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Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

やさしい死に顔

2007-01-11 08:02:06 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
自分は "生" に固執していない...つもりだ。
だから、いつ死んでもいいと思っている。

しかし、人に殺されるのはゴメンだ。
事故とか事件に巻き込まれてとかで死ぬのはゴメンだ。

死ぬなら、自分で死にたい。
上を向いて、やさしい顔をして、自分の意志で死にたい。

それができる準備が整うまでは、
とりあえず生き続ける。

とりあえず生きるのでも、
あまりにも凹んでしまったり、
落ち込んで生きるのは辛いばかりで、
死ぬ時に上を向くことも、
やさしい顔になることもできないと困るので、
楽しいとまでは言わなくても、
なんとか穏やかな暮らしをしていたい。

日々凹んだり、泣いたり、
悔しがったりしてばかりいた毎日だったが、
それでは、気分良く死ねないと気が付いた。

だから、今では精神的に穏やかになれるよう、
色んなことをしてみている。

前にも書いたことがあるけれど、
スポーツとしては乗馬。
馬は本当に人を癒してくれる。
音楽としてはトランペットと歌。
自分の内にあるものを表現する、と言うと、ちと大袈裟だが、
泣きながら吹いたり、泣きながら歌ったりすると、
なぜか淀んでいた心が少し柔らかくなる。

そんなことをしていたら、
最近、笑顔っていうモノを思い出したよ。
楽しいと感じる時、人は笑顔になるんだね。

まだまだ、上は向けないけれど、
うつむいてばかりいた自分の心が、
ほんの少しだけ、視線を上げたような気がしたよ。

死ぬ時を探して

2007-01-09 07:36:23 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
自分がこの世に生まれてきたことを、
有り難い、などと思ったことは今だかつて無い。

生まれて来なければ来なかったで、
それはそれで良かったと思う。

でも、こういう環境で生まれて来てしまった以上、
とりあえず、明日が来る。
だから生きる。

死ぬことに何の問題も無いが、
人に迷惑をかけずに死ぬということの難しさを
真剣に考える。

それは本当に難しい。
せめて、死体の処理にお金をかけず、軽く済ませるには、
白骨死体になるまで、誰にも発見されないこと。

プランはいちおあるけれど、
それには準備が大変だ。

少しずつお金を貯めて、
準備をしようと思っているが、
ついつい趣味に使ってしまう。

そんな風に、なかなかお金が貯まらない自分を振り返ると、
今が死に時ではないのかな、
などと、自己弁護をしてみたりもする。

しかし、人は生まれを選ぶことができないのだから、
せめて死の時は選びたい。

自分が幸せだなぁ、と感じる時に死にたいものだ。

感謝の気持ち

2006-12-29 14:28:23 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
あれは秋の始まりの頃でした。
藁にもすがる思いで、みんなの中に飛び込んだ。

そんな自分に誰ともいわず声をかけてくれた。
そこに居場所を作ってくれた。
コンプレックスをプラスのエネルギーに替えてくれた。

家族がいない自分にとって、
人が自分を受け入れてくれるということは、
何より幸福を感じることなのです。

だから、自分は感謝の気持ちを込めて祈ります。
神様にではないよ。
みんなに。
ここに居させてくれること、
みんなと時間を共有できること、
楽しい時には笑顔になるんだって事を思い出させてくれたこと。
そんなみんなに感謝の気持ちでいっぱいです。

今ここに自分がいられるのは、
ほんとにみんなのお陰なんだ。
心から感謝します。
ありがとう。

そのままで・・・・・

2006-11-04 12:36:40 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
そのままでいんです。

いい人になろうとなんて、しなくていいんです。

あなたはそのままでいいんです。

人から良く思われたい、そんな気持ちも分かります。

でも、あなたはそのままでいいんです。

あなたはそのままでいい人だから、なんてお世辞は言いませんよ。

それでも、あなたはそのままでいいんです。

人に迷惑をかけてないか、心配でたまりませんか?

