荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

Tokyo Confusion

2011-03-11 22:04:22 | 日記
募金くらいしかできることがありませんが、地震で被災された地域の方々、がんばってください。



金曜日は仕事が遅いのでスタジオで1時間ほど練習してから新宿の職場へ向かう予定。

14時50分。「あと5分くらい練習できるな」。
練習していたところ、スタジオのマスターが防音扉をあける。「地震がきたよっ!」。
確かにすごく揺れてる。みんなスタジオから飛び出して、扉をあけたり、いろんなものが倒れないようにしていた。

それにしても長い揺れだった。船に乗っているかのような長期波動で揺れが治まっても体が揺れている感じが続いた。
60歳を超えるマスターも「人生で一番の地震だったといっていた」。

電車が動いていない可能性があるし、家の中がどうなっているか気になったのでいったん家に帰る。
部屋の中は信じられないことに何事もなかった。

「仕事にいかなきゃ」。駅に向かう。改札口には人が並んでいる。電車はまだ動いてないようだ。「歩いて新宿まで行くか」。
新宿までは約10キロ。俺は時速6キロでだいたい歩くから1時間40分でつく。その間に電車も動くかもしれない。

八幡山につくとここでも改札前に人が集まっている。上北沢は電車がホームを半分ほどすぎたところで止まっていて、後ろの車両に移動した客が降車していた。桜上水についたが全く電車が動く予感すらしない。このあたりで気づいた。「なんでバイクで来なかったんだろう」。
下高井戸。商店街はいつもと同じように夕ご飯の支度に来たおばちゃんたちでにぎやかだ。明大前。駅前は学生たちでごったがえしている。代田橋までは線路沿いに道がないために甲州街道に出る。
「なんじゃ?」。新宿方面から続々と人が歩いてきている(その風景を写真に撮ったのだが、このブログにあげる方法がわからず断念)。
不謹慎だが、どうなっているのか知りたい気持ちを抑えられない。甲州街道を新宿方面へ向かうが、下り方面へ歩いてくる人数の方がはるかに多いし、歩道に止めてある自転車が障壁となって歩く速度が落ちる一方になる。笹塚からは旧玉川上水跡の緑道に回る。「こちらはさすがに人が少ないな」。幡ヶ谷のあたりでふと気づいた。「これだけ歩いて帰る人が多いということは鉄道は完全ストップだ。ということは生徒たちは来れるのか?」、職場に電話を入れるが、つながらない。

もしかしてこのまま電車が動かないとなると帰りも歩き???????。
「バイクでくればよかった・・・」
とりあえず、職場に着く。期末試験中の生徒もいて、学校が早く終わったがために自習室に来ていた生徒たちは完全に帰宅難民になっていた。当然、授業も休講だ。
少し外に出てみると、公衆電話は長蛇の列ができている。携帯電話が通じないためだろう。ふだん閑散としたお店にも人が休むために満席。マクドナルドは品切れになることが間違いないくらい人が並んでいる。コンビニは職場で宿泊するサラリーマンたちがいろんなものを買い込んでいるために閉店セールのごとき商品がなくなっている。

それでも、生徒たちとAKB話で花を咲かせ楽しいひとときをすごした。AKBのことを普通にしかしらない生徒たちにレクチャー。結局、家まで歩いて帰ることにする。もしかしたら東京でも大地震が起きたときを考えて、いろんな光景を見ておくことが重要だと考えたからだ。

歩道では人を吸収できず、歩道にまで歩行者の流れが広がる。東京は直接被害を受けたわけではないので、歩行者の様子を見ていると、ピクニックに近い感じで楽しく会話をしながら歩いているものが多かった。とはいえ、さすがに明大前あたりになると、みなひたすらに黙々と歩く姿がほとんどになった。首都高が通行止めになっているせいか、道路は大渋滞。自転車とバイクはこういうときに便利だ。

コンビニはトイレを待つ人で長蛇の列ができている。家が近づくが、人の流れはまだ途切れることはない。
「足がもうダメだ」とつぶやいているサラリーマンもいた。それでも全体としては全く整然としていて、混乱とはいえない状態だった。しかし、これと同じ規模の地震が東京で起きた場合、どんな混乱がおこるか想像がつかない。そんな状況になっても、平常心を保ち、見知らぬ人と協力し合える人間でいたい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。