私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史秘話ヒストリア よみがえる安土城

2013-12-15 22:47:57 | 日記
 12月15日(日)  天気:晴れ のち 曇り  室温:17.0℃

 きょうは 11日 水曜日に 放送された NHK ”歴史秘話ヒストリア” 「よみがえる安土城」 を アップします。
番組欄には 最新研究! 信長の驚きの仕掛けを CGで 再現 城に秘めた野望! とありますが・・。
 安土城は 信長が 1579年に築いた 五層七階(地下1階) の大型天主を持ったお城です。
「信長公記」 などの昔の資料や 発掘調査の遺跡などを 参考に 当時の安土城が CGで 再現されます。
 お城に 天守閣が 築かれたのは 安土城が 最初です。 普通 天主は 天守と書きますが 安土城は 天主 です。


 この城を築城した目的は、岐阜城よりも京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため 利便性があり、加えて 北陸
街道から 京への要衝に位置していたことから 「越前・加賀の一向一揆に備えるため」 あるいは 「上杉謙信への
警戒のため」 などと 推察されています。
 安土城は 築城後 わずか3年で 本能寺の変が起こり 焼失したため 幻の城といわれています。 焼失の原因に
は 諸説あるようで 山崎の戦いの後の混乱で 略奪に入った夜盗の類が 放火したともいわれていますが・・・。


 最近の発掘調査で 天主台が いびつな八角形を していることが 分かりました。 太田牛一が 信長の傍で
信長の生涯を 詳しく書いた 「信長公記」 などを 参考に いびつな天主台の謎を 解明します。
 まず 天主台の面積が 1090㎡なのに 部屋の面積は 360㎡で 面積が 記録と合わない。
 


 安土城の絢爛豪華な本丸御殿は 信長の住まいとしても 使われたようですが 御所の清涼殿と構造が 似てい
ることなどから 天皇を迎えるための施設だった可能性が 指摘されています。
 いびつな天主台の形は 中央部に部屋を作り 外周には 廊下を配し 廊下の幅で いびつな形を吸収した。


 第2の謎は 天主台の石垣で 建設当時は 高さが 11mあったそうです。 当時は 石垣を積む技術、道具が
なかった・・。 調査の結果 石垣が 4段に分けて積んであることが 判り まず 内側に 土で土台を作り 1段目
の石垣を積み さらに 内側に 土を盛り 2段目の石垣を積み これを繰り返す。 穴太衆が 積んだので 頑丈で
400年経った今も 崩れない・・・。 当時は 自然石を使った 野面積み でした。



 3番目の謎は 天主台の下の石垣が焼けている・・。 普通は あり得ない。 ここに 高温で燃えるものがあっ
た・・。 宣教師のルイス・フロイトが 残した図があり それによると 屋根付きのベランダのようなものがあり・・。
 天主台の下に 2列の礎石が出てきて・・。 ここには 石垣と密着した木造の建物があったようです。
バルコニー風の舞台? 「信長公記」 に 天正十年のお正月に 人々を招き 群衆が 天主の下から 信長を見上
げた との記述もあるそうです。 2階のベランダから 信長が 群衆に手を振った? 今のお金で 一人5000円の
お代を取った?  また 夜間 ライトアップされることもあった・・・。





 安土城は 当時は 立派な城だったようですが 戦のときの防御は 考えられていなかった・・・。

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