だとしても、あなたはそのままでいいんです。

心が疲れて、気分がふさいでしまっているかもしれない。

そんな時でも、あなたはそのままでいいんです。

誰かが手を差し延べてくれるはず、なんて綺麗ごとは言いませんよ。

言うまでもなく、あなたはそのままでいいんです。

世界中に生きる億の単位の人々全てがあなたのことを受け入れなかったとしても、
私はあなたを受け入れます。
必ず、絶対、間違いなく、受け入れます。
約束します。

だから、あなたはそのままでいいんです。

そのままでいいんです。

長所を探す

2006-10-11 08:10:32 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
長所って探すの大変ですね。

ナルシストな方々とか、自分に自身のある方々とか、
そういう方々は自分の長所とか見えてるんですかね。
見えてなきゃ自信につながりませんよね。
そういう方々は、短所は見えてるんですかね。
短所が見えてもそれを補うほどの長所を持っていると自負しているのでせうか?
それとも、短所なんて無い!って思ってるのでせうか?

自分にはわからんですな。
「自分のいいところ」なんて、簡単に見つかりません。
なぜなら、究極のマイナス思考だからです。
自分で見つけられなくても、
時には人から褒められたり、
「いいところ」を指摘してもらったりしたとしても、
しかしそれを素直に受け取れない。
「それほどでもない」とか「おおげさだ」とか「おだててる」とか思ってしまうのですな。
何言われても、お情けな感じがして、余計みじめになったりすることさえある。
しまいには「無責任にそんなこと言いやがって」くらいに逆ギレしてみたり。

長所ってどうやったら見つかりますかね。
そもそも長所なんてあるのかね?
世の中の人々、こんなにササクレ立っているのに....

ゴスペル

2006-10-01 06:27:08 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
ゴスペルのLiveに行きました。

黒人の本場な人たちのものではなく、
日本の教会で練習している、日本人のゴスペルです。

それでも、いいものはいいのですね。

"あなたは愛されている" なんて、
"あなたはひとりじゃない" なんて、
"あなたに出会えて良かった" なんて、
言われたことないですから。

そりゃぁ、涙こらえるの必死ですよ。

ちっこい子供たちも、学生くらいの子たちも、
みんな歌ってるんですよね。

これからの日本も悪くないかも....
などと思わせてくれた。

腐ってない。

行って良かった。

嫌われる

2006-09-29 08:02:59 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
嫌われることは悪いことだろうか?

人の機嫌をとって、本心を隠し、そこまでして人に好かれる必要はあるのだろうか?

好かれているワケでも無いが、嫌われてもいない、なんて立場でいることはできるのだろうか?

自分を見失うくらいだったら、嫌われてもいい、っていう考え方はおかしいだろうか?

個性とか自由とか、そんな大したもんじゃなく、
ただ、自分が自分らしくいたい。

例えば、職場など人の集まる場所の中にいて、
その大部分の人々のタイプと自分にあまりにも違いがあって、
自分を歪ませないと周りの人々と上手くやっていけない場合、
それでも、自分を歪ませず、自分らしく居た場合、
嫌われる。もしくは避けられる。

自分はずいぶん前、学生の頃から変わり者と言われ続け、
そんな変わってる自分を "いい感じだ" と言ってくれる人もいたもんだから、
別にこのままでいいやと思っていて、
だから、自分のままでいることで、人から避けられたとしても、
あまり気にしない。

でも、嫌われるとか避けられるとか、
確かに心地良いものではないから、
気にしてしまう人の気持ちも分からないではない。

気にするな、と言っても気にしてしまうんだろうな。

でも、世の中の全ての人に好かれる必要なんてない。
そして、世の中の全ての人に嫌われるなんてことも、不可能なんだよ。

社会生活の中では、
そんな割り切り方をできないこともあるけどね。


そもそも、なんで「好き」とか「嫌い」なんて単語があるんだ?

