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Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

自分と人と

2007-07-31 06:41:57 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
完全にどーかしてしまってますね。

自分の存在価値とか、
そんなつまんないことどーでもいいんですね。

現実の世界の中に居られないんですね。

仕事がひとつ入る度に、逃げ出したくて仕方ない。
というか、半分逃げている。

どっかいっちゃってる自分の脳ミソと、
世間の雑踏の橋渡しを、
映画を観ることでなんとかしてる感じかね。

映画館を出て現実に戻る感覚。
これでリハビリ。

「自分に厳しく、人に優しく」
って、正しいことだと思ってたけど、
自分に優しくできないと、
人にも優しくできないね。

自分を好きにならないと、
人も好きになれないんだな。

経験

2007-07-19 07:32:44 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
傷つけられたり、痛かったり、悲しかった経験。

そういう経験が多ければ多いほど、
大人になると、外からの攻撃を避けて通ったり、
重厚な鎧をつけてしまう。

しかし、そのせいで気が付くと傷ついたり悲しんだり、
そういうことから離れてしまっていて、
返って免疫が落ちていたりする。

ちょっと鎧をはずしているときに、
うっかり攻撃を受けたりすると、もう立ち直れないほどに
くさってしまったりする。

そうして今度は二度と鎧をはずさなくなる。
どんなに重くても、どんなに肩が凝ろうとも、
二度とはずさない。

それは殻の中に閉じこもるのと同じ。

他人とのコミュニケーションなんてもってのほか。

もう一度あんな痛みを経験するくらいなら、
だれとも接することなく、一人でいたほうがいい。

怯えて、怖気づいて、震えながら、
鎧の中で一人っきり。


あの 「傷つき」、「痛み」、「悲しみ」 があったからこそ、
今の自分がある。

殻の中にとじこもった自分も、
心の痛みの解る自分も。

そんな自分に自信が持てるようになり、
鎧を脱げる日は来るのだろうか。

心の痛みが解るからこそ、
自分を必要としてくれている人がいるかもしれない。
そういう人とならコミュニケーションもとれるのか?

自信なんてない。
自信なんてない。
自信なんてない。

それでも、いつかそんな日が来れば.....


そんな、夢だけでも見ていようか。

続・ありがとう

2007-07-03 21:48:17 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
6月17日に書いた記事 「ありがとう」 には
実は続きがありました。
著者は
この「ありがとう」のもつパワーは、ちょっと比類がない。
と書いています。
 たとえば、赤ちゃんが生まれたとき。お母さんが、わが子を胸に抱いて言いようのない喜びに満たされ、思わずつぶやく、「ありがとう」。
(略)
 もとはといえば、ありがとうは「有り難い」であり、本来ありえないものがあるという喜び、あること自体が奇跡だという驚きから生まれてくる。
(略)
 生まれたての赤ん坊はまさにありがたく、本来なかったかもしれない存在がたしかにここにあるというこの感動以上に人の胸を打つものはない。そのときあふれてくる「ありがとう」を言うためにこそ、人は生まれてくるのである。であるならば、最もありがたく、最もありがとうと言わなければならない対象は、実は、本来いなかったかもしれないこのわたし、自分自身なのではないか。
 自分自身に、「ありがとう」と言う。しかしそれが、多くの人にとって難しいことであるのは事実だ。だれにとっても、真に自分自身を受け入れることがいちばん困難なことだから。特に、拒否されて育ち、自らを否定して生きてきた人にとっては、決して、できないと思い込んでいることのひとつだろう。ときには、むしろ自分なんかいないほうがいい、消えてしまったほうがいいと思っていることさえある。そんな自分に、どうしてありがとう、などと言えようか。
 だから、だからこそ、このことばがあるのだ。
(略)
 そのひとことで、生きていけることば。どうか、一度でもいい、このことばを信じて、自分自身に向かって、そっと言ってほしい。「ありがとう」と。

今日この頃

2007-06-07 07:42:47 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
体調が思うように上向かない時というのは、
精神的にもけっこう参ってしまうもので、
精神的にけっこう参ってしまってる時というのは、
筆も進まないもので、
どうせクダラナイことしか書いてないくせに、
ダラダラとBlogを書く気力さえ無い、今日この頃です。

「じゃあ、書くなよッ!」 というツッコミだけは
勘弁して下さい.....ウゥゥゥゥゥ.....

悲劇の主人公

2007-06-03 10:21:43 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
気分が凹んでしまっているとき、
それも、かなりドン底に近いとき、
人って悲劇の主人公になりたがる。

そんなことない?

