ゆうの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

神様の祭りの幟(3)

2023年11月01日 | 日記

翌朝、春男が「区長も了解してくれましたから、こういう感じの幟を作って貰って下さい。お金は区の方でまた考えますので」と言った。

しかし凪子は「いえ、失くした責任は私にあるので、それは私に支払わせて下さい。そうしなければ申し訳なくて私の気が済みませんから」と言った。

春男は幟の絵を描き寸法も記入して持って来てくれた。入れる文字は中央に「歳大明神」と大きく入れ、裾の方は切れ目を入れて、片方は「平成八年八月吉日」もう片方は「氏子中」とその図にわかりやすく書いてくれていた。色もきちんと「紺地に白文字」と記入されていた。

「これを持って多田旗店へ行きなさい。急いで作って貰えば今度の祭りに間に合うと思います」と言って、そこの住所と地図を書いた紙も渡してくれた。人の親切が身に染みて凪子はまた泣いた。その頃、凪子は心身共に疲れ果て涙もろくなっていた。

早速その日、仕事帰りに狭い路地裏にある多田旗店に行って

「神様の祭りの日までに何とか至急作って頂けませんか」と懇願した。店主は

「分かりました。他の仕事も入っていますが、それを優先して作りましょう」と言ってくれた。

神様の祭りは9月の第一日曜日の夕方5時に毎年地区約20戸が集まり、神官を迎えて豊作を祈願するお祭りだった。幟はその直前に出来上がった。受け取りに行って見せて貰うと当たり前のことだが、それは真新しく、重みも威厳も感じられなかった。シンプルすぎて薄べったい気さえした。代金は〇万円だったが、凪子はそれを高いとは思わなかった。これで許して貰えるなら、どんなに良かろうかと思った。

その日が来た。一戸に一人代表が出れば良いことになっていたが、凪子は謝らなければと思い真樹夫と共に神様をまつっている社(やしろ)の前に行った。

地区の人は誰も

「今までの幟はどうしたのか」と言わなかった。

「おー、新しゅうなっちょるなあ。大きさも丁度いい。こんくらいの方が立てるのに便利じゃあ」と言ってくれた人もいた。

春男が根回ししてくれたに違いない。真樹夫と凪子は地区の人たちに詫びた。

「気にせんでいい。新しくなって良いくらいじゃあ」といってくれた人もいた。

しかし、古くから伝わってきたその幟を失くしたことを残念に思う人もきっといるだろうと凪子は思った。

 

(私が書いた小説の一分から抜粋)

フィクションと事実を織り交ぜて書いているが、この部分は事実。

認知症の義母の介護で夫の実家に帰ってきた年の出来事。

義母が認知症になっていることを周囲には言わずにいた。

 

明治26年から使われていた神様の祭りの幟を今日、地区にお返しすることが出来、ホッとしている。

夫は出かけていて今日の私の行動をまだ知らない。このことを知ってなんと言うだろう?

 

 

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神様の祭りの幟(のぼり)・・・辛かった思い出(2)

2023年11月01日 | 日記

この幟を紛失した時の事を「小説」(?)の中に書いたことがある。

(本より抜粋)

夏の暑さが幾分和らいだ盆過ぎの夕方、区長が久しぶりにやって来た。そして、

「神様の祭りの幟を出しちょくれ。あんたとこにそれがあるはずじゃあ。もうすぐ神様の祭りじゃあけん、そんときにそれを立つるけん」と言った。凪子は政子にそれをどこに置いているのか尋ねたが「さあ、知らん」と他人事のように言って探そうともしなかった。

個人のものならいざ知らず、この地区のものを「見つかりません」では済まされない。凪子は家の隅々まで探し回った。ホコリをかぶりながら朽ちて崩れ落ちそうになった蔵の二階にも上がって探した。しかしいくら探しても神様の祭りの幟は見つからなかった。

