荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

『世界史の文法』(仮題)

2011-02-27 00:13:12 | 著作
タイトルの表題になるかどうかわからないけど、ただいま文芸春秋社から執筆依頼を受けてます。

すでに昨年の秋には依頼がきてたけど、AKBにハマったことや冬期・直前講習で遅々として筆は進まず、ようやく最近になってエンジンがかかってきました。

とはいえAKBのことが気になったり、ドラムの練習をしたくなったり、誘惑が多いのも事実です。

昨年の内にたてていた目次をご破算にして仕切り直しをしたはいいけど、どうなることやら。

表題は、わかる人はわかるけどブローデルのパクリです。


序章 世界史とは何か
1章 特殊的世界の歴史
2章 世界史観の歴史
3章 ヨーロッパとアジア
4章 大英帝国とは何だったのか
5章 時代区分論と世界史
6章 第一次世界大戦を世界史から捉え直す
7章 第二次世界大戦再考
終章 世界史を学ぶ意義~認識か実践か~

目次だけをみると、我ながらよくできていると思うんだが、頭の悪さがここから各パートをつめていくことを邪魔しています。

夏前には出版されると思います。よかったら読んでみてください。

40半ばにしてAKBにハマる(2)~偶然~

2011-02-27 00:11:06 | 「AKB48」
渡り廊下走り隊についてはあまりにも楽曲が気に入ったので、作曲や編曲をやったのが誰かを調べていく中で、音楽に対するブランクがあきすぎていることに気づかされた。誰一人として知っているものがない。それもそのはず、ほとんどの楽曲提供者が音楽活動を21世紀になってからしばらくたってはじめているからである。つまり、総合プロデューサーの秋元康は若手でイキのいいミュージシャンを曲作りに使っていることがわかる(1)。
 なかでも「やる気花火」を作曲した多田慎也はとても気になった。ジャニーズの嵐にも楽曲を提供している注目株ナンバーワンといった人だ(2)。後に知ることになるが、「ポニーテールとシュシュ』も多田慎也の作曲によるものである。
 さて、いよいよAKB48の楽曲のダウンロードをするときがやってきた。渡り廊下走り隊の曲はカップリングを含め10曲ちょっとしか発表されてないのだから毎日何度も聴いているとさすがに飽きがくる。AKB48の曲はitunesにかなりの楽曲がすでにリリースされていたのでCDを買うことなくまずはお試しで購入(3)。視聴の段階でさっそくAKB48について持っていたイメージが180°転換することになった。とにかく聴く曲のほとんどがお気に入りになるほどだった。
 1982年頂点説。このことを詳しく述べるのは、またの機会に譲るとして、1980年代半ばから急速にトライブ化(島宇宙化)が進行した中で、どんなにいい楽曲も耳に入る機会は失われていった。よくいうところの、「100万枚CDが売れているのに、知っている人が少ない」といわれる現象は90年代半ばに言われていたが、すでに1980年代半ばからからその傾向は明らかに見えていた。ただでさえ音楽を聴く機会が失われているのに、AKB48の楽曲に触れる機会は、どんなに思い起こしてもこの5年間にはなかっただろう。
 確かにAKB48という存在は名前だけは知っていた。2005年の時点で秋元康が秋葉原を拠点に「会いにいけるアイドル」というコンセプトを打ち出していたことも既知の情報であった。しかし、全く興味を持つことはなかった。いや、ある意味で忌避していたといってよい。その理由は、「秋葉原」というものに全くよいイメージをもっていなかったからである。オタクという言葉は今でこそ市民権を得たようだが、自分にとってはこの語はいまだに負のイメージで塗りつぶされている(4)。
 2006年のことだったか?。政府公報で3つのRについてのコマーシャルが流れそれがAKB48によるものだと知ったとき、「モーニング娘の二番煎じ?」という印象を持った(6)。
 こうして、AKB48については全くといっていいほど無知と偏見にさらされたままitunesで曲を視聴してびっくりした。80年代アイドルポップスの王道を受け継いでいるのは自分にとってドンピシャだった(7)。しかもアレンジはロック調でキマっている。時はAKB48が「ポニーテールとシュシュ」をリリースしていた時期であった。「ポニーテールとシュシュ」は今までのAKB48の楽曲の中でもベスト10に入るであろう好きな楽曲で、この曲だからこそAKB48のファンになったといえる。
 この経緯も珍しいパターンなのではないかと思っている。メンバーのパーソナリティとかビジュアルを全く知らず、楽曲だけでAKB48が好きになるのだから。とはいえ、楽曲だけでとどまることはありえようもなく、メンバーのことを知りたくなるのは当然のことであって、知らず知らずの間にどっぷりとハマっていくのであった。

