荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

Documentary of AKB

2013-02-05 01:58:14 | 「AKB48」
AKB映画第3弾を観にいってきた。

新宿ヴァルト9、平日夜の部。客は70人弱。子ども、女性は2、3人。ピンチケも目に入らなかった。ヲサーンがほとんど。上映時間は2時間とちょっと。昨年観にいった記録を読み返してみたが(2012/2/22)客の大半が女性だった。だいぶ様変わりしたようだ。

映画を観る前にかなり予習をしておいた。すでに映画を観た人の感想をブログなどでかたっぱしから読んでおいた。これらを読んだ範囲では、俺と似た感想を誰も書いてなかったので少し長めに書いてみる。なぜ書いてないのか不思議に思ったが、それはそういう感想を書いている人たちがAKBファンという視座からみているからだろう。悪く言えば視野狭窄に陥っているのだ。もちろん映画なんて自分が好きに「誤読」していいものだからどんな感想を個人が持とうと非難するつもりはない。俺は俺の感想を書くまでだ。

俺は2012年に入った段階でほぼAKBに目を向けることはなくなっていった。カヲルくんをを除けば握手会にもほぼ行ってないに等しいし、コンサートにも行っていない。DVDとかYoutubeとかもみていない。だからこの映画ではじめてみた映像がほとんどだった。メンバーの顔も12期生以降は全くわからない。それでも全く退屈することなく観ることができた。

エンディングテーマは映画本編と不似合いだった。曲は好きなほうで「こりゃ、野中だな」と予想してスーパーが出た瞬間、小さくガッツポーズ。これは全くの余談。
テーマソングは第1弾の「少女たちよ」第2弾の「ファーストラビット」と似た曲調とサウンドなのだが本編と不釣り合いで違和感がありあり。この映画は俺はかなり評価が高いが、このエンディングテーマだけは残念。本編がどうにも重苦しい。

その重苦しさをなぜ感じたかと言えば、やはりAKBをやめたメンバーにスポットがあたりすぎていた印象が強く残るからだ。AKBをやめたメンバーといえば前田敦子だが、あっちゃんのシーンがあまりにも多かったと思う。そしてクビになった平嶋夏美と辞めた城恵里子、卒業を宣言した板野友美のインタビューが最後のほうで出てくるものだからますます前向きに感じなくなってしまう。

正直言ってちょっと退屈に感じたのは東京ドームのコンサートのところだった。はじめて見る映像ばかりだがあっちゃんのことばかりで「ドキュメンタリー前田敦子にしろよ」と思ったくらいだった。
総選挙やじゃんけん大会のような定番のイベントのことを挟むのは理解できたが、どうして平嶋、米沢が辞める事や指原がHKTに行くような話を挟むのかがわからなかったが、最後の最後で気づいた。

冒頭で研究生?たちがステージに出てステージの立ち位置にセンターというのがあって、そこは誰の後ろ姿もみることがない頂点とも言えるべき位置だということを映していた。この映画のモチーフはAKBにおけるセンターのもつ重圧とか、そこを目指すには運をつかみ努力を積まねばならぬことをみせたかったものと思われる。

研究生たちに「センターになりたいですか」と問いかけると全員が手を挙げる。その屈託のない笑顔は次期センター候補のプレッシャーに勝てず辞めていった城恵里子と対比される。総選挙で1位となりセンターとなった大島優子が2位の渡辺麻友に「次はキミだから」と声をかけるシーン、その渡辺が「UZA」でセンターになれなかったエピソード、じゃんけん大会で優勝したぱるる、「大声ダイヤモンド」で一度はセンターにたった松井じゅりなが再度確たるセンターを目指そうとして階段を駆け上っている映像は、このセンターをめぐる物語の一環となっている。不動のセンターだったあっちゃんのインタビューはなかった。そのかわり、あっちゃんなき後のAKBをひっぱっていく優子のインタビューはとても多い。

AKBのセンターになるためには選抜に選ばれなければならない。そこで選抜にこぼれてしまったメンバーや入る事ができたメンバーの映像を多く見せていた。これは高城亜樹が総選挙で17位になったところや、梅ちゃんの16位、そしてカヲルくんが圏内にすら入れなかったところをクローズアップしたところにあらわれる。選抜に入るためにはゼロからやり直す決意で「都落ち」を自ら志願したメンバー(らぶたん、まりやんぬ、あきちゃ、さえちゃん)のことは削るわけにはいかない。

