土生玄碩(はぶげんせき)は江戸時代後期の眼科医です。宝暦12年(1762)現広島県
高田郡吉田町で生まれました。文化7年(1810)奥医師を拝命し、同13年法眼に叙せら
れ、文政5年(1822)には12代将軍徳川家慶の眼疾を治療しました。しかし文政12年
シーボルトから眼病治療法を教授された謝礼に、将軍拝領の紋服を贈ったことで、シーボルト
事件に連座、改易となり江戸を追放されました。
嘉永元年(1848)87歳で死去し、土生家の菩提寺である築地本願寺中眞龍寺に葬られ
ました。後昭和3年(1928)に区画整理のため改葬され、墓標には「桑翁土生君之墓」と
あります。著書には「師談禄」「だっさい禄」などがあります。(東京都旧跡指定)
この人は12代将軍徳川家慶の眼疾を治療した人ですか
さらに腕を磨くために
シーボルトから眼病治療法を教授された謝礼に、将軍拝領の紋服を贈りこれが仇となりシーボルト事件に連座、改易となり江戸を追放されたのですか
世の中はどのように転ぶか面白いですね
では失礼いたします
昔は何が何だか 同業の人々からやられましたね
大正13年に東京都旧跡に指定されています。