翌朝、春男が「区長も了解してくれましたから、こういう感じの幟を作って貰って下さい。お金は区の方でまた考えますので」と言った。
しかし凪子は「いえ、失くした責任は私にあるので、それは私に支払わせて下さい。そうしなければ申し訳なくて私の気が済みませんから」と言った。
春男は幟の絵を描き寸法も記入して持って来てくれた。入れる文字は中央に「歳大明神」と大きく入れ、裾の方は切れ目を入れて、片方は「平成八年八月吉日」もう片方は「氏子中」とその図にわかりやすく書いてくれていた。色もきちんと「紺地に白文字」と記入されていた。
「これを持って多田旗店へ行きなさい。急いで作って貰えば今度の祭りに間に合うと思います」と言って、そこの住所と地図を書いた紙も渡してくれた。人の親切が身に染みて凪子はまた泣いた。その頃、凪子は心身共に疲れ果て涙もろくなっていた。
早速その日、仕事帰りに狭い路地裏にある多田旗店に行って
「神様の祭りの日までに何とか至急作って頂けませんか」と懇願した。店主は
「分かりました。他の仕事も入っていますが、それを優先して作りましょう」と言ってくれた。
神様の祭りは9月の第一日曜日の夕方5時に毎年地区約20戸が集まり、神官を迎えて豊作を祈願するお祭りだった。幟はその直前に出来上がった。受け取りに行って見せて貰うと当たり前のことだが、それは真新しく、重みも威厳も感じられなかった。シンプルすぎて薄べったい気さえした。代金は〇万円だったが、凪子はそれを高いとは思わなかった。これで許して貰えるなら、どんなに良かろうかと思った。
その日が来た。一戸に一人代表が出れば良いことになっていたが、凪子は謝らなければと思い真樹夫と共に神様をまつっている社(やしろ)の前に行った。
地区の人は誰も
「今までの幟はどうしたのか」と言わなかった。
「おー、新しゅうなっちょるなあ。大きさも丁度いい。こんくらいの方が立てるのに便利じゃあ」と言ってくれた人もいた。
春男が根回ししてくれたに違いない。真樹夫と凪子は地区の人たちに詫びた。
「気にせんでいい。新しくなって良いくらいじゃあ」といってくれた人もいた。
しかし、古くから伝わってきたその幟を失くしたことを残念に思う人もきっといるだろうと凪子は思った。
(私が書いた小説の一分から抜粋)
フィクションと事実を織り交ぜて書いているが、この部分は事実。
認知症の義母の介護で夫の実家に帰ってきた年の出来事。
義母が認知症になっていることを周囲には言わずにいた。
明治26年から使われていた神様の祭りの幟を今日、地区にお返しすることが出来、ホッとしている。
夫は出かけていて今日の私の行動をまだ知らない。このことを知ってなんと言うだろう?