AKBの選抜に入るためにはAKB(グループ)にいなければならない。そこでいろんな事情でAKBをやめなければならなかったメンバーのことを多めに映した。

これでこの映画のストーリーが首尾一貫する。

もうひとつサブストーリー的なものがあるとしたら、それは恋愛禁止条例なるものをめぐってメンバーがどう思っているかだ。これはAKBを辞めざるを得なかったものがこの「条例」に抵触したことに由来するものであって、メインのストーリーを支えるものとなっている。
篠田が面白いことを言っていた(これは俺と同じ感想を持った人が多かった)。
原文ママではないが、

「今、私に好きな人ができたら、それは運命の人ではないと思う。それは今、私が恋愛をしてはならない場所にいるからだ」

こじはるもたかみなもファンのためにはこの条例は必要だろうということを言っていたように記憶している。もちろん、峯岸もそういう発言をしていた。峯岸はこのインタビューだけではなく、ちらちらいろいろと映っていたのだが、俺の読んだブログで今回の峯岸事件を想定していたかのような感想を持っているものがいた。それは大きな誤読というものであろう。1期生の平嶋がこの「条例」にひっかかって辞めたのは選抜に入るという意欲を失って今の地位に甘んじていたことをどう思うか1期生に素直に聞いただけだろう。
平嶋が秋葉原を歩きながらインタビューを受け、「今は楽しい」ということを発言していた。「AKBをやめても楽しい人生を送ることはできるんだし、無理にセンターを目指すとかそういうことはやらなくてもいいんだよ」とみせながらも、それでも「誰の後ろ姿をみることができない位置に立ってみようとは思わないかい」、と一般人の日常のあり方も問いなおすメッセージがそこには潜んでいる。



第1弾は2011年1月終わりくらいからの上映だったと思う。内容は主要メンバーの個人インタビュー集といった感じで、AKBファンにはつまらないものだっただろうが、新規ファンにはAKB48を知ってもらうという目的は十分果たせた作品だったと思う。映画でメンバー全員の名前を覚えてもらうことなんかできないし、この時点で5年間に及ぶAKB48の歴史を2時間でみせるのも難しい。2011年というAKBが登り坂を駆け上っている途中の作品にふさわしいと思っている。

第2弾は実は1度観ただけで記憶がほとんど残っていない。震災後の活動を行っているシーンが思い浮かぶだけだ。日記を読み返しても毎月ごとの活動をそのままダイジェストにして流しているだけで「掘り下げ」ていないと書かれてある。DVDはツタヤで借りられるだろうからもう一度観てみたいが、これは2011年に新しくAKBファンになった人たちに「いろんなドラマをメンバーとファンがこれからも作っていこうぜ」というものなんだと思っている。

この第3弾は、いわば成熟したAKBの苦悩を描いたように思われる。そして、それは今の日本のあり方にも通じるメッセージと俺は受け取った。AKBに興味をなくしてもこの映画を退屈せずにみられたのは、このメッセージを勝手に俺が受け取ったからだろう。この明確なストーリーを持っていたからこそ、そこからはずれるエピソードは今回の映画では一切なかった。つまり、1年間の出来事のダイジェストといった第2弾型ではなかった。アルバムは過去を追体験するものだが、それはあくまで体験した自分だからできるわけで、他人にそれを追体験させようとしても無駄だ。この映画は明らかにAKBファンにのみ向けられて作られたのではないと思っている。だから、すでにAKBに興味をなくした俺でも退屈せずみることができたのだと思っている。









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2 コメント

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こんにちは。 (buno)
2013-02-07 02:32:45
ブログ楽しく読んでます。
akb 見てると今の日本の縮図というか、社会の仕組み見てるみたいで面白いんですよね。だから、akb を楽しんでます。大袈裟過ぎますかね?笑
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Unknown (荒巻豊志)
2013-02-07 23:15:11
bunoさん、こんばんは。
いえいえ、そんなことはないと思いますよ。AKBは在宅でも楽しめる面白いコンテンツです。俺は現場系ですからAKBからは離れてしまいましたが。
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