荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

利き手についての考察 その2

2013-04-15 00:18:42 | 日記
利き手の左手と同じようになるまで右手を訓練すればいいのか?。
左手と右手は別の役割を持つのだから、右手は右手がやれることをやればいいのか?。

今から25年も前の話だから、今の議論がどうなっているのかは知らないが、当時フェミニズムには性差拡大論者と性差縮小論者がいた。
女性性を否定して男性と女性の歴史的に形作られた性差を縮小していくことが女性の地位向上につながるのが性差縮小論者で上野千鶴子なんかはこちらだと自称していたように記憶している。
一方で女性には女性にしかできない役割があるわけで(=産む性)、それを強調していくことが女性の地位向上につながる、と主張するのが性差拡大論者だ。

政経塾時代の同期の女性の塾生のSは前者、Oは後者だったことをはっきりと記憶している。今はどうかは知らないが。

利き手の話は、この議論と似ているように思っている。利き手かどうかは社会的・文化的・歴史的に形成されたものではないと思う。子どもの時から右利きとして躾けられたにもかかわらず、いっこうに右手を使ってごはんをたべることもボールを投げることもできなかった自分の体験からしか言えないのだが。先験的に利き手とそうじゃない手になっており、それが元で人生の中で左右の手の役割分担が固定化されていく中で、はたして右手を左手と同等に訓練することがいいことなのか、右手には右手にしかできないことをがんばってもらうことがよいことなのか?。

また講釈垂れてしまった。練習、練習。



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