Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

喘息の老女

2007-01-07 10:09:46 | キューバ&チェ・ゲバラ
彼は革命家になるべくしてなったのだろう。
チェ・ゲバラ若かりし日の旅行記から、自分の一番大好きな一節をちょっと長めですが、抜粋させて頂きました。

 このかわいそうな人は喘息の上に、心臓の代償不全を患っていた。こんな時、こういう状況を前に、医者は自分の力のいたらなさを感じ、物事が変革されればと思うのだ。この気の毒な老女は、息を切らして苦しみながら、それでも人生に対してまっすぐな姿勢を保ちながら、つい1ヵ月前まで生計を立てるために働いていたのかも知れないのに。こんな不当なことをすっかり変えてくれるような何かが起きてくれれば。状況に甘んじるということはつまり、貧しい家庭では、生計を立てられなくなった家族の一員は、どうにかごまかしてはいるものの辛辣な空気に包まれて暮らさねばならない、ということなのだ。その時父親は父親でなくなり、母親は母親でなくなり、兄弟は兄弟でなくなり、生きるための戦いにおける負の要素に変わってしまう。だから、健康な人びとからは憎しみの対象とされ、病気はまるでその人の面倒を見なければならない者たちに対する侮辱であるかのように取られるのだ。そういう、一番遠い境界線はつねに明日という日であるような人びとの最期の時にこそ、世界中の労働者階級の人生を閉ざしている根深い悲劇が実感されるのだ。その死に瀕した目には、従順な申し訳ないという思いが込められており、しかも多くの場合、われわれを取り囲む神秘の極みの中にその肉体が失われていくのと同じように空しく失われることになる慰めを求める絶望的な願いも込められている。いったいいつまで、このばかげた身分制度に基盤をおいた物事の秩序が続くのか、僕には分かりかねるが、もうそろそろ政治家たちは、政権の善意を宣伝するのにかける時間を減らして、もっともっと、ずっとたくさんのお金を社会のためになる仕事につかうべきだ

『モーターサイクル南米旅行日記』 エルネスト・チェ・ゲバラ:著