Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

自殺者対策ってなんだ

2006-06-21 07:37:21 | 死・自死
日本の自殺者は8年連続で8万人を超えているそうだ。
政府が対策に関する法を作ろうとしているらしい。

以前にもこういう話題で色々書いたけど、やはり考えてしまうので、また書こう。

前の時にも書いたような気がするが、自分はかなり昔にNHKで放映された「冬構え」というドラマの主人公に共感する。

かなり心身に衰えを感じている笠智衆演じる老人が自分で生きることを終える準備をし、自ら命を絶つ。そういう話。
子供の頃に観たので、多少の解釈の違いはあるかも知れないことは断っておく。

自分はそういう形で死を選択することは、それはそれで一つの自由だと考えている。

自殺者のすべてが、生きることが苦痛で、社会生活を続けられずに死んで行っているとは限らない、という解釈。
それでも、生きることが苦痛で、社会生活を続けられずに死んで行く人も、きっと多いのだろうと思う。

自分の日々の生活を組み立て直すことも、相談することも、ひとり自分を省みる余裕さえ無くなってしまったとき、何を支えにしたらいいのだろう。
8万人を超す自殺者がいるのなら、8万を超す解決策が必要だということだ。

人の心の動きについて統計を出すことはできない。

だから、政府が自殺対策に動くとしても、統計や前例で簡単にマニュアルを作ったりしないで欲しい。

確かに人の心が追い詰められていくには社会的要因ももちろんあるだろう。政府が動くのも正しいと思う。

しかし、命を絶ってしまった人々から意見を聞くことはできないんだ。
残された周りの人々が自殺者のことを正しく語れるとは思えない。
意見を集めてマニュアルを作るようなことだけは、絶対に避けて欲しい。

「人」に必要なのは、マニュアルではなく 「人」なんです。


人の話を真剣に聞ける人。相手が求めるとき、いつでも、どんなに長い時間でも話を真剣に聞ける人。

仲間だと思える人。自分と似ている弱さを持っていると感じられる仲間。

信用できる人。自分が不安のままを語ったその扉の向こうで、その話を笑い話に変えて他人に話す声が聞こえたら、更に気持ちは凹み、誰も信じられなくなる。笑い話じゃなくても同じだけどね。第三者に話すなんて最低だよ。

ちっぽけな人。長年の社会経験で、自分に自信を持ってる人は、自信を失いかけてる人のことを無意識に見下したモノの言い方をする。逆に長年の社会経験で、自分がいかにちっぽけな人間か分かってる人には、話しをする気になるだろう。人の痛みを理解しようとしてくれそうだから。