幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

日本100名城を訪ねて「佐倉城」

2023-05-06 | お城

GWの混雑を避けて、私の「安近短レジャー」は千葉県佐倉市へ日帰りのマイクロ・ツーリズム。

土塁や空堀、水堀を配して守りを固めた「佐倉城跡」を中心に街歩きを楽しんだ。

佐倉城は石垣のない「土の城」であり「日本100名城」のひとつに挙げられ、城跡は佐倉城址公園として整備されている。

 

郭の一部に「国立歴史民俗博物館」があり、城の遺構見学の前に博物館を見学した。

この博物館は6個の展示室があり、じっくり見て回るには、一日かけても時間が足りないほどである。

結局、私も時間が無くなり、博物館見学は途中で切り上げることになってしまった。

 

博物館のすぐわきに、巨大な「馬出し空堀」がある。

椎木門のあった目の前が、この大きな馬出しになっていて見ごたえあり。

こちら側から城を攻めるなら、まず、弓、鉄砲の待ち構えるこの空堀を突破しなければならない。

 

二の丸を経て、本丸へと進む。

二の丸御殿跡(二の門跡)の近くに正岡子規の歌碑がある。

子規は明治12年に佐倉を訪れているという。

「常盤木や 冬されまさる 城の跡」

 

巨大な広場が現れ、ここが本丸跡である。

青々とした芝生を散策する人、テントでお弁当を広げる人、思い思いに本丸の広さを楽しんでいるようだ。

 

本丸はぐるりと高い「土塁」で囲まれていて、その土塁には、かっては「一の門」、「台所門」、「角櫓」などの建物があった。

夏草が生い茂り、花の時期を終えた桜の樹が良い日陰を作ってくれている。

 

土塁のてっぺんを歩くと、まるで里山の尾根道を歩いているようである。

 

本丸の南西に歩いていくと、天守のあった場所がある。

三重の天守の一階部分が土塁に乗っている、珍しい天守だったようである。

本丸を守る土塁の西側、南側にはそれぞれ出丸が設けられ、その外側には水堀が守りを固めている。

 

佐倉城は、時代が明治に変わり陸軍の施設が設けられ、そこにあった建物は次々と取り壊されたという。

城跡見学をしていると、「人為的に建物が壊された」というお城の歴史に触れることは多い。

もしその建物(天守、櫓、門など)が残っていたら・・・、と思うが、それは今となっては意味のないこと。

 

今回、見落としたり、時間がなくて周れなかったところも少なくない。

機会が合ったら再チャレンジしたい。

また、「国立歴史民俗博物館」は全ての展示エリアをしっかりと観て回りたいものである。

 



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