幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

嫌われ者の「ドクダミ」の花

2023-05-18 | 

二種類のどくだみの花である。

 

「ドクダミ」の名前と、摘んだ時の強烈な「匂い」から「毒」を連想してしまう。

また、一旦増え出すと、抜いても抜いても次々と伸びてくる厄介ものでもある。

そんな理由からか、この「ドクダミ」は、どちらかと言うと歓迎されない草花ではなかろうか。

ところが真っ白な花はすっきりとした装いで、とてもきれいである。

我が家の一隅で、小さな一輪挿しで楽しんでいる。

 

よく見かけるのは「一重」のドクダミの花である。

花は真ん中の細かく密集した部分で、白い4枚の花弁のように見える部分は、「苞」という葉の変形したものだという。

 

「八重」はめったに見ることがなく、私も、たった一か所でしか見ることはない。

「さあ、八重のドクダミを見つけてみよう」としたところで、この場所以外では見つけることができない。

少し小ぶりの花びら(?)が何枚も開いているとても珍しいもので、「一重」との差はすぐ判る。

 


グミの実が熟れてきた

2023-05-17 | 花木

遊歩道に植えられている「グミ」が熟してきた。

いなかの庭にもこのグミがあり、「俵グミ」と呼んでいた。

実の形が「俵」に似ているからだと教わったが、正しい名称なのかは定かではない。

ただ、いなかにあったのより実が一回り大きい。

青い実は徐々に黄色くなり、やがて真っ赤に熟れて透明感が出てくる。

小さかったころ、遊び仲間と実を摘んで食べるのが楽しみであり、甘く熟すのが待ち遠しかった。

 

一番赤くなって、いかにもおいしそうなのを一粒摘んで口に入れてみた。

酸っぱさと渋さがあって、とてもおいしいとは言えない。

同じ仲間のグミではあるが、子供の頃食べたのとは種類が違うのかもしれない。

この赤い実は食べるよりも、見て楽しむだけにとどめた方がよさそうである。

 

 

 


城下町佐倉・「武家屋敷通り」を散策

2023-05-07 | 歴史

日本100名城の一つ「佐倉城」の東側は城下町だったところで、今でも歴史を偲ばせてくれる。

城跡見学の後、観光協会で入手したパンフ「佐倉散歩」を手に、武家屋敷を観て周ってみた。

 

佐倉城の三の門跡から真っすぐの道を東方向に歩くと、お城の正門ともいえる「大手門跡」に着く。

二階建てで鯱の載った立派な門があったそうだがそれは昔、今やそれを示す石碑が立っているのみ。

 

大手門跡を右に折れ、一旦坂道を下りてから「ひよどり坂」の急な坂道を登る。

太い竹が密集する林で、その様子は江戸時代とほとんど変わっていないとか。

多くの若者たちが写真を撮りあっていた。

 

息を切らせてひよどり坂を登りきると、良い雰囲気の「武家屋敷通り」となる。

旧河原家、旧但馬家、旧武居家の武家屋敷三軒が公開されている。

どの家も道路に面して門があり、土塁の上の生垣が視界を遮っている。

 

旧但馬家の門

 

旧武居家玄関

 

旧河原家

 

邸内の座敷

 

旧但馬家はもともとあった場所に、他の二軒は移築して整備されたものだという。

建物の広さは異なるが、それぞれ畳敷きの立派な玄関がある、武家のお屋敷らしい風格のある建物であった。

わずかな時間ではあるが、江戸時代へタイムスリップした雰囲気を楽しんだ。

 

 

 

 


日本100名城を訪ねて「佐倉城」

2023-05-06 | お城

GWの混雑を避けて、私の「安近短レジャー」は千葉県佐倉市へ日帰りのマイクロ・ツーリズム。

土塁や空堀、水堀を配して守りを固めた「佐倉城跡」を中心に街歩きを楽しんだ。

佐倉城は石垣のない「土の城」であり「日本100名城」のひとつに挙げられ、城跡は佐倉城址公園として整備されている。

 