自分だけかな...

世の中でというか、
とりあえず自分の周りにいる人たちのなかでは、
自分が今一番不幸なんだ、と思うことで、
イジけてる自分を許そうとしてる。

そんな自分の態度を、気持ちの通じる人は
同情・・・というか、「落ち込んでもしょうがないよ」 的な、
暗い自分を許してくれたりする。

でも、中には
「努力が足りない」 とか、
「世の中にはもっと大変な人がいるんだ」 とか
要するに、こちらが悪いんだという言い方をする。

まったくその通りなんだが、
だから言い返す言葉も無いんだが。

自分で自分をコントロールする気力が落ちてるから、
悲劇の主人公な気分なのに...
そこで 「努力」 ができるくらいなら、
こんなに凹まないんだけど。

心の狭い自分に腹が立つ。
自分に言い訳ばかりする自分にムカつく。
ひとの言葉にいちいち傷ついたりする自分に辟易する。

悲劇の主人公になりたがる、
そんな自分が大嫌いだ。

ミニスター

2007-05-31 07:47:47 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
あなたは何故に私を傷つける。

いつもいつも、あなたの遠まわしな言葉が私を傷つける。

身体的な欠陥や、
体調のために抑制しなくてはいけないこと、
そのひとつひとつを、回りくどく指摘する。

努力してこそ...
そうであろうことは解っているつもりだ。

こっちはあなたの言うことを解ろうと、
必死に受け止めているつもりなんだ。

あなたも、解ろうとはしてくれないだろうか。

その言葉のひとつひとつが、
私の心にズサズサと突き刺さっていることを。

話せないんだよ、人前では、こんなこと。
だから言葉にしなくても解って欲しいんだ。
虫のいい話かね。


そうだよね、
ここ(Blog)で 「解ってくれ」 って書いてる時点で、
虫のいい話だね。

子どもの言葉

2007-05-21 08:02:37 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
子どもの言葉は時に暴力をふるう。

当人は、何も考えずにふと出た言葉で、
人が傷つくなんて考えもしない。

自分では褒めたつもりだから、
思うままに純粋に口をついて出た言葉だから、
まさか側にいる別の人が傷つくなんて考えもしない。

だからこそ、なおさら傷つく。
純粋な言葉だからこそ傷つく。
裏が無いからこそ傷つく。

子どもの言葉の暴力は、
鋭いからこそ、受けた傷も真っ直ぐで深い。

パワーの石ころ

2007-03-09 08:12:12 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
体調を崩したりしていたら、
友人が "石" をくれました。
身につけていると効用があるそうで.....

シトリン(黄水晶) 生命力に満ち、勇気と自信をもたらす



パウアシェル
 高度な治癒能力があると知られている。



レピドライト 肉体と精神、感情のバランスを保ち安定させる




どれもこれも、今の自分には欠かせないもののようです。

整体ドリンク

2007-03-07 07:53:42 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
先日、体調が悪い中、整体に行きました。

顔がゲッソリしていたので、
体調が悪いのは一目瞭然だったのですが、
帰りに院長先生から 「胃腸が悪い時はコレを飲んで」 と言って、
ドリンク剤を頂きました。
「不味いけど、ちゃんと最後まで飲むように」 と言われつつ...

帰宅後、早速飲んでみましたが、確かに不味い(笑)
ホットミルクと交互にのまなければ、
とても飲み干せませんでした。
それでも、せっかくの厚意ですので、
がんばって飲みましたよ。


家族がいない、などとイジけたこともありましたが、
こういう、周りの人々に支えられている自分を
再認識させられました。

もしかしたら、そういうことに少し気が回らなくなっていたので、
罰として体調が悪化したのかも...などと。

教会

2007-02-25 14:07:14 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
自分はクリスチャンではありませんが、
先日に引き続き、また別の教会に行ってみました。

今回は人もかなりいたので、
先日のような大泣きはできませんでしたが、
何となく心を解放できる空間のような気がして、
心を鎮めて来ました。

前を向くにもエネルギーが必要なんですよね。
だからこそ、無駄なところに余計なエネルギーを使わないよう、
心を解放して、肩の力を抜いて.....

