私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

官兵衛ゆかりの地巡り

2012-11-24 16:15:48 | 歴史探索
 11月24日(土)  天気:曇り  室温:15.9℃

 きょうは 岡山県の南東部をドライブしてきました。 ”黒田官兵衛ゆかりの地を巡る”
のパンフレットに 備前・福岡の妙興寺があるので これを 訪れるのが 目的ですが
福岡近辺の郷土館や 長船の刀剣博物館を訪れ 刀の展示を見て
帰りに 伊部の伝統産業会館の備前焼ギャラリーに寄り 
( 備前陶芸美術館では 人間国宝の展示がありますが 有料で 撮影禁止なのでパス )
国道脇にある 重要文化財の三重塔のある真光寺に 寄ろうとしたのですが どこにあるか
分からず・・・。  最後に 国宝の閑谷学校に寄り 125kmほど ドライブしてきました。

 9:12 出発。 国道2号線で 西へ行き 9:35 龍野西ICから 山陽道に入ります。
山陽道を 26km走り 9:53 備前ICを降りて 国道2号線に乗ります。 山陽道は 400円。
2国を西へひた走り 備前大橋の手前で 左折。 吉井川に沿って南へ行くと 河川敷のゴル
フ場・長船カントリーCに出ます。 50年くらい前 ここで ゴルフをしたことがあるよーな・・・。


 土手から降りて 路地を行くと 駐車場があり 場所が分からず 停めました。 10:19
駐車。 備前ICから 18.9km、家から 57kmでした。 七つ井戸の横とは つゆ知らず・・。
駐車場の脇では 黒田官兵衛の幟が 揺れていますし 壁には 黒田サミットの張り紙が・・。
黒田官兵衛ゆかりの五都市(長浜市、瀬戸内市、姫路市、福岡市、中津市)が 集まるようです。


 すぐ先が 目的地 妙興寺でした。 教意山・妙興寺は 本尊は 三宝尊で 脇侍は 四天王。
応永十年(1403) 播磨の国主・赤松則興の子 日伝上人によって 創建された日蓮宗の
寺院です。 本堂には 鬼子母神が祀られ 毎月8日の晩に 鬼子母神講が営まれています。
 山門の前に 「黒田官兵衛父祖之墓所」の碑が建っていて この寺には 官兵衛の曾祖父・
高政のものと伝えられる墓があります。


 面白いことに 山門を潜ったところに 仁王門があります。 こういうのは 初めて。
朱塗りの仁王さんも立派で 腰巻きがきれいです。
 なんと 右に神社があり 備前焼の狛犬があるじゃないですか。 嬉しくなります。
本堂に お参りします。 横の大銀杏の黄葉は 落葉が始まっています・・。
この大イチョウは 瀬戸内市指定の重要文化財だそうです。


 本堂の奥に 黒田家の墓があります。 手前には 宇喜多興家公の墓もあります。
黒田官兵衛の曽祖父・高政が 近江の在所を離れ 当時の商都・福岡に移住し 力を付け
その子・重隆は 福岡で育ち 長じて 姫路に移り 小寺家の家臣として仕え 父・職隆、
官兵衛と 代々家名を高め 後に 官兵衛の子・長政が 慶長五年に 筑前52万石の
大名として 博多の西に築城した時 その城下を 黒田氏発祥の地・備前福岡にちなんで
「福岡」 と名付けた。 長政は よほど 備前福岡に愛着を覚えていたのであろう。
ここ 妙興寺に 高政のものと伝えられる墓が残っている。
黒田家の歴史については 10月11日の 大河 「軍師・官兵衛」 に を参照してください。

 宇喜多直家は 幼少の頃 父・興家と共に 福岡の豪商・安部善定の保護のもとに成長し
その後 浦上宗景に仕えた。 直家は 永禄四年に 宗景を攻めて 讃岐に放逐し 岡山城を
拠点として 威力を備前一帯に張った。 興家は 福岡で没し その供養塔が妙興寺にある。

・・・・九州の福岡市は もともと「博多」と呼ばれていた地に 慶長6年福岡藩初代藩主・黒田
長政が 城を築く際、先祖の地であった 備前・福岡にあやかって、福岡城と命名しました。
それ以来 中洲を流れる那珂川を境に 東を博多、西を福岡と呼ぶようになりました。
 市名を決める明治の市議会で 投票結果13票対13票の同数に 割れ そこで、旧福岡藩
の武士だった議長が 一議員として 投票し1票差で 福岡市になりました。・・・・


