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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

寝る前にひとり見た月

2021-10-31 13:25:52 | 惑星・天体ニュース

   寝る前にひとり見た月。もともと月を見上げるのはひとりで見上げることが多いのですが、それでも朝とか昼だと、友人や家族に「今、月がこんな所に見えているよ」とか写真をLINEで送るとかするので、気分はひとりではないことが多い。

   でも、昨夜の月の出は、0:24。実際に我が家から見えてくるのは1時間後の1時半頃。昨夜は、ついつい月待ちも兼ねて夜更かし。それでも、待ちきれずにお風呂にも入り防寒してちょっとだけ様子を見に出てみると・・・

     

     まずは、急いで数枚撮ってからよく見ると、電線と電線の間に絶妙に入って私に会いに出てくれていたのでした。静かでもう誰も起きている物音も聞こえません。お月様と2人きり。

    「お月様、ごんばんは。お月様って、いつも私が会いたいなぁ~と心から思うときに出てきてくれるのね。本当に今日も出てきてくれてありがとう。私には力が少なくて、伝えたいことが人に充分伝えられないけれど、明日はとても大事な1日。みんなにしっかり行動してほしい」

    結局、私と意見の違う友人たちと、お互いに耳を貸しあうことはできたけれど、どちらの意見が正しいとか、投票行動まで変化するような結果にはならなかった。日本をよい方向へと持っていきたいとは互いに、選ぶところは違ったままのような。

    でも、まずは最後まで、違う意見の友人達とも話し合えたことはよかったとしようと思う。この先も友情を続けながら、さらに先で互いにすこしずつ互いの意見をはねつけずに聞きあって進んでいこうということだってできるだろう。私と意見の同じ友情も、意見の違うひととの友情にも変わりはない。それこそが大切だ。

    後は、今日の選挙の結果で、より多くの人が自分の将来を見据えて、しっかり考えて投票してくれること。日本人の総意がどう出てくるかは、できれば私の望む方向にすこしでも近づいてほしいけれど・・・。お月様、力をどうぞ下さいね。

    

    お月様は、一瞬強く光を放ったと思うと、暗くなっていき・・・

           

       一瞬、全体の輪郭をみせながら、お月様は私の声を聞いてくれた後、雲の中に消えていきました。

       今朝は、午前中は曇りでしたが、午後になって雨が降ってきました。午前中の投票所は、珍しく長い列ができていました。こんなことは、この近所の投票所では初めてでした。候補者の名前や政党名は覚えられますが、最高裁判所裁判官の国民審査の方の名前は覚えきれず、公報を手にしてチェックしていたら、前後にいた方と話すきっかけになり、面白かったです。これも、列に並んで一緒に待っていたからこその大事なふれあいでした。

       この国民審査については、ウィキペディアのココに興味深い記述がたくさんありましたが、今年は11人!やけに多いなぁ~と思ったら、それもそのはず、この審査始まって以来の最高の対象者だったようです。

       注目したのは、女性が2人だけということ。歴代の187人の裁判官(現在の15人を含む)のうち、女性はわずか8人(4.3%)。1人は一昨年10月、1人は今年1月の任命。もっとしっかり増やしてほしいですね。結構、最高裁では、国民の投票権 一票の重さの違いや、夫婦別姓のこととか生活に密着していることも出てくるので、これを機会に国民の半分いる女性の意見が反映するように最高裁判書の裁判官に興味を広げることも大切だと思いました。

       さあ、投票率は上がるでしょうか。そして、結果は・・・。

追伸)今日の最高裁判所裁判官の国民審査は11人。では、15人の最高裁判官の残りの4人は?と思った方のために、追伸を書きます。

    

      これが、残りの4人の裁判官で、ここにも女性はいません。ここにあるように、この4人がどうして今回国民審査の対象にならなかったかというと、先ほどご紹介したウィキのページにも説明があるように、任命後初めて行われる衆議院議員選挙で国民の審査を受け、その後は審査から10年を経過した後に行われる衆議院総選挙の際に再審査を受け、その後も同様とする(日本国憲法第79条第2項)と憲法に定められているからです。2017年の衆議院選から10年経過していないからなのですね。定年が70才なので、よほど早く最高裁判所の裁判官にならないと再審査を受けることにはならず、実際1963年からは一度も例がないようです。アメリカの最高裁は終身だという話が去年騒がれましたね。地位が揺るがないのが安定した裁きの基本として大事だからでしょうか?