って、そんな事言い出したらキリ無いかね(笑)

医者と癒しと整体と

2006-07-25 08:04:47 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
内科とか、何でも、整形外科とかでもいいんだけど、
そういう医者って、聴診器あてたり、レントゲン撮ったり、
色々診察して、診断はするけれど、
結局のところ、自分自身では何も治してないでしょ?
本当の原因を突き止められなくても、
熱があるとか、痛いとか、そういうことに対しての
対処療法として、薬を処方したり、点滴打ったり、
湿布貼ったり、注射打ったりするだけじゃん。
薬や注射が痛みを止めたり緩和しているだけ。
医者自身は何にも治してないんだよね。

実は7月7日の記事に書いた "ある人" とは
整体の先生なんだけれど、そういう整体の先生とか、
例えばマッサージとか針灸とかそういう先生って、
自分の技術というか、自分の手で治すんだよね。
だから、そういう人たちの "治してあげたい" という気持ちも、
直接伝わってくるのかも知れない...と、思った。

だから、医者に自分の症状を説明して、
わかってもらったのか良くわからないまま、
薬だけ出してもらったとして、
痛みはとれたとしても、
それはきっと癒されたことにはならないんだな。

でも、人の手で、気持ちのこもった手で、治そうとしてもらうと、
実際の効果以上に癒された気持ちになれるのかな、と。

だから、その7月7日の記事の時、
それは、やはりその話の前に、
自分がまず、先生の気持ちのこもった手で、
直接癒してもらっていたから、
なおさら、先生の話が心にストレートに入って来たのかもしれない。

そんなこと、ふと思いついた。

ひとつの考え方

2006-07-21 07:46:55 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
――立ち止まるのもいい

こんなくだらない世の中に生きていれば、
イヤなことなんて星の数ほどある。
変化なんて数えるだけ無駄だ。

無理して前へ進もうとしたり、
自分を振り返ったりしないで、
落ち込むべき時は落ち込んでおこう。
流されるべき時は流されておこう。
ちっぽけな自分を噛みしめて、さんざんに悔しがる。

但し、忘れてはいけないこと.....
下を向いていないで周りを見ろ、
風向きの変化を見逃さないように。
胸を張っておけ、
ちょっとばかりの波風に煽られないように。
二本の足を踏ん張るな、
いつでも次の一歩が踏み出せるように。

そんなにしてると、いつの間にかマイペースな自分がそこにいる。

心地よい波を待とう

2006-07-19 07:43:25 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
自分が自分を取り戻す時って、
ホントは至福感がなくてはいけないと思うんだな。
苦痛を伴っていてはいけないよ。

だから、元気になろうとする時に、
もし少しでも苦痛を感じるのならば、
その波は自分に合わない波だから、
一度、砂浜に戻って回りを見回した方がいいんだろう。

そうやって出たり入ったり、いろんな波に乗るうちに
きっと心地よい波がやってくる。
そんな気がするぞ。

自分をみつめ、悪いところを治そうと思っても、
そう簡単には直せない。
だったらいいところを伸ばしていけば、
自然に悪いところも消えるんじゃないだろうか?

なーんて色々、考えてみたりした。

凹むということ

2006-07-17 12:08:07 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
どれくらいの頻度で凹むかね。

1ヶ月に2度か3度かね。

外的要因が少ない時は、それくらいかね。

しかし、以前の職場は外的要因が非常に多かったから、数日置きには凹んでいたかね。

異動してかなり変わったね。

自分が非常に強くなるのでは、などと期待もしたがね。

それはちょっと違ったね。

もう何十年もこの性格なのだから、そう簡単に変わりはしないやね。

だが、何も変わってないワケじゃないしね。

少しはね、ほんの少しは強くなったかね。

イヤ、やはり変わってないね。

外的要因が少なくなっただけで、決して自分が強くなったわけではないね。

この文章も、支離滅裂だしね(笑)

強くなっていないのなら、凹むのも当然だね。

しかし、明らかに以前ほど凹まなくなったかね。

凹むことも悪いことではないと思えるようになったしね。

前向きに生きてる人には理解してもらえないかもしれないがね。

正直な自分ってことだね。

強くなろうともがいて凹むくらいなら、このままの自分を受け入れるのが良策だね。

心が満たされるなんてことは無いからね。

満たしたいと思って凹むのは誤りだね。

そーゆーこと。

肉体か精神か

2006-07-15 07:36:58 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
ニワトリと卵。