 摩利支天堂に行きました。 摩利支天堂は 栄町町内会の守り神・摩利支天様をお祭し
ています。 もともと 摩利支天は インドの神様で 陽炎(かげろう) を神格化したもので
三面(忿怒、菩薩、童女面)六臂(八臂)の天女の姿で表わされ 猪の背に乗っているのが
特徴といわれ わが国では 中世 忿怒の摩利支天は 武士の守り神として 崇められて
きました。
 福岡一文字派の碑に行きました。福岡一文字派は 鎌倉時代初期の則宗を始祖として
多くの名工を輩出して 黄金時代を迎えました。 中でも 則宗や 宗吉らは 後鳥羽上皇
の御番鍛冶として 召し出されています。 当時の一文字派の刀工たちは 福岡庄の吉井
周辺に居住し 皇室の庇護を受け 広い給田を所有 安定した生活の力で 鍛刀していた。
 この時代 備前刀は 古備前派から 長船派、国宗派、福岡派一文字が 相競うように
輩出し 刀剣の質、量共に 黄金時代を迎えています。 特に福岡派の作風は 日本刀の
原形で 古雅の上に 優美さを加え 一世を風靡しました。
 こうして 福岡の名が 天下に知れ渡り 福岡一文字は 長船とともに名刀の代名詞に
なりました。


 次は 福岡の市跡です。 福岡の市は 鎌倉時代 福岡庄で開かれていた 定期市の
一つだった・・。 弘安元年(1278) 一遍上人が 福岡の市で 説法する様子を描いた
「一遍上人絵伝」は 絵巻物にした伝記で 当時の風俗を知るうえで 貴重なものです。
正式には 「一遍上人聖絵」 で 今も 京都の歓喜光寺に 国宝として保存されている。


 吉井川の土手下の河原は 長船カントリークラブで 平日ですが ゴルフをしている人も
います。 ゴルフ場内のこんもり盛り上がった丘・稲荷山が 福岡城跡です。 川の西の
古山が 本城山と呼ばれ この小山が 城跡だという説もあるようですが・・・。
 正平五年(1350) 足利尊氏が その子・直冬の離反を鎮圧するため 大軍を率いて
西下する途中 福岡に40日あまり 駐屯したという記録があるそうです。
 その後 福岡城に登場する武将は 山名、赤松、松田、浦上などあるが 文明15年
(1483) 松田、山名の連合軍が 福岡城を守備する赤松、浦上の連合軍を攻め落と
すのに 50日もかかったと 伝えられる大激戦が 世にいう 「福岡合戦」 である・・。


 土手から降りて 福岡郷土館へ行きました。 妙興寺もそうでしたが ここ郷土館にも
グループが来ています。 郷土館は 無料でしたが 特別面白いものは ありませんで
した。 郷土館は 大正3年 に建てられた洋風の病院の建物を利用して 福岡ゆかりの
武具や 生活用具、医学書などが展示してあります。
 七つ井戸を探しながら 狭い福岡の街を歩きましたが 古民家が並ぶ 昔の家並みは
古い歴史の残照であり それ故 司馬遼太郎の 「播磨灘物語」 の冒頭の舞台となるのです。


 室町時代の備前福岡は 山陽道で最大級の商都として 栄えましたが 宇喜多氏に
よる 岡山城下町作りへ 多くの商人が引き抜かれ 大洪水による荒廃により・・。
 往時の福岡の繁栄を 現況から想像することはできませんが 東小路、上小路など
整然と区画された街であったことが窺え 市場小路、後小路、横町、殿町、茶屋市場
など 昔をしのばせる 呼び名も 残っているそうです。 殿町は 武士の居住地?


 車を停めた脇が 「七つ井戸」 の一つでした。 七つ井戸は 各小路に 一つずつあり
生活用水や防火用水に利用されたそうです。 吉井川が水源のため 枯れることはない。
 11:34 車に戻り 川に沿って 細い道を北へ行き 長船刀剣博物館へ行きます。
福岡から 3.4km、11:44 刀剣博物館に着きました。 ここも人が多く 車を
40台停められるが 空き場所が・・・。 なんとか 空きスペースに停めました。
きょうは ベーゴマの大会があるの?
「備前おさふね刀剣の里」 には 刀剣博物館、今泉俊光記念館、長船鍛刀場、長船刀剣
工房、ふれあい物産館 があります。 博物館は 500円。


 1階展示場で 「お守り刀展覧会」 をしています。 写真を盗りたいのですが 禁止。
ポスターで 我慢してください。 お守り刀は 女性の護身用? 護身用だけに 小刀で
装飾もきれいです。 女性の着物姿の写真もあり 盗りたくなるのを ぐっと我慢・・。
2階へ上がると 日本刀が展示してあります。 こちらは 長いので 盗っても収まら
ないし 歯幅も狭いので ピントも合わないでしょう。 


 刀の鐔(つば)もあり 意匠を凝らしたものもあります。 これは 象がん?
鞘の漆塗りのものもあります。
 日本刀は 直刀で代表される上古刀と 平安末期から 室町末期の古刀 および 慶長
から 江戸時代の新刀、江戸末期の新々刀 と分類する時代別変遷があります。  また
備前、大和、山城、美濃、相州で それぞれ違った特質をもっており これを 「五ヶ伝」 と
いっています。  五ヶ伝とは 五つの地域の刀工の作風であり 伝とは 伝承の意です。