一歩なんて贅沢は言わない。
半歩ずつでいいから、前進できたら、と。

泣くということ

2007-02-21 07:31:41 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
ふと、考えた。


子どもの頃、泣くということはイヤな事があったという意思表示だったような気がする。

友人の家からの帰途、走って転んで痛いから泣いてみた。
でも、誰も通らない道で、誰にもなぐさめてももらえず、声もかけてもらえないまま、ひとり家に向かい歩きながら泣いている自分が、少々馬鹿バカしくなってすぐに泣くのを止めたような記憶がある。
友人の家と言っても、子どもの行動範囲だから、すぐ近所なワケで、あっと言う間に家に着く。
伯母が軒先に出てきたところで、また泣き始めてみる。
伯母は擦り剥いた膝小僧を見て、泣いている理由など聞かなくても、黙って手当てをする。
だいたい、その手当ての途中が程よいタイミングだから、そこいらで泣き止む。
自分は転んで痛い思いをしたんだという表明ができたから、既に気が済んだのだ。

しかし、大人になってからは逆に、泣くということは人に隠れてするものになった。
意思表示ではなく、悔し涙がほとんどだ。
人前では必死で堪えて、誰もいなくなったところで、誰にも気付かれないように泣く。
大人泣き。


その悔し涙が人を大人にするのか。
人前で泣けなくなったとき、人は大人になるのか。

礼拝堂

2007-02-13 07:29:51 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
昨日、夕方の一時間半ほど、礼拝堂に行きました。

自分はクリスチャンではありませんが、
優しい笑顔で迎えてくれて、
その笑顔だけで、こちらは涙が溢れてきました。

「好きなところへお座りください」

それきり、一時間半泣きっぱなしでしたね。
自分に対しての様々な疑問の解答を探しながら。

こんな自分が生きている意味があるのか。
こんな辛い思いをしてまで、生きている意味があるのか。
誰にも必要とされていないのに、生きている意味があるのか。

答えなど見つかりません。

それでも、自問を繰り返し、泣くだけ泣いたら、
少し気持ちが楽になりました。

深呼吸をして、外に出て、
なんとなく前を向く気になってきたかな、と。

悩める人々

2007-01-23 07:55:41 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
うつ病だったり、日々悩みをかかえていたり、
すぐに凹んでしまう人々。
または、心療内科というところに通われている方々などは
西洋医学ゆえに様々な病名をつけられていると思います。
人はそれぞれ違いますから、
同じ病名でも必ずしも同じ症状というワケではないでしょう。
同じ薬で同じように改善するとは限らないし、
同じ病名でも医者の出す指示は違うかもしれない。

ただ、
もし悩める人々の共通点を上げることを許してもらえるなら、
"いつも自分を責めてしまう人" だと思うのです。

これはあくまでも、自分の考えです。
サンプルは 友人とzooquie本人 です。

悩んで凹んでしまうのは、
人を悪者にしてしまうという責任転嫁はできず、
自分が悪いんだと思ってしまうから。
そして自分のコンプレックスは増えるばかり。
自分に対して厳しいから、
自分で自分に甘えられない。

何か失敗があると、
自分に甘えがあるから、
自分の性格がイジケてるから、
自分がしっかりしていないから、
自分ではっきり言えないから.....などと、
自分に対して原因追求してしまう。

人にいつもと違う態度をとられただけで、
嫌われてしまったのではないか、
自分が何か悪いことを言ったのか、
さっきの態度で気を悪くされてしまったのか.....などと、
自分には悪気も悪意もなく、ましてや故意でもないことなのに、
自分に対して原因追求してしまう。

相手も、悪気も悪意もなく、何の気なくちょっと態度が違ってしまっただけかも知れないのに、気付くと自分を責めてしまっている。

まったく逆に、
自分は悪くないと必死で言い訳を考えてしまったりもする。
誰に言い訳するワケでもないのに、
自分に対して必死で言い訳してしまう。

要するに、
自分に嘘がつけない。
自分を上手くごまかせない。
自分を甘やかせない。
自分で自分の事に厳しくなりすぎて、
上手にコントロールできなくなっている。

まわりの人々をあまりに気にかけすぎて、
自分を見失ってしまったりもする。

自分に嘘はつけないけれど、
相手に合わせて心にも無いことを言ってしまう。
自分をごまかすことはできないけれど、
相手が上手く笑いでごまかせば、
ちょっと変だな、と思っても一緒に笑って流してしまう。
自分を甘やかすことはできないけれど、
人の言う事を上手く否定することも、拒否することもできないから、
ついつい相手を甘やかしてしまう。

そんな繰り返しの中で、
自分を上手くコントロールできなくなってしまっているから、
気が付くと人に振り回されていたりする。

それさえも、自分のせいにしてしまう。

やさしいんですよ。
心に悩みを持つ人は。
人に同じ痛みを感じさせたくないから、
ついつい人にやさしくしてしまう。
甘やかしてしまう。
全てを自分のせいにしてしまう。

