荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

冷夏

2014-09-07 17:59:27 | 日記
今年の夏は過ごしやすかった。
なにやら日照不足というようなことも小耳に挟んだ。
感覚的には、異常気象が常態化する中で「普通の夏」という感じだった。

TIF2014の時のようなカラッと晴れた真夏日もあれば肌寒い雨空の日もあり、俺としてはそんなに嫌いではなかったが、確かに冷夏だったのかもしれない。


1978年、俺が中2の時だが、福岡は異常渇水に見舞われた。一日に水道が使えるのが2時間だけという地区もあった。俺の住んでいたところはそれほどではなかったが、それでも一日に5.6時間しか水道が使えなかった。これが、今でも体に染み付いていて、水道の水を流しっぱなしにして歯を磨いたり洗い物をしているのは許せないところがある。

高校生になった1980年。この年が俺にとってはじめて実感した冷夏だった。この夏に西城秀樹が「エンドレスサマー」という曲をリリースしたが、友人が「夏が終わらないのは始まらないからだよ」と言っていたことを思い出す。こういう言葉の言い回しができるやつが友人にいたのは幸せだったと思っている。八代亜紀が「雨雨ふれふれもーっとふれー」と歌ったのもこの年だった。夏だというのに大雨の中、友人と海へキャンプに行ったが、ずっとテントの中でうだうだやっていたことを思い出す。ラジオからはもんた&ぶらざーずの「ダンシングオールナイト」が何度もリクエストされ、かかっていた。


次に冷夏だなと思ったのは1988年だった。松下政経塾に入塾した年で、最初の夏は労働体験研修といって、あっちこっちの企業で2ヶ月ほど働かされる。ただでさえ働くのが大嫌いな俺にとって、自分が決めたことでもないところで働かされるのは奴隷同然で、嫌な記憶は防衛本能が働くせいか、記憶からほとんどが抜け落ちている。この労働体験が終わり、9月1日から通常の研修が始まるのだが、朝の朝礼の時にとても心地よい涼しい風がワイシャツの上から肌に入り込んでくる感覚を今でも覚えている。今年はこの1988年によく似ている感じがする。

次の冷夏は1993年。翌年の米不足は当時を知っている人ははっきりと覚えているだろう。
とはいえ、昭和から平成に変わり、自分も世の中も大きく変わっていった。冷房が完備された中で生活を続けているとあまり、冷夏だろうが熱夏だろうが気にならない。食の多様化は米を食べなくてもなんとかなるライフスタイルに体を変化させた。そのため、記憶にはこの夏はさほど暑くなかったというようなことは残っていない。

案外と記憶に残っているのは2003年だ。友人の本多平直が秘書をやめて、初の国政へ挑戦したのがこの年だった。お盆の時期で人影まばらな衆議院議員会館から荷物を撤収する作業中に陣中見舞いを持って行った。その頃、毎日和服で生活をしていたが、8月17日は気温が20度を下回り、夏の着物どころか秋仕様で出かけたことを覚えている。


この日記をアップするにあたってWikipediaで調べてみた。確かにここで書いた4つの年は冷夏だった。2003年8月17日も最低気温は18.2度だった。やけに細かいことを案外と覚えているものだ。ところが、それ以外にも82.83.91.09年も冷夏だったらしい。言われてみれば、82年はそんな感じもしているが、それ以外は全く記憶はない。
ちなみに冷夏の対語はないようで、猛暑と呼ぶ言葉があることにはあるが、それは一日を単位とする言葉のようで、91年のようにもうしょが多かったのに8月になると急に気温が下がり、トータルでは冷夏と呼ばれることもあるようだ。暇な時に昔を思い出すついでに各年の気温とかじっくり確認してみたい。





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