腰衣観世音
法真寺
文京区本郷5丁目の東大赤門前に「一葉ゆかりの宿」の表示板(文京区教育委員会)があり
ます。一葉の作品「ゆく雲」の中にある一文。上杉の隣家は何宗かの御梵刹(おてら)さまに
て、寺内広々と桃桜いろいろ植わたしたれば、此方の二階より見下ろすに、雲は棚曳く天上界
に似て、腰ごろもの観音さま濡れ仏にておわします。御肩のあたり膝のあたり、はらはらと花
散りこぼれて・・・。とあります。
表示板
文中の御梵刹が浄土宗法真寺で、濡れ仏は本堂横に安置されています。先日来の雪解けの水
のがしたたり落ちて、文字通り「濡れ仏」になっていました。樋口家は明治9年から14年ま
での5年間(一葉4歳~9歳)ここに住んでいて、この頃が一葉家にとって最も豊で安定した
時代といわれています。一葉はこの時代の住いを「桜木の宿」と呼んで、たいへん懐かしんで
いたといいます。
法真寺
文京区本郷5丁目の東大赤門前に「一葉ゆかりの宿」の表示板(文京区教育委員会)があり
ます。一葉の作品「ゆく雲」の中にある一文。上杉の隣家は何宗かの御梵刹(おてら)さまに
て、寺内広々と桃桜いろいろ植わたしたれば、此方の二階より見下ろすに、雲は棚曳く天上界
に似て、腰ごろもの観音さま濡れ仏にておわします。御肩のあたり膝のあたり、はらはらと花
散りこぼれて・・・。とあります。
表示板
文中の御梵刹が浄土宗法真寺で、濡れ仏は本堂横に安置されています。先日来の雪解けの水
のがしたたり落ちて、文字通り「濡れ仏」になっていました。樋口家は明治9年から14年ま
での5年間(一葉4歳~9歳)ここに住んでいて、この頃が一葉家にとって最も豊で安定した
時代といわれています。一葉はこの時代の住いを「桜木の宿」と呼んで、たいへん懐かしんで
いたといいます。