ミスター麹町から「ゼロ戦」の写真がきました。懐かしいですね。太平洋戦争時の日本海軍
の主力艦上戦闘機です。昭和15年は紀元2600年ということで、この年に就航した戦闘機
を末尾のゼロをとって「零式」となったらしいです。このゼロ戦は所沢航空発祥記念館に8月
まで展示されています。他にも内外の航空機やヘリコブターなどの実機が展示され、一部の機
体は搭乗可能だそうです。
広々とした航空公園
私達の年代にとってゼロ戦と聞くと体内から力が湧いてくるような気がします。2200㎞
の航続距離、20ミリ機関砲2門の重装備と優れた戦闘能力があり、アメリカ・イギリスとの
空中戦などに圧勝して米英パイロットたちから「ゼロファイター」の名でおそれられていたと
いいます。大戦末期にはこのゼロ戦も特攻機に使われて、熟練操縦士も減って形勢は逆転とな
ったことはご存知の通りです。
末期には一機一艦の特攻ですからね
弾幕の中で撃ち落とされる零戦かわいそう。
古い昔を思い出します。ハワイに向かって
母艦から発進するニュースが忘れられません。
性能そして搭乗員の技量も優れてたのでしょう。
大昔国立科学博物館で展示公開されました。
懐かしい零戦の写真を見せて頂いて居ります
この飛行機、昭和15年 紀元2600年 に就航ですか初めて知りました ・・勉強・・
この年は当方、小学校一年生でした この2600年を祝う行事として当地域では愛国婦人会の提灯行列があり当方、母親に連れだって歩いたことが懐かしく思いだされます 又、祝う歌も出来て居りました
この飛行機が所沢に展示されているのですか
これについても想い出が有ります
当方より相当年上の従姉の旦那が所沢の飛行場で少年航空兵への教官を致して居りましたが最後は自ら特攻機に乗って亡くなって居ります
未だ新婚間もない時だったと思います
その後、従姉は県庁へ勤めながら一生独身で通し旦那を弔う生活で過ごしました
これも戦争の犠牲者の一人だと思います
では失礼致します