昼も夕方も、夜になっても雲の意地悪が続き、夕食の用意をしながら耳に入る「自民党が敵基地攻撃能力を持つための議論に入る」の声に、胸がギューッと締め付けられるような痛みを感じた。イージス・アショアのような不確かな兵器をトランプに言われるままに十分な検討もなく議論もなく強行導入しようとし破綻。辺野古では大多数の県民の反対投票を無視して続けている工事が、さらに大きな軟弱地盤で難工事となる見込みになった。オリンピックもそうだ。嘘とごまかしで押し通そうとしたモノには破綻しかないのだ。いい加減に、これ以上の失敗を繰り返す暴走をやめて退陣してほしい。 この政府が何を守ろうとしているのか、国民を守るために「敵基地攻撃能力をつける」というのは戯言だ。日本が75年平和を守ってこれたのは、「平和憲法」の下で、地道に他国の人たちと交流を深め、公私にわたり様々な人たちが助け会ってきたからだ。
それが、国際協力ならまだしも、集団的自衛権で戦闘行為に自衛隊を派遣したり、まして、敵のミサイルの迎撃が無理だから、「敵基地攻撃の能力をつける!?」。北朝鮮のミサイル能力を甘くみるにもほどがある。「敵基地攻撃」などしたら、その何倍のミサイルが、可動式の発射台でどのように反撃してくるか。その反撃を抑えるだけの攻撃を日本が用意するなら、それはもう「先制攻撃」「侵略・戦争行為」に他ならない。それは、「戦争放棄を謳った憲法に反する行為そのものではないか!」。この政権の詭弁、ご都合主義の言い逃れに付き合って犠牲になるのは、国民の命だ。
そもそも、日本が「戦争放棄」の日本国憲法をかなぐり捨てて、現政権の望むように軍備を増強して日本から他国の基地を攻撃できるにように大転換したら、他国が日本をどう思うのか、その反応に心が向かない鈍感さが、すでに国際感覚のない証拠だ。タダでさえ日韓関係はこの政権になって悪化しているのに。 このコロナウィルスの災いが、一国に留まらずに世界に広がり、互いに情報交換をして、最大限に手を貸し合わないと克服できないように、もう世界は無益で危険な武器をもって対峙する時代は終わったのだ。
そのお金を、コロナウィルスのような共通の病気の克服、医療の遅れている国々への援助、世界が平和で安定した生活を送れるために使う方がよほど平和に貢献する。さらには、コロナのような伝染病だけでなく、環境変化で大洪水、台風災害も多発し、大地震も予想されている日本。自衛隊にはその災害対策にこそ充実してほしい。
タダでさえ原発をまだ廃炉作業も残し、再稼働しなくても核弾頭を用意しているような危険な国になっている。東日本大震災は他国から攻撃されたのではない。自然災害で人災を起こして自ら放射能汚染で狭い国土に住めないところを作った日本だ。これ以上、軍備にお金を使うより、海や大地を汚さない福島県や日本の再興のためにお金を使っていく方が、他国にもその技術を分け与えられ、平和を愛する日本人に相応しい。
日本人は、平和を愛する国民なのだ。軍備を進める、まして他国に照準を合わせた兵器に言及する日本人を私は「平和を愛する」人とは認めない。
お月様、なんで日本の政権を握っている人間が、こんな恐ろしい人たちなのでしょう?助けて下さい。
お月様、なんで、そんな政権に「平和を愛しているはずの日本人がNO!を言えないの???」 お金で、どうして選挙が動くような日本は低俗な国なのですか????私は耐えられません!!!!
お月様、助けて!力を下さい!
