中年の散歩道

後期高齢者世代、、、そんな親父の街角ウオッチングetc..

縄文の縦櫛

2018-10-07 15:18:09 | Weblog
室蘭に所用があって出かけたのだが、”カリンバ遺跡”から出土した”赤漆の塗られた縦櫛”を見たくなったので、途中で恵庭の郷土資料館を訪ねた。係り員から、「此処の現在の展示はレプリカであり、別の場所にある埋蔵文化財整理室にて本物を展示、、、」との説明だったので、時間配分から当初予定した”千歳の埋文”を止めて見学して来た。

日本で出土されている縦櫛には、製作技法から”結歯式”と”刻歯式”があるとされているが、写真は”結歯式”の様子を表している。
カリンバ遺跡:縄文後期末(約3000年前)、遺跡は2005年に”国史跡”に指定。
遺物は2006年に”重文”指定と、パンフレットにあり。なお、埋蔵文化財整理室での展示は明日の8日までとなっていた。漆は、紫外線に弱いとのことであり、将来的には部分展示となって全てを見れないかも知れないので、幸運だったかな?

漆塗りの櫛は、時間を遡るが福井県の鳥浜貝塚、、、本州中央部からも出土しているが、数で言えば、現時点においては北海道の東南とでも言おうか?中央部から日高地方にかけての遺跡から多く出土しているようだ。現在の北海道には、蔦漆はあるが本漆の木は自生していないのにも関わらず、古に完成品が出土している、、、3000年前と言えば、”縄文海進”が終わって”寒冷気”に入っている頃なので、自生の漆の木があったのか?どうか、、、

話は飛ぶが、火焔土器は能登半島から長野の八ヶ岳、そして東京の多摩丘陵にかけて、エライ派手なデザインの物が多数出土している。このことも縦櫛と同様に、好奇心をそそるのだ、、、どちらも、果たして自然発生的に各地で作られたのか?と、、、

勾玉や石鏃は、各地に広く伝播されているので、縄文人の移動は相当広範囲(時を要したとしても)に及んでいることは、想像に難くない。しかし、明治の歴史界の重鎮?や権威筋?が、歴史の解明を遅らせたことは間違いないと思えてならないのだ。、、、そもそも、時には数千年以上に亘る事象を、たった数10年の研究で語ろうとすること自体に無理があると想うと、素人の”当たるも八卦的な推理、、、”も、楽しいと言うものであろう。

たった今思い出したので、探してみたら見付けた(発掘?)、、、国指定の史跡と重文に指定された翌年に発行された”カリンバ遺跡の図録と写真集”が、、、それにしても、赤漆の色の綺麗なこと、、、今回説明してくれた学芸員(多分)さんの説明では、漆細工した装身具について言えば、「日本で発掘された装身具の半分近くがカリンバ遺跡、、、」との事だった。

図録には、函館市(旧南茅部町)の遺跡(約9000年前)からも、漆製品が発掘されているとの記述があったが、接着材としての他に、あのカブレる漆を扱うとした背景、、、興味は尽きない、、、ドンドンと深みに入り込む一方ではある、、、


南西と言うよりも北西の風が強くなって来た。予報では11mとあったが、、、我が家だけで言えば、”おまじない”は効いている、、、

<16:05追記>東南東の空は重い灰色、南方角は灰色の雲が雲高600m?一部青空も覗く、、、我が家付近は陽が射している、、、
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