ゆうの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

白百合の花→村上あや先生

2023年06月17日 | 日記

今日は9時半頃からお客さん。

ふるさと納税で貰ったというさくらんぼやトウモロコシを持って来てくれた。

 

その後、仏壇の花を生け替えたり一昨日の風雨と雹で傷んでしまった百合を

切って花瓶に挿したりした。

せっかくきれいに咲こうとしていた百合の花、花びらが傷つき茶色く変色し

傷んだ花を切り捨てたりした。もったいない。

あの雹で大きな被害を受けた家もあるだろうな?

近くのスーパーは天井が剥げ落ち、雨漏りし、電気系統もやられたと新聞に出ていた。

 

 

先日友達が貸してくれた新聞の切り抜き。

「名残の花 うすきあれこれ」村上あや先生の大分合同新聞連載文が

とても面白く興味深かった。

 

この連載はいつ頃のものだろうか?50話あった。

私も20~30代の頃(?)読んだ記憶がある

村上あや先生は私が臼杵に嫁いできたころは、ご健在で

何度か町中で見かけたことがあった。

この町で最初の女性校長だった方かもしれない(?)

臼杵の方言、臼杵の幼児語、臼杵の美女達・・・どれもこれも興味をそそられるものばかり。

博識で記憶力の良さに驚くばかり。

生存中はまさに「生き字引」のような方だったのではないかと思う。

ここに書いている知識を全部私の頭に中に入れたいと思うほどだったが

読み終えた後、すっかり消えているのはどうしたことか?!

そんな中、浮世絵作家の『歌川豊国』が臼杵の出身と書かれているのに驚いた。

『歌川豊国』という名前と作者の浮世絵は朧に知っていたが、臼杵の出身という話は

今まで私は聞いたことが無かった。

ネットで調べたら諸説あるようだが「豊国」という呼び名、大分県は

「豊後国」とも「豊の国」とも呼ばれる。臼杵出身説、有力!

「家は臼杵の東塩田にあったが祖父が雁札を作り処刑され、子、伴五郎は江戸に出て

姓を倉橋、名を五郎兵衛と変え、芝神明町に住み、人形師になり、

その子、熊吉が絵師となり師の豊春の一字を貰って豊国と名乗った」

と言うようなことが書かれていた。

ちなみに豊国の師匠の歌川豊春も臼杵の出身だと書かれていた。

江戸時代、臼杵から江戸(東京)は遠かっただろうに苦労の末、よく今でも残る業績を

あげたものだと臼杵出身でも無い臼杵人の私は嬉しく思った。

 

他にも覚えておきたい話がいっぱい。もう少し頭が良かったらととても残念。

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昨日は扇山でゴルフ

2023年06月17日 | 日記

 

昨日は別府の扇山ゴルフクラブで弟とその友達と4人でゴルフ。

弟たちは皆70才を超えているのでシニアティーから打つ。

私はレディスティーから打つのだが、このゴルフ場、シニアティーと

レディースティーの差が少なすぎる。

身長180センチ以上ある弟は70才を過ぎたと言えども力があり1打が

私の2~3倍飛ぶ。

後の二人は常にゴルフをしている人で技術力もありやはり飛距離が出る。

あーそれなのに、それなのに・・・(こんな歌昔あったな)

私が打つ場所はたった2~3メートル前だったりする。

(こんなもんじゃあ、対等について行けませんわ)

1カ所、明らかにレディースティーがだいぶ前で「まさにこれぞ!」と

思ったホールがあった。

ここではパーを取れた気がする(?)

(スコアをカードに付けるゆとりもなく、証拠は無し)

午前中、53でまわり、午後、一時調子が良く、パーやボギーが続き

これは調子良いぞと思ったりしたが、徐々に疲れが出てきた。

(先週は歯の治療を開始に伴い歯が痛んで熱も出て半病人状態だったんだから)

最後の方(16番・18番)にパー5が2つ残っていると知ったとき、ショックだった。

どうして飛距離が必要なパー5をエネルギー切れになりそうなところに

残しているんだよー。(後期高齢者の仲間入りした麗しき美女の勝手な言い分)

最後の3ホールは8・8・10も叩いてしまった。

そして私が一番ショックだったのは最後のホール、あまりに多打ちして

正確なスコアが分からなくなってしまったことだ。

幾ら考えてもどこで何打目を打ったとか思い出せない。

私はゴルフを始めた当初から(まだ今より若かったが)これが苦手だった。

記憶力が数字に関することは極端に働かない。

スコアを数えられないようではゴルフをする資格がないかも(?)と

少々落ち込んだ。

でも昨日は弟の友達の素敵な紳士二人、そういうことは気にしていないかもしれない。

こういう素敵な人たちと知り合えて良かった。

またどこかでご一緒できれば良いなと思う。

・・・ということでスコアは53と57で110

色々協力してくれて弟よ、ありがとう。

 

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