがたです。 裏門に戻り 網戸を開け 山へ入ります。

 山は 国有林だからか 手入れはされず 原生林のままで やや荒れています。 ところどころに 丸太
の階段があり 道が分かり難くなっているためか テープもあります。 削平地が 段々畑のようになっ
ています。 土塁跡の表示があり 右に行くと土塁らしき土手が・・。 枯れ枝などが散乱しているので
少し整備して いただけると いいのですが・・。 

 岩の露出する やや 荒れた急な登りを過ぎ 二の丸跡の手前には 石垣もあります。 二の丸跡は
鶏籠山山頂南の標高200mの小ピークにある平坦地ですが 木が茂り・・。 左へ寄ると 木の間から
南西方向に 蛇行する揖保川の流れを 見ることができます。

 左下に 弓矢に使ったと言われる矢竹を見ながら 本丸跡へ上がりました。 二の丸跡より 少し広い
平坦地でしょうか? 龍野古城イメージ絵を 撮るため掃除していたら 北から夫婦が来ました。 この
姫路から来た夫婦は 山城マニアだそうで いろいろなことを よくご存知で 備中高松城の水攻めの
話をすると 今でも土塁が残っているとか 上月城で 尼子勝久が 毛利軍に滅ぼされ 捕らわれの身
となった山中鹿之介が 連行される途中 備中松山城の下の河原で殺害された話も 嘉吉の乱で 室
町幕府二代将軍・足利義教を暗殺し 追われる身となり 新竜アルプスの城山城で 赤松満祐が 大軍
に取り囲まれ 自刃した話も・・・。 この前の赤穂城跡で お会いした栃木の百城マニアといい 趣味
の合う人と 話は尽きません。 奥さんも なかなか よく ご存知で 夫婦で趣味が合うのは いいですね。

 そう言えば 龍野城主・赤松広秀も 秀吉に攻められ この本丸から 眼下に 大軍を見て 赤松家の
滅亡を憂い 戦わずして 秀吉に城を明け渡したそうで・・・。 龍野古城は 自然の地形を利用した山
城で 標高218mの山頂に 城の要となる本丸を築き 本丸の傍に 守護神の八幡宮が 建てられてい
ました。 ここに 散乱している瓦の破片は 八幡宮のもの?
 そうこうしていると 南から 4人上がってきました。 三人の女性のうち 一人に 田部井淳子さんに似
てますね と言うと 似てるのは 年齢だけですと言われ・・・。 ちょうど きのう 「徹子の部屋」 に出
ていました。 4人は 北へ降りるようなので 私も 両見坂へ降りることにしました。 
 しゃべりながら 降りていると 女性が この人は 本を出している と言うので 名前を聞くと 「横山です」
と言われ 一瞬で 『はりま歴史の山ハイキング』 の著者だと 分かりました。 本に 載っている写真と
実物は かなり違うように思いますが・・・。 本の写真は もっと ふっくらとした感じですが・・・。

 本丸跡で いろいろお話しているうちに 本丸周辺にあった石段、石垣、石畳、八幡宮跡などを確認する
のを すっかり忘れてしまいました。 いろいろ お話しながら下りました。 勿論 「はりまハイキング」の
著者の悪口は 言いたい放題 言わせて頂きましたし 『歴史の山ハイキング』が 非常に 丁寧で 良い本であ
ることも 忘れず言いました。 同行の女性陣は 右に見える鶴嘴山も 寝釈迦の渡し も ご存知ないようです。
折角 本を持っているのなら 前の晩 目を通して置けばいいのに・・。 石灯籠のある両見坂へ降りました。

 的場山へは登らず 紅葉谷へ降ります。 紅葉谷は ”こうよう”ではなく ”もみじ”谷で 未だ 紅葉せず
青々としています。 和田さん達は 野見宿禰神社の方へ行かれるようで ここで 別れました。 別れ際
に名刺を頂きました。 紅葉谷の下で 右に曲がり 石段を上がると 右に 聚園亭が あります。
 聚園亭は 心字池に浮かぶ茶室で 京都御所が 炎上した際の功績により 脇坂安宅公が 孝明天皇か
ら賜ったもので この地に移築されました。 桃山時代の書院造を模した風雅な 数寄屋風の建物です。
 脇坂安宅は 脇坂家の祖・安治から数えて 9代目。 龍野城主の脇坂安政は 2代目。

 奥には 茶室があり 「楽庵」といわれ 裏千家の指導で造られ 命名されたそうです。 傍には 井原
西鶴の碑があり 詠まれた歌は ”花ぞ雲 動き出たる 龍野衆” 聚園亭を後にして 石段を上がって 龍
野神社に お参りします。 龍野神社は 文久二年(1862) 藩主・脇坂安宅が 建安治主神(脇坂家の
祖・脇坂安治)を祀り 脇坂家の廟所であった。 野見宿禰神社も合祀、末社として 山頂にあった応神
天皇を祀る城山八幡宮もあった?

 門を入ると 右に力士の石像がありましたが 野見宿禰でしょうか? それにしては やけに小さい。
誰も来ないと思われる寂れた神社ですが 手水舎には きれいな水が流れています。 後方に 小さい社
の本殿があり ここの彫り物は立派です。 象の木鼻も素晴らしい。 城山八幡宮は 何所にあったのでしょう?

 神社を後にして 石段を降りて 文化資料館に戻ります。 神社から真っ直ぐ東へ降りた辺りの街並みが
武家屋敷でしょうか? 路地を歩くと 龍野城の櫓の下に戻りました。 白壁の隅櫓の写真を撮り 龍野城
を抜け 12:55 車に戻りました。 約3時間の散策でした。 横山晴朗さんにお会いできたし 田部
井淳子さん似の人にも お会いできたし・・・。 まずまずの半日が過ごせました。
 直ぐ 帰路につきます。 鶏籠山には 三角点がないので 白鷺山の三角点121.4mに寄っても 良かっ
たのですが・・。

 途中で スーパーに寄って お弁当を買って帰りました。 往路と同じ道を走り 13:56 帰着。
本日の走行距離は 往路:9.8km 復路:10.1kmで 計:19.9kmでした。
今度の週末は 但馬の二等三角点の山へ行きたいのですが さて お天気は・・・。

 。。。。。。。。。。。。。。  。。  。。  。。  。。  。。  。。   。。。。。。。。。。。。。。。

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2 コメント

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同じ日に (とうこ)
2011-10-27 13:41:19
龍野にいました。
と言っても赤とんぼ荘ですが(^_^;
「飲めや歌えの大騒ぎ」の船頭役ならぬ煽動役をやっていました。
ほとんど飲まずに盛り上げるのって、損やわ!(^_^;(^-^)
返信する
龍野城 (YS11)
2011-10-27 20:33:01
とうこ様 こんばんは。
そういえば 赤とんぼ荘の見える所で
とうこさんの声が 聞こえたような・・。
空が青かったので 空耳?
とうこさんは 飲めないのですか? やまあそさん並?
歌って踊れるとうこさんなので 煽動でも船長でも・・
ところで 割り勘だったのですか?
私も飲めないので 11月6日は 遠慮しようと・・・
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