GWの混雑を避けて、私の「安近短レジャー」は千葉県佐倉市へ日帰りのマイクロ・ツーリズム。
土塁や空堀、水堀を配して守りを固めた「佐倉城跡」を中心に街歩きを楽しんだ。
佐倉城は石垣のない「土の城」であり「日本100名城」のひとつに挙げられ、城跡は佐倉城址公園として整備されている。
郭の一部に「国立歴史民俗博物館」があり、城の遺構見学の前に博物館を見学した。
この博物館は6個の展示室があり、じっくり見て回るには、一日かけても時間が足りないほどである。
結局、私も時間が無くなり、博物館見学は途中で切り上げることになってしまった。
博物館のすぐわきに、巨大な「馬出し空堀」がある。
椎木門のあった目の前が、この大きな馬出しになっていて見ごたえあり。
こちら側から城を攻めるなら、まず、弓、鉄砲の待ち構えるこの空堀を突破しなければならない。
二の丸を経て、本丸へと進む。
二の丸御殿跡(二の門跡)の近くに正岡子規の歌碑がある。
子規は明治12年に佐倉を訪れているという。
「常盤木や 冬されまさる 城の跡」
巨大な広場が現れ、ここが本丸跡である。
青々とした芝生を散策する人、テントでお弁当を広げる人、思い思いに本丸の広さを楽しんでいるようだ。
本丸はぐるりと高い「土塁」で囲まれていて、その土塁には、かっては「一の門」、「台所門」、「角櫓」などの建物があった。
夏草が生い茂り、花の時期を終えた桜の樹が良い日陰を作ってくれている。
土塁のてっぺんを歩くと、まるで里山の尾根道を歩いているようである。
本丸の南西に歩いていくと、天守のあった場所がある。
三重の天守の一階部分が土塁に乗っている、珍しい天守だったようである。
本丸を守る土塁の西側、南側にはそれぞれ出丸が設けられ、その外側には水堀が守りを固めている。
佐倉城は、時代が明治に変わり陸軍の施設が設けられ、そこにあった建物は次々と取り壊されたという。
城跡見学をしていると、「人為的に建物が壊された」というお城の歴史に触れることは多い。
もしその建物(天守、櫓、門など)が残っていたら・・・、と思うが、それは今となっては意味のないこと。
今回、見落としたり、時間がなくて周れなかったところも少なくない。
機会が合ったら再チャレンジしたい。
また、「国立歴史民俗博物館」は全ての展示エリアをしっかりと観て回りたいものである。