この項 了

(1)日経エンタテイメント(11年1月号)に掲載されていたが、やはり、楽曲提供者は30歳前後の若手を最大限利用している模様。ちなみに秋元康を支えている音楽総合プロデューサーは俺より歳が一つ下(同世代!)の田中博信。たぶん、このことが楽曲に関する指向性が合う理由なのかもしれない。
(2)多田慎也は自らシンガーとしてCDまで出している。シンガーのときはカタカナでタダシンヤというクレジットになっている。最近はタダシンヤのライブにも行くようになった。
(3)初期の AKB48はデフスターというレーベルからリリースされていた。このデフスターというのはソニー系列の会社らしい。ソニーがitunesに曲を提供していないことはitunesを使っているうちにすぐに気づいた。なにせ松田聖子の曲が一曲もみつからないからである。自分はソニーの株主であるが、この件でソニーという会社がいかにだめな会社であるかということを思い知った。とはいえ、株価低迷のおり、ソニーの株を売るにもいかず塩漬け状態を続けるしかない。
 したがって初期のAKB48の楽曲を聴くことはできず、代表曲でありメジャーデビュー曲でもある「会いたかった」はAKBアイドリング!!!でしか聴けなかった。
(4)眼鏡・デブ・リュックサック・キモイといったステレオタイプのイメージをもつ人たちが集まっている場所という印象を得たのは実体験というよりテレビを通じてあった。この映像に映る集団に関してとても悪いイメージが植え付けられ、秋葉原には近寄ることすらしなくなった。メイド喫茶なるいまだもって不可解な商売が出てきたのもこの頃だっただろうか?。AKB48もそのようないわゆるオタクを相手にするものだろうという第一印象をもったことがAKB48の存在が目にも耳にも入ってくることを拒否する状態を作ったといえよう。 自分は彼らを全く受けつけない。今でもAKBのイベントでそれとおぼしき人々を見ても距離をおきたくなる。
 ちなみに、なぜオタクが嫌いなのかということを自分なりに考えてみると、その最大の理由は、自分もブサイク、モテナイetc、彼らと同類だからと思っているからではないだろうかと考えている。
(6)90年代末に流行したモーニング娘はさすがに存在は知っていた。それでも誰がメンバーにいるのかということすら把握していなかった。それでもハロープロジェクトの中のユニットやソロで活動するアイドル(アーティスト)については二人だけ興味を持った。松浦亜弥と藤本美貴だ。とりわけデビューしてからしばらくは楽曲に面白みがあった。ところが、松浦亜弥に提供する曲が自分に合わなくなり、藤本美貴はモーニング娘に加入したと思ったらちょっとしたスキャンダルで歌の世界からはフェードアウトしていった。そのためモーニング娘をはじめとするハロープロジェクトに興味を持つチャンスを逸してしまった。自分にとって、つんくの曲は好き嫌いがはっきりわかれる。それがハマることはなかった理由であろう。これはモーニング娘とAKB48の違いにもつながってくる。ハロープロジェクトはつんくが作曲を手がけるが、作詞に比べて曲作りは量産がきかない。そのためどうしてもハロープロジェクトは楽曲的に行き詰まっている感じがする。ちなみにそれはつんくも気づいているわけで、最近はつんく以外のアーティストに作曲を依頼することも多い。
(7)自分の子供の頃からの音楽に対する興味関心の移り変わりをかいつまんでみる。
 桜田淳子、山口百恵にはじまり、ピンクレディーを経て、いわゆる歌謡曲からスタートした。1980年になり、松田聖子と河合奈保子がデビューする。そして花の1982年組がデビュー。時は高校3年生。アイドル、歌謡曲は好き嫌いを超えてコミュニケーションのツールであった。とはいえ、アイドル自体はどうでもよく、彼女たちに楽曲を提供している側に興味をもった。当時、ニューミュージックと歌謡曲のフュージョンが進んだと言われていた。このあたりについての歴史は中川右京の『松田聖子と中森明菜』(幻冬社)を参照せよ。

死の四重奏

2011-02-27 00:10:15 | からだのこと
糖尿病
高血圧
高脂血症
肥満

肥満というのは一概には言えないと思う。スポーツ選手の多くがBMIレベルでは肥満に位置づけられるのだと思う。だから体脂肪率も考慮に入れなければならないのだろう。いずれにせよ、20年近く肥満状態だったことは間違いない。
もちろん、俺を知っている人はそんなに肥満体型には見えないだろうが、お医者さん曰く立派な肥満だそうだ。

悪玉コレステロールの数値も基準値より多少オーバーした状態が10年以上続いていた。つまり、高脂血症。

2006年から糖尿病に認定される。確かにカロリーのとり過ぎだったことは否めない。ごはんのかわりにスナック菓子という感じだったから。

大幅なカロリー制限が課せられる中で、食事の偏りはなかなか直らない。気づくと高血圧になっていた。

ただいま、塩分1日6グラム、タンパク質1日55グラム。

インシュリン投与と血圧降下剤、高脂血症改善剤を処方

どこでも参上します

2011-02-27 00:06:48 | お仕事
職業はとりあえず、不明。自分で何やってるかよくわかりません。

といってもそれじゃ困ることもあるので、予備校講師ということにしています。

塾の先生といってもいいでしょう。

世界史を教えてます。大学受験の世界史です。

世界史を教えている、などというと、歴史のことについてよく知っているんだろうなと思われるでしょうが、全くそんなことはありません。たぶん、日本全国の世界史を教えている先生の中で下から10%に入るであろう知識量のなさです。

まぁ、教師は知識だけでやっていけるわけではないんで、それでもいいかな、といいわけしてますが、やはり、知識はあるにこしたことはないわけで、もっと勉強しなきゃな、と思ってます。

それでも、人よりは歴史に関する知識はあるほうだと思うので、何かお役にたてるのでしたら、どこにでもおもむいてお話できることでしたらします。

現在は東進ハイスクールとZ会東大マスターコースで教えています。
主に東大受験生を相手にしていることが多いです。

専門などというものはあるわけがありません。たかが学部しか出ていないのに、専門は~、などといったらちゃんと大学院とかにいった方に失礼です。
比較的好きなのは、19世紀のヨーロッパですかね。まぁ、19世紀に限らずヨーロッパ史は好きです。

でも一番好きなのは、歴史とは何か、ということを考えることですね。こういうのは歴史哲学というジャンルになるんだと思います。ようはなぜ知識がないのかというと、俺の場合、歴史学よりも歴史哲学に興味があるからなんです。

ということで、仕事のことはこれからもよく書くことになると思うので今日はこのへんで。