亀戸銭座跡(江東区亀戸2丁目) 2014-08-16 06:00:10 | 日記 江戸時代に銅銭が本格的に鋳造されたのは寛永13年(1636)に始まったため、幕末ま でに鋳造された銅銭はすべて寛永通宝と呼ばれ「寛永通宝」の文字が打ち出されています。 現在の亀戸2丁目の都市基盤整備公団団地のある付近で、寛文3年(1663)から天保3 年(1832)まで寛永通宝が造られ、「亀戸銭座」と称しました。(江東区見どころ紹介) この寛永通宝を見ると何か思い出しませんか。明神下の銭形平次親分を想起しますね。神田 明神にはこの平次親分の寛永通宝が碑となっていますよ。 « 女性の装い(エキナカ売店) | トップ | 亀戸水神宮(亀戸4丁目) »
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