そう思って、空を何回も見上げていたら、月がでてきてくれました。
「お月様、ありがとう! 私たちに、力を下さい。人間が、これ以上 ばかな争いを繰り返さないように」
「武装しながら、世界の人々と仲良く幸せに暮らせる」そんな風に言う人の「大嘘」を、すべての人が簡単に見破れるようにして下さい。そして、そう思う人の暗い心に、あなたの光をあてて、正しい道が見えるようにして下さい。
felizmundoさんが提起されていることに同感です。
日本人の生命と財産を守るためには自衛としての武力は必要と言い、それを持つことで相手への抑止力になる、という考えをもつひとたちがいます。
しかし武力の均衡による平和は幻想で、矛盾の語源となっている故事があるように、太古からわかっていることです。
自衛のための武力を持つことは相手もまた同じで、際限のない(使えない武力)を常に更新していかなくてはなりません。
使えないものにお金をつぎ込むほど無駄遣いはありません。結局のところ体力のないほうが先に疲弊してしまうだけの不毛な営みです。
もちろん使ってしまっては取り返しのつかない事態になることは目に見えていますから。
米ソ冷戦時代の核兵器開発競争のおかげで、人類を何度も滅亡させるほどの大量の(実際には使えない)核兵器を持ってしまった挙句、疲弊し経済破綻を起こしてソ連は解体してしまいました。
武力を抑止力にと考えている一部勢力が仮に正しいとして、彼らが仮想敵国としている中国に対し、どれほどの武力なら抑止力になるでしょう。
相手がちょっかいや手出しができないほどの武力がないと抑止力にはなりません。
中国は核保有国です。そのためには日本も核武装すべきと考えている人たちもいるようです。
でも中国と同じかそれよりも優れた核武装が出来るとしても、それでも実際には抑止力にはならないでしょう。
何故かと言えば国力の違いと国土の違いがあるからです。GDP成長率1%程度の日本の国力、国家予算の5%程度の防衛予算に対し、成長率6%台、国防費は日本の数倍以上を持つ中国と、長期にわたって対抗できるとは思えません。
狭い国土に人口が密集している日本では、水爆が4、5発もあれば全滅の憂き目にあいますが、国土の広い中国に同じ数で報復攻撃できてもそれ相応の国土と国民は残るでしょう。これでは抑止力にはなりません。
日本も全滅する覚悟で、相手も全滅させられるほどの武力で対抗できる備えが出来て初めて、相手もうかつに手が出せないと考えるという意味の抑止力になるというものです。
では、今のようにアメリカに頼って核の傘に守られていれば安全かというと、直接の防衛費は少なくて済んでも、アメリカの言いなりに国防も政治もなってしまっている、半植民地のような屈辱を舐め続けなければなりません。
沖縄の基地問題がそれを象徴していると言えるでしょう。
しかし、平和憲法を守り武力を持たず、アメリカにも頼らず、近隣諸国と仲良く平和にやっていけるかというと、これまた絵空事ではないかと思います。
現に、圧倒的な武力を背景に、同盟国と言えど強引に服従させようと脅してくる大統領を選挙で選ぶアメリカや、、相手が弱いと見るや領土を一方的に拡張し(南沙諸島など)、自国民であっても人権無視で少数民族の弾圧や、1国2制度の約束を反故にするような法律を香港に押し付けたりと、やりたい放題の習近平体制の中国、拉致問題にまじめに向き合うつもりのない北朝鮮、言を左右しながらいっこうに北方領土を解決する気がないロシアなど、日本が丸腰外交では相手にもされない面々と、平和裏に問題解決が出来るのでしょうか。
現状を見渡すとどちらにしても悩ましい限りです。
力強いコメントを有り難うございました。「抑止力」という考え方は間違っているし、危険だと思います。原発事故の多くが自然災害と無関係な人為的ミスで起きたように、いつか核兵器が人間のミスで大きな災いを人類にもたらすのではないかと私は思っています。
だから、私はやはり核兵器禁止条約は批准し、核は廃絶する。原子力発電も廃炉にしていくしかないと思っています。けれど、悠々遊さんのいう、丸腰でない、「ある程度の武力」を保持するかは、(じゃあ、どこまでか~)となって、非常に判断が難しいですね。コスタリカの映画のようになってほしいところですが・・・