どうにもならない時に、人のせいにしてしまうことはあるけれど、
それはあくまでも自分への言い訳。
誰かを責めるのではなく、行き場の無い自分の心への言い訳。

だから、Blogなどで本音を書いているはずでも、
やっぱりやさしい。
だから、"こんなこと書いてもつまらないかな" とか
"これじゃ、暗すぎるかな" など、必要以上に気にしていたり。
無理して明るく書いてみたり。

相手の立場に立って考え、柔らかい言葉を返し、
自分のことを語る時は自分を責める。
人を許し、自分を責める。

うつ病だったり、日々悩みをかかえていたり、
すぐに凹んでしまう人々。
そういう方々に 「あなたはやさしい人なんですよ」 なんて言っても、
そういう精神状態の時には信じられないでしょうし、
やっぱり自分を責め続けてしまうのでしょう。

でも、時には 「自分ってやさしいのかも?」 なんて
思ってみるのもいいのかも知れない。
完璧な人間なんていないのだから、
誰にでも欠点はある。
はたから見れば、実は小さな欠点なのに、
当人だけが日々自分を責め続けているのかも。

だから、Blog仲間でも、会社の同僚でも、
軽い付き合いの友人でも、つながりのある人だれでも、
やさしいところを見つけたら、相手を褒めるのって大事なのかも。
目に見えないところで、
日々悩み苦しんでいるのかも知れないから。
明るく見える人でも、
日々自分を責め続けているのかも知れないから。
お気楽なタイプに見えて、
自分に対しての行き場の無い言い訳に、
日々涙しているかもしれないから。

母親

2007-01-18 07:34:45 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
母親というものは難しい生き物のようだ。

自分の母親は子育てを放棄した。ついでに言えば家事も。
子どもにしてみれば、虐待されたりするよりは、放棄してくれて良かったのかもしれないけどね。
元々子供が好きじゃなかったみたいだ。

母親はほとんど家にいなかった。
仕事もあったし、習い事もいつも2つ、3つしていた。
夜もいない、週末もいない。

自分は伯母に面倒を見てもらっていたからいいものの、
姉は特定の人に預けられたワケではなく、
母親の変わりに小さい頃から、家事モドキをしていた。

そんな姉には、愛情を感じられる人が側にいなかった。
姉は母親の愛情が欲しくて欲しくてたまらなかった。

我慢の限界に来た思春期に、登校拒否。
拒食症と過食症の繰り返し。
対人恐怖症。
自殺未遂の繰り返し。

それでも、母親は姉を病院に連れて行くだけで、
母親自身が変わらなくてはいけないことを、
口先では言うものの、心では分かっていなかった。

姉がちょっと調子良くなると、すぐに学校に行かせたがった。
強くなれとか、少しは我慢しろとかも言っていた。
それが出来ないから悩んでるのに。
あなたに、子どもを抱くように、愛情いっぱい包んで欲しいだけだったのに。

姉の病気のことで、病院の先生から呼び出しがかかろうと、
習い事優先で、平気ですっぽかしていたような人である。

姉が本当に死んでしまうまで、分かろうとしなかった。
いや、死んだ後もわかっちゃいないだろうけど。


ちょっと前まで、世間では、母親は子どもを命がけで守るかのようなことを言われていたけれど、それはやっぱり一般論でしかない。
多くの母親は子にとって、とても逞しく頼り甲斐もあるのでしょうが、
少数の母親は、母親となった強さ故に、弱い者の心をなかなか理解出来ないでいるものかと。

花開く能力

2007-01-15 07:40:37 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
慶應義塾の安西祐一郎塾長の講演から。


 だれでもいろいろな能力をもって生まれてきているはずです。数学の能力をもっている、音楽の才能がある、あるいは絵を描く才能がある。(略)たとえば、人とコミュニケーションを図る力がすごくある、人に笑顔で接することができる、あるいは、いつも黙っているが何となく周りが安心していられるというのも立派な能力です。

 他者に貢献していくこと、食べていくこと、それらを花開いた自分の能力によってできるということは、やはり人間として生まれて、本当に一番幸せなことの一つなのではないかなと思います。


自分にも、どっかに花開くはずの能力が潜在しているのだろうか?
それを探し求めて、その能力を生かした仕事をしたくて、色々な職業に就いてきたけど、結局今だ見つからず。

「だれでもいろいろな能力をもって生まれてきているはず」らしいがね、どうやらここに一人だけいるようだよ、何の能力も無い人間が。

こんな風に語られちゃうと、返って凹むんだよね、自分の場合...