郭の一部に「国立歴史民俗博物館」があり、城の遺構見学の前に博物館を見学した。

この博物館は6個の展示室があり、じっくり見て回るには、一日かけても時間が足りないほどである。

結局、私も時間が無くなり、博物館見学は途中で切り上げることになってしまった。

 

博物館のすぐわきに、巨大な「馬出し空堀」がある。

椎木門のあった目の前が、この大きな馬出しになっていて見ごたえあり。

こちら側から城を攻めるなら、まず、弓、鉄砲の待ち構えるこの空堀を突破しなければならない。

 

二の丸を経て、本丸へと進む。

二の丸御殿跡(二の門跡)の近くに正岡子規の歌碑がある。

子規は明治12年に佐倉を訪れているという。

「常盤木や 冬されまさる 城の跡」

 

巨大な広場が現れ、ここが本丸跡である。

青々とした芝生を散策する人、テントでお弁当を広げる人、思い思いに本丸の広さを楽しんでいるようだ。

 

本丸はぐるりと高い「土塁」で囲まれていて、その土塁には、かっては「一の門」、「台所門」、「角櫓」などの建物があった。

夏草が生い茂り、花の時期を終えた桜の樹が良い日陰を作ってくれている。

 

土塁のてっぺんを歩くと、まるで里山の尾根道を歩いているようである。

 

本丸の南西に歩いていくと、天守のあった場所がある。

三重の天守の一階部分が土塁に乗っている、珍しい天守だったようである。

本丸を守る土塁の西側、南側にはそれぞれ出丸が設けられ、その外側には水堀が守りを固めている。

 

佐倉城は、時代が明治に変わり陸軍の施設が設けられ、そこにあった建物は次々と取り壊されたという。

城跡見学をしていると、「人為的に建物が壊された」というお城の歴史に触れることは多い。

もしその建物(天守、櫓、門など)が残っていたら・・・、と思うが、それは今となっては意味のないこと。

 

今回、見落としたり、時間がなくて周れなかったところも少なくない。

機会が合ったら再チャレンジしたい。

また、「国立歴史民俗博物館」は全ての展示エリアをしっかりと観て回りたいものである。

 


朝市の賑わいは戻ったか

2023-05-05 | 旅行

GWの真っただ中、観光地の混雑のニュースを観ながら、こんなことを考えている。

旅に出たとき、そこに「朝市」があれば、たとえ何も買わなくとも覘いてみる楽しさがある。

それも、人の行き交うなか、威勢の良い言葉が飛び交ってこそ朝市の楽しさであろう。

新型コロナの感染拡大後は、朝市を訪ねても、想像以上に人が少なかったので驚いたものである。

 

輪島(石川県・輪島市)の朝市に行ったのは、昨年のことである。

通りにびっしり並んでいるはずのお店(屋台)は、櫛の歯が抜けたようであり、お店をひやかして歩く客の数は少なかった。

あるお店の女将さんは「今日も、ここも、ここも来ていないね」と、左右の空いたスペースを指した。

「コロナが流行ってから、すっかり客が減ってしまってね」とあきらめ顔であった。

 

今年になって、呼子(佐賀県・唐津市)の朝市にも期待して行ってみた。

ここも三大朝市のひとつとも言われるが、拍子抜けするほど静かだった。

「朝市通り」に一軒出ていた干物を売るお店の方に、「こんなものですか?」と尋ねてみた。

「ええ、平日はこんなものです」ということであった。

 

先月のこと。

「三八の朝市」(新潟県・直江津市)は、三と八のつく日に開かれる朝市。

三のつく開催日であったが、会場となる「三八朝市通り」は出店も少なく人もまばらであった。

 

新型コロナは、各地で開催されている「朝市」にも影響していることが見て取れた。

朝市は単なる観光スポットとは異なり、一定の人出があってこそ訪れてみたくなるところである。

旅行好きの一人として、コロナ以前の賑わいに戻った朝市を思い描いている。