橋の台東区側から東京スカイツリーを眺めるアングルが今ではお馴染みとなりました。この
橋、昔は大川橋と呼ばれ時代劇や落語舞台でもお馴染みですね。落語「文七元結」では、大川
橋で身投げする若者を助けるシーンがあります。いまでは、助けた左官の娘という設定になっ
て「あづちゃん」が活躍しています。
安政3年(1774)竹町の渡しに代わり、地元住民により架けられた有料橋が最初とか。名は
「大川橋」でも江戸っ子は、江戸の東にあるから「あづま橋」と呼んでいたそうで、明治20年に
なって鉄橋に架け代えられた時に「吾妻橋」と正式に決定したとあります。隅田川で最初の鉄橋
であったので見物人が多勢訪れたといいますよ。(写真Mr麹町)
東京の下町は 大震災・戦災とありました
この橋に命を救われた方々も多いのです。
謂れよくわかりました
二年前水上バスで下船した思い出が