最後に行き着いたのは、自分が捨ててしまったのでは無かろうかという自責の念。あまりのものの多さから、片付けに疲れて、終いには中身も見ずに捨てたものもあった。もしかしてその中に神様の幟が含まれていたかもしれない。なんと言うことをしてしまったのだろうと凪子は自分の過失と決めて悩んだ。

神様の幟は、長い年月、この地域で引き継がれてきた大事なものであることは間違いない。神様の幟には神秘的な何かも宿っていたかもしれない。それを自分が捨ててしまったのだ。なんと言って地区の方々に詫びれば良いのだろう。凪子は自分の過失の重大さに打ちのめされそうになった。

真樹夫が

「こういうことは春男さんに相談してみた方が良い。俺が夕方、相談に行ってみる」と言ったが、真樹夫が帰ってくるのを待ちきれず、凪子は一人で春男さんに思い切って相談に行った。この春男さんは年齢は60代半ば、真樹夫の話では労働組合の役員などしてきた人で発言力があり、この地区で一目置かれている人との事だった。以前、凪子がこの地区に住んでいた頃、春男は家でのんびりすごすようなことがなかったのか、凪子は、春男に会ったことが無かった。

「神様の幟をいくら探しても見つけることができません。私が失くしてしまったみたいです」と涙をこらえて凪子は打ち明けた。

さすがに「捨ててしまったようです」とは言えなかった。春男は凪子の思い詰めた様子を察してか、咎めるようなことは一言も言わなかった。そして淡々と、

「無いのなら新しい幟を作るしかないでしょうね」と言った。

「そういうことをしてもよいのでしょうか」

「そうするしかないでしょう」

「でも私、その幟がどんなものだったのか、見たことが無いので全く分からないんです」と凪子が言うと、

「全く同じじゃなくて良いと思います。私が案を書いてあげますから、それを参考にして作れば良いです。もうあの幟も古くなっていたし、大きすぎて立てるのが大変でした。もっと小さい立てやすいのを、この際作りましょう。区長には私から言っておきます」と春男は言った。

そういうことが許されるのなら、お金をいくら払っても弁償したいと凪子は思った。方向性が提示されただけで凪子はかなりホッとし、張り詰めていた気持ちが緩み、涙がこぼれた。

(続く)

 

 

 

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神様の祭りの幟(のぼり)・・・辛かった思い出(1)

2023年11月01日 | 日記

昨日、蔵の断捨離終わりに「長持(ながもち)」の中から「年の神の祭りの幟」を取り出した。

15年くらい前に蔵をリフォームするときにこの幟が見つかった。

これは地区の神事で使われていたもの。

これを探し出すことができず今使われている幟は私が弁償したもの。

夫が「弁償したのだから今更見つかったなど言わない方が良い」と言ったので

捨てることもできず、蔵の中に仕舞い込んでいた。

これをこのまま仕舞っていても子どもたちも困るだろう。

しかし、神事に使っていた幟を粗末に扱う(捨てる)のは気がとがめる。

神社に持って行ってお祓いをして貰おうか?と思ったりしたが

その話が地区の人の耳に入ったりする可能性もある。

正直にありのまま話した方が良いと決心し、夫に相談もせず

地区のお世話をしてくれている方の家へ行って、ありのままを話した。

その方は「それは良かった。地区で引き取らせて下さい」と言ってくれた。

虫干ししてその方に確認して貰おうと幟を広げてみた。(見るのは初めて)

予想以上に大きな幟で長さが10メートル以上あり干すのも一苦労。

幟には明治26年と明記されていた。

その時代から戦争など幾多の苦難もくぐり抜けて来た幟。

勝手に判断せず相談に行って良かったと安堵した。

今、相談に行った地区のお世話係の方が、干していた幟を受け取りに来て

段ボール箱に入れて持って帰って下さった。(ありがとうございます)

このいきさつを知って頂きたくて(紛失当時、この方はこの地区に住んでいなかった)

以前、私が書いたものをコピーして差し上げた。

 

(その2に続く)

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