"健全な肉体に健全な精神が宿る" か、
"健全な精神に健全な肉体が宿る" か。

やはり後者かね。

凹んでしまったときはヤケ酒したり不眠症になったり、
食欲なくなったり、逆にヤケ食いしたり。
そのせいで身体がボロボロになっていく。

そして、ハイな場合は、ちょっとやそっとの暴飲暴食や寝不足など、構わずに遊び呆けられるものだ。

逆に身体のどこにも異常がなく、健康だったとしても、凹む時は凹む。


ナニヲオイテモ、"精神第一主義" を貫こう。

イラつく→凹む→考える

2006-07-09 12:14:27 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
おとといの記事を書いていて、考えたこと、思い出したこと。


今は異動したから改善されているが、前の部署はとにかく残業続きだったし、職場環境も悪かった。
人間関係も難しくて、どうにかなっていた。

その頃は、自分のこと "何やってんだろう..." なんて時々不安になっていた。
つまんねぇことにイラついてたし、
そんなちっぽけな事にムカつく自分にまたイラついてた。
そんな自分のことを "何やってんだろう..." って。

とにかく仕事が向いてなかった。
職種的に個性的な人(はっきり言うと変わり者)が多い職場だったからね。
最初は、自分も変わり者だし、大丈夫だと思ってたんだけどね、
そんなことなかったな。

どうせ個性的なら、一匹狼みたいな人ばかりだったらマシだったけど、
つまらないことで職場の"和"みたいなの気にするんだよね。
なのに遅刻はするし、書類一つ正しく提出できない。
つまらないところで人に話合わせて気を使うわりには
意地っ張りで子どもっぽかったりする。
毎日イライラしてたっけ。
自分の仕事をこなしたいだけなのに、
周りの影響で、何ひとつスムーズに行かず、凹む。

その頃は、友達にさえ必要以上に気を使われると
気を使われていることにイラついてた。
その後には、そんな自分を振り返り凹む。

他にも、
買い物に行くと店員にイラつくし、
電車で他人にイラつく。
要するにすべてにイラついてた。
こんな人間じゃなかったハズなんだが...と思いつつ、再び凹む。

カルシウム不足?
年齢と共に心が狭くなってしまったのか?
トドノツマリ、不満を口にできないから、イラつくんだよな。
そこまではわかってるんだ。

じゃあ、なぜ口にできないんだ?
嫌われたくないから。
口にすると、言ってしまった自分に後悔し、凹むから。

そんなことを、とにかくいつも考えてた。
どうしたら凹まずに前向きになれるか。

そして、こんなこと考えた。
○ 「人からいい人と思われたい」などとは考えないようにする
○ 「相手の期待する自分」になるために苦心するのではなく
  「自分に正直である」ために苦心する
○ 「自己主張」もするが「意見」も聞く
○ 上記を実行努力中に離れてしまう友達は、
  「それまでだったんだと思うしかない」 と
  自分に言い聞かせる
○ 逆に、そんな自分を理解してくれた友達は大事にする
○ すべてに優先して「人に優しく、自分に厳しく」
  (あくまでも「優しく」するということで、
  自分を偽るわけでも、過剰に気を使うわけでもない)

考えることは出来たけど、どれひとつ満足に実行できないね。

何でもクヨクヨ考えるし、凹む。
確かに、今までの失敗の原因となった性格を、
まったく逆向きにしようっていう 「心がけ」 だから、
そう簡単にはいかないんだな。

そうは言っても、凹んだ時に、
「あっ、あれができてないからだ」 などと考えるようになり、
すぐに自己分析するトレーニングにはなったな。


今思うと、考えるのも悪いことではないな、と。

心に響く 「語り」

2006-07-07 07:49:08 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
ある日、あるところで...

