散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

塩原橋(両国2丁目)

2013-08-13 06:01:15 | 日記
    

       

 本所を東西に流れる竪川にかかる一之橋と二之橋の中間に架かる「塩原橋」があります。

 この塩原橋は関東大震災の復興事業の一つとして昭和3年11月に架けられました。当時は

木橋でしたが昭和29年3月、現在の鋼桁橋に架け替えられました。橋の名は、江戸時代の末

に「本所には過ぎたるものが二つあり、津軽大名と炭屋の塩原」とうたわれた塩原太助がこの

辺りに住んでいたことから、その名が付いたいいます。  

 塩原太助の立志伝は有名で、当時、南二葉町(現亀沢3丁目)に住んでいた三遊亭円朝によ

って人情話に仕立てられ、その後浪花節や演劇になって、歌舞伎の「塩原太助一代記」は明治

25年に初演され、愛馬「青との別れ」で大変な評判をとったそうです。  

 「塩原太助青の別れ」で検索すると面白い噺が聞けますので、そちらをおすすめします。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
kimasitaさん (sanpo63)
2013-08-14 08:11:55
 四国丸亀港の燈籠ですか。驚きですね。

 また 一つ偉くなりましたよ。塩原太助寄贈とは。

 今度は「佐倉ソウゴロウ」の話でも。東映ですね。

 
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晩節を行く農民さん (sanpo63)
2013-08-14 08:07:29
 三遊亭円朝の作品はたくさんありますが
この塩原太助は、円生の長講一番で聞きました。

 40年も前ですが感心したことを記憶しています。
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hibochanさん (sanpo63)
2013-08-14 08:03:58
 本所という所は 貧乏御家人が住む所
大名さんがいるのは「過ぎたるもの」と
いうことだと解釈していますが。
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幸せなさちさん (sanpo63)
2013-08-14 07:59:27
 塩原太助は江戸では有名人ですね。
 コツコツと飽きない商売したのでしょう。

 江戸っ子に「過ぎたるもの」と評価されたのですから。
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塩原太助は。。。 (kimasita)
2013-08-13 13:10:58
先日、こんぴら参りの取材をしたときに
江戸時代に、参詣者が 江戸・大坂から 船で丸亀に
上陸して、琴平に向かったというのを聞いて、
丸亀港へ行きました。

すると、旧丸亀港に 太助燈籠という、大きな燈台が
ありまして、江戸の塩原太助が 寄贈・建立したもの
だと書いてありました。

数千万円はしそうな、大きな石灯籠です。
昔、ちらっと名前だけは聞いた記憶がありましたが、
東映映画でしょうかね?  最近は、名前を
聞くこともありませんでした。
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塩原太助 (晩節を行く農民)
2013-08-13 10:07:54
お早うございます

両国二丁目の塩原橋 の話しですね
いろいろと塩原太助について少し調べてみました

このひとは1743年~1816年にかけて生きた人らしいですね
お宅様がブログで書いてお出でになる同じ文言が "本所には過ぎたるものが二つあり、津軽大名と炭屋の塩原" と歌にまで詠まれる程の大成功者の一人とあります

又、戦前は教科書にも登場したとありますね

その他 青の別れについても  いろいろと勉強させて頂きました

     では失礼致します
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 (hibochan)
2013-08-13 08:18:46
塩原橋があるとは
過ぎたるもの二つ 津軽大名がわかりません
青の分れ 噺聞いてみます
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塩原氏 (幸せなさち)
2013-08-13 05:53:01
おはようございます

塩原太助氏のお名前も今初めて知った訳ですが
普段、何げなく見てるもの
見逃しているものにも
素晴らしい歴史がありますね

今日は久々の花音です
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