 1階の 「刀剣の世界」 は 写真OK。 撮りまくろうか と思えど 撮るものがない・・。
備前長船の歴史や 備前刀 また 日本の鉄と日本刀について パネルや 映像で解説。
「一遍上人聖絵」 は 武士が刀を抜いて 一遍上人に 斬りかかろうと 身構えています。
これは 武士の妻が 一遍上人に 弟子入りして 尼になったので 主人が怒っている様子
が描かれているのだそうです。
 日本の伝統美術工芸のすべてを 集結した刀剣は 世界に誇るべき総合芸術作品だそう
です。 鍛刀場、工房、物産館を廻りましたが 見るものは ありませんでした・・。



 国道2号線に出て 東へ戻ります。 国道の脇に 備前焼伝統産業会館があるので 寄り
ました。 2階がギャラリで 作品の展示と販売をしています。 ここも 撮影禁止ですが
作品をアップで撮らないで 全体を撮れば いいと 了解を得ました。


 コーヒーカップや花瓶などのほかにも 龍や狛犬のような 美術品も多くあります。
ただ ちょっとした花瓶が 58000円。 10センチほどの狛犬が 35000円。
いいなと思う美術品は 15万円。 とても 手も足も出ません・・・。


 備前焼の七不思議。 1.投げても割れぬ 備前すり鉢・・高温で焼くため強度が強い。
2.冷たいビール、温かいお茶・・緻密な内部組織のため比熱が大きい。 3.きめ細かな
泡で うまいビール・・微細な凸凹があり 発泡能力高い。 4.長時間おくと うまい酒に・・
内部に微細な気孔がるため 通気性があり 酵母菌の働きが活発になる。 5.新鮮で・・・


 産業会館の隣が 陶芸美術館。 人間国宝・伊勢崎 淳の 「大地の聲を聴く」 展を
していますが 有料で 撮影禁止なので 止めました。 見ればよかった・・・。


 重要文化財の三重塔のある 真光寺に寄ろうと思ったのですが どこにあるのか 分からず・・。
国道を さらに 東へ戻り 閑谷学校の標識を見て 左折。 国道から 4kmほど 北へ入った
ところが 閑谷学校。 何カ所か 駐車場がありますが どこも ほぼ満車。 すごい人です。
 駐車場から 校門へ向かうと 手前に はんち といわれる池があり 錦鯉が泳いでいます。
はんは さんずいに 半ですが 漢字の表示はできません。 ちは 池です。


 閑谷学校は 藩直営の学校で 庶民を対象とした 現存する 学校建物 としては 世界最古
のものと言われています。 寛文10年(1670) の創建です。 藩主・池田光政が 重臣・
津田永忠に その建築を命じ 光政の死後 元禄14年に完成しました。 光政は 池田輝政ー
利隆の子で 輝政の孫に当たります。 1616年には 姫路城の城主になっています。
 旧閑谷学校は 特別史跡で 講堂は 国宝で 重要文化財。 こういう 二重指定もあるのです
か。 講堂、校門(鶴鳴門)、聖廟、閑谷神社、文庫、石塀(付 飲室門) は 重要文化財です。


 正面の校門の屋根には 鯱(しゃち)が乗っていて 左右の石塀は 重文です。 石組は
「切り込みはぎ式」 といわれる頂部の丸い 隙間のない 精巧なものです。
右の入口から 入ります。 入場料500円。 閑谷学校の建物の屋根瓦は 備前焼です。
折角の赤い瓦も 雨の降りそうな曇り空で 色が冴えません。
 講堂は 入母屋造り、錣(しころ)葺きの大屋根です。 周りの縁側を歩くことができます。
花頭窓(火灯窓)の形が 特徴的です。 昔は 儒学(朱子学)が教えられたそうです。
上郡の大鳥圭介も ここへ通い 学んだ・・。


 聖廟は 中に 孔子像が祭られているそうで 孔子の徳を称え その霊を祀る儀式・釈菜が
10月に行われ 金色に燦然と輝く孔子像を拝観できるそうです。
 隣りの建物が 閑谷神社で学校の創始者・池田光政を 祀っています。 周囲の塀の軒丸
瓦には 池田家の家紋・揚羽蝶の紋が 並んでいます。


 下の写真は 校門の左にある碑ですが 後ろの石塀が 重要文化財です。
紅葉を見ながら ぶらぶら歩いて 車に戻りました。 14:43 帰路につきます。
国道2号線に戻り 東へ。 帰りは 山陽道は 使わず ずっと2国を走りました。
 相生市街に入るまでは 車も信号も少なく スムースに走れます。 この車では
県境の船坂峠や 鯰峠の坂登りには 難儀します。 幸い 大型トラックが 前を
走っていて 後ろについて走りました。 15:50 帰ってきました。


 本日の走行距離は 往路:福岡まで 57.0km、刀剣博物館まで 3.4km、閑谷学校
まで 寄り道含め 17.9km、復路:46.3kmで 計:124.6kmでした。
往路は 山陽道を走り 燃費が 0.5km/Lほど 落ちましたが 帰りは 国道を走り なん
とか 燃費を戻し 25.5km/Lに 回復しました。 実燃費は 24kmほどでしょう・・。
平均燃費が表示されるので つい 見ながら運転するので 疲れます。

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1 コメント

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Unknown (キックオフ)
2013-05-09 08:18:48
記事ありがとうございます。
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