zooquie
「以前この辺りに住んでいたことがあります」

ある人
「今はずいぶん都会に越されたんですね」

zooquie
「・・・満員電車が苦手なもので」

ある人
「最近はそういう人が多いんです。男性でもそれを理由に仕事を辞める人もいます
 私も自律神経失調症だったので、人混みとか苦手でした」

あれっ?過去形なの?

zooquie
「以前、自律神経失調症だったのですか?治ったということですか?」

ある人
「はい、自律神経失調症とパニック症だったんです」


"ある人" とは、まったく別の用件で、たまたま会った人だった。

その、"ある人" は自律神経失調症になった時には、必死で勉強したと言っていた。
"どうして自分がこうなってしまったか" "どうしたらパニックにならないか" "なにを改善したらいいのか"
悩みながら、悩みながら勉強をしたそうだ。

"こういう時にはこうやって気分を落ち着けるとパニックにならない" とか、 "こういう時にはビタミン○○を摂るようにすると体調が改善する" などなど...
それぞれの症状にあわせ、自分で解決策を見つけていった。

そして、多くの解決策を持つようになると、外出も恐くなくなり、何かあっても、すぐに自分で対応できるようになる。
そうすると、今度は早め早めに自分で体調の変化に気付き、先に手を打つことができる。
そのうち、症状が出る前に、自分で健康管理ができるようになる。

だから、今は大丈夫。


確かに、子供の頃身体の弱かった人に限って、自分のウィーク・ポイントを良く分かっていて、自分に合った健康管理ができている。風邪もひかない。

そうなんだよな。


でも、この "ある人" はそれ以上、何も言わない。

"なぜ、そんな質問をするのか" とか、"あなたもそうなのか" など...

自分の方法をすすめたり、これを気をつけろとか、ああした方がいいとか、言わない。

あくまでも、自分の体験を語るばかり。


それが良かった。そういう語りが欲しかった。

思わず、目に涙がたまってしまった。


自分が欲しかったのは、
人が必要としているのは、
How to 本とか、説教本とか、ましてやサクセス・ストーリーなんかではない。

体験を語ることで、聞き手の心を響かせてくれる、
そういう 「語り」。

"自分もそうしてみよう" とか、"やっぱりそうしなくてはいけないのか" などと思わせるものではなく、
"自分にも何か出来ることがあるかもしれない" とか、"自分にあった方法もどこかにあるのかもしれない" などと思わせてくれるもの。

疲れた心に必要なのは、その心に響く「語り」。

重要なのは、「内容」よりも「語り方」なのかもしれない。

"一人好き" or "孤独好き"

2006-07-05 08:01:16 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
"一人好き" と "孤独好き" は違うのだ。

孤独が好きという人は、人と接触しないことに、安心感を覚える人なんだろう。
本当に孤独が好きな人はなかなかいないのではと思う。

自分も含めてだが、一人でいるのが好きという人は、実は「人からとやかく言われたくない」ってだけなんだな。
人と接触せずに一人ぼっちでいることになんて、耐えられるワケないし、決してそういうことに安心感など感じたりしない。
逆に、人と接触しないことを不安に感じたりしてしまう。

一人が好きだからと言って、決して孤独が好きなわけではないという事。

自分も含めてだが、気分が凸凹デコボコしやすい人間には、一人で考える時間がとても大切だったりする。
思考回路とか考え方とか価値観など、一般の方々(?)とは、なかなか共有できないことが多いので、長い時間そういう人たちと居ると、合わせるのに疲れちゃうんだね。

だから "一人好き" になってしまうんだな、きっと。

しかし、だ...その一人でいる時間と凹んだ自分が一緒になると、これがまたやっかいなんだ(笑)

ひとつひとつのことに感情移入しやすいのだろうか?
思考を増強してしまうというか.....
楽しいことももちろんだが、
不安や心配までも一瞬にして増強してしまう!
だから気分が凸凹しやすいのだろうかなぁ...?

まぁ、どんな性格であれ、きっと良いところはある!(...かなぁ??笑)

どこかで、Blogの上でもいいから、「凸凹デコボコ "同志"」を見つけて、お互いを笑い飛ばす!
それがいいッ!