荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

反省はするけど、後悔はしない。

2011-06-26 12:17:41 | 日記
今日は朝から病院にいって、ルフィの散歩。とことんやるつもりだったが、昨日行くはずだったのに行かなかったSUPER GIRLSの握手会に行かなければならないことを思い出した。
そこで散歩もそこそこに切り上げ、表参道のエイベックス本社へGO。

青山通りを歩いきながら「こいつ、握手会にいったな」などと人間観察しながら現地着。
AKBの現場に慣れてる身としては、とても客が少なく見える。というか、実際に少ないのだが。たぶん、俺がついた時間には300人程度だったと思う。
いわゆるピンチケくんばかりで、AKBの現場と感じは似ている。

握手会は屋内だが、長蛇の列ができているわけではない。メンバーが握手している光景は視界に入ってくる。複数いるメンバーが何人かに分かれ、どれかの列で握手をするというバターンか。3人くらいで一組になっているようだ。


!!!


すぐさまiPhoneをとりだし、ストップウォッチ機能を使う。



確実に10秒は握手をする時間がある。
ファンもメンバーとそれなりに会話を交わしているようだ。


どうする?。



「MAX 乙女心」を一枚買っただけで、メンバーが何人いるのかすらわからない。
当然、メンバーの年齢も名前も誰一人として知らない。


10秒近く、なにも話すことなく見つめ合う。
それもまたよし。


といえるほど神経は図太くない。
別に10秒、握手する必要はない。何か一言交わすだけでいくか?。

いや、俺の前のやつが10秒握手をしていたら、必然的に俺もそのメンバーと10秒近く向かい合うことになるわけだから、とても一言では間が持たない。

気軽な気持ちで握手会なんかにくるんじゃなかったぁぁぁぁぁ。


引き返そう!

握手会の列からはずれると、係員が不審そうにしていたんで、
「ごめんなさい、友達が駅についたんで、ちょっと迎えにいってきます」と一言。
そのまま、握手会場を後にする。

俺の動向をもし追いかけてみている人がいたら、「栗田艦隊謎の反転」と同じくらい不思議な光景に見えていただろう。

握手会って気楽にきて気楽に帰れるようなものじゃないのね。AKBの全国握手会は大混雑を除けば、本当に気楽だし、家族連れなんか、さっさと握手したら帰路についている。
ある意味、その敷居の高さがなくなっていることが広範なファンを獲得しているということなのだろう。SUPER GIRLSの敷居が高いのか、俺がただのチキンなのかはわからんが、握手会のときはしっかりと心の準備をしておきましょう、ということで、この雪辱は次のシングルが発売されたときの握手会で晴らしてやる。








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4 コメント

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Unknown (ZーMEN)
2011-06-26 18:43:58

先生らしい話ですね

その握手会の敷居が高かったのではなくて、どう考えても先生の考えすぎだと思います笑

でも先生が10秒間無言で見つめ合うっていうのも見てみたいですねww
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Unknown (荒巻豊志)
2011-06-26 18:57:36
Z-MENさん、こんにちは。
CDに個別握手会券が入っているというのは、ラッキーとみることもできるけど、それはヲタだけであって、俺みたいなパンピーにはミニライブみたいなイベントがよかったですね。最初から濃いヲタと同列に並ばせられるのはやはり敷居が高いのではないかと思います(笑)。
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コメント (チュンヤウ)
2011-06-26 22:33:53
はじめまして、『見取り図』の読者です。
ブログを読むところ先生はAKBとドラムにはまっているようですね

僕はAKBのファンではないのですが、握手会でのやり取りは自分が一人のファンであることを伝えればよいのでは?と思います。これ以上のことは誰もできないと思います。それに僕は、当たり障りのないコメントこそ高尚な愛の形だと思います!…すいませんw

ところで先生のドラムのことなのですが、以前先生がユーチューブに自分の演奏をあげていたのを見ました。ぼくも楽器(バイオリン)をやっているから、曲が完成に近づくと、CDとあわせて演奏したくなります。でもこれはあまりよくないそうです。現役でプロのオーケストラに所属している僕の師から聞いた話なのですが、CDは音に関しては録音当時のものをほぼ再現しているけれども、その時の演奏者たちの視覚的情報、その場に漂う雰囲気などは反映されないから、絶対にCDを聞きながら演奏している者にはズレが生じるのだそうです。ぼくはプロなんかではないのでそういった鋭い感覚はないのですが、この言葉には納得しています。ではどうすればいいのか?と聞くと、自分の腕が一定のフレーズを奏でるときに、いつも腕が同じ距離を移動しているのかどうか、というような「自分の肉を見る視点(?)」を取り入れれば良いそうです。機械的な作業を、死ぬほど繰り返せ、それも惰性にならないように熟考しながらという言葉ももらいました。要するに、まだはやいのでは?ということです(クソ生意気ですいません)

受け売りを並べることしかできないのですが、やっぱり楽器を演奏するってとても難しいことですよねorz
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Unknown (荒巻豊志)
2011-06-26 23:50:40
チュンヤウさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
すべておっしゃるとおりです。握手会のことも、ドラムの練習のことも。
AKBに対しては「愛」があるので全く気負うことはありませんよ。でも今日のSUPER GIRLSというのはAKBとは異なるグループですからその「愛」を「まだ」もってなかったのです。とまどうのはあたりまえですね。ゆえに次にいくときにはその「愛」をもっていこうと思っています。

ドラムのことに関しては少し話が長くなります。おつきあいください。
CDに合わせて演奏することがよくないことは俺も習ってる一人の先生から言われました。ただ、それに対しては、理解するけども同意していません。そちらの先生とは直に別れるでしょうね、それは俺の目指していることがCDに合わせて叩けるようになることだからです。それじゃ上達しないよとか、それはドラム演奏の本質からかけ離れていると言われてもいいのです。別にプロになるわけでもないし、誰とも演奏をすることがないので。その先生はそこがなにもわかっていないので「機械的な作業を、死ぬほど繰り返せ、それも惰性にならないように」と同じことを言います(笑)。何の意味もありません。俺はドラムは1年でやめるのですから。
もう一人の先生は、俺のことをわかってくれています。だから楽曲を聴いて楽譜がなくても好きにどんどんと叩けるようにいろんなフレーズやテクニックを教えてくれます。先の先生に言わせれば、そんなことは10年20年叩いていればだれだってできるようになる。そんなことがいくらできたって人を感動させる演奏はできないといいます。でも、もう一度いいますが俺はドラムは1年でやめるつもりなんですよ(笑)。
かつて、バイク競技を「趣味」にしていたときがありました。そのときにも「長くつき合っていく趣味だから」ということを前提にして教える先輩の意見はことごとく受け入れられませんでした。それよりも「これができるようになると町中で運転していても役に立つ」ということや「バイクの整備のやり方を教えてくれる」先輩のほうに説得力を持ちました。実際に、競技の成績もバイクとは無関係のことに興味をもつことで伸びました。
たったひとつの真実は世の中にありません。18歳の子どもに説得力ある言葉が、死を前にした老人に対しても同様に説得力があるとは限らないのです。もちろん、二人ともドラムの先生ですから、話していることの9割が一致します。でも前者の先生とは全くウマがあいません。それは俺というコンテクストを無視しているからでしょう。
学校よりも予備校の方が授業が成り立つというのもそこにあります。生徒がみな受験を目指すというコンテクストが共有されているからです。それでも、俺は常日頃から世界史を教えているときに、みんなが歴史学者になるわけではないということを踏まえて教えています。だから俺の授業をとっているものはわかっているんですが、入試問題の解き方と雑談しか話しません。世界史の授業なのに歴史の話をすることを避けます。入試問題が解ければいいのです。もちろんその解き方に人生の重みも、思考の積み重ねも全て凝縮させていますよ。それは後に出てきた先生と同じです。テクニックや様々なパターンを教える中でドラム演奏の本質を「知って」(身につけてではない)もらおうとがんばってくれてます。俺も生徒たちには歴史学者になってもらうのではなく、比較不能な能力を身につけてもらう一環として、入試問題の壁を乗り越えるテクニックからそれを自分なりにとりこんでいってほしいと思っています。
俺はとにかく何をやるにしても周りから呆れられます。その最大の理由は、あることに没頭していても、実はそのことに没頭しているのではなく違うことに没頭しているからです。AKBにハマっている、というのは間違いではありませんが間違いなのです。長い間俺とつきあっていると、そのことがわかってくるようですが、短いつきあいだと1年ごとにハマることがかわっているので、この人は熱しやすく冷めやすい人なのだなという印象を持たれます。まぁ、別に友人なんて世界に3人程度いればいいのでどう思われてもかまわないのですが。AKBにハマっている俺を観察することにハマっているとでもいえばいいでしょうか。だから、俺は他のヲタを観察するのが楽しみなんです。俺というヲタと他のヲタの比較ができるからです。その比較からいろんなことを考えたりすることが好きなのです。ドラム演奏もそうです。ドラムの腕が上達したいわけではなくて、ドラムを練習している中でいろんなことをみつけていくことが楽しいのです。はじめてやるものですから毎日が発見で面白くてたまりません。それがみつからなくなればやめていくまでです。
おわかりでしょうか。俺は徹底して「専門」というものを嫌っているのです。「専門」よりも「教養」を欲しています。ある道の達人は全てにおいて達人である。これは真実でしょう。だから「たかが」将棋のプロが人生を語ったり、野球監督が人生を語り、それが説得力を持つのです。
「教養」とは「専門」なきところから人生を語る力を身につけることです。それぞれの専門家が導きだす真理同士が衝突した場合、互いに「こちらが真実だ」とののしりあうことを避ける知恵が「教養」だととらえています。ここからはキリがなくなりますね。いつか、「教養」について長編の文章を書いてみたいです。

本当はこういうことを日々、日記に書いていくつもりでブログをはじめたのですが、なんかこういうことってあまり書く気がしなかったのですが、チャンヤウさんのコメントでつい書きたくなってしまいました